アリアのアトリエ~ザールブルグの小さな錬金工房~   作:テン!

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 今回の話はオリジナル設定ばかりとなっております。原作では全くわからない部分を勝手に捏造しておりますので、公式設定とは全くの別物です。
 貴族制度も適当にいじくっていますので、現実のものとも原作のものとも齟齬が出ていますが、気にしないでください。

 ていうか、原作エリーのアトリエの貴族制度ってどうなってんでしょう?
 知っている方がいらっしゃいましたら、ぜひご指摘お願い致します。
 絶対原作と違うと思いますし……;
 お金で貴族の地位が買えるのはわかってるんですけどね。

 ちなみに今回はアリアが主軸ではなくユリアーネ視点のお話です。


第六話  ズフタフ槍の水と没落子爵家の子供

 

 アカデミーの長い廊下を一人の少女が歩いている。

 その少女は、稀代の名工が素材から厳選し、一手一手魂を込めて彫り出した大理石の像のように完璧な美貌をしていた。

 

 彼女の名はユリアーネ。

 正式名称はユリアーネ・ブラウンシュバイクという。

 

 ブラウンシュバイク家は、シグザール王国の南方、ドムハイト王国に近接する場所に自領を持つれっきとした貴族の家柄だ。国境線上、という重要な場所に領地がある故に、ブラウンシュバイク家はドムハイト王国からの侵略行為があった場合、先鋒を務めると同時に国境線を守りぬくという重大な役割を持っている。その役割故に、辺境伯という地位を王家から賜っていた。

 

 そう、賜っていた、だ。

 

 現在のブラウンシュバイク家を一言で表すと、斜陽の一族だ。

 かつてドムハイト王国との戦争で、シグザール王国の領土に一歩たりとも敵兵を通さず、南方を守りぬいた南の雄たるブラウンシュバイク家。

 

 しかし、当時のブラウンシュバイク家とその領土を守りぬいた南方の守護神である四代目ブラウンシュバイク家当主ヴィルヘイム・フォン・ブラウンシュバイクはすでに遠い昔の話と成り果て、代々の暗愚な当主が身代を食いつぶし、今や子爵家にまでその爵位を落としている。

 辺境伯の役割もその爵位の降格とともに違う家に奪われ、すでに昔日の面影はない。

 

 ユリアーネが生を受けたのは、そんな落ち目の家の長女としてだった。

 

 そして彼女が、アカデミーに通うのもそこに理由がある。

 

 ユリアーネが錬金術士を目指したのは、没落した実家の再興のため。

 錬金術士として大成し、自らが生み出した調合品により火のついたブラウンシュバイク家の家計を潤すこと。

 ただ、そのためであった。

 

 

 

 

 

 

 パラパラと本を捲る音だけが響く空間。

 人のざわめきは今日はなく、ただ静かに時だけが流れる。

 

 窓の外に目をやれば、久方ぶりの雲の切れ間が覗く冬晴れの日であった。

 ここ最近は雪の日が多かったことだし、こんなに綺麗に晴れた日は外に出て、散策や買い物などをしたくなるのが年頃の女の子というものだ。

 

 都合の良いことに今日はアカデミーの休講日。

 殆どの生徒はこの偶然に感謝し、せっかくの休みの日を使って羽を伸ばしていることだろう。

 

 だが、ユリアーネは行かない。

 

 気晴らしに時間を使うくらいなら、一冊でも多くの本を読みたい。

 参考書を読み、調合を行い、知識をため、自分の腕を磨きたいのだ。

 ほんの僅かな時間すら、無駄にはしたくない。

 

 時折、他の学生が羨ましくなる時もある。

 もっと気楽に、好きなように錬金術を学べたら、と思う時もある。

 

 詰め込むように知識と経験を積み重ね続けるのは、時々水に溺れたような息詰まった感覚を覚える。

 

(あの人のように、“これを作りたい”と思えるような何かに出会えたら……)

 

 そう思うのだが、それを探す時間すらもったいない。

 少しでも早く、僅かでも早く、一人前の錬金術士になりたい。

 自分の好きなことをするのはその後でも良い。“何か”を探すのはすべてが終わった後で、それで良いのだ。

 

 ユリアーネは自分に言い聞かせるように、羽ペンを持つ手に力を込めた。

 

 

「おや、ユリアーネも来ていたのですか」

 

 

 静謐な声が、空気を揺らした。

 

 その声には聞き覚えがあった。

 それは今一番会いたい人の声であった。

 

 先程まで読んでいた参考書から目を上げると、はたしてそこにいたのは予想通りの人物であった。

 

「あなたも参考書を読みに?」

 

 それはユリアーネの憧れ(アリア)の姿であった。

 

 

 

 

 ユリアーネはアカデミーに入学して以来、憧れている人がいる。

 

 その人の名はレイアリア・テークリッヒ。ユリアーネがアカデミーに入学して初めてできた友人だ。

 

 彼女はまさしく、ユリアーネが漠然と抱いていた理想が形をとった存在であった。

 

 ユリアーネの家系は、今は寂れ廃れきったとはいえ、もともと武門の家系だ。

 彼女もまた、幼いながらも枕物語の一つとして語られたヴィルヘイム・フォン・ブラウンシュバイクのお話に、胸を躍らせたものだ。

 

 ユリアーネの価値観は幼いころから武門のそれであり、それ故に華奢で柔らかな女らしい自らの顔かたちをあまり好いてはいなかった。それは他人や自分の性情、物品に対する価値観にも及ぶ。

 

 彼女が好ましく思うのは、絢爛豪華な細工がふんだんに施されてはいるが、実用性が全く考えられていない身を飾る銀細工の品ではなく、「我は斬るためにある」と無言で存在感を放つ飾り気の無い剣や無骨な職人たちが使うどこまでも使用することだけを考え、作られ、手入れを施された職人道具だ。

 実用性を追求し、機能美にまで昇華したものにこそ、ユリアーネは美や感動を覚える。

 

 そしてアリアは、ユリアーネが憧れる要素をすべて持った初めての同い年の女の子であった。

 

 背はスラリと高く、体躯は細いがその腕回りや足回りには、蝶よ花よと育てられた貴族の子女とは一線を画する量の筋肉がついている。

 

 むろん、女性でも冒険者のような戦いを生業にしているものからすれば、アリアの力などさしたるものではない。筋量もそこらの庶民の娘よりはついているかな? といった程度だ。

 しかしながら、その程度だからこそ初夏に伸びる若枝のように伸びやかな姿形を保っている。

 

 ユリアーネも、戦いを生業とする本物の女冒険者や女騎士と会ったことはある。

 ただ、彼女たちとユリアーネは全く別の生き物だ。淡い尊敬の念をいだいても、憧れはない。

 ユリアーネは貴族の子女だ。ユリアーネには肉体的に強くあることは許されない。夫となるものを立て、支えるためには脆弱な貴族の男を威圧することになる強さなど不要でしかない。

 だからこそ、ユリアーネは冒険者や騎士として生きる彼女たちとは結びつかないし、触れ合わない。遠い世界の存在として、少しだけ思いを馳せるだけだ。 

 

 けれどアリアは違う。たしかにアリアは庶民の人間だ。貴族という枠組みの中にいるユリアーネとは、本来会うことすらできない人間だ。

 けれど、彼女は自力でここまできた。

 庶民でも栄達が許されるアカデミーという場所に、アリアは自力で立ったのだ。

 

 そしてユリアーネは憧れ(アリア)をその目に映すことができた。

 

 彼女は冒険者でも騎士でもない、弱い庶民の人間だ。

 

 けれどもだからこそユリアーネは憧れを許される。

 彼女は戦いを生業にするもののように強くなることは許されない。それは彼女の役割とは違うからだ。

 

 けれど、戦いを主とせずとも、最低限肉体を鍛えることはできる。

 それを、ユリアーネは初めて知ることができた。

 

 それは生きることを目的とした、一つの美としてユリアーネの目には映った。

 

 アリアは確かに、ユリアーネが立つ場所で許される彼女の理想だったのだ。

 

 

 一度そうした目で見ると、ユリアーネの目にはアリアのすべてが好ましく見えた。

 いや、もともとアリアのすべてがユリアーネの好みと合致していたのか。今ではどちらなのかもうわからない。

 

 ただ、女性にしては高い背に、細い割には脆弱さを感じさせない範囲で筋肉がついている体。黒髪碧眼というおとなしい色合いも相まってか、どこか凛とした清澄な印象を人に与える容貌。変わりにくい表情もあってか、一種独特の迫力がある雰囲気。

 

 全てが、ユリアーネの理想になった。

 

 そしてアリアが見せた何気ない優しさに、あとはもう転がり落ちるばかりとなった。

 

 初めての調合実習で、腕力が足りずなかなか魔法の草が潰せなかったユリアーネを助けてくれたのがアリアだった。

 彼女は、魔法の草を潰すことを手伝ってくれただけではなく、どうすれば効率良く潰すことができるのか、魔法の草を簡単に絞る方法といったその時ユリアーネに必要だったことを、一つ一つ細かく詳細に教えてくれたのだ。

 

 凛としていて、それでいて優しい人。

 

 可憐と評されるも、威圧感など欠片もない容姿。

 貴族だというのに、すぐに動揺し考えが表に出る性質。

 自分のことに精一杯で、周りのことに目を向ける余裕すらない。

 

 そんな自分とは大違いだと、ユリアーネは自分に対する劣等感の反動か、アリアに対して強い憧れと好意を抱いていた。

 その好意を素直に示せば、アリアもまた好意を返してくれる。

 

 この良循環に、ユリアーネは夢中になっていた。

 

 

 ちなみにアリアもまた、ユリアーネのつい守ってあげたくなるような可愛らしい容姿や、すぐに色々と表情の変わる感情豊かな性質、何事にも懸命に努力する姿勢といった部分に強い好意を抱いている。

 

 ある意味、似たもの同士と言えるかもしれない。

 

 

「それにしても休みの日まで勉強とは……。勤勉ですね」

 

 しみじみとアリアに言われて、ユリアーネの頬に血が上る。

 ほめられるのは嬉しいのだが、少し気恥ずかしい。

 特に憧れている人から言われれば、なおさらだった。

 

「そ、そんなことないですわ。それにアリアさんだって今日は勉強しにいらしたのでしょう?」

 

 誤魔化すように「今回はどんな参考書を?」とアリアに話題を振れば、いつもと変わらぬ調子でユリアーネに持っていた参考書を見せてくれた。

 

「『自分で作れる薬』ですか。今回は薬品についての参考書なのですね」

「ちょっと依頼で必要になったので」

 

「後日きちんと買うつもりです」と言い置いてから、アリアは参考書に没頭していった。

 時折、メモをとるカリカリという音が、図書館に響く。

 ユリアーネも同じように、参考書の世界へと沈み込んでいった。

 

 それにしても依頼か、と参考書の文字を目で追いながら、ユリアーネは今聞いた内容を反芻する。

 

 前にチラリと聞いたのだが、アトリエ生は自活していくために、いろいろな仕事を受けてお金を稼いでいるらしい。錬金術で作り上げた産物を、仲介などを通して売り払うのが主な仕事とのことだ。

 

 興味が無いといえば嘘になる。

 

 アリアがアカデミーに通うのは、傾き続ける実家の身代を立て直すためだ。

 もともと学費くらいは自分で何とかしたい、とユリアーネは考えていた。

 依頼を受けるようになれば、アカデミーで淡々と学び続けるのに比べて、学費だけでなく実家に小金ともいえども仕送りをすることもできるし、将来的に実家に戻った時、依頼をこなした経験があればすぐさま錬金術の技能を生かし、家のために邁進することも可能だ。

 

 メリットしかないように見えるが、しかしながら物事には良い面が悪い面も存在する。

 メリットが有るということはデメリットも存在するということだ。

 

 当然のことだが、ユリアーネが依頼を受けるようになれば、講義を受ける時間が減る。

 講義は知識の宝庫だ。錬金術士として力をつけるためには、調合するだけではなく講義を受け、基礎からじっくりと積み上げていくのが何より肝心だ。

 傍目からは好き勝手に講義を受けて、ほとんどの時間を調合に費やしているようにみえるアトリエ生とて、必要最低限の講義は受講するように教師から厳命されている。

 

 勉強熱心なアリアは、色々な講義に自主的に参加している。そのおかげか、アリアはアトリエ生の中でも順調に力をつけていっている数少ない生徒の一人だ。講義に参加し基礎的な知識を得た上で、図書館で細かいレシピを調べ、その上で調合に臨んでいるアリアはかなり慎重な方だ。だが、その慎重さが歩みはゆっくりではあるが、確かで堅実な成長に繋がっていた。アリアと同じように順調に学習を進めている生徒は、実はアトリエ生の中では数少ない。

 

 大半の生徒は講義を必要最低限まで減らしすぎたため、実践に必要な知識をなかなか得ることができず、調合の回数だけ増えるばかりで実際の実力に結びついていないように見える。

 知識が足りないが故に、失敗の原因を探りだすことが難しく、ただ闇雲に調合に手を出す生徒が多すぎるのだ。おかげで無駄な失敗を繰り返すばかりで成長がない。

 

 ユリアーネがアリアに依頼を頼むのは、何も彼女が友人だからだけではない。アリアほど信頼して仕事を頼むことの出来る人材が、ユリアーネくらいしかいないからだ。

 他のアトリエ生では実力面で足りない人物が大半だし、実力的に不足のない人はツテがない。

 当然だが、寮生に頼むのは不可能だ。依頼を受ける生徒自体がいないし、寮生の調合したものは使った素材がアカデミーから提供されたものなので、アカデミーに全部提出しなくてはならない。

 まともな寮生で、外の依頼を受ける人間など皆無だ。

 

 余談だが、アカデミーの学費は王立の学習機関の中でも飛び抜けて安い。それは、学生の調合物を原料費だけだして無料で徴収しているためだ。これは、殆どの学生が知っている事実だ。

 ちなみに一部の優秀な生徒は、あまりにも調合物を大量に納品したためか、学費を完全免除されるようになったという。嘘か本当かはわからないが、少し気になる噂である。

 

 次の問題点として時間の調整が難しいことがあげられる。

 講義は単位制なので時間の調節は可能だが、それでもアトリエ生であるアリアのように好きな時に好きなだけ採取や調合を行える訳ではない。

 依頼を受けるならどうしても授業の片手間にやることとなるだろうし、そうなれば稼げる額も知れている。むしろ初期は、深窓の令嬢であるユリアーネの護衛を雇う費用で、赤字となることを覚悟しなければいけないだろう。

 

 それで採算が合うのか、というのもわからない。

 正直、相場も何もわからないのでやってみるまでどれだけの利益を上げられるのかは、想像もつかない。アリアの話を聞いても、想像の補強が出来るだけで、根本的な問題解決にはならない。アリアとユリアーネでは立場が違いすぎるのだ。

 

 そして最大の問題点が、依頼を受け取る場所も依頼の受け方も何も知らないということだ。

 これはもう、ユリアーネの立場からすれば、アリアを頼るより他にはない。教師陣から話を聞く、という手もあるが、直接依頼のやり取りをしているアリア以上の適任が存在するのか、と問われれば「Nein(いいえ)」と答えるしかない。

 

 つまりは、どうあってもいきあたりばったりにしかならないのだ。

 しかもアリアに頼りきった状態で、である。

 

 気が引けるどころの騒ぎではない。

 一方的に人に、しかもちょっと憧れている、出来れば良いところばかりを見せたい人に頼りきりの状態がどれだけ嫌なことか。

 

 けれども、だからといって何もせずにそのままというのも嫌なものだ。

 最終的には手を出さないと決めたとしても、それまでに色々と試してはみたい。出来れば話しくらいは軽く聞いておきたい。

 

(ちょっとくらい世話話をするくらいでしたら……)

 

 それくらいなら普通の世間話の範囲内ではなかろうか。アリアに迷惑をかけることもない、頼るわけでもない。ただ少しだけ、何の気なしにお話をするだけ。

 どうせなら、この書きものが終わるまでの間少しだけ……。

 

 ぱたん、と分厚い参考書を閉じる音がした。ハッとする。つい自らの考えに夢中になっていた。

 ぱんぱん、と幾枚かの紙を揃える音もユリアーネの耳に届いた。

 

 顔を上げてみてみると、もう参考書の内容を紙に書き写したのか、紙の角を机で叩き上下を揃えているところであった。

 いつの間に時間が経っていたのか、アリアはもうすでに自らの作業を終わらせていた。

 

「あら、もう終わりましたの?」

「ええ、あなたは?」

「私も、もう少しですわ」

 

 実際にそうだ。

 ユリアーネの仕事はアリアが来る前に、そのほとんどを終わらせていた。

 まだ終わっていないのは、たんに自らの頭の中に沈み込んでいたからに他ならない。

 

 考えに没頭しすぎて、時間を無駄にしすぎた。

 今はこんなことで時を浪費している場合ではないでしょう。反省しなくては、とユリアーネは頭を振り気持ちを切り替える。 

 

「あとは、これだけで………………できましたわ」

 

 手早く最後の文章を書き終えると、インクを吸うための捨紙を数秒間紙にかぶせ、すぐさま元の位置に戻す。多少、雑に重ねたからか、少し滲んでしまった箇所がある。もう少し丁寧にすればよかったと後悔したが、読むのは結局のところ自分だけだ。

 

 読めれば問題はありませんわ。見た目は二の次にいたしましょう、とユリアーネは自分に言い聞かせる。

 

 アリアと同じように角を揃え、参考書を持ち立ち上がる。

 ユリアーネが終わったのを確認して、アリアもまた席を立った。

 

 自然と合わせてくれたが、ユリアーネはアリアを待たせてしまったことに、少し心苦しく思う。 

 

「そういえば、アリアさん。依頼で必要になったお薬は一体どのような品なのですか?」

「ああ、こちらです」

 

 気を紛らわせるように話を向ければ、アリアもまたそれにのっかってくれた。

 少しホッとするが、顔には出さずにアリアの差し出してくれたレシピを覗きこむ。

 

「“ズフタフ槍の水”ですね。あら、睡眠薬も依頼で取り扱っているのですね」

「魔物を眠らせるために使うらしいですよ。聞いた話だと、冒険者の方が結構使っているようです」

「あら、自分で使うわけではないのですね」

 

 そういえば、どこかで聞いたことがある。

 どこかの狩人は、獲物を捕まえるために眠り薬入りの撒き餌を使うらしい。

 魔物といえど、眠らせてしまえば捕獲するのも退治するのも思いのまま、ということか。

 

「どの魔物にも絶対に効くというわけではないらしいですが。中には効きにくい奴もいるらしいですよ」

「それは大変。効かなかったら一大事ですわ!」

「その場合は腕節が重要ですね。まあ、使い方を間違えない限り絶対に効く、といった程度には効力を上げるつもりですのでご安心を。仕事に手を抜く気はございません」

「あらあら」

 

 責任感の強い方ですわね。

 知らず知らずのうちに、ユリアーネの赤い唇が弧を描く。

 

「良ければ、あとでアリアさんの作った“ズフタフ槍の水”を見せて下さいね。どれだけの品か、とても興味がありますわ」

「じゃあ、ユリアーネさんのも見せて下さいね。交換条件です」

「あら、比べっこですわね。もちろんよろしくてよ」

 

 ユリアーネは寮生だ。残念なことだが、アトリエ生であるアリアに比べて勉強の進度は進んでいる。もちろん“ズフタフ槍の水”も調合したことがある。

 まともに勝負をすれば、アリアが勝てるわけがない。

 

 それでも比べ合いをするということはなにか自信があるのか、他に何かあるのか。

 ユリアーネとて異存はない。アリアが何をするつもりなのか、少し興味がある。

 

「いつお持ちいたしましょうか?」

「材料はすでに揃っています。明後日は?」

「うふふ、問題ありませんわ」

 

 そうと決まったなら、(わたくし)も全力でお相手しなくてはいけませんわね。

 

 とユリアーネは内心牙を研ぐ。

 大人しげな外見に他人は惑わされがちだが、ユリアーネは武門の娘。

 勝負事というものが大好きであった。

 

 

 

 アリアと別れてから、ユリアーネは自らの部屋にまっすぐ向かった。

 実験室で調合するという手もあるが、寮生の部屋にも調合を行うための最低限の設備はあるし、調合室の一角を借りる手間が面倒だ。

 “ズフタフ槍の水”程度なら部屋で調合することも可能なので、逆にそうした手間が本当に煩わしいのだ。

 

 ズフタフ槍の水はザールブルグでは古くから伝わる睡眠薬で、錬金術の技法を使わないのなら、そこいらの子供でも作ることは可能だ。

 もちろん、錬金術の技法を使ったほうが薬の効力を引き出すことができる。ただ、それでも薬の中では簡単に作ることができるものであることは間違いない。

 

 まず蒸留水の中にズフタフ槍の草を浸し、そのまま潰して草の汁をだす。

 黄色の穂先も一緒に入れて、しっかりと花粉ごと蒸留水の中に落としこむ。満遍なく潰し終わったら、液体が黄緑色に染まる。そこでズフタフ槍の草を入れたまま、中和剤(青)を混ぜるのだ。

 

 少し中和剤(青)は混ざりにくいのだが、ここで決して泡立てるほど強くかき混ぜてはいけない。

 ゆっくりとしっかりかき混ぜると、だんだん緑色が薄くなりなぜか少し赤みがかった黄色になる。

 

 この状態までいけばほぼ完成なのだが、最後の仕上げとしてろ過器を使い不純物を取り除く必要がある。

 大きなズフタフ槍の草の残骸はピンセットで取り除き、小さいものはろ過器に頼る。

 ここで面倒だからといって、素手でズフタフ槍の草を取り除くといったことはしてはいけない。どれだけ綺麗にしていても、手についた汚れなどのせいで、品質に問題が出るからだ。

 最悪、そのまま失敗してしまう。

 

 ゆっくりとゴミが入らないようにだけ気をつけながら、ろ過を終えれば仕上がりだ。

 

「これくらいでしょうか」

 

 品質効力共にB+。まずまずの出来だ。

 何度か調合した品なので、出来上がりの質はすでに安定している。

 

「アリアさんの調合したものは、一体どれだけの品でしょうね」

 

 見る時が楽しみだ。

 

 カーテンの隙間から外を見ると、すでにとっぷりと暮れ、闇の中にザールブルグの町並みが沈んでいる。

 少し夢中になりすぎたようだ。就寝時間はとっくの昔に過ぎている。

 

 お気に入りのネグリジェに着替えてから、煌々と部屋を照らすランプの灯を消し、柔らかい寝床に潜りこむ。 

 

 ああ、明後日が楽しみですわ、と約束した日を待ち望みながら、ユリアーネは夢の世界へと旅立っていった。

 

 

 

 

 翌々日の講義が終わった後、さっそくユリアーネはアリアに話しかけたのであった。

 

「“ズフタフ槍の水”はいかがでしたか?」

「ええ、良い出来ですよ」

「うふふ、(わたくし)もですわ。じゃあ、さっそく見せ合いっこをいたしましょう」

 

 アリアの言葉は真正直だ。彼女が良い、と言うのなら、本当にその出来はとてもうまくいったのだろう。

 ぱかり、と瓶のフタを開ける。

 

(あら……?)

 

 少しユリアーネは疑問をいだいた。

 ユリアーネの調合したズフタフ槍の水は赤みがかった黄色なのだが、アリアのものは色がだいぶ濃い。かなり赤みが強く、もはや黄色ではなく、橙色といったほうがピッタリだ。

 

 ここまで違いが出るものだろうか、と疑問に思うが、総合ランクはBとユリアーネよりは低いがそれなりの値を叩き出している。

「良い出来だ」と言っていたので、もう少し高いかと思っていたのだが、少し残念だ。

 まあ、アトリエ生と寮生の差を考えればこの程度だろう。むしろこの値はアリアの優秀さを示している。アトリエ生であるにもかかわらず、入学して数ヶ月で、寮生に張り合えるだけの実力をつけているのだ。

 

(わたくし)もうかうかしているわけにはいきませんわね)

 

 少し気合を入れ直し、改めて品質と効力を泉温の道具を使い調べてみる。

 

「…………え?」

 

 思わず声が出てしまった。

 けれどそれも仕方がない、アリアの作った“ズフタフの槍の水”の品質・効力があまりにも異常な値を示していたからだ。

 

 アリアの調合した“ズフタフ槍の水”は品質こそC-とあまりにも低い数値だったが、その効力が異常であった

 

 効力A+。

 

 後一歩で、効力の最高ランクがつくという手前まで来ていたのだ。

 

 この落差はあまりにもありえない。

 何かをしたのだ、アリアは。

 その何かは、ユリアーネには全く想像がつかなかったが。

 

「どうやって、この効力を引き出せたのですか?」

「ふむ、いや別にそこまで特別なことをしたわけではありません」

 

 いつもの様に淡々と言葉を連ねるアリア。

 けれど、その言葉の端々に「してやった!」という感情が見え隠れするのは、ユリアーネの気のせいだろうか?

 

 アリアは口元に人差し指を当て、正解を口にした。

 

「ただ、少しズフタフ槍の草をレシピのものより多めしてみただけです」

「多めに、ですか?」

「はい」

 

 ズフタフ槍の水は、いわゆるズフタフ槍の草の効力を抽出し、引き出したものだ。他の素材は蒸留水・中和剤(青)である。ズフタフ槍の草をなじませたり、より効力を引き出すためにあえて混ぜ合わせた不純物だ。

 単純に考えれば、ズフタフ草の割合を増やせば効力が増すのは当然といえる。

 

「まあ、品質も下がってしまいましたし、結局昨日の間に成功したのはそれ一つです」

 

「失敗は三回くらいしましたね。今日もまたご飯はベルグラド芋ですよ」とアリアは簡単に言うが、よくもまあこんなことを自力で成功させたものだ。

 

「天秤は使ったのですか?」

「……アカデミーで売っているものは銀貨八百枚と高いのでまだです。今回は少し使いたかったですね」

 

 アカデミーで販売されている天秤の精度は通常のものよりも高く、後々高度な調合を行うなら必須の品だ。今はまだ要らないが、それでも比率を変えて調合するのなら、精度の良い天秤は必要だ。

 よくもまあ、自分の手や目で大雑把にとは言うが、素材を測れたものだ。

 

 その分失敗も多く、総合ランクではユリアーネに負けているが、成功例があるだけ十分な成果だ。

 

「よく挑戦してみようと思いましたね。確かに聞いてみればできそうですけど」

「思いついたらできそうだったので、つい。一度目から反応は悪くなかったですし」

 

「それに昔からこう言うでしょう」と、アリアは小さく口の端を上げた。

 

「やってみなければ分からない、と」

 

 

 

「それではこの“ズフタフ槍の草”を依頼に出してきますね。今回見せていただいのは良い基準になりました。これなら大丈夫そうです」 

 

「ありがとうございます」と一言残し、アリアは講堂から出て行った。

 残されたのはユリアーネただ一人。

 

「残念ですわ」

 

 ポツリと、ただ一人だけの講堂で、ユリアーネの声が響いた。

 

「今回は(わたくし)の負け、ですわね」

 

 負け、と口にする割りにその顔は晴れ晴れと、清々しいほどに晴れ渡っていた。

 そしてユリアーネもまた、講堂から出て行った。

 

 残るは誰もいない。

 冬の西日が、明るく中に差し込んだ。

 




 普通は天秤がなければブレンド調合はできません。あと、イングリド先生から教えて貰う必要モアあります。

 けど物によっては、特に初期の調合品なんかは「これ少し多くしたら効力上がりそうだよね」ていうものがすごくわかりやすいです。
 アルテナの水のほうれん草とか、栄養剤のオニワライタケとか。濃縮すれば効力上がりそうな調合品は、マジでそのまんま比率を上げれば効力が上がります。

 多分気づく人は気づくんじゃないかなーというのが、筆者の考えです。
 一度試してみたら結果は出るわけだし。天秤がなくてもある程度、適当な分量を測ることは可能だし。

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