稲葉山城城内では大きな混乱が起こっていた。
先刻長門家が長津に撤退したと報告が入ってきたためだ、それに加え墨俣の地には拠点が築かれ城の陥落も時間の問題であった。
斎藤家の当主である斎藤義龍もまた例外ではなかった。
義龍は最初こそ焦っていたが、やがて焦りは怒りに変わった。
「おのれっ! 長門昌秀めっ! たばかりおったな!」
怒りのあまり手にしていた刀を抜き放つと、自分が座っていた床机を叩ききる始末である。
それを美濃三人衆もとい、現在は二人衆であるが・・・その美濃三人衆である稲葉良通と氏家直元は自分の君主を諌めた。
「義龍様っ! 落ち着きくだされ! きっとこれは昌秀の策に決まっております!」
「策じゃと・・・?」
「そうです! 長門昌秀は浅井の軍勢をその智謀で撃退した鬼謀の士・・・奴が策を練っておらぬわけがありませんっ!」
「ならばなぜ兵を長津に返したっ!?」
「「そ、それは・・・」」
義龍の言葉に二人は黙ってしまう。
義龍は昌秀に復讐の念を抱きながら、墨俣に出来た砦を見る。
「最早長門には期待すまい。今に見ておれ・・・昌秀め。まずは織田から叩き潰してくれるわっ!」
義龍は墨俣の砦を見ながらそう固く決意するのであった。
義龍の恨みを知らずに昌秀はと言うと、長秀と何処から持ってきたのか碁を打っていた。
碁は少し噛んでいるだけであったが、長秀が懇切丁寧に教えてくれたので現在やっといい勝負が出来てきた頃だ。
「だぁ~! また負けたっ!?」
「ふふふ、残念でしたね。今の勝負は二十一点です」
「・・・厳しい人だな」
高虎が少しひきながら呟く。
俺は碁石を集めながら墨俣の地を見る。
「どうやら上手くやったようだな」
「えぇ、そのようですね九十三点」
長秀も碁石をかき集めながら言う。
高虎はその様子を怪訝な顔をして様子を見ていた。
(この人達は何故このように普通に会話が出来るのだろうか? 先程まであんなに真剣に約定について話していたのに・・・これが器と言うものなのだろうか)
高虎は楽しそうに話している二人を眺めながら思った。
和議を結んだとはいえ、それは表面上でのことだ。裏では完全にお互いの事を敵視している。
・・・少なくとも殿はだが。
「・・・もう王手だな。墨俣に砦を築かれた以上、もう奴らにどうしようもない」
「しかし砦を守る兵力は小勢です。今叩けば何とかなるのでは?」
「阿呆、織田も恐らくもうすぐそこまで来てる筈だ。織田の姫様もそこまで馬鹿じゃないだろう」
「その通りです。姫様はすでにこちらに向かっている手筈になっています」
話している内容とは裏腹に長秀の顔が曇る。
俺がどうした?と声を掛けると、長秀は『おかしいです・・・』と墨俣の地を見ながら言った。
「何がおかしいのですか?」
「本来ならもう着いてもいい頃なのに、まだ来ていないなんて・・・もしや何かあったのでは?」
「考えすぎだ・・・まさか義龍が一計を案じて織田を撃退したとでも?」
俺が碁盤を片付けて笑いながら話しかけると長秀は急に黙り込んでしまった。
「・・・本気か?」
「分かりません。でも嫌な予感がするのです・・・」
しんと静まり返った空気に斎藤家の旗を持った足軽が顔を出した。
「昌秀様・・・」
「・・・どうした?」
「昌秀、この方は・・・?」
「この者は昌秀様が美濃に送った間者でございます」
長秀は間者と聞くと表情が一変する。
やはり昌秀は侮ってはいけないという事を再び決意した。
反面、長秀は昌秀のような軍師が欲しいと思っていた。
最近、織田には新しい者も増えてきて手数が足りないと思っていたのだ。その織田を自分だけで諌めるのは骨が折れる。せめてもう一人いれば・・・と長秀は最近になって考えていた。
そう考えている時に出てきたのが長門昌秀であった。
「何用だ・・・?」
俺は鋭い視線で間者を見る。
間者は片膝をつくと、長秀をチラチラと見た。
「構わん申せ」
「それでは・・・義龍が一計を案じて織田勢を鉱山におびき寄せ、味方ごと火計を実行したようでございます」
「何だと・・・?」
まさか義龍が・・・と俺は顎に手をかけた。
長秀は『そんな馬鹿なっ!?』と信じていないフリをしていたが、顔は正直に驚きが隠せない様子だった。
俺はこのままでは・・・と考えると高虎に目を合わせる
「殿、何か・・・?」
「高虎、お前斎藤家の具足と旗用意してくれ。織田を助けに行こう。墨俣も攻撃を受けてるみたいだしな」
長秀は『えっ・・・?』と墨俣を見る。
見れば墨俣の砦が斎藤家に攻められて今にも陥落しそうな勢いであった。
それと同時に間者が二人分の具足と旗を用意する。
「高虎、早く着ろ。戦に遅れちまうぞ?」
「は、はい!」
「昌秀、私も行きます」
「本気か・・・? あんたそんなに強そうに見えないんだけどな」
「試してみますか?」
長秀がにっこりと長刀を構える。
俺は顔を青ざめさせながら三歩程ひいた。
「遠慮しときます・・・」
「そうですか? 私は一向に構いませんよ?」
「いや、本当に勘弁してください」
「昌秀様、馬の用意が出来ました」
高虎が馬を用意したのを確認すると俺はコホンと咳をして気を取り直した。
「・・・よし。それじゃ行くかぁ」
「えぇ、早く行きましょう!」
「姫様・・・どうかご無事で」
三人はハッ!と馬を蹴って墨俣の砦へと向かった。
砦は火が上がっており急がなければ策が水の泡になる・・・そう思った昌秀は間に合ってくれと祈りながら馬を走らせた。