ピピピピ、とアラームが鳴った。
しかし、外はしぃんと静まって、暗い。何しろ、午前の0時。真夜中だ。
いつもはむくり、とベッドから起きるはずの部屋の主は、すでに、いや、『未だ』起きていた。
自室に備え付けた14型の液晶モニタから目をそらすこと無く、そばに抱えた水分補給用のペットボトルにしがみつきながら。
乾いた目を、感動の涙で潤し。網膜から余ってこぼれ落ちた水分を、ティッシュで吹いて。
「くぅ~、疲れたなぁ、やっっっと終わったんやぁ。24時間耐久、ロボットアニメ連続視聴……!」
前日にたっぷり睡眠をとって、ご飯時とお風呂以外、自室から出ずに24時間。
ベッドの上に積み上げられたレンタルDVDの数、およそ10数枚。
辛くなってきたご飯後を乗り切るためのカフェイン入りドリンク、小瓶3つ。
そして、無尽蔵の熱意に支えられて行われたそれは、まさしく暴挙だった。
学校に行けず、暇を持て余すはやてか、長期休暇中の学生にしか出来ない、贅沢な時間の使い方だった。
「えへへへぇ、流石に疲れたなぁ。頭、くぅらくらや」
少し油断すると、視界がぼやけ、そのまま布団に倒れこみそうになる。
酷使された頭は不平を漏らしており、ズキズキと収縮するような痛みを感じる。
全く動かしていないはずの身体ですら、節々が悲鳴を上げているようだ。
しかし、はやては後悔していなかった。
素晴らしい作品を見ることが出来た、その感動と、自分の中の世界が、また一つ広がったことに対する興奮。
それが、はやての心の中で一杯に広がっていた。
「……ふぁぁ、じゃあ、おやすみなぁ」
はやてはそのまま、くらっと軽く倒れこむ。
積み上げられたDVDのケースが崩れ、少し大きな音を立てた。
モニタは付けられたまま、DVDのメニュー画面をずっとリピートし続けている。
電気もそのまま、散らかった小瓶もそのままに。
空になったペットボトルを抱枕にして、すぅ、すぅ、と微かな寝息を立て、八神はやては眠りについた。
幼い頃に両親を失い、悲しんでいる間に、両足が動かなくなっていた。
病院に通い、痛くて辛い治療を受けても、全然治らない。
お金を出してくれるあしながおじさんはいるけれど、会ったことは無い。その長い影すらも、見せてくれない。
寂しさと苦しさとが、幼い心を暗く蝕む、日常だった。
そんなはやてにとって、唯一の救いと言えたもの。
それはアニメ。それは特撮。それは漫画。
絵の中を、画面の中を縦横無尽に飛び交うキャラクター。
時には自分よりも重く苦しみながら、時には大きな悲しみを背負って戦うヒーロー。
愛、友情、努力、ロマン。
そのどれもが、はやてにとって眩しく、美しい物だった。
ただ、『それだけなら』普通の女の子と同じだったかもしれない。
しかし、はやては違った。『それ以上』を求めようとした。
はやての性格が、それを為したのかもしれない。
自分の手の届く範囲で、より高みを、深みを目指そうとする心が。
はやての状況が、それを為したのかもしれない。
病院に行くこと以外、何者にも縛られない自由時間しか無かった状況が。
ただ一つ確かなのは、はやてが自分からそれを求めたことだ。
今のアニメの監督が、他にどんな作品をやっているのか。
この役者は、声優は。会社は、デザイナーは。
そうやって、ひたすらに自分の世界を広げようとした。
自分の好きな物を広げようとした。
そして、はやては『オタク』になった。何処に出しても恥ずかしくない、熱意と気概に溢れたオタクに。
「にしても、作画は兎も角、良いアニメやったなぁ、今回の作品は」
9時間たっぷり睡眠して、遅めの朝食を準備しながら、そんな独り言が口から出た。
はやてが見ていたアニメは、70年代後半に放映されたロボットアニメだ。
それは、当時のスポンサーが落ち目で、資本の弱さから低予算で作られていた。
特に、ロボットアニメで一番の注目点である作画については、お世辞にも良いとは言えなかった。
それどころか、作品後半でスポンサーが倒産。
斬新なストーリーも伏線もイマイチ生かせぬまま、再編集と総集編でなんとか完結させる有様だった。
しかし。はやては、そういう作品が大好きだった。
例え環境が良くなくても。例え評価されなくとも。一つの作品を作り上げ、世に送り出すことだって出来る。
そう考えると、はやては希望を持てるのだ。
たとえ足が動かなくても。友達がいなくても。自分が生きていく価値は、確かにある。
胸にフツフツと湧いてくる、熱く激しい潮のような感情。
それがあるから、はやては落ち込まず、悲しまず、只ひたむきに生きていけるのだ。
「ダダンダン、ダダダダ♪ ……っと、確認確認」
朝食を片付けて、食器洗いもそこそこに、はやてはPCの電源をつけた。
ハイエンドモデルと言って良いそれは、グレアムおじさんからもらった多めの生活費を、尚も切り詰めて注文したものだ。
スペックは高ければ高いほどいい。動画を作ることも、文章を書くことも、最新のゲームだって出来る。
しかし今したいことは、先ず何よりも掲示板の確認だった。
「おー、賑わってる。もう学校始まっとるのに、よくもまぁこんなに人がいるもんやな」
はやてがいつも見るスレッドは、二次元に分類されるもの、つまりアニメや漫画についての掲示板だ。
今日も多くのスレッドが建てられ、不特定多数の人間が、PCを通して語り合う。
この掲示板を見ながら、時には画像を張り、時には長文を書き、時にはスレを建てる。
それがはやての日常だった。
「あはは、何言ってんやろこの人。酷い事言うなぁ」
いい加減であやふやな言葉が飛び交い、嘘も虚言も混じっている場所だ。
幼いはやては、時には煽りに乗ることも有るし、場を荒らす言葉に怒ってしまうことも有る。
それに気づいた時など、PCの前で赤面することもある。
だがそれは、はやてがただ一つ、外の世界に触れられる場所だった。
普通の女の子が、学校で多くの友達や大人たちと触れ合って育てる何かを、はやてはこの場所で育てているのだ。
余り褒められた環境ではないが、それでもねじ曲がること無く、優しい心が育っているのは、はやての生まれ持つ性質故か。
幾つものスレッドを行きかい、同時にゲームをして、撮り溜めしたアニメを見て。時折、休みがてらに家事をする。
そうしていくと、あっという間に時間が過ぎて、気がついたら夕食時になっていた。
茶碗を左手に持ちつつ、はやては今日のやり取りを思い出す。
「あかんなぁ、やっぱりついてけへん会話がある」
ネットで他人と語る時、はやての弱点はその知識の薄さにあった。
その身の上から、他人よりも自由な時間が多いとはいえ、はやては未だ8歳。
インターネットを繋ぐ人間の中では、最も若い年齢層だと言える。
昨日だけでなく、月に一度ほど行われる「徹夜見」は、その知識の不足を補うためでもあった。
「まだまだ知らへん事は多いしなぁ。エロゲーは流石に不味いとして、よし、今度は全年齢の同人誌に目を通してみよか」
同人誌。その単語にも興味は膨らむ。
自分は将来、そういう活動に見を投じていくのも、悪くないかもしれないと、空想できる。
「物書いたり、絵を描いたりすることは、足が動かんでも出来るからなぁ」
自分はまだまだ小学生。人様に見せる作品など出来るはずがない。
それでも、今から少しずつ、そういうことをやっていけば。
将来、本当にそういう活動をする時、他の人に対して少しは上に行けるかな、などと夢想するはやてだった。
そうして、はやては一日を終える。何一つ代わり映えのない、しかし、楽しさに満ちた毎日を。
明日はどんな話ができるのか。
明後日はどんな作品を見れるのか。
明々後日は、さらにその先は。
今のはやてにとって、未来は鬱々として暗く、終わりの近い小道ではない。
希望と輝かしい未来に満ち溢れて、大きく、そして終わりの見えない光だった。
そんなはやては、未来に目が向きすぎていて、今日が誕生日だということすら忘れてしまっていた。
そして、寝室で一人熟睡中の主に対し、召喚された騎士四人が困り果てたということは、また別の話。
私的なオタクの理想像をはやてちゃんに託してみました。