私はエリちゃんにしようと思います。
と言いつつも、デオンくんちゃんと悩んでたりするのですが。
いつの間にか私は地獄に落ちたのか――そんな予感を、即刻否定する。
右腕を見れば、まだ健在だった。神経などとっくの昔に喪失しているが、しかし紛れもなくそこにある。
この子たちがいるのならば、まだ地獄に落ちる訳にはいかない。
生きたいか、と問う。
――生きたい。生きたいよ。死にたくない。
――だって、わたしたちはまだ生まれてない。助けて、アーチャー。
――イヤだ。イヤだ。イヤだ。イヤだ。もう二度と、あんな痛いのは。わたしたちを、守って。
「……ああ。良いとも。愛しき子らよ。私が守ってやる。何も心配することはない」
手を撫でる。やはり、何も感じない。
この子たちが何を思っているかも、分からない。
視界は最早、殆どが闇に染まっていた。
中心に光が僅かに差し込んでくるだけ。それでもどうにか、腕だけは見えた。
――ふと、体の中に異物を感じた。
どうやら、体を貫かれたらしい。まだ影が残っていたようだ。
ああ……そうか。ただ潰すだけでは駄目だった。
この影共が生まれる箇所がある。それを潰さなければ、この亡者共は無限に湧いてくる。
なんと、汚らわしいことか。たったそれだけしか感じ得なくなった自分に、どうしようもない嫌悪感を持った。
「――消えろ」
ただそう、邪魔に思っただけで、異物は消え去った。
どうやら大本の影そのものを消してしまったらしい。
纏った魔獣の毛皮は、私の体を蝕み変質させた。
ただ望むだけで腕はあらぬ方向に曲がり、爪となり、周りの影共を貫く。
ただ望むだけで腕は肥大し、魔獣の大口となり、贄として影を喰らう。
ただ望むだけで腕は平たく伸びて広がり、翼となり、失墜する体を再び飛翔させる。
そのたびにメキメキと心地の悪い音が耳朶へと流れ込む。
しかし、痛みを感じない。痛覚もどこかへ消えてしまったようだ。
構うものか。このアタランテ、愛しき子らを生かすと誓った。どんな姿に変わろうとも、私が生きていなければ子供たちは生きられない。
であれば、消すべきものがある。群がる影共の発生源こそが、今私を阻む邪魔者だ。
「う、あ――――があああああああああ――――!」
それを探し、戦場を駆ける。
通り道にあるモノは全て消す。踏み潰し、引き裂き、噛み砕く。
「……邪魔だ。邪魔だ、邪魔だ。失せろ――!」
何処だ。何処にある。
周囲を見渡しても、見つからない。黒い視界に期待はできないが、それならば鼻がある。
なんとしてでも見つけてやる。この子たちの楽園のために。
――そして、闇雲に振り回していた腕に何かが触れた。
「……そこか」
それは、大して巨大でもない、影の塊だった。
見つからない訳だ。他の影共と遜色ない大きさであれば、この群れの中にあれば探すのも困難だろう。
何を思うこともない。感慨も抱かず、腕を変化させた魔獣の顔は影の発生源を一口で飲み干した。
「ッ――」
体の中に、更なる異物が入ってくる。
決して右腕だけは侵させない。どれだけ体内で膨れ上がろうとも、絶対に。
周囲の影を始末し終える。残ったモノは、気に掛けるまでもあるまい。
下から上がってくるモノも、私を狙ってくる訳ではない。更に上へと向かう影など、私が始末する義理もない。
――そう思った筈なのだが、体は動いた。
止まっているに等しい、鈍い動きに瞬きの内に追いつき、気付けば爪牙が影を穿っていた。
視界に入るだけで、ただ憎らしくなる。
感情に任せていれば、体は自然と影を見つけ、引き裂いていく。
「なるほど。貴様たちも、この子の未来を脅かす者か」
魔獣の毛皮が憎しみを増長させる。
もしかすると、この影たちに罪はないのかもしれない。ただ私が、そう思っているだけなのかもしれない。
――――否。私の目の前に現れるのであれば、全ては贄だ。一つ残らず屠るべき存在であり、子供たちの未来を奪う害悪だ!
「……そうだろう? 大丈夫だ、私が守ってやる」
――生きたい。生きたいよ。死にたくない。
――だって、わたしたちはまだ生まれてない。助けて、アーチャー。
――イヤだ。イヤだ。イヤだ。イヤだ。もう二度と、あんな痛いのは。わたしたちを、守って。
「それで良いのだ。お前たちには生きる権利がある。愛を受けて、生を謳歌し、存分に楽しむ、誰が許さなくとも、私が許そう」
子供を愛する。子供が愛される。愛された子供が大人に成長して、生まれた子供をまた愛する。
愛の循環。愛し、愛される世界。
この子たちにだって愛される権利はある。
それを阻もうとするのなら、全て喰らってやろう。
「――ちょい待ちだ。流石にもう、見てらんねえよ」
「っ」
既に体の一部となった毛皮に、何かが突き刺さった。
痛みなどない。気にするほどのものではないのだろうが、しかし攻撃されたという事実が許容しえなかった。
まさか、子供たちを狙ったのではないだろうか。
何かが飛んできたと思われる方向に目を向けると、一人の人間が見えた。
サーヴァント、マスター……どちらかは分からない。
――というよりも、サーヴァントとはなんだったか。マスターとはなんだったか。
思い出せない。いや、もう既に、どうでもいい。
「貴様も、私を、この子たちの生を、邪魔するのか」
「ああ。アンタがこれ以上暴走するってんなら、この場でオレが射貫いてやる」
「……思い上がったな。その無謀、我が贄となって悔やむがいい」
たかが一人の人間風情に、私が劣る筈もない。
目の前の人間が誰であろうとも、関係ない。邪魔をするのなら、一片たりとも残さず喰らってやろう。
+
別に、恋愛感情を抱いた訳ではなかった。
何度か他愛のない話をしたくらいで惚れ込むほど、オレも単純ではない。
友人というほどに話が合うこともない。
同業者といった程度の繋がり。同じように森で過ごして、同じように弓を執った。
まあ、それによって打ち立てた功績なんて比べるべくもないのだが。
片や神話に名を遺した稀代の狩人。片や頼まれもせずに村を守って勝手に死んだ小坊主。
危険極まりない冒険を乗り越え、神の遣わした魔獣に最初の傷を負わせた英雄。
持っている願いは己のためではなく、しかし大きすぎて、常識のある人間であれば難儀極まりないことがすぐに分かるもの。
子供が須く愛される世界。性根のひん曲がっているオレからすれば馬鹿馬鹿しいとさえ思える。
だが、それを笑うことはなかった。出来なかった。
あまりにも、純粋だったから。
その願いにひたむきで。嘘ではないことを目の前で何度も証明していた。
世界に生を否定された怨霊の集合体――アサシンを我が子のように愛し、彼ら彼女らを第一に考える在り方。
少なくともオレは、それに偽りなく眩しさを感じていた。
――だというのに、アレはなんなのか。
「……カリュドーンの大猪、ってヤツか」
集落の形をとった迷宮を走り回り、自身に襲い掛かる影の群れの悉くを力任せに粉砕する。
あまりにもそれは、これまでの彼女の在り方とは違っていた。
アレは彼女の宝具なのだろう。
彼女を含めたギリシャに名高い大英雄たちが集って討伐したカリュドーンの魔物。
最初の傷を与えた彼女がその皮を手にし、それが原因でギリシャ中に不和を齎したとか。
恐らくあの宝具は、その魔獣の霊格を再現するもの。
今の彼女は正真正銘の魔獣であり、英雄とは程遠い、怪物に成り果ててしまったのだ。
「形はどうあれ、上手く影の意識は向いている。俺たちの仕事も確実になるだろう」
「うむ……しかし、どうにも哀しいものだ」
ユリウスの兄ちゃんとサーの旦那は、これを好機とみている。
それが正しいのだ。狩人は効率良く事を進め、情なんて二の次で獲物を狩る者の名。
獲物が他の何かに意識を向けてくれているのならば、これ以上楽なことはない。
「……」
今オレたちがやるべきことは、彼女に意識が向いた影を一体ずつ、確実に狩ること。
多数の殲滅はオレたちには出来ない。しかしその分、影たちの動きを良く見ることができる。
影の発生源をオレたちが見つけることが出来れば御の字だ。
しかし――そう思った矢先、彼女が蹴散らした影の中から発生源が現れた。
「あれは――!」
弓を構える前に、彼女が腕を変化させた化け物の大口が、発生源を喰らう。
これで、オレたちの仕事は終わったとみていい。この場における仕事は終了したのだ。
だというのに彼女は、狩りを続ける。
まるで、狂っているようだった。クラスがバーサーカーにでも変わってしまったかのようだった。
「……旦那。アイツ、どんな状態になってんだ?」
「……分からん。だが、ステータスが完全に見えなくなっている。アタランテという英霊がぼやけたように、存在が薄くなっているな」
きっとそうなってしまったのは、自分の確たる信念のため。
その詳しい事情なんて知れたものじゃない。
だが……知っていることがある。
彼女は苦しんでいた。旧校舎で交わした最後の会話のとき、彼女は右手を大きく損傷していた。
あれが原因という可能性は高い。だったら、発動させてしまったのはオレにも責がある。
きっと、止められた。義理もなければ理由もないけれど、ふとそんな思いが脳裏に現れた。
あのまま彼女は、この事件が終わるまで生き延びるだろう。
だが、そのとき既にアタランテという英霊は、ここにはいない。
確実に、それは失墜した魔獣だ。
そんなことは、許されない。誇りだの何だのは知らない身なれど、彼女がそこまで堕ちるのは見過ごせない。
何故? 決まっている。
オレには及びも付かない狩人。そんな存在が失墜したら、それ以下のオレの面目が立たない。
「……しょうがねえな」
「アーチャー?」
「悪い、旦那。暫くここから動くな。万が一影が来たら、自力でどうにかしてくれ」
サーヴァントとして、それは合格とは言えないのだろう。
だが、だからこそ、反面教師という形で彼女には映る。
その在り方の明白な違いを、どうか分かってくれるようにと願いつつ、隠れていた小屋から飛び出す。
「――ちょい待ちだ。流石にもう、見てらんねえよ」
「っ」
放った矢には、毒を塗ってはいない。
まだ彼女を殺すつもりはない。警告だ。これで目覚めないならば、荒療治が必要になる。
「貴様も、私を、この子たちの生を、邪魔するのか」
「ああ。アンタがこれ以上暴走するってんなら、この場でオレが射貫いてやる」
「……思い上がったな。その無謀、我が贄となって悔やむがいい」
――やはり、駄目か。
良いだろう。仕方がない。
覚悟していなかった訳ではない。だがしかし、足が僅かに竦んだ。
大した技術もない小僧が、今から神話に挑まなければならないのだ。
いや、構わない。贄になる前に、オレが狩ってやる。
「来いよ。猪狩りなんて慣れっこだ。安心しな、サクッと狩って、目を覚まさせてやるからよ」
動きの始動もなしに、魔物と化した狩人が疾駆してくる。
初めてだ、猪の狩りの対象とされるのは。
生前のオレは、ただ一方的に森の獣を狩ってきた。
だが、悪くない。一度くらい、こんな風に英雄らしい偉業を成し遂げてみたかった。
カリュドーンの猪退治。神話にすら名を残せない、英雄にすら程遠い男がそれに挑戦できるのだ。
ならば寧ろ喜ばしい。さあ――下剋上を始めようじゃないか。
アタランテと緑茶の回でした。
順調に姐さん病んできてますね。
このアーチャー同士の対決はCCC編考案当初は考えていませんでした。
外典五巻の猪化の暴走っぷりを見て、「あ、これ書きたい」ってなった結果です。