義輝伝~幕府再興物語~ 《完結》   作:山中 一

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第十二話

 内藤家が三好政長に戦を挑まれるよりも前に、その情報を掴んだ俺は、父上の下へ向かった。

三好政長が勢力を広げていくことへの懸念もあったし、この戦が京に波及して再び流浪の生活に戻ってしまうかもしれないという危機感もあったからだ。

 生憎と俺にはあったこともない内藤家の方々に対して思うところはそんなにないのが実情である。確かに、かわいそうだとは思う。だが、思うだけである。今の将軍家は、政長の身勝手な戦や、それを許可した晴元を裁くだけの力がない。掻き集めれば二千人の兵は集まるだろう。だが、彼らはそれ以上の動員能力を持っているのだ。

 

 俺たちが治めるべき山城の中でさえ、将軍直轄の城はいくつあるというのだ?

 

ということだから、俺は政長に苦言を呈することはできても、事態を治めることはできない。

現代人の感覚と知識を持っているだけに、この世代間格差もとい時代感格差というものはいかんともしがたいものがあったのだが、さすがにそれも、十年以上のときをこの戦国時代で過ごせば折り合いがつけられるようになってくるというもので、この生活にも慣れてしまった。住めば京というやつだ。まあ、ここは京なんだけども。

 このムダに広い屋敷の廊下を歩く。

 ひんやりとした床板が心地よいのだが、今は、それどころではない。

 すれ違う女中や武士たちが、頭を下げてくれるのに声をかけながら、急ぎ足で廊下を行く。

 父上の部屋の前は夜だからということもあるし、もともと奥まったところにあるということもあり、非常に薄暗い。

 ろうそくの灯りを頼りにたどり着くと、どうやら客人が来ているようだ。

 申し訳ないと思いながらも、そっと耳を澄ます。

「ふーん、なるほどね」

 どうやら、その客人も政長の情報を入手して、この場に駆け込んできた人物のようだった。

 内容からしても、政長の行動に危機感を持っているように聞こえる。

 この一件は、すでに様々なところに波紋を広げているようだ。

 俺は、深呼吸をして、中の父上に声をかけた。

「失礼します。父上。義藤でございます」

 一拍置いて、中から返答があった。

「入れ」

「はい」

 襖を開けて中に入る。

 父上の部屋は将軍の部屋というだけあって、非常に気品に溢れている。

 調度品は唐物の高級品だろうし、真新しい畳の臭いと、香の香りが混じりあって、なんともいえない絶妙な高級感を醸し出している。

 中に入ってみると、客人は二人だった。

 どちらも見覚えがある。 

「これは義藤様。お久しゅうございます」

 偶然なのか、二人は同時にこちらを見やり、そして同時に、まったく同じ事を言った。その後、またしても同時に互いの視線を交わし、その中間地点で火花を散らせた。その様子がなんとなくツボにはまって吹き出しそうになるのを堪えるのが大変だった。本当によく堪えたと思う。

「これはご丁寧に。茨木長隆殿。飯尾為清殿」

 落ち窪んだ眼窩にぎょろりとした目がはまり込んでいる。そういう印象から、見た目から敬遠してしまいそうになるやせた男が茨木長隆。顔色も青白く、どことなく頼りない感じだが、摂津国人の中でも特に強い力を持っている。その隣に座っている背の高い女性が飯尾為清で、こちらは長隆とは対照的に恰幅のいい体格をしていて血の気がよい。どことなく、銀座でバーを開いていそうなおばさんである。

「それで、義藤よ。今大切な話をしているのだが、何用だ?」

 と、上座に座る父上は尋ねてきたので、俺は居住まいを正して用件を言う。

「父上にご報告したい儀がございます」

「なんだ? 申してみい」

「は、それでは」

 と、俺は父上かの許可を得て、話す。

「三好政長殿が、内藤国貞殿に向けて兵を発する由にございます。この件に関して、父上からの裁可が下されたのか否かを確認したく、参上いたしました」

 一息に、そう言うと、声を発したのは長隆殿だった。

「な、なぜ義藤様がそれを!? 我々でも入手するのに時間のかかった情報ですのに」

 と、目玉をこぼさんばかりに目を見開いて驚いている。

 俺は微笑んで答えた。

「私の友人が教えてくれたのです。いろいろと鼻の効く者でして。それで、これについて報告をしておかなければならないと思い、こうしてやってきた次第です」

 驚く長隆の顔は、骨ばった鉤鼻もあり、なんだかハゲワシのような外見になってしまった。もう少し、栄養のある物を食べたほうがいいぞ、と思ったりもする。

「私がこれを聞いたのはついさっきのことです。むしろ、摂津にいらっしゃる茨木殿が私と同じ情報を得ていることに驚いていますよ。そして安心もしました。茨木殿と同じということは、どうやらこの話は真実味があるということになりそうですから、私の友人も有益な情報を確実に届けてくれたということになります」

「う、うむ。ありがたきお言葉です」

 長隆をフォローするように持ち上げてみると、まんざらでもなさそうな表情になった。その一方で隣に座る為清は不満げだ。どうやらこの二人、対抗意識を持っているようだ。

「ふぅむ。とすると近いうちに政長は動き出すということだな」

 父上は腕を組み、胡坐をかいた膝をせわしなく上下させている。父上が考えごとをしているときや不安なときなどに見せるクセのひとつだった。今は、不安のほうが強いだろう。なんとなく、そう思った。

「とりあえず、政長には対処せねばならないでしょう。これ以上の増長は、幕府の権威を貶めるものに他なりません」

 為清が勢いよくそう言い、父上は苦虫を噛んだかのように顔をゆがめた。

 晴元が出兵しない以上は、将軍家にできるのは外交のみ。

 平成の日本のような状況だが、周囲はおろか内側にまで敵を抱え、意思決定の統一が為されていない今の幕府は、一度事が生じた際に対応することができなくなってしまっていたわけか。

 小勢力ならば、問題はないのだ。

 しかし、それが政長のような一廉の武将であれば話は変わってくる。

 俺たちには政長を抑えるだけの武力が、ない。

 で、あるから、

「どうしたものか」

 と、頭を悩ませることくらいしかできないのだ。

「為清よ。何か妙案はないか?」

 父上に尋ねられた為清は、グッと押し黙る。

「政長に思いとどまらせるというのは……」

「ムリだろう。ヤツが振り上げた拳を素直に引くとは思えぬ。武力で勝る者を交渉役に任ずればよいが」

「そのような者は、都合よくおらんだろう」

 長隆と父上が反論する。

 どうにも、戦の前に手出しするというのは、難しいようだ。

「晴元殿を何とかこちら側に引き込めれば、政長殿を抑えられるのでは?」

 俺がそこに案を出す。

 しかし、それは考えるまでもないこと。

 政長の上は晴元なのだ。

 その晴元が不快感を示せば政長とて、兵を引かざるを得ない。

 問題は晴元がすでに、内藤討伐を追認してしまっているということ。一度認めたことを否定させるというのは、かなり難しい。

「それは、わかっておるのだ。義藤よ。だが、な。それを一体どのようにして為すのか。そこがなければならん」

 そんなものは父上がするより他にない。

 その晴元の上にいるのは将軍たる父上以外にいないのだから。

 しかし、今の父上になにができるだろうか。

 晴元に追放を受けた屈辱と現実は、癒えぬ傷を残している。

「それでも、何とかしなければなりません」

「何か策があるとでも?」

「策、と言うほどではありませんが。晴元殿の身近にも、今回の一件を快く思わぬ者がいるはずです。その者に、晴元殿の説得に回ってもらうのがよいかと」

「人選はどのように?」

 父上の眼光が俺を射る。

 一瞬だけ、気圧されるのは、将軍として不遇の時代を過ごしながらも、誇りを持ち続けた男の目だったからか。

「茨木殿は管領代とも呼ばれるお方。晴元殿の覚えもよく、意見が通りやすいかと思います」

「だが、殿は考えを改めませぬ。わしが言葉を尽くせども、それがどれほどのものになるか」

「む、なるほど……」

と、俺は少し考え込んで。

「では、晴元殿は重臣の方々の意見をあまり通さない方ということですか」

 長隆は頷く。

 ワンマン経営に思うところがあるらしい。

 それであれば、別の人間を使うしかない。

「ならば、政長殿と因縁のある人物に声をかけるしかないですね」

「因縁、というと?」

「摂津は越水の三好長慶殿」

 長慶は調べたところによると、まだ若い。俺よりも二つほど年上という程度でしかない。

 それでも、彼女の力は無視できるものではない。

 なにせ、越水城だけでなく、一族は四国を中心として数多く、外交手腕に長け、頭脳明晰だという。

 直接会ったことはないが、人柄もいいらしい。

「なるほど。長慶殿か」

 長隆が顎に手をやって考える。

 彼は同じ摂津衆であるから、面識もあるだろう。

 敵に回れば厄介。でも、味方につけばこれほど心強い者もそういない。そういうレベルの武将のはずだ。

「その、長慶とかいう者は信頼できるのか?」

 と、父上が尋ねた。

「能力は問題ないかと思われます」

 長隆が父上に向き直った。

「また、かの者は政長とは仇敵同士。三好家の惣領の座を争う間柄であり、領地の問題も抱えておりましたので、政長の行動には不快感を隠せませんでしょう」

 ゆえに、長慶を立てれば、確実に政長の妨害に出る。

 今、長慶と政長の兵力は五分と五分だ。

 しかし、それは長慶が四国の兵などを動員して始めて可能になる数字でもある。

 言ってみれば、長慶は長慶派の一族を動員しなければならないが、政長は己の力と威光でもって、兵を一族外からも集めることができる。

 影響力という面においては、まだ、政長のほうが上にいる。

 

「だからこそ、長慶殿は黙ってはいられないのです」

 

 政長の行動を全力で止めに入ろうとするだろう。

 晴元と交渉させる。

 その上で、幕府からも不快感を表す書状を管領に叩きつけてやる。

 心の奥底で、晴元が慌てる様子を思い浮かべてほくそ笑みながら、俺は父上の裁可を待つ。

「ふぅむ」

 と、父上は腕を組んでしばし悩んだ後。

「では、委細義藤に任せる」

 そう宣言した。

 

 

 

■ □ ■ □

 

 

 

 まあ、感想を言うなれば、委細任されても困るんだ、ということなんだけれど、つーか、なんだ、委細任せるって。責任放棄なんじゃないの。とか思いながら廊下に出た俺は、それでも気を強く前向きに持っていた。

 なにせ、この仕事は俺にとっては初めてとなる表舞台の職務。気合を入れて取り組まなければならないに決まっているではないか。

 とにかく、委細任された俺は、人に指示を出す立場になった。

 プロジェクトリーダーというところだろうか。

 迅速果敢に行動していく必要がある。

 事は一刻を争うのだ。

 俺は、自室に戻って布団の上に胡坐をかいて座る。

 義政はすでにいない。

 ゆっくり休んでくれと言ったからな。彼女に倒れられると、俺の情報網が瓦解してしまうからだ。

 織田信長や武田信玄は情報を何よりも重視していたという。

 情報一つで戦の趨勢は大きく変わるということもザラだ。まさに生死を分かつのは情報。俺が為さねばならないことは、早く、正確にそれを得る手段を確立することだ。

 とりあえず、書状を書かなければならない。

 あて先はもちろん長慶。

 簡単に現状の説明と、協力を要請する。

 これをやっていて、ダメだったらどうしようと思ってしまう。

 失敗したら、打つ手ないぞ。

 気合を入れなおして、筆を墨につける。

 とりあえずこの書状を明日にでも長隆殿に渡して長慶に届けてもらうことにしよう。

 このままいけば、戦の開始までは間に合わない。

 それは仕方のないことだ。この時代の情報伝達手段は人と馬の足に頼るしかない。相手が遠方であればあるほどに書状が伝わるのに時間はかかるし、道中で紛失する可能性すらある。

 同じ内容の複数の書状を、同じ相手に同時に出したりも普通にする。そうしなければ、書状の正確性が疑われることもあるからだ。

 

 摂津までの距離、交渉にかかる時間。長慶を落としたとして、晴元を説得する必要もある。一朝一夕にはいかないかもしれん。

 そのためにも、父上に一働きしていただかないとダメだな。

 晴元に事前に話をある程度通しておく。通しておくといっても、匂わせておくくらいに押さえ、彼の明確な反発心を幕府へ向けないようにしつつ、こちらの意向は政長の行動に反対なのだということを仄めかす。

 

 頭を悩ませながら今後の行動を模索していく。

 

 長慶の政権内での立ち位置は微妙だ。

 心から信服していることを疑われているようなところにあるらしい。それは彼女の出自を考えればすぐにわかることではあるが、それでも、長慶が取り潰されないのは、はっきりとした叛旗を翻していないということと、彼女の武力と人脈が楯となっているからだろう。

 

 四国を敵に回す可能性があるのなら、進んで討伐するような真似はできないからだ。

 

 長慶と政長が戦えばどちらが勝つか。正直、予想できない。だが、どちらにしても、互いに無傷とはいかず、晴元政権にとっても最大級の痛手になることは間違いのないことだ。

 だから、晴元としてもこの二人の激突は避けたいと思うだろう。

 長隆殿に手柄を立ててもらえば、恩を売ることにもなるだろうし、それは幕府の力を高める手段として使える。

 だから、長慶の説得は彼に任せる。

 

「ダメじゃん」

 

 俺を自分の計画にほころびを見て呟く。

 長隆は長慶の父を殺した一向宗を煽動した人物でもある。

 もしも、長慶が目先の仇に自制を失えば、この計画はお陀仏になりかねない。

 そんなことは万に一つもないだろうけど、あったときが問題なのだ。

 だから、ここは長隆ではなく、為清に任せることにしよう。

 危なかった。

 俺は冷や汗を拭った。

「ああ、ちきしょー」

 筆を置いて布団に寝転がる。

 ろうそくの灯りがゆれ、淡い影をくすぐる。

 今が昼間だったら、光秀とかに相談するんだけどな。ついでに光秀に字を書いてもらうんだけど、さすがにここまで夜遅いとそれもできん。

 軍師が欲しい。

 切実にそう思った。

 ああ、藤孝も今はいないしな。

 本当に光秀と義政しか頼れる家臣がいない。

 幅広く人材を求めようといろいろやってきたが、俺個人で雇える人材には限界がある。

 彼女たちの生活も、決してよいものではない。特に光秀は、所領と呼べるものがほとんどない。

 給料制にせざるを得ないこの状況下でよく仕えてくれている。

 彼女たちのためにも、なんとか結果を出さなければならないな。

「よし、決めたぞ」

 俺はまた起き上がる。

 思い描く丹波の勢力図。内藤と波多野の戦いが丹波へ与える影響を考える。

 ここで内藤が潰れれば、確実に波多野の時代がやってくる。

 多くの豪族たちは、波多野家に降ることになるだろう。

 だが、波多野家と敵対関係にある家。それも、内藤、波多野に並ぶ実力の家が黙っているはずがない。

「赤井家」

 氷上郡に座す丹波三強の一。

 丹波の中でも西側にあり、但馬や播磨に近いところである。

 当主は赤井家清。そして、その弟の直正。

 この二人の力で、ほぼ氷上郡全域を押さえるまでになった豪族で、波多野氏とも因縁浅からぬ仲。

 波多野家が内藤攻めに力を注ぐ今、彼らにとっては絶好の好機と言えるだろう。

「もう動いているかもしれんが、その動きに大義を与えよう。不当な戦を仕掛けた波多野の後背をつけ、とでもすればいいか」

 そして、その交渉を長隆に任せよう。

 ちょうどいいだろう。

 実際に動いてくれなくてもいい。

 ただ、噂が流れればいいのだしな。

 それだけで、波多野側は疑心暗鬼に陥る。情報の正確性が低く、簡単に集められないこの時代だからこそ、眼に見えない脅威は極めて恐ろしく感じられる。

 俺は、さらに書状を書いていく。

 結局、すべて書き上げたのは、空が白み始めた頃だった。




バグ的なにかで消えた十二話の再投稿版になります。

お騒がせしました。
また、助けていただきましたルシフェルさん。本当にありがとうございました。

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