目的のない旅。
海図を忘れた航海。
君の漂流の果てにあるのは、
迷った末の無残な餓死だ。
……だが。
生に執着し、魚を口にし、
星の巡りを覚え、
名も知らぬ陸地を目指すのならば、あるいは。
誰しもは始めは未熟な航海者にすぎない。
骨子のない思想では、聖杯には届かない。
+
やはり、迷いがあった。
慎二の死。投げつけられた凛の言葉。
凛は正しい。理性では分かっている。
だが、それを受け入れる事が出来ず、どこへ行けば良いかも定まらない。
『ハク、いつまでも気にしてちゃ駄目よ。仮初でも友の死、悲しむのも分かるけど』
「メルト……」
予選での学校生活で慎二が使っていた机の前で悩みに耽っていたのを見かねたのか、メルトが話しかけてきた。
『もう二回戦は始まっているの。悩んでいては勝てる戦いも勝てないわ』
メルトの言うとおりだ。
慎二の死を、凛の言葉を素直に受け止めて、新たな戦いに向けて決意を新たにしなければいけない。
悩んで、曖昧なままで戦い、負けてしまってはそれこそ慎二に申し訳が立たない。
「――うん。ごめんメルト。そうだね、気を引き締めなおさなきゃ」
『その意気よ。……それとハク、記憶は無くても、願いは決めておきなさい』
「願い……」
聖杯戦争の賞品。
たった一人、勝ち残ったマスターだけが成就できる願望。
『この戦いは強い願いが勝つ――勝てる願いを見出せない人から死んでいくのよ』
ゲーム感覚で挑んだ、慎二の様に。
生き残りたい、という必死さだけではこの先は勝ち残れない。
『今すぐにとは言わないわ。だけど早めに決めておけば確たる想いになるのも早くなる』
と、そこに携帯端末が鳴り響く。
二回戦の相手を発表する、という報せだ。
『行きましょう。少しずつ考えていけば良いのよ』
「……うん、ありがとうメルト」
きっと内心では急かしたいだろう。
だけどメルトは待ってくれる。
その優しさに、心の底から感謝しながら、二回戦の対戦相手を確かめに行った。
掲示板には、前回の様に二人の名前が記されている。
自分の名前と、そして――
『マスター:ダン・ブラックモア
決戦場:二の月想海』
聞き覚えのある名前。
「君か。次の対戦相手は」
背後から聞こえた声に振り向くと、そこには教会の前で出会った老人、ダンさんが立っていた。
衰えの感じられないその姿は、深い年輪を重ねた大樹を思わせる。
「無事一回戦を勝ち残れたようだな。おめでとう」
これから殺しあう相手に贈る言葉とは思えない祝辞。
「……ありがとうございます」
それに返すのを一度躊躇ったが、彼の言葉に皮肉や敵意は感じられなかった。
「ふむ……」
ダンさんは此方を採点するように見やる。
睨む、という程の鋭さはないが、かといって優しくもない、感情の篭らない眼差し。
「――迷っているな」
その眼は、僕の悩みをいとも簡単に見抜いた。
「迷っていては生き残ることは出来ない。そんな状態で戦場に赴くとは、不幸な事だ」
自覚はしている。
その迷いを是としないダンさんの言葉は、幾つもの戦場を体感してきた歴戦の戦士の弁を思わせる。
「君が決戦までにどういう変化をするか、楽しみにしていよう」
あくまでもダンさんは、平等な条件下での戦いを求めている。
少しでもそれに応えなければ。
それが殺し合う相手に対する、最低限の礼儀。
歩いていくダンさんを見送ると、メルトが感想を漏らす。
『どこかの兵士かしらね。かなりの手練れ――間違いなくシンジより強敵よ』
「……うん、分かってる」
『でも達人が相手ならハクも成長するわ。逆に好機と考えましょう』
励まし、だろうか。
勝利の自信を確かにするメルトは、それだけで頼りになる。
ダンさんの指摘した問題、迷いは確かにある。
だが、それを取り払って戦わなければ勝てそうに無い。
恐らく彼は、出来れば引きたくない悪いカードだ。
少しでも彼に近づき、追い越せるように考えを新たにして経験を積まなければ。
『……ただ、何か“イヤ”な予感がするのはなぜかしら』
メルトの呟きは、耳に入らなかった。
トリガーの生成を告げる携帯端末に従い、アリーナに向かおうとしたところ、購買から出てくる凛と鉢合った。
「あら、ハクト君。貴方の対戦相手、聞いたわ。現役じゃないけれど、彼は名のある軍人よ」
凛が言うには、ダンさんは西欧財閥の一角を担う王国の狙撃手だったらしい。
西欧財閥というのは、こんにち圧倒的な武力と財力で世界の六十パーセントのシェアを管理・運営する巨大財閥だ。
複数の財閥が国家をまたいで結成した合体企業であり、レオをはじめとしたハーウェイ家が盟主を務めている。
ダンさんはそれに属する国の軍人。
匍匐前進で一キロ以上進んで敵の司令官を狙撃するのが日常茶飯事だったとか。
とにかく凄すぎる、二回戦の相手。
「分かる? 一回戦とは何もかも違う。見た所記憶も戻って無さそうだし、ご愁傷様」
凛はここで僕に見切りをつけたように、そしてどこかからかうように言う。
願いは信念。
ダンさんの様に義務を全うすることができるのは軍人の様な人だけ。
記憶喪失によってどちらも不足している僕が、一回戦を勝ち抜いて尚曖昧なのはそれが理由。
「例えあんたの宝具がどんなに強くても、このままだとあっさりサー・ダンに殺されるでしょうね」
宝具。
サーヴァントが持つ切り札。
その脅威は、慎二とライダーが見せたあの火力が物語っていた。
「……そうか、宝具……」
彼ほどの強敵なら、もしかするとメルトが宝具の解放をするかもしれない。
と、ふと凛の顔を見ると、唖然とした顔で絶句していた。
「……宝具、一回戦で使ってないの?」
「え、あぁ、うん」
「それってサーヴァントの力を完全に使ってないわけ? そんな状態でエル・ドラゴを倒したの?」
凛がライダーの正体を本当に分かっていた事に驚きつつも、はたしてそれは不思議な事か、と疑問を持つ。
教会というサーヴァントの強化を行う施設があるのなら、サーヴァントの力を使いこなせていない人は多いのでは、と。
「……私てっきり、あなたのサーヴァントの宝具が桁違いに強いから、エル・ドラゴも宝具頼みで倒したかと思ってたわ」
メルトが自分の意思で使っていないなんて言えない雰囲気。
「少し、見直したかも。貴方の勝機を信じてみるのも良いかもね」
そう言って微笑むと、凛は歩いていく。
『――』
その瞬間に感じた、異様な程の威圧感。
もしかするとレオのサーヴァント、ガウェイン卿よりも上かもしれない。
凛が伴うそれは、彼女のサーヴァントによるものだろうか。
ほどなくしてその威圧感は消え去る。
『今の……いえ、まさかね』
見えないながらも、メルトの驚愕は感じ取れた。
知っている気配だったのだろうか。
『……ハク、宝具について気にしなくても良いわ。今はアリーナに行きましょう』
どうやら今は話してはくれないらしい。
とはいえ、確かに今はダンさんとの力の差を埋めるため、鍛錬を積むのが重要だ。
立ち去る凛を見届けてから、アリーナに向かった。
アリーナの入り口に気配を感じた。
「二回戦の相手を確認した。まだ若く未熟なマスターだが、一回戦を勝ち残った相手だ。油断はするな」
耳に届く声はダンさんのものだ。
どうやらサーヴァントと会話をしているようだ。
こっそりそれを覗いてみると、ダンさんと向かい合う男の姿がある。
「へーへー。分かってますって。どんな相手だろうと手加減なし。シンプルに殺しますよ」
後姿だけで分かるのは、茶髪と緑の外套。
その雰囲気は、厳格なダンさんの雰囲気とは真逆に、軽い感じがする。
「まぁともあれ? あっちも一人殺してるワケですし? 精神的に一回戦の連中より幾分マシなんじゃないですかね」
「それを油断というのだがな。この戦いは連携が肝要だ。私の指示に従え。一回戦の様な独断行動は二度とするな」
「あーはいはい。分かりましたよ。ったく、口うるさい爺さんだぜ」
どうやらダンさんとあのサーヴァントは仲が悪いようだ。
もしかすると、あれが最大の弱点かもしれない。
『――あぁ、今度は緑茶なのね。ハク、安心して。アレならそう大した事はないわ』
メルトが言う。
まさかあのサーヴァントの正体を知っているのだろうか。
緑茶……千利休?
あの容姿――と言ってもライダーの前例からして容姿は信用ならないが――からしてそれはありえないと考えている内に、ダンさん達はアリーナに入っていった。
今アリーナに入ったら鉢合わせになる。
「メルト、少しタイミングをずらして行こう。鉢合わせるのは避けたい」
『貴方の意向には従うけれど、アレは真正面から挑んだほうが良い相手よ』
「……あのサーヴァントの正体を知っているのか?」
『さぁ? ……
ぼそぼそと呟くメルトの言葉は良く聞こえなかったが、察するにあのサーヴァントは火力ではライダーに劣るが、それよりも厄介なものなのだろう。
情報を得るためにも、今から向かって戦ってみるのも良いかもしれない。
しかし、相手の情報が何もない時点で真正面から戦うのはさすがに危険だ。
メルトも話すつもりはないようだし、やはりここは少し待ってからの方が良いだろう。
という事で少し時間を潰そうとし、少し戻ったところ、
「おや、ごきげんよう」
抑揚の無い、どこか機械的な声が掛けられる。
そこに居たのは眼鏡を掛けた褐色の少女だった。
薄紫の軽くウェーブのかかった髪を腰くらいまで伸ばし、露出の多い変わった服を着ている。
……どこかメルトに通ずるところがある。気がする。
「こうして人間らしく対話をするのは初めてですね」
そういえば、彼女は校舎の三階で、いつも空を見ていた。
何度かすれ違ったりもしたが、その時は会釈をするだけだった。
「私はラニ。貴方と同様、聖杯を手に入れる使命を負った者」
「僕は紫藤 白斗。よろしく」
凛の前例もあり、年の近そうな相手に対しては極普通に振舞うことにした。
「ハクトさん、ですか。貴方を照らす星を見ていました。他のマスターたちも同様に詠んだのですが、貴方だけが霞に隠れた存在。――どうか答えてほしい。貴方は、何なのですか?」
「っ、え?」
良く分からない質問、回答に困っていると、ラニが一歩近づいてきた。反射的に一歩後ずさる。
「正体を隠すのですか? ブラックモアに対してはあんなに無防備だったのに」
先ほどの、対戦相手を確認しに行った時の事だろうか。
「――警戒しないで下さい。私は、貴方の対戦者ではないのですから」
無意識の内に警戒心を持っていたようだ。
ラニに指摘され、それを抑える。
「さっきの、見てたの?」
「見ていた、というのは正確ではありません。昨夜、貴方の事を星が語っていました。私はそれを確かめただけ」
星が語るとは占星術の類だろうか。
「我が師が言った者が誰なのか。私は新たに誕生する星を探している。その為に、多くの星を詠むのです」
ラニはこの聖杯戦争で誰かを探しているのだろうか。
「私はもっと星を観なければならない。ですので協力を要請します。ブラックモアの星を、私にも教えてほしい」
いかがでしょう、と促されるが、つまりはどういう事なのか。
星を詠む、という行為については良く分からないが、ダンさんの情報なら、有益なものになるだろう。
「
「――なぜ、そんな事を?」
「……師は言いました。人形である私に、命を入れる者が居るのかを見よ、と。師が言うのであれば、私は探さなければならない。人間というものの在り方を」
ラニはどこまでも他人行儀だった。
自分の存在理由は全ては師の為、として処理しているかの様に。
「……ラニ」
「何でしょうか?」
「利用とか、使用とか、そういうのじゃなくてさ。えっと……」
師がラニに何を望んだのかは良く分からない。
だけど、彼女とは確かに初めての会話なのに、“自分自身の在り方を持ってほしい”と感じた。
「友達。僕は友達としてラニを手伝って、ラニには僕を手伝ってもらう。それじゃ駄目かな?」
利用する、使用する。手伝う。ニュアンスが違うだけで、変わりなんてほとんどない。
それでも、少なくとも僕は、機械的より人間的な方が良い。
「友、達」
ラニは何度かその単語を反芻し、考え込んでいる。
そして少し微笑むと、今まで通り機械的ながら、何か別の感情が篭った様な声で言う。
「……不思議ですね、貴方は。やはり他のマスターとは違う何かを持っている」
「え、えーと……?」
「人間というものの在り方を学ぶ良い機会です。ではハクトさん、私と友達になっていただけますか?」
「あ、うん。喜んで」
相変わらず使命を尊重しているようだが、今この場で、ラニは変わった気がした。
「では、早速手伝っていただけないでしょうか。ブラックモアの遺物を見つけたら、私のところに持ってきて欲しいのです」
「うん、了解」
そう返すとラニは微笑んで「ではまた」と頭を下げ、ラニは歩いていった。
触れ合っていく内に、ラニには少しずつ変わっていってほしい。
そう思えるという事は、もしかすると記憶が無くなる前の自分は、ラニを知っていたのかもしれない。
まぁ、記憶については今考えたところでどうにもならない。
今はとにかく、ダンさんに関係した物を探したほうがいい。
「よし、メルト、アリーナに行こう」
『……一級フラグ建築士、ね』
「え?」
『何でもないわ、行きましょ』
最近メルトにはぐらかされる事が多い気がする。
まぁ、特に重要な事でもないだろうし、あまり気にしなくてもいいだろう。
何か釈然としないが、とりあえずアリーナに向かうことにした。
マセてんじゃねーぞザビ。
書いてて凄く苛々しましたが、フラグ立てておかないと。