束の間の小休止回です。
マトリクスも更新しましたので、ご参照いただければ。
そして閉幕の鐘が鳴る。
その目覚めは、誰のものか。
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目を開けると、見覚えのある天井が視界に映る。
聖杯戦争の後半では殆ど立ち寄ることがなかったが、間違いない。ここは保健室だ。
何故こんなところに居るのだろうか。
確か、レオに勝利し、聖杯戦争の勝者となって――
どうやら、一夜経ったらしい。エレベーターを出て、ラニ達と何かを話して、そこからの記憶が無い。
「――気づいたのね、ハク」
変わりない、メルトの声が鼓膜を揺らす。
「……メル、ト……何があったんだ?」
「体力の限界ね。気を失ったのよ」
そうか。確かにレオとの戦いは、今までよりも遥かに厳しく、また激しいものだった。
損傷も甚大なものだったし、校舎まで気を失わずに戻ってこれたことが不思議なくらいだ。
怪我はどうやら、治っている。制服も、見たところ傷はない。
「ラニとサクラに感謝なさい。あの二人の治癒で何もかも元通りよ」
そうか。この体は霊子体だ。死に至るまで破壊が進んでいなければ、体系的な治療をせずとも良いのかもしれない。
こちらはこちらで特別な知識や技術が必要なのだろうが、回復の速度は遥かに早いのだろう。
「あ、紫藤さん、気がついたんですね。ラニさん!」
様子を見に来たらしい桜がラニを呼ぶ。
「ハクトさん……良かったです。どこにも異常はありませんか?」
「うん、大丈夫だと思う」
安心したように笑みを零すラニに此方も笑いを返す。
聖杯戦争は終わった。今校舎に居るマスターは僕一人なのだ。たった一人、サーヴァントを失ったイレギュラーである少女を除いて。
「ところで、ハクトさん。聖杯への道について、何か聞かされていないのですか?」
「……そういえば」
最後の一人になったというのに、何も連絡がない。
勝者だけが辿り着ける聖杯。それは一体、どこにあるというのか。
もう一つのアリーナなどが出現して、そこから探せともなればさすがにわずらわしい。
どうしたものか、と思っていると――
『おめでとう。全ての願いを踏破、或いは統合し勝ち残った、ただ一人の魔術師よ。聖杯戦争は、今ここに終結した』
スピーカーから声が流れてきた。
聞き覚えがある。最初も最初。聖杯戦争の予選、メルトと出会った広場で聞こえてきた声だ。
素性の知れない三十半ばと思える男性の声。消え行く意識の中で、聖杯戦争の始まりを宣言したのを覚えている。
『勝者に今、聖杯への道を開こう。さあ、改めて決戦場の扉を開けたまえ』
それだけを伝えて、放送は終わった。あまりの無機質な音声に不気味さを感じたものの、どうやら行き先は決定したようだ。
「……決戦場か」
声が指した扉とは決戦場へのエレベーターの事だろう。
あれが、聖杯に向かう扉。もう二度と潜ることはないと思っていたが、今度こそ、それは最後となるだろう。
そしてこの校舎に戻ることも、もう無い。
「――ハクトさん」
「ラニ? どうしたの?」
何やら思い詰めた顔のラニに呼ばれ、意識を其方に向ける。
「……私も、連れて行ってくれませんか? もう、戦いは終わりました。離れていたくないんです……」
ラニの頼みは、考えるまでもないものだった。
聖杯戦争が終わったことでラニがどうなるか、僕としても心配だった。
来てくれるのなら、断る理由は無い。
そう意思を込めてメルトを見ると、好きにすればいいといった風に視線を向けてくる。
「うん……構わないよ。一緒に行こう」
「……はい……!」
ラニも、随分と多彩な表情を見せるようになった。
初めて会った時では想像できないような明るい感情まで、ラニはもう持っている。それがただ嬉しく思えた。
「一時間ほど時間を取りましょう――私はエレベーターの前で待っていますね」
小さく頭を下げると、ラニは保健室を出て行った。
……なんと言うか、敵わない。どうやらラニは全てをお見通しらしい。
恐らくもうこの校舎に戻ってくることはない。だから今まで助けられてきた皆と話をしておきたかった。
「桜、今まで世話になった。ありがとう」
「い、いえ! 私は皆さんの健康管理の為に作られたので、当然のことです」
謙遜してしまう桜だが、実際に桜が居なければ、僕は二回戦で早くもアーチャーの毒にやられていただろう。
戦いに関してあまり関わりは無かったものの、それでも助けになった。
それに、直接関係がある訳ではないがメルトの親であるBBは元々桜のバックアップ。メルトが生まれるきっかけとなったといっても良いかもしれない。
そんな風に考えても――桜には覚えが無くても――感謝することが多くあった。
「でも、嬉しいです。NPCの私に対して、そういう心を持ってくれる人が勝ってくれて」
運営の為に作られた命であるNPC。しかし、僕も元は同じであるせいか、極普通に接することができた。
「優勝おめでとうございます。貴方のお力になれたのなら幸いです」
「――うん」
そんな少女とは、やっぱり笑いながら。
保健室の少女、桜に別れを告げ、次はこれまた世話になった姉妹の下に向かった。
何度も訪れた教会も、これが最後になる。
サーヴァントの能力を改竄するための施設は僕にとっては、相手の情報を手に入れるべく知恵を借りる場所だった。
「まったく、やるとは思っていたがね……」
教会に入ってきた僕を見て、橙子さんは苦笑する。
「優勝おめでとう。まぁ、君たちならきっと勝てると思ってたわ」
笑いながら青子さんも拍手と共に迎えてくれる。
「お二人のお陰です。今までお世話になりました」
「私たちは情報集めを手伝っただけよ。姉貴が鍵を渡したのも、私が術式を渡したのも単なる風の吹き回し」
「その風の吹き回しも、無ければ勝てませんでした。それも含めて、ありがとうございます」
零の月想海に行かなければ、『道は遥か恋するオデット』も手に入らなかった。
言うまでも無く、この術式が無ければ僕は決勝戦、恐らく最終日になる前に終わっていただろう。
そして青子さんから預かった『青』。これによる時間加速が、レオとの戦いにおいて最後の詰めとなったのだ。
聖者の数字を瞬間的に無力化して、メルトの最後の一撃を確実に命中させるために、あの一手は欠かせなかった。
二人がくれた情報も術式も、明らかな勝因となっていた。
「使えるものは何でも使うだけならともかく、それに感謝するなんて。どこまでも変な魔術師だ」
相変わらず何かの作業をしながら同じ電気タバコを不味そうに吸う橙子さんはそんな悪態をつきながらも、口元の笑みは崩さない。
「感謝する暇があったら、さっさと聖杯に向かうことだ。こちらの探しものも、ようやく目処がついたのでね」
「……はい」
探しものとは一体、なんだったのだろうか。そもそも、それを見つけたとしても帰る手段があるのだろうか。
聖杯戦争のマスターではないこの二人は、NPCでもないと聞いた。
だとすれば、帰れないのでは。そんな心配は不要だと、無言で二人は告げていた。
「まぁ、そういう事よ。聖杯戦争もようやく終わったし? 後は君たちが聖杯に辿り着くまで、ここで待つだけよ」
聖杯戦争が終了した以上、僕たちが聖杯に向かえばこの校舎は不要になる。
ムーンセルが必要の無くなったものを残しておくとは思えないし、きっとここは消去されるだろう。
役割のある二人はそこから先であれば、何かしら帰る手段があるのかもしれない。
「疑問も不安も、聖杯に至れば解決するわ。全部鞄の底に詰めて、行ってらっしゃい――最後の旅路へ」
「……」
青子さんの激励を受け、素っ気無く手を振ってくる橙子さんに別れを告げて、教会を出る。
NPCではなくとも支援をしてくれるこの姉妹は、本当に不思議な二人だった。
運営自体も存在を認めた二人、もしかすると、僕が想像もつかない程の実力者なのかもしれない。
そんな不思議の答えは知る由もない。
最後まで謎の多かった姉妹に別れを告げ、最後の一人の下に向かう。
どこまでも歪んだ、神父の下に。
何やら校舎を巡回するように歩き回っていた言峰を見つけるのに、そう時間は掛からなかった。
というより、最初から分かっていたかのように、教会を出てすぐに鉢合った。何者なのかこの神父は。
そんな彼に声を掛けると、口元を歪めながら言う。
「ふむ。君も物好きだな。役目の無くなったNPCに声を掛けるなど。君としても、私は苦手なのではないかね?」
確かにこの神父とは、分かり合える気がしない。
だが、それでもこの神父は聖杯戦争で最後まで関わり合った者の一人だ。
最後に別れの言葉くらいは、言っておきたかった。
「はい。ですが、貴方にも世話にはなったので。全員と話して回っています」
「成程……であれば、私からも一つ助言を送ろう。少し長い話になるがね」
言峰からの助言。戦いは終わったというのに、何か語るべきことがあるのだろうか。
そもそも、どんな内容だろうと信憑性が薄くなるのが言峰だ。
それを信じる信じないはともかくとして、聞いてみるくらいなら良いだろう。
「戦いに関しての事ではないさ。君が今から手にする、聖杯についての事だ」
「聖杯?」
「そうだ。君は、聖杯についてどの程度のことまで知っている?」
聖杯についての知識。メルトやラニから聞いたり、図書室で調べた概要だけなら、ある程度は知っている。
月の巨大な観測機械、ムーンセル・オートマトン。遥かな過去から地球を記録し続けてきたアーカイヴ。
その所有権を決めるための魔術師による生存戦争である聖杯戦争が行われたのだと。
それを伝えると、言峰は頷いてから語りだす。
「では、更なる欠片を埋めるとしよう。最後の一人になったマスターには、それを知る権利がある」
更なる欠片? 聖杯についての、知識の穴だろうか。
「本来、ムーンセルはただ観測するだけのもの。聖杯と呼ばれるようになったのは一世紀前からだ。願いを叶える願望器。そんな力があると理解したのは一体誰だったか」
それまでは、ムーンセルに願いを叶えるなんて力があるとは知られていなかった。
願いを汲む願望器ではなく、基本的にムーンセルは観測機に過ぎない。
「コレの本質は観測機だ。それ以外の選択を頑なに拒んでいる。全能でありながら、全能である事を否定する。だが――」
「……避け得ない機能があった?」
「そう、観測者が観る事で、事象は確定する。観ないものは、即ち確定しない。ハイゼンベルクの不確定性原理だ」
起こりえた両者を同時に見ることは出来ない。だが、ムーンセルは全てを観測する観測機。であれば、
「であれば、ムーンセルは起こりえた可能性、全てを考慮しなければならない。完璧な観測機として、より多くの“イフ”を記録してきたのだ」
何となく、分かってきた。この聖杯がどうして聖杯たりえるのかが。
「月が備えた膨大な演算装置は、殆どが過去認識と未来予知にあてられている。君が今から向かう先には、その未来予知の全てが保管されている」
「それが……聖杯」
「その通りだ。そこには、人々が夢想したおよそ全ての願望がある。意思の無い月の演算装置を、意志のある者が掌握できたのなら、月は即ち聖杯として、持ち主が望んだ世界を実現するだろう」
聖杯戦争に挑んだマスター達が持つ願いだの価値だのはどうでもいい。
ただ強くあること。それが聖杯を手にするための条件だった。
それがムーンセルの意思であるかは定かではないが。これはあくまで、言峰というNPCの元になった人物ならこの結論に達するだろうという話である。
「――以上だ。君たちが今まで這いずっていたのはムーンセルの表層に過ぎないのだよ」
嫌味気に言う言峰だが、この助言は彼なりの祝辞も込められているのだろう。
「……ありがとうございます」
礼を言うと、言峰はエレベーターのある方向を指す。
「では去るがいい、今回最強のマスターよ。月の中枢に至る熾天の門が、君の答えを待っている」
促され、それに従うようにエレベーターに向かう。ラニももう随分と待っているはずだ。
神父の言葉に感じた不自然さの正体は、掴めなかった。
桜に、姉妹に、言峰に別れを告げ、聖杯に向かいます。
尚、CCCに姉妹は出さない模様。