伏線でも何でもないんで拾ったりはしませんが。
旧校舎に戻ると、サクラ迷宮の入り口――桜の木の傍にユリウスが立っていた。
「ユリウス? どうしたんだ?」
「帰還の確認だ。先のようなトラブルがあっても困るのでな」
なるほど、あんな事があったのだ。帰り際に襲われても不思議ではない。
その状態になったらなったで確認できるように、ユリウスはここにいるらしい。
気遣いはありがたいが、どうにも申し訳ない気持ちになる。
「生徒会室の奥、突き当たりの部屋を間桐 桜の権限でマスターの個室にした。それぞれ、別々の部屋に通じるものになっている。生徒会室に顔は出さなくてもいいとの事だ」
渡されたのはプログラムで出来たキー。個室とやらの鍵のようだ。
そういえば、聖杯戦争中も身体を休めたり、情報を纏めたりする個室があった。
それと同じようなものか。疲れも溜まっているし、ちょうどいい。
「六時間後にブリーフィングを開始する。それまでゆっくり休んでおけ」
「あぁ……ユリウスは?」
「花壇の水遣りだ。ガトーやキザキに任せていては、どうにも嫌な予感しかしないのでな」
「……」
ユリウスが完全に雑用になっていた。
というか水遣りって。霊子で出来た旧校舎の一端にそんなものが必要なのだろうか。
……花に水を遣っている黒コートの男を想像すると、何ともシュールである。
ユリウスと別れ、言われた部屋の前に向かう。
二階の突き当たりにあった部屋。生徒会メンバーを探していた際には何もない部屋だったが、桜の権限で個室になったと聞いている。
キーを使い扉を開く。使い古されたというイメージがぴったりな部屋だ。
罅の入った床やら、積まれたダンボールやら。
身体を休めるための個室とは思えないが、部屋全体から感じられる虚無感はちょうどいいかもしれない。
「ふうん……ちょっと期待外れ。別々の部屋だっていうのなら、人形の一つや二つくらい置いてあっても良いじゃない」
一つ置かれた大きなベッドに腰掛け、部屋を見渡しながらメルトは言う。
そういえば、と消えた記憶の残った粒を拾い上げるように思い返す。
確か、メルトは人形が好きだった。姿かたちも大きさも関係なく、人形という概念全てを愛するような言動をしていた覚えがある。
途轍もなく長く、強い意思の篭った、熱い言葉で。
「じゃあ、休みましょうか。久しぶりの戦闘だったし、私も疲れたわ」
「あぁ……お疲れ――」
言って、考える。
この部屋にベッドは一つ。
それはメルトに使わせるとして、僕はどこで休めば良いのだろうか。
ダンボールだらけの部屋で、床に寝転がろうにも埃が多い。
これらはある程度、時間がある時にでも掃除するとして、今はどうするか。
そんな事を考えていると、
「何をしているのかしら。早く来なさい、ハク」
「――は?」
メルトが突拍子もないことを言い出した。
何を言っているのか、このサーヴァントは。
「……いや、あの」
「そんな床じゃ休まらないわ。休むべき場所で、しっかり休眠をとるべきよ」
どうやらメルトは本気のようだ。
いや、まだ決まった訳じゃない。
もしかすると、メルトが僕を気遣って姿を消す事でベッドを譲ってくれるのかもしれない。
「別に抱けって言ってる訳じゃないわ。一緒に寝るだけじゃない。何を躊躇う必要があるの?」
「……」
望みが断たれた。
「……えっと、何で、一緒に寝ようと?」
「何でも何も、ベッドは一つじゃない」
「そ、それはそうだけど……」
「……ハクは私が嫌いなのかしら?」
顔を近づけて不満げに言ってくるメルト。……なんというか、メルトってこんな性格だったっけ?
「いや、そういう訳じゃ……」
「なら何だと言うの? 言ってみなさい?」
あぁ、間違いない。確かにメルトはこんな性格だった。
他者が困る表情を見て愉しむのは、彼女の得意分野であり紛れもない彼女の
今回も明らかに、それが発動しているのだろう。
い、いや……まだだ。ここまでして拒絶する意味はないのだが、どうにも焦ってしまう。
後一つだけ、反撃の材料がある。これなら、メルトもどうにもならない筈――
「で、でも――その脚具が」
「あぁ、そうね。ごめんなさい、すぐ消すわ」
「えっ」
黒く霧散していく鋼の脚具。幼さの残る、白い素足がぺたりと地に着く。
――確かに、あの脚具が戦闘用だというのなら、休む状態なら必要ない。
かなり歩きづらそうだし、メルト自身あの状態で過ごすのは割とキツイのかもしれない。
「これで良いわね。さ、ハク」
これで、断る材料はなくなってしまった。
……なんというか、ここまで徹底的に打ちのめされると抵抗していた自分が馬鹿馬鹿しく思える。
「……」
そうだ、別に何も起きないならいいじゃないかという、若干の諦めもあったかもしれない。
疲れも探索時以上に溜まり、そろそろ休みたいという気持ちも強い。
僕は小さく溜息を吐いて、そのままベッドに吸い込まれるように歩んでいった。
その翌日。部屋に鳴り響くけたたましい音で目を覚ます。
「っ……」
どうやら身体は休まったらしい。疲れもなく、探索も問題なく可能だ。
五停心観のインストールの反動らしいものもない。上手く機能しているらしい。
時計の様なものはないが今の音が生徒会室からのものだろう。
確かユリウスが六時間後にブリーフィングを開始すると言っていた。
「今の……生徒会室からの呼び出しかしら?」
「あぁ、メルトおはよう。そうみたいだね」
催促だとしたら、待たせるわけにはいかない。すぐに行くとしよう。
急いで身支度を整え、個室を出る。
個室と生徒会室はすぐ近く、時間は掛からない。
尚更待たせるわけにはいかないだろう。
生徒会室の扉を開けると、既に他のメンバーは揃っていた。
ユリウスとダンさんは変わらず何かの作業をしている。寝ずに続けていたのだろうか。
「おはようございます、ハクトさん。体調はどうですか?」
「おはようレオ。特に問題はないよ」
レオも普段通りの柔らかな笑顔で迎えてくれた。
ガトーは居ない。寝てるとしても、レオは起こしたりしないだろう。
「はい、先輩。どうぞ」
桜が紅茶を渡してくる。
その香りで脳が完全に覚醒した。健康管理AIとして、紅茶の淹れ方も完璧らしい。
「ありがとう、桜」
「いえ。これが私の役目ですから」
ほぼ変化のないメンバー達。明らかに変化が見られるのは、一名のみ。
「…………」
「……白羽さんは、どうしたの?」
「本人曰く朝に弱いようで。放っておきましょう」
恐らく今来たばかりだろうのに、白羽さんは机に突っ伏して動かない。
傍に立つリップはおずおずと頭を下げてくる。
「おはよう、リップ」
「お、おはよう、ございます!」
外見に少女らしくない部分はあっても、そんな控えめな挙止動作は可愛らしい。
リップはそれだけ言って姿を消してしまった。
恥ずかしさなのか、嫌われているのか。出来れば前者であってほしいが。
「さて、では始めましょう。昨日はハクトさんの活躍で迷宮のウォールを突破する事に成功しました」
時の動かないこの旧校舎で、あえて昨日という表現をしてくれるレオの気遣いはありがたく思う。
日常を忘れず、異常の混乱に飲まれないという意味では、その考え方は正しい。
「ウォールを破るために必要な秘密についてはムーンセルのライブラリに名称がありました。
SG……昨日手に入れた秘密はそう呼称されるらしい。
「ハクトさんが一階を突破した後、新たな迷宮が確認されました。サクラ迷宮の二階――そこもハクトさんに攻略してもらうことになりますが……」
大体は予想通りか。あれだけでアリーナが終わるとは思っていなかった。
「分かってる。そのつもりだ。となるとやっぱり、そのSGを取らないと駄目なのかな?」
「えぇ、そうなるでしょう。女性の秘密を探るのは気が引けますが、そう言っていられる状況でもありませんしね」
状況が状況だ。仕方がない。レオの決定がごもっともだ。
だが、一つだけ問題がある。というより、一つだけ指摘したいことがある。
「……本心は?」
「楽しくなってきましたね!」
……本当に、このレオは本物だろうか。
「さて、そんな事は置いといて、二階――ここより先は表に通じているとみて良いでしょう」
「だろうな。遠坂 凛が守っていた以上、真意はどうあれ、表へ帰還する道である可能性は高い」
なるほど。レオの本心はともかく、表に帰還するためにはSGを取っていく事が必要らしい。
「彼女がこうなってしまった経緯については依然不明ですが、一つ確かなことは、今の彼女は僕たちが知っているミス遠坂とは違うという事です」
その通りだ。
そうなると、僕がすべきことはこれから先アリーナを攻略するだけでなく、凛と接触していくことか。
「ハクトさんは分かっているようですね。ミス遠坂に接触、探っていってください。SGの取得が必要であれば、それも含めて、お願いできますか?」
「あぁ。分かった」
「さて、そうなると、問題はディーバ――メルトさんが言うには、その真名はエリザベート・バートリー。血の伯爵夫人ですか。分析するに、彼女は出自以上に高い戦闘能力を持っています」
そうだ。凛はランサーとの契約を解き、竜の少女ディーバを連れている。
彼女と相対したからこそ分かる。彼女は凡そ戦闘に関した出自ではないというのに、その力は圧倒的だった。
あれは間違いなく、大きな障害となる。どうにか対策を講じなければ。
「……彼女を考えると、戦線に出るサーヴァントがメルトさんだけでは負担を掛けますね」
「あら、私は問題ないわよ?」
レオの言葉にメルトが出現して言う。
だが確かに、出来るだけ役に立ちたいがそれで負担が掛かるのは他でもないメルトだ。
それに何故メルトが彼女に勝てると思っているのか分からないが、僕の主観からすれば今のままでは勝つ事は出来ない。
恐らく生徒会の皆も分かっているだろうし、だからこそレオもこの策を考えたのだろう。
「何が起きるか分からない迷宮な以上、そうもいきません。……リップさん、どうですか?」
「嫌よ」
『嫌です』
メルトとリップはレオの提案に即答した。リップは姿を消したままながら、拒否だけはきっちりとしている。
レオは二人の答えに目を丸くしている。
……メルトとリップ。この二人は仲が悪いらしい。
「私は戦闘スタイル的に協力は難しいわ。暫くは私だけで結構よ」
「……そうですか。メルトさんがそういうのであれば。ハクトさん、それで構いませんか?」
「うん。メルトが戦いやすいなら、問題ないよ」
「なら、当面はハクトさんとメルトさんのみでの探索とします。では、これでブリーフィングは終了とします。ハクトさんは準備が出来次第、サクラ迷宮へ」
「分かった――白羽さんは、まだ駄目なのかな?」
ブリーフィングが始まってからそれなりの時間が経ったはずだが、未だに白羽さんは机に突っ伏している。
そもそも僕が来てから、一切動いていない。そもそも生きているのだろうか。いや、リップが居る以上死んでいることはないんだろうが。
「おかしいですね。ハクトさんと同じ時間に休憩させた筈ですが……まぁ、特に問題ないでしょう」
まぁ、いいか。仕事をしているかどうかは怪しいが、白羽さんも疲れていたのだろう。
「じゃあ、行ってくるよ」
「はい。お気をつけて」
レオの言葉を受けて、生徒会室を出る。
慎二たちもどこかの教室で休んでいるのだろうか。廊下にはNPCくらいしか見られない。
NPC達も上級の者たちとは違い、決められた行動を行うだけの機械的な存在だ。
そんなNPC達を横目に少し寂しげな校舎の一階に下りてくると――
「おや。君も居たのか」
「……は?」
階段の傍――無人だった購買には人が居た。
聖杯戦争中に知り合った、マスターとは違う上級のNPC。
「ごきげんよう……納得がいかないという顔だが?」
「……何をしてるんですか」
「そうだな。何をしているのやら。私自身理解しきれていないが、一つ分かるのは
男――言峰神父は聖杯戦争では監督役の役割を持っていたNPCだ。
だが今では違う役割に置かれていると? いや、見れば分からなくもないが。
「見ての通り、今の私はしがない購買店員だ。不服なことこの上ないが、こうなった以上徹底しよう」
言峰の纏うオーラは相変わらず、妙なものだ。かつ、あまり相対していたくない嫌なものでもある。
「修行はしないが、私は史上最強の店員コトミネを目指そうと思う。修行はしないがな」
「何で二回言ったんですか?」
「大事な事だからだ。まぁ、君にとっては頭の痛い話だろうが、品揃えについては期待してもらって構わない。喜べ少年。君の
ようやく、と言っても特に待ち望んでいたりした物はないのだが、しかしそれを追求するなと言峰は目で告げていた。
「さて。迷宮探索なのだろう? 精々気をつけたまえ。購買は開けておこう。必要なものがあったら来るといい」
「……」
何で知ってるんだろうか。恐らく聞いても納得できるような答えは返ってこないだろう。
ともかく、何か必要なものができた時は尋ねてみるのもいいかもしれない。それ以外では極力関わりたくない。
出来れば会いたくない人物、とはこの事か。
げんなりとしながら歩み始めたが、早く離れたいという気分からかその歩調は妙に速かった。
サクラ迷宮の二階――と言っても聖杯戦争のアリーナのように進むたびに周囲のイメージが変化していく事はないらしい。
同じような城の内部といった構造のアリーナだ。
そんな迷宮に入ってすぐ、二方向に分かれた道の片方を塞ぐように凛は立っていた。
「……性懲りもなくまた来たわね。本ッ当にデリカシーのないマスターだわ、貴方は」
そう言う凛は言葉とは逆に、何故か怪しい笑みを浮かべている。
「ま、それも今回は利用させてもらうけど。望んだとおりの行動、ありがとね。ハクト君」
「え……」
覚えのない礼を言いながら凛は道を開ける。そこに現れる人影――
「呼んだか、リン」
「えぇ。手筈通りよろしくね」
「……ランサー」
現れた黄金の痩躯、ランサーが凛に代わって道を塞ぐ。
自然体で立っているだけ。そして戦意の一切もないというのに、その姿に隙はない。
「さて。ここを通りたければランサーを倒すしか無い訳だけど……今の貴方にそれは無理よね?」
それは確定的だ。彼自身が認めていると思われるアルジュナなら或いは、ともいえるが、マスターであるジナコがあれでは動かないだろう。
今の僕にランサーを倒す術はない。道を塞ぐにおいて、これほど堅実な壁はあるまい。
「私も鬼じゃないから、妥協案くらいは用意してあげるわ。ほら」
「妥協案……?」
凛の指す方向に目を向けると、宛らATMのような機械が謎の存在感を発していた。
機械に書かれている文字は――文字は――
「ランサーに退いてほしければ、指定額を振り込みなさい――名付けて、『遠坂マネーイズパワーシステム』!」
「……」
「……」
「……」
『……』
『あ、兄さん。お茶を煎れてくれますか? 渋くて熱いのを。ちょっと気分を変えたいので』
レオ以外、全員が言葉を失っていた。ランサーも難しい顔をしている。
そんな静寂が支配する中、多分聞き違いだろうと僕は確認する。
「……えっと……なんだって?」
「『遠坂マネーイズパワーシステム』! よっ!」
『……凛ちゃんも偽者かな?』
復活したらしい白羽さんですら、どう反応して良いのやらといった雰囲気。
おかしいな。前の階以上に凛が残念な気がする。
やはりSGを取得しなければならない事に変わりはないんだろうし、この迷宮が凛本体と関わっている以上このシステムがSGに関わっているんだろうが。
なんというか、僕の知っている遠坂 凛のイメージがどんどん崩れていく。
「ふふ……あまりの恐ろしさに声も出ないようね。お金で工面するか、ランサーを倒すか。ほぼ一択だろうけどそのくらいの自由は許してあげるわ」
「……それでいいのか、ランサー?」
「……この務めの価値はともかくとして、断る理由もない。リンが望むのなら、応えるつもり、だが」
不満らしい。ランサーといっても不満この上ないらしい。
「そういうことよ。じゃあハクト君、精々私の貯金を潤しなさい!」
そして凛はそれに気付いていないらしい。
どこかに転移していった凛。そしてランサーは相変わらず難しい顔をしながら道を塞いでいる。
「……リンにリソースを渡そうとしたのは間違いだったかしら」
メルトが何か呟いている。それはともかく、どうやらお金を振り込まなければならないらしい。
「……指定額って……」
「あの機械に書いてあるんじゃないかしら?」
ATMのような機械に近づくと、文字が表示される。
『指定サクラメント・100000smを振り込んでください』
「……」
見間違いだろうか。ちなみに
聖杯戦争での通貨PPTの代替となるものだ。
「……えっと」
『指定サクラメント・100000smを振り込んでください』
「見間違」
『指定サクラメント・100000smを振り込んでください』
脱出戦線は、ここで終わる気がした。
番人なら倒せばいい?
ならばいいさ。倒してみせろ。ただし倒せるものならな。
2000sm程度なら稼げる。ならば値上げだ。
さぁ、借りろ。でなければ冒険はお終いだ。
無事(?)言峰も裏側に落ちてきました。やっとメルトと絡ませられる。
そして番人はランサーに。本人は言っちゃいませんがぶっちゃけ不満でしょうね。
↓一文次回予告↓
「その財布を――奪う!」