アリアのアトリエ~ザールブルグの小さな錬金工房~   作:テン!

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 今回も私の拙い小説を呼んでいただき、本当にありがとうございます。
 エマさんとディルクの紹介回がようやく終わったので、ちょっとホッとしています。

 次からはもうちょっとほのぼのしたいなー。
 できたらいいなー。


第三話  鉄とチンピラとジプシーの乙女(下)

 

 

 ストルデル川。

 ザールブルグの東にその大河は流れている。

 この川の支流の一つはザールブルグの穀倉地帯にまで伸び、人々の日々の糧を提供する畑を潤している。

 

 またこの川の上流では、未だ人の手が入っていない場所も多く、ガッシュの枝やレジエン石といった豊富な資源で満ち満ちている。

 

 この地の恵みは尽きることはなく、今日も人々の生活を根底から支え続けている。

 人がその恩恵を忘れても、そして再び思い出したとしても、ただ川は流れ続ける……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 ザールブルグを出て二日目にして、ようやくアリア達はストルデル川の上流にたどり着いた。

 

 音を立てて流れる水が、岩にぶつかり白い泡となって宙を跳ねる。高く広がる秋晴れの空と同様に、この場の空気は澄んでおり、空中に散った水滴のおかげか清らかな涼風が辺りを包んでいた。

 時折漂ってくるガッシュの香りには、目の覚めるような鮮烈さがある。しかし、燻製された代物に比べて、その香りはまだ穏やかなものであり、不快なものではない。むしろこの鮮烈さがストルデル川の印象をより深いものにしている。

 

「ようやく到着かよ」

 

 げんなりした表情を隠そうともせずに、ディルクがジトリとした目で辺りを見渡した。少々目付きが悪いので、その程度の仕草でも妙な迫力があった。

 風光明媚な光景だが、ディルクは特に感慨らしい感慨もなかったのか、周囲を一瞥しただけで目の届く場所に荷物を下ろし始めた。

 

「ちょっと、もうちょっと何かないの?」

「あぁ? 何かって何を言えばいいんだよ。景色でも褒めろってか?」

「あら、わかってるじゃない」

 

 そう軽口を叩き合う恋人同士の姿は、見ていて微笑ましい。

 若いとは良いことだ、と思うが、改めて考えれば、ディルクとエマは十七歳、それに比べてアリアは十五歳と実はアリアがこの中で一番年下だったりする。

 

「すみません、エマさん。ちょっと川の中に入りたいので、護衛をお願いしたいのですが……」

「ええ、いいわよ。ディルク、あなたは火でも熾しといてちょうだい。それと、こっち見ちゃダメよ」

「あほか、見ねぇよ」

 

 律儀にもアリアたちに背を向け、薪を探しに行くディルク。

 それを確認して、エマは腰に吊り下げていた細身の剣を引きぬいた。

 

「さて、こちらはいつでも大丈夫よ。いったい川の中で何を探すのかしら?」

「今回は、レジエン石という石をメインで採取を行う予定です」

「レジエン石、ねぇ……。石ってことは重いわよね。あなた帰りは持てるの?」

 

 心配してくれるエマに向かって、腕まくりをしながらアリアは応えた。

 

「いざとなったらディルクに運んでもらうので、大丈夫です」

「悪い子ねぇ、あなた」

 

 そう言いながらも、エマの顔はいたずらを思いついた子供のように、どこか邪な気配を漂わせていた。

 おもしろがっているのだろう。

 

 昨日二人きりで話してから、エマから発せられていた張り詰めた空気が和らいだようだ。

 気安く話しかけてくれるし、時には冗談も織り交ぜてくるようになった。

 

 恋敵になりえないと気づいたからだろう。

 その認識は正しいので、どうかそのままでいてほしいものである。

 

 

 紺色の錬金服の袖を二の腕まで捲り上げ、長いスカートの裾を膝のあたりで固定する。

 いざというときにすぐ反応できるよう、エマには川岸で待っていてもらい、一人川の中を進む。

 

 すでに秋も深まり冬が近くなってきたからか、川の水はキンッと冷たく、流れも早い。

 気をつけなければ、足を取られて転んでしまうだろう。

 

 けれどその代わりというべきか水は澄んでおり、川底までたやすく見通せる。

 さほど川岸から離れずして、アリアの探し物はみつかった。

 

「あった、これだな」

 

 それは鈍く光る灰色の鉱石であった。

 大きさは拳二個分といったところか。大きさに相応しい重量が、手にずしりとした実感を伝える。

 

 レジエン石。

 

 それがその鉱石の名前だ。

 

 鉄や雨雲の石の素材であり、ザールブルグではストルデル川をさらに遡った東に大きな鉱山がある。

 採掘量は多く、その鉱山だけで国中の大半の鉄がまかなえる。それ故か、シグザール王国では鉱山以外で採れるレジエン石の扱いは雑で、ストルデル川で取れるレジエン石は国ではなく、拾った当人のものになると定められている。

 

 

 シグザール王国は鉄だけではなく銀山も豊富で、自然も豊かと改めて考えれば恵まれた環境にある国だ。

 ただ全てが完璧というわけではなく、隣には豊かな国土を持つシグザール王国を狙う大国ドムハイトが控えている。鉱山の質と量の割に金山は全くなく、何十年も前、僅かに作られたきりのシグザール金貨が、シグザール王国唯一の金貨という有様である。

 

 国が豊かな現状、問題は表面化していないが、流通用の貨幣が銀貨しかないというのは貿易の面でも不利であり、出来れば国内の金量を増やしたいと代々の国王は願っていた。

 そんな中、唯一まっとうな手段で金を作り出すことのできる錬金術という技術が重要視されるのも当然といえよう。わずか二十年で新興技術である錬金術が、アカデミーを設立し国の主要産業の一つにまで上り詰めたのには、こうした背景も存在していた。

 

 

「見た目はあんまり綺麗じゃあないわね」

 

 少し残念そうにエマが呟いた。

 

 あいにくだが、原石なんてそんなものである。

 宝石とて磨かなければ、そこらの石っころと変わらないのだ。当然、鉄の元となる石なんてソレ以下であってもおかしくない。

 

 けれどアリアにとっては見た目など関係ない。

 わざわざレジエン石を探すために、ストルデル川までやってきたのだ。今の彼女にとって、鈍色に光るこの石は、金の塊よりも重要なものだ。

 

 そしてこの場所を軽く見渡せば、そんなお宝がごろごろ転がっていた。

 

 ただこれは今日は採らない。

 

 日の高さを確認すれば、今はまだ明るいが、あと幾らもしないうちに空が赤らみ始めるだろう。

 今わざわざ採集を行うよりも、今日は採るものの場所を確認し、明日の朝一気に行動するほうが効率的だ。

 それに、今日のうちに軽く採取するものを確認しておけば、質のよいものと悪いものをふるい分けることもできる。焦って下手なものをとるよりは、そちらの方がはるかに良い。

 

 どうせこの時間だと、今日中に帰路につくことはできないのだ。急ぐ必要はない。

 まずは川縁を見てみようと、アリアは足を向けた。

 

 

 川縁には、穂先が槍そっくりの形のした草がいくつも生えている。ズフタフ槍の草だ。

 この草には眠気を誘発する成分が含まれており、下手に穂先についている黄色い花粉を吸い込むと、そのまま眠りこけてしまうこともあるほどだ。

 そのため、このズフタフ槍の草は、安価な睡眠薬として昔から使われてきた。

 

 形の良い物を一、二本ナイフで切り取り、花粉が外に漏れないよう袋に入れて口をしっかりと縛る。

 この袋は、もうズフタフ槍の草専用にしよう、と決めた。

 他の素材に、ズフタフ槍の草の花粉なんてつけたくないからだ。

 

 

 次に足元を見てみれば、普通の砂利に混ざって白味の強い小石がある。

 アリアは手にとり、持ってきていた図鑑でその石を確認した。

 

 思ったとおり、その石はフェストという石だ。

 

 フェストは表面のサラリとした質感の割に固く、砕くのも一苦労な鉱石だ。

 しかしながら、フェストを砕き磨り潰してできた粉は、これ以上ないほど質の高い研磨剤となる。

 その事実が知れ渡ってから、ザールブルグで使われる研磨剤は、全てフェストから作られるようになったほどだ。

 

 

 最後に川近くの岩肌を見てみれば、こちらはもう一目瞭然だ。

 先に赤い色の花をつけたガッシュの灌木が岩肌の割れ目から、ところ狭しといくつも顔を出している。

 根本には白地にピンク色の斑点があるちいさなキノコが、いくつも生えている。

 

 近づけば、その鼻を刺す独特の強い匂いがする。一本折ってみれば、更に香気が強くなり、アリアは顔をしかめた。しかし、この匂いが虫よけとしてとても重宝するのだ。

 これから採集活動をするたびに、このガッシュの枝にはお世話になるだろう。

 

 アリアは少し多めに採っていくことに決めた。

 

 

 白地にピンクの斑点のあるキノコは名前をケムイタケという。

 これはガッシュの根元に生えるキノコであり、ガッシュのある場所でしかとれない。

 ガッシュと一緒に生えているキノコとは思えないほど、キノコ自体に香りはない。だが、これを燃やすと大量の黒い煙が出てくる。

 あまりにたくさん出るので、昔は狼煙を上げるときにも使われたという。それゆえについた名前がケムイタケ。

「安直な名前ね」とエマには大変不評だった。

 

 

 

 ストルデル川の色が、沈む夕日で赤く染まり始めたころ、ようやくアリアは採取するものの目星をつけ、エマを伴いキャンプ地へと戻ってきた。

 

 キャンプ地では、火はすでに赤々と燃え、鍋がかけられていた。火の周りには長めの木串に挿した魚が等分に並べられており、じゅうじゅうと魚の油が音を立てて落ちる。脂は鍋の中に落ちるよう調節されていた。油が落ちるたびにちいさな火花が、ぱちりと音を立てて跳ねた。

 よく見れば、腹の部分が横に一文字に綺麗に切られており、内臓が取り出されている。

 

「あら、美味しそう。相変わらずマメねえ」

「うるせぇよ」

 

 口ではなんと言いながらも、エマが嬉しそうにしているためかディルクの機嫌は悪くはない。

 

 口調はそこらのチンピラと同レベルだが、育ちが良いためかディルクは基本真面目でマメな性格だ。頼まれた仕事はきっちりこなすし、女二人組が疲れて戻ってくることを予想してか、こうして野宿の準備も整えてくれる。

 仕事も丁寧で、魚には内臓の欠片すら残っていない。

 

 これで口調や態度がまともなら……、と干し肉を炙りながらアリアは思ったが、丁寧な口調のディルクなどもはや悪夢である。背筋がゾッとしない。 

 

 丁重に脳裏から排除し、アリアは炙った干し肉を削ぎ落し、鍋に入れていく。味が出てきたところで、採取の下調べついでに取った野草を入れる。

 いくつか自生していたハーブもみつけたので、それも鍋にいれると香草の良い香りがあたりに広がった。

 香りが飛ばないよう煮立て過ぎないところで、火からおろし互いの椀によそう。

 

 単純な野営料理だが味は悪くない。

 軽く干し肉を炙ったことで油が出ており、鍋の中に落とした魚の油と混じりあい、複雑な肉の旨味を味わえる。

 単純にそのまま煮込んだだけでは、肉や魚のくさみが出ていただろうが、さわやかな香草の香りがくさみを吹き消し、さらには口の中に残った脂も野草の渋みが洗い落としてくれる。

 

 調味料は僅かな塩だけだが、素材の味がそのまま舌に伝わるので、これもなかなか乙なものだ。

 素材も調理器具も足りない中で、これだけのものができたというのは褒めても良いだろう。

 

「あら、おいしい。これだけ作れるならいいお嫁さんになるわよ」

「ありがとうございます」

 

 社交辞令かもしれないが、褒められるのは素直に嬉しい。

 ディルクは無言だが、こいつは味が悪いと頭で考えずにすぐさま悪態が口に出る。

 何も言わないということは、特に文句もないのだろう。

 

 食事とともに、夜は暮れていった。

 

 

 

 翌朝の天気はあいにくの曇りであった。

 もう秋も深まった今の時期だと、日差しがなければかなり肌寒い。

 雨の前特有の湿った風は吹いていないので、しばらく降ることはないだろうが少しばかり気分が悪い。

 

「おはよう」

「おう」

 

 夜明け前の見張りを担当していたディルクに声をかける。

 最初の見張りを担当していたエマは、まだ夢のなかだ。

 空の様子からはわかりづらいが、夜が明けたばかりなので起きていなくても当然だ。

 

 アリアは見張りを担当していない。

 雇用主、ということもあるが、旅慣れていない上に今日の採取はアリアが中心になって行う。下手に見張りにたって、本来の目的である採取が振るわなかったら事だと、エマが判断したのだ。

 それに下手に見張りを担当して、気づかないうちに眠り込んでしまったらそちらのほうが大変だ、というのもある。

 

 これからも採取を行うことはあるだろうし、見張りなどの仕事は慣れた頃にすこしずつやっていけば良い。

 そういう判断の末に、アリアの見張り当番は免除されることとなった。

 

 川辺で顔を洗って目を覚まそう、とアリアが寝起きの重い体をもぞもぞと動かしている時だった。

 

「なあ、アリア」

 

 ディルクが話しかけてきたのは、そんな時だった。

 

「おまえは、俺を恨んでるか?」

「………………」

 

 ディルクが聞いたのは、ただそれだけだ。

 ただそれだけで、あとは沈黙が二人の間を流れた。

 

 やはりこいつは馬鹿である。

 アリアは心の中で断言した。

 

「君は本当に馬鹿だな。何故私の幼馴染はここまで脳みそがスッカラカンなのだろう。神様の理不尽さを感じるな」

「おい、てめえ人が珍しく真面目に聞いてやったと思ったら……」

 

 しみじみと、自らの幼馴染の馬鹿さ加減を嘆いていると、米心に青筋を立ててディルクが凄んできた。けれど全く怖くはない。

 特にエマを起こさないようわざわざこんな時にも小声を保つ姿に、笑いすら沸き上がってくる。

 

「確かめるが、君が聞いているのは私達の間にあった“婚約もどき”の破棄についてだな? 君気づいているのか?」

「何をだよ……?」

「ソレを肯定するということはだ、私が君に対して恨みに思うような要素を持っていたことになるのだぞ。つまり、私が君に対して恋愛感情を持っていたことになるな。どんな自惚れ君だ」

 

 自分で言っていて鳥肌が立ちそうになる。

 ディルクの反応も似たようなものだ。石のように固まっている。

 

 さもありなん。

 

 アリアとて口に出してこれほど気持ちの悪いことはない。

 このチンピラに対して恋愛感情? 自分が? ないないない、全力で拒否する勢いである。

 

 ソレはディルクとて同じだろう。

 

 互いに幼馴染である。

 これだけは間違いない、と変な信頼感が二人の間には存在していた。

 

「というか、今回は何故こんなにしつこかったんだ? 私達にとってお互い別の道に進むことは、歓迎すべきことであって、いちいち悩む必要なんてないだろうに」

「うるせぇな」

 

「わかってんだよ」とディルクは舌打ちと共に先を続けた。

 

「こっちだってな、別にそれ自体はどうでもいいんだよ。お前だって、相手ができたら同じことしただろうしな! 俺が言いてぇのは別のことだよ」

「ほう、それはなんだ?」

「…………親父さんだよ」

「…………ああ、なるほど」

 

 なるほど、ようやく合点がいった。

 

 アリアの中で、点と点が線を結び、ようやくひとつの絵を描いた。

 

 アリアの父はすでに亡くなっている。

 そして不運にも彼女の父が亡くなったのは、婚約を解消してから数日後のことであった。

 

「君は、本当に面倒くさいな。父が亡くなったのはただの事故で、君には何の責任もないだろうに」

「黙れや、この鉄面皮。普通の人間はな、それでも責任を感じるもんなんだよ」

「鉄面皮がどうした、チンピラ」

 

 ポンポンと錬金服のスカートから埃を払い、立ち上がる。

 せっかくの朝なのに時間を食ってしまった。

 

「とりあえず、この話題はこれで終いだ。エマさんにも失礼だからな。もうこれ以上は私達の間ではなし、だ」

「……ああ」

「私は顔を洗ってくるとしよう。…………ああ、そうそう」

 

 顔を拭うための布を持ち、少し離れたところで振り返る。

 

「エマさんへの説明は、君に任せた。恋人なのだから一から十までしっかりとするように。私は馬に蹴られたくないので、一切関わらない。じゃあ、よろしく頼む」

「え……!?」

 

 スチャッと、無駄のない動作で片手を上げ、アリアは川辺にかけ出した。

 彼女が最後に見たもの、それはディルクの後ろでニコニコと満面の笑みで微笑むエマの姿。

 その笑顔がどこか空恐ろしいのは気のせいではないだろう。

 

 つんざくような男の悲鳴がアリアの耳に届いたのは、そのすぐ後のことであった。

 

「恋人同士の痴話げんかに巻き込まれるほど、馬鹿馬鹿しいことはない……」

 

 帰路につく時には、荷物を全部ディルクに持たせてやろうと、アリアは決めた。

 

 ストルデル川で、何も知らない脳天気な魚が、小さくパシャリと跳ねた。

 

 

 

 

 事前に採取するものを目星をつけておいたからか、採取にはさほどの時間はかからなかった。

 かごいっぱいに採取物をつめ込む。

 

 使い道が現段階ではさほど多くないケムイタケは少なめだが、レジエン石やフェスト、ガッシュの枝にズフタフ槍の草は採れるだけ詰め込んだ。

 今回はレジエン石やフェストといった鉱石が多いので、かごの重量が重い。

 さすがのアリアでも持ちあげるので精一杯だ。

 

「ディルク、あとはよろしく頼む」

「おい、おい」

 

 これはないだろう、と言いたげな目線で見つめられるが、それをアリアは丁重に無視をする。

 朝の意趣返しが入っているのは、想像に難くない。

 

 早々にディルクは抵抗することを諦め、渋々とだがその重いかごを背負う。

 

 ただ、そこはさすがに鍛冶仕事を何年も続けている男というべきか。

 アリアでは持ち上げることで精一杯だったそれも、ディルクは危なげなく一人で背負い込んだ。

 さすがに重いのか、顔は渋面であったが。

 

「おい」

「んどうした」

「さすがにここまで重いもん持って戦闘には参加できねぇからな」

 

 一応ディルクの腰には、細身の剣が吊り下げられていたが、確かにずしりと重いかごを背負った状態では振るうどころか、鞘から抜くことすら一苦労だろう。

 

「安心したまえ。私とてその状態で戦わせるほど鬼畜じゃあない」

「こんなもん背負わすのは鬼畜の所業じゃねぇってか?」

「雇用主として当然の権利」

 

 そう嘯けば、ディルクは反論する気力も無くしたのか、もう何も言わなかった。

 

 

 

 ストルデル川の周囲には木々が生い茂り、一つの森となっている。

 これはザールブルグ近郊まで途切れることはなく、下手に足を踏み入れると、熟練者でも迷うことがあるほど深い。

 

 ストルデル川の支流は数も少なく、また大本がはっきり分かるほど隔絶した大きさをしているので、下手に森の中をいくよりも川沿いに歩くほうが道はわかりやすい。

 ただ、晴れならば何も問題はないが、雨の日が続けば川の水が増水し、川沿いを歩くのは一気に危険となる。その時は、街道を行く旅人の数も減り、流通も少なくなる。

 ストルデル川を行く道は、まさしく天気に左右される道でもあった。

 

 

 どんよりと曇った灰色の空の下、アリア達は無言でストルデル川の側を歩いていた。

 先程までは軽口を叩き合っていたのだが、今やそれもない。

 

 先頭を行くエマが、周囲を視線だけで見回す。

 茂みに隠れているのか姿は見えない。

 けれども彼女にはそこにいる何者かの存在を、肌で感じていた。

 

 足を止め、腰にかけていた曲刀を抜く。

 優美な曲線を描くその細剣はシャムシールと呼ばれるもので、よく研がれているのか刃こぼれ一つない。それもそのはず、その剣はザールブルグ一の製鉄所、その跡継ぎであるディルクが自らの手で打上げたグラセン鋼製の一品だ。切れ味鋭く、そして持ち主の実の軽さを殺さない軽さを誇るそれは、すでに名剣の風格を醸し出していた。

 

「さすがに、帰り道も何も出ないってことは甘い考えだったようね」

 

 口調に余裕をにじませて剣を構えるエマを見て、アリアもまた腰に下げておいた杖を手に取る。

 木でできたその杖は護身用としては心もとなく見えた。

 

「おい、油断すんなよ」

「あら、あたしの腕が心配?」

「あほ、俺より強い女をどう心配しろってんだ」

 

 背にある荷物のせいで一人戦闘に参加できないディルクは、それでもなお余裕であった。

 心配する必要など何一つないとでも言いたげなその様子は、ふてぶてしくすら見えた。

 

「じゃあ、アリアちゃんあたしに合わせてね」

「ええ、タイミングはそちらで教えて下さい」

 

 そうアリアが言うと同時に、木の杖の先が青く輝きはじめる。

 

 それは魔力の光。

 

 魔法を発動する前動作。

 

 

 それを阻止しようとしたのか、それとも偶然か。

 藪の中から青やピンク色をした球体の魔物が三匹も飛び出してきた。

 

「今よ!」

 

「ハーゲル・ツェーレ!」

 

 狙い違わず。

 空気中の水分が凝固し、礫となってその魔物たちに襲いかかった。

 

 

 

 ぷにぷにという魔物がいる。

 

 プニプニしたゼリー状の体を持ち、その触感からついた名前が「ぷにぷに」。

 湿地や水辺を好み、体全体が水気を帯びているため水属性の攻撃に強く、炎属性の攻撃に弱い。

 魔法防御も殆ど無いため、簡単な魔法さえ使えれば戦いの素人でも楽に倒すことができる。

 

 ただその弱さとかわいい外見に反して、餌の食べ方はエグい。

 その酸性を帯びた体内に獲物を取り込み、じっくりと溶かしていくのだ。

 下手に意識があると、地獄の苦しみを味わって死ぬこととなる。

 

 だからこそ、ぷにぷにはその弱さに反して、みつけたらすぐさま逃げるか、迅速に殲滅するよう教えられる。

 

 魔法での攻撃は、魔法防御のよわいぷにぷにの殲滅に、これ以上なく向いている。

 

 そう、普通はそうだ。

 

 

 アリアの放った氷の礫が、ぷにぷにたちに襲いかかる。

 が、一瞬怯みはしたものの、その弾丸は弾力のあるぷにぷにたちの肌に弾き飛ばされ、そして幾ばくかはそのまま中に取り込まれ、傷らしい傷を負わせることはなかった。

 

「あ、やっぱり」

 

 アリアの魔法属性は水。

 奇しくもぷにぷにたちの耐性属性に合致してしまっていた。

 

 しかし、一瞬怯めば彼女にはそれで十分だった。

 

「はあっ!!」

 

 気合一閃。

 銀の軌跡が青いぷにぷにを縦一文字に切り裂き、一瞬でその命を奪う。

 エマのシャムシールだ。

 

「一!」

 

 懐に手を入れ、投擲用のナイフをつかむ。

 投げれば吸い込まれるようにしてピンク色の、通常のものよりも幾分か耐久性の強いぷにぷにの眉間に、過たず突き刺さる。

 

 声無き絶叫。

 

 それに耳を貸さず繰り出されたエマの追撃は、無慈悲にもぷにぷにの命を刈り取った。

 

「これで二!」

「後ろだ!」

 

 仲間の敵討ちにか、ピンク色のぷにぷにを倒すために背を向けたエマに向かって、魔物の攻撃が迫る。

 

「この程度でどうにかなると、本当に思っているの?」

 

 けれど、それはエマのほうが一枚上手だった。

 華麗な脚さばきでぷにぷにを倒した勢いを殺さず、くるりと一回転。

 振り向きざまに、先程まで自分のいた場所に剣を滑らせれば、それで事は終わり。

 

「これで最後、ね」

 

 自分のつけた勢いのままエマの剣で切り裂かれた魔物が、ベシャリと地面に叩きつけられて潰れた。

 

 あまりにも一方的、あまりにも圧倒的。

 そこには、戦闘者として生きてきた者の格の違いだけが存在していた。

 

 一撃すらまともに食らわせられなかった自分とは大違いだなと、アリアは冷静に自らとの違いを感じていた。

 

 

 残念ながらぷにぷにたちから得るものは何もなかったが、帰り道で他の魔物に合うこともなく、無事ザールブルグ近郊の街道まで戻ることができた。街道まで戻れば、治安の問題もなく、それほど気を遣うこともなかった。

 気苦労は少しあったが、数カ月来の問題も解決し、有力な冒険者のツテも得ることができた。

 今回の冒険は、アリアにとって大成功といえるだろう。

 

 とりあえず、城門で解散する予定だったが、意外と人のよいディルクは、結局最後まで荷物運びを手伝ってくれた。さすがにそのまま帰すのは気分が悪いので、賃金はいくらか上乗せしておいた。銀貨ではなくレジエン石による現物支給だが、そこは鍛冶屋見習いの人間である。銀貨よりもよほど嬉しそうだった。

 

「じゃ、次がないことを祈ってるぜ」

「あらあら、そんなことを言っちゃって。あたしはいつでも呼んでくれていいからね、アリアちゃん」

「ありがとうございます。今回は助かりました」

 

 ペコリと頭を下げると、エマは手を振って、ディルクはそのまま背を向けて帰っていった。

 

 彼らを見送ると、アリアは一人で現場整理。

 素材の詰まった荷物を整理しながら、帳簿に数を記入していく。

 冒険の疲れは残っているが、保存状態に気をつけなければならない素材もあるため、本日中に整理を終わらせなければいけない。

 

 全てを終えた頃には、もうすでに外は薄暗くなっていた。

 さすがにこの時間から夕飯を作る気力はなく、野営生活の延長で干し肉をかじるだけで終わらせた。

 アカデミーに入学してから、日々の暮らしがどんどんと不健康になっていくのが分かる。けれど、それをやめる気はない。

 

 意外とそれを楽しんでいる自分がいた。

 

 ベッドに倒れるように潜りこみながら、それでもアリアは充実していた。

 

 

 

 鉄。

 レジエン石という鉱石から生成され、その丈夫さ頑丈さから主に武器や防具に使われる金属である。

 鍛冶屋・武器屋において最も基礎的な金属だが、同時に加工する人物の腕前により良品にも悪品にもなりえる。 鍛冶屋の腕前を見たければ鉄の品を見ろ、とはザールブルグでまことしやかに囁かれている言葉である。

 

 

 この「鉄」をアリアは調合してみたかった。

 そのためにわざわざストルデル川くんだりまで赴いたのだ。

 アリアが幼いころ――父の工房の経営がまだまだ大変だったころ、少しでも経費を削減するために父は何度かストルデル川まで足を運んでいた。

 その場所を、父の秘蔵の地図に記された場所をこの目で見たかった。

 

 図書館で一から書物を学んだのも調合を万全なものとするためだ。すでに知っていることなのに、それでもこれで失敗することだけは避けたかった。

 父が「鉄」を打つ姿は、何度も何度も見たことがある。

 だからその手順も、やり方も父のものならすでに全部頭のなかに入っていた。

 

 さあ、さっそく挑戦してみるとしようか。

 

 まず中和剤(青)と蒸留水を一対一の割合で混ぜ合わせる。

 混ぜあわせたら今はまだ使わないので、地下室に置いて冷やしておく。

 

 次に取り出すはレジエン石。

 そしてトンカチ、やっとこだ。

 

 レジエン石の表面に中和剤(青)を塗り、魔力の伝導率を良くする。

 この作業をしてからレジエン石を熱すると、温度が低くても溶かすことができるし、石の温度が下がりにくくなる。これは本からではなく、父から学んだ手法だ。

 このアトリエはさすがアカデミーの施設というべきか、ちいさな炉も完備されている。十二分にレジエン石を熱することができる。

 

 石を熱するときにやっとこを使わず、家にある火バサミでも十分用をたせる。

 けれど、やっとこのほうが便利だし、そして何よりこのやっとこは、アリアの父が彼女のために遺してくれたものだ。

 使わないという選択肢は、どこにも存在しなかった。

 

 熱されて赤くなったレジエン石を、手早く火から降ろす。

 そしてすぐさまトンカチで叩くのだ。

 

 この作業でレジエン石に含まれた不純物を取り除き、形を整えるのだ。

 

 何度も何度もトンカチを叩きつけ、温度が下がってきたらもう一度炉で熱する。

 繰り返す作業。

 少しずつ少しずつ形が様になっていく。

 

 手早く、丁寧に。

 それだけを考えて、トンカチを振るう。

 けれど作業はなかなか進まない。

 

 叩く回数が男性よりも多い。力が弱い。

 汗が滝のように額を流れる。体力がない。

 

 やればやるほど分かることがある。

 この作業は、鍛冶という仕事は女性には向いていない。

 

 アリアは力には自信がある。体力も同じように。

 鍛冶屋の娘で、その仕事の補助を小さい時からしていたのだ。普通の女の子よりも、よほど力や体力に恵まれている。

 

 けれど、それは女の基準だ。

 鍛冶屋の基準ではない。

 

 男の中に混じって、そしてタメを張れるカリンは例外だ。

 

 自信のあった腕力も、体力も鍛冶屋の男たちと比べれば象と蟻だ。

 基準値にも満たない落第点。

 例外にすがりつくだけの能力もなく、才能もない。

 そのまま諦めるのが当然で、自分も周囲もそう思っていた。

 

 別の道をみつけたのはそんな時だ。

 これは直接、鍛冶に携わる道ではない。

 けれども、少し遠くから関わることはできる。

 

 それが研究者としての道。

 金属の作り方、素材を吟味し、論理的に合理的に仕組みを解き明かす。その研究の果てに、きっと何かがあると信じて、アリアはアカデミーの門戸を叩いたのだ。

 

 

 カーン、カーンと鉄を叩く音が、小さな工房中に響きわたる。

 その日、夜になっても工房の明かりが消されることはなかった。

 

 普通の人の何倍も時間をかけて、丸一日時間をかけて。

 その日、アリアは「鉄」の調合に成功した。

 




 

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