大剣を振り下ろしたと同時、柱から飛び出してきた凄まじい奔流。
「ッ、もう一度です――!」
ヴァイオレットが呼び出したのは、またも天馬だった。
攻撃において、彼女が最も信頼する幻獣。
どうやらそれは、防御性能に関しても言えることらしい。
天馬は攻撃性能のみならず、こと防御に関しても鉄壁を誇る。
突進は言わば、城壁そのものだ。
神秘の守りを以ってして、波を防ぎきる。
その間に、大剣を泥の中に戻す。必要があれば、他の宝具に頼ることになるかもしれない。
ようやくその流れが消える。柱が壊れ、そこには、
「あれは……」
大渦があった。
柱の跡を中心とした先程とは逆の流れは、水のように透き通った、膨大な魔力を統率している。
あれが、女神の神性。
人間に視認できる限り、最も女神の本体に近い姿。
渦の中心こそが、この世界全ての中心へと変化する。
重力すらも動かしたように引き寄せられる体を、身体強化を続行させることで耐え抜く。
僅か海をたゆたうだけで大渦を引き起こす神。メルトを構成する女神の中に、そんな存在が一柱いる。
「……レヴィアタン」
その名に対し、肯定と言うように渦の勢いは増す。
レヴィアタン。旧約聖書において最強の生物と称される怪物。
大空を統べるジズ、大地を統べるベヒモスと並び、レヴィアタンは大海を統べるとされる。
「あれを倒せということですか。……どうにも、凄まじい大任を引き受けてしまったようです」
ヴァイオレットは苦い顔をしながらも、右腕を鞭に変化させる。
ここから先は、一切油断が出来ない。
相手は女神だ。油断などすれば、それが即ち死に繋がる。
「行きますよ、マスター。ノートが貴方に力を貸した以上、貴方も力を尽くしてください」
「ああ……そのつもりだ。行くよ、ヴァイオレット」
女神は此方の初撃を待ち受けている。
それが慈悲というものか、もしくはその初撃を物ともせずに望みを絶とうとしているのか。
どちらにせよ、待ち受けているのならば此方から行かせてもらおう。
ヴァイオレットに指示を出し、術式の用意をする。
宝具は全てを把握している訳でもなく、咄嗟に使用できるものではないため留意のみに留める。
筋力強化を込めた斬撃。鞭へと変化させた腕はまっすぐに渦へと伸び、一閃、引き裂いた。
「っ……」
渦は勢いを弱めない。
しかし、今の一撃によって変化が生まれた。
「牙……?」
渦巻く水流、それを大口に見立てたように、輪状に尖った牙が現れる。
大口……ならば、流れに呑まれれば、食われる。
「マスター、何かが来ます。防御の用意を」
「分かった――」
ヴァイオレットの分析は確かなものらしい。流れが一時的に止まり、膨大な魔力は牙の中心に留まっている。
盾の術式を用意する。更に、泥の中から防御に適した宝具を検索する。
――複数一致。再検索、防御力に優れ、小回りが利くもの――発見。出力。
出現したのは、小型の盾。
円形の中心部の周囲を四つの黄金が囲い、更にその外に突き出た四つの突起。
右手に持ち替え、攻撃を待ち受ける。
魔力の塊がふと輝いた瞬間、炎の塊が飛んできた。
「ッ、ぐっ――!」
盾の術式で勢いを減衰させた状態で、受け止める。
身体強化をより強め、衝撃を耐える。
手が痺れる。盾を手に持って攻撃を受けるというのは、これほどの衝撃を受けるものなのか。
「次です、マスターッ!」
連射。ヴァイオレットは自身に襲い来るものを捌きつつも、此方の負担を減らしてくれている。
連続で受け続ければ、いつかは限界が来る。
だが、この盾の性能によって限界を引き伸ばす。
ケルト神話の英雄が持っていたこの盾の能力、それは受けた力の記憶と貯蔵だ。
攻撃を受けたこの宝具は特殊な魔力炉として機能し、受けた力二つ分の魔力を作り、貯蔵する。
「づっ、まだ――まだだ――!」
そして記憶。
同じ系統の攻撃を受ければ、作られた魔力が衝撃を肩代わりする。
一度宝具の攻撃を受け止めていれば――たとえ真名解放をされようとも二度ならば、難なく受け止める。
その記憶をいつ使うかは担い手次第。受け切れないと判断したときにそれを使用し、どうにか攻撃を耐え続ける。
いつ終わるか。それは分からないが、耐え続ければいつしか隙は現れる筈だ。
受けて、受けて、受けて、受けて、受け続ける。
「っ、ふ――――ぅ」
数十という炎を受けて、ようやくそれが止まる。
隙か――いや、違う。
「マスター、下がって!」
圧倒的な魔力が、此方に向けられている。
まるで興が冷めて、この戯れを終わらせようとばかりに。
「……駄目だ」
「なっ……」
「ヴァイオレット。これを防御してから、反撃に転じる。魔眼を使うことになるけど、良いかな?」
それは、ヴァイオレットのSGだ。
秘密である最強の能力を使っていいか。
「……それは構いませんが、あれを防ぐ手段は――」
「きっと、大丈夫だ」
許可は得られた。ならば、この攻撃を全力で耐える。
盾を前に出す。記憶と貯蔵を能力として持つ盾の真名解放は、その性能の変則使用にある。
轟、と唸りを上げて、女神は魔力を解き放とうとする。
待ち受けるは、同じく大海を意味するという説もある叫びの盾。
真名を解放すべく、口を開く。光が見えたのと同時、盾の真髄を引き出す。
「
記憶、貯蔵した魔力全てを解放することで、万能の防御力を発揮する。
全体が黄金に輝き、薄く伸びた魔力となった盾。
四つの鋭利な黄金が構成する盾の中心に、絶大な魔力が飛び込んでくる。
盾の力が如何に強くても、それを持つのは僕自身。
全身に力を込めて堪える。
盾の力も持つか分からない。凌ぎ切れるか――
「ッ――、――――!」
盾が力を使い果たして光を消していく。魔力の奔流による風圧が真正面からぶつけられる。
だが、既に攻撃力はなくなっていた。
ギリギリだが、耐え切った。待たず反撃に転じる。
「ヴァイオレット!」
ヴァイオレットが前に出て、眼鏡を外す。
最上位の石化の魔眼。それを以ってしてもあの女神の動きを封じることは出来ない。
それでも、攻撃の間隔を延ばすことはできる。
その間に新たな攻撃を――見つけ出す。
筋力強化を足に回し、力の限り跳躍する。
ヴァイオレットを攻撃範囲に入れる訳にはいかない。これで女神のみを、暴威は襲う。
「行け――――
遥かギリシャ神話、トロイア戦争で武勇を謳った戦士。
増え過ぎた人々を間引くべく繰り広げられた戦争において、トロイア側最強の勇者と名高い大英雄。
その名を、ヘクトール。
アキレウスの好敵手にして、単機でアカイアの軍を敗走寸前にまで追い込んだ実力者でもある。
たった一つの盾を除き、あらゆる戦士を打ち破った槍の投擲はもちろん彼自身の技量によるものであろう。
だが、それがなくとも一定の攻撃力を引き出すことは出来る。
出現させた槍。投擲の姿勢だの、技術だのは当然持ってはいない。
それでも、この槍は正しく使えば宝具として力を発揮する。
魔力を込めて、敵を見据える――そして、放る。
「ぐ――っ!」
槍は後方にその魔力を噴き出しながら、真っ直ぐと駆けていく。
槍自身の圧倒的な攻撃を確実に届けるために、込めた魔力は噴射機構として扱われる。
穂先は破壊の権化。魔力を伴う槍は、真実流れ星の如く。
女神はそれを躱すことなく受け――
「な……!?」
真っ向から、跳ね返した。
迫り合うということもなく、槍は無抵抗にその力を失う。
「ッ、マスター!」
体が後ろに引っ張られる。
ヴァイオレットによって後退させられたのと同時、反撃の炎が巻き起こった。
今までとは比べ物にならないほど広範囲。
「――――!」
あまりにも大きすぎる。ヴァイオレットの敏捷を以ってしても、回避は叶わない――!
『――い――おい――生きておるか』
「――――ッ」
……、生きている。
視界に光が戻れば、先ほどまでいた場所よりも随分と離れていた。
「マスター、無事ですか?」
「っ、ああ……」
どうやら、なんとか攻撃範囲から逃げ切れたらしい。
女神は近付く、もしくは再び攻撃するのを待っているようだ。
「……しかし、一体何が……? 私は、回避が間に合わなかった筈ですが……」
『そうさな。我が助力をせずとも、逃げ果せたと思うが』
「ッ」
聞こえた気がした、というレベルだった幻聴。
それは紛れもなく真実だと言わんばかりに、再度聞こえた。
ヴァイオレットと共に、警戒するように周囲を見渡す。そして、一つの変化を見つけた。
「柱が――」
中央の柱が、消え去っている。
確か――『我、流るるままに』、最も分かりにくい言葉を告げてきた女神が、外に出ている。
「マスター」
ヴァイオレットが、一点を指す。
そこに、人影が一つ。
「……メルト?」
『の、殻を借りておる。我が何者であるか、分かるか?』
それはメルトでありながら、メルトではなかった。
輪郭だけを保ち、陽炎のように薄ぼやけた姿で僕たちと相対しているのは、女神の一柱だ。
残る一つの柱は健在。
流るるままに。その文言とその女神を紡ぎ合わせるのは容易だった。
「サラス、ヴァティー……」
『その通りじゃ。面と向かって語らうのは初めてじゃのう、ご主人様?』
圧倒的。その一言に尽きる。
戦いという緊迫した状態ではない、極めて静かな状況で高位の存在と相対していることは、心臓を直接掴まれているかのようだった。
王との謁見。それを数倍数十倍に重くしたようなものだ。
少しでも目を離せば、呑まれる。そんな感覚は、確信だった。
『ああ、言っておくが畏まる必要はないぞ。貴様は我のご主人様なのじゃからな。特例じゃ、そこな混合物も楽にしてよい』
混合物――女神の集合体たるアルターエゴを揶揄したものか、その言葉はヴァイオレットに向けられている。
僅かに眉を顰めているも、ヴァイオレットは何も言おうとしない。
「――――ぁ」
女神であることを実感したからか、言葉が上手く出てこない。
だが、相手は紛れもなく神だ。
この独特の雰囲気は彼女にとって当然のもの。それを真っ向から受けなければ、認められる筈がない。
『ふむ。楽にせよと言っても急には出来んか? まあ、人並みの信仰があるのはよいのだが』
「――、あの」
『なんじゃ?』
「貴女が、助けてくれたんですか?」
どうにか、言葉を搾り出す。
すると、ぼやけた輪郭は顎に手を当て思案するような形を取る。
『まあ、そういうことになるが。謝辞はいらんぞ。我らの人間への行いは全て戯れよ。永く生きておると、俗世に目を向けねば退屈で死にかねん』
そうなると、運が良かったのだろうか。
たまたまサラスヴァティーが此方に目を向けて、たまたま彼女が危機に手を出しただけ。
「――サラスヴァティー」
『……む? なんじゃ混合物』
「ヴァイオレットです。その戯れついでに、何か助言をいただけませんか?」
『傲岸じゃな。吝かではないが、貴様の言葉に耳を傾ける理由が存在せぬ』
何処吹く風、といったようにサラスヴァティーは余所見をする。
ヴァイオレットには耳を傾けない。
ならば、僕ならばどうなのだろうか。
「……サラスヴァティー。どうか、力を貸してほしい」
『うむ、うむ。それでよい。マスターならば物乞いたるべきよ。今の本体は貴様に頼られるのを求めておるゆえな』
満足そうに――輪郭の動きで判断したが――頷くサラスヴァティー。
本体、それは即ちメルトのことか。
ならば彼女は、メルトの心情を尊重しているのか?
『それで、我は何をすればよい?』
「教えてほしいんだ。あの女神――レヴィアタンに打ち勝つ方法を」
『打ち勝つ……とな?』
輪郭が首を傾げた。何を戯けたことを、と言わんばかりに。
『何を言っておるか解せんが、勝つつもりならば諦めよ。そもそも人の身が我らに剣を向ける自体無意味な事じゃ』
「え――だけど……」
『無理なものは無理じゃ。神に勝てるものは神しかおらぬ。それはレヴィアタンの小娘も理解しておる筈。そのような試練を与えるものか』
じゃあ、一体どうすれば……
『まあ、あやつは無情な加虐趣味よ。貴様が弄り甲斐があるというのは解せんでもないが……』
「えっ?」
『くく、少し興が乗ったのかのう。とはいえ、それでは本末転倒じゃ。間に合わぬのでは話にならん』
追求する前に、サラスヴァティーは自身の結論を出す。
間に合わないのでは――つまり、彼女たちも中枢への帰還を望んでいる?
『暫し付き合おう。だがその前に――』
重く圧迫された雰囲気が、気のせいか揺れる。
そして、
『――――やっぱ、私無理。こういう口調難しいや』
「は?」
そのまま雰囲気は霧散して消し飛んだ。
『ごめんごめん、ちょっとからかっただけなんだ。まさかそこまでビビっちゃうと思わなかったよ』
腕を伸ばし、体を解す動きをしながら、女神はくすくすと笑っている。
その変貌ぶりにヴァイオレットまでもが絶句している。
『だって神様ってこんなイメージじゃん? アルトちゃんもレヴィちゃんもそんなんだし、私一人これってのも威厳がないし』
「……」
『なに? 流れるものを司る女神様がこれじゃ駄目?
音を立てて、僕の中にあった女神像というものが崩れ去っていく。
『ま、これも俗世に順応する女神の形って事で、よろしくー。んじゃ、んじゃ。始めよっか、ご主人様?』
予想して然るべきだったのかもしれない。
メルトを構成している女神に、少なからず
金色白面→フランチェスカ。
というわけで九尾キャス狐枠で登場のサラ子ちゃんです。
元々予定ではもう少しフランク感落とした感じだったんですが、fakeみた影響か気付けばフランチェス感が増してました。
前書きからフランチェスカフランチェスカうるさくてすみません。フランチェスカかわいいよフランチェスカ。
『
ケルト神話の王クルフーアが持つ盾。
カラドボルグの斬撃を三度耐え、持ち主に起きた危機を叫んで遠方の味方に知らせたという。
同じ武器による攻撃ならば一度耐えておけば後二度は完全防御を約束される。
また、貯蔵した魔力を一気に解放して単純な防御宝具としても機能する。
『
ギリシャ神話、トロイア戦争におけるトロイア軍最強の戦士ヘクトールの槍。
その投擲はアイアスの盾を除き、あらゆる守りを貫いた。
投擲に込めた魔力を噴射に使い、圧倒的な速度と威力で敵に突き進む。
アキレウスの宝具と同じ名前なのは、彼の宝具の性能は対ヘクトール用に作り出したものという点から。
アキレウスなりの皮肉なんじゃね? という謎の発想。
次回は多分フラ……サラ子ちゃんがめっちゃ女神します。多分。