嘘だと思ったら再臨させてみるとよろしいのです。
「こい、こい…!」
あ、今回からまた視点が移ります。
――そして、わたしは観測する。
その戦いの終わりの序章となる、一つの結末を。
「ふっ――」
尋常ならざる成果だった。
サーヴァントでもなければマスターでもない、AIがここまで戦えるとは。
言峰が拳を打ちつけた影が四散する。
最早討伐数は三桁にまで届いている。
基本的には八極拳を主軸とし、遠距離の敵に対しては黒鍵を、そして多数に囲まれ打開策の見つからない際には令呪を用いた魔力の放出で殲滅する。
上級AIの処理能力の高さが最適な行動を迅速に弾き出しているのだ。
ゆえに言峰は無駄なく動く。
「中々に、愉しませてくれる」
その口元に相変わらずの笑みを含ませて、次の影に狙いを定める。
このままならば、まだかなりの時間耐えられるだろう。
だが、それを良しとしないのが圧倒的な物量だ。
今まで大多数を殲滅してきた令呪は、既に残り三画となっている。
黒鍵も手元に残るものはなく、言峰は次第に数に押され始めていた。
「ッ……」
しかしながら、止まらない。
何が彼を動かしているのか。これまで観測した様子では、言峰は月の主に決して好感を持ってはいなかった筈だ。
わざわざ影を敵に回し、更に命を懸けてここまで戦う理由はまったくと言って良いほど存在しないのだ。
「困ったものだ。我が主はまだ事を終わらせていないらしい」
愚痴を吐く言峰は、その不満をぶつけるように襲い掛かってきた影を砕く。
「まあ、最初から私が真相を告げていれば、ここまで悪化しなかったのだろうが」
――――何を。
言峰は何を言っているのか。
まるでそれは、最初から彼が真相を知っていたかのようで。
「くっく……心にもないことを言ってしまう程には、私も鈍感だったか」
そんな軽口を意にも介さず、大挙して押し寄せてくる影に言峰は再び囲まれた。
仕方ない――そう呟き、最後の三画が消費される。
黒に染まった魔力が影を引き裂き、消し飛ばす。
散り散りになった影は、しかし恐れて引くことはない。
最早言峰に、この数を全滅させる手段はなく、後出来ることは逃げることだけ。
「ふむ。まあ……これもまた、一興か」
にも関わらず、言峰は影に向かっていく。
拳を叩き込んで一体を潰し、次の一歩の震脚で影を踏み砕く。
背後から迫る一体を裏拳で吹き飛ばし、もう片手で更に一体。
戦闘に特化していないAIとは思えない。四方から群がる影をここまで相手に出来るなど。
しかしそれでも、サーヴァントすら呑み込むであろう影の群れだ。
当たり前のように限界というものは訪れる。
「ッ――――!」
脇腹が大きく切り裂かれる。
僅かに鈍った動き。逃がさないとばかりに、心臓の位置を影の腕が貫いた。
「か――はっ――――」
確かめるまでもなく致命傷。言峰自身、それは自覚しているだろう。
戦闘続行スキルを持ったサーヴァントならまだしも、言峰はAIだ。活動に支障が出る傷を負えば、自己修復のために休眠状態に移行する。
そのボーダーを突破したというのに、言峰はまだ活動していた。
この場に月の主がいれば、すぐにでも強制的に戦いを終了させる程の状態。
だが、ストップは掛からない。それを良い事に、言峰は戦闘を続行する。
「ぐ、く……」
流石に傷を負い、鈍くなった動きで全てを処理できるほど、戦闘面に秀でている訳ではない。
傷は次々に増えていく。
だが、致命的なものを後一つ受けないよう、最大限に気を遣っている。
もう一つ無ければ、行動不能に陥ることはない。そう思ってでもいるのだろうか。
満身創痍。
最早いつ死んでもおかしくない。
彼がどう思っていようと、彼が死ぬつもりはなかろうと、もう何をしても手遅れだ。
だからこそ無理が通る、という人間特有の根拠のない信念は、AIには通用しない。
そんな死に掛けのAIに向かい、真正面から一体の影が襲い来る。
「……っ」
チラリと、言峰は背後の階段を見やる。
その先には、わたしたちのいる最終防衛地点が存在する。
決して侵されてはならない場所。それを分かっているかのように、言峰の鋭い雰囲気は増した。
「ッ、はああああああ――――!」
覇気に怖じるように、影がその進撃を躊躇する。
アレの拳が届く範囲に居てはいけない――そう本能から判断したように。
だが、止まったのは悪手だ。何しろ相手のペースのままに、自身の懐にまで招きいれることとなる。
素早く踏み込んできた言峰を、影は対処できない。
周囲の対応しようとした影すらも凌駕する速度でもって、拳が振るわれる。
それが恐らく最後の獲物となろう。だからこそ、全力で言峰は攻撃する――
「――――――――――――――――」
――その瞬間、言峰の体は停止した。
過負荷を超える過負荷によって限界を振り切っていた言峰は、唐突にその活動を終了させた。
無理もない。零パーセントか百パーセントかの活動率でなければ許されないAIが、百を超えた戦いを続けていたのだから。
全てを込めた言峰の拳は影に僅か届かず、対して無数の影はその腕でもって言峰を串刺しにしていた。
恐らくそれが、意識を覚醒させるスイッチになったのだろう。
自身に起こったことを理解するまでの、一度の瞬き。
凍りつきかけていた表情は、
「――――――――ふ」
最後に再び笑みを零した。
終わりを理解し、膝を折る。
倒れ伏した言峰。そこから五秒と経たず、停止した体は影により処理される。
何ら浸ることもなく、影は次の獲物へと向かう。
ああ――この場に来る。近付いてくる。
いや、そうであっても、関係はない。わたしはわたしの目的を全うするまで。
ただ観測を続行する。それだけだ。
――そして、わたしは観測する。
迷宮の始まり。一つの物語の結末を。
たった一つの要因が動くまでは、戦況は圧倒的だった。
三体の巨人は悉くを叩き潰し、大雑把な攻撃で取りこぼした影をチェスの兵が殲滅する。
それがいつまでも続いていれば、キャスターに影が向かうことすらなかっただろう。
だが、魔力が無尽蔵だとしても膨大な数を前にしてはいずれ限界が訪れる。
巨人――ジャバウォックの一体が影によって動きを封じられ、集中的に攻撃される。
それに、召喚した本人は気付かない。
元よりキャスター、ルイス・キャロルは軍人でもなければ戦士でもない。
軍略も、戦略眼もないキャスターではこの戦場において、周囲の見極めが出来ていないのだ。
ゆえに気付いたのはジャバウォックの霊核が貫かれ、致命傷を負ってからだった。
「む……」
その部分に穴が空いた――そう見るや否や、キャスターはその場に新たなジャバウォックを召喚する――ということは出来ない。
既にキャスターは兵たちを召喚した宝具を失っている。
それらの統率は出来ても、新たな駒を召喚することはできないのだ。
大きな戦力を失った。それによって、大きく戦況は動く。
そのジャバウォックを補佐していたチェスの駒たちがまず、影に呑まれ始めた。
未だもって、数は多い。しかし一度動いた戦況は、その勢いを増し始める。
キャスターが危機感を感じ始めた頃には既に、チェスの兵の半分が消え去っていた。
「……これは、そろそろ駄目かな」
一瞬、キャスターの表情が苦くなる。
それは何かを思案して、すぐに答えを出したかのようだった。
「仕方ないか。わざわざ死地にまで来たんだ。元より自殺行為だった、重々理解していたとも」
諦観を込めて、キャスターは呟く。
既に自分の結末を理解して、尚も彼は逃げようとしない。
自身と兵たちを相手する影は、この階にやってくる総数からすれば微々たるものだった。
旧校舎にいる者たちと比べれば、その戦いの規模など児戯にも等しいだろう。
だが、ルイス・キャロルはそれさえままならない。
持てる全勢力をもってしても、影の群れに対処は出来なかった。
それをすぐに、キャスターは認めた。
元より知っていたのかもしれない。自身はこの戦いに相応しくない存在なのだと。
であれば、何故こんな死地に赴くような真似をしたのか。
「まあ、良いか。納得は出来ないが、事実は生まれた。少しでもありすを助ける力になれたのなら、良い幕切れだ」
自分を説得するように、キャスターはマスターを想う。
マスターであるありすを守り、ありすを助け、ありすを生かしたい。
戦闘も出来ないというのに、たったそれだけがキャスターの動力源だった。
無力な自分が、ようやくその一端を担うことが出来たのだ。ならばもう、それで良いと。
「強いて言えば、この先を見届けたかった。ありすの生が約束されるまで、生きていたかった」
そんな、無念がある。
だが彼はこの場から逃げるということをしない。
駒たちを防御に集中させればまだ可能性は零ではないというのに、その選択をしない。
「ふむ、未練だな。親心か愛情か、はたまた別のものか。これは追求しない方が良いな。生前の汚名が確かなものになりそうだ」
くっく、と自嘲気味に笑いながら、キャスターはまた兵が減ったことをその目で確認する。
未だキャスターが影の手に掛かっていないのは、上手く安全地帯を探しているからだ。
悪く言えば、兵を戦わせて自身は逃げ回っている。
だが恥もなにもない。彼は作家だ。命を懸ける戦場にいれば、それが当たり前なのだ。
「サーヴァントとしての使命……そうだな。今の体ならばそれが適切だ。サーヴァントがマスターを守る、当然じゃないか」
二体目のジャバウォックが串刺しにされ、消滅する。
今度はキャスターも見届けた。残る一体も最早時間の問題だろう。
しかし一体しかいないのであれば、もう見逃しようもない。
其方にキャスターは目を向けて、残る兵たちをかき集める。
自身と、ジャバウォックを守るように展開した兵たちはしかし、何の策も出されず、対処に限界が訪れる。
ふと周囲を見れば、最早逃げ場などどこにもなかった。
もう、如何に逃げようとしても遅い。
「――しかしてアリスは夢から醒める。小さく遥かな冒険を、愛する者に打ち明けて。さあさあ、夢見がちなこの少女は、如何なる大人になるでしょう。彼女に夢を与えられたのならば、私もこれ以上の幸福はない」
であれば、詩を歌いながら終わりを迎えるのが自身に相応しいと悟ったのだろう。
奮闘するジャバウォックも、次第に押されつつある。
見る間に数を減らしていくチェスの駒は、最早十体といない。
キャスターは、自身に向かってくる影の姿を確認する。
ああ――彼はここで終わるのだろう。
だというのに、キャスターは寧ろ清々しい面持ちで、それを迎え入れる。
「頼んだよ、ハクト。私ではありすを守れない。無責任だが後は全て、君に任せた」
自分自身でただの一体も影を倒せず、キャスターは最終決戦の舞台から降りる。
それを彼は、当たり前のこととして見ている。
戦うために呼ばれたのではないサーヴァント。その在り方は、およそ
マスターと最低限関わることもなく、もう一つのサーヴァントに任せ、自身は舞台の外で眺める。
「――体は夢で出来ている、か。最後に見出す存在意義としては、中々じゃないか?」
誰かに問い掛けるような口調で、キャスターは独りごちる。
生前より夢を綴り、夢を語ってきた。
たった一度しか見れなくて当たり前の夢。語りながら話を組み立て聞かせる即興詩。
ルイス・キャロルは夢を詩として語り、後世における世界一有名な夢物語として確立させた。
誰しもが一度は寝物語に聞いたであろうアリスの物語を綴った男。
そんな彼の生涯は、“夢”に彩られたものだった。
子供たちに夢を与え、希望を建てる。未来の可能性を作り上げる。
否定のしようもない、素晴らしい生涯だった。サーヴァントとしても、夢見るマスターに引き当てられた。
ならば、なんの文句もありはしない。夢という自分の世界を、ここまで昇華できたのだから。
――それからすぐ、キャスターは影に呑まれ、消滅した。
統率者を失ったジャバウォックや駒たちも、魔力の続く限り戦って、それから果てる。
ルイス・キャロルというサーヴァントがいた形跡がその場に一切なくなると、彼を襲っていた影は再び旧校舎に向かい始める。
静寂の満ちる迷宮で、物語は幕を閉じた。
という訳で、言峰、キャスターは退場となります。お疲れさまでした。
誰も消えずに済むほど甘くはないのです。はい。
他に誰か脱落するか、予想が見事的中した方には何もありません。
まだ暫くハク以外の視点は続きます。