翌朝、目が覚めて墨俣を見ると立派な砦が出来上がろうとしていた。
すると、朝早く義龍の使者が昌秀の陣を訪れた。
且元が朝食を食べてる最中に耳打ちをする。
「昌秀様、義龍殿の使者が来ておられます」
「そうか・・・」
「体調が悪いので会えないと追い返しますか?」
「いや・・・通せ」
「承知しました」
恐らく撤退の件で文句を言いにきたのだろう。しかし、顔を出さないで仮病を疑われてはマズイので会うとしよう。
使者は血相を変えて陣に入ってくるなり、土下座して俺に頼み込んだ。
「昌秀殿! 体調が悪いのは存じておりますが、どうか墨俣の地に残っていただけないでしょうか!?」
その言葉を聞いて高虎が使者をにらみつけ、刀に手をかけると怒声を浴びせた。
「無礼者! 使者が昌秀様に命令するかっ!?」
「無礼は承知でござる! しかし、今昌秀殿が撤退されれば稲葉山城が落ちてしまいまする。体調が悪いのは存じておりますが、そこをどうか曲げてお願い申し上げまする!」
しかし現在、長門家と織田家は斎藤家には秘密で和議を結んでいる。
今俺がこれを承知して織田に攻撃を仕掛ければ周りの諸大名からの信頼を失うだろう・・・
俺は思案した末、1つの案が浮かんだ。
「いいだろう。しかし条件がある」
「? どのような条件でございますか?」
「美濃の領地の一部を譲れば考えてもいい。もちろん、義龍殿の署名つきでな」
「!? そ、それは流石に・・・」
「承知できないか?」
「い、いえ・・・その――――――――」
使者は目が泳いで完全に動揺していた。
あと一歩だ・・・そう確信した俺は最後にボソッと呟いた。
「承知しないのならばそれもいい。俺らは長津へ帰るだけだからな・・・」
「くっ・・・」
使者は唇を噛み血を流した、相当悔しいのだろう。
使者はそれを渋々承知し、早速稲葉山城へと戻った。
二時間ほど経つと、再び使者が長門家に美濃の一部の領地を割譲すると言う義龍の花押付きの署名を持ってきた。
それを手にとり使者を帰した後、俺は陣で笑ってしまった。
昌秀につられて且元と高虎も後ろで思わず微笑んだ。
「これで長門家は斎藤家にもひけを取らぬ大名家になった。浅井も簡単には攻めてはこれまい」
「見事な外交術でしたね、殿」
「これは義重のお陰さ。外交する時は相手の真意を見極める事ってな」
「成る程、私も胸に刻んでおきます」
「それはそうと且元。お前は千五百の兵を連れて、先に戻って美濃の一部をこれを見せて切り取って来い」
「は、はい。しかし・・・私でよろしいのですか?」
「? どういう意味だ?」
「私は高虎のように器用に物事を上手く運べませんし、戦もあまり上手では・・・」
且元がしゅんとしながら言うと、俺と高虎は互いに目を合わせた後、ぷっと吹いた。
且元が顔を赤らめながら『何で笑うのですかっ!?』と質問する。
「いやぁ悪い悪い。確かにお前は戦は上手っては言えないなぁ」
「うっ・・・」
「でもな且元? お前には俺や高虎が無い物を持ってる・・・だからこそお前に任せるんだぞ?」
「私にあって昌秀様や高虎に無い物ですか・・・?」
「そうですよ且元。才がどうだのと言うより、まずは自分を信じる事が大切ですよ?」
「自分を信じる・・・か」
且元はそう言うとグッと拳を握り締めると、漆で塗られたような目をさらに輝かせて俺らを見た。
どうやら決意は固まったらしい。
「私やります・・・いえ、やって見せます!」
「その意気だ。いややっぱり且元はしゅんとしてるより、暴れている方がいい」
「・・・それはどういう意味でしょうか?」
且元の輝いていた目は一気に黒く染まり、俺に向けられた。
ヤバイ・・・調子に乗りすぎたと俺は全力でその場を後にしようと走る準備をするが、且元のアイアンクローに頭を掴まれる。
「いだだだだだっ!?」
「あなたと言うお人は・・・何故、後で余計な事を言うのですか!?」
「殿・・・こればかりは弁護出来ません」
「何でだよ! そこは弁護してくれって痛だだだだだ!」
俺が苦しんでいるとやっと起きたのか、長秀が顔を出した。
「朝から何を騒いでいるのですか。十三点・・・」
長秀の姿を確認すると且元は手を離し『それでは言って参ります』と足早にその場を後にした。
俺は痛む頭を抑えながら長秀にオハヨウ長秀と挨拶を交わす。
長秀は呆れ顔で『朝から賑やかなのですね。この陣は』と言うと、眩しいくらいの笑顔で床机に腰をかけた。
俺は高虎に耳打ちをする。
「高虎、お前は残りの兵の撤退の準備を急げ」
「しかし斎藤家との約束は・・・」
「斎藤家との約束は俺がここにいる事だ、兵達まで巻き込む必要は無い。俺はここに長秀と残る。兵達は全員霧生城へ戻してお前は重秀殿に報告をしてくれ」
詭弁だと奴らは言うかもしれないが、どうせ滅びる運命にある者を助ける義理もないし利益も無いしな。
「承知しました。しかし、私もここに残ります。私が選んだ者に撤退と重秀殿への報告を任せましょう」
「何故だ?」
「護衛が必要でしょう?」
「まあ、無いに越した事はないが・・・」
高虎は『それでは護衛いたします』と言うと俺の後ろぴったりにくっついて来た。
こいつは何を考えているんだと・・・俺は心配しながらも長秀のもとへと向かった。
俺が床机に座り高虎が後ろで待機すると、長秀が神妙な顔つきで尋ねてきた。
「昌秀、且元殿は何処へ?」
「あぁ、先に霧生城へ帰した。和議の件を重秀殿に報告する為にな」
長秀はそれを聞くと『そうですか』と扇子で口を隠した。
どうやら考え事をしているらしい。まぁ、俺の真意を見抜こうとしてるんだろうが。
長秀はしばらく考えると、予想外の事を口にした。
「昌秀、和議の件なのですが・・・」
「何だ、今さら取り下げますってのはなしだぞ」
「ご安心をそれはありません。私なりに考えたのですが、やはりこの和議は長門家に有益な条件がなさ過ぎると思うのです。そこで1つ提案があるのですが・・・」
「・・・言ってみろ」
「美濃の一部を長門家に渡すと言うのはどうでしょうか? 良い提案だと思うのですが・・・」
「なっ・・・」
何を考えているんだこの女は・・・と高虎は少したじろぎながら長秀を見る。
一方昌秀は腕を組みながら、『何が望みだ?』と答えた。
「望みですか・・・・そうですねぇ。それでは昌秀にまた尾張に来てもらうと言うのはどうですか?」
「何だと・・・?」
もしや尾張に着いたらその場でスパンとか言わないよな・・・俺は考える事のできる最悪な出来事を想像する。いや、流石に長秀もそんな真似はしないだろう。勝家辺りならやりそうだが・・・
俺は少し悩んで長秀の案をあえて受ける事にした。
「よしその話乗った」
「殿っ!?」
「ふふふ、良い返事です。九十点」
こうして俺と長秀の密約が締結した。
しかし俺は予想だにしなかっただろう、この選択がとんでもない事態を引き起こす事になるとは・・・・