赤蜥蜴と黒髪姫   作:夏期の種

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第05話「触らぬ悪魔に祟り無し」

「部長、いざとなれば私達が押さえに回ります。決して無理をせず、引き際を誤らないようにして頂けますか」

 

 朱乃の顔に冗談の色は浮かんでいない。一緒に連れてきた祐斗も意見は同じらしく、目を向けると微かな怯えと共に頷きが帰ってくる。

 かく言う私も、実はこれから会う相手が怖い。

 爰乃が語った祖父の名は、悪魔の中で知らないものは居ないビックネームだったのだから。

 七十二柱と称された上位悪魔の枠外、とある地方では太陽神として信仰された事もある大悪魔アドラメレク。その力はかつての大戦で四大天使の一角たるウリエルすら一騎打ちで打ち破り、神話での敗北を過去の物とするほど。

 滅びの力を受け継ぎ”紅髪の滅殺姫”なんて二つ名を持つ私も、この偉大な悪魔の前では赤子も同じですものね。

 死んだとされていたこの方が人間界、それも私の庭に潜んでいたなんて驚きよ。

 

「後輩のお爺さんにご挨拶へ伺うだけよ。無礼を働かない限り大丈夫だと思いたいわ」

「部長、香千屋さんの系譜だからこそ僕は恐ろしい」

「……そうね。とりあえず爰乃がイッセー達と出かけているだけ火種は少ないわ」

 

 敬意を持って接すれば何も起きないと思いたいけれど、祐斗の懸念も分かる。

 見た目こそ和風美人なのに、自分の道は拳で開く爰乃の源流が温厚と思えないもの。

 でも、ここまで来て引き返すことは許されない。

 私は意を決して香千屋の家のインターホンを鳴らすのだった。

 

 

 

 

 

 第五話「触らぬ悪魔に祟り無し」

 

 

 

 

 

「カラス共を危うげなく倒したか。さすが音に聞こえたグレモリー眷属。若手最強候補と噂になるだけの事はある。わしも爰乃を通じて手を貸した甲斐があったというもの」

「その節はありがとうございます、お蔭様で管轄内での不祥事を防ぐことが出来ました」

 

 事情を聞いた私は、全身から嫌な汗が噴出して止まらなかった。

 堕天使の総督と友人関係を持っている事実だけでも驚きだが、今回の一件に絡んだ理由はそれを遥かに超えたインパクト。

 先祖代々の香千屋家当主を守り育ててきたアドラメレク様は、誰がどんな悪事を働こうと関心を持たない。それこそ悪魔と堕天使で戦争が始まっても同じ。

 これは少なくとも堕天使と悪魔のトップに周知済みであり、中立を保つ条件で人間界での暮らしを黙認する約束を取り付けてあるとの事。

 しかし、万が一にも我が子に害を及ぼすならば話は別。

 誰にどんな迷惑がかかっても、原因を物理的に取り除くと宣言してあるらしい。

 つまり、もしも話し合いの席で理知的な対応をせずに爰乃へ危害を加えていたなら敵認定を受けていた。

 きっと私達は誰も助からず、お兄様が敵を打つべく参戦。

 そうなれば当然のようにアドラメレク様も知己を集めて……堕天使も来そうね。

 考えたくないけど、対応を間違えれば魔界全土を巻き込む騒乱の種となっていたわ。

 今後とも先ず話し合い、これを徹底しないとダメね。

 

「よいよい。こちらとしても一度は爰乃の窮地を救って貰ったのだ、これで貸し借り無しとしよう。すまんが、今後ともアレと良くしてやってくれんか?」

「頼まれずとも爰乃は可愛い後輩ですわ。私が長を勤める部にも在籍することになりましたし、先輩として手本となれるように精進致します」

 

 深々と頭を下げればよいよいと言われ、硬くなる必要は無いと笑われてしまった。

 見た目こそ時代劇に出てきそうな白髪を背に流した剣客は、話してみれば随分と気さくな方だった。

 好戦的な人物像を想像していただけに、私を含めて皆が困惑気味。でも、考えて見れば爰乃も礼儀正しい話せる女の子よね……外見だけは。

 

「時に兵藤君は一緒ではないのかね」

「彼は新たに加えた”聖母の微笑”持ちの僧侶の相手をしています。必要でしたら今すぐ呼び出しますが……何か粗相を?」

「いやいや、坊主とは小さな頃より縁があってな。発現させたと言う赤龍帝の力を試してやろうと思っただけよ。今は”禁手”にも至っておらぬだろうが、さしものわしも”覇龍”を使われてはちと辛い」

「神滅具とはそれほどなのですね……」

 

 ”覇龍”とは何だろう。初めて聞く単語だが、話の腰を折る訳にも行かない。

 後で調べればいいのだし、流しておく事にしましょう。

 

「うむ。何代か前の篭手所有者には、危うく殺される寸前まで追い込まれたわ。他に要注意と言えば”白”と”槍”だな。直接やりあうならばこの三つが怖い。そしてその内の一つを手に入れたリアス嬢は幸運よ。持ち主の資質も悪くなく兵士としては最上級の得がたい駒、大切に扱ってやりなさい」

 

 あら、随分とイッセーは高評価ね。

 愛しい下僕が偉大な悪魔の覚えが良くて誇らしいわ。

 でも、この方の怖いところは最後まで勝てないと言わなかったこと。

 言葉の節々から感じる己への自信が圧倒的だと思う。

 

「あの少年は、はっきり言ってしまえば弱い。今は純粋な人間である爰乃にすら敵わぬ弱さだろう。しかし反面、心が強いのだ。目標さえ見つかれば、そこに向かって折れず曲がらず必ず成し遂げる鋼の意思が真骨頂よ。女子には分からぬだろうが、色を好むのも英雄の素質と思えば問題にはならん。それもまたモチベーションを維持する本人なりのやり方とわしは思うとる」

「……なるほど」

 

 確かにその通り。でも、同時にこうも思う。

 それは下僕の生き様ではない。己を主として、自らの覇道を成す王の資質だ。

 あの子は言っていた。上級悪魔になり、独立して自分のハーレムを築くと。

 朱乃も祐斗も小猫も、誰一人としてそんな事を公言しない。

 まして下僕に成り立てなのに、すぐさまその発想に至ったイッセーはおかしい。

 でも、愚直な彼は決して彼は裏切らないのだろう。

 私の下を離れても必要なときは馳せ参じ、兵士としての職務を全うすると確信している。

 

「赤龍帝にレア神器持ちの僧侶と、誰もが垂涎の的の手駒をリアス嬢は揃えたのだ。豚に真珠と言われぬよう、彼らに相応しい王になれ」

「ええ、それに足を止めたなら下の者に追い抜かれかねません。さすがはグレモリーと言われるよう努力いたしますわ」

「期待しておる。どれ、餞別に眷属へ一つ稽古をつけてやろう。そこのお主、お前は騎士じゃな? バラキエルの娘とセットで力を見せて見よ」

 

 ア、アドラメレク様、朱乃にその言い方はデリカシーが欠けているというか逆鱗に触れています。貴方様が堕天使の総督と縁があるなら、確執を抱えた家庭の事情も考慮して欲しいわ。

 ああもう、朱乃の顔から表情が消えた。何事も無ければいいけど……

 

「……あの男のことは関係ありませんわ。私は悪魔の姫島朱乃、ただそれだけです」

「そうか、ならば朱乃と呼ぼう。気に障ったのなら力を示せ。果たして父親に届く力なのか不安だがね」

 

 やっぱり爰乃の祖父、火に油を注ぐ口ぶりがほとんど同じだわ。

 ええと祐斗は……大丈夫、普通にやる気でよかった。

 さすがの大悪魔も、教会事情にまで掴んでいるわけではないみたい。

 っと、さすがに外でやるのね。私の持ち札最強の二枚がどこまで通じるのか楽しみよ。

 

「傷の一つもつけられたならお主たちの勝ち。褒美に何でもくれてやる。わしは加減するが、死なぬように気をつけるのだよ?」

「アドラメレク様、僕は”魔剣創造”の神器持ちです。使用しても宜しいのでしょうか?」

「許す。女王と同じ程度には本気を出すが良い」

「はっ!」

「朱乃もそれで良いな? おうおう、その殺意に満ちた瞳が答えか。では始めよう、タイミングは好きにし―――いきなりか!」

 

 余裕ぶって顎鬚を撫でるアドラメレク様に降り注ぐ雷の雨。

 そこいらのはぐれ悪魔なら蒸発する本気の一撃を躊躇せずに使用する辺り、朱乃の本気度が透けて見えるわね。

 でも、それだけの範囲攻撃じゃせっかくの祐斗が近づけない。

 感情に任せた悪手じゃないかしら?

 

「一瞬だけ焦ったが、光も乗せていないただの雷ではランプの代わりにもならぬ。舐めているのか? このわし相手に加減をしているつもりか?」

 

 ほら、やっぱり届いていない。

 派手に上がった煙の中から無傷のアドラメレク様が出てきたわ。

 しかも怒らせてしまうというオプション付き。

 離れた私にすらビリビリくる殺気だけど、立て直せるか不安よ。

 

「あのような力に頼らずとも十分ですわ」

「弱者が何を言う。それは強者が格下相手にする気遣いであり、持てるものにのみ与えられた特権よ。堕天使の持つ魔を払う光の力、それ無くして何が雷の巫女か。草葉の影で母が泣いておるぞ」

「母は関係ありませんし、忌まわしい力に頼るくらいなら死んだ方がましです」

「……遊んでやろうと思ったが、気が変わった。もう良い黙れ」

 

 たったの一歩で朱乃に肉薄したのも十分驚きだけど、次の瞬間には開いた口が塞がらなかった。全体の動きとしては前に部室で爰乃が見せた動き。しかし、洗練の度合いが違う。

 これが武の力。拳が軽く触れただけで、私の女王が糸の切れた人形のように崩れ落ちるなんて信じられない。

 バアル家筆頭のサイラオーグも体術が特徴の格闘家だけど、アドラメレク様とは同じカテゴリーに当てあはまらない。

 彼は魔力の才能がなかったから肉体を鍛えるしかなかった。でも、この大悪魔は違う。

 魔力だけで他を圧倒できるのに、そこで満足しなかったのだから。

 聞けば、ざっと見積もって千年は鍛錬を続けてきたとの事。

 強くて当たり前だ。

 おそらく現魔王のお兄様ですら、近接戦闘の一点においては譲るざるを得ないと思う。

 

「偉大な父の思いを踏みにじり、寵愛の証を忌避する小娘にはほとほと呆れた。二度とこの家の敷居を跨がせるな、次にわしの目に入れば殺しかねんぞ」

「……はっ」

「そしてグレモリーの騎士は眺めるしか出来んのか? わしはまとめてかかって来いと言ったはずだが?」

「失礼しました、遅ればせながら挑ませてもらいます」

 

 私と同じように呆然としていた祐斗も、ようやく我を取り戻す。

 両手に魔剣を生み出し、硬さを感じさせないキレのある動きはいつも通り。

 見たところ瞬間的なスピードなら負けていない。

 守りに入れば経験地の差で負けると本人も感じたのか、苛烈な攻めを開始した。

 でも……ダメね。

 

「ほう、見所が在る」

「無手で捌く方がそれを言われますか」

「いやいや、手数は及第点。速さは一流に迫ると保障しよう」

 

 避けて流して弾いて、左右の連激が予定調和のようにいなされ、ありとあらゆる魔剣を生み出しても等しく折られ続ける。

 このまま続けても毛筋のほどの傷もつけられないことは、専門外の私でも一目瞭然。

 おそらく、剣を振る祐斗は絶望を感じているはずね。

 戦いを完全にコントロールされ、遊ばれている心境を思うといたたまれなくなるわ。

 

「しかし、軽い。上級悪魔なら守ると考えただけで通らぬ軽さよ。蟷螂の斧、一寸法師の針、それが貴様の剣の正体。その証拠に防御せずともこの通り」

 

 だらりと手を下げ、無防備なまま二剣を受けるも競り負けたのは騎士の刃。

 特別な素材でもない着流し相手に、甲高い音を立てて砕けた魔剣の結末を私も信じられない。

 

「刃の理想は剃刀の鋭さに鉈の重さ。剃刀だけでは脆く、鉈だけでは切れん。この言葉を忘れず励め若者よ」

「……はい」

 

 一度の反撃もせず、言葉だけで心を折るなんて……

 爰乃に手を出せばコレが敵になる、その事を考えるだけで震えが止まらない。

 でも、これはこれで大きな収穫よ。

 堕天使相手に圧倒した事で、少なからず慢心していた私たち。

 正しい身の丈を教えてくれたと思えば必要な敗北だったと思う。

 こうして文字通り胸を借りるだけの戦いは終わった。

 その後は祐斗が少しばかりの剣術指南を受けた後、爰乃との関係などを聞いた。

 アドラメレク様をして師と仰いだ香千屋流の開祖様、きっと偉大な方だったのでしょう。

 私も同じような出会いに期待して、独学ではなく誰かに師事してみようかしら。

 

「部長、僕は強くなります」

「そうね、私も含めて皆で強くなりましょう。朱乃もいいわね?」

「……ええ」

「正直、アドラメレク様の言った事は尤もだわ。たとえどんな曰くがあろうと、イッセーなら迷わず何でも使う。それがあの子の強さなんじゃないかしら」

 

 私達は彼に学ぶべき事が多いのかもしれない。

 その証拠に強いと評されたのはイッセーだけ。

 あの子と話そう、そして私たちに何が足りないのか知るべきだ。

 

「今すぐ気持ちを整理しろと言っても難しいでしょうけど、自分と向き合うことも必要よ。これは祐斗も同じね。復讐を捨てろとは言わないわ。でも、そこに固執する限り壁は越えられない」

 

 押し黙った二人は、それぞれ捨てる事の出来ない過去に取り付かれている。

 朱乃が父との確執なら、祐斗は聖剣に対する憎しみ。

 でもきっと、その重みさえ捨て去ることが出来たなら高く飛べると思う。

 

「昨日より今日、今日より明日、そうやって一歩一歩進みましょう。ゴールは永久にないけど、それが私の選んだ道。遅れずに付いてきなさい」

 

 いつか羽ばたくその時を信じ、私は空を仰ぐのだった。


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