幸せな過程   作:幻想の投影物

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今回短めです
後書きに今後の予定を書いてありますので出来れば目を通してください。


死人が掴んだもの

 美しい虹だった。見ているだけで心が洗われるような非現実的な輝き。人為的に作り出されたが故に虚無感(・・・)は存在したものの、それは人の欠点と言うよりは真理を証明しているかのよう。見ていて心地の良い、忘れられないであろう天掛ける虹(・・・・・)

 指輪を交わしたルイズはその美しさに心奪われていた。今まで見たことのない美しさ。人が作り出した丁度品なんて恒久的な物は正しくものの数にも入らない。人間の生み出した物であるという、儚さ。一瞬で掛けた虹は崩れてしまい、その残光もまた人の心を酷く焚きつける。

 如何に罪深き煌めきであろうか、と。ウェールズ皇太子はルイズの心情を見透かしたかのように言った。

 

「一応はこれで証明になっただろうか。このウェールズ・デューダーは始祖の血を分けし王家の継承者。若く、誇り高きメイジの一人であると言う事を」

「とんでもございません。我が目を疑う事はあれど、ウェールズ皇太子を疑うようにはできておりませんので」

「中々に上手い事だ。詩を書かせれば争いも飛んで行きそうなほどにね」

 

 どうかな、と得意げに言った彼に対して、ルイズの心境は複雑なもの。なにせ、彼女自身が詩を作る才能など皆無であると幼少のころより自覚しており、咄嗟に出た言葉に自分ですら驚いていたのだから。

 

「王家の間に架かる虹。この儚くも触れられぬ関係はトリステインとアルビオンを表しているようだと、父上は仰っていたな」

 

 始めにルイズから渡されていた手紙を右手に、ウェールズは苦笑する。

 

 

 

 

 肌寒い雲の水滴が乗員を襲おうと待ちかまえていたが、船に積まれた風石がそれらを妨げる。石そのものが気ままに吹き荒れる風のように飛ぼうとした意志があるのか、はたまた空を駆けるために造られた船がそのような効果を作っているのか。造船技師しか知らない詩的な事実を秘めながら、ルイズ達を乗せたイーグル号は大陸の真下を目指していた。

 応接室に案内されたルイズたち一行は、そこで思い思いにくつろいでいるようだ。

 

「あの手紙読んでからだけど、王子様は随分と恋焦がれるような表情なのね」

「そうは見えないわ。皇太子さまは気丈に振舞っていらっしゃるようにも見えるけど」

「それはあなたと同じだからでしょ、ルイズ。どこまでも無理をしようとして、だけどバレる人にはバレている。あなたのディアボロもきっと気付いているわ。そんなものなの」

 

 まるで子供に教え聞かせるようなキュルケの言葉に、ルイズは反論のしようが無かった。ディアボロの観察力や感の鋭さはここ数カ月の間でハッキリと思い知っている。その注意力の深さに気付かされたことも少なく無ければ、彼には自分の心の中を覗かれているのではないかと言う想像さえしてしまう。そうだとしても、心を覗きこむディアボロのイメージに嫌悪感を抱かないのは、自分も相当な物らしいが。

 ルイズはディアボロに視線を投げた後、もう一つ気がかりな人物へと視線を向けた。

 それはワルド子爵。あの敵だと明言したような男は、しかしディアボロの隣で楽しげに談笑を繰り広げている。ディアボロは鬱陶しそうに言葉少なく、時に少しだけ感情を荒ぶらせた答えを返しているが、彼があれまでに喋るということはワルドにもディアボロの信用はほんの少しでも向いたと言う事。

 ワルドはルイズの視線に気付いたのか、帽子の唾を片手でつまむとウィンクしていた。

 

「憂鬱ねぇ」

「そう? これからドキドキの大冒険って感じだけど」

「お気楽な頭の中で羨ましいわ。わたしは、とてもじゃないけどそうは考えられない」

 

 普段から固く物事を考え過ぎている自覚はあるが、それとは別にディアボロが別の面をカバーしてくれているため、早々に直すつもりは無い。この視点から発見したことも少なくは無いし、助けられたこともある。だからといってルイズが悩みの種から解放されるわけではないと言うのがデメリットであるが……。

 本当に難しいものだと、目の前に広がった岩壁を見て思う。自分の頭はこの浮遊大陸のようにがちがちなのだろうか、と。

 

「ルイズ」

「……へっ?」

 

 たそがれていると、横にいたキュルケが居なくなってワルドが小さく片手を上げていた。

 

「どうしたんだい? 今回の任務で何か思う所でもあったとか」

「……それをあなたが言うのね。怪しいお髭の子爵さま」

「自分では中々この髭も似合っていると思ったんだけどね。…あぁそうだ、幼少にあった時と今の髭のある僕、君はどちらの方が似合っていると思う?」

 

 緊張をほぐすためか、何かは知らない。だがワルドの言葉は憔悴しそうなルイズにとって、特効薬のように疲れた心に染み込んでくる。彼女は優しい思い出の中に自分の精神を沈ませて、ありし日の若きジャン・ワルドの姿を思い浮かべた。

 

「いまの方が、あなたらしくていいと思うわ」

「…ん? それはどう言う意味かな。聞きようによっては…」

「皮肉よ皮肉。あなたが変わってしまったことの表れかしら」

「変わった、ね……確かにそうかもしれないね」

 

 ルイズの隣に並んだワルド。彼は肘を椅子の取っ手に置き、体重を其方に預けるような体勢で一息ついていた。同時に、窓の外を眺めていたディアボロも景色に飽きたのだろうか。ルイズの近くにある壁に寄り掛かって口を開いた。

 

「ほう、流石の貴様と言えども疲れているようだな」

「夜も長く、襲撃もあった。更にはマリー・ガラント号の航行に魔法を使い続ける始末だ。僕がこれ以上に優れた風のスクウェアだったとしても、疲弊は免れないだろうね」

「だったら、結婚を申し込むならもう少し考えた方がいいわ」

「それは何故だい? この前の長姉についてなら何とか対応は考えたのだけど」

「わたしのお母様も最強の風使いだったわ。名前、知らない訳では無いでしょ?」

「…? 君の母君はカリーヌ・デジレ・ド・マイヤール公爵夫人……カリーヌ…カリン……ああ、そういうことか。ルイズの母君はあの“烈風カリン”だったという訳だ! 君の異常なほどの成長っぷりに疑問はあったが、そうと分かれば納得だ」

 

 納得の言ったような表情をして、ワルドは苦笑と呆れの交じった様な表情をした。「烈風カリン」とは、30年前まで猛威と最強の名を欲しいがままにしていた伝説のマンティコア隊女隊長として知られている。二つ名である烈風は寧ろ二つ名の方が言葉足りずという馬鹿らしさであり、彼女一人で竜巻を何本も巻き起こしたとも伝えられていた。

 ワルドもトリステインの魔法衛士隊として就任したての頃は歴代の伝説的な隊長達のことを学ばされており、中でも隊のなかに留まらず王国全土へ噂と伝説が伝えられる彼女の事は強く印象に残っている。

 

「烈風カリン…聞かん名だな」

 

 ぼそりと二人には聞こえない程小さく呟いたディアボロだったが、どことなく心を開いてリラックスできているルイズの邪魔はできる筈もない。ワルドとルイズの楽しげな会話を聞きながら、ディアボロはただ過ぎて行く時間に身を任せ続ける。だが、やはり思ってしまうものだ。――嗚呼、こんな時にこそキング・クリムゾンが時を吹き飛ばしてしまえば楽だろう、と。

 能力の限界は十数秒だが、こればかりは覆しようのない現実。己の中に住む強靭な映し身へ意識を向けていると、ディアボロは僅かに船が揺れた事を感じた。

 

「…到着したようだな」

 

 彼の呟きにワルドは意識を向け、船を降りる準備を整え始めた。

 

 

 

 王宮に案内された一行はそれぞれの部屋をあてがわれた。マリー・ガラント号から押収した火の秘薬を持ってきたと伝えた時は城の中が騒然となり、死に急ぐ者たちの狂気的な様子が垣間見えたが、決してソレらに呑まれてはいけないのだろうとルイズは一人思う。

 戦う気兼ねは持ち合わせていない。ただ、試してはいなくとも人に向ければただでは済まない爆発の失敗魔法は硫黄(火の秘薬)が造り出した爆発よりもずっと恐ろしい被害を出すことだろう。全力をかければ、はたしてどのような地獄絵図となるだろうか? サディストでもないルイズはその未来に恐怖し、同時にこの力を振るわなければいけない時が来るのかもしれないと確信していた。

 なにより、自分の周りには戦いの術に長ける者たちが集い始めた。それはマンティコア隊最強と謳われた母親を持った運命なのかもしれないが、同時にガンダールヴなどと言う伝説の戦いを再現できるディアボロが使い魔として召喚された事を思えば自ずと理解できてしまう。そして内乱、戦争。それらが活発化し始めた現代、若き公爵家の者として自分は――?

 

「大使殿、お時間よろしいかな」

「殿下? ど、どうぞお入りください」

 

 突然のノックに面食らう。爽やかな微笑を携えた皇太子が部屋の扉を開け、左手には手紙の様なものを持っている。

 

「こちらからお伺いしようと思っていたのですが……」

「どうせ明日には物言わぬただの物と化す身。明日を生きる命を持つ君に御足労いただくのは失礼かと思ってね。無論、死のその時まで僕がこのアルビオン王家の誇りを失うつもりはないのだがね」

「誇り、誇りですか」

「何よりも優先されるものだよ。この身が王家の者として生を受けた以上、必ず果たさねばならない。始祖へ、そして次代を継いできた我らが祖先へ敬意を払わなければ……ここの負け戦は、完全に無意味なものへとなり下がる。そんなことより、これが姫からいただいた手紙だ」

「しかと、受け取らせていただきます」

 

 鍛えられた逞しい手から華奢な少女の手へと、ちっぽけな想いの込められた紙切れが手渡される。受け取った瞬間、何かと精神の在り方に関して考えていたからだろうか? 上から見下げているウェールズの僅かな憂いを帯びた瞳と目が合って、手の中に収められた1キロにも満たない紙の塊がいつしかディアボロと持った教卓より重いものを感じる。

 今にも泣きそうになった顔のルイズを見て、彼は頬笑みを深めて見せた。

 

「君の事は聞いていた。あの可愛い姫の“おともだち”だったようだね。一番新しい思い出では、美しいドレスを取り合って思わず引き裂いてしまったとか」

「お、お恥ずかしい真似を姫様にしてしまったようで……」

「いいんだ。ここの私はただのウェールズ。戦場に立たない限り、王卓につかない限り、僕は憐れな運命の奴隷なのさ。……そうだ、彼女の使いとして来た君から何か話を聞いてみたい。ここでは皇太子の名において、是非とも砕けた談笑に付き合ってもらおうじゃないか」

「……殿下」

 

 自分にしか知らないアンリエッタの姿を聞きたい。なるほど、彼が何を思っているのか。ルイズには嫌と言うほど理解できた。王族に生まれた者は厳正な政治を行い、民を豊かにするだけの仕組みとして動いているのではない。その中では常に葛藤があり、ただの人として、だからこそ同じ人へ幸福を分け与える働きをせねばならない人間なのだ。

 自分達だけの思い出。封印された、アンリエッタの秘めたる密会の中で、アンリエッタは生まれた恋を育むために良い所や美点ばかりを語り合ったのだろう。それを今わの際に追い込まれたウェールズが恋した相手の全てを知りたいと言っている。だったら、この非力な自分にできることなど決まっていた。

 

「……姫殿下は、それはそれはお転婆な姫として名を馳せておりました。トリステインの伝統を重んずるお国柄から、何とかして隠し通そうとしていたのか他国に広まる事は無かったのですが、わたしから見てもとても姫というには同じ童子にしか思えず―――」

 

 語り聞かせよう。

 彼はこの事を、おくびにも出さずに死んでいくのだろう。心の中では愛しい人を思いながら、死ぬ時は王党派の全てを奮い立たせる様な見事な口上を唱えながらに死んでいく。

 儚さは人間の生が成すべき姿。されど悲しみはどんな動物よりも深く無様な生物であるのだが人間。醜い姿すら知らなくては人間の本質たりえずとは、果たして誰が言った言葉か。

 不肖ルイズ・フランソワーズ、ウェールズ殿下にお聞かせしましょう。これがわたしの知りうる、「おともだちのアンリエッタ」の全てでございます。

 

 

 

「とんでもないわね、此処の人たち。誰か一人でも捕まえて持って帰っちゃおうかしら」

「そうしたところで貴様が今感じている魅力とやらは無くなるだろう。美しく光り輝いた浜辺の貝殻は、手に取った瞬間に油ぎった貝の死体へと成り下がる」

「……的確な表現がお上手ね。流石はあのルイズが心から求めるお方、と言ったところかしら? ミスタ・ディアボロ」

 

 煽情的に、しだれかかろうとするキュルケを片手で跳ねのける。その流れを見守っていたワルドはくすりと笑っていた。

 

「な~によルイズの婚約者さん? 見世物じゃないのだけれど」

「いや失敬。もはや包囲されているこの城は敵陣のど真ん中だというのに、そんな事すら知った上で振舞える剛毅な君がおかしくてね。僕達軍人にはとてもできない生き方だと思ってしまったまでだ」

 

 くつくつと込み上げる笑みを噛み殺せないのか、未だ口の辺りを手で押さえるワルドは見ていてとても腹立だしい。むっとした表情になったキュルケがいかに自分の生き方が自由をか説いて見せようとしたところで、ようやく解放されたディアボロが立て掛けられていた防寒用の黒いコートを羽織って部屋を出ようとしている事に気が付いた。

 

「あら、ルイズのところへ行くの?」

「いや……少し知っておきたい事があるだけだ」

 

 バタン、と閉じられる扉の向こうからは何か強く踏みしめるような音がしたかと思えば、続く筈の足音は一切聞こえない。スタンドの力を使って窓から飛び出たディアボロが、そのまま城の外壁を昇って天辺まで登って行ったからである。風の僅かな流れでそのガンダールヴ顔負けの身体能力を、発揮している事に気付いたワルドは隠した手の中で口を引き攣らせる。ディアボロのことだ。発光するルーンなど目立つ以外の何物でもないことから、ルーンの力を使わずにこれなのであろうことが伺える。

 

「……面白くないわね。ルイズのトコでも行って時間潰してこようかしら」

「確か、船を降りる時の話では明日一番が出港だったか。君は化粧に随分時間を掛ける様だから是非とも気をつけてくれたまえ。特にゲルマニア人の君に何かあれば―――」

「存じていますわよ、お髭のおじさま。さすがのあたしも馬鹿やる度胸なんて持ち合わせていないわ」

「ならば、よいのだがね」

 

 扉が開けられ、また締まる。ワルドは一人、休憩用の居間に取り残されたようだ。

 少し耳を澄ませば、風のスクウェアメイジであるワルドの耳には城のあちこちから最後の晩餐の準備を進める者の騒がしい声や、自分の家族が無駄死にしていくことに対する悲しみから涙する非力な者たちの声が入ってくる。

 しかしそれらの感情に蓋をして、ワルドは冷徹な仮面を張りつけた。自分がなすべき事はいま、本当にどうしたらいいのか迷っている。ルイズ。嗚呼ルイズ。いまの君ならこんな時、何をすべきか簡単に決めてしまうのだろうね? でもそれじゃあ駄目なんだ。僕は裏切り者のワルド子爵であって、勇敢な表舞台に立つ戦士にはなれそうにもない。

 

「……ままならないものだね。こんな時こそあなたの言葉が聞きたかった。そうしたら、僕だって誰のために、自分のために、どんな道を選べただろうか」

 

 言葉にしてみても、晴れる心は無い。

 ふと近くに、件のウェールズが歩いている事を察知する。どうやら目尻に涙を溜めているようだが、ルイズの部屋で何を話していたのやら。死の淵に追い込まれた亡国の王子らしい振る舞いに少しむかっ腹が立ってきた。それと同時に、ルイズに対する想いと同じ。こんなにも自分には激情が残っていたのかと、あまりにも簡単な自分の精神構造が馬鹿らしく感じてしまう。

 だからすぐ部屋から出て、呼びとめてしまったのだろう。

 

「恐れながら、殿下と語らいの場を設けたいと考えております。パーティーの後に、時間を頂けないでしょうか」

「……ワルド子爵? ふむ、どうせ明日には失われゆく我が身。大使殿と同じく、命を繋げる者である君の頼みだ。喜んで話を受けようではないか」

「感謝します」

 

 動かねば、なにを考えようとも変えられぬ。

 一石は投じたのだ。しっかりしろよ、ジャン。

 

 

 

 最期を共にする演説が、老王に仕えることが心の底から誇りだと信じている馬鹿どものざわめきが聞こえてくる。命を繋ぎ、次代へ託す事すらよしとしなかった憐れな血族の末裔共が夢の後。死の先までもお供しますと、誓いを立てる臣下達の声に己が積み上げてきた組織の様相が浮かび上がる。

 ギャング達の統一。裏世界の浄化。お題目ばかりが過去へ葬られ、自身が流すと決めた麻薬の影響でイタリアの水面下は荒廃した。水の都ヴェネツィアの美しき水は、麻薬が染み込む濁った水へと変えられた。そうして掴んだ先には何があった? 己の絶頂が其れであると言うのならば、得られしものなど自己満足でしかあるまいに。

 

「“レコン・キスタ”と言ったな。ブリミル教の司祭が仕切る反乱運動。我が祖国の過去、718年を始まりとした7世紀に渡る再征服活動……聖地とやらがイベリア半島ならばとかくも、この魔法に満ち溢れた世界で何を求めようと言うのだ。ン? オリヴァー・クロムウェル大司教とやら……」

 

 豆粒よりも小さな点。それら全てが人間で、甲板からにやけた面構えで城を見る男へ問いを掛ける。しかしその距離は実に数キロ以上も離れているおかげで、観察されていると気付くにも、人の上に立つ者としてもクロムウェルはディアボロに酷く劣っている。

 化け物じみた観察行動は敵の動向を見るため。そして、写真も証明もへったくれもないこの世界では総司令とやらの顔を知っておけば何かと事前に厄介事を察知することができると思い立っての行動だった。

 しかし、見てみれば見るほどに異様なサマだと、彼は喉を唸らせる。死体を操るスタンド使いなど珍しくもないが、自意識を残したまま己が思うままに動けるようにし、更には絶対服従を可能とする反則にも等しい能力など見た事が無い。死体かそうでないかは、ジョルノ達輝きを宿す者の目を嫌と言うほどに見て来たからすぐに判別がつく。偽物の目の光は明かりが瞳の水晶体で反射しているに過ぎないが、真に生きる者の目は奥に消えることのない力強さが感じられる筈であるからだ。

 

「デルフリンガー」

『……ん、おお? 寝ちまってたぜ。なんかようですかい旦那ァ』

「死にゆく者共。死してなお扱われる者。貴様はどう見る?」

『まぁた重い話題を振ってきやがる。こちとらただの剣だってのに……ま、旦那の問いに答えるならどちらであろうと使い手による、とだけ言っておくぜ。俺は剣であって、ただの人間が手にする力の一つでしかねぇ。誰が握ろうと、死んでいようと……いや、死の間際に俺を握ってくれるってんなら、剣冥利に尽きるってやつだぁな』

「剣と槍を供えしガンダールヴ。主を守るために振られた剣ならば、死した歴代の者をどう思うか聞いてみたが……フン、期待外れのようだな」

『何をどー期待されちまってもな、ただ俺は旦那の味方だぜ。アンタの手の内に在る限りはずっとアンタの剣であり盾でもある。こちとら長い時を在り過ぎたモノに過ぎねえからよ、一発折っちまう気兼ねで振るってくれや? おっと、悲鳴だけは上げさせてもらうがね』

「口の減らん鉄屑め。だがこのディアボロの味方を気取ろうと言うのならば、絶対の服従でも誓って見せるがいい」

 

 剣に話して見せる光景は実に滑稽だろう。

 それでもディアボロは固い表情を崩すことなく、デルフリンガーに目線をやることもなくただレコン・キスタの包囲網を見続ける。せわしなく動き回る船員達の静かな船の様子を見守っていると、腰のあたりから朗らかな返答が聞こえてきた。

 

『そりゃ無理だ。俺はガンダールヴの剣だからな』

「……やはりな。貴様がそう作られた物である以上、根底に“固定化”された意志はどうあろうと変えられん。繰り返しの黄金体験にて、それは嫌と言うほど思い知らされた」

『ああ、そりゃ旦那の過去話かい? おったまげたが、そんじゃあ旦那は―――』

 

 デルフリンガーが続けようとして、金具ごと鞘の中に押し込まれる。

 カタカタと喋ろうとする彼の意志を無視してディアボロはテラスに降り立ち、パーティの中に紛れていった。彼のなびくまだらのついた桃髪を見つめる人物が一人、パーティーの中から目ざとく彼の姿を見つけて追いかけていく。

 誰もかれもが何かしらを腹に抱えている愉快な舞踏会が終わりを告げる頃には、ディアボロの姿は会場の中からきれいさっぱり消え去っていたのであった。

 

 

 

 天空都市、白の国アルビオンは月が大きく見える。

 飛行機の窓から覗いだ様な巨大な月が強い光をもたらし、少し冷える夜を一年中演出している。赤と青の光はしかし、何故か白い光を発してとある部屋の中を照らしている。ランプの明かりすら見当たらない、広くもどこか物寂しい軍人の部屋。唯一豪華なベッドが王族だと言う事を証明するかのように鎮座し、その横にあるソファーに座った二人は月明かりのあたる場所で向かい合っているようである。

 

「……では、話とは何かな? ワルド子爵」

「まさか自室に通していただけるとは、皇太子殿は人を疑われた方がよろしいかと」

「そんな世間話をするために呼びとめた訳でもないのだろう? 私も、明日の死に戦のために今夜しなければならない事がある。時間はあるが、手短に頼みたいのだ」

「それも、そうですな。では―――」

 

 ワルドが帽子を脱ぎ去り、その視線を固定する。

 迷いを振り払った様な男の目には、どこか狂気的な光が宿っているようだった。

 

「この身がレコン・キスタの者だと言えば、あなたはどうしますかな?」

「……ふむ、続けてくれたまえ」

 

 目を見開いて体を揺らしたのは一瞬。

 すぐさまウェールズは杖を膝の上に置き、対してワルドは杖を自分たちの間に挟まるテーブルの上に置いてしまった。これには、ウェールズも動揺を隠せないようだ。

 

「レコン・キスタとして私は任務を請け負っている。だが、何をしようと其方は死ぬと決めているようだな」

「…その通りだ。君の話を真実とするならば、恥知らずのレコン・キスタには王家の誇りとは何たるかを教え、説きながらに盛大に血を撒き散らすつもりだよ。そのためならばどのような痛みにも苦痛の声ではなく、虐げられる民の声として我が言葉を荒げよう」

「……やはり、貴族としてウェールズ殿下は素晴らしいお方だ。だがそれは、レコン・キスタの兵士には何の意味も無いと知ったらどうしますかな?」

「どういうことだ」

 

 如何に非道な人間と言えど、王族の言葉には必ず耳を傾ける。それはハルケギニアに住む全ての人間が承知している事実であり、敵国の王であっても散り際の言葉は各国に広められる事が常識である。貴族であろうと、なかろうと、教養のある人間は必ずそう言った心へ訴える言葉を教育の過程で記憶し、経験の中で言い伝えていくものだ。

 だというのに、何の意味も無いとはどういう事か。決して、王族としてのおぼっちゃん思考なんかではなく、一人の貴族として気になった言葉にウェールズは身を乗り出した。

 

「我々レコン・キスタの兵士は皆、始祖の御業……虚無の魔法とやらで操られているのだ。そのため、死者はクロムウェルに従順なしもべと化し、生きた人間は心を洗い流されたかのようにクロムウェルを主と褒め称える。アレが有能と称した者は僕の様に意志を奪わず使い勝手のいい駒とするが、それ以外はオマエ達の元王党派のようにコロリと心を変えさせられる」

「……まさか、そんな。信じられないが―――」

「信じざるを得ない、と言いたいのでしょうな」

「その、通りだ」

 

 心血を注ぎ、王に尽くしてくれた者が「クロムウェル万歳!」と両手を上げてこちらに攻撃する姿を見たことのあるウェールズは、洗脳でもされていなければそのような事にはならなかった筈だと瞬時に理解する。

 だが、同時に腑に落ちない点がある。人心掌握を強制的に行う術は水の秘薬の得意分野では無かったのか、と。

 

「しかしそれは、始祖の御業を称するにはあまりにも」

「だが此方は見たのだ。死人が目の前で蘇り、そちらの情報をベラベラと喋る人形になり果てた瞬間をな」

「……死者の、蘇生。そうか。ならば私は、死ぬ事すら許されないかもしれない」

「こちらの女王、アンリエッタは善政を振りかざしているが、このような恋文の回収を頼むからには夢見る少女を抜け切れてはいない。そして、今回のことで国を存続させる事を決意したようだが―――畏れ多くも、始祖の血を引く者がゲルマニアに下るなどと、僕は決してそれを許すことなど出来ない! アレは、我々貴族全員を裏切ったのだ!!」

「なっ、アンを貶すかワルド子爵!?」

「そもそも、この身は……」

 

 そこで、ワルドは己が立ちあがって拳を握っている事に気付いた。

 ウェールズの視線は血がにじむまでに握りしめられた彼の手に注がれ、血を吐きだすかの如き罵詈雑言の込められた不敬な言葉に耳は向けられる。本来ならこの場で打ち首にされてもおかしくは無い筈であるのに、ウェールズは真剣にその話の全てを鵜呑みにしながら聞き届けた。多少のワルド自身の個人的視点も多く、主観的な意見は王として政治を行う上では不十分な要素として切り捨てられることもあるとだろう。なのに、彼の貴族としての叫弾と一国民としての不平不満が込められた言葉の羅列は自分の心に素直に溶け込んで行く。

 これこそが、貴族派に付く者たちの怒り。これこそが、我ら王家が敷いた政治の欠点。そもそもトリステインと言う国が成り上がりの始祖の血筋を引いていないゲルマニアに吸収されることは、売国奴のすることであるのだと、ワルドの心の底から溢れ出る怒りを感じられた。

 

 それからはワルド自身も支離滅裂になって行ったのだろう。暴言を吐く先はまるでお門違いだと言う事実に突き当たり、彼は疲れたように椅子へと腰を下ろした。力無く座りこんだことで成人男性の体重分に埃が撒き散らかされた。

 首を振りながらも、ようやく我に返ったワルドは頭を押さえて言う。

 

「いや、すまない。本題から逸れたようだ」

「……いいや、此方としても貴族が王家に持つ不満と言うのを思い知ったよ。レコン・キスタ……ハルケギニアの統一。如何なる犠牲があろうと、血の道を歩むことになろうとも、リーダーのクロムウェル司教が愚物であったとしても…………そう、己の手で未来を作ろうとする有志の集だったということか」

 

 改めて、敵を知ると言うのは遅すぎるとは分かっていたとしてもウェールズは感慨を抱かずにはいられない。ワルドをほんの一角としても、彼ほどの力を持つ者であるからこそ立ち上がろうとする者が大勢いるのであろう。だからこそ、戦場で会った者は生気に満ち溢れた瞳をしていたのだろう。ワルドの話にあった様に「始祖の御業」とやらで操られている者たちではない、本当の勇者たちがあの軍勢の中で我々の首をとって行ったのだ。

 

「では、どうすればいい? 真実を知った()はこれ以上かれらレコン・キスタの兵を倒せそうにも無い。自分の軍勢に与する者の顔を全て覚えた訳でも無ければ、誰が操られているのか、はたまた操られることで強力な力を制御されているのかすら分からないんだ」

「……これはレコン・キスタ所属の者としての意見では無い。僕個人として言わせて貰いたいのだが」

「何でもいい、この罪を洗い流すことは望んでいない。ただ、この混沌とした意志が渦巻く現状の打破をできる手立ては無いのか教えてほしい」

「―――我々に付きたまえ」

「な、それはッ!!」

 

 立ち上がるウェールズを、先ほどとは反対に冷静になったワルドが下から見つめている。その瞳から発せられる空気はこちらを騙そうと言う物でも無く、単に彼なりの策略があると確信したもの。穴があったとしても、最善と思われる策を繰り出すアルビオン王家に仕えてくれる軍師の表情にも似通っている。

 だから、少しだけウェールズは「衛兵を呼ぶ」という発想を落ちつかせた。そもそもワルドがこれまでに話している事すべてが、此方側にとっては有益以外の何物でもないのだから。

 

「いいか、クロムウェルの元にお前を生きたまま連れていく。捕虜、とでも言うのだ」

「それでなんになる?」

「機会を待てる。そちらも己の誇りを、己がするべきことをしたいというなら屈辱に耐えるくらいはしてみせろ。正直うまくいくとも分からん賭けだが、成功すれば名誉と命を掴むことはできよう」

 

 眼を閉じて博打をするようなものだ。

 もし王党派の貴族が見ていれば、ここでウェールズがそれに頷くことは無い。必ずや我らと共に天を抱かず死するのみというだろう。しかし―――彼は、是と言った。

 

()は、その時にどうするべきだ?」

 

 身を乗り出してワルドに向き直る。ウェールズもまた己の杖を机に置き、ワルドの杖に並べるように転がした。

 

「そうだな、精々反抗的ながらも、力無く崩れ落ちた様を見せつけると良い。あのクロムウェルは誰が見ても始祖の御業以外は愚物でしかない。人材の適材適所をしているようにも見えるが、所詮は他人任せでなければ馬鹿な教信者以外何も動かせない男だからな」

 

 ワルドによるオリヴァー・クロムウェルへの評価は散々なものだった。死人を蘇らせる? ああ、確かにそれは凄まじいだろう。だが今のワルドにとっては上司(クロムウェル)すら己の目的を果たす為の道具に過ぎない。あわよくば、その始祖の御業を解明してやろうとも思っているほどだ。己の目的すら果たせるならば、あのような男に従う義理などどこにも無いのだ。

 ワルドの言葉を噛み締めていたウェールズは成程、と頷いた。しかし目にはまだ憂いが残っている。それを離すべきかは迷っていたが、次の瞬間には彼も腹をくくったらしい。

 

「そうか……だが父上は長くは無い。それに王党派の者も明日に出港する脱出船には乗らないと言っていた。本音を言えば、私とて此方の我儘で先のある彼らを死なせたくは無いのだ」

「…解決策については有り体に捕虜の団体様とでも言っておこうか。だが、貴様らはまず必ずあの始祖の御業とやらに掛けられることになる。そうなれば自身が持つ全ての情報を吐きだすだけの九官鳥だ。この今の会話ですら打ち明けられてしまい、この身すら道連れだろう。こればかりは……対策のしようが無い」

「それが、ワルド殿の策にある“穴”と言う事か?」

「その通りだ」

 

 隠すような事でも無い。ハッキリと、しかしどこか期待を込めて言う。

 ウェールズは再び思考の海に己を投じ、難しいなと時間の無い深夜の空を一瞥しながら言い切った。そうか、と項垂れようとしたワルドだったがウェールズにはまだ考えがあると手を打つ。この共犯、なんとかなるかもしれないのだとも。

 

「……大丈夫なのか? 此方としてもルイズが気にかけていたからというのが最大の理由で、実際のところはどうなるかも分からん即興の策だ。そもそも此処まで穴を一つに絞れたこと自体が奇跡に等しい」

「いいや。水の、スクウェアメイジ。秘薬を用いることで、何とか出来るかもしれない」

「秘薬? だが効力は風の噂(・・・)に聞くエルフの秘薬にも劣るだろう。たかだか生き残った程度のスクウェアメイジで、そんな都合のいい……」

「いいや、腕の不確かなスクウェアだからこそだ。完全だとなお怪しまれる上に、完全な奴はどうしても十全に作ってしまうからね」

「不完全だからこそ?」

 

 私語を交えるように入ったウェールズは、悪戯を思いついた悪ガキのように目を光らせた。そこには王家としての誇りも何もあったものじゃない。ただ幼いころより、互いの恋慕を打ち明ける前に居た、アンリエッタの心をつかもうと問題を起こしまくったウェールズ・デューダーの姿だけがあった。

 

「いいか、全力で無茶な注文をして―――」

 

 そのきらきらとした瞳を笑みで彩りながら、ウェールズは言った。

 

「私たちの心を壊してもらうのだよ」

 

 ワルドですら絶句する、狂ったような考えを。

 




平均字数より3000字も短くなってしまい申し訳ありません。

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