赤蜥蜴と黒髪姫   作:夏期の種

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第40話「柔と剛」

 腹の底を見せない狐と狸を相手取り、しかも延々と続けなければならない茶番劇。重箱の隅を突いて有利な言質を取ろうと目を光らせる連中との会話は、本当にしんどい。

 仮にも魔王を目指す身として、この手の技能は必須になる事も理解している。

 しかし、元来頭の回る方では無い事も事実。頑張らねば。

 不得手な分野だろうと、バアルに相応しい技量を身につけねばならん。

 知識、教養、力、全てを兼ね備えてこそ大王家の嫡子たるもの。

 何よりも病に伏せる母が目覚めた時、成長した姿を見て失望させる訳にもいかん。

 さあ、気を取り直して次は娘どもの相手だ。

 大人との化かしあいが終わりほっと息をつくのも束の間、親の命令で近づいてくる少女達を一人一人丁寧に捌いていく。

 幸いにして数は多くないと、気分を入れ替え無心にダンスを踊ること数人。

 やっと全て片付いたと思って気を抜いた瞬間、それは現れた。

 

「私ともお付き合い願えませんか?」

 

 俺は疲れていたのだろう。気が付けば、目の前に絹の手袋に包まれた手を差し出してくる黒髪の少女が一人居た。

 肩口の大きく開いた青のドレスを着こなし、顔に浮かぶのは自然な笑み。

 下心を感じさせない堂々とした雰囲気には好感を持てるが、俺の知る限り過去の夜会で黒髪の娘は一人も居なかった筈。

 怪しい事この上なしと思いつつ、何処の手の者か判明しない事には無碍にも出来ないと諦める。

 

「喜んで」

 

 大貴族の血縁にしろ新興貴族の関係者にしろ、現状打てる手はこれしかない。

 最後の最後でジョーカー、中々の運気じゃないか。

 

「正式なダンスは初めてですが、アドリブでも誤魔化せるものですね」

「そうなのか?」

「さっぱりも分かりません。なので、そちらに合わせます。リードして下さい」

 

 自分から誘って来た癖に初心者だと?

 まさかの告白に主導権を持っていかれた気分だった。

 しかし、動き出しから次の行動を予測して追従する反応速度が尋常じゃない。

 難解なステップを踏もうと、突然のターンを仕掛けても動じないとかありえん。

 想定される能力は肉体強化……さてはバラムの血筋か。

 バラクの奴が、俺の知らない親族を連れてきたと仮定すれば辻褄は合う。

 

「お名前を伺っても宜しいか」

「香千屋爰乃と申します」

 

 違った。ネーミングルールから察するに、転生悪魔か。

 ならば最低限の接待で十分、早めに切り上げてビジネス相手の元に向わねば。

 

「聞かない名だな。済まないがフェニックスの令嬢との先約があるので失礼する」

「あれ、レイヴェルから話を聞いていませんか?」

「む?」

 

 腰に回していた手を引かれ重心を崩された瞬間、間を置かずに放たれた足払いに下半身を持っていかれた。幸いにして発生したベクトルを打ち消す力を加えられたので傍目にはアクロバティックな動きとしか見えないだろうが、悪意があったなら確実に床へ転がされたのだと思う。

 

「いつもの癖で名を間違えました。こちらの世界での名は爰乃・アドラメレク。レイヴェル・フェニックスの王にして、これから貴方がお会いになる相手だと思いますよ?」

「なん……だと」

「次の曲が始まっちゃいましたね。ここで中座するのも無粋と言うもの、待ち人が良いと言うのですからもう一曲如何?」

「……基礎は掴んだな? 衆目に侮られない為にも難易度を上げるぞ」

「勉強させて貰います」

 

 成る程、この娘が最近噂の人間か。

 総督殿と涙の流通を牛耳るフェニックスの頼みを断りきれずに受けた余興だったが、この調子なら楽しめるかもしれん。

 バラクの奴も打ち負けたと言うし、先の手腕は親の七光りだけでは無い証拠だろう。

 

「手加減は必要か?」

「負けた時の言い訳にしないならばご自由に」

「ならばこれは前哨戦、遅れず着いて来い」

 

 若手最強、そう呼ばれてより挑戦者を迎えた事はない。

 敵の能力は未知数だが、久しぶりに感じる戦いの予感に心が躍る。

 劣等性の俺が才能に恵まれた格上を乗り越えた様に、爰乃とやらも脆く弱いと評判の人間が持つ可能性を見せて欲しい。

 なあ、勝算があると思うから挑むのだろう?

 俺の期待を裏切るなよ?

 

「つまり、踊りきれたなら私の勝ち。その勝負受けました」

 

 爰乃・アドラメレク、貴様は敵として申し分無し。

 例え一撃で終わるとしても、全身全霊を持ってお相手しよう。

 

 

 

 

 

 第四十話「柔と剛」

 

 

 

 

 

「結果オーライは駄目だと何度言えば分かりますの? 幾ら事前にOKを貰っていても、物には段取りがありまし―――聞いているのかしら?」

「エスコートして貰っただけです。私も立派な招待客なのだから、特に問題無いと思います」

「ええ、途中で技を仕掛けなければ小言も言いません!」

「アレは人間世界で一般常識のアメリカンジョーク。レイヴェルの言う通り、人間ルールで共通の話題を作る為にウイットにとんだ手法を取った事の何が問題なの?」

「そ、そうなんですの?」

「社交界では当然のマナーです。話のネタに困ったら、大統領だってやりますよ。そうですよね、アザゼル総督?」

「おいおい、赤ん坊だって知ってる事だろ。今更過ぎて反応に困るぜ」

「人の世は不可解ですのね……」

 

 レイヴェルに見えない角度で親指を立てれば、セコンドの先生もGJとリアクションを返してくれる。

 このちょろさ、マイエンジェルのアーシアに匹敵するんじゃないでしょうか。

 人をからかう趣味はありませんけど、他の面子に弄ばれないか不安でなりません。

 

「向こうさんも出て来たか。お前も準備は出来てるな?」

「ええ、アップも終わってます。一つ揉んで貰ってきますよ」

「奴を全開の爺と思って、最後の一滴まで力を搾り出せ。繰り返すが出し惜しみなし、根性、気力、戦術、何もかもを曝け出しても勝機は薄いぞ!」

「何を今更。言われずともそのつもりです」

 

 パーティーが終わり、先生とバアルの悪魔が合同で構築したレーティングゲームのフィールドは何も無い真っ白な空間だった。

 大王家の嫡子が人間と争う前代未聞の事態なだけに、外部への情報漏えいを防ぐべく過剰なまでの諜報対策が取られた異空間は実用最優先の作り。

 床は強固な石材の感触を返してきますが、詩的に表現すると汚されていない純白の処女雪が降り積もった静寂なる世界と言ったところ。

 日付の変わった今の時間帯も併せれば、すっかり気分はシンデレラ。

 腕を組んで静かに佇む王子が、ジャージっぽい服なのはご愛嬌ですけどね。

 まぁ、灰被りの私も袴姿。妥当なドレスコードだと思います。

 

「待ちました?」

「安心しろ、今来た所だ」

「デートみたいですね」

「前置きも冗談も不要、せっかく時間を割いたのだから楽しませてくれよ?」

「せめて、得られる物の無い不毛な戦いを受けて頂いた謝辞だけは述べさせてくれませんか?」

「何も賭けていないからこそ、本気を出せる場合もある。しがらみを捨て、バアルの名を一時忘れ、無心に拳を振るう素晴らしさ。俺も自己満足の背比べが大好きだ。さあやろう、今すぐやろう、溜め込んだストレスを発散出来る素晴らしい喧嘩をな!」

「ならばレディーファースト、お手を拝借」

 

 お互いに相手の情報を持たない状況下、やはり選ぶべきは最も完成度の高い一手。

 練りこんでいた神気を用いた最速の縮地で、真っ向勝負を挑む事にする。

 瞬間的になら美猴にすら匹敵する瞬発力はさしものサイラオーグさんも想定外だったのか、ガードが間に合わない事を悟り、目を見開いて驚きを隠せていない。

 しかし私が開始前から英雄モードを全開だった様に、彼もまたその身に闘気とやらをキッチリ纏った状態で一騎打ちに望んでいる。

 さあ、私の神気と貴方の闘気……どちらが上か勝負!

 狙うのは恒例の肝臓、一撃で仕留められない相手なら持久戦でじわじわ効いて来る急所から責めるのが吉と判断した私です。

 数々の猛者達を悶絶させてきた必殺の穿心掌、いざ喰らいなさい。

 

「ほう、初撃で俺の防御壁を抜いてくるか!」

「浅い!?」

 

 踏み込みの加速も十分、各関節の連携も申し分ない最高の一撃だったと思う。

 しかし水に手を突っ込む様な抵抗を抜けた先で得られた手応えは、分厚いゴムを叩いた時の猛烈な反発感。接触面から神気を僅かなりとも流し込めたにしろ、とても必殺を名乗れないダメージです。

 相手は牽制のつもりでも、私には致命傷になり得る返しの拳をステップで回避して一呼吸。

 残念な事に、オープニングは取られちゃいましたか。

 

「よく分からんが、脇腹に若干の違和感があるな。お前の技の影響か?」

「人間の英知の結晶を、蚊にでも刺された感じに表現されて驚いています」

「まぁそう言うな。手品はこれだけじゃ無いのだろう?」

「安いカラーボックスとは違う、桐箪笥の引き出しを披露しますとも。そちらこそ悪魔の癖に魔力に頼らない防御膜だけが隠し玉じゃありませんよね?」

「それだけだが?」

「……はい?」

「俺は不器用な悪魔だ。魔力は皆無、扱える力は内より湧き出す闘気のみ。故にこの力を攻防に生かす事しか俺は知らん」

「それは十分な選択肢だと思います」

「俺と戦った者達は、誰もが馬鹿の一つ覚えと罵っていたぞ」

「ええと、風呂敷って知ってます?」

「うむ」

 

 通じる事に驚きです。

 

「アレの使い道って、物を包むだけですよね?」

「そうだな」

「でも布切れ一枚の単純な形状だからこそ何でも包めますし、その気になれば傷口を塞ぐ包帯代わりにも、何かを縛る紐の代わりにだって出来るじゃないですか」

「言われてみればその通り」

「大切なのは、能力の本質を理解して多様性を引き出すこと。上から目線で申し訳ありませんが、せっかくなので私との戦いから学んで下さい」

「敵に塩を送って良いのか?」

「無理やり時間を取らせた侘びですよ。それに性質は違えどサイラオーグさんの闘気とやらと、私が持つ神気は本質は同じ物と感じました。私とは違う視点で新しい活用法を見つけたなら、それは新発見。真似させて貰いますのでお気になさらず」

「面白い、面白いぞ爰乃とやら!」

「やや興を削がれましたがレッツ再開!」

 

 さて、どうしよう。

 彼が続け様に放ってくる拳を神経を磨り減らしながら避け続ける私は、サイラオーグさんのスタイルが概ねボクサーと同じと言う事を頭で理解はしている。

 でも、何千何万回と繰り返す過程で無駄を削ぎ落とされたジャブの弾幕を永久に回避する事は物理的に不可能なんですよ。

 おまけに一発一発が閉鎖空間の空気を震わせるチート威力。

 それだけでも厄介なのに―――

 

「逃げ回っていては勝てんぞ?」

「足捌きから学べと言う優しさですよ」

 

 体格差から来る純粋なリーチの差だけで無く、拳に乗せられた気の効果で射程が明らかに伸びていやがりますよ!

 サイラオーグさんのクロスからミドルレンジは、私にとってのアウトレンジ。

 格闘戦なのに、手も足も届かない距離で立ち往生させられるとか訳が分かりません。

 と、愚痴を垂れていても仕方が無い。

 わざと体勢を崩して右の大砲を誘い、空ぶらせた腕を手首と肘の二点で固定。防御の神気も費やして闘気の膜を相殺しつつ、相手の力も利用した全力の一本背負いを敢行。

 しかし失敗、てこの原理も無視するパワーの差って何ですか!?

 そんな泣き言をぐっと堪え、最悪を想定して用意したセカンドプランをスタート。

 投げの形で一瞬固まった私目掛けて落ちてくる打ち下ろしの左を掻い潜って、やっと来ました私の世界。

 

「またソレか」

「まあ、そう言わず試して下さいな」

 

 初志貫徹、初撃と寸分違わぬ位置へ左手で掌を打ち込む。

 今回もやはり微妙な感じですが、ここからが少し違います。

 左に遅れること一秒以下、ほぼ同時に放った右で左の掌の上から重ね打ち。

 これぞフル装備の武者を想定して開発された浸透掌のバージョンの一つ”鎧抜”。

 二つの波をぶつけ合う事で威力を乗算、如何なる外皮も無視して内部に破壊力を伝える切り札の一枚が返す手応えに満足しつつ、これで終わる相手ならどれだけ楽かと頭を一つ。

 普通は悶絶するダメージを負いながら、平然とお腹目掛けて突き上げられた膝に手を突いて跳躍。反転に上昇速度を乗せての踵を首へと叩き込む。

 本来なら雷神落しに繋げたかったけど、成功確立はゼロ。運動エネルギーをも加えた一本背負いが不発になった時点で、あらゆる投げ技が通じない事は確定事項です。

 立ち技を修める過程で得たっぽい何が何でも崩れないバランス感覚と純粋な筋力を前に、私の得意分野は意味をなさないのが本当に痛い。

 

「面白い、人はこうも動けけるのか!」

「まだまだ入門編、驚くには早いですよ?」

 

 今が好機、そう判断した私は着地と同時に自分の距離を維持しながら精密作業を淡々と続行する。

 溜めを要する奥義級ならともかく、通常の打撃では歯が立たない。

 鎧抜も多量の神気を消耗するため多用出来ない以上、残された手段はたった一つだけ。

 それは徹底的に神気を集約した単発の浸透掌の連射です。

 回避に優先してリソースを割いている現状、通常打撃の感覚で放てるコレしか手は無い。

 集中に集中を重ねて各種臓器、顎先、考えうる限りの急所をピンポイントで狙い、効率よく人体を破壊するルーチンワーク。

 でも、死に物狂いで得た私のターンは王者の介入の前にあっさりと終了してしまう。

 無意識に最適化した故の悪手。リズムから次の手を読んだサイラオーグさんの肘が捉えたのは私の頭だった。

 何もしなければ致命傷。脳裏を過ぎる最悪の事態を回避するべく、考えるより先に体が動く。

 どうにか腕を挟み入れてもまだ不十分。さらなるリスクの軽減として破壊力を少しでも逃がそうと逆方向に飛んだ結果、左腕がへし折れただけで済んでセーフ!

 

「もしもお前が悪魔であったなら」

 

 無様に地面を転がった私を見下ろす彼の目に宿るのは畏敬の色。

 決して上位者が、下位の者に向ける嘲りではない。

 

「もしくは神気とやらを相殺できる能力を俺が持ち合わせて居なければ、万に一つ程度の勝機はあったのだと思う」

「まだまだ序盤戦じゃないですか。勝利宣言には少々早いですよ?」

「悪いが、今の捨て身ですら蓄積したダメージは微々たるもの。人の枠に留まる力で幾ら攻撃を続けても、致命傷にはなり得ない事が証明されてしまった訳だ」

「塵も積もれば山となる。この格言を実践するまで」

「ならば折れぬ心に敬意を表し、我が最強の拳で決着を付けよう」

「わくわくします!」

 

 察するに、掛け値なしに全身全霊を込められた最速の直球が来る。

 まぁ、何が来ようと私に出来るのは回避だけですけどね。

 せめて大技の隙を突いて、こちらも奥義でカウンターを狙いますか。

 

「さらば誇り高き少女、魔王様より名を賜った秘拳で冥府の底へ旅立て」

「既に冥界を訪れている私にそれを言いますか……」

「細かい事は気にするな! これぞ弟より家督を簒奪した秘拳”獅子の爪牙”よ!」

 

 右腕に莫大な力が宿った、そう感じた次の瞬間には私の意識は刈り取られた。

 悔しい事に何が起きたのか知覚出来なかったけど、物理的な衝撃を受けた事だけは確か。

 感覚的には咄嗟の判断で半歩だけ動けた筈。なのに致命傷を負ったのだと思う。

 最後に残る断片的な記憶は真っ青になったレイヴェルを押えつける先生の姿と、砕け散るレーティングゲームフィールドの天井から舞い降りる白いかけらたち。

 後は……何処か遠くで動物の鳴き声が聞えたかもしれない。


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