アレですよアレ。六日目の……
「さて、行こう……」
翌日、改めてやってきたアリーナには、未だに固有結界が展開していた。
またしても虚無感に襲われ、気がつくと全ての名前は記憶から消え去っていた。
「さぁハク、その文字を口に出して」
「う、うん」
隣のサーヴァントに言われ、腕に書かれたそれを見る。
昨夜、
今はその単語の意味は分からないが、これこそがきっと自分の名前。
この結界を解除するため、単語を高らかに宣言する。
「――フランシスコ・ザビ――!?」
待て、落ち着け、まだ慌てるような時間じゃない。
落ち着いて素数を、いやそんな時間は無い。
この単語が何なのか分からないが、間違いなく、致命的に間違っている。
「ま、まさか、本当に、ふふ、言うなんて……!」
おいそこの腹を抱えて笑っている駄サーヴァント、後で覚えてろ。
恐らく正しい名前はこのフランシスコな単語の下に書いてある控えめなものだ。
「――紫藤 白斗!」
その瞬間、侵入者を拒むように張り詰めていた空気が一瞬で変わった。
連なる木々が消えていき、黒と白の世界は終わりを告げる。
固有結界が解かれ、名前が戻ってくる。
そして平常に戻ったアリーナで、目の前に待ち構えていたのは二人のありすだった。
「あぁ……名無しの森が消えてしまったわ」
「残念ね……別の遊びを考えなくちゃ」
正直これ以上は勘弁だ。
最初には怪物、次は名前を忘れる固有結界。
あの少女は一体何者なのか。
「大丈夫よ
「本当? 壊しちゃっても大丈夫?」
その会話に臨戦態勢をとる。
「大丈夫だわ、
「そうね、最後まで取っておくものよね。じゃあね、お兄ちゃん!」
またしても何もせずに戻っていくありす達に不審を抱きつつも、彼女達が残した情報は聞き逃さない。
「名無しの森……それがあの固有結界の名前」
明日になったら図書室で調べてみよう。
にしても、例えありすが優秀な魔術師だったとして、あれ程の固有結界を長時間展開することは可能だろうか。
サーヴァントがいかに固有結界の展開に特化した英霊でも、その負荷はマスターであるありすにも掛かる筈だ。
二人で一つのサーヴァントと契約する事で、その負担を半減しているのだろうか。
メルトに聞いてみても「わからない」の一点張り。
何か疚しいことでもあるのではないかと言いたくなるが、ともかく自分で出来る限りの事をしよう。
アリーナの最奥でトリガーを入手し、決戦に赴く為の最低条件は整った。
後はありすの不可解な点を明かしていくだけだ。
「……
五日目の朝、図書室に行く前に教会の二人にも相談してみたところ、返ってきた回答は想像だにしないものだった。
「そう。あの子は何度か見たことあるけど、十中八九ゴーストとみて間違いないわ」
「サイバーゴーストなら身体的制約を受けずに巨大な魔力を扱える。魂が燃え尽きるまで魔力を生み出せるんだ」
サイバーゴースト。
肉体を持たない精神体。
死者のデータが精神だけの存在として彷徨う現象。
ありすがそんな存在だとは信じたくない。
だが、あの規格外の能力は、精神体であれば可能な事なのだ。
人間の住んでいないムーンセルでは人が死ぬ事も無く、ゴーストも発生することはない。
ゴーストとしての存在がありえるのは、元から“死んでいた”マスターだけなのだ。
デフォルトの状態が「既に死んでいた」のなら、ムーンセルもゴーストを許容するかもしれない。
「しかし、ただのゴーストがあれほどの魔力を持ち合わせるとはよほどサーヴァントとの相性がいいのだろうな」
「相手のサーヴァントのクラスは分かっているの?」
「はい。恐らくバーサーカーだと思います」
青子さんの問いで思い出す、怪物の凶悪さ。
あれ程の力を持つクラスといえば、やはりバーサーカーが最適だろう。
そう思ったのだが、青子さんも橙子さんも目を丸くしている。
「バーサーカー? 何かの間違いじゃないのか?」
「え?」
「あっちは固有結界を使ったのだろう? 理性を失ったバーサーカーにそんな大規模な魔術はそぐわないだろう」
「固有結界は魔術の中でも最高位に位置するものよ。順当に考えればクラスはキャスターになると思うわ」
キャスター……? あの怪物が?
「まぁ、そこにも一つや二つ、からくりはあるだろうがね」
どうにも考えられない。
あの怪物が魔術師のクラスに据えられるなど、普通は思えないだろう。
やはりジャバウォックはサーヴァントではないのだろうか。
「ものの見方が逆なんだ。バーサーカーに固有結界は使えないが、固有結界の展開に特化したサーヴァントには戦闘能力が備わらない」
「呼び出したか、作り出したか。先だったのはどっちかなって事よ」
成程、あの怪物と固有結界を別々のものと考えてはいけないのだ。
あの二つは別のものではなく、同じ逸話からなるものなのだと。
とりあえず図書室でその事についても調べようと、二人に礼をいって教会を後にする。
するとちょうど通りかかったのか、二人のありすと目が合う。
「あ、お兄ちゃんだ」
「また怖いことされちゃ大変だわ。逃げましょう、
「そうね、早く逃げなきゃ」
良く分からないが、避けられているようだ。
「どこへ行こうか?」
「お話が読みたいわ、
「いいわね、お話を読みましょう、
ありすは逃げるように転移してしまった。
お話を読む、という事は図書室だろうか。
サイバーゴーストの件、聞いてみたほうがいいかもしれない。
図書室に行くと、ありすが本を読んでいた。
「白いウサギ、ここにはいないよね」
「そのウサギ、
「
「ひどいわ」
何の物語だろうか。
「白いウサギ、つかまえてどうするの?」
「くびをちょんぎっちゃうの」
「きゃあ! 大変ウサギさん、いそいでにげなきゃ!」
「でもね、白いウサギはきっとここにいるの」
「どうしてわかるの?」
「だって、わたしたちのこと、じっと見てるもの」
一瞬、黒いありすの目が此方に向けられた気がする。
「じっと見てるなら、一緒に遊べばいいのに」
「だめよ、遊ぶのはもうとっておかなくちゃ」
「そうだったわね。じゃあね、お兄ちゃん。今度遊びましょう」
確かに二人は、此方を見た。
転移する少女が残したのは、一冊の絵本と、一枚の紙。
絵本のタイトルは『不思議の国のアリス』。
ルイス・キャロルが書き上げた、噂では聖書の次に読まれているという話だ。
そして紙には、意味の繋がらないアルファベットが連なっている。
これも何かのヒントかもしれないが、前のものと違って意味がわからない。
「おや、君か」
背後からかけられた声に振り向くと、スーツを着込んだ男性のキャスターがいた。
「また調べごとかね。君も熱心だ。良ければまた力になろうか?」
確かにヴォーパルの剣についても知っていたこの人なら紙の文字も分かるかもしれない。
「はい、これなんですけど……」
男性に紙を見せると、しばらくそれを眺めて「おぉ」と声を漏らす。
「これは鏡文字だね。右から左に読むものなんだよ」
そう言いながら、男性は懐から手鏡を取り出す。
そこに紙を映すと、それは普通の英文へと変わった。
And as in uffish thought he stood……翻訳が出来そうだ。
「荒ぶる思いで歩みを止めれば、燃え滾る炎を瞳に宿したジャバウォック。鼻息荒々しくタルジの森を駆け下り、眼前に嵐の如く現れる……これって」
以前読んだ『ジャバウォックの詩』だろうか。
文学の棚から以前のそれを取り、読んでみる。
やはりほとんど内容は同じだ。
何故こんなものをありすが持っているのだろうか。
「っと、私は失礼するよ。マスターからの召集だ」
言うが早いか、男性はどこかへ転移していく。
それと行き違いになるように、ありすがこの場に戻ってきた。
どうやら黒いありすはいないようだ。
「あ、お兄ちゃん、ご本読んでる!」
「ありす……」
「
「それがこの『不思議の国のアリス』?」
「そう、
両者を「あたし」と呼び合うのは非常に紛らわしいが、言葉の意味は理解できた。
「そうか……だからジャバウォックがサーヴァントなのかな?」
さりげなく核心を突いてみる。
子供の無防備さにつけこむようだが、この際仕方が無い。
「え? ジャバウォックはサーヴァントじゃないよ?」
やはりそうか。
ではありすの本当のサーヴァントは一体?
「ジャバウォックは――」
「しっ!
そこに黒いありすが現れる。
もう少しで新たな情報が得られるかとも思ったが、やはりそう上手くはいかないようだ。
「さ、もう行きましょう。あんまりしゃべると、夢から覚めてしまうわ」
黒いありすが消えると、ありすは此方を向き、
「じゃあね、お兄ちゃん、ばいばい」
それを追うように消えていく。
新たに得られた情報は何も無い。
だが、ジャバウォックがサーヴァントではないというのは確信に変わる。
そしてそこから行き着く一つの答え。
「――黒いありすが、サーヴァント?」
『ご名答よ、ハク。クラスもキャスターで間違いないわ』
メルトはどうやら察していたようだ。
何故話してくれないのかは定かではないが、メルトにも事情があるのだろうと判断する。
ともかく、あの少女は双子ではなく、サーヴァント。
鏡の様にそっくりな“自分”を生み出すものなのだろうか。
例えば、ドッペルゲンガーが概念として英霊化したものとか。
後一押し、何か情報が欲しいものだが……
六日目。
今までに増して、モラトリアムが短く感じる。
トリガーは余裕を持って手に入れられたのに、あのサーヴァントの正体が分からない。
どうしたものか、と考えていると、
「……なんだこの匂い?」
購買の方から漂う、かなりきつい香辛料の香り。
確かに購買に隣接する食堂では、カレー等が売られているが、今まではこれほどのものは感じなかった。
興味本位で覗いてみる。
『監督役NPC、言峰氏絶賛! 麻婆豆腐 本日販売開始!』
「……」
まるでファミリーレストランの新メニューのように旗にでかでかと書かれた文字。
コミカルな言峰神父のイラストがつけられたそれは、この聖杯戦争に相応しくない異様なシュールさを醸し出している。
単品:480PPT、セット:580PPT。
何とも怪しい安さである。
だが、あの神父が絶賛した、というのが事実なのであれば、それはそれで気になる。
「……すみません、麻婆豆腐のセット一つ」
警戒よりも好奇心が勝り、気がつけば、それを頼んでいた。
目の前に置かれたその赤い料理を「四人」で見ていた。
僕とメルト、そして同じタイミングで昼食をとりにきた凛とラニだ。
凛はチャーハン、ラニはカレーを頼んだようで、三つの料理は同時に来た。
「あの神父が絶賛って言うからどんなものかと思えば……なんと言うか、凄いわね」
「何か危険な気がしますが、気のせいでしょうか……」
二人は若干引きつつも、興味津々である。
「よければ二人も食べない?」
気になっているようだから、勧めてみる。
「じゃあ一口貰おうかしら」
凛がレンゲで麻婆豆腐を少し取り、口に含む。
瞬間、
「ッ――!?!?!?」
悪魔の様な形相で咳き込みだした。
水を一気に飲み干して、涙目のまま叫ぶ。
「な、ななななな何よこれ!? こんな中華料理の風上にもおけないモノ、ゲホっ……」
凛がおかしいことになっている。
「では、私も……」
そんな凛を一切気にしないように、ラニがスプーンで麻婆豆腐を取り、躊躇い無く口に入れた。
瞬間、
「っ……! ……………………」
「煙を上げて倒れた!?」
まるで機械の様に、ラニが動きを止めた。
「ハク、私も少しいいかしら?」
何故メルトはこの惨状を見て尚挑戦しようと思うのか。
でも面白そうなので許可してみる。
「ッ――!?!?!?」
うん、まぁ想像はできていた。
姿を消して、現れてを繰り返しながら悶えるメルトを見て、何となくしてやったりと思いながら、一瞬で二人の実力者と一人の英霊を戦闘不能にまで陥らせたものに戦慄する。
自分が頼んだのだから、自分で処理しなければなるまい。
意を決して、口に含んだ。
瞬間、
「……あれ? 美味しい?」
辛すぎなければ不満という程でもない、
神父が絶賛するだけの事はある、ご飯のお供には最適な一品だった。
「ハク……もしかして美味しいの? そのラー油と唐辛子を百年間ぐらい煮込んで合体事故のあげくオレ外道マーボー今後トモヨロシクみたいな料理が美味しいというの?」
明らかに問題が発生しているメルトの問いに極普通に頷く。
食べられないほどではない、というよりも寧ろ好物に位置しそうな代物である。
何故皆のダメージが大きいのか分からないが、とにかく冷める前に完食することにした。
尚、その日の夜、二名のマスターと一体のサーヴァントによって食堂のデータがクラッキングされ、麻婆豆腐の販売情報が悉く破壊され、販売中止となった。
麻婆豆腐は一日限りの伝説となったのだ。
モラトリアム最終日とは思えない、とてもカオスな一日だった。
翌日、決戦場へマスター達を誘うために立っていた言峰神父の顔がどこか沈んでいたのは言うまでもない。
これで決戦前話だぜ、信じられねえ。