自分で書いててなんですが、キアラのアレっぷりがヤバイです。
繭よりキアラさんが現れた瞬間、全てが変化した。
透き通った水を模した床は紅く染まり、宛ら地獄に溜まる血の池。
どの色に阿ることもない観測の無色は欲に満ちた桃色に。
変質した中枢は、墨染めの空が広がっている。
アンデルセンの言葉の通り、真の魔性へと変化したキアラさんが残した繭からは真っ黒な泥が流れ落ち、尋常な数ではない影へと変わっていく。
「お前ら、アレが何か分かるか」
アンデルセンが見ているのは、繭の残骸。
球状を保ってはいるが、皹が入り泥を吐き出し続ける繭。
「アレはな、この魔性が今回最も力を入れた駒だ。今度こそ失敗しないようにと反省も交えて作った泥の塊。真実、アイツの最高傑作だろうよ」
「――まさか」
今回。今度こそ。今ひとつ理解できない単語こそあるものの、「泥」という単語だけで答えには行き着く。
とはいえ、納得できるものではない。
そんな筈はないと、思考が絶対的に否定する。
「察しが良いな。とはいえ認めはしないだろうよ。これが“最強”のアルターエゴの成れの果てなんてな」
「ッ――――!」
ノートそのもの――その真実を、本能が認識し続ける。
否定したい。だが、出来ない。
繭の内部の仄かに光る泥は紛れもなく、ノートが好んで使用していたものなのだ。
「――ええ。その通り。私がここまでの過程を確実にこなすための道具です」
口を開いたキアラさんは、既に僕の知っている姿ではなかった。
――これ即ち、女という存在の象徴。
男であれ、女であれ、人であれ、悪魔であれ、神であれ、一度溺れてしまえばもう戻ってはこれない完璧な肉体。
人という存在を否定するように頭から伸びる二本の角。
そして、その体は悍しいまでに蹂躙されている。
形のない、ただ人に見えるだけの怨霊がひしめき合い、たった一つの肉体に集っている。
数を数えるのも馬鹿らしい、欲に群がる魂を礼装とした、理解し難いその姿。
恥じるように頬を染めた――人為らざる魔性。
「キ、アラ……さん?」
「はい。ああ……いまだその名で呼んでくれるなんて、私、嬉しい限りです」
当然のように、人を捨てたその存在。
アンデルセンの称したように、悪魔と呼ぶのが最も適切なのだろう。
だが――この身が人に近しいものであるからか。あまりにも格上の存在に向けて抱いた最も大きな
神か、或いは仏。
衆生を救う、人が畏怖し、同時に羨望する存在に思えた。
「貴女……どうやって、あの時以上のものになったのよ……?」
半ば呆然としながらも、メルトが問う。
するとキアラさんの笑みはより深まり、何かを思い返すように目を閉じた。
「前の反省があるから、でしょうか。せっかくなので、話しましょう」
「――私は確かに敗れた。それは確かです。だって私の存在が記された、貴女の記憶にあったのですから」
キアラさんの語りには、覚えがある。
そもそも事件の発端はメルトの記憶であり、それを桜が開封したことで発生したものだ。
ゆえに、目の前のキアラさんは、メルトの記憶そのものといえよう。
メルトの生前に在ったキアラさんは、一人のマスターとサーヴァントによって滅びた。それが真実であれ偽りであれ、メルトの記憶がそうであるならば目の前のキアラさんの情報もそれに基づいている。
「ですが、だからこそ分かるのです。以前の私は力不足で敗れた。ならばそれより上に成れば良い。アンデルセンが以前私の物語を書いたのならば、それに相通じ、更に上の物語を綴らせることも可能でしょう?」
キアラさんの視線がアンデルセンに向けられる。
アンデルセンはその視線に僅か、嫌悪を見せて、頷いた。
「ああ――実に億劫だった。何故俺が同じ女の話を二度も書かなきゃならん。それも、まったく同じ書き出しでだ。だがな、それでも書くのに困らないのだから尚始末が悪い!」
吐き捨てるように。そして不満そうに。
「何故なら、この女の終わりは俺も知らないからだ。俺とキアラは敗れ、消え去った。だがその記憶の持ち主は“どうやって消えたか”知らないときた! 終わりがないなら幾らでも書き直しようがある。盆暗だろうが俺も一作家、それが
しかし愉快そうに、アンデルセンは言ってのけた。
メルトが「その瞬間」の記憶を持っていないのは仕方ないし、当たり前だ。
キアラさんに取り込まれたとしても、消滅まで同時なんてことはないだろう。
彼女が最期を迎える前に、メルトの要素は完全にキアラさんから消え去ったということだ。
ゆえに、キアラさんの消滅の瞬間をメルトは知らない。あくまでも、彼女が敗北したという事実だけ。
それをキアラさんは利用した。最期さえ無ければ、物語は続く。アンデルセンが更なる物語を綴ることも、また可能なのだ。
「正直、俺にはこれ以上は無理だ。どれだけ時間を掛けても、この女にこれ以上の作品は書けん。まあ逆を返せば――これが俺の最高傑作になった訳だ」
「本当に感謝していますわ、アンデルセン。前とは比べ物にならない、圧倒的なまでの力です。より時間を掛けさせた甲斐がありました」
「そうか。本当に、たかが時間稼ぎのために作られたアルターエゴ共も哀れなものだ。事実、そのうち二人は怪物の苗床にされた。俺が主役と選んだ女がここまで非情だったとは、俺も思わなかったぞ」
嘆息するアンデルセン。
彼にとっても、もしかすると予想外だったのだろうか。
ローズやノートを、キアラさんが利用し、糧にしようなどと。
「彼女たちも本望でしょう? これからもっともっと、素晴らしい快楽を得られるのですから」
キアラさんの目は、再び此方に向いた。
慈悲の篭ったその瞳は、しかし一切安心感を抱かせない。
「では、答えを聞こうではありませんか」
本題に入ったキアラさんは、どこか見透かしている様子があった。
「どうです、ハクトさん。私の要望――連なる平行世界の一つを、譲ってはいただけませんか?」
――彼女がどれだけ強力な存在なのか、分かっている。
目の前にいて、分からない筈がない。神話礼装を纏ったメルトであっても、勝てるかどうかという、規格外を極めたような異質さ。
だがそれでも……選択は変わらない。
戦うと決めたのだ。ならば今更その願いに屈服しようなどと、出来よう筈もない。
「……駄目だ。たった一つであっても、世界を誰かに渡す訳にはいかない」
「…………そう、ですか」
俯いたキアラさんは、数秒の後顔を上げる。
「ッ」
その表情は、更なる喜悦に。あまりにも深い恍惚に染まっていた。
「此方としても、ある種譲歩したのですが……遠慮は要らないということですね?」
「遠、慮……?」
「ええ。私の目的は、愛を受けること。全ての人々の欲望の捌け口になること。全ての人間を使って――最大の快楽を得ること」
……恐ろしく思った。
その目的が人とは思えない、凄まじいものだから、ということではない。
今話した目的が――前提であるように思えたからだ。
「六十億もの命をこの体に招けば、それこそ素晴らしい快楽を得られるでしょう。それこそ、この世全ての欲と言えるでしょう」
そして、その予感は現実となる。
「それでも十分満たされるでしょうが、貴方がそれを良しとしないならば、力ずくで貴方たちを倒す必要がある」
それは間違いない。
キアラさんが目的を達成するには、今の管理者を倒し、月の所有権を得る必要があろう。
「それが叶うならば、世界一つが最大規模とはならないでしょう?」
分かる。分かってしまった。
彼女が何を求めているか。
世界一つでも良かった。だがそれ以上が望めるならば――
ムーンセルの所有権を得て、一体何をしようとしているのか。
「利口ですね。ええ、貴方の察する通りです」
招き入れるように手を大きく広げて、キアラさんはその願望を口にする。
「――そう。ムーンセルが観測する無限の平行世界。その全ての人間を、ただ一時に受け止めます」
「――――――――」
「六十億どころではない。百億、千億、兆、京、垓……一体幾つになるでしょうね。ふ、ふふ――」
感極まったとばかりに、笑みが口から零れる。
やがてキアラさんは肩を震わせ、もう我慢できないと腹を抱えて呵呵大笑した。
「は――あははははははは――! 月に認識できる全ての人間! 全てに纏めて貪られ! この肉体を食い荒らされて! 欲望のままに蹂躙される! ねえハクトさん!? メルトリリスッ!? 地球という星で得られる最大の快楽! どれ程のものなのでしょうねッ!?」
――寒気のようなもので、総身が沸き立った。
「――――――――ッ」
メルトでさえ、その表情に恐怖を表し。
相棒であるアンデルセンでさえ、見たこともない嫌悪に顔を歪めた。
狂っている、としか言いようがない。
そもそもその願望はおよそ人が持てるものではない。
文字通り、次元が違いすぎる。如何に人を逸脱したキアラさんであろうと、それほどの欲を一身に受けたらただではすまないだろう。
――いや。それが彼女の目的なのだ。
究極の快楽、一瞬にして永遠の絶頂を迎えることのみを、キアラさんは望んでいるのだ。
「理解してほしいなどとは言いません。私の理解者は私だけで十分です。さあ、始めましょうや、私という災厄から世界を救済するならば、私を倒してくださいまし」
膨大な欲から、ごく僅かな戦意が表出する。
しかし、その欲はおよそ観測できる範囲にない。
ごく僅かといえどもあまりにも濃く、圧倒的なそれは女神の戯れを思い出させる。
「――ハク。良いわね」
だが、メルトの目に諦めはない。
正気を取り戻したようだ。その目は、より怒りに満ちている。
メルトは全てを懸けて、目の前の怨敵を討ち果たさんとしている。
自身が知る姿よりも酷く変生した彼女を。自身が知る望みよりも酷く昇華させた彼女を。
「ああ――勿論」
ならば、それに力の限り手を貸そう。
世界を守るために。未来を守るために。全てを守るために。
以前の最後の戦いとは違う。自身の歩んできた道程を否定しないための最終決戦ではない。
知らない者も含めて、地球のあらゆる命を救うための最終決戦。
「和光同塵――真如波羅蜜。慈悲です、戯れと致しましょう。これが私の成す、最後の善行です」
怨霊たちが一斉に睨みを向けてくる。
敵を見つけたのだ。自身が肉体を貪るを妨げようとする憎き敵を。
「……いよいよ最終章か。殺生院 キアラ! 悪の権化よ! 覚悟は良いか!」
「ええ。これを以って、衆生の救済と致しましょう。では、皆々様、済度の日取りでございます。天上解脱――なさいませ」
恐らく、いや、間違いなく、彼女はこれまで戦った誰よりも強いだろう。
勝率はもしかすると、限りなくゼロに近いかもしれない。
百戦って、一回たりとも勝てない。千戦って、一勝を拾えるかどうかかもしれない。
では果たして、だからといって諦めるだろうか。
――馬鹿げている。そんな絶望的な可能性を、これまで何度も経験してきた。
そもそも聖杯戦争での戦いだって、最弱のマスターであった僕を勝たせてきたのは実力ではない。
限りなく低い可能性を絶対に掴み取らんとする意地。どうしようもない諦めの悪さ。
それによって繋いできた絆。そして何より、最も慕い、最も愛するメルトがいる。
全ての世界の、あらゆる愛。それを束ねんとするキアラさんの膨大な愛に勝るとは言わない。
だが、これは僕にとって掛け替えのないものであり――どんなものよりも勝利を確信できる要素である。
「絶対に――負けない」
「では、その意地。私に見せてくださいな」
敵を見据える。世界の遍く愛を集める大穴、ヘヴンズホールともいえる存在を。
「ええ、いきます――いや」
全てを担う者として、これまでを歩いてきた。
月の裏側での戦い。一連の事件を起こした最悪の存在。
欲の塊が巣食う夜が明けるのは近い。その瞬間が、全てが終わるとき。
明日の朝日を迎えよう。明日という日付を観測しよう。明日もまた、生きていよう。
「いくぞ、不正データ・殺生院 キアラ――――僕たちは、明日へ向かう。夢を醒ます時がきた」
時の動かない、たった一夜。それはようやく終わりを告げる。
さあ――これが最後の戦いだ。
全身全霊を懸けて、究極最終の敵を打ち砕く――――!
VSヘヴンズホール 随喜自在第三外法快楽天・殺生院 キアラ
最終決戦、開幕――
キアラの本当の願いは、こんなところになります。
原作よりちょっと加速させてみようって思ったらマジキチになりました。何故だ。
そろそろ予告は自重します。多分。