個室に戻っても、メルトの表情は硬いままだった。
「……」
「……メルト」
未完成だったといっても、白融は戦場の只中に放り込むようなものではない。
理由不明ながら――いや、理由が不明だからこそ、メルトは心配しているのだ。
「……ハク。絶対、表に帰るわよ」
「――ああ」
普段よりもその声は、低く重かった。
表に帰る――即ち、ノートたち強敵を打ち倒して中枢に向かう。
改めて決意するメルトは、非常に怒っている。
絶対に許すまいというその怒気は――既に何度も味わった恐ろしさである。
「でも、今は休もう。メルトも疲れたでしょ」
「ええ……これ以降の衛士は強力なのばかりだと思うわ。しっかり休まないと」
ヴァイオレットとの戦いでの疲労は大きい。迷宮攻略に支障をきたさないためにも、休息は取っておかなければ。
と、そのとき、携帯端末がけたたましい音を鳴らす。
「……何かしら?」
「レオからの連絡かな……?」
先程の話し合いでの通達し忘れだろうかと思いつつ通信を繋げると、
『――ハクト君? まだ寝てなかった?』
「凛……? ああ、そろそろ寝ようとは思ってたけど」
相手は凛だった。
『ごめんなさい、その前に少し付き合ってもらえるかしら?』
「うん、構わないけど、どうしたんだ?」
『ちょっと込み入った話だから、私の部屋に来てくれる? 部屋のパスコード渡すから』
何の話だろうか……凛の声の真剣さは通信越しからでも伝わってくる。
「ちょっとリン、ハクに何を……」
『はいはい、愛しの彼を取ったりしないわよ。心配なら貴女も来れば良いじゃない』
どうもはっきり言われると小恥ずかしくなる。
凛は呆れながら言うも、メルトは当然という表情だ。
「じゃあ……すぐに向かうよ」
『ええ。大して時間は取らないわ』
通信が切れると、すぐに凛からパスコードが届く。
個室への入り口の扉は全員共通だ。
そこにキーであるパスコードを使用することで、個々の個室に入ることが出来る。
故に、部屋を出て、その扉に凛の部屋のパスコードを使用するだけで良い。
「――いらっしゃい、ハクト君、メルト」
凛の部屋は、何処か古風で、貴族を思わせるような部屋だった。
壁に寄りかかるランサーは警戒している様子はない。まあ――警戒する必要もないと判断されたのかもしれないが。
多くの装飾品の殆どには宝石が使われている。僕には想像も付かないが、何かしら用途のある礼装なのだろう。
そんな装飾品の一つに、目が留まる。
小さな鳥籠。止り木に足を絡めるように固定されている、既視感のある針金細工の小鳥。
「――」
「ん? どうしたの――ああ、それね」
凛が歩み寄ってくる。
先程の半透明な針金細工の小鳥とは違い、薄らと赤みがかっている。
違うものだと分かっていても――あまりにも、似すぎていた。
「私の切り札の一つよ。月の裏側に来てから作ったものだけど」
「錬金術ね。大した完成度じゃないの」
「どうも。まあ、専門じゃないし真似事に近いけど」
言いながら、凛は鳥籠に布を被せる。
もしかすると――気を回してくれたのかもしれない。
「――それで、どうしたんだ?」
「これとは違う、もう一つの切り札についてよ」
凛の……もう一つの切り札?
「聖杯戦争での敗北が決定して、もう助かる道なんてないだろうけど、だからこそ無茶も出来るってものよ。で、色々と礼装やら何やら、作ってたんだけど――」
凛が取り出したのは、小型の剣だった。
いや、剣と呼ぶべき代物だろうか。
礫を研磨して先を尖らせ、申し訳程度に刃に見立てただけのような刀身。月の裏側に存在する二人のセイバーが持つような聖剣と比べると、あまりにも無骨すぎる。
「これは結局、完成はしなかったわ」
テーブルに置かれたそれは、凛が一切手を抜かずに作ったとすぐに分かる、正に切り札と呼ぶに相応しい精密さだった。
「これで……完成していないのか?」
「完成度は二割程度。外面と、機能をほんの少しだけ。地上にいるときから作ってて、ようやく二割よ」
何かしらの機能があることは分かる。だが、それでは不完全らしい。
凛をしてそこまで時間が掛かるのならば、僕には想像も付かないほどの力を持つのだろう。
「ランサーはサーヴァントの中でも生粋の燃費の悪さ。そのランサーを全力で運用してて、術式も使うなんて普通無理よ」
そういえば……確かにそうだ。
ランサー――大英雄カルナ。高ランクの宝具を四つも所持し、炎の魔力放出を存分に使う彼は消費する魔力も凄まじい筈。
その宝具を存分に使用し、尚且つマスターも高威力の術式を扱うなど、可能なのだろうか。
凛の魔術師としての手腕はトップクラスだ。だが、そうだとしても無理がある。
「莫大な消費魔力をどうやって補っていたか、その答えがこれ。並行世界を観測するムーンセル内専用の決着術式。すぐ傍の並行世界へのアクセスを可能にする礼装って訳」
「……っ」
並行世界をムーンセルは観測している。
一つや二つではない。あらゆる可能性を網羅するために、ムーンセルが観測している並行世界は無限。
それが、ムーンセルが願望器たる所以だ。
あらゆる生命が持ちえる、如何なる理想の世界をも観測している以上、それを正しい世界として再現することも可能なのだ。
そんな理想や現実の無限の可能性こそが並行世界。その並行世界へのアクセスって――
「別に中枢じゃなくても、表側にも裏側にも廃棄された並行世界の可能性は幾らでもあるわ。そこにアクセス、並行世界の可能性から魔力を拝借して使ってたのよ」
「――不正アクセスじゃないのか?」
「気にしたら負けよ。だから不正じゃなくそうっての」
「は?」
「こそこそと貰ってるだけだと限界があるけど、正式に貰えるようになれば御の字よ。だから――」
――翌日。
疲労が完全に取れたかといえば、否だ。
精神的な面が大きい。というのも、寝る直前の凛との『取引』にある。
“報酬って奴よ、報酬。ギブアンドテイクよ。売り手と買い手よ。三方良しなのよ”
……正直、ああ言われると此方も断れない。
世間的に納得される取引であるかどうかは知らない。というか、多分納得はされない。
「……はあ」
結局、その条件を呑んでしまうしかなかった。悪い取引ではないのだが……凛らしいというべきか。
「ま、リンなら悪用も……しないとは、限らないわね」
そして、この妙な信頼のなさもまた凛らしい。
大して時間は掛からなかったのだが、突発的かつ大きすぎる条件には精神的に追い詰められた。
「でも……凛は力になってくれるみたいだし」
「ええ。結局、まだ完成していないみたいだけれど」
どうやら、あの礼装はこれでも不完全らしい。
僕がそれに手を加えて、ようやく四割。残る六割は、資材やリソースの問題のようだ。
月の裏側に落ちて、それがずっと制限されていたため、一向に進まなかったのだが、その問題は払拭された。
ヴァイオレットが此方に回してくれたリソースで、少し希望が見えたらしい。
後は問題ないと言っていたが、やはり相応の時間は掛かるだろう。
生徒会室の扉を開くと、既に全員が揃っていた。
「あら、おはようハクト君。しっかり休めた?」
「ん……おはよう凛。まあまあかな」
凛の笑みはいつもとは違う。いつぞやの“金づる”を見つけたときの笑みそのものだった。
「……まだ疲れが残っているようだが」
「いえ、大丈夫です」
「活動に支障のあるレベルではありませんが、疲れは残ってます。今日は休んだ方が良いのでは……」
席に着くと、すぐに桜が紅茶を淹れてくれる。
その香りで幾分疲れが取れる。精神を落ち着けるのに丁度いい。
「ううん、問題ないよ。ありがとう、桜」
「い、いえ。皆さんの健康管理が、私の仕事ですから」
これだけでも、随分と気力が回復する。
もしかすると桜が疲れに適したものを用意してくれたのかもしれない。
「ベッドが合わないのではないか? プロクルステスの寝台など用意すれば如何だろうか」
ガトーは放っておく。彼なりに気を遣った言葉なのだろうが、プロクルステスの寝台とは「基準に無理矢理一致させる」という意味である。
ギリシャ神話において、伸縮自在の寝台を用いて拷問を行った男の伝説から来ている。
……ガトーは意味を分かって使っていたのだろうか。
「大丈夫なようなら、今日は迷宮攻略を……っと、いいのでしょうか? このまま僕が指揮をし続けるというのも……」
「いや、構わない。実際指揮能力はレオの方が上だし」
実質的に月の中枢に向かうべきなのは僕だけであり、皆は関係の無い存在ともいえる。
だがそれでも付き合っていてくれるのは、申し訳なさを感じる。
それに甘んじるという訳ではないが、今までの関係は実に良かった。
皆のサポートがあり、レオの指揮の下であれば、絶対に中枢に帰れる――そんな信頼がある。
彼らが手伝ってくれるのならば、僕はその厚意を無駄にしてはならない。
「……まあ、信頼を無駄にしないようにしましょう。では、今回の迷宮攻略ですが……」
レオがメンバーを見渡す。
今回、迷宮に同行してくれるサーヴァント。
この決定に関しては、全員が了承してくれた。
アーチャーはメルトの性質を理由に否定的だったが、ダンさんの一言で渋々ながら納得してくれた。
「では――」
レオが再び口を開いた、その瞬間、
Now hacking…
OK!
『――んーと、これで良いかな?』
『はい。出力は問題ありません。大丈夫な筈ですよ』
……またこれか。
もう何度目かも分からないBBチャンネル。
しかし、いつもと違うのが二つ。
最初の提供がなかった。この理由は分かる。それを行っていた本人である、ヴァイオレットがもういない為だ。
そしてもう一つ、聞こえてきたのは、BBの声ではなくローズとノートの声。
視界がはっきりすると、いつも通りのハリボテのセットの前にその二人が立っていた。
『よし。どーもこんにちは、センパイ。センパイのために送る愛の放送、ローズチャンネルだよ』
ローズは丁寧に頭を下げてローズチャンネルなる番組の始まりを宣言した。
『第一回は司会はボク、進行もボク、演出もボク。お手伝いにノート。二人でお送りしていくね』
「……」
どうやら、喋る権限は持っているらしい。
一応、様子を見るか。BBがいない事が気になるが、何を目的にしているのかを知るまでは口を出さないほうがいい。
『さて、まず初めに――次の階層についてのお話にしようか』
次の階層――七階層。
もう衛士となるべきエゴは残り少ない。果たして、誰となるのか――
『センパイ。ここまでずっと待たせて、ごめんなさい』
もう一度、深く頭を下げて、ローズははにかむ。
『この階層の衛士はボク。アルターエゴ・ローズマリーだよ』
「――――」
確率で言えば、三分の一。
ノートか、プロテアか、それとも彼女か。
遂に選ばれたという喜びを表情に出しながら、ローズは宣言した。
『大丈夫、安心して。ボクはセンパイの障害にはなったりしないから』
「……それは、どういう」
『だって、ここがゴールなんだもん』
さも当然であるかのように、ローズは言う。
『
「……楽、園……?」
『そう。だから、ここで終わり。楽園より先は存在しないの。ボクが何よりも大きな幸せを与えてあげるよ』
「ちょっと、何言ってるのよ。意味が分からないんだけど」
僕と同様の意見。
それを敵意を隠さず、メルトが述べた瞬間、ローズの笑みは底冷えした。
『……アンタの理解なんて、どうでも良いよ。ボクの楽園はセンパイのもの。アンタは来なくていいの』
「馬鹿じゃないの? そんな勝手、させる訳ないじゃない。私とハクは表に帰らなきゃならないの」
『だから、アンタは関係ない。これはセンパイとボクの楽園。アンタもカズラも、こっちに来なきゃ何もしないよ』
警告だった。
ピリピリと、肌に刺さるような悪寒を感じる。
鋭い刃のような、炎のような。怒りなのか憎悪なのか、もしくはそれが混ざった感情が牙を持って襲い掛かる感覚。
『それが無理だっていうなら、ボクは容赦しない。センパイに取り付く羽虫なんて赦さないよ。全部全部、燃やし尽くすから』
「ッ――」
ローズの狂気は、僕とメルトに向けられている。
メルトに対しては悍しい敵意として。そして――僕に対しては、純粋すぎる情愛として。
疑う余地もない。それは、ローズの偽らざる強い本心だった。
『三方良し』
「売り手良し、買い手良し、世間良し」
売り手の都合、買い手の満足、社会の発展を考慮して商いをするという近江承認の理念。
聖杯戦争六回戦でメルトが抱いた魔力供給の疑問の答えが判明しました。
という訳で、知る人ぞ知るアレの登場です。
凛の決着術式といえばこれしかないよね。
そして、次の衛士が確定しました。こわい。
ヤンデレって油断すると一つの台詞が馬鹿みたいに長くなります。
これが自分の世界って奴か。ヤンデレって奥深いですね。