三人目のマスター――の姿は、見当たらなかった。
どうやら、この旧校舎全体を舞台とした遊びの真っ最中らしい。
名前を呼んでも出てこない。何処にいるかも分からない以上、探していてもキリがないか。
しかし、間接的にそれを伝えることはできそうだ。
「そうか。ようやく君は、表に帰れるのだね」
彼女の保護者といっても過言ではないサーヴァントを見つけることが出来た。
聖杯戦争という戦場においては不相応だが、戦いの最中ではない校舎では妙にマッチしたスーツ姿。
相変わらず何かを見透かしたような飄々とした立ち居振る舞いは、彼が世界の創造主であり幻想の脚本家であるという出自と性質を大きく表している。
「それで――ありすはどうなるんだい?」
キャスターのサーヴァント、ルイス・キャロルはすぐに確信を突いてくる。
「……地上に生きた体のあるマスターなら、帰還できる。ありすは――」
この旧校舎における、全てのマスターに帰還の道を用意する。
それが最も好ましい手段であった。
ながら、それは適わない。
ありすの肉体は既に地上には存在しない。
サイバーゴースト。精神体が本体である彼女は地上に戻すことが出来ないのだ。
「――地上には、戻れない。多分、月から出ることは出来ない」
「……なるほど。やはりか……だが、無限に連なる平行世界だ。ありすの戻れる世界もあるのではないか?」
「多分無理だ。元々体がない以上、短い時間で探せる世界はないと思う」
暫く時間を掛ければ、或いはありすが帰還できる平行世界も見つけることが出来るかもしれない。
だが、時間制限があるというのが問題だ。
全員の帰還先を探すにおいて、その工程を行うのは恐らく不可能だろう。
だから、ありすに関しては一つ、別の解答を見出した。
「だから――ありすには暫く、月に残ってもらおうと思ってる」
「――――ほう」
地上とのリンクのない電脳体であるのならば、AIと同列の転移処理が比較的容易だ。
これも同様に時間が掛かる。それに、並列処理が不可能なため出来て数名という制約が付きまとうだろう。
帰還には時間が必要だが、中枢への転送に向いている。
ゆえに、ありすにはそう説明しようとしていた。
キャスターは顎に手を当て、考えている。
「まあ、それで良いだろうね。ありすは君に懐いている。君の近くにいればありすも退屈しないだろう」
「そう、なのかな?」
「まったく、鈍感だな、君は。君の言うことならば聞くだろうさ」
苦笑するキャスター。だが、彼の言葉は本当なのだろう。
キャスターはありすのために全てを擲てるほどに、愛を注いでいる。
ありすの世界の外で、ありすの事をそれこそ誰よりも理解しているといっても過言ではない。
思考を巡らせながら――キャスターは窓の外に目をやる。
「良い夜だ。これが作られたものだなんて、到底信じられないな」
優しい目だった。
子供に話を読み聞かせているような、慈愛に満ちた穏やかな目。
当然か。それがルイス・キャロルという存在だ。
ふと見つけたものから、無限に物語を広げて、独自の幻想を描いていく。
その全ては、夢見る子供たちのために。
生前から彼は、その性質だけを『英霊らしさ』として肌身離さず持ってきたのだ。
「これならありすも、いつまでも飽きないだろうね」
「いつまでも、って……それはありすも望まないんじゃないかな」
「どうだか。私もそこまでありすを分かっている訳ではないが」
肩を竦めて、キャスターは嘆息する。
至極残念そうに言いつつも、キャスターは一冊の本を取り出した。
「――宝具?」
「取って置きさ。私の、二つ目の宝具だ」
彼の一つ目の宝具の情報は持っている。
それは、キャスター自身も知っているのだろう。
たった一人の少女を中心にして展開する、特殊極まる固有結界。生み出すのは自分の心象風景ではないというのが、一層特殊さを際立たせる。
キャスターには、更にもう一つ宝具があったというのか。
――その本は、豪奢だが外面に文字は書いていない。
規則性を持った装飾ではなく、様々なそれを混ぜ込んだようなデザイン。
「消費型でね。使えば戻ってこない。だが、ありすがその先に行けるのであれば、惜しむこともないさ」
その本を開くことはなく、背表紙を手で撫でるキャスター。
効果を教えるつもりはない。そう彼は目で告げていた。
「失礼、時間が迫っている。あの子達を探さなければね」
本を再び仕舞いながら、キャスターは背を向ける。
「ありすには私が話しておこう。これからも、遊びは続くと」
ありすにとって、それはどんな言葉なのだろうか。
これからも、というのが嬉しい言葉になるか、或いは別の意味に取るか。
ありすにしか分からない。彼女の無邪気の中にあるものはきっと、キャスターにも見えていないだろう。
「後は……そうだな」
数歩歩いて、キャスターは立ち止まった。
何か他に、話すべきことはなかったか。
それを探るようにキャスターは思案し、思い立ったように頷いた。
「幸運を、と言っておこう。泡沫の夢はまもなく終わる。夢に呑まれないように、精々気をつけるといい」
「ああ。ありがとう」
――僕が聞いたキャスターの言葉は、それが、最後だった。
何食わない世間話のように軽やかで、重みを持たない即興の
それを歌う彼の姿を見るのも最後。
そんな事を感じさせない、飄々とした歩み。
図書室の扉を開け、入っていくキャスターの横顔は、至極楽しそうだった。
最後に訪れたのは、用具室だった。
用具室然とした散らかり方ではなく、人の色を濃く映し出した一室。
その部屋の住民は、既に二度、サーヴァントを失ったマスターだ。
更に、先程彼女は最初のサーヴァントと二度目の別れを経験していた。
アルジュナの凄まじい信念を目の当たりにしたジナコは――やはり、部屋に寝転がっていた。
「いらっしゃいッス、ハクトさんー。ま、込み入った話の前にとりあえずぶぶ漬けでも飲むッスよ」
いつもの調子で、ジナコはスクリーンに目を向けたまま対応をしてくる。
どうやらゲーム中のようだ。忙しなく手を動かしながらも、ジナコは鼻歌を歌いながらプレイしている。
ちなみに、ぶぶ漬けを勧めるというのは日本の古い風習で「帰れ」と婉曲的に伝える意味がある。
「座布団は出す気ないんでそこら辺にシッダウン。帰るなら自由ッスけどねー」
その言葉を終えると同時に、スクリーンに「クリア」の文字が出現する。
「あ、そうだ。何なら対戦ゲームでもする? イカれた対戦ツール見つけたんだけど、これすっごいの。コマンドはジャンプとキックだけ。キャラも使いまわしの二人。まったく、不毛な、何のためにやるんだか分からないゲームなの。――で、何の用ッスか?」
スクリーンに目を向けたまま、ジナコは本題に入れと告げてくる。
そんなジナコに、僕は全てを話した。
生存の可能性。まだ終わっていない、と。
「……ん、まあ、知ってたッス。生徒会室での話、聞いてたから。なんたら礼装だっけ、解放乙ッス」
スクリーンを消して、ようやくジナコは此方を向いた。
どうやら既に、事実について聞いているらしい。
「とは言っても……生き延びれるって言われてもまったく実感なんて沸かないッスけどね」
「実、感……」
「誰だってそうでしょ? 死んでた筈なのに、生き返ったって。どういう仕組みなんだか」
確かに、そうか。
死ぬという運命を確約されたと思えば、その運命が覆っていた。
納得できない、理解できないというのが正常なのだ。
ジナコだけではない。他の皆も、もしかすると半信半疑なのかもしれない。
「これで全部終わって、実は死ぬってんならまだマシ。ぶっちゃけ問題は、本当に地上に帰れたらのことだよね」
「え……?」
「生き残って、地上に帰って、何が出来るんだろうってさ。ほらアタシ、ネガティブシンキングだし」
ジナコの表情と言葉からは、自己嫌悪が見えた。
しかし、どこかそれは、今までのそれとは違う。
「やっぱり、生きたいよ。でもさ、今更アタシが社会に戻って何が出来るの?」
ジナコは、未だ悩んでいるようだ。
自身の生きる意味。怠惰を極めた自分に、何が出来るのか。
だが、それを問われても、僕は答えを出せない。
「……それは、ジナコが考えなければならない事じゃないか?」
「……うん。そッスね。多分、アルジュナさんでもそういうと思うッス」
なんとなく、分かった。
ジナコはその口ぶりとは裏腹に、卑屈さが幾分か消えているのだ。
「『それは私ではなく、貴女が出すべき答え。私が出来るのは、貴女が答えに辿り着く手助けくらいです』って感じで。その通りすぎて、ぐうの音も出ないッスよ」
しかし果たして、ジナコはそれに気付いているか。
この月の裏側で彼女は確実に、大きな一歩とも言えるそれを何歩も踏みしめている。
その変化は、明らかだった。
「ほーんと、どうしよ……ハロワとかマジありえないし。そもそも、やっぱり働くとか……」
ジナコはぶつぶつと呟きながら考え込む。
そう――これが、ジナコの変化。
既にジナコの内心は、「自立」という方面に固まっているのだ。
「ね、ハクトさん。ムーンセルの力で、それなりに都合の良い世界に……」
「えっと……多分、そこまで時間がないと思う」
「ですよねー。世の中、とことん上手くいかないッスねー……」
露骨に嘆息するジナコだが、その顔が完全に落胆に染まった訳ではない。
ごく僅かに見えるのは――希望。
「まあ、それなりに頑張るッスよ。アルジュナさんにもフランさんにも、散々に言われてたし」
フランさんは喋ってないけど――そう付け加えるジナコは、笑っていた。
彼女は二人のサーヴァントに、大きく動かされたのだ。
アルジュナは、ジナコを少しでも良い道に導こうとしていた。
フランは、ジナコを閉鎖した世界から出そうとしていた。
結果として、ジナコはその二人によって前に進むことが出来たのか。
「何が出来るかわからないけど……何かをする自由はアタシにもあるよね。まだ、もう少しくらいなら――時間あるんじゃないかな?」
「――ああ」
今まで何もしてこなかったと、ジナコは自覚している。
だが、だからといってジナコに価値というものが無くなったなど誰が言えようか。
ジナコの価値を決定するのは、他でもないジナコだけだ。
「駄目な人が、いつまで経っても駄目とは限らないし。そんな訳だから、ハクトさん、頑張って」
「ありがとう。ジナコは――」
「ジナコさんは、ここで待ってるッスよ。ここから先に、何が待っているにしろ、ボクはその結果を見届けさせてもらうッス」
ジナコは、苦笑しつつそう言った。
「何かお手伝いしたいッスけどサーヴァントもいないし。陰で応援してるッスよ……あ、そうだ」
「え?」
「ハクトさん。これ、使い道あるッスか?」
ジナコは、手を差し出してくる。
そこにあるのは、最後の一画となった令呪。
一つをフランの言葉を聞き受けるために。
一つをアルジュナの最後の手助けに。
そしてまだ、ジナコには一つ令呪が残っていた。
「使い道……」
「サーヴァントなんていないけど、誰かにあげるのも何かアレだし。役に立てればなーって思うんだけど」
「……令呪は本来、純粋な魔力だから、使おうと思えば色々できる。サーヴァントへの命令だけじゃなくて、難しい術式に加工したりとかなら可能だよ」
「……へー。そんな事、出来たッスね」
ジナコは感嘆しつつ、その令呪に手を置く。
「わざわざ来てもらって悪かったッスね。でも、もう休んだ方が良いッス。最後の戦いが待ってるんでしょ?」
それは、ジナコなりの激励なのかもしれない。
この事件に巻き込まれながらも、最後まで部外者を貫き通したジナコ。
この事件の中で、サーヴァントによってようやく希望を見出したジナコ。
彼女はまだ、救うことが出来る。閉鎖された部屋から、世界へと歩みだすことができる。
そう確信できた。
アルジュナとフランの大きな成果は、確かに彼女に根付いていたのだ。
というわけで二者懇談でした。
ぶっちゃけ本作で一番成長してるのってジナコさんだと思います。
次回は多分、マイルームの変です。多分。