三好政長の軍事行動が一件落着した後、京とその周囲は比較的安定した状態が維持されていた。
それは、将軍家の人間が河内、堺と続けて遊興できたことからも明らかだ。畿内全域で、比較的緩やかな太平が続いている。
町には少しずつ活気が戻り始め、堺とまでは行かなくとも、文化都市として復興が始まりつつある。
もちろん、百年に渡る荒廃は、数年の安定期で復旧できるようなものではなく、幕府が資金難に喘いでいる今、町にまで資金を回す余裕はないというのが現状である。
そんな京の町並みを眺めながら、仁木義政は歩いていた。
顔立ちは、六角義賢によく似ている。
あの明智光秀も、初めて会ったときは間違えたものだ。
違いと言えば、目元。義賢がたれ眼がちなのに対して、義政はややつり眼がちが。性格に至ってはまったく異なり、義賢は外出すら満足に行えない出不精であるが、義政は快活で好奇心が旺盛という一面がある。
それにしても、六角家の次期当主があんな状態で大丈夫なのだろうか。
義政は未だに先の読めない従姉妹が心配になっていた。
「まあ、わたしが心配しても仕方のないことだけど」
すでに、六角を出た身。六角家の次期当主候補だったのは、物心付くか付かないかといったころのことだ。
義政の経歴は、運命のいたずらによって混迷を極めたものになっている。
まず、彼女の生まれは南近江の名門六角家。その当主であった六角氏綱の子である。近江は、制する者は天下を制するとまで言われる肥沃な土地。その守護家に生まれたと考えると、なに不自由ない生活が約束されていても可笑しくは無かったのだが、不運は突然襲ってくる。
義政の父氏綱は、若くして死去してしまったのだ。その時、義政はまだ政が行える年齢ではなかった。結果、氏綱の弟の定頼が家督を継承することとなった。
そうなってくると、定頼の娘である義賢が家督の継承権を持つことになる。
六角家の血統は、義政に至ることが無かった。
虚しいといえば虚しいことだ。父が守った六角家を継げなかったことは、今でも悔しい思いに苛まれる。
だが、それも詮無いこと。
義政が仁木姓を名乗ったのは、あくまでも六角家からの指示だった。
北伊勢に侵攻するに当たって、伊勢国守護でもあった仁木の姓を六角家に所縁のある人物が名乗っているほうが好都合だと判断されたからだ。これは、この戦国期には良くあることで、有名所では関東の雄北条家も、関東を治めるに当たって鎌倉幕府を牛耳っていた北条家の名を使ったとも言われている。
僭称ではあるが、僭称を許すほどに仁木家の力は弱まっていたのだ。
伊賀の一国を抑えることもできない零落した守護家。それが仁木家だ。室町幕府の創立当初は、細川家とも並び立つ名家だったのだが、今ではこの始末。
最終的には、僭称していた六角家の血筋が正式に後を継いでしまうのだから、その零落の程が知れよう。
それでも、仁木家当主という肩書きは、血統主義的な考え方のある幕府に於いてはそれなりに有効であった。義藤に見出されてからは、彼の側近として様々な情報を探る「草」の総括として、義藤の手足となって駆け回っている。
今、こうして町を見て回っているのも、実のところ諜報活動の一環なのだ。
商人の話に耳を傾ける。
彼らは全国各地からこの京に上ってきた者たちだ。ゆえに、彼らが持つ情報は、諸国の最新のものであるのが普通である。無論、そこには錯誤が入り混じったものも含まれているため、必要とあらば裏を取ることもある。
義政は、朱雀通りをうろうろと徘徊した後、ふらふらと賀茂川のほうに歩を向けた。
室町殿を横目に進み、しばらくすると穏やかな川のせせらぎが聞こえてきた。
視界に入る木々はすっかりと色づいて、秋の気配を濃くしている。
もう少しすれば雪が降ることだろう。そうなれば、少なくとも雪解けまでは大きな戦は起きないはずだ。収穫期はもちろん、冬の出兵は準備に多大な資金を必要とする上、雪に阻まれて行軍が難しくなる。降雪量の少ない京周辺であっても、好んで冬に合戦をしようという者はいない
「おや、仁木殿ではありませんか」
「明智殿? 供も連れずにどうしました?」
「それは、仁木殿もでしょう。わたしの記憶が正しければ、今日は非番ではありませんでしたか?」
そうだ。この日は、義政は仕事が入っていないのだ。
「確かにそうですが、商人の噂を聞くのが日課になってしまいまして。人の話に聞き耳を立てるなど、誉められた行いではありませぬ。真にお恥ずかしいことです」
「そのようなことはありません。ご公儀のために身を粉にするお姿に、わたしは日頃から感服しておりますよ」
生真面目な光秀らしい言葉。
そこにはただの真実しか含まれていない。
それなりに長い付き合いになるので、義政は光秀の人となりを少なからず理解していた。
光秀には、土地も家族も主君すらも失い放浪した果てに、義藤に拾われたという生い立ちがある。それは、なんとなくだが、自分にも似たところがあるのではないかと思っている。
「明智殿は、美濃のご出身とか。何れ、故郷に戻りたいとは思われませんか?」
「はい? 突然、何を?」
「あ、いえ。すみません。お気を悪くさせてしまいましたか?」
「いえ、そのようなことはありません」
にこやかに光秀は否定した。
それから、少しだけ憂いを帯びた顔になる。
「確かに、わたしは美濃国の出。故郷を思うこともあります。しかし、それを思っても詮無いことです。わたしには、今があります。父上が見ることのできなかった世界を、義藤様に見せていただいているのです。戻るとなれば、そうですね。それは義藤様の大願が成就された後となりましょう」
「若様の大願」
義藤が夢見ているのは、幕府の復権。公に口にすることはできないが、今の幕府は仁木家と同じく衰退しつつある。それを、義藤は直視し、その上で再興しようとしている。
だが、それもままならぬもの。
今や禁裏すらも、築地がところどころ崩れている始末だ。
それを修繕する能力すらも無く、少し大通りから外れれば、傾いた家々が立ち並び、藪が広がり、白骨が横たわる。日ノ本の中心地は、戦乱の世を象徴するかのように荒れている。
信じがたいことだが、これが現実だった。
「そのために若様は鉄砲の配備を急いだのでしょうか」
「それもあるかと。あれは、想像以上の武器ですよ」
そういう光秀は、すっかり鉄砲の魅力に取り憑かれている。
腕もメキメキと上達しており、弓を引くよりも的確に相手に当てられるようになったらしい。それを考慮してか、鉄砲は実験的に光秀の配下に回されている。
「はあ……」
「どうされました、仁木殿」
「ああ、いえ。なんでもないです」
義藤が入れ込んでいた武器が、配備されているのが光秀のところだけというのが、気に障ったとは言えなかった。
光秀が、鉄砲の扱いに途方も無い才覚を有するのは百も承知。全体数がまだ少なく調達できる数に限りがあるので、部隊で運用するのなら一箇所に集めて鉄砲隊を作ったほうがいいというのもわかる。
だが、言葉にできない感情が、納得できないと騒ぎ立てていることは否定できない。
要するに、妬いているのだ。
基本的に、義政の義藤に対する感情は好意に立脚している。忠義のそれとは、また異なる。もちろん、忠心もある。が、それ以上に、人として、異性としての感情のほうが強い。それは、尊敬であり思慕でもある、はずだ。
足利義藤は自分をきちんと見てくれた人物だった。
六角家にあっては得られなかった安らぎが、彼の下にはあった。利用されるだけの駒に過ぎなかった自分に価値が生まれたと思えた。
義藤のために働くことが、仁木義政という女の価値だ。
だから、本当に怖いのは、義藤に価値を認めてもらえなくなるということであり、自分が正しく成果を上げられないということだった。
現状維持ではだめなのだ。
義政は頭を振って雑念を追い出した。いけないいけない。あまりにも私事に傾倒しすぎている。
その様子をみた光秀が、苦笑して、
「どうも、疲れているみたいですね」
「そのようで」
「どうでしょう。ひとつ、相国寺にでも参るのは。寺社の静謐な空気を吸えば、気持ちも落ち着くのではないでしょうか」
相国寺は、幕府所縁の寺で、二人がいる場所からそれほど離れているわけではない。
あの足利義満が室町殿の隣接地に寺社の建立を決意したことに始まる。開山は夢窓疎石で、京では最大級の禅宗寺院の一つとなった。
過去に幾度か焼け落ちていて、直近では応仁の乱で細川方の陣地となったことで焼失している。今は、やっとのことで再建され、真新しい外観となった。
「そうですね。それもいいかもしれません」
腑抜けた頭をどうにかするには、ちょうどいい刺激かもしれない。
そう思って、光秀と共に相国寺に足を向けようとしたそのときだった。
「御頭! こんなところにいらしたのですね!」
義政の下に女性が駆け寄ってきた。
魚売りに身を窶した、義政の部下だった。
「そんなに息を切らして、どうしました?」
「は、はい。急ぎ、お耳に入れねばならぬ事がありまして」
「何……」
義政は、表情を引き締め、女性からの報告を聞く。
「それは、真ですか」
義政は、驚愕に息を呑んだ。
「は、しかとこの目と耳で確認したことなれば」
「そうですか。わかりました。これから、すぐに若様の下に向かいます。将軍殿下にもお伝えしなければなりません。それと、管領様にも使いを」
手早く指示を飛ばす。
「まずいことですか?」
「はい、かなり。若様にお伝えせねばなりませんので、わたしはこれで失礼します」
「でしたら、わたしも戻ります。すぐに動ける者が必要になるかもしれませんし」
「はい、お願いします」
風雲急を告げる報せに、義政は心臓が早鐘を打った。
その知らせは、畿内の安定に一石を投じかねないものであったからだ。
■
義政が義藤の屋敷に辿り着いたのはそれからすぐのことだった。
「あ、これは仁木様。そのように慌てられていかがされました?」
屋敷に門番は二人いる。そのうちの一人が、義政が息せき切って翔けて来たのを見て、声をかけた。
「取り急ぎ若様のお耳に入れねばならぬ報せを持ってまいりました。取次ぎをお願いします」
「は、しばしお待ちを」
門番が、中に入っていく。義藤に、義政が来たことを伝え、屋敷の中に入れる許可を得るためだ。
時間にしてほんの僅かでありながら、気が遠くなるほど待たされたような気がする。
「許可が下りました。仁木様、どうぞ中へ」
「ありがとうございます。若様はどちらに?」
「的場にいらっしゃいます」
的場。というと、弓術の鍛錬中ということだろう。
何年も、この屋敷で働いてきた。構造は頭の中に入っていて、的場に行く最短距離も理解している。迷うことなく義政は廊下を進み、目的の場所にやってきた。
かつては中庭として使われていた場所は、義藤の意向で的場として利用されている。
パン、と小気味良い音が響く。
的の真ん中を、矢が射抜いた音だった。
「お見事です。若様」
その場に平伏し、挨拶する。
「ああ、義政。よく来たね。前もって知らせてくれれば、茶の準備もできたのだけど」
「いえ、そのようにお気を使っていただかずとも。突然に参上したのはわたしのほうですので」
固いなあ、と義藤は笑う。
「おまえは、真面目さでは光秀と一、二を争うな」
「そうでしょうか」
「ああ、間違いないな」
義藤は断言する。
確かに、義政は遊び心がないとよく言われる。幼少期から、そういったことにはまったく興味が湧かなかったこともあって、未だに歌会などは作業のようにこなしているのが実状だった。
特に、そのことに関してどうだと思ったことは無い。
もとより非番の日に諜報活動をしてみようと思い立つような義政には、公家的な遊びに費やす時間こそがもったいないと思えた。
だが、果たして義藤はそんな義政をどのように思っているのだろうか。
「それじゃあ、部屋に行こうか。こんなところで立ち話をするわけにもいかないしな」
「え、あ、はい」
思案していたところで、声をかけられ、義政は現実に引き戻された。
間抜けな顔になってはいないだろか。少し不安になった。先を行った義藤は、そんな義政の心情には気付かず、早く来い、と手招きしている。
これが火急の用でなければ嬉々として彼の下に駆けて行ったかもしれないが、今はそのような場面ではなかった。
それでも、トトト、と小走りで義藤の下に向かう義政を見た奉公人たちは、その尻に犬の尾を幻視したとかしないとか。
「それで、報告とは?」
「はい、先ほど河内に放っていた草の者からの報せなのですが、なんでも高屋城にて畠山左京大夫様が殺害されたとの由」
「なん……だと……」
義藤は、驚愕に目を見開いて愕然とした。
畠山左京大夫は、前河内国守護の畠山長経のことである。
「詳しく話せ」
「はい、草が集めた情報によりますと、下手人は河内半国守護代木沢長政。城内で毒殺に及んだとの事です」
「木沢? ああ、前に長慶と晴元が揉めたときに仲裁に出たあいつだな」
「はい。その木沢長政です」
以前、長慶が兵を率いて晴元と対決しようとしたことがあった。その目的は、晴元の日頃からの行いを諌めることだとしていたが、内実は不明。とにかく、一時は長慶と晴元が一触即発の危険な状況に陥ったのである。それを苦慮したのは、将軍である足利義晴と、南近江の六角定頼。そして、この二人が支援したのが畠山家の重鎮木沢長政だったのだ。
長政は調停を纏めた功から河内北半国守護代と大和国と河内を繋ぐ要衝である信貴山城を与えられ、三好長慶は芥川山城を明け渡す代わりに越水城と攝津半国守護代の役職が与えられた。
「あいつめ、調子に乗るのはいいが主殺しまで起こすとはな。笠置城のことといい、勝手な真似をしてくれる。だいたいあいつは畠山家の家臣だろう」
「はい、確かに。しかし、畠山家は現在分裂しているようなもので、その政は木沢長政と遊佐長教殿が手動しております。当主に至っても、この二者とその派閥が選んでいるようなもので、畠山家の河内国分割統治を提案、実現させたのもこの二者の手腕によるものです」
「確か、尾州家と総州家だったかな」
「はい」
義藤もまた、河内国の畠山家には並々ならぬ関心を抱いていた。なんといっても、国内を二分する派閥が、実際に統治機構を二分してしまったのだ。火種になると見てもおかしくない。また、だからこそ大目に草を忍び込ませ、情報収集に当たった結果が、今回の速報に繋がったのだった。
「左京大夫様は、国が分割される前の最後の守護でいらっしゃいました。この政策にも、最後まで反対されていたと記憶しています」
「それで、追放されてしまったんだもんな」
反対する長経は、いともあっさりと重臣たちから見放された。
今は、北と南に分割された河内国を、尾州家と総州家から一人ずつ選出した守護が治めているという形をとっている。これで、応仁の乱以降続いた畠山家の内乱は一応の終息を見た。だが、その内実は、総州家に仕える木沢長政と尾州家に仕える遊佐長教に実権を握られているに等しい状況なのであるが。
「応仁の乱を引き起こした要因の一つが、ここに潰えつつあるわけだが」
「家臣の専横によって潰えたとなれば、それはそれで天下に示しがつきません」
「まあ、そうなるだろうな」
とはいえ、殺害されたのは前守護。今現在、守護の地位にある二人の畠山がいる以上、それ自体が京に大きな問題を齎すことはないだろう。
それは、義藤も同じ意見であった。
「問題は、長政がこれからどのように動くのか、だ」
「はい」
木沢長政とて、幕府に弓引く考えはないだろう。彼はあくまでも、畠山家、それもその半分にあたる総州家の家老でしかないのだ。
義藤はおろか、管領である細川晴元と張り合うことすらも憚るべき存在。それが、幕府を揺るがそうというのが、甚だ不快でならない。
「主殺しは許されないことではありますが、これはあくまでも畠山家の内輪での問題。木沢長政に関しては、おそらく……」
「ああ、お咎め無しで済まされるだろう」
「しかし、私見ですが、それで終わるとは思いません。尾州家の方々の動きも含めて見ていく必要があるかと」
「無論だ。今のところは政治的に邪魔になった前守護を暗殺しただけだが、それが総州家の、それも長政の独断であったのなら波紋は必ず広がっていくだろう。くれぐれも見落としの無い様、細心の注意を払って情報を集めてくれ」
「はい、お任せください」
仕事を任された歓喜が、義政の心を満たした。義藤に有益に情報を齎せたことが、何よりも誇らしい。飛び跳ねてしまいたいくらいだ。
「何か、良い事でもあったのか?」
「い、いえ……ッ!」
表情に出ていたか。迂闊だった。相手が目と鼻の先にいるのに、失態だった。
「あ、そ、そうです。あの、若様ッ」
「ん?」
「えと、真面目な人って、どう思われますか?」
義藤は、「?」を浮かべながらも少し考えて、
「いいんじゃないか。俺、好きだけど――――義政、どうした!? 顔が真っ赤だぞッ!?」
「は、はひゃ! なんでもないです。こ、これはぁ!」
急速に熱を帯びた両頬に手を当てると、なるほど、確かに灼熱している。ぼんやりとした明るさしかない室内でも、十分に顔色の変化を見ることができるくらいには赤くなっているだろう。
「医者を呼ぼう。横になって休め」
「違います。違いますから、大丈夫なんです!」
「違うとは何が違う?」
「そ、それは」
義政は視線を彷徨わせて口ごもった。
まさか、ここで思いを口にするわけにもいかない。
「と、とにかく違いますから。病気ではないんです! これは、その、癖みたいなのですから!」
口走ってから、後悔する。
顔を赤くする癖とは、いくら姑息な言い訳をするにしても、もっと他に言葉を選ぶことができたはずだった。
しゅんと項垂れる義政に、義藤はどうしたものかとおろおろとする。
「若様、今の、忘れてください」
「あ、ああ。まあ、義政がそう言うのなら」
■
義藤やその周囲が危惧していた通り、畿内は再び不安定な状態に陥っていた。
摂津国城山の山頂に、一庫城はあった。
特徴はなんと言っても二山一城という稀有な造りにある。
これは、二つの山の山頂に築いた城を、一つの城として扱うという考え方によって生まれた造りである。地理的にも、城山は向山と連続しており、距離も近い。結果、連絡路を設けるだけで、二つの城は一つの城として機能するようになったのだ。
また、北側と西側に一庫川が流れており、南側を初谷川が流れ一庫川に合流している天然の要塞は、その構造上容易に突破することはできない。
だが、いかに強固な守りを持っていても、押し寄せる敵を蹴散らす力がなければ、消耗するだけである。
今、城主・塩川政年は城の防御力を頼みに来るかどうかも分からない援軍を待つほかないという状況にまで追い込まれていた。
山の麓に翻るは三階菱に五つ釘抜。
三好家の紋である。
突如として挙兵した三好勢があっという間に押し寄せ、あれよあれよとしているうちに完全に城は包囲されてしまったのだ。
こちらは摂津のいち国人領主。対するは近年勇名を轟かせている三好長慶率いる連合軍。篭城以外に術はなく、それもどこまで続くか。
三好政長、池田信正、波多野秀忠といった面々も集結している。
その顔ぶれを見れば、これが誰の企みであるかすぐに分かるというものだ。
「おのれ、晴元め」
政年は自軍の数倍にもなる敵軍の陣容を見て、歯噛みするしかなかった。
かつて、細川家を二分した争いがあったとき、塩川家は晴元ではなく当時の管領である高国に付いた歴史がある。
戦国の世において敗者は冷や飯を食わされるのは道理である。細川高国が果てたのち、方々に手を尽くしてやっと生きながらえることができたというのに。
畿内の戦乱が一先ず落ち着いた今、晴元は背後の心配をする必要が無くなった。もともと、酒色に溺れていたこともあり、判断能力は最盛期に比べて幾分か落ちているとも聞いている。しかし、自分の権力に反抗する者を除こうという意志は消えていなかったと見えて、この機会に旧高国派の掃討を目論んでいると思われた。
「それにしても、このような摂津の一勢力に、重臣どもを遣わせるとはな」
おかげで手も足も出ぬわ。
心の中で苦笑する。
敵に対しては思うところは多々ある。しかし、これは戦国の習いでもあるのだ。思えば、自分は細川高国の妹婿。高国との関係は極めて深く、今まで何事もなかったことが不思議なくらいである。
「如何しましょう?」
「ふん」
弱弱しい家臣の言葉に、政年は鼻を鳴らす。
「潔く負けてやるつもりはないわ。わしらには、まだ希望がある。この山城を敵が攻略することは有り得ぬということに加えて、伊丹殿や三宅殿もいるのだ。余計に不安がる必要は無い」
この戦の遠因が姻戚関係ならば、希望もまた姻戚関係にあった。
伊丹城城主・伊丹親興や三宅城主・三宅国村は政年と関係が深い。きっと、手を打ってくれるに違いない。少なくとも、彼らの去就が分かるまでは、絶望するには早い。
好きなだけ攻めて来るがいい。
だが、その時は、地獄を見ることを覚悟せよ。
晴元の地盤は、彼が思っているよりもずっと危ういのだ。
この不用意な軍事行動が、晴元の足元を突き崩すこともだって有り得る。
少なくとも、開城する必要性は万に一つも存在しないのである。