アリアのアトリエ~ザールブルグの小さな錬金工房~   作:テン!

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第七話  竜の化石と鹿角ナイフ

 十二月三十日。

 今日は一年最後の日。

 明日からは新しい一年が始まる嬉しさか、ザールブルグの町並みを歩く人々の顔は、どこか空気の寒さに反して明るい。

 

 時には道端で露天を広げるものもおり、ザールブルグの外から持ってきたものなのか、見慣れない物珍しい品をところ狭しと並べていた。

 物珍しさから手をとるものは多いが、実際に役に立つ物はどれだけあるのだろうか。

 

 アリアもまた寒風吹きすさぶ中、いつもとほとんど速さが変わらない歩き方で、露天の間を歩いていた。

 

 

 

 

 

 

 

 寒い、と手に抱えた品を抱え直しながら、アリアは人混みの間を縫うように歩いていく。

 しゃがみこんで露天を見ている人はもちろんのこと、そこらの女子供、そして一部の男性よりも背の高いアリアにとって人混みの間を歩くことはそこまで苦ではない。

 向こうから避けてくれることもあるし、隙間を上からみつけることもできるからだ。

 

 人より少しだけ広い視界を十全に活用して、アリアは歩きながら露天見物を行なっていた。

 時折、興味を惹くものがないわけでもないが、わざわざ露天のそばにしゃがみこんで、見物するほど気が惹かれるものはなかった。

 

 それよりも、早く依頼を終えようと、そちらばかりに意識がいってしまう。

 抱えた調合品を落としたくない、という気持ちもある。

 

 アリアの手の内にあるのは、この前調合したばかりの“ズフタフ槍の水”だ。

 この前ユリアーネと見せ合いっこをしたあの品である。

 

 ただ、アリアの手の内にある瓶の数は全部で五本。

 本当は年末までに仕事を終えるつもりだったのだが、一本目に調合しユリアーネに見せた品に匹敵するものを、と熱心に試し返し調合していたら、いつの間にか一年最後の日となっていたのだ。

 

 さすがにまだ依頼の期限は残っているものの、新年まで持ち越すのは不本意極まりない。

 それに、十分依頼に提出できる品が揃っていたので、今日持っていくことに決めたのだ。

 もう少し質を上げたかったとは思うが、それはアリアのわがままにすぎない。

 まあ、今日持って行くと決めたのもアリアのわがままだが、新年に持ち越すことに比べたらあちらとしてもまだましだろう。

 

 そんな取りとめもないことを考えながら、冬の大通りをアリアは歩いていた。

 

 

 見えたのは、見覚えのある木肌のように色の濃い茶色の髪。

 他の露店の商人のように、いやそれ以上にどこか鬼気迫る有様で客引きを行う青年の姿。

 冬のはじめに、たいそう迷惑なことにアリアのアトリエの前で行き倒れていたザシャであった。

 元気そうで何より、とつい目線がそちらにいってしまう。

 

(おや、あれは…………)

 

 品に目を向ければ、露天の中に鈍く光る品々がアリアの目に入った。

 遠目では一体何の品か、よくわからない。

 

(少し見に行ってみようか)

 

 自然と、その足はその露店の方へと向かっていた。

 

 白い吐息が、アリアの方向転換に合わせて軌跡を描く。

 空からはひらりひらりと、雪が舞い散り始めた。

 

 

 

 

(ああ、雪まで降ってきたよ……)

 

 空から降り始めた白い塊を憎々しげに見つめながら、ザシャは客引きで汗をかいた額に手を当てた。

 見れば、露店に並べられた品物で売れたものは少なく、ほとんどまだ売れ残っている。

 

(折角村の皆が持たせてくれたものなのに……)

 

 出稼ぎに出る時、村の人々が少しでも生活費の足しになるよう、ザシャに持たせてくれた村の特産品や手作りの工芸品。

 物珍しさで少しは売れるだろう、出来れば生活費にするんじゃなくて少しは村の仕送りに使えるんじゃないか、と考えていたが甘かった。

 

 全く売れない。

 冒険者の仕事のおかげで何とか食ってはいけているが、まだまだ仕送りはままならない。

 今回の露店で物が売れなければ、今月も村に仕送りをすることを諦めなくてはいけないだろう。

 

(それだけは嫌だ!)

 

 けれど、ザシャに現状を打破する手段はない。

 途方に暮れて頭を抱えていた。

 

 そんな時だった。

 トコトコ、と軽い足音が自分の露店に近づいて来るのが聞こえたのは。

 

(お、誰か来てくれたのか?)

 

 このチャンスを絶対モノにしてやる。

 顔に満面の笑みを作り、ザシャは腹に力を入れた。

 

「いらっしゃいませ! 商品を見て行きませんか! ザールブルグでは見られないような珍しい品ばかりですよ!」

「ふむ、たしかに物珍しい品ばかりですね」

 

 あ、っと思った。

 その姿、喋り方には覚えがあった。

 

 いや、覚えがあったどころではない。

 ザシャにとって、とてもではないが忘れることなどできそうにない人だった。

 

「お久しぶりですね、たしかザシャさん、といいましたか?」

「……ああ、そうですよ」

 

 三つ編みにした黒髪は腰にまで届き、女性にしては上背のある肢体を紺色の地味な錬金服が包んでいる。

 目の色は濃い藍色。夜明け前の、いっとう闇が濃くなる時の色だ。

 

「お久しぶりですね、レイアリアさん。あの時はどうも」

「ええ、どういたしまして」

 

 しんしん、と雪が周りの音を吸いながら空から舞い降りる最中に、淡々と静かに声が紡がれる。

 小さくも、けれども大きくもない声。だがその声は、何よりも明瞭にザシャに届いた。

 

 ああ、らしいな、とザシャは思う。

 

 彼女――レイアリア・テークリッヒの話し方は、なぜだか彼女にとても良く似合っていると感じた。

 

「で、なにか一つでも売れましたか?」

「いえ、なにも売れておりません………」

 

 そしてすぐさま、えぐりこむように急所を的確に撃ちぬく言動も、とても彼女らしいものだと思う。

 言われた方は内心きついけれども。

 

 人知れず、ザシャは心の中で滂沱の涙を流すのであった。

 

 

 

 

 わかりやすく落ち込むザシャをちらりと見て、アリアは視線を外す。

 とてもわかりやすい人間だ。隠すということを知らないらしい。

 

 視線を落とすと、露店広げられた商品が目に入る。

 隙間一つなく布の上に並べられたそれらは、売りに出している商品がほとんど売れていないことを示していた。

 

 繊細さの欠片もない荒々しい細工しか施されていない工芸品。中には装飾の一つすらなく、素材の質感をそのまま前面に押し出した品もある。

 一つも売れていないとのザシャの言を聞き、アリアはさもありなんと内心頷いた。

 

 もう少し面白みがなければ、物がたくさんあるザールブルグでは売れない。

 見た目だけなら類似品はたくさんあるのだ。わざわざ、こんな露店で質も何もよくわからない品を買う人は少ない。

 おそらく買っていく人間は、空気に浮かれきった人間か、物珍しさでつい財布の紐が緩んでしまったお調子者か。

 

 いないわけではないだろうが、今まで一人として現れなかったということは、これからの時間を費やしても厳しいだろう。

 

 ただ……。

 

「…………」

 

 商品の一つを何気なく手に取る。

 

 先ほどアリアが見た鈍い光の商品はこれだ。よく研がれた刃が薄暗い曇り空の下、ぎらりと鈍く光る。

 

 刃先の鋭いちいさなナイフ。それがアリアの見たものの正体だ

 ナイフの柄は人の手にあわせて少し曲がっており、意外と握りやすい。

 そして木の肌とは違うこのなめらかな質感。

 何かの動物の角か牙か。

 

 よく見れば、刃もただの鉄ではない。少し質が悪いのか、研ぎが悪いのか、鈍い銀色に光るそれはところどころ黒ずんでいる。だが、錆ではない。

 というより鉄とは明らかに違う。全く別の金属だ。

 

 なんだろう、これは。少し興味が湧く。 

 

 よくよく注意して見ていると、とある一つの金属が思い浮かんだ。

 

 なんだろう。すごく聞きたいが、答えを知るのが怖いこの感覚は。

 いや、だがおそらくこのナイフの金属は……。

 

 一旦、ナイフを置いておいてもうひとつ気になった品を手に取る。

 

 琥珀色のちいさな塊の中に、骨のようなものが入っている。

 それはザールブルグでは有名な品だ。

 お金が集まるお守りとして有名な「竜の化石」だ。

 

 ふと視線を感じた。

 

 目を上げると、何やらニコニコと締りのない顔でこちらを見ているザシャの姿があった。

 夢中で遊んでいる子供を見守る大人のように微笑ましげな目。不愉快ではないが、何やら少し居心地が悪い。

 

「それらが気に入ったのかい?」

「ええ、まあ……。少し気になったところがありまして」

 

 子供に話しかける大人のような口調で、ザシャが尋ねてくる。そこまで子供らしい行動だったかと思うが、振り返れば周りの様子を来にせずに、ナイフ一本を返す返す舐めるように見つめているさまは、確かに子供っぽい振る舞いだっただろう。

 反省するべきだ。

 

「このナイフの材料をお聞きしても?」

 

 けれど、それよりも今は好奇心を満たすほうが先だ。

 

「ん、それは鹿の角で作ったナイフだよ。おれの住んでたところの山だと結構出るんだ」

「いえ、私が聞きたいのは柄ではなく刃のほうです」

「ん? ああ、刃のほうか。そいつは……」

 

 思いもかけず、柄の材料も聞くことができたが、今一番聞きたいのはそちらではない。

 重ねて聞けば、ザシャは簡単に何も気負うものがない様子で口を開いた。

 

「銀だよ」

「…………は?」

「いや、だからただの銀だよ、銀。本当は鉄のほうがいいナイフができるんだけど、あいにくおれの住んでいるところだと鉄は出なくて、銀を使ってるんだよね」

 

 そこまでは聞いていない、と言いたくなったが、そこはグッと我慢をする。

 

 そういえば南の地方は銀の産地だ。

 一般人では立ち入ることのできない国営の鉱山だけではなく、すでに廃棄され立ち入りを禁じていない廃坑もあるらしい。しかも、そんな廃坑も採掘の採算が合わなくなっただけで、今なお銀が採れるところはかなり多いとのこと。

 

 銀がありふれたものであってもおかしくない。

 

「で、このナイフは一本おいくらで? あ、あとこちらの琥珀色の欠片も」

「ああ、そうだな。まあ、だいたいどちらも銀貨百枚で売ってるよ。ナイフは手入れも悪かったのか黒ずんでるしね。そちらの「竜の化石」は五百枚くらい、かな?」

 

 標準的なのものより少し小さいとはいえ、一個銀貨千枚以上はする「竜の化石」が銀貨五百枚。

 古びているとはいえ、銀のナイフが銀貨百枚。しかも柄は正真正銘の鹿の角で作られた一品物。

 

 このザールブルグでは銀の価値は他国よりもかなり低い。銀山が多く、採っても採り尽くせないほどの量が、毎年発掘されるからだ。

 通貨の基本は銅貨ではなく銀貨で、しかも銀貨十枚もあれば一日の食事に事足りる。

 

 ただ他国より価値が低いとはいえ、価値がないというわけではない。

 当たり前だが、銀は貴金属の一つだし、他国に輸出する用の銀細工を作る職人などもたくさんいるので、一定の価値は保たれているのだ。

 

 銀のナイフならヴァンパイアや一部の魔物にとても効果的な武器になるし、柄はただの木ではなく鹿の角だ。銀貨百枚はありえない。

 最低でも銀貨五百枚。値が張れば銀貨千枚いくかもしれない。

 

(これは安すぎて偽物だと思われたな)

 

 売っている人間もとっぽい田舎者だ。

 嘘は付けなさそうだが、騙されてつい買ってしまったものをそのまま売っている、と思われたのかもしれない。

 

 他の商品も見てみると、ガラクタにしかならないものもかなり多い。このガラクタの多さも、店の物をまともに見てもらえない遠因だろう。

 おそらく鹿の角であろう工芸品や銀が使われた品、それに見た目でわかりやすい竜の化石がいくらかあるのにもかかわらず今まで売れていないということは、たぶんそういうことだ。値がつきそうなものだけ集めれば、結構な額になるだろう。

 

 そんなことも露知らず、のんきに笑っている田舎者がアリアの前に一人。

 

「……なんですか?」

「いやー、本当にその二つが気に入ったんだと思ってね」

「まあ、悪くない品ですね。黒ずんだところも磨き直せば何とかなりそうですし。こちらの竜の化石は錬金術の材料として何かに使えそうですし」

 

 銀の鹿角のナイフなんて使ったことはないが、握りは良い。意外と使いやすそうだ。

 鉄のナイフとどちらが切れ味が良いか、細工にはどちらが向いているのか。比べてみるのも面白そうだ。

 

「竜の化石」は今は何に使えるのかわからないが、鱗や牙が様々な道具に使うことのできる竜の一部が中に入っているのだ。

 将来的に何か作るのに使うことは十分可能だろう。

 というよりいつか使ってみたい。

 

「気に入ったんなら持って行きなよ」

「……………………はぁ?」

 

 思いもかけない言葉に、一瞬時が止まった。

 

 何を考えているのだろうこの人は。頭は大丈夫だろうか。

 

「君にはお世話になったからね。これくらいで返せるとは思わないけど。ま、お礼代わりってやつさ。そのナイフぐらいならいくらでも持って行きなよ。さすがに竜の化石は高いから無料(ただ)では無理だけど」

「……………………」

 

 開いた口が塞がらないとはこのことか。

 ただ、いくら無料(ただ)でくれると言質をもらったとはいえ、さすがにそれは図々しすぎる。物の値段を知っているからなおさらだ。

 

 仕方がない。さすがに財布が厳しすぎるので、適正値段をそのまま払う訳にはいかないが、ある程度こちらが譲ってあげよう。

 というより、この二つをまともに買うと、最悪銀貨二千枚ほどはいくだろう。

 うまくいけばそれを千枚以下で買えるのだから、大儲けだ。相手が告げた値段だし、そこを引くつもりはない。

 知らないザシャが悪いのだ。むしろ適正値段を教えてあげるのだから、こちらに感謝して欲しいほどだ。

 

 無論、教えるのは買い上げた後だけれど。

 

「ナイフと竜の化石、二つ一緒で銀貨二百枚。いかがですか?」

「え!? いや竜の化石も買ってくれるのは嬉しいけど、さすがに二百枚はないよ! 下げても四百五十!!」

「三百。今まで一つも売れていないのでしょう。まとまった金額を手に入れる機会を逃すべきではないと思いますが?」

「うう、そりゃそうだが……。けど、もともと竜の化石はもうちょい高いはずだろ? 下げても四百。これで決まり!」

「三百五十で。竜の化石を拾った場所を教えてくれるのなら、冒険者として雇いましょう。これでいかがですか?」

「売った!! まいどありい!!」

 

 そこまで雇って欲しかったのか、即決である。

 なんだ、冒険者の仕事が欲しかったのか?

 何にせよ、全く良い買い物をしたものである。

 アリアは自らの買い物にご満悦だ。

 

 さてそれでは親切な私は適正値段を教えてあげるか、とナイフを手渡されたところで、意地悪くアリアは口を開いた。

 

 

「そうそう、最後のお教えしますがこのナイフ、あなたは銀貨百枚とおっしゃいましたが、その程度の値段ではありませんよ」

「え、もうちょっと安い? やっぱりただのナイフに銀貨百枚は高すぎた?」

「なんで逆にいくんですか。その程度じゃないって言ったでしょう」

 

 すっとぼけたことをザシャがのたまってくれたので、ピシャリと言葉を叩きつける。

 

「最低でも銀貨五百枚。うまくいけば銀貨千枚はいきますよ」

「ははは、冗談がうまいね」

「冗談じゃありません。本当です。ここらでは珍しい鹿の角が使われた意匠に、銀製のナイフ。普通それくらいします。良ければ他のお店でも聞いてみますか?」

「え、いや、…………マジ?」

「マジです」

「……………………え?」

 

 絶句である。

 大口を開けてポカーンとしている姿は、たいそう間抜けである。

 

「えええええええええええ!!?」

 

 そして絶叫。

 驚くのはわかるが、うるさい。耳に痛い。

 

「え、いやいや、ちょっと、待って! おれんちの村で普通に使われてるものが銀貨、千枚!? うそだろおおおおお!!?」

「現実です。てか、周りの目をもう少し気にしましょう」

 

 ハッとあたりを見回すザシャ。

 だがもう遅い。周囲の露店を見ていた人たちは、何事かとこちらに注目している。

 

 声を潜め、周りの人達に聞こえないような声量でアリアは言った。

 

「知らなかったのなら仕方ありませんが、こんな高価なものをぽっと人に渡すのは感心しませんよ。さすがに無料(ただ)でいただくのも悪いのでお金を払いましたが、追加で出すものはなにもないですよ」

「え? ああ、なるほど。いや、いいよ。それは君のだ」

 

 きょとんと見返すアリアに、ザシャはニヤリと笑い返した。

 

「もともとそのナイフは君にあげるつもりだったしね。まあ、だいぶ安くなってしまったのは痛いけど、それはこっちの手落ちだ。後になってグダグダ言うつもりはないよ。銀貨三百五十枚でナイフと竜の化石はお買い上げだ」

「……良ければ、私の知っているそれらの品を買い取ってくれる場所をお教えしましょうか?」

「な、いや、そこまでしてもらうのも…………」

 

 言いよどむザシャに、アリアは言葉を連ねる。

 

「このままだとこれらの品はまともに売れませんよ。まあ、私がお教え出来る場所も、普通の商家とは違い多分手数料などが差っ引かれると思いますが、ここで無駄な労力を尽くすよりは遥かに金になると断言いたしましょう。それとも貴方は……」

 

 指をさす。ザシャが広げている商品に向けて。

 

「これらの品をただ無駄に朽ちさせるつもりですか?」

「……ああ、たしかにそれは嫌だな」

 

 吹っ切れたのか、カラリと晴れ渡った笑みをザシャは浮かべた。

 そして思い切り良く、その頭を下げた。

 

「おれの村の工芸品どこで売ればいいのかどうぞ教えて下さい!」

 

 思い切りが良いにしても良すぎだろう。土下座せんばかりの勢いでたのみこむザシャを見て、アリアが思ったことはただひとつ。

 

 仕方がない。

 助けてあげなければ、どこまでもドツボにはまりそうだ。

 

 そう思った時点で、アリアの負けだ。

 

「では、行きましょうか。案内しますので、私についてきてください」

「わかったよ。どこに行くんだい?」

 

 アリアがザシャに案内できる場所はただ一つ。

 

「『飛翔亭』です」

 

 冒険者の集う場所。

 ザールブルグの唯一の酒場「飛翔亭」である。

 

 

 

 

 

「飛翔亭」という酒場がザールブルグにある。

 元冒険者として名を馳せたディオ・シェンクが、一代で築き上げた彼の城だ。

 

 ザールブルグ唯一の酒場である彼の店は、毎日多くの冒険者が行き来し、様々な噂話や依頼が到来する。それは金を生み、時には多くの人々の生活を潤す。

 

 ザールブルグに拠点を持つ冒険者が避けては通れない場所。

 それが「飛翔亭」。

 

 ザールブルグの名士・ディオの誇る、彼の牙城であった。

 

 

 

 ざわざわと人のざわめきが、酒場の中に満ち満ちている。

 お酒の匂いが時折香るが、酒自体の質がいいのか不快感はない。アルコールの強い香りの中に、果物の甘い香りやホップの香りが漂っている。

 

 中には食堂として利用している人もいるのか、こんがりと狐色に焼けた肉にかぶりついている人もいる。香ばしい香りの中に交じる、柑橘系の匂いが爽やかでいくらでも食べられそうだ。おそらくソースにでも使っているのだろう。相変わらず手の込んだ料理だ。

 

 アリアの後ろで、きょろきょろと田舎者丸出しで酒場――「飛翔亭」の中を見回しているザシャを先導し、視力を矯正する丸眼鏡をかけた厳つい顔の中年男性の前のカウンター席に座る。

 男性もこちらに気づいたのか、手に持って拭いていたコップをカウンターに置き、アリアに向き合った。

 

 男性の名はディオ。この酒場「飛翔亭」のマスターである。

 

「久方ぶりだな。依頼はもう終わったのか?」

「ええ、今回の依頼の品はこちらです」

 

「いつものことながら、期限にはしっかり間に合わせるな」と、ディオはその厳つい顔をわずかに歪めた。

 

 アリアは手に持っていた袋を置き、中に詰め込んでいた瓶をカウンターに並べる。

 その瓶一つ一つ蓋を空け、ディオは中の薬品を真剣な様子で吟味する。

 

 この時はいつも緊張してしまう。

 自分の調合したものが評価をくだされる瞬間というものは、たとえ自信がある品であっても多少の不安をいだいてしまうものだ。

 

 ようやくディオがアリアの“ズフタフ槍の水”から目を話した時には、見た目は全くの無表情ではあったが喉がカラカラに乾いてしまった。

 落ち着くために一杯の水を口に含む。

 そんなアリアの様子を見て、意地悪気にディオは口の端を持ち上げた。

 

「お前さんでもまだ慣れないか」

「そう簡単に慣れるものでもないと思います」

「違いない」

 

 憮然とした調子で言い返せば、ディオの笑みはさらに深まる。

 これなら評価は悪くなかったのだろう。ただ、からかわれているようで少し気に障る。

 

「安心しな。今回の品も悪くない。まあ、少しくらいなら色を付けてやってもいい」

「ありがとうございます」

 

 宣言通り、本当に僅かではあるが予定の金額よりも多めに銀貨をもらうことができた。

 ずっしりとした袋の重みに、ついほくそ笑んでしまう。

 

「で、だ。なんでお前さんとそのザシャの坊主が一緒にいるんだ?」

「あ、名前覚えていてくれたんですね」

「当たり前だろう。何年酒場のマスターをしていると思っているんだ。新人の名前くらいは把握しておかんとな」

 

 嬉しそうに頭をかくザシャに、ディオからの追撃が来る。

 

「まあ、冒険者になろうっていうのに、鉈を装備しているような馬鹿者なんざ忘れようにも忘れられんよ」

「剣なんて上等なもんなくて…………。これが一番まともだったんですよー!!」

「さっさとまともな剣くらい一本買え。というか、冒険者をやるつもりなら街に来てからすぐに買え」

 

 腰に刺してある剣は鉈のような剣だと思っていたのだが、どうやら正真正銘ただの鉈だったらしい。

 よくもまあ、そんな装備で冒険者なんてやろうとしたものだ。あきれ果てて言葉も出ない。

 

「それでお前さんら今日は一体何のようだ? というより、お前さんらいったいつ会ったんだ。接点なんてないだろ?」

「会ったのは偶然ですね。まあ、お構いなく。今回のご用事はコレです」

 

 ザシャにいくつかの工芸品を出すように促す。

 本当はどこぞの商売人に渡すほうが効率が良いのだが、さすがに商人相手に渡りをつけられるほどアリアのツテも広くない。

 せいぜい「飛翔亭」が限界だ。

 

 幾つかザシャが村から持ってきた工芸品をカウンターに置くと、ディオの目の色が変わった。

 真剣に――特に鹿角ナイフを見定めている。

 

「こいつは……」

「えっと、これらはおれの村の特産品で、露店じゃなくてここに持ってくれば売れるからとレイアリアさんに教えてもらったので……」

「確かに、これくらいのもんになってくると露店では、な。もうちょい手馴れてるやつならまだしも、お前さんなら売っても偽物と思われてしまいだろう」

 

 実際そのとおりだったので、ザシャはぐうの音も出ない様子だ。

 しげしげとナイフや鹿の角で作った工芸品を検分するディオ。

 

 もう自分の役目は終わったと、アリアは二人を尻目にのんびりと頬杖をつく。

 

 カタン、と何かが置かれる音がした。

 見るとちいさなコップが置かれている。

 白く湯気が立っていて暖かそうだ。

 

「少し時間がかかりそうだからコレでもどうぞ」

「フレアさん」

 

 そこにいたのはやわらかな桃色の髪を青いリボンでまとめた女性、ディオの娘であるフレアであった。

 世の男性を魅了する暖かな笑顔がたいそう眩しい。

 

「ホットワインよ。体があたたまるわ」

「ありがとうございます。いただきます」

「どういたしまして」

 

 ホットワインにははちみつでも混ぜてあるのか、ほんのりと甘くておいしい。

 熱で酒精を飛ばしているとはいえ、やはりまだアルコールが残っているのか体がぽかぽかとあたたまる。冬には嬉しい一品だ。

 

「えっ、そこまでもらえるんですか!?」

「そこまで、とお前さんは言うがな。こちらは専門の商売人じゃないからかなり差っ引いてるぞ」

「いや、これで十分すぎますよ。ありがとうございます!」

 

 どうやらあちらも取引が終わったようだ。

 横目で見てみると、確かにディオの言うとおりアリアが予想した額よりも幾分か代金が差っ引かれている。

 

 手数料として考えれば当然か。

 ただ、これだけあれば冬を越えることは難しくない。

 むしろお釣りが来るほどだ。

 

「ま、これでお前さんも装備を整えろ。さすがに今以上の依頼を受けたいなら、鉈使いの冒険者なんぞ推薦できん」

「というより、今まで依頼を受けたことがあったんですね。鉈なのに」

「そう言うな。身なりはこんなんだが、意外とこいつの腕は悪くない」

 

 ほう、とアリアは少し感心する。

 ディオさんは他人に対する評価は厳しいが、その目は確かだ。

「腕は悪くない」と評するのなら、確かにザシャは冒険者としてなかなか期待できる人材なのだろう。

 

 これは次雇う機会は期待できる、とアリアは内心ザシャの評価を引き上げる。

 

 ただ、鉈というところを考えるとどうなのか。

 まあ、お金のない冒険者には、あり得ること、……なのか?

 

 冒険者の事情には詳しくないので、どうしても頭に疑問符がつく。

 ただ今まで見てきた冒険者で、鉈を装備している人は誰一人としていなかったような……。

 

「大丈夫ですよ。さすがに今回のお金でまともな剣を買いますから。さすがにこの鉈も結構傷んできたし」

「痛むほど使ってる時点でどうかと思うぞ。そしてそれで生き残ってるおまえさんもな」

 

 全くもってディオの言うとおりである。

 ホットワイン最後の一すすりを喉の奥に流し込みながら、アリアは出てくるため息を噛み殺すのであった。

 

 

 

「飛翔亭」を出てからの帰り道。

 雪はまだ降り止まず、ザールブルグの町並みを白く染め上げていた。

 

「今日は冷えそうだなぁ」

 

 ザシャが呟く。

 確かに今日の夜は冷え込みそうだ。

 

「レイアリアさんは、もう帰るのかい?」

「ええそのつもりです」

「だったら、おれが送るよ。さすがに女性を一人帰らせるのは危ないしね」

「ザールブルグでそこまで心配する必要はないと思いますが、お申し出はありがたく受け取ります」

 

 ザールブルグの治安は良い。

 下手に路地裏にでも行かない限り、女性が一人帰路につこうとも襲われる心配は特にない。夜も更けてくるとその限りではないが。

 

 深々と積もりゆく雪のためか、それとも別の理由があるのか。

 大通りというのに歩く人影は少なく、まるで二人きりでザールブルグを歩いているようだ。

 

「えらく人が少ないなぁ。飛翔亭にいく前は結構な人が歩いていたのに」

「多分武闘大会が始まっているからですよ。毎年年末にはザールブルグ最強の人間を決めるために、武闘大会が開かれていますから」

「へぇ、そんなお祭りがあったのか。そりゃ、楽しそうだ。今から飛び入りは……無理、か」

「無理ですね。たしか参加するのには事前申請が必要だったはずです」

「そりゃ残念。なら、来年参加してみようかな」

「鉈で、ですか?」

「さすがに鉈はもう買い換えるからね! 普通の剣持つからね!!」

 

 慌てて否定するザシャの姿はどこか滑稽だ。

 少し鉈を魔物相手に振るう姿を見てみたかったのは、内緒にしておこう。

 一体どうやって打ち倒すのか見てみたかったのだが、さすがにそれは全力で拒否をされそうだ。

 

「ああ、もう着きましたね」

 

 話しているといつの間にか距離を歩いていたのか、アリアのアトリエの前に着いていた。

 ちいさなアトリエだが、こじんまりとしていて過ごしやすい我が家だ。

 

「ああ、今日はありがとう。ほんとうに助かったよ。これで田舎への仕送りも何とかなりそうだ」

「それは良かった」

「ああ、本当にレイアリアさんのおかげだよ」

「レイアリアですか……」

 

 自分の名前なのだが、その長い呼ばれ方はどうしても慣れない。

 それとももう一つの呼ばれ方に慣れきってしまったのか。どちらなのかはすでにわからない。

 

「アリアでいいですよ。そちらのほうが慣れてますし。それと敬語も不要です。貴方のほうが歳上でしょう?」

「え、そうかい? 正直そちらのほうが助かるよ。敬語には苦手だからさ」

「わかってます。すでにいくらか崩れてましたからね」

「ですよねー」

 

 指摘をすれば、幾らかは本人も気づいていたのだろう。頭を抱えてしまっていた。

 というより、あれでも気にしていたのか。ほとんど敬語らしい敬語なんて使えていなかったのに、無駄な努力をする人だ。

 

「では失礼致します。また今度」

「ああ、また」

 

 別れの挨拶はお互いに短いものだった。

 雪舞う夜空に消えていく背中を見送り、アリアはアトリエの扉を閉めた。

 

 寒い。

 暖炉の火を消していったためか、体の芯から凍えそうなほどアトリエの中は冷えきっていた。

 

 慌てて暖炉に火を灯す。

 音を立てて燃え始めた薪にかじかんだ手をかざす。冷たくなった手にじんわりと炎の熱が伝わり、ほっと一息をつく。

 

 ぱちぱちと燃える炎を見つめているとなんだか落ち着いてくる。

 

 ふと思いつき、ポケットに入れておいた竜の化石を取り出す。

 竜の化石越しに炎を覗きこむと、赤い色ではなく明るい琥珀色に踊る火が見える。

 その柔らかな色合いはずっと見つめていたいほど、アリアを惹きつけた。

 

 調合の材料になる、珍しい代物。そうしたものとは関係なく、ただこれを買ってよかったと、何故か自然にそう思えた。

 

 ただ静かに、夜は更けていった。


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