途中から「これ1クールで足りなくね?」って思い始めてましたけどまさかこうなるとは…
しかし2weiの終盤は盛り上がりがヤバイので楽しみです。
転移を終えると、そこは海の底のように青い空間だった。
それでも今までのような息苦しさを感じなければ危険も感じない。
どちらかといえば、少し心地よさを感じる、落ち着いた空間だ。
まっとうに立つ事が出来るし、肘や膝の関節の痛みも既に気にならない。
道はひたすら、真っ直ぐ先に続いている。とにかく、進んでみないことには始まらないだろう。
ユリウスがここに導いてくれたことには意味がある。この先には、今の僕に不可欠なものがある筈だ。
しかし……この先に何があるのだろう。
僕に必要なもの――そう考えてみれば最たるものは一つしか思い浮かばない。
だが、それは既に失われてしまった。
取り戻すことは出来ない。何よりも大事なもの、それがこの先にある筈がない。
ある筈が――
「――――――――ッ!」
ない筈の人影が、そこにあった。
丈の長い黒コート。伸びた青紫の髪。そして、先端の鋭く尖った鋼の脚具。
此方に背を向けた少女は紛れもなく、契約した何より大切なサーヴァントだった。
あの時、BBによって消されてしまったサーヴァント。
それが何故ここにいるのか。
そんな事はどうでも良い。彼女が生きていてくれた事が、ただ単純に嬉しく思えた。
「メル――」
「ふっ……」
しかし、名前を呼ぼうとした瞬間、その姿が掻き消え、首に冷たいものが当てられた。
「黙りなさい、人間。どうしてこの場にいるのか、どうやって来たのかそれを説明するまでは生かしておいてあげる」
「ッ……!? メルト……?」
「馴れ馴れしく名前を呼ばないで。というか、何で私の名前を知っているのかしら?」
どうしたというんだ……?
まるで今までとは別人……そして、その殺気は確かなものだった。
間違いであってほしい。こんな、メルトから本気で殺気を向けられるなんて事……!
「っ……僕だよ……! マスターの、紫藤 白斗だ!」
「……は?」
気の抜けたような声。
首から棘が外れ、気を抜いた次の瞬間、
「が……ッ!」
鳩尾に強い衝撃が走り、体が宙に浮いた。
受身も取れずに、背中から落ちる。息が詰まり咳き込むのを、メルトは冷たい目線で見下ろしていた。
「死の間際に冗談を言うなんて余裕があるわね。それとも、私を馬鹿にするせめてもの矜持かしら。死に急ぐその馬鹿具合、やっぱり人間は愚かね」
「――――」
熱くなっていた思考が、冷めていくのが分かる。
信じたくない。きっと嘘だ。
だが、まさかとは思うが――
「そもそも私はサーヴァントじゃないわ。それに何? シドウハクト? 聞いたことないわ。ハクノならともかく、他のマスターとの契約なんて、死んでもありえないわ。その場凌ぎの嘘は見苦しいわよ」
――、
メルトは、僕の事を覚えていない。
契約したこと、マスターとして認めてくれたこと、今まで幾度も戦いを勝ち抜いてきたこと、そのすべてを。
「っ、思い出してくれ、メ――うぁっ!」
「名前を呼ぶなって言ってるじゃない。物覚えも悪いのかしら」
脚具の爪先が掌に押し付けられる。
鮮烈な痛み。逃れようと掴むも、サーヴァントの力に対抗できる筈もない。
「づっ……あ、が……っぅ……!」
小さな一点、だからこそ大きすぎる痛みを必死で堪える。
「……あら、鳴かないのね。それも自然じゃない、意識して堪えてる」
踏み躙られる掌の痛みが増す。今にも手の甲まで届き貫いてしまいかねないほどの強さ。
手から零れる熱い血が、容赦の無さを体現していた。
「っ……ぐ、ぅぁ……」
「叫んだら悪化する、それを心得ての行いね。答えなさい、人間。貴方は、私を知ってるわね?」
口を開けば、何を喋ろうにも叫びになってしまう。
どうにか頷き、この状況が少しでも良い方向に向くことを祈る、が――
「あっそ。私は貴方を知らないわ。ストーカー? 気持ち悪いわね」
「ッ――」
メルトの表情は、決して良くならない。
到底人に向けるものではない――例えるならば、汚物を見ているような目。
……この衝撃は尋常ではなかった。何年もの時間にも感じられた先程の暗闇など、これに比べれば子供だましにも等しい。
心を通わせた者が自分の事を忘れている。言葉で言い表せない苦しさだった。
地上の記憶がない僕にとって、メルトがいるという事そのものが“当たり前”だった。
だからこそ、他のマスターとサーヴァントの関係とはまた違うものだと思うし、僕がメルトに依存している部分も多かったと思う。
培ってきた絆が断裂した。その傷は、凄まじく大きかった。
恨み言を言う気にすらならない。それ程までに、深く重い絶望だった。
……そうか。
忘却とは、忘れてしまった者よりも忘れられてしまった者の方が、悲しみや苦しみは遥かに大きいのか。
そして、それは――かつてメルトに与えていたものと、同じものだった。
「……何その顔。命の危機を知ったから……って訳でもなさそうね。さっき“思い出してくれ”とか言ってたし、大方私が記憶を失ってるとでも言いたいのかしら?」
足が離され、ようやく痛みから解放される。
穴は開いていない。それでも未だに焼けるような痛みが残っている。
「良いわ。立ちなさい」
数歩離れたメルトに従い、立ち上がる。
脚具で背丈を高くしている以上、必然的にメルトを見上げる形となる。
あくまでも此方を見下ろしながら、冷ややかな目でメルトは口を開いた。
「私は確かに、一定期間の記憶を失くしているわ。でもその内容はどうでも良いし、思い出そうとも思わない。億分の一の確率で貴方と契約したとしてもどうせ長くは続かなかったでしょうし、貴方にとっても良い厄介払いじゃないの」
「っ……そ、んな……そんな事……!」
そんな事はない。
決勝に至るまで僕を支えてくれて、僕はずっとメルトを頼りにしていた。
メルトがどう思っていたか、その深層部分は分からないが、少なくとも僕がメルトに対して悪い感情を持っていた筈がない。
「あぁ、そういえば……」
何か合点が言ったかのように、メルトは頷く。
そこに僅かにでも希望を懸ける。些細な反応でも良い、思い出してほしい、と。
「サーヴァントを失ったマスターは死ぬんだったわね。だったら納得、生に執着するんならどんなに相性が悪くても契約を取り戻そうと意固地になるわ」
しかし、メルトの納得はまったく違う点であった。
そして同時に、悪寒を覚える。
メルトが思いついたこと。それを理解してしまったようで。
「しょうがないわね。下らない思い込みだけど、それならサーヴァントの
「え――」
不意に、体の奥底に冷たいものを感じた。
何があった。何が起きた。メルトが
「――――か、はっ……?」
体から存在に必要な、大切なものが流れ落ちる。
止め処なく外に出てしまっているのを自覚してしまい、気が狂いそうになる。
傍にあるのはメルトの顔。
だが、いつもと違い、落ち着けるものではない。
彼女自身から与えられた、最大の絶望への最初の一歩だった。
胸を貫く、膝の棘。
そこを中心に、内部が破壊されていく。
「――っ! ぁ――がっ――!」
「悦んで。これでその執着も無くなったわ。面倒だから吸収もしないし人形にも変えない。そのまま無となって、葛藤も終えなさい」
棘が引き抜かれた。開いた穴を、空気が通り抜けていく。
力が出ない。もう――全ての意味で、限界だった。
「さて、どうせだからこのまま頭蓋でも砕いてしまおうかしら。いつまで経っても叫ばないし、待ってるだけ時間の無駄ね」
倒れこみ地に着いた頭に、尖った爪先が乗せられる。
このまま終わるのか――しかし、それは仕方のないことだ。
目の前でメルトを失った以上、何もする気が無くなったのだから――
「ストップよ、メルト。その程度にしておきなさい」
――そのとき、この状況へと至った元凶の声が聞こえた。
もう、ここまで追いついてきたのか。
だが、声の方向を見る気力も無い。
「あらBB。久しぶりね。で、どうかしたのかしら。もう私には用がない筈でしょ?」
「ええ。ですが、そのマスターは見逃しなさい。貴女が手に掛ける権限はありません」
BBは――何を言っているのだろう。
「ふぅん……宗旨替え?」
「……言っている意味が分かりません。良いから、センパイは私が預かります」
「……」
メルトが離れていくのが分かる。
だが、一体何を……BBは、僕を助けたのか?
「センパイ、少し後ろに扉を作りました。そこから旧校舎に帰還できます。その傷はこの空間における否定の集合体。旧校舎に戻れば修復されますよ」
死を前にした、一筋の光明だった。
助かる――命だけは助かる。
どうやら、メルトは邪魔をしようとはしていない。
自分が逃げようと思えば、逃げることができる。
だが果たして――それはすべきことなのか? それとも、何か他にすべきことがあるのだろうか?
「優しいわね、BB。そんな有象無象のマスターに情を置くなんて」
「貴女には関係のないことです。さあ、センパイ早く。そのままだと消えて無くなりますよ?」
BBは、少しばかり急いている様子だった。
あぁ、なるほど――と納得する。
月の裏側の囚人。力を持たない囚人は多いほうが、BBがそこから得られる悦は多い。
自分はどこまでもBBの玩具でしかないのだ。
「……人間。せっかくの助けよ。無駄にして良いのかしら」
メルトにとっては、それが良い厄介払いなのだ。
もうメルトには僕の記憶は無い。ならば、その選択がメルトにとっても良いものなのだろう。
「まぁ、望むならここで終わらせてあげても良いけど。ゆっくり死ぬのを待つか、私が手を下すか。後は――先に進んで果てるってところかしらね」
「――、ぇ――?」
先……?
掠れた目で前を向く――そうだ。空間は、ずっと先に続いていた。
あの先には、何があるのだろう。きっと、何も無い。
――――だが。
何もないと分かっていて、先程まではずっと無限の道を歩んでいた。
いつまで経っても何の利益も得られないと確信がありながらも無駄を続け、遂に光を見つけた。
では、今回は。
変わりたくない。何より、メルトのマスターとして。
生きたい。それは嘘ではない。だが――それ以上に通さなければならない我というものがある。
「――――ッ」
「……馬鹿みたい」
「センパイ――ッ」
タイムリミットがある。
この体が崩壊するまでに、果てまで辿り着けるかどうか。
崩壊は想像していたよりもずっと遅い。やはり、月の世界を構成しているものとは根本的に違う空間のようだ。
ならば、もしかすると間に合うかもしれない。
その僅かに懸ける。武器は、気力と、自分と、メルトとの思い出だ。
どうにかもう一度立って、一歩近付こうとした瞬間、
「ぐっ――」
全身に電流が走る。
トラップのようなものは見られない。
「――波長の違う霊子を排斥する生体電流。人間で言う白血球、外部の毒を攻撃する免疫機能です」
その現象の説明はBBから入る。
BBの姿は半透明だ。どうやら実体ではないらしい。
「ふうん、そんなものあるのね」
「当たり前です。ここはメルト、貴女の霊子核――心の中ですから」
メルトの心の中……?
「演算規模を拡張し、そもそも貴女を作成した私でも読み込めない。目と声を届かせることが精一杯です」
心の中、と聞いて今までの裏側での戦いを思い出す。
凛やラニ……今までの衛士のように、深層空間に下りた状態と考えればいいのだろうか。
「――なら」
「ええ、その先には、メルトの心の核があります。言わばそこにいるのは、メルトの本能。危機的状況から自身を凍結させ、消滅の寸前を保持している状態のメルトです」
本能……なるほど、それならば、外敵を攻撃するのも頷ける。
しかし、ヒントは得られた。
この先――メルトの心の核にさえ辿り着けば。
「メルト。その先にあるのは貴女の理性も同じ。理性が目覚めれば、本能である貴女は飲み込まれます。それでもその人を、先に進ませるのですか?」
忘我の中にいるメルトの記憶を取り戻すには、果てに辿り着くしかない。
「関係ないわね。どうせ私、もう死んでるんでしょうし。それに、久しぶりに面白そうよ?」
「何を――」
進もうとしたところ、背中に強い衝撃を受け再び体が浮く。
「あ――ぐっ……!」
その攻撃は、核へと近付くように蹴り飛ばしたもの。
自分の意思でなくとも近付いた以上、それは敵と判断される。
背中への痛み以上に深く響いたのはその防衛本能によるもの。
内部を直接焼かれるような感じたことの無い激痛だった。
「人間、これくらいの痛みが延々と続くことになるわよ。それにいつ消えるかも分からない。それでも良いなら、勝手に行きなさい」
「……、……っ」
関係ない。どうせ戻ったところで、何も進まないのだ。
ここで大人しくしていても全てが終わり。
この状況を打開するため。そして何より、メルトに記憶を取り戻して欲しいから。
まだ立てる。足の機能は失われていない。
一歩。
体を構成する霊子が少し裂ける。
一歩。
裂けた霊子が機能を忘れ、弾ける。
「っ、飲み込みの悪い人ですね。貴方はこの先ではウイルスも同然なんです。速やかに処理されますよ」
そんな事分かっている。だが、止まれない。
「私が声を掛けたのは……生意気な反乱分子を消滅情報の残らないこんな場所で自滅させるのは資源の無駄だからです。ですから、馬鹿みたいに消えないでください」
「……」
「これは、私からの最後の警告です。その先に進めば死にます。大人しく引き返してください。今ならその扉からの帰還を黙過します。旧校舎における全員の生存も許可します」
逆を返せば、このまま進むならば旧校舎の皆の安全は保障しない、という事か?
足が止まる。振り返ったとき、既にBBの姿は無かった。
ここはメルトの心象空間。これまでのように自由な介入が出来ないのだろう。
「他の哀れな囚人がいるのね。人間、どうするの? どっちにしろ助けないけど、戻る方が近いわよ?」
「――――」
戻ったところで、自分に何が出来る。
安全が保障されたとて、表側を目指すのは変わりない。
それに、BBならば気紛れで全員を手に掛けることもありえる。
だったら我を通す――自分の目的を優先したエゴそのものだ。
それでも、傍にいてくれた人がいなくなる。戻ったとしても僕には、それだけは耐えられない。
故に、次の一歩を踏み出した。
初期化の段階ですが、「CCCにおいて黒幕に取り込まれ“死んだ”直後」となっております。
改心前ですのでまだ見ぬマスターに対する気持ちも皆無。
ずっと書きたかった、この展開。
初めてメルトらしいメルトを書いた気がします。