義輝伝~幕府再興物語~ 《完結》   作:山中 一

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第十九話

 戦の気配は日に日に高まっていった。

 将軍家の直属になることで、細川家からも畠山家からも独立しようとした木沢長政であったが、警護すべき将軍が慈照寺からさらに近江の坂本にまで退いてしまったため、その策を断念せざるを得なくなった。

 晴元との確執に付け込めば、あるいは将軍からの後援を受けることもできるのではとも考えていたのだが、そうもいかなかった。 

 管領晴元、将軍義晴の機嫌を損ねた長政はまさしく天下の敵と認識されてしまったのである。

 河内国に戻った長政は、即座に戦の準備に取り掛かった。

 とはいえ、悲観してもいなかった。

 将軍家には軍事力がほとんどなく、管領の軍も一枚岩ではない。

 伊丹家や三宅家のように、管領家の軍に異を唱える者たちも未だに多くいる。

 また、自らの影響力は強い。河内国内のみならず大和などからも兵を動員できる長政は、他の小豪族の寄せ集めのような烏合の衆とは比べ物にならない統率力を発揮できる。

 頭に頂く者を誰にするのかという点で争っているような軍と、長政が頂点に君臨する軍とではどちらが優勢に事を運べるかなど言うまでもないことだろう。

 文字通り、畿内最強の軍事力を誇るのは、木沢長政である。

 ならば、戦になったとしても臆することはない。

 むしろ、これは畠山家から独立して、細川晴元を廃し、将軍家を傀儡として木沢政権を畿内に作り上げる好機である。

 そう思うと、長政の気分は一気に高揚してくる。

 事実上の『天下人』。

 その肩書きが目の前にぶら下がっているのである。

 長政の欲求は限りなく増大し、権威に逆らう恐怖を忘れさせた。

 単独で動員できる兵数は一万を越え、一向一揆衆を蜂起させればさらに増える。

 敵は互いに牽制しあう仲であり、主力となり得る三好長慶と三好政長は三好家の頂点を争う仲。それが、一同に集まったとて、どれほどの戦力になろうか。

 勝てる。

 確信する。

 開戦が待ち遠しく思えるほどに、木沢長政の気分は高揚していた。

 すでに、天下人になったかのように。

 

 

 

 ■

 

 

 

 まず、木沢長政が強大な軍事力を有することは戦をする上での大前提である。

 現在の畿内で、この木沢軍と正面から戦えるのは、管領晴元と六角家くらいのものである。その六角家は、北近江の平定に力を注いでいるのだが、浅井長政という予想外の強敵に苦しめられていることもあって、それも上手く進んでいない。よって、隣国に兵を出す余裕は現在ないと思われる。

 そして、晴元の軍だが、これは細川家の軍というわけではなく、畿内の豪族たちに号令をかけたことで成立する連合軍である。

 その中で最大の兵数を誇るのが、三好長慶と三好政長の二人。共に動員可能兵数は千五百ほどであり、二人合わせて三千である。

 これを見れば、単独で一万を動員できるだけの地力を持つ木沢長政がどれほど強大か分かるだろう。

 慈照寺から近江坂本に退いた俺たち――――正確には父上がしたことは、木沢長政の勢力をそぎ落とす工作であった。

 御内書という秘密兵器が将軍にはある。

 これはようするに将軍からの私的な手紙で、公文書としての最高格である御教書に準じるものなのだが、最近は御内書を多く用いているので、こちらの政治的効力も高まっている。

 これを発布することで、敵の分裂の促進や強大化の抑制を図るのである。

 主に河内国の一揆衆が木沢軍に助力しないようにする工作である。

 一揆の恐ろしさは、戦国の世に生きる大名であれば、誰でも知っている。特に越中国は、一向一揆に乗っ取られてしまっているほどで、天文法華の乱などまさに一揆衆の力を世間に見せ付けた大乱であった。

 晴元は一揆の力を利用し、戦いに勝利し、その一揆の暴走に手を焼いた経験があり、当然将軍たる父上も一揆の手強さをよく知っている。

 本願寺に御内書を送り、河内国で一揆が起こらないようにするのは地味ながらも効率的な工作である。

「それでは、若様。行ってまいります」

 仁木義政が、平伏して言った。

「ああ。厳しい戦いになると思うが、心して掛かってくれ」

 父上から義政に命が下った。

 晴元からの依頼だというが、伊賀衆を率いて長政の山城での拠点である笠置城を攻撃せよというのである。

 義政が率いる伊賀衆は八十人。

 忍を組織的に運用し、破壊活動を行うというのだ。おそらく、今までに類のない実験的な作戦だ。

「笠置城を攻める際に義政に一つ、仕事を頼みたい」

「はい、何なりと」

 俺は、手紙を取り出して義政に渡した。

「木沢勢は難しいだろうが、大和衆であれば寝返る可能性は十分にある。父上に頼んで用意してもらった御内書だ。笠置城に篭る簀川藤八と柳生家厳の二人に当てたものだ。上手く活用してくれ」

「はい。ありがとうございます」

 須川城主簀川藤八、柳生城主柳生家厳は共に大和の国人である。

 木沢長政が信貴山城を得てからの大和国介入によって、その影響下になっている。そこには、宿敵たる筒井氏への反発も多分に含まれているだろう。

 というか『柳生』ってあの『柳生』か。柳生十兵衛を輩出したあの『柳生』なのか?

「ともあれ、気をつけるんだ。お前は俺の家臣なんだからな。俺の命に関わりないこんな戦いで死ぬんじゃないぞ」

 そう言うと、義政は感激したように瞳を潤ませた。

「は、必ず」

 義政は書状を懐に仕舞い、深く頭を下げた。

 

 

 

 ■

 

 

 

 笠置城は笠置山に築城された典型的な山城であり、山城国南部、大和国に隣接する位置にある。

 笠置山はもともと笠置寺という寺が山頂部にあり、その伽藍を後醍醐天皇が城として利用したのがこの笠置城である。信仰の対象としては弥生時代から崇められていたというが、歴史的に見れば、後醍醐天皇の対鎌倉幕府戦争――――元弘の変の始まりの地として有名である。

 山全体に大きな岩が多く、三方が急斜面となっている天然の要害である。

 この笠置山に木沢長政は笠置城を築いた。

 山頂にある笠置寺を用いず、少しずれて南部の尾根に郭を設けた。もとより攻めにくい土地であり、南部に設けたことで大和国との連絡を容易にする意図があった。

 笠置山を南に下れば、すぐに柳生荘である。

「親父。筒井が兵を挙げたそうだな」

 山道を二人の人影が歩いている。声をかけたのは、後ろを歩く青年である。

「そのようだな。あと数刻もすれば、麓にまでやってくるだろう」

「いいのか? 管領様の軍ってことは天下の軍だろう?」

 息子の言葉に、柳生家厳は厳しい顔をさらに厳しくした。

「あまり大声を上げるな。何れにせよ、長政殿がこちらに兵を置く以上は、目先にある我等は合力せんわけにはいかぬ」

 相応の葛藤があったのだろう。小さな柳生荘を守るため、兵を率い、外交を行い続けた家厳は、木沢長政という強大極まりない武将を敵に回せるだけの力が、自分にないことを痛いほど理解していた。

 笠置城を任されているのは、木沢一族の木沢右近という者である。

 長政ほどの将才は感じられないが、なんと言っても兵が与えられている。才がなくともこの城の兵だけで、柳生城くらいは簡単に揉み潰せるだろう。

「ふん、そんな理由かよ」

 息子の柳生宗厳はまだ若い。剣術の才能は目を見張るものがあるのだが、如何せん若造ゆえに経験がない。剣術で自分以上の相手に出会ったことがないための驕りもあるし、年老いた父への反発心もある。

「柳生が生き残る術は常に模索せねばならぬ。木沢殿に合力するだけではない、ということは頭に入れておくのだ」

「あいよ」

 宗厳は気のない返事をして、それ以降は口を噤んだ。

 

 

 

 ■

 

 

 

 仁木義政は、大和国の豪族である筒井順昭と合流して兵を進め、笠置城から一里ほど離れた位置に陣を敷いた。

「ここは柳生殿の縄張りだと思っていましたが、存外抵抗が少ないのですね」

 軍の中核は筒井軍である。物見の敵兵を討ったり、小規模な小競り合いがあったりしただけで、進軍にはさほどの支障もなかった。

「ふん、柳生などその程度の者よ」

 得意げに、順昭が鼻を鳴らした。

 筒井家は柳生家や簀川家と同じく大和国の勢力の一つであるが、その関係はというとあまりいいとは言えない。そもそも、この時代は、隣の勢力が仮想敵国となる時代である。小さな視点で見れば、同じ国内の勢力同士の陣取り合戦が主なのだから、仲良くなどとてもできそうにない。

 大和国は、長らく守護が存在しない不可思議な国であった。

 寺社勢力が非常に強く、興福寺が事実上の大和国守護として統治していた側面があり、筒井家などはその系譜を継ぐ家柄である。

 戦乱の世に突入し、興福寺の影響力も低下して、国人や門徒衆が独立勢力として活動を始めてもどこが優位に立つということもなく、争いが続いた。

 だが、そんな小さな争いは、近隣で起こる大きな争いに飲まれるのが当たり前である。

 応仁の乱もそうだが、近々では両細川家の乱や河内国の畠山家で勃発した内訌が大和国にも当然に影響した。

 両細川家の乱で、大和国内の勢力は二つの細川家のどちらかに属することを強要され、その乱の折に細川澄元の家臣赤沢長経の大和侵攻によって筒井家は、越智家などと共に没落してしまった。

 筒井家が勢力を盛り返すのは、赤沢長経が敗死した後のことである。今は、大和国でも五指に入る実力を備えるまでに力を取り戻したが、晴元配下の柳本賢治の侵入や木沢長政の介入などがあり、大和国内の混乱は未だに続いている。

 特に木沢長政の侵略は大和国内の至るところに及んでおり、興福寺に代わって守護の職務を遂行したり、自分の配下に横領した荘園を任せるなどしている。

 そこに舞い込んできた木沢討伐の気運。

 大和国は、応仁の乱以降、上方の争いに振り回されているのである。

 ともあれ、筒井家にしてみれば、木沢家の勢力を駆逐し、大和国を筒井家主導で治める好機である。幸いなことに、筒井家は木沢長政の勢力が及ばない位置にあり、独立を維持していたので、笠置城の真南の柳生家や信貴山城の東麓にある平群谷に根を張る島家のように長政の意向に怯える必要もないのである。

 筒井順昭としては、この機にまず柳生家を幕府の後ろ盾の下で下してしまいたい。

 いつの日か、大和国を筒井家で席巻する。その手始めが、大和国と山城国を隔てる笠置城なのだ。

「手早く落としたいところですな」

「はい。そうですね」

 戦は早期解決が最もよい。時をかければ時勢が変わり、厭戦気分が蔓延する。金の流出もひどい。

 孫子に於いても、「戦わずして人の兵を屈するは、善の善なる者なり」とされている。

 だが、そうはいっても、もはや外交でどうにかできる次元を超えつつあるのも事実。どうあっても一戦は交えなければ、木沢長政も細川晴元も収まりが付かない。

 正面からの戦闘は、筒井家が担当する。義政は、伊賀者を率いて敵城に侵入し、工作を行うことが役目。

 もっとも、どのような工作をするのかという点に関しては筒井家にも秘している部分があるのだが。

「わたしたちは夜陰に紛れて防御の薄い北部に回りこみます。筒井様は?」

「ならば連携するほうがよかろう。日が出ているうちに、当方で一当てし、こちらに筒井在りと知らしめよう。何、柳生荘に陣取った時点で、敵は我等を無視できんよ。ところで……」

 順昭は無精髭を撫でつつ、義政を見た。

「笠置城は三方を急斜面で囲まれた天然の要害。夜間なればこそ侵入は難しかろう」

「問題ありません。伊賀者は山野にて育つ者たちです。険しい山と共に生き、森と共に死ぬのが常。どうしてこの程度の小山に苦労することがありましょうか。天然の要害なればこそ、我等にとっては庭に等しいのです」

 不敵な笑みで、義政は言い切った。

 伊賀という地域は山々に囲まれた土地。必然的に生業は林業となり、過酷な自然の中で足腰は鍛えられる。そんな環境が忍という職種に繋がっていく。

「ふむ、左様か。ならば、よいが」

 一里離れた先にある山の上。

 ここからでも郭と郭を忙しなく行き来する兵の姿が見て取れる。

「場合によっては、向こうから繰り出してくるかもしれませんが」

「望むところよ。その時は、きっちり叩き潰してくれるわ」

 自信ありげに、順昭はにやりと笑う。

 

 

 結局、城兵が山を下ってくることはなかった。

 言葉での挑発合戦が為され、筒井軍はゆるゆると兵を進ませて笠置山の半里手前に陣を敷いた。 

 これ以上の接近は敵からの反撃を容易にさせる。

 敵を挑発しても降りてくる気配はない。

 城を守るのは、木沢一門の木沢右近。どのような人物なのか、仁木義政も筒井順昭もとんと知らないが、少なくとも言葉の応酬に乗るほど血気に溢れる武将ではないらしい。

 それに、彼らの本拠は大和国でも山城国でもなく、河内国。

 この地がどれほど筒井家に踏みにじられようとも、木沢家にとっては痛くも痒くもない。

 青田刈り、という季節でもない。すでに刈り入れは終わっていて、風には冬の気配が混じっている。

 ならばと、順昭は山麓の家々に火を放った。

 暮らしてきた家が焼かれるのは、徴集された兵にとっては忸怩たる思いがあるだろう。

 内部分裂を誘えるかもしれない。

「火を放たれて何も言えぬか! ええ、柳生! 同じ大和に生まれた武士として、恥ずかしいわ!」

 故に、挑発の対象は柳生家。

 今まさに郷里が敵に蹂躙されているからこそ、平静ではいられない。

「逆賊柳生! 己が誇りと郷里を守りたくば、今すぐにでも城を開き、我等と一戦に及ぶべし!」

 山麓にて、口上を述べた騎馬武者に、返礼とばかりに矢が放たれた。

 その矢は、騎馬武者には届かず、その足元に刺さる。

 あえて外したのだろうか。

 それは遠目から眺めているだけの義政には分からなかった。

「ずいぶんと焦れておる」

 というのが、その様子を眺めていた順昭の判断だった。

「ずいぶんと口が達者な方ですね」

「ハハハ、あの者は家中でも剛毅豪胆。怖い物知らずで口が悪い。それでも、その悪癖も使いようでは役に立つ」

「「無用の用」というわけですね」

「うむ」

 山中から喊声が上がった。

「ふん。堪え性のない。ありゃ、柳生の馬鹿息子のようだな」

 順昭は、蔑むような目で下り降りてくる一団を見る。

「剣術一つで、兵法も碌に知らぬ若造が、甘く見るでないわ」

 順昭は軍配を振る。

 槍兵が穂先を揃えて前進。柳生家の三百の兵と交戦を開始した。

 

 

 

 ■

 

 

 

「この馬鹿息子が!」

 柳生家厳は目の前で胡坐をかく息子に向かって吼えた。

「あれほど安い挑発には乗るなと言ったであろうが!」

 柳生家の一部を率いて勝手に出陣した息子が帰ってきたとき、何よりも先ず安堵の気持ちが湧き上がってきたのだが、それを押し殺して叱りつけている。

「筒井家はおろか木沢家や簀川家にまで侮られることになっては話にならん! まして、寡兵を以て正面から攻めるなど、お前は阿呆か!」

 三百の兵の内、戻ってこなかったのは二十。被害がこの程度で済んだのは、宗厳の苛烈なまでの剣を振るう姿に、敵兵が萎縮したからであった。

 五倍近い敵兵の正面に喰らい付き、暴れ回って帰ってきたのだから、戦果と言えば戦果であろう。しかし、付きあわされて死んだ者がいるという事実は拭えない。

「だったらどうすんだよ」

「ん?」

「俺たちの領地だろうが! 俺たちで何とかしなけりゃならんだろうが!」

「大局を見誤るなと言っておるのだ! ここでお前が討たれておったら、そのまま敵が城内に雪崩れ込んできたかも知れぬ。みすみす友軍まで危険に晒してどうする! これで柳生は死地に向かわねばならなくなるかもしれぬわ!」

 ギリ、と宗厳は奥歯を鳴らした。

 現在、この城に篭っているのは、柳生家だけではない。筆頭に木沢家があり、その下に複数の勢力が従っている形になっている。

 命令系統は正しく守られるべきであり、命と家の今後を賭けた戦いではそれぞれが協力し合うことが重要である。まして、木沢家は幕府に逆らう逆賊である。負ければ、必然的に御家存続はないと考えるべきである。それほど追い詰められている状況なので、秩序を乱した柳生家には白い目が向けられることは必至であった。

「とにかく、お前はここで大人しくしておれ。木沢殿にはこちらから弁明しておく」

 家厳はため息とつきながら部屋を出た。

 木沢右近は、木沢長政に比べれば線が細く、気が弱い印象がある。

 身の安全を第一にするような性格なので、戦場では神経質になって落ち着きがなく、よく人に当たる。そんな右近に対して、家厳がよい感情を向けるはずもない。

 だが、木沢家に就いたからには家厳は右近の動向に従わねばならない。

 その身を危険に晒しかけたことで柳生家に対して好からぬ感情を持っていよう。こういった場合は戦の前面に押し出されるのが定石である。

 だが、それならばそれでいい。

 雪辱を果たせるのであれば喜んで引き受ける。

 なんといっても、敵が陣取っているのは柳生荘。自分たちの領地である。息子の言うとおり、自分たちで何とかするべきなのである。

「おや、これは柳生殿」

「兵庫助殿」

 家厳に声をかけてきたのは、簀川藤八であった。兵庫助は官途名である。

 柳生家と共に木沢家の膝下に甘んじる彼は、息子たちと共にこの城内に篭っている。

「一戦に及ばれたとか。やはり、筒井殿らは強敵でしたな」

「お恥ずかしいばかりで」

「いえ。跡取りとなられる方が無事だったのは幸い。しかし、さすがは柳生殿の子。鬼神の如き剣でございました」

 一振りで三人の首を刎ねる、などということが実際に起こるとは思わなかったというのが、藤八の思いであった。柳生家の若々しい力を、羨ましく思うと同時に心強い思い、それでいて警戒もしていた。

「愚息は剣だけが取り得のような男でして」

 家厳が渋い顔をするのは、その剣術が戦で華々しい活躍をしたからだった。武芸に秀でるというのは間違ったことではない。臆病風に吹かれて頭脳労働ばかりに従事するよりもましだ。だが、味方を危険に晒していながら、活躍したと自慢するようなことはできなかったのである。

「まあ、ともあれ……と、これは」

 藤八が何かに気付いたように顔を顰めた。

 城内に鼻を突く異臭が漂ってきたのである。

「火か!」

 家厳が声を荒げて叫んだ。

 外を眺めると、夜闇を吹き消すように、城郭に放たれた火が揺らめいているのが見えた。本丸には遠いが、賊の侵入を許したようである。

「これはいけませんな」

「ええ、すぐに兵を集めねば」

 

 

 

 ■

 

 

 

 柳生家の兵に紛れ込ませた伊賀者数人が、首尾よく火を放ったのを確認して、義政は笠置城北部から城内に侵入を果たした。

 火が出ているのは南部側でもっとも郭が密集している箇所であり、兵の数も多い。また、昼間に筒井家と柳生家がぶつかったことで警戒が強まり、南側麓に陣を張った筒井家の夜討ちを恐れるように兵を配置していた。そのため、北部の警備は手薄になり、忍の侵入を許すことになったのである。

「御頭。我等はこちらに火を放ちます」

「はい、精一杯苦しめてやりましょう」

 義政の目的は、とにかく霍乱と書状を届けることである。

 木沢勢に従わぬことが家名存続に繋がることを説けば相手の心を揺さぶることにもなるだろう。

「大変だーッ! こっちにも火の手が!」

「早く消せッ! 警備の者は何をやっていたのだ!」

 城内の騒ぎは次第に大きくなっていく。

 混乱に乗じて、義政は、柳生家の篭っていると思われる郭の付近にまでやってきた。

 真っ直ぐに辿り着けたのは、柳生家の兵に紛れ込ませた伊賀者が手引きをしてくれたからである。

「後は、家厳殿にお会いするだけか。できることなら簀川殿にもお会いしたいところだけど……」

 慌しく駆ける城兵の脇をいかにも慌てていますという風に装って走る。

 騒ぎは次第に大きくなる。動き回るのは楽だが、家厳と藤八を探すのが手間である。

「おっと、ちょっと待ってもらおうか」

 義政の正面に、男が立ちふさがった。

「そこを通していただけますか?」

「そういうわけにもいかないね。この騒ぎの中で、見覚えのない顔がうろついていたら気になるだろう? あんたで四人目だ」

 男は刀から血の雫を垂らし、不敵に笑っていた。伊賀者が、すでに三人斬られているということだ。

「俺はこの辺にいるやつらの顔は覚えている。あんた、この城のもんじゃねえだろ」

 柳生宗厳。

 昼間の戦いで、義政は遠目からこの男を見ていたから知っている。彼の武は義政を遥かに上回っている。まともに相対すれば、斬られる。

 宗厳は家厳の息子。ここで、義政の身分を明かし、面会まで持っていくか――――却下だ。彼の性格が、それを許さないだろう。それに、下手に騒がれては将軍家の手が入っていることを悟られる。今はまだ、管領家対木沢家を軸に将軍家は細川家を後ろから支援しているという形でしかない。

 義政は周りを見回す。

 狭い廊下。すでに、囲まれている。義政の顔は知られてしまった。

 ならば、やるしかない。

「ふん、やるか」

 義政の覚悟を見て取って、宗厳は刀を構えなおした。

 その構えだけを見ても、一流の剣の使い手だということが理解できる。

 だが、義藤ほどでなければ、なんとかなる。そう自分を勇気付けて、小太刀を抜いた。と、その時、義政の視界を鮮やかな赤が染め上げた。

「な……!」

「なんだとッ!」

 義政だけでなく、宗厳までも驚いていた。

 赤赤赤。床も天井も真っ赤に染まり、ゴトゴトと、義政を囲んでいた兵が人形のように倒れた。首から上が、あらぬ方向に転がっていく。皆、首を刎ねられたことに気付いていもいない表情だ。

「何が」

 義政は宗厳を忘れて、忘我する。

 血の雨の中に、少女が佇んでいた。

「どうも、お頭さん。危なそうなんで助けましたが余計でしたかね?」

 癖のある、髪は肩に掛かるくらい。何人もの兵を一瞬で斬り殺したにも関わらず、表情はなく、大きな瞳には義政すらも映していない。

 何よりも目を引くのは、身の丈ほどもあろうかという大太刀である。その刃の長さから腰に佩くわけにもいかず、背負って持ち運ばねばならない。

「ありがとうございます」

「いえいえ、ついでですし」

 少女は、刀をぶらりと脱力して持っている。

「なんだ、貴様は」

「この城に、剣術のすごい人がいると聞きまして。斬りあってみたいなと思っていたら、この人たちが忍び込もうとしていたので一緒に紛れてみました」

 彼女の言葉に義政は驚愕の悲鳴をあげそうになった。

 なぜなら、この少女は忍集団に紛れて城に侵入したというのである。さらに、この場にいて窮地を救ったことから見て、最初からずっと義政と一緒にいた(・・・・・・・・・・・・・・・)

 こうして傍にながらも、空気のように掴みどころがなく、存在感が薄い。自然との合一。忍たちが用いる呼吸法や歩法で存在感を消すのと同様の技を、信じがたいほどの技量で実践しているのである。

「後で、またお会いしましょう。お礼をさせていただきます」

「そうですか。じゃあ、楽しみにしてます」

 義政は供の伊賀忍と共に走り出した。宗厳の脇をすり抜けるように走る。

「させるか、おおう!?」

 義政に斬りかかろうとした宗厳に、閃電のような一閃が襲い掛かった。

 その一太刀を受け止めたことで、義政を取り逃がしてしまった。

「止められた……やっぱり、あなたがそうなんですね。とりあえず、勝負しましょう」

「なんだかよくわからねえが、牢人崩れの割りに目茶苦茶だな」

 宗厳は太刀を振るって少女を押し退けた。

 少女は再び太刀をだらりと下げて相対する。構えはないが、信じがたいことに付け入る隙を見出せない。

「あんた、名は」

「ほえ? 名前ですか? そうですねぇ。姓はないし、とりあえず巌流とでも呼んでください」

 

 

 

 走り抜けて姿を隠す。この騒ぎだ。義政の姿を知る者がいないところまで行ってしまえば、再び人に紛れることができる。

「ちっ、しょうがない」

 義政は舌打ちをして、すぐ近くの城兵に駆け寄った。

「家厳様は何処!」

 端的に目的だけを伝えた。その剣幕に圧され、城兵はたじろぐ。

「至急、家厳様にお伝えしたき儀あり。家厳様は何処か?」

「家厳様であれば、あちらに向かわれたが」

「感謝します」

 非常事態ということもあり、激しい口調で短く纏めたことが功を奏した。今の状況で、義政を疑っている余裕はない。まして、それが一城兵であればなおさらだ。二千石程度の小さな勢力だからこそ、末端の兵でも当主の顔を知っているということもあった。

 とはいえ、一人目で情報を得られたのは幸いなことだったか。

「御頭。あちらにおられるのが家厳様です。その隣にいらっしゃるのは、簀川藤八様に間違いありません」

「それは都合がいいですね」

 兵を集めて指示を飛ばしている家厳と藤八がいる。どたばたと城兵が入り乱れ、走り回っている中で、彼らの周りには護衛兵が張り付いていた。それぞれの家の宿老たちだろう。

 せっかく二人がそこにいるのだから、この機を逃すわけにはいかない

「そちらにいらっしゃいますのは、柳生様と簀川様とお見受けいたしますが如何に?」

 問いかける。

 ギョッとした風に、家厳と藤八はこちらを向き、護衛兵たちは刀の柄に手をかけた。

 人の行き来が激しい中で、この場の空気の流れだけが変わったような気がした。

「何者」

「足利義藤様の配下。伊賀守護仁木義政でございます」

 義政の名乗りに、家厳も藤八も目を見開いた。

「仁木殿。確かに、お若い方が跡を継ぎ、幕府に奉公していると耳に挟んだことが」

 仁木家は今でこそ影響力を大幅に減じたが、かつては細川家に並ぶ大家であった。

 仁木姓の由来は、三河国仁木郷であり、承久の乱の功で足利義氏が三河守護に任じられるに際して足利実国が移り住んだことが始まりである。

 それ以降、仁木氏は隣接する細川郷の細川氏と共に足利氏を支える譜代被官として活躍したのである。

 南北朝時代にあっては政治的にも重要な立ち位置にいて、仁木頼章、仁木義長兄妹は足利尊氏の信任を受け、高師直の後任として幕政に関わり、兄妹で最大九ヶ国を領有するに至った。その後は仁木義長の専横などが祟って衰退していき、血は丹波、伊勢、伊賀の三つに分かれてしまうのであるが、それでも家の格は高いままである。

 さらには、今、家厳と藤八の前にいる仁木義政は六角家前当主の娘であり、その背後には六角家の姿が見える。

 少なくとも、一国人に過ぎない柳生家や簀川家にとっては話をすることすらもできない格上の存在である。

「何故、かような場所にいらしたのですかな?」

 緊張したように、家厳は尋ねた。

「その前に、お人払いを願いたいのです。お二人に、重要なお話がございます」

 家厳と藤八は目を見合わせて頷いた。

「されば、こちらへ。人払いをしたとて、ここではできる話もできますまい」

 家厳と藤八は義政を近くの部屋に案内した。室内には、三人しかいない。

「まずは、お二人にこれを」

 義政は、懐から二通の書状を取り出し、一通ずつ家厳と藤八に渡した。

「これは……」

「将軍殿下からお二人への御内書でございます」

「ッ!」

「御内書ッ」

 二人は驚愕し、恐る恐る書状を開いた。

 将軍家から書状を受け取るのは、二人ともこれが始めてである。現在、敵対していることもあって、知らず手が震えてしまう。

 息が詰まるほどの緊張の中で目を通す。

「我々に、降れと仰られるのですな」

「はい」

 義政は頷いた。

 家厳と藤八は厳しい表情を浮かべる。

 将軍家からの命は重大だ。異に違うことはできない。だが、すでに敵対している以上この命に従わずとも将軍家の敵のままで状況が変わることはない。

 それに、従って木沢家と敵対した場合、長政に攻め滅ぼされる可能性がある。簡単に首を振ることはできないのである。

「今、降っていただければ、幕府への敵対行動は不問とみなし、各々方の領地は安堵されます。しかし、そうでなければ、御敵として名指しされることになりましょう」

「ぐぬ……」

 呻くしかない。

 御敵となれば、家中を纏めることすらも厳しくなる。

 敵には攻め滅ぼす口実を与えることになり、逆賊のまま一族が殲滅される。柳生家にも簀川家にも独立してこれを凌ぐだけの力はない。

「返事は……」

「わたしから申し上げることは以上です。後は、各々方の行動で返答と致します」

 木沢家に賭けるか将軍家と管領家に賭けるか。

 どちらにするべきか。

「わざわざ殿下があなた方に書状を出したことの意味をお考えください」

 最後に、義政はそう言って話を切りあげた。

 

 その後、潜入して暴れまわった伊賀者八十余名は、幾人かの戦死者を出しながらも奮戦し、木沢右近配下の兵が援軍にやってくるに及んで撤退した。

 目に見える戦果としては郭をいくつか焼いた程度。

 ただし、楔は打ち込んだ。

 笠置城は、未だに落ちる気配を見せず、戦は膠着状態のまま時間がだけが過ぎ、七日の後に筒井家の退却が決まった。

「まったく、もう少し根性を見せて欲しいものですけど」

 筒井家と別れてから、義政は呟いた。

 そうはいっても、木沢長政率いる本隊が大和国内を窺っていると情報が入っては、本領を侵される恐れがある。撤退は仕方のないことだろう。

 ともあれ、筒井家と歩調を合わせるつもりもなかったので、これはこれでいい。すでに、獅子身中の虫は放ったのである。

「あのー、剣術すごい人知りませんかねぇ?」

 命の恩人なのだが、剣術のことしか頭にないような妙な娘を拾ってしまった。

 




この時期の畿内はびっくりするくらいマイナー。戦国の有名所は史実ではこの後の時代だし仕方ないといえば仕方ない。

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