アリアのアトリエ~ザールブルグの小さな錬金工房~   作:テン!

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第十話  フラムとひと月間の死の行進(中の一)

 期限はたったのひと月。

 その間に魔物や盗賊が跋扈する土地で採取を行い、更には帰ってからフラム三十個もの調合と時間はいくらあっても足りない。

 

 だが、だからといって兵士の方々のように巧遅よりも拙速を尊ぶ訳にはいかない。

 遅くてはいけない。それと同じくらい仕事が雑でもいけない。

 自分たちの作り上げる作品が、他人の進退に関わってくるのだ。中途半端な仕事は絶対に避けねばならない。

 

 慎重に手早く、丁寧に迅速に、相反する要素を天秤にかけながら、自分のできる最大限を尽すのだ。

 

 いやはや、なんとも大変なことだ、とアリアは肩をすくめた。

 

 

 ああ、けどこれだけ大きな仕事を持ち込まれたのも、今回が初めてだな。

 初の大口取引か。そういえば皆との共同作業もこれが初めてだ。

 

 

 そこまで思い至ると、アリアは口の端を笑みの形に持ち上げた。

 

 

 そう考えると、今回の仕事はなかなか燃えてくるものだな。

 

 

 目の前に立ちふさがるデスマーチ(死の行進)を見据えて、アリアは不敵に笑った。

 

 

 

 

 

 

 

 カッカッカッ。

 

 黒板の上を白いチョークが叩く。

 黒板は壁の一面を占めるほど大きく、隅には小さくすでに終わった依頼のメモ書きが「済み」の一言共に書かれていた。

 

 この黒板は、アリアがアトリエに住む前からあったもので、今後の予定や調合の行程をメモ書きするのに使い勝手が良く、思いの外役立っていた。

 よく使っているためか、チョークを黒板の上ですべらせる手によどみはなく、一定の拍子をとって黒色の板に白い軌跡を描いていくそれは、見る者に小気味の良さを感じさせるほどだ。

 

 カッカッ……。

 

 よどみのない動きがピタリと止まる。

 アリアはチョークを黒板の横に置くと、しっかりと手についた粉を払ってから後ろを振り向いた。

 

 アリアの目線の先にいたのは、橙色の錬金服をきた錬金術士見習いが一人。エリーだ。

 ユリアーネはフラムの作り方を参考書で確認した後、今後の調合準備のために寮へと帰っていった。今、残っているのはアリアとエリーのみだ。

 

 ちなみにエリーは子供のようにキラキラした目で、黒板の前に立つアリアを見つめている。

 自分も共同で依頼をこなす予定だが、一応メインはエリーなのだから仕切れば良いのに、とアリアは無表情の下で思うが、まあこれも役割分担というものだろう。

 きっちりこれから何をすべきか決めてから行動しないと、エリーの場合「分かった、頑張るね!」と言ってアトリエから空に放たれた矢のように飛び出して行きかねない。

 というか、やりかけた。

 

 素晴らしい行動力である。即断即決とは素晴らしい。

 あとはもうちょっと計画性を持てば完璧である。

 というか、持とう。傍で見ている此方のほうがヒヤヒヤする。

 

「さて、これが参考書で確認した、今回の調合に必要となる素材の数だ」

 

 黒字の板の上には、白い字で

 

 魔法の草……三十個

 蜂の巣……三十個

 

 そしてひときわ大きな文字で

 

 カノーネ岩……九十個

 

 と書かれていた。

 

「見れば分かると思うが、数が多い上に今回初めて取り扱うものもある。特にカノーネ岩はまっとうな数じゃあない。馬鹿正直にかごを背負って採集に行ってたら、一回では絶対に必要数を採ってくることはできない」

「一回じゃあ無理なら、二回行けばいいのかな?」

「残念ながらそんなことをすれば、今度は時間が足りない」

 

 エリーが口にしたことは実にまっとうな手段だが、それを実行するにはあまりにも時間が足りなさすぎる。ヴィラント山の採取地までザールブルグから往復十二日もかかるのだ。とてもではないが、二回行って、それから調合する余裕はない。

 

 もし期限内に依頼を終わらせるつもりなら、採取を行う人員をもう一組用意する必要があるだろう。

 カノーネ岩以外にも蜂の巣や魔法の草も必要だ。こちらも持ち帰るための人手がいるし、これだけでアリアかエリーのどちらかが潰れる。

 魔法の草は備蓄があるため、そうあくせくと集める必要はないのだが、蜂の巣だけでもかなりの量となる。持ち帰り用に人員が一人潰れるのは、今の時分でも想定できることだ。

 

 護衛の人間を荷物持ちに使うこともできるが、それは護衛能力の低下を意味する。ぷにぷに程度しか出てこないような採取地ならまだしも、ヴィラント山のように魔物がたいそう強い場所で護衛を使い潰すのは、馬鹿のやることだ。

 

 ならば、荷物持ちを別個で用意するのか。背に重い荷物を持ち、まともに戦闘できない人間を無事にザールブルグまでつれて帰るには、護衛の人間を更に追加する必要があるだろう。

 そんな金と護衛役を引き受けてくれる冒険者のコネが、アリアやエリーにあるのか。

 

「さすがにないな」

「私もハレッシュさんやロマージュさんにダグラスくらいしか頼めないし、ちょっと無理だよ……」

「……まて、聖騎士のダグラス・マクレインを護衛に雇えるのか?」

「うん、今回の依頼のためにいつでも護衛に入れるようにしておくって」

 

 そう言って、エリーはにへら、と相好を崩した。

 緩みきったその表情は、その相手を憎からず好意を持っていることを雄弁に告げていた。

 

「『無茶を頼んだせめてもの詫びだ』……だってさ」

「…………」

 

 どうやら、エリーと聖騎士のダグラスは、アリアが想像していたよりも深い仲であったらしい。

 それが、恋慕の情かただの友愛かは分からないが、わざわざそこに首を突っ込むのは野暮というものだ。

 

 これでもアリアはそれなりに空気は読める質だ、時折読んだ空気を関係ないとばかりに無視して行動するだけで、鈍感ではない。わざわざ下手にちょっかいを出して、間をこじれさせるのは趣味ではない。

 

 個人的にはどうやって知り合ったのか聞いてみたいものだが、それは今後に期待というところか。

 

「まあ、私の方も護衛には二人ほど当てがある。私達二人だけなら採取になんら問題はない」

「んーと、なら一回の採取で、私達二人で全部の素材を集めればいいってこと? できるかなぁ……」

「使う道具がカゴだけなら不可能だろう。だけど、エリー。別にカゴしか使ってはいけない、なんてだれも言ってはいないぞ」

「カゴ以外のものってこと? ええっと、てことは……」

「つまりだ」

 

 生徒にものを教える教師のように、先回りしてアリアは正解を口にした。

 

「今回の採取にはは台車と馬を使う」

「ああ、なるほど」

 

 台車とそれを引っ張る馬があれば、一度に持ち運べる荷物の量は増大する。

 馬に与える飼料の問題は、特に考えなくていい。なぜなら、よく使われる採取地沿いの街道には、一日分の距離ごとに宿場かもしくは小さな村があり、そこで休息したり飼料を買ったりすることができるのだ。

 

 元々は小さな村が街道のそばに偏在しているだけだったのだが、討伐隊の行軍やアカデミーで素材を集める時に補給施設があれば便利、ということで国とアカデミーが合同で出費して、宿場を整備したという話だ。

 

「さすがに馬は買えないが、台車は今後も使う機会はある。さすがに一から作ってもらう時間はないから、既成品を置いてあるところに買いに行かなくてはいけないがね」

「買いに行くところはやっぱり鍛冶屋さん?」

「ああ、今回は私の知り合いのところに買いに行くつもりだ」

 

 こういう時、自分が鍛冶屋の娘で助かったとアリアは思う。

 もし、彼女の親が家事を生業にしていなければ、既成品を売り出している店を一から探さなくてはいけなかっただろう。

 

 実は、このザールブルグでも既成品、特に台車のように作るのに手間がかかるうえに買い手が限られている商品は、あまり既成品が売られていない。

 買う人間があまりいないので、既成品を用意してもなかなか売れない上に、適度に整備が必要なので、商品の状態を保つだけでも小金がかかるのだ。

 それ故に、普通は注文があってから作り上げるのが常識だ。

 

『飛翔亭』で渡される依頼が、意外と期間があるのも同じ理由だ。既成品がある場合が少ないので、あらかじめ作るための時間を念頭に置いて依頼するのが当たり前だからだ。そうした前提条件をすっ飛ばすと、依頼の受け手がまったくつかないか、依頼料を釣り上げられる羽目となる。

 

 ただ、もちろん数は少ないが、既成品を売りに出しているところもある。アリアのアトリエでも、いくつかの基本的な品――アルテナの水や栄養剤、面白いところでは鉄などを備蓄している。

 ただアリアのような錬金術の店とは違い、店で置いてある台車などは既成品の場合だと中古品が多く、新品を買うのは、まあ難しい。

 

「じゃあさっそく鍛冶屋さんに行こうか!」

「まてまて、最初に行くのはそこじゃあない」

 

 ノリ気なエリーをなだめるように、エリーの目の前に人差し指を指す。

 

 そう、今回最初に行くべき場所はそこじゃあない。それよりももっと重要度の高い場所が一つだけある。

 

「えっと、ならどこに行くの?」

「それはもちろん」

 

 どこが得意げに、姉が下の子に物を教えるように、アリアは答えた。

 

「『飛翔亭』だよ」

 

 

 

 

 

 扉一枚隔てただけで、どうしてここまで空気が変わるのだろうか。

 幾度と無く頭に思い浮かんだ疑問にも顔色を変えず、アリアはぐるりと首を動かして酒場――『飛翔亭』を見渡した。

 

 真昼間から幸せそうに酒を飲み、恰幅の良い腹回りと福々と肉付き豊かな赤ら顔を周囲に見せつけるおじさま。

 

 広報誌だろうか、丸まった大きな紙を壁に貼ろうと悪戦苦闘している歳若い兵士もいる。

 

 壁のところで何やら互いに話し合っている男たちは冒険者であろうか。兵士のものとは思えない安物の革鎧を身に着けているし、片方は大きな刀傷が鎧に残っている。

 

 カウンターで気の良い笑い声を上げているのは、アトリエに移る前に住んでいた家のご近所さん、エレナおばさんではないか。どうやら何か依頼していたらしく、『飛翔亭』名物の看板娘フレアさんから依頼品をその手で受け取っていた。

 帰り際にすれ違ったので頭を下げれば、「あれ、アリアちゃんじゃないか。元気そうで安心したよ。またこちらにも顔見せなよ」と、一声こちらにかけて帰っていった。

 

「知り合い?」

 

 とエリーが後ろから聞いてきたので、肯定の意を返す。

 

「アリアってそういえば、ザールブルグの人だったよね? いいな~、知り合いの人がたくさんいて」

「ああ、そういえばエリーはロブソン村の出身だったか?」

「そうそう! さすがにあそこから来てるのは私くらいだから、ザールブルグに来たばかりの頃は大変だったよ。知り合いもいないし、右を見ても左を見てもわかんない場所ばっかり!」

 

 そういうエリーは文句を愚痴っているはずなのに、その表情は口から出る言葉と相反している。

 本当に心の底から幸福な思い出と認めることを語る人間は、太陽に向けて花弁を綻ばせる花のように鮮やかな笑みを浮かべるのだ。

 エリーのよく動く口よりも、そのくるくるとよく変わる表情の方が、雄弁に心の中を教えてくれる。

 

(まったく、良い経験を積んできたんだな)

 

 その顔を見ていれば、ザールブルグで過ごしてきた日々がエリーにとって大切なものであるとひと目で分かる。

 少し羨ましいほどだ。口にだすことはないが。

 

 隣の芝は、どれだけ自分の庭の芝が青々と美しいものであっても青く見える。

 けれどアリアとて、アトリエで営んできた日々は誰にはばかることなく胸を張れるものだ。それを自分で否定する気は毛頭ない。

 

 けれど、まあ。

 

「大変という割には楽しそうなことだ」

「あ、やっぱりわかる?」

「口元がにやけているぞ。分り易すぎるくらいだ」

「え、えへへへ」

 

 少しからかうくらいは許されるだろう。

 

 少し手慰みにエリーをからかいながら、アリアはカウンターの席に座る。

 

「お久しぶりです。ディオさん」

「あ、こんにちは!」

「ああ、よく来たな二人共」

 

 珍しい組み合わせだな、と『飛翔亭』のマスターであるディオは、薄く目を細めた。

 

 同じアトリエ生ということで、アリアとエリーは友人と称することの出来る関係だが、どちらかというとその関係はアカデミー内のものであり、アカデミーの外でそれを傍目に見せたことはない。

 機会がなかっただけなのだが、今回初めて一緒にいるところを見たディオにとっては確かに物珍しい組み合わせだろう。

 

「アリアは私とおんなじアトリエ生で、一緒によくお話しするんですよ!」

「ほう。親しい友人同士、といったところか。ま、それはいいとしてだ、なにか注文はあるか?」

 

 忙しげに机とカウンターの間を飛び回るフレアを目の端にとどめながら、こちらはこちらで目の前の人物に飲み物を注文する。

 

「今回は果汁の絞り汁二つお願いします」

「わかった。今の季節なら苺か早めのランドーあたりが入ってきているぞ」

 

 注文を受けたディオは、手間がかかる割に値段の安い果実水を嫌な顔一つせず承り、懇切丁寧に仕入れている果実も教えてくれる。

 

 ここで質の悪い料理屋なら、果物の種類を客に確認せず、作り置きしてある果実水を適当に持ってくることもあるので注意が必要だ。

 店の片隅においておいた果実水など腐りやすいことこの上ない。一定の良識を持つ店なら、お客の前で直に絞るのが当然だ。

 生鮮物を長持ちさせる冷蔵装置など一部の富豪くらいしか持っていないし、ここ『飛翔亭』ですら、井戸水で冷やすのがせいぜいだ。

 

 とはいえ、それでも十分すぎるほどおいしいので、この『飛翔亭』で頼める品の中では、アリアお気に入りの一品である。

 

「でしたら私はランドーで。エリーはどうする?」

「えっとー、じゃあ私は苺で!」

「わかったランドーと苺だな。少し待ってな」

 

 そう断りを入れると、ディオはこなれた手つきでランドーと苺を等分に切り分け、手際よく二種類の果物を絞り始めた。

 もののいくらもしないうちに、色が殆ど無い乳白色の絞り汁と、赤く色づいた絞り汁が出来上がる。前者がランドーで後者が苺だ。

 

 ランドーの絞り汁を飲むと、アリアの口の中に少しだけ酸味の混じった強い甘味が口いっぱいに広がる。

 ランドーはザールブルグの西方から来た果物で、赤い皮の下に白色の果肉が潜んでいる。甘みがザールブルグで作られている他の果物よりも強いが、強い甘みのわりに舌に残ることはなく、意外とあっさりとした味わいである。

 それ故に、果実の小ささも相まって、いくらでも食べられる果物として有名だ。

 特に夏場は、その爽やかな味故に人気がある。

 

(とはいえ、普通は酒場で頼むものではないな)

 

 酒場に来たらなにか一品頼むのが礼儀だから、毎回果実水を頼んでいるが、本来ならお酒を一杯引っ掛けるのが当然だ。メニューで記載されているとはいえ、普通酒場で頼むものといえばお酒と相場は決まっている。

 

「お酒が苦手な人もいるし、仕事中の人はお酒をを飲みたくない人もいるでしょう」と、ディオを説得し、酒類以外の飲み物をメニューに乗せてくれたフレアには素直に頭がさがる。

 

 アリアは今年十六になる。王国法で厳密に決められているわけではないが、良識としてお酒は十六からというのが、ザールブルグでの暗黙の了解だ。アリアは今はまだ十五と歳若いため、酒を頼むとあまりいい顔をされない。元々お酒が好きな人間でもないし、子供舌なのか果実水のほうがおいしいと素直に思うので、酒以外のものがあるのはありがたいのだ。

 

「で、今回は何の用だ。依頼か?」

 

 アリアが果実水で一息ついた頃を見計らって、ディオが尋ねてくる。

 ディオからすれば、依頼を受けてくれたほうが嬉しいのだろうが、残念ながら今回は違う用事で来た。依頼はまた今度に期待していただこう。

 

「残念ながら違います。今回は情報を買取に来ました」

「情報か……。何が欲しい?」

「蜂の巣が採れる採取地の情報とその道筋の二つです」

「なるほどな。それなら一人あたり銀貨百枚ってところだ。エリー嬢ちゃんも入用なんだろ? 二人同時に払ってもらわにゃ、こちらも教えられんぜ」

「妥当ですね。私たちが後で情報を共有したらそちらは目も当てられませんから。では、こちらがお代の百枚銀貨です。エリー」

「うん、コレですよね」

 

 エリーが財布代わりの小袋から取り出したのは、普通の銀貨よりも一回りほど大きい銀貨であった。

 

 ザールブルグは銀貨の枚数が通貨の基礎単位となっているが、さすがに一枚銀貨ばかりだと銀貨何百枚やら何千枚やら使う取引だと手間ばかりがかかってしかたがないので、一枚で銀貨十枚分の価値がある十枚銀貨や、一枚で銀貨百枚分の価値がある百枚銀貨も流通しているのだ。

 昔は銀貨千枚分の価値がある「シグザール金貨」も作られていたのだが、国内の金の産出量が少なくいつの間にか廃れていってしまった。今、「シグザール金貨」を再興できる可能性があるのは、金を作り出せる錬金術アカデミーだけなので、重要視されるのもむべなるかな、といったところか。

 

「たしかに。蜂の巣が採れる採取地だったな。なら、このザールブルグ近辺ならヘウレンの森がお前さんらの要望に一番合っている。あそこは蜂の巣だけでなく、竹やらヤドクタケといったものも取れるんでお前さんらの仲間さん達は重宝しているようだぞ」

「場所は、……地図で確認するとヘーベル湖のその向こうといったところですか」

 

 地図にはザールブルグの東側のすぐとなりにある大きな湖(すぐ近くとはいえ徒歩なら二日ほど歩く距離にある)から更に東にある森に大きな印が付けられていた。

 

「片道はだいたい四日ほどだ。昔はメディアの森という場所がもうちょい近くにあったんだが、土地開発やら何やらでものが採れなくなっていってな。今では殆ど使われていない。……このヘウレンの森も同じような目にはあわさんでくれよ」

「……肝に命じておきます」

 

 土地開発とディオは言葉を濁してくれたが、メディアの森が衰退していったのは錬金術士による乱獲が原因なのだろう。

 確かに、同じ事が二度も起こるのは御免被る。

 

「さて、今回聞きたいことはこれで終わりか?」

 

 アリアは首を立てに振り、肯定の意を返した。

 実際、他に聞くことは別にない。

 

「あ、ちょっと待って!」

 

 そこに待ったをかけるものが現れた。エリーである。

 

「マスター、カノーネ岩が採れるのってヴィラント山以外にありますか? あそこ魔物が強くって……」

「おいおい、まさかあそこに行ったのか!? 無謀極まりないぞ」

「え、えへへ……」

 

 笑って誤魔化すエリーに、ディオは深い深い、肺の臓腑から絞り出すようなため息をついた。

 

「ないことはない。まったくそんな馬鹿なことをする前に聞きに来い。金は貰うが教えてやったというのに」

「あ、あるんですね。やった! だめもとだったけど聞いといてよかったよ!」

 

(聞いてくれて助かった……!)

 

 ヴィラント山以外ではカノーネ岩が採れないというのがザールブルグでの常識だ。

 フラン・プファイルが住み着いていたかの山は、魔物の苗床となっている。その魔物たちを越えてこそカノーネ岩が手に入る、そう思っていたのだがどうやら手間はいくらか小さくなりそうだ。

 

「場所の名前はエルフィン洞窟。ヴィラント山の麓にある洞窟だ。小さいが、カノーネ岩やヴィラント山では採れないものもいくつかある。ここで我慢して、ヴィラント山に行くのは四月まで待て」

 

 ザールブルグからの距離はおよそ三日ほど。

 片道六日はかかるヴィラント山に比べれば、半分ほど行程が短くなる計算だ。

 

(これはいい)

 

 アリアが願ってもないことである。

 今は少しでも時間がほしい。

 

 印のついた地図をもらい、アリアは目的が予想以上の成果をあげたことを知った。

 追加でお金はかかったが、手に入れたものはそれ以上だ。

 

「ああ、それとディオさん一つ頼んでいいですか」

「ん、なんだ?」

「はい、ある冒険者に渡りをつけて欲しいんです」

「ああ、いつものあれか。いいぞ。誰に話をつけておけばいいんだ」

 

 ここ『飛翔亭』では護衛を求めてくる人への冒険者の斡旋も行なっている。

『飛翔亭』から紹介される冒険者の質は良く、安心して任せることができるのだが、今回はこちらから指名を行う。

 

「ザシャでお願い致します」

「あいつか。わかった、今日中に話を伝えとこう」

「よろしくお願いいたします」

 

 この前仕事が無いと嘆いていたし、問題なく雇い入れることができるだろう。

 予定が合わなかったら、その時は改めてディオに他の冒険者を紹介してもらえばいい。

 その時はその時である。

 

 

 

 

 エリーに馬の確保と知り合いの冒険者を雇ってくるように頼み、アリアは一人職人通りを歩く。

 残りは台車の確保と冒険者を雇うことの二点。

 台車はそこまで難しくない、アリアの知り合いの店――製鉄所にいけば良いだけだ。

 

「というわけで、馬一頭で引ける大きさで荷物ができるだけ多く乗る台車はありませんか?」

「いきなりだねぇ、あんた。もう少し余裕を持って仕事は頼みなよ」

「あいにく今回は急ぎだったもので」

 

 赤毛の女性――カリンは少し呆れたように肩をすくめた。

 

「まあ、いいけどね。中古品で良ければいくつか余ってるよ。あんたの要望に全部が全部、合致するものはちょっと厳しいけどね」

「ええ、それで構いません。もともと万事が全て上手くいくとは考えていませんので」

「さっきのは交渉に移る前の牽制かい? 十五にしてはホントあんた強かだよねぇ。もう少し可愛げがあってもいいんだよ」

「可愛げがあればお安くなりますか?」

「それとこれとは話が別、ってやつさ」

「ならこちらも一つご同様に」

 

 互いに言葉遊びを交わしながら、製鉄所の裏手に回る。

 今回頼んだお仕事は、製鉄所にとって本業ではないし、中古品の取り扱いは新品の物をいちから作るよりも金にならないので、表通りには置いてない。所謂、知る人ぞ知る特別商品というやつだ。

 

 裏手には台車以外にも馬車や馬や牛に引かせる農耕機も置いてあった。

 数は少ないが、きちんと整備されているのか錆一つ浮いていない。

 アイヒェという名の木が使われている部分も、腐りもせず割れもせず、板の継ぎ目に隙間もない。良い出来だ。

 

 まったく惚れ惚れする仕事ぶりである。

 

「で、どいつを買うか決まったのか?」

「ええ、この中ではやはりこちらですね」

 

 アリアが選んだ台車は、想定していたよりも多少小振りの台車であった。

 馬一頭で引くならもう少し大きなものでも構わないのだが、他の台車だと大きすぎたり小さすぎたりして、使い勝手が悪い。

 少しくらい小さいものであっても、最低カノーネ岩の必要数を確保出来ればいいのだ。それくらいなら十分すぎる大きさがある。

 

 また、車輪や部品同士の繋ぎ目で青銅をしっかりと使ってあるのが良い。今回は重いものを運ぶので、出来る限り丈夫な台車が求められる。

 アリアが選んだ台車は、全てが全てベストではないが、残っているものの中では目的に最も沿っている一品であった。

 

「いつもながら、目利きは悪くないねぇ。一応軽くこちらでも見といてあげるよ」

「それは助かります。お引取りは明日で?」

「これくらいなら今日中に終わるよ。他にも用事があるんなら、それが終わったらもう一度来てくれればいいさ」

「ありがとうございます。また一度よりますね」

 

 これで台車も準備万端だ。

 

 残りは冒険者の確保だが、今回製鉄所に来たのは台車を買うだけではない。冒険者を雇うのも目的のうちだ。

 

「ああ、あとエマさんは今日いらっしゃいますか?」

「ああ、いるよ。なんだい、冒険者としてあの子を雇うつもりかい?」

「ええ、そのつもりです」

「なら、あたしから伝えといてあげるよ。断らないと思うけど、もう一度あんたがここに来た時に答えるよう言っておけばいいよね」

「十分です。それで構いません」

「なら商談成立だね。まいどあり!」

 

 銀貨を渡し、製鉄所を出る。

 

(エマさんに渡りをつけるのは終わったことだし、あとは行く前に食料や細々したものを買ってくるか)

 

 最後の一人にも心あたりはある。

 問題なく雇うことができたなら、近日中に予定を合わせて出発するだけである。

 

(ああ、今回は順調だったなぁ)

 

 紺色の長い錬金服の裾を翻し、アリアは人混みの中へと消えていった。

 

 

 

 

 二日後の早朝。

 アリアはザールブルグの中央広場で、台車を持ってきて人を待っていた。

 

 まだまだ朝早いためか、人通りは少ない。

 いつもとは違う閑散とした風景は、何やら侘しいものがある。

 

 まだ人が起きだしたざわめきもない静寂の中、石畳を叩く音がアリアの耳に入った。

 

「久しぶり。集合場所はここでいいんだよね」

「ええ、ここですよ。今回はどうぞよろしく」

「こちらこそ。今回は雇ってくれてありがとう」

 

 朴訥とした田舎の好青年といった顔立ちを破顔させて、ザシャがやってきた。

 腰には新品の剣が下げられており、この前会った時から幾許かも経たぬうちに買ったのだということがよく分かる。

 

「ええっと、今回はおれともう一人でエルフィン洞窟に行くんだっけ?」

「そうです。北門から街道沿いに北上し、ヴィラント山の手前で道から外れて洞窟を探します」

「ん、わかったよ」

 

 了承の意を示すためか、ザシャは何度もうなずき腕を組む。

 

 そうこうしているうちに、少し離れた場所からアリアの名が呼ばれる。

 声の方向に目を向ければ、エリーやエマ、そして見知らぬ鎧をつけた二人の男たちがこちらに向かっていた。

 

 どちらもアリアが今まで会ったことのない人物であったが、片方の男性だけは名乗られずともその名がわかった。

 

 抜けるような傷ひとつない蒼い鎧。

 それはこの国では聖騎士の地位につくものだけが身にまとうことを許されたもの。

 

 エリーが言っていたダグラス・マクレインその人であろう。

 

 けれど、そちらに気を取られる間もなく、話しかけてきたのはエマであった。

 

「おはよう、アリアちゃん。今日はよろしくね」

「ええ、エマさん。こちらこそよろしくお願いします」

「そちらのお兄さんが、今回一緒に行く人かしら?」

「ええ、ザシャといいます。実力派未知数ですが、ディオさんが言うには期待していいかと」

「あらそう。なら頼らせてもらおうかしら」

「いやいやいや、おれなんてまだまだですから!頼ってもらえるのは嬉しいけど、そんな期待するようなもんでもないですから!」

 

 からかうように真意を見せない笑みを浮かべてのたまうエマ。

 それに焦るはザシャばかり。

 

「おいおい、謙遜するもんじゃあないぞ。自分の実力に自信があったから、冒険者なんてヤクザな仕事についてるんだろ? だったらもう少し胸を張った方がいい」

「ええっと、そういうあなたは?」

「ああ、俺の名前はハレッシュだ。今回エリーに雇われてな、一緒にやってきたのさ」

 

 ザシャの肩を叩きながら豪快に笑うのは、今回集った人物の中で最も背の高いハレッシュという冒険者であった。

 

「おはよう、アリア。頼まれたとおりお馬さんを連れてきたよ!」

「ありがとう、エリー。その子ですか?」

「うん!」

 

 エリーが指さしたのは、聖騎士であるダグラス・マクレインが連れてきた、黒々とした毛並みが美しいどこからどう見てもたくましい軍馬であった。

 

「おい、こいつはその台車に繋げばいいのか?」

 

 ダグラスに尋ねられたので頷く。

 

「ええ、そうです。あの、その子軍馬ですよね。よく連れてこれましたね」

「んあ? ああ、こいつは騎士隊の馬だからな。今回無理を頼むわけだから、こっちもこれくらい融通は効かすぜ。毎回は無理だけどな」

 

 騎士隊の馬ということは質はまったく問題無いだろう。

 嬉しいことに、緊急の依頼を受け入れてくれた謝礼ということで、今回は馬のレンタル料は要らないとのことだ。

 台車の購入費などで地味に財布が痛手を受けていたので、これは嬉しい。

 

「では、この馬は私たちが借りていきます。戦力の都合上、私たちがエルフィン洞窟に向かうほうが良いので」

「ま、そりゃそうだな。ここでお前らがヘウレンの森に行くって言ってたら全力で止めてるところだったぜ」

 

 ディオに確認をとっていたのだが、魔物の強さはヘウレンの森のほうが強く、特に魔法などが効きづらいクノッヘマンがよく出没するらしい。その代わり物理防御力は紙なので、剣や槍の攻撃に優れているダグラスとハレッシュを連れたエリーがそちらに向かうことは、事前の打ち合わせの通りだ。

 

 別にエマの腕が悪いわけではないのだが、冒険者として名が売れているハレッシュや聖騎士であるダグラスに比べると分が悪い。悪すぎる。

 ザシャは腕がどれだけ良くとも、まだまだ新人だ。実力も未知数だし、経験不足なところがあることは否めない。

 

 だから事前情報で比較的出てくる魔物が弱いと聞いたエルフィン洞窟にはアリアが向かい、強めの敵が現れるヘウレンの森には最強戦力を連れたエリーが向かうことに取り決めたのだ。

 

「では今回はよろしくお願いします。エリー、蜂の巣は頼んだ」

「うん、任せといてよ!」

 

 元気の良い返事がなんとも頼もしいことである。

 引き連れた護衛の者たちも一流どころばかり、これでは心配するほうが難しいというものだ。

 

 それよりもこちらのほうが気合を入れていかねばならない。

 

 改めて自分とともに行く面子を見て、アリアは気持ちを新たにする。

 信じていないわけではないが、エリーと一緒に行く二人よりもこちらのほうが腕で劣っているのは否めない。

 

 台車を引く馬を制御する、という役割があるとはいえ、アリアもまたこの中では大事な戦力なのだ。遊んでいる余裕はない。

 

「では、私たちも行こうか」

「ああ」

「ええ」

 

 力のこもった返事。それを耳にして、アリアは第一歩を踏み出した。

 

 アリアとエリーは、彼女たちの冒険者を引き連れて、それぞれ北門と東門からザールブルグを旅立っていった。

 

 今回の冒険でどんな試練が彼女たちを襲うのか、何を得るのか。それはまだ誰にもわからない。

 

 


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