アリアのアトリエ~ザールブルグの小さな錬金工房~   作:テン!

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閑話 その二 ディルクの日常

 カンカンカンッ

 

 小気味良く一定のリズムで、赤く焼けた鉄を叩く。

 固く、鋭く、ただひとつの目的のために最適な形を鉄の中から見出し、整える。

 

 叩く、叩く、叩く、叩く、叩く、叩き、冷やす。

 

 ジュッ、という音を立て白い蒸気が上がる。熱い熱気が顔に吸いて気をつける。

 首にかけた手ぬぐいで顔を拭くと、汗と煤で真っ黒になってしまった。焼きを入れた時に飛んだ煤だ。

 黒くなった手ぬぐいをもう一度首にかけ、冷やした鉄棒をアカデミーで買い取ったというゲヌーク壺の出す水の力で常に回転し続ける研削砥石へと持っていく。

 

 研削砥石で表面を磨く。

 サリサリ、と鉄棒の表面が削れていく音が鳴るたびに、その表面が鏡のように澄み渡っていく。

 表面全てが磨きぬかれた時、それをただの鉄の棒と称するものは誰もいないだろう。

 

 それは一本の剣。

 磨きぬかれた鈍色の刃。

 力の象徴たる鋼の剣が、そこにはあった。

 

 

 

 

 

 バシャバシャ、と音を立てて汲み置いた水で顔を洗う青年の姿。

 今まで仕事をしていたのか、体中が煤で真っ黒に汚れており、顔を洗うたびにインクのように黒い水が顎からぽたりと垂れる。顔を拭う手ぬぐいも既に黒く汚れて、顔を拭く隙間がない。

 それでもなんとか顔から汚れを落とし、額に汗止め用のバンダナを付ける。使い始めてまだ間もないというのに、吸い込んだ汗のせいで色が落ち始めている。ところどころ、煤で汚れてもいる。

 

「あー、たく。仕事をするとすぐこれだ。手ぬぐい一つでも無料(タダ)じゃねぇってのによ。まったく嫌になるぜ」

 

 口では悪態をついているが、少し縫い目の拙いバンダナを扱う手つきは、火傷の痕や固く盛り上がったマメで武骨な見た目とは程遠い繊細さだ。

 

 それも当然だ。

 このバンダナは青年の恋人が、仕事に打ち込む彼にと精一杯考えて手縫いしてくれたものだ。乱暴に扱ったらバチが当たる。

 

 顔の煤を落とし、先ほどと比べてこざっぱりとした身なりになった青年は、多少目つきは鋭いが、なかなか精悍な顔立ちをしている。火のように赤い髪色と相まって、どこか野性的で女が好みそうな風貌だ。色街にでも行けば、青年に声をかけようと娼婦や酒場の女達が我先にとやってくるだろう。

 性格上、決して行くことはないだろうが。

 

 青年の名はディルク。ザールブルグ一と謳われる製鉄所の女主人であるカリンの一人息子であり、自他ともに認めるただ一人の跡継ぎだ。

 

「おう、ディル坊。一仕事終わったんか?」

「ああ、おやっさんか。一応な。昼からは金物打ちだ。いつも通り、たんまりたまってやがる」

 

 ディルクに野太い声で声をかけたのは、真っ白に染まった髪とふさふさと豊かな白いひげを持つ初老の男。年齢に似合わぬ筋骨隆々とした体格を持つ、工房一の古豪だ。

 カリン工房の中でも、経験に裏打ちされた打ち筋で若手からベテランまで幅広い層の尊敬を集めている。

 

 カリン工房に持ち込まれた修理待ちの金物や武器防具は、種別分けして仕事場の隣にある倉庫に積み上げられている。

 毎日どこからか持ち込まれるので、倉庫の中が空になることはない。

 

「ま、ここには職人通り中のカカア共が底の抜けた鍋を持ち込んでくるからなぁ。しゃあねぇってもんさ」

「嫌になるが、これが飯の種だからな。手ぇ抜かずにきっちり直してやんよ」

「カカカッ、ディル坊が直すってんならカカア共も喜ぶってなもんさ。おめぇは顔に似合わず真面目だかんなぁ。若いのにいい仕事をする。こりゃあお嬢も安心だな」

「おふくろをお嬢なんて言えるのは、おやっさんくらいなもんだぜ」

「まあな。なんてったって、俺はこの工房一の古株だからな。おめぇさんどころか、カリンお嬢がこ~んなにちっさい頃から知ってるからなぁ」

 

 そう言って、わずかに親指と人差指の間を広げるおやっさんの顔つきは、工房一の古強者とは思えぬほど稚気に満ちている。

 

「そんなちいせぇ子供なんていねぇよ。たくっ、おやっさんに付き合ってたら休み時間が無駄に過ぎちまう」

「おおっ、そりゃいけねぇなぁ。この仕事は体力勝負だ。一食抜くのもことってもんさ」

「無駄に時間食わせたのは誰だと思ってんだ……。んじゃ、俺は飯に行ってくるわ」

「おう! ま、ゆっくりしてきな」

 

 返事をする代わりに、背を向けながら手を降ることで応える。

 

 工房の外はカンカン照りだった。

 今日もお天道さまは絶賛仕事中らしい。

 

 それでも火で炙られる仕事場よりはマシだ、と思いながら、ディルクはザールブルグの雑踏の中を歩き始めた。

 

 

 

 昼ぐらいになると、職人通りには昼休憩に入った職人達を目当てに車引きの屋台が、我先にと押し寄せる。

 客寄せのためか、屋根を目立つ色に塗ったり、派手な傍を屋根天井にくっつけたりしていて目にチカチカする。

 

 そんなどうでもいいところに金をかけるくらいなら、飯のタネの腕前を上げやがれ、とも思うが口には出さない。どうせそんな見た目だけ取り繕って、中身が底辺な店はすぐに客が来なくなる。

 職人通りの昼場で稼ぐためには、とことん商品の値段を安くするか、ねだん以上に美味くするかのどちらかだ。

 

 剣と一緒だ。

 どんだけ見た目を彫り飾りや宝石で美々しく飾り立てても、肝心の刀身がなまくらならケツを拭く紙以下の価値しかない。

 

 むしろてめぇのきたねぇケツを拭けるだけ、尻紙のほうがマシってもんだ、とディルクは心の内で舌を出す。

 

 それでもいくつかの店は、肉の焼ける匂いやとろけるチーズの匂いがなんとも美味そうで、腹の虫を騒がせる。

 できれば安くて美味く、なおかつ腹の膨れる飯がいい、となんとも贅沢なことを考えながら、車引きの間をくぐり抜けていくディルク。

 

 ウマそうに肉の挟んだパンを食う職人達。あちらには、きのこたっぷりのシチューをむさぼるように食っている労働者の姿。

 少し値段はお高めだが、白いソースをたっぷりとかけたグラタンを取り扱っている店もある。焦げたチーズの匂いが、鼻の穴の奥を突っついてたまらない。

 安いことは安いが、デロデロのオートミールを出す店なんかじゃあ足元にも及ばない。何を食べようか迷うほどだ。

 

 地元民らしく無駄にきょろきょろと首を振らず、目だけで店の様子をディルクは見て回る。

 

 そんなディルクの目を引いたのは、色を塗った屋根もない、派手にはためく旗もない一際地味な車引きの店だ。

 その店には見覚えがあった。年季の入った女主人が出している店で、なかなか美味いものを出す。だが、そのかわりかなんなのか、店を出す頻度は少ない。

 女主人からすれば、本業の傍らやっている副業なので、暇な時くらいしか店を出さないのだ。

 その分、他の店にはない飯を出してくれるので、男どもの食いつきはいい。

 店が地味なので、どこに店を出しているのか見つけにくいが、一度見つければ客が蟻のように群がってきて食い尽くしてしまう。

 

 今日はまだ誰も来ていない。

 運がいいじゃねぇか、と店の前に置かれた簡易イスに腰掛ける。

 

「久しぶりじゃねぇか、ばーさんよ。最近ご無沙汰だったじゃねぇか」

「まったく、女の扱いがなってない坊やだねぇ!」

 

 ガンッ、と威勢よく簡易竃に片手鍋を叩きつけるは、恰幅の良い女人であった。

 おおらかな顔立ちとは正反対に、服装は細やかな仕立てと汚れ一つ無い清潔さを保っている。本来であればシワ一つ無いよう整えた服を、躊躇なく腕まくりしており、仕事に対する繊細さと大胆さを見るものに感じさせる女主人だ。

 その気風のよさは折り紙つきで、どこかディルクの母親であるカリンに通じるところがある。

 

 典型的なザールブルグ女、といったところか。

 

「いい年したレディにばーさんはないだろ、ばーさんは!」

「へいへい、俺が悪うございました、と。で、ばーさんよ。今日はどんな飯を出してんだ?」

「まったく、口の減らない坊やだねぇ。一体誰に似たんだか……、こりゃあカリン嬢ちゃんも手を焼くってもんさ」

「……おふくろを嬢ちゃんって呼んでる時点で年齢が知れる、ってもんだろうがよ」

「……なんか言ったかい?」

「いんや、何にも」

 

 聞こえないようにディルクが口の中で呟いた言葉にも耳ざとく反応する女主人。

 見事な地獄耳である。

 

「まあ、聞かなかったことにしてあげるよ。感謝するんだねぇ、坊や」

「ああ、そりゃどうも」

「よしよし、素直なのはいいことだよ。そんな良い子にはあたし特製のパイをあげようじゃないか。ただし……」

「お代はきっちりいただく、だろ」

 

 ディルクとて、この店の常連と言っても良い客の一人なのだ。

 この女主人の言いそうなことくらい予想はつく。

 

 それ以前に、ここいらに住む人間は互いに顔見知り同士であることが多い。

 井戸や広場など共同の場で顔を合わせることも多く、互いに何くれと世話になったり世話をしたりすることが多いからだ。

 

 ディルクもまた、この女主人に子供の頃は何かとお世話になった人間の一人だ。

 今も、客の一人として店の売上に貢献すると同時に、安くてうまい飯で舌鼓を打たせてもらっている。ちょっと関係性は変わったが、お世話になっているのは変わらないのだ。

 

「けどパイか。だからそんな簡易竈なんて用意してんのか」

「そうさ。これは錬金術士の先生に依頼をした特注品だよ。いい値はしたが、おかげで外でもいろんな料理が作れるようになったしねぇ。錬金術士さまさま、ってやつさ。さ、ちょっとだけお待ちなよ。あとは焼けばいいだけだからね」

 

 ディルクが来る前に用意していたのだろう。

 小麦粉とバターで作ったクリーム色の生地。中身は外からでは見えないが、竈に入れると焼けた生地の香りと一緒になって、ハーブや濃いミルクの香りが鼻の中に飛び込んでくる。

 一番強くて食欲をそそるのは、焼けた魚の香りだ。ここらで捕れる魚といえばマスが有名だ。

 

 マスのパイ包か、たしかに美味そうだ。

 

 その期待通り、竈から出てきたパイはきれいな狐色をしており、かぐわしき香りを周囲の人間を誘うように発していた。

 

 ナイフとフォークといった上等なものは、車引きの店にはない。さくり、と軽い音を立てて切り分けたそれを、手づかみで食べる。これがこういった場のマナーのようなものだ。上品振るのは場に合わない。

 

 大口を開けてかぶりつくと、まず舌に感じたのがマスの油が混じったミルクのソースの味。最近有名になってきた、牛のミルクと小麦粉とバターを贅沢に使って作る白のソースだ。それが旨みのあるマスの油をたっぷりと吸い、火傷するような熱さとともに口の中に広がるのだ。

 これだけでも贅沢な品だが、これはまだ小手調べにすぎない。

 

 マスの身にも塩とハーブでしっかりと味付けがされており、ソースの味にまったく負けていない。

 しかも、使っている塩はまったくエグみがないことから、西にある海辺の町カスター二ェから来た上物だということが一目瞭然だ。

 使っているハーブもこれは一種類だけではない。ズユース草にローズマリー、オレガノと三種類ものハーブを混ぜあわせ、マスの旨みを引き出すと同時に複雑な味と香りを加えている。

 

 強烈な旨みを包み込むはサクッとパリッと絶妙の火加減で焼き上げたパイ生地と、蒸かしたベルグラド芋を潰して作ったマッシュポテトだ。

 ベルグラド芋は白のソースとマスだけでパイ生地の中を埋めるとカネがかかりすぎるので、代用品及びかさ増し目的で使ったのだろうが、それが見事に白のソースとマスの味に合っている。

 

 満足も満足、大満足の出来だ。

 ガツガツとむさぼるように食べ進めると、あっという間に八つに切ったパイをまるまる全部食べてしまった。

 量も多く、健啖家であるディルクも全部食べきれば満腹になるというものだ。

 

 そして腹がいっぱいになったなら、さっさと席を立つのがこういった店のマナーである。

 

「ばーさん、今回の飯はいくらだ?」

「んー、そうだね。銀貨十枚もあれば十分だね」

「おいおい、えらく安いな」

 

 さすがにあまりにも安すぎるので色を付けて渡す。

 良い物にはそれなりの対価があってしかるべき、というのがディルクのポリシーだ。場末の車引きでもそれは変わらない。

 

「まったく、変なところで律儀だねぇ」

「別にいいだろうが。で、なんでこんなに安いんだ? 普通、ここまでもん作ってたら銀貨十枚じゃあ元とれねぇぞ」

「ところがどっこい。これで十分すぎるほどなのさ。……ディル坊、あんたあたしがある錬金術士の先生と懇意にしてることは知っているだろう?」

「ああ、まあな」

 

 今日持ってきた簡易竈から見ても分かる通り、ここの女主人は度々錬金術士の世話になっている。

 過去には他の調理器具を作ってもらったこともあるらしい。

 

「その先生さんがなんか色々実験をしていたらしくてねぇ。――植物栄養剤の生育実験だとか塩の元だとか言ってたけど、まああたしには関係のないことさ。で、そのせいか塩とかベルグラド芋とかが、なんか大量に余ったらしいんだよ。それを親切なあたしが腐らせるのももったいない、ということで格安で引き取ったのさ」

「ふぅん、運が良くて結構なことじゃねぇか」

「だろう。けど、その先生さんはもうこのザールブルグを旅立っちゃってねぇ。この竈はなんとか作ってもらえたけど、次に会えるのはいつになるのやら」

 

 やれやれと肩をすくめる女主人。

「他にもほしい調理器具があったんだけどねぇ」とつぶやく姿はどこか寂しげだ。

 

「ま、友人の結婚式にかこつけて帰ってきてただけだったらしいからねぇ。用事が終わればすぐに旅の空さ。この竈作ってもらえただけでも御の字、ってところだろうね」

「ま、そんなもんだろ」

 

 人生そうそう都合の良いことが続くわけではない。

 いつかは運の切れ目がやってくるというものだ。

 

「んじゃ、俺はもう行くわ。ばーさんも今からの時間が書き入れ時だろ。きばれや」

「何年この仕事をしてきてると思ってんだい? 言われなくてもわかってるよ、坊や。けどまあ、礼は言っといてあげるよ」

 

 店を辞して石畳の道を歩き帰路につく。

 製鉄所まで少し距離があるが、この距離が腹ごなしにちょうどいい。

 

 製鉄所に着く頃には、膨れた腹がちょうど良い塩梅に落ち着いていた。

 

 

 

 職人通りに建ち並ぶ店には、どこも例外なく看板をつけている。

 看板には簡易ではあるが絵が彫られており、絵によってその店が何を専門としているのかひと目で分かるようになっているのだ。

 

 カリン製鉄所の看板は、トンカチに金属のインゴットというわかりやすいが、見た目に華がないものだ。

 武器屋であれば、これがトンカチに剣という見た目に工夫の余地ができるものとなるのだが、トンカチにインゴットだと飾り彫りをする訳にはいかないし、どうにも見た目は地味になってしまう。

 ディルクとしては、外側だけを美々しく飾り立てるのは性に合わないので、これで十分なのだが、若衆の中にはやはり派手好きな面々もいるので、この地味な看板は評判が良くない。

 

 そんな評判が芳しくない看板だが、一緒につけてある客の来訪を告げる鐘の音は良い金属を使っているので、澄んだ高い音がする。

 これだけでも製鉄所の面目躍如というものだ。

 

「おう、今帰ったぞー」

「あら、おかえりなさい、ディルク」

「ああ、今日の店番はお前か、エマ」

「ええ、お義母様に頼まれてね」

 

 製鉄所の店番に立っているのは、飾り気の少ない清楚な服に身を包んだ褐色の肌と銀糸の髪が特徴的な美女――エマであった。

 彼女が店番をしていると、助平心を出した男どもがよく釣れるので、この製鉄所の女主人であるカリンによく頼まれるのだ。

 

 何かあればすぐさま奥にいるディルクを含んだ屈強な男たちが出張るので、エマの身に危険はないが、それでも少し心配だ。ここは製鉄所なので、近所の女どもが底の抜けた鍋などを持ってくることもあるが、主軸は屈強な冒険者や国相手の仕事である。荒くれどもも、時と場合を選ばずやってくるのだ。

 万が一があるかもしれないし、できれば奥にいて欲しいのだが、それを言うと「あら、こう見えてもあたしの方があなたよりも武術の心得があるのよ。心配してくれるのは嬉しいけど、ちょっと専門外じゃないかしら」と反論されるので、最近では何も言わないようにしている。エマは元冒険者だ。実はそういった荒事は、鍛冶屋一本で生きてきたディルクよりもよほど長けている。

 まあ、万が一の事態があってもなにか起こる前に殴り飛ばせばすむことだ。それよりも早くエマが蹴り飛ばしそうだが、それはそれだ。

 

「それはそうとして、ディルク。店の営業中に表から入ってくるのはやめなさい。お客様に失礼でしょ」

「あのな、この時間帯にどんな客が来るってんだ。せいぜい、近くに住むばーさん達くらいだろうが」

「残念、今日は違うお客様がきているのよ。だからもう少し――」

「エマさん、別に構いません。こいつが礼儀のれの字も知らないチンピラ野郎だっていうことはよーく知っていますので」

 

 思わずディルクは「げっ」と声が漏れそうになった。

 エマに話しかけたお客様は、ディルクは嫌になるほど見覚えがあった。

 

 嫌いではないが苦手な人物の筆頭。

 女にしては頭一つ分は高い背丈に、三つ編みにしてなお腰まで届く長い黒髪。瞳は服装と同じ藍色。その藍色の目は、冴え冴えとした冷たい光を湛えている。

 

「まったく。エマさんに迷惑をかけないように、少しは自重するか事情を正直に話したらどうだ」

 

 腕組みをして説教臭いことを言ってくるのは、ディルクの幼馴染であるレイアリアであった。

 少し縮めてアリアと呼ばれる少女は、常に変わらない声色に呆れの色をわずかに乗せて先を続けた。

 

「前まではきちんと裏手から帰ってきていただろうに。わざわざ裏手に回らず、表から帰ってきたのだって、店番をよくしているエマさんを――」

「おい、それ以上言うんじゃねぇ」

 

 隠していることを暴露されそうになり、慌てて言葉を遮るがもう遅い。

 

 もともと察しの悪くないエマはそれだけでディルクの真意を悟ったのか、「あらまあ」と頬をわずかに赤く染めて照れている。

 

 実際、ディルクはよく店番をするようになったエマが心配で、帰りは店の方に顔を出すようにしていたのだが、それをわざわざ白日の下に出すような真似をしなくてもいいだろうに。

 

 人の隠しておきたい意地や見栄を、空気を読まずに人前にさらしてくれるアリアという幼馴染を、ディルクはこれ以上ないほど苦手としていた。

 厄介なのはわざとではあっても相手に悪意が欠片もなく、言葉の足りないディルクの助けになることが多々あることだ。

 文句をつけようにも、ディルクの感情的なものしか反論の材料がなく、その上口喧嘩ではいつも負けてしまう。女に手を挙げるなど男の風上にも置けない、と思っているディルクだと、いつも負けっぱなしで終わってしまうので、話しているとどうにもこうにも苛立ちが溜まるのだ。

 

 まさしく天敵である。嫌いきれない分、質が悪い。嫌いきるには、幼馴染の腐れ縁がじゃまをするのだ。性根は悪く無い奴と知って入る分、なおさらである。

 

「で、今日は何のようだよ」

「ん? ああ、これだ」

 

 話題を変えようと要件を聞けば、底の抜けた鍋を渡された。

 何のことはない。ただの鍋の修理か、とディルクは嘆息する。

 それだけのことなのに、なんだか無駄に神経をすり減らした気がするのは彼の気のせいだろうか。いや、気のせいではない。

 

「この程度なら明日の夕方には直ってる。置いとくから、また取りに来いよ」

「あと、この程度なら修理はだいたい銀貨……、このくらいね。痛み具合によってはもうちょっとかかるかもしれないけど、その場合はまた言うわ」

 

 ディルクの言葉を受けて、エマが大体の値段を提示する。

 鍋などの修理はほぼ一律で代価をとっているのだが、時折えらく全体が傷んでいたり、見た目ではわからないほど穴が大きかったりして、追加の金がかかることがある。

 まあ、その程度の目利きができないようでは一人前には程遠い。

 そしてディルクの腕前は、既に若手の中では頭ひとつ飛び抜けている。今さらこの程度の目利きで間違いなどあるわけがない。

 

「で、他に何か要件はあるか?」

「では、あと一つだけ。今の銀の買い取りはいくらになっている?」

「銀か……」

 

 無言で机を指で叩けば、打てば響くように百枚銀貨を差し出してくる。

 こういう時、ものの道理を知っている人間は楽だ。何も言わずに察するからだ。

 

「相場ならインゴット一つで二百ってとこだ。錬金術士が作ったとなりゃあ多少値は増すがな。ま、それもここ以外の話だが」

 

 カリン製鉄所は、錬金術アカデミーから技法を買い取り、まったく同じ手順で金属の精錬を行っている製鉄所だ。

 そのおかげで、カリン製鉄所で精錬された金属は錬金術士が調合したものと同じように魔力が含まれ、普通のものと比べても質が高く、錬金術の調合にも使用することができる。むしろ、職人達の連塾した技量と合わさり単純な金属の質ならば、かの有名なイングリドやヘルミーナですら、カリン製鉄所に匹敵するものを調合することはできない。

 おかげで、かなり多くの錬金術士――果てはアカデミーすらも顧客に抱えているほどだ。

 

 そのためか、他の工房や製鉄所――アカデミーから技術を買い取らなかったところに比べて、金属の買い取り値は低い。わざわざ買い取らなくても、自分達の手で作り上げることができるからだ。

 むしろ、それこそが本業である。

 

 製鉄所という名を冠しながら、鉄以外の金属も取り扱っているのは、それはそれ、これはこれというやつだ。

 

「だが、ワリィがここはここはほとんど銀の買い取りはしてねぇぞ」

「…………そうだったか?」

「銀貨の造幣は国の仕事だしな。銀なんて買うのは銀細工専門の工房くらいなもんだ。銀の精錬ならしているが、ここで銀細工なんて繊細なもん作ってると思うか?」

「……銀製の武器を作っていたと思うが」

「あれはもとの金属を持ち込んだ奴だけにしかやってねぇよ。それだって一月に一度くらいしか持ち込まれねぇしな」

 

 銀というものは本来は武器に向く金属ではない。

 しかしながら一部の魔物、亡霊であるゲシュペンストなどには銀製の武器はよく効くので、本当に一部の冒険者や極々稀に聖職者が仕事を頼みに来ることがある。

 カリン製鉄所で作った銀は全て国が買い取るので、持ち込みがなければ作らないことにしている。

 

 銀細工――これは完全に専門外である。

 これを買い求めるなら、それ専門のアクセサリー店や工房に行ったほうが早いし、質の良い物が手に入る。わざわざ、カリン製鉄所に持ち込むなど、愚の骨頂としか言いようが無い。

 

「一応金はもらったから口利きくらいはしてやってもいいぜ。錬金術士が調合したとなりゃあ、喜んで買い取る奴らは…………まあ、五分五分ってとこか」

「……買い取っても扱いきれる人間は少ないからな」

「そういうことだ」

 

 錬金術で調合した銀といえど、見た目はそこらの銀と大差はない。

 護符としての効果を付加せず、ただのアクセサリーとして銀細工の品を作るのならば、普通の銀のほうが安上がりですむ。

 また錬金術で調合した銀は魔力が含まれているからか、扱いがどうにも難しいのだ。錬金術士の作った中和剤や研磨剤がなければ加工するのも一苦労で、それでも強引に形を整えても成形がうまくいかず、結局のところ銀貨一枚分にも満たないクズ以下の品となってしまう。

 そのかわりきちんと手順を踏めば、護符としても使える品を作ることができる。そういった品は、当然のことながらただのアクセサリーよりも遥かに高く売る事ができる。その代わり、ここまで出来るのは錬金術士か、一部の銀細工職人のみだ。

 銀細工を手がけている人間全員ができるわけではない。

 

「むしろお前なら自分で加工したほうが儲からねぇか?」

「……その通りだが、身も蓋もないな。お金、返してもらってはダメか?」

「きちんと相場は教えただろーが。むしろ口利きまでしてやってもいいって言ってんだぜ。銀貨百枚分じゃあ安いほどだ」

「むぅ、仕方がないな。今回の分は勉強料と思っておくとしよう」

 

 あっさりと引くアリア。

 まあ、「金返せ」はだめもとだったのだろう。

 こちらとて約定はしっかりと守っているのだ。金を返す義理はない。

 

「それにしても、お前近々銀が手に入る仕事でもあんのか?」

「ちょっとレッテン廃坑まで足を伸ばすつもりだ」

「ああ、あそこか」

 

 レッテン廃坑はその名の通り廃坑となった洞窟だ。

 銀が採れることで有名だったのだが、岩盤が脆く崩落事故を繰り返したことで廃坑となったのだ。その代わり、銀鉱石である日影石は今でも数多く残されており、冒険者が小遣い稼ぎに立ち寄ることもあるとかないとか。

 

「大丈夫なの、アリアちゃん? あそこかなり崩落事故が多いって噂よ。魔物や盗賊も住み着いているって話だし、危険だわ」

「地元民の護衛も雇えましたし、危ないところに入るつもりもありませんから大丈夫です。長居もするつもりはありませんしね。危険だと思えば、さっさと逃げ帰ってきますよ」

「そう、それならいいのだけど……」

 

 アリアを気に入っているエマは少し心配そうだ。

 元冒険者とはいえ――いや、だからこそと言うべきか、エマは危険と噂の場所に行くことを忌避するところがある。護衛に近場に詳しい人間がいることを聞かなければ、もっと強く反対していたであろう。

 

「ま、銀を持ってきたら新しい杖くらいなら打ってやるよ。そこらの木の杖よりはいい魔力媒介になるぜ」

「打撃力も上がるしね。あら、なかなか良いじゃないの」

「ふむ、悪くない提案ですね。次の機会には持ってきますよ」

 

 さすがに今のまま木の杖では装備も不安なのか、アリアも色好い返事を返してきた。

 

「ではまた明日」

 

 と一言残し、アリアは帰っていった。

 

 その場に残ったのはディルクとエマの二人。

 

「これからあなたは仕事よね?」

「ああ、そうだが?」

「早く終わらそうとして気張り過ぎないようにね」

「…………」

「多少遅くなってもあたしは構わないから」

 

 そう言って片目をつぶるエマの姿には、歳相応の茶目っ気があった。

 

 これだから女というのは厄介だ。察しが良すぎる。

 

「へいへい。せいぜい適当にやってやんよ」

「そう言っておいて、仕事には手を抜かないくせに……」

 

 呆れたようにエマがつぶやくが、それがディルクの性分というものだった。

 仕事に手を抜くことだけはどうしても許せないのだ。そしてそれを表に出して見せびらかすのも嫌だった。どうにも性に合わないのだ。

 

 仕事場は暑かった。

 熱気と焼けた鉄を冷やす水桶の水蒸気。それらが混じりあい、仕事場に入ったばかりだというのに額から玉のような汗が吹き出す。

 

「あー、あちぃなぁ」

 

 愚痴を一つこぼして隣の物置から底の抜けた鍋を取り出す。

 地味な上に金にならない仕事と嫌うものも多いが、それでもこれはこのカリン製鉄所に持ち込まれた仕事の一つ。せいぜい全力を尽くしてやりますか、と金槌を持ち上げる。

 

 仕事場にカーン、カーン、と小気味の良い音が響き始めた。


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