おたくなはやてちゃん   作:凍結する人

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東京行脚八人旅、第一日目


そのはち

 ガタンゴトンと、電車が揺れる。だだっ広い平面のスペースに括りつけられた車椅子も揺れる。

 周囲の座席からは孤立した場所だが、はやてはちっとも寂しく思わなかった。

 なにせ、はやての一生で、初めて海鳴市から外へと出るのだ。父母の遺したアルバム等を見ても、旅行の写真は無かったし、幼い頃の微かな思い出にも、そういう場面は写っていない。

 かすかな寂しさなど、感じる暇もなかった。胸の中には、ドキドキと緊張が張り詰めているのだから。

 

 それに、直ぐ側には大切な家族と、信頼出来る人がいた。

 ヴォルケンリッターの四人も、今はそれぞれに、100km以上で動くこの鉄の車両を楽しんでいた。

 

「すっげー……あ、アレ見えた!? ほら、いつも行ってる店!」

「もぅ、とっくに海鳴から離れてるんだから、多分別の所の支店でしょ?」

「ちげーよ、絶対あの店だったって!」

「はいはい、そろそろお行儀よくしましょうね」

 

 窓際に顔を貼り付けながら、流れ行く風景を必死に見ているヴィータを、シャマルが窘めている。

 そんな彼女は、後ろの席の網棚にあった、観光雑誌に夢中だった。

 

「最高速度は時速160km、か。追いつけるか?」

「獣のお前とヴィータが最大戦速で往けば、あるいは……しかし、私とシャマルは無理だろうな」

「うむ……魔導も使わず、これ程の技術を作り出すとは。奇妙な世界だ」

「ベルカでは先ず、魔導有りきの文化と技術だったからな。しかし、詳しいなザフィーラ」

「なに、少なくない時間、主と我らの身体を預けるのだ。下調べは怠らん」

 

 何処で買ったのか、鉄道雑誌を取り出し、誇らしげに語るザフィーラ。シグナムも大真面目に感心し、深く頷く。

 どうしようもなくブレた方向に、ひたすらストイックな二人だった。

 

 このように、各々の視点でこの列車を満喫している四人を見て、はやては改めて、外に出れてよかった、と感じていた。

 今は只の人間として生活し、自由に喜怒哀楽を表している四人は、かつて、何百年とも知れぬ戦いの日々の中にあったのだ。

 それがどれだけ辛く、厳しいものだったかは、はやてのちっぽけな想像なんて、遥かに超えているのかもしれない。

 だがしかし、召喚された直後のヴィータの激情を体験した身ならば、少しぐらいはその寂しさを、理解できていると自負していた。

 

(ヴォルケンリッターの皆は、多分、たくさん悲しいものを見て、悲しいことを経験してる。私なんかより、ずっとずっと)

 

 だから、そんな騎士たちを、少しでも幸せにしてあげたい。この世界の楽しみと呼べるものを、できるだけ味わってもらいたいし、自分の都合で海鳴市に閉じ込めるよりも、色々な場所に連れて行ってあげたい。

 それは、はやてが病んだ自分の身体で出来ると考えた、数少ないことの一つだった。そして、今年こそコミケに行こうと決意した理由の中で、最も重要な要素だった。

 

「はやてちゃん? 後一時間かかるけど……平気?」

 

 腕時計を覗きこんで時間を確認しながら、優しく問いかけるのは石田幸恵、はやての主治医だ。

 引率役として、また、コミケの偉大なる先達としてはやてたちに同行している。

 

「あぁ、どうってことありませんよ? 先生こそ、これから色々と宜しゅう頼みます」

「ええ、任せといて。アキバもブクロも、きちんと案内してあげるから」

 

 そう言い切った彼女だが、実際、東京に行くのは久しぶりだった。

 海鳴というのは、慣れれば中々に住みよい町であるし、そこまで欲を張らなければ、『趣味的な』品物も大体揃うので、赴く理由がなかったのだ。

 そんな彼女の心中では、久しぶりに東京、秋葉原へ行けることにウキウキしている気持ちと、はやてら五人をきちんと引率できるか、という不安な気持ちが八対ニ程度でないまぜになっていた。

 

「楽しみです、秋葉原。珍しいものが、いーっぱいあるんやろなぁ」

「まぁ、そんなでもないけどね。品物自体は、ありふれてる物だって結構あるのよ」

 

 そう、秋葉原と言っても、棚に並んでいる品物に、特に違いがあるわけではないのだ。価格の違いこそあるが、おおっぴらに売りだされている製品は、大概他の場所でも手に入りそうな物が多い。

 但し、その数が極めて多く、そしてその多数の中に、珍しい品物が混じっているのだから、やはりそこは、サブカルの都と言うべきなのだろう。

 

「でも、まさかコミケだけでなく、アキバとかにも行くことになるとは思わへんでした」

「一応、日程にはかなり余裕も有るし……グレアムさんのとこには、東京旅行って言ったのよね?」

「あ、はい……」

「だったら、言ったとおりに、東京を見物しないといけないと思うわ。ホテルの予約までしてもらったんだもの……」

 

 はやての親権を持つ、法的な保護者であるギル・グレアムは、今回のコミケ旅行に全力で協力していた。

 最初は、仕送りのお金を大幅増額。そのお陰で、はやてはこつこつ貯めた貯金以上の金額を、軍資金として持ち出せたのだ。

 続いて、ホテル等の予約。英国紳士の彼は、どうしてか分からないが、東京のとあるホテルと縁があるらしかった。そこで、そのホテルの部屋を予約してくれたのだ。既に予約でいっぱいのホテル群を前に、途方に暮れていたはやてたちにとっては、なんとも有難いことだった。

 これらの厚遇、気遣いの裏に、何が隠れているのか。

 知る由もない二人であったが、今はとにかく感謝あるのみであった。

 

「兎も角、これからコミケを含めて一週間。みんなで目一杯、楽しもうね?」

「はい! 先生も一緒に、楽しく旅行しましょう!」

 

 明るく微笑むはやて。幸恵も釣られて笑顔になった。

 その笑いには、この様子だと、病状もかなり安定しているようだ、という、安堵の笑みも含まれていた。

 

 6月に入り、あの無統一な四人の外人と知り合ってからというもの、はやての病状は嘘のように安定しつつ、新たな症状や麻痺が起こることもなかった。

 快方に向かうことはなかったが、彼女の気持ちは確実に、病みの暗さから脱却し始めている。病は気からとはよく言うもので、気持ちさえ明るければ、治し様のない難病でも、以外な切り口が見えてくるものだ。

 

(はやてちゃん。出来る事なら、このまま笑顔でいてくれて欲しいのだけど。何が悪く働くか……)

 

 はやての爛漫な笑顔を見るにつれて、何故だか分からないが、それが陰る時に悪い事が起こるのではないかという疑念が、幸恵の頭に浮かんできていた。

 それは、単なる病状の悪化だけではなく、はやて、ひいてはその友人たちに大きな影を落とす様な、不吉な出来事なのかもしれない。

 今まで寂しさのみを表していたはやて。それが最近、とにかくよく笑うようになったことの反動による、ほんの少しだけ浮ついたような見え方が、幸恵にそんな感傷を抱かせたのだろうか。

 

「はやてちゃん……うん、そうね、今は目一杯、楽しみましょう」

 

 しかし、今この時から一週間は、そんな悩みとも無縁である。はやてにとって初めての東京、一千万都市の風景は、きっと彼女を楽しませて止まないだろうから。

 微かな不安も悩みも、今は海鳴の病院に置いていって。医師としてではなく、はやての保護者、そして石田幸恵という一人の人間として、東京を楽しもうではないか。

 そして。

 

(池袋に行くのも、久しぶりだし。メイトがリニューアルして、乙女ロードとかなんとか、盛り上がってるっていうから、期待できそうかも!)

 

 海鳴の病院に来てから、くすぶり続けていた腐女子としての情熱も、東京という土地、池袋という聖地で、再び燃え上がろうとしていた。

 

 

 

 

 

 

 そして、一時間と少し後。

 真昼の東京は上野駅へと、無事に辿り着いた六人は、まず昼食を取ることにした。上野ともなると、駅から少し出れば数多くの飲食店が軒を連ねているのだが、はやてはあえて、ホームの中にあった立ち食いそばの店で済ませることにした。

 東京の飯屋など右も左も分からぬ騎士たちはともかく、これには幸恵が相当に難色を示したが、『一つやりたいことがある』という訳で半ば無理矢理店内に入っていった。

 

 五人がそれぞれに、コロッケ、きつね、天ぷら、かき揚げに月見など、様々な種類のそばを注文するのに対し、はやては何故かシンプルな掛け、さらにネギ抜きを注文。

 七味をたっぷり掛け、ひたすらそれをすすった。真夏に熱いかけそばを、小さな口内へ一気に注ぎ込む、まるで冗談のような食べ方だ。しかし、焼け付く喉の熱さに耐え、水の一滴も混ぜ込むこと無く、丼内の汁まで綺麗に平らげ。

 

「ごっそさん……寒い時ぁこれに限るなぁ」

 

 などと、汗だくになりながら、必死にカッコつけて言うものだから。

 唯一そのネタを理解できた幸恵は、頭を抑えながら苦しげにツッコんだ。

 

「はやてちゃん、何も真夏の東京でやらなくてもいいんじゃない……?」

「いやぁ、『生きてりゃもう一回やれるさ』って言えるような身やあらへんですから」

 

 将来、立ち食いのプロにでもなるつもりか。

 というか、車椅子に座りながら食べているのだから、結局のところ厳密な意味では立ち食いにならないのだが。

 呆れながら他の四人を見てみると、シグナムは月見そばを見つめながら

 

「いい景色だ……」

 

 などと呟いているし、シャマルはきつねそばを注文しつつ箸を口に咥えて

 

「コロッケも欲しいな」

 

 などと業々食券を買い足しながらのたまっているのだから、これはもう滑稽というか、暴走しすぎている。

 十中八九が布教したのだろうが、まさかこいつら、本気で立喰師なんかがいるとでも思っているのだろうか。

 皆いい子だから、自分たちでそれをやるとは考えていない、とは思えるのだが。

 こういう物事には、やり過ぎという情況があるのだ。

 

「はやてちゃん……ペットは、飼い主に似るって言うわよ? しっかりリード、締めといたら?」

 

 半分怒ったような口調で、四人をペット呼ばわりするという暴言じみた一言だったが、実際はやてと騎士たちの関係にはそんな側面があるのだ。

 怒るに怒れないし、改めて騎士たちの言動を見返してみると笑うにも笑えない。

 はやて一人がやるなら単なる悪乗りだが、複数人が一斉にやると、それはもはや奇妙どころか不気味にすら思えてくる。

 東京に来て浮き立つはやても、流石に恥じ入る所が多かった。

 

「あ、あはは……自重しまぁす」

 

 はやてはそう言った途端、口の中の熱さに耐えかねて、側に置いた冷水のコップを勢い良く傾けた。

 

 さて、そんな昼食時が終わり、六人は再び電車に乗る。今度は、ロングシートとつり革の目立つ、緑色の通勤列車だ。

 目指すは浜松町駅。そこから東京タワーと芝公園を見物して、ホテルに入るというのが今日の予定だった。

 三年前に投入されてから、今では全ての編成で使用されている幅広な車両に十分近く揺られ、自動改札を通ったその先に。

 背筋をぴんと立て、旅行用のトランクを持った若い女性が、はやてたちを待っていた。

 

「はじめまして、はやてさん。イギリスから来た、アリア・グレアムです。よろしくね」

 

 ギル・グレアムが監視のために寄越した、使い魔のリーゼアリアである。

 今回の旅行に際してグレアムは、騎士たち、もしくは闇の書による不測の事態が起こった場合を鑑みなければならなかった。、東京という大都市で事件が起これば、グレアム個人では到底隠蔽できなくなるし、管理局が介入して来ても、この管理外世界に大きな波紋が走る事態になることは必然だ。

 よって、彼が一番信用している使い魔二匹を派遣せなばならなかった。

 ちなみに、ロッテは観光客の一人に変身魔法で化け、遠方から目を光らせている。

 

「はい、今日から一週間、色々とお世話になります。こちらは、私の主治医さん、石田先生です」

「石田幸恵です。アリアさんでしたか? 短い間ですが、宜しくお願いしますね」

「こちらこそ。はやてちゃんのことをいつも診てくださる方には、色々とお尋ねしたいこともありますから」

 

 はやてと幸恵、そして騎士たちには、『グレアムの姪で、秘書のようなことをやっている人』だと、手紙で説明されていた。

 また、メールのやり取りによって、はやてたちに合流することも前々から決められており、騎士たちも何ら疑いなく、監視役の彼女を受け入れていた。

 

「あなた達が、はやてちゃんの『友達』ね? いつも仲良くしてくれて、ありがとう」

「いえ、われわ……いや、私たちの旅費まで都合してくださるとは。何と言えばいいのか、本当に、感謝の念に堪えません」

「いいのよ。いつもはやてちゃんと仲良くしてくれていることへの、ささやかなお礼だって、おじ様は仰っていらしたわ」

 

 言葉を交わしながら、シグナムとアリアが握手を交わした。

 アリアにとっては、冷や汗物の状況だ。烈火の将、ヴォルケンリッターの中でも随一の実力を持つ彼女に、自分の正体をさらけ出されるかどうか。

 緊張の一瞬が過ぎ、そっと手を離したアリアは、シグナムの顔を見る。その表情にも目の中にも、疑いの感情は見えなかった。

 一先ず安心といったところだろう。心の中でほっ、と息をついた後、今度はシャマル、ザフィーラ、ヴィータとも握手を交わす。

 

「アリアさん、何分日本には不慣れなもので、色々とご迷惑をお掛けすると思うんですけど、宜しくお願いしますね」

「われ……私は男ですから、力仕事などがあれば、引き受けましょう。荷物、持ちましょうか」

「えと、よ、よろしくです。アタシ、ヴィータっていいます」

 

 どうやら、他の二人と一匹にも、表立って不審とは見られていないらしい。

 もしかすると、裏で疑いながらの演技かもしれないが。少なくとも一応の信用は得られたと見ていいだろう。

 

(こっちから何か、仕掛けることはしないけど……もし見破られたら、厄介だものね)

 

 アリアはこういった工作には長けている。身分証明や戸籍の偽造から、魔力探知の対策まで、とれる対策は既にとってある。

 特に彼女が警戒しているのは、狼の守護獣であるザフィーラだった。彼は、今は獣の耳を隠し、人として生活しているが、元々は野生の狼である。獣としての能力の一つに、人間には感じ取れない、微かな匂いをも感じ取る嗅覚があるはずだった。

 そして使い魔には、人間には存在し無い、獣の匂いがある。それを嗅ぎ取られたら、一発で正体露見、袋叩きにあうかもしれない。

 それを防ぐために、リーゼ姉妹は魔力コーティングや特殊な消臭剤を使い、自分の匂いを完璧に消していた。これなら、もし匂いを嗅がれても、正体が暴かれる危険性は極めて少ない。そう、アリアは考えていた。

 

「それじゃ、行きましょうか。このまま話してると日が暮れそうだわ」

「そうですね。はよ、東京タワーを見たいですから」

「333mだろ!? すっげーよなぁ、どんな高さなのかなぁ」

「ヴィータ、正確に言えば、大展望台は125と130、特別展望台でも250だ」

「いちいち訂正しなくてもいいじゃないの。ザフィーラはホントに野暮ねぇ」

 

 談笑しながら、七人の美男美女揃い軍団が、ビル越しに見える赤い巨塔目指して歩きはじめた。

 

 

 

 

 

 

「うわっはぁー、すげぇすげぇ、東京がみぃんな見えるみたい!」

 

 ヴィータは、大展望台の望遠鏡に釘付けになっていた。

 高さ125m。海抜145mの高さ。それは、空戦を経験した魔導騎士ならば、経験していても不思議ではない高さだ。今更感動するような風景でもないように思える。

 しかし、敵に集中力を振り向けながら、四方八方と動き回らねばならない空戦で見る景色と、今、展望台という特殊な空間で、コインを払いながら見るそれとは、その価値に大きな違いが存在するのだ。

 

「ねぇ、私にも見せてよ、見せて!」

「だーめ! もうそろそろ時間来るんだから」

 

 シャマルがぐいぐいと寄ってきて、ヴィータの頭から望遠鏡を押しのけようとする。必死に抵抗するヴィータとじゃれあう其の姿は、髪の色こそ違えど、仲良し姉妹の微笑ましい姿に見えた。

 

 その奥でグッズショップを物色しているのは、幸恵とアリア、そしてはやてだ。

 

「おじ様へのおみやげ、何がいいかしら」

「確か、お年を召されていらっしゃるんでしたっけ。だったらお菓子とかでいいんじゃないですか?」

「以外に、模型とか好きやったりして。ほら、ボトルシップみたいな」

「そういう趣味は無いと思うけど……以外に、そうだったりして」

 

 女三人寄れば姦しいとは言うが、正にその通りだった。幸恵は人形焼を、はやてはタワーの模型を持ちながら、しきりにアリアへと薦めている。

 車いすのはやてを中心に、アリアと幸恵の二人が車いすを押す形だ。

 アリアの実直な性格と、適度なユーモアが、幸恵との距離を縮めていた。お互い、はやての保護者であるという同業意識もあるのだろう。短い時間で、一気に親しげになっていた。

 

(付き合ってて心地いい人ね。流石にイギリスのビジネスウーマンは違うわ)

(親切で熱心なお医者さん……はやてちゃんを担当してもらって、良かったとは、思うけど……)

 

 はやての病状や様子を事あるごとに話す幸恵に対し、アリアは心にきりきりとした痛みを覚えていた。

 足の病は、幸恵が言うような、人間の疾患ではない。ベルカの罪深き魔導書が起こす、呪いなのだ。幸恵がいくら頑張った所で、この世界の医術では治しようもないし、その進行を止める事も出来ない。

 何も知らない医師は、ただ自分の処置の無意味さを悔しみ、どうにもならない無力さに、絶望することになる。

 幸恵のように、優しく義務感の強い良い医者に、そんな思いを味あわせ無ければならない。その非情さに、アリアの感情は僅かながらに揺れていた。

 これまでアリアは、『闇の書』封印に関して、何らの憐憫もためらいも持ち合わせていなかった。自分たちの弟子、クライド・ハラオウンの命を奪った忌まわしき魔導書など、さっさと凍りづけにしてやりたいと、妹と一緒に心から思っていた。

 それで不幸になる人もいる、そんなことくらいは分かっていた。しかし、その当人と直接触れ合わない限り、やはり感情としては小さいものにならざるを得なかった。それが今、こうして会話を繰り返し、心を通わせている。

 

(……止まるわけには、行かないけど、さ)

 

 主、妹と共に交わした、堅い決意と覚悟は揺るがない。し

 しかし、それ以外の一分子が、アリアの心の中で、確かに根付き始めていた。

 

「……凄いものだな、シグナム」

「あぁ、これだけの建築物、それに劣らない高さのビルが立ち並ぶ……これが、東京」

「ベルカの首都、いや、それ以上かもしれん」

 

 壁に寄りかかりながら語り合うのは、シグナムとザフィーラだ。

 展望台のガラスから見える、大東京の光景は、海鳴の市街地を見た時以上の驚きを二人に与えていた。戦争だらけの次元世界の中で。確かに海を超えた外では紛争が繰り返されているが、ここ東京は平和そのものである。だからこそ、ここまで都市を発展させることが出来たのだ、そんな思いも、感慨となって沸き上がっていた。

 

「本来、我々の来るべき場所ではなかったかもしれん。争いに生きる、我々に似合う場所では」

「言うな。主は、我らから剣を奪いはしなかった。しかし、剣を振るい、拳を振りかざす以外の生き方を、教えてくれた」

 

 シグナムの暗い感情を、ザフィーラが抑える。今の自分たちは騎士ではない。この日本に生きる、一般市民である。ヴィータはアイスを食べながら子供向けアニメを見て、シャマルは少女漫画を読み耽る。シグナムとザフィーラも、それぞれに騎士としてではなく、自分らしい生き方を追求することが、今の自分達がやるべきことだった。

 二人だって、それぞれに好きなアニメ、漫画を読み、自分たちなりに、この世界を楽しんでいるはずだったが。それでも、やはり本分は騎士、そして守護獣らしい。

 

「所で……あのアリアとか言う女だが」

「そのことについては、我から話がある、シグナム」

「ああ」

 

と頷けば、

 

(念話だな、承知している)

 

 シグナムは念話で、ザフィーラに話しかけていた。念の為に、レヴァンテインを使った防諜措置も実行している。

 アリア・グレアムという女性は、イギリスから来た、はやての親権者ギル・グレアムの姪だという。

 今の所、その出自にも経歴にも、そして本人自身にも、何ら疑いはないのだが。それでも危険性について話したくなるのが、はやての身辺を守る騎士としての職業病なのかも知れなかった。

 

(シグナム。あの女には、『臭い』がない)

(臭い?)

(そうだ。人間にも獣にも、必ず臭いというのがあるはずだが……)

 

 ザフィーラの嗅覚は、アリアの不自然なまでの『臭い』の無さを、きっちり捕まえていたのだ。

 

(化粧をしているのなら、臭いなど消されるのだと思うのだが)

(いや、それならそれで、化粧の臭いがキツイほど鼻につく。それすら無いのだ、彼女には。まるで、人為的に仕組んだ様な、無臭だ)

 

 口を動かさずに佇む二人の間には、場所柄に似合わない、冷たい空気が通っていた。

 アリアという女性が何者か。明確に分からない現状に、不可思議な臭いの無さだ。一気に緊張状態へ移っても、不思議ではない。

 

(ま、最も俺の鼻の話だからな。確証は無いし、もしかして見当違いということもありえる)

(第一、主はやてを害するならば、我々まで東京に招く意図が分からない)

(もし我らが目的だとしても。もしくは、我らと主、両者が目的だとしても。個別に誘いだして、各個に対処するのが、一番効率的な方法だ)

(それがどうして、このような人口密集地に招いたのか……)

 

 二人はアリアの行動を推測するが、もし邪な目的があるなら、理屈に合わない所が多すぎる。考えれば考えるほど、こんな状況を演出した意図が理解できなかった。

 

(とにかく、警戒が必要という事だな)

(あぁ、だからといって、あの女にそれを感づかれる訳にもいかない)

(下手に睨みを効かせて向こうを刺激すれば、馬脚を表すのに際し、強行的な手段をもってするのかもしれん、ということだな)

(この大都会で、それだけは避けなくてはならない)

(全くだ)

 

 もしかしたら、結界を貼る暇すら無いのかもしれないのだ。そうすれば、どれだけの被害が出るか。更には、二人の主にも、危害が及ぶかもしれない。

 静観と静かな警戒こそが、肝要だという結論をもって、二人の議論は終わった。

 

「さて、そろそろ荷物持ちの時間だぞ、ザフィーラ」

「任せろ。拳を振るうより、よっぽど楽で、しかも有意義な仕事だ」

 

 ニヒルな笑みを浮かべながら、ザフィーラは会計を終えたはやてたちの元へと向かっていった。

――そしてその大きな両手に、「とりあえずひと通り揃えてみる」という目的のもと積み上げられたグッズの山を持たされ、さすがに難儀している所を、シグナムやヴィータに散々笑われた。

 

 

 

 

 

 

 

「…………」

 

 六人が六人、揃って絶句していた。

 はやての要望通り、有明駅近くにホテルを用意してもらったのは良かったのだが。

 案内してもらったのが、いかにも高級という雰囲気たっぷりのホテルだったからだ。

 

「あのー、アリアさん。ホントにここでええんですか?」

「ち、ちょっと高すぎるというか、何というか、今まで経験したことの無い価値というか……」

「え? 地図に間違いはないし、私だってここに荷物を置いてるのよ?」

 

 特別呆気にとられているのは、はやてと幸恵だ。オタクということ以外は滅法家庭的なはやては勿論、幸恵も、医者だからといってそんなに高給取りでもなかったのだ。

 ロビーに通らされると、高級な大理石に囲まれ、高級なランプに照らされ、高級なソファーに座る圧迫感で、二人の頬には冷や汗が現れていた。

 

「……なぁ、先生。グレアムさんて、ホントのあしながおじさんだったんやな」

「そう、みたいね……あははは、三十年以上生きてて、こんな初体験があったなんて……」

 

 カチンコチンに固まっている二人の背後に、迫る人影が一つ。

 抜き足差し足で近づきながら、そおっと、はやての真後ろで両手を広げ。

 

「はやてちゃーん、こんばんは~!」

「ひうっ!」

 

 そのままぎゅうっと抱きかかえた。

 突然の柔らかい圧迫が、はやての声帯を奇妙に震わせ、耳に残る高く短い叫びがあがる。

 驚き振り向いた幸恵の目には、今も受付の手続きをしているはずの、アリアの顔が映った。しかし、抱きついているアリアの顔は、イタズラを喜ぶニヤケ顔に見えた。

 

「あ、あのー……アリア、さん?」

「あぁ、私、アリアじゃないですよ。アリアは姉。で、私は妹のロッテ・グレアムです。よろしくねっ」

 

 使い魔姉妹の片割れ、リーゼロッテは片腕を離し、幸恵の目の前でピースサインを作りながら、そう宣言した。

 姉妹なのに、そして容姿からして、年もそこまで離れていないはずなのに。性格的に、中々大きな溝のありそうな二人だなと、幸恵は苦笑いしながら思った。

 

「そ、それはええですけど。 そろそろ話してくれません?」

「何さ、いいじゃんいいじゃん、この美少女ロッテ様が部屋まで運んであげようかなって」

「いや、そーでなくて、ほら」

 

 抱きかかえられながら、必死に前を指さすはやての指先に釣られて、ロッテが目を向けると。きっつい目線を彼女に向ける、ヴィータとシグナムがいた。

 騎士時代の貫禄を醸し出しながら、ぎろっと睨みつける二人。その厳しさには、イタズラ好きで通っているロッテも、蛇睨みにあったように凍りついていた。ごくりとつばを飲みながら、そろそろとソファーにはやてを下ろす。

 尚も睨みを効かせたまま、ロッテを怯えさせる二人だが、ザフィーラが止めに入った。

 

(シグナム。そこまでにしておけ)

(何故だ! あのような狼藉、許してはおけんだろう!)

(あのロッテという女、姉と同じく『臭い』がしないのだ。忘れたのか?)

(……なるほどな。こちらが激発するよう、向こうからカマをかけてきたのか?)

(あり得るな。こちらから向かってくれば口実は向こうにある。我らを悪役にする為の挑発かもしれん。深入りは避けろ)

(ふん、気に入らんが……ヴィータも抑える、監視は絶やすな)

 

 シグナムがヴィータに念話を向ける。ヴィータも最初は噛み付いたが、結局不承不承でロッテへの警戒を解いた。

 ザフィーラはシャマルと連絡を取り、アリア・ロッテ姉妹の不審さについて話す。

 

(ふぅん……もしかすると、もしかするかしら?)

(かもしれん。だが、まだはっきりしたことは分からん。今は自重と、監視が肝要だろう、シャマル?)

(そね。クラールヴィントにもお願いしとくわ)

 

 

 一方、件のリーゼ姉妹は。

 

(ふぃぃぃ、助かったぁ。やっぱり現役ベルカ騎士の睨みは怖いね、アリア!)

(あんたねぇ……茶目っ気も程々にしときなさいよ。生真面目なベルカ騎士に冗談は通じないんだから)

(そんなもんなの? 教会なんて行ったこと無いから分かんないけど)

(そういうもんなの。いやぁ、トンファー向けられた時は焦ったわ、うん)

 

 騎士たちが疑っているような挑発行為などではなく、ただ単に、スキンシップの一環として行なっていただけだった。

 元々リーゼ姉妹としては、こんな都会のど真ん中で事を起こす事など、騎士たちと同じく望んでいないのだ。

 はやての東京旅行を、ただただ平和に、安全に終わらせたい。そのために、少しでも親交を図っておきたいという目的だった。

 それが裏目に出ただけのことだ。

 

(それにしても……アリアは、あいつら平和暮らしで牙が抜けたって言うけど、そうでもなかったね)

(予想外だったのよ。東京タワーでも大人しかったし)

(こりゃあ少し警戒強度、上げたほうがいいかな? 痴漢だのナンパだの、ひょんなことで暴発されたら迷惑千万だよ)

(そうね。明日からは個別で行動するみたいだけど、一人づつ監視で向かうというの、やっぱり必要みたいね)

(うぇえええ……私たちも自由行動、したかったんだけどなぁ)

(仕方ないわよ。安全第一、こんなスパイ紛いの事やってても、私ら管理局員なんだから)

 

 最も、姉妹も姉妹たちで、穏やかでないことを話し合っていたのだが。

 二組の思惑や推理は、なにやら妙な方向にずれていた。

 

「あははは……みんな、大丈夫、大丈夫やから、な? ロッテさんも、ほら」

「はい、そのようですね」

「う、うん、驚かせちゃってごめんね、はやてちゃん?」

 

 ずれた考えがずれた行動を生み、さらにねじ曲がった微妙な空気を生んだ。

 互いにあはは、と愛想笑いを浮かべ、チェックインの終わったアリアも、

 

「さあさあ、皆さん部屋に入って! ここのディナーは美味しいって評判だから、遅れないようにしなきゃ、ね?」

 

 と、ちょっとだけ無理矢理に場を纏め上げ、八神家の面々を個室へと案内した。

 

 一見円満なように見えて、冷たいような温いような、そんな妙な空気を漂わせ。

 八神家の東京旅行第一日目は終わりを告げた。

 




お疲れ様でした。
ここから暫く八神家with東京です。
更新が遅れて申し訳ありませんでした。書きための一つも用意してこいという所ですが、これっきりで打ち止めです。
ただ、そろそろ時間ができるので、色々書いて行きたいと思います。

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