進撃の芋女【完結】   作:秋月月日

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第十三話 トロスト区奪還作戦⑦

 エレン=イェーガーが巨人の中から現れた。

 そんなあまりにも非現実的な光景を目の当たりにしたばかりのリィンたち七人に下されたのは、エレンについての情報を隠匿せよという命令だった。

 現在、リィン達はトロスト区の内壁を越え、巨人が徘徊していない安全区域に待機している。そこには彼ら以外の訓練兵や上官と思われる兵士たちが多数いるのだが、全員が全員、かなり暗い表情とオーラを辺りに振りまいていた。

 そんな中。

 

「巨人に……巨人に屈してしまいました……私は兵士なのに、巨人なんかに……ッ!」

 

「サシャ……」

 

 階段の上に座り込んだ状態で頭を抱えながら震えているサシャに、リィンは小さく名前を呼ぶしかなくなっていた。

 先ほど行われた本部奪還作戦でのサシャの失敗。巨人の項を削ぎ落とすことができず、無様に地べたを這いずりまわることしかできなかった。ミカサという援護が無ければ確実に死んでいただろう。

 自分はいつも誰かに護られてばかりだ。本部に巨人が突進してきた時、巨人という恐怖に屈してしまった時。心が折れてしまいそうになった時も他人に助けてもらっていた。私は本当、弱い人間です……ッ!

 故郷の村にいたときから父に言われていたが、サシャ=ブラウスという少女はあまりにも弱い。心が弱く、意志が弱く、覚悟も弱い。他人との接触にすら怖れを抱き、自分が慣れきった環境を手放すことが怖かった。

 だが、今の自分はどうだ。他人を怖れるばかりか、他人に助けられてばかりではないか。自分の殻に篭るのは勝手だが、それなら他人に助けを求めるな。父にそう言われてきたにもかかわらず、今の自分は他人に助けを求めてばかりではないか。なんて都合のいい女なのだろう。――最低だ。

 くしゃ、と前髪を掴み、顔を俯かせる。両目から頬を伝って大量の涙が石畳へと降り注ぎ、黒い染みを作っていく。弱くて泣き虫な私には、他の同士の命を踏みにじって生きる資格なんて無いんだ――。

 すると、そんなサシャの頭に何か暖かいものが載せられた。とても暖かく、少しだけごつごつとした何かが。

 それは、人間の手だった。

 そして、サシャが世界で一番愛している人の右手だった。

 

「……リィ、ン?」

 

「お前が何について落ち込んでんのかは大体予想できっけど、そんな悲しい表情で泣くのだけはやめてくれ。涙ってのは、嬉しいときだけに流すもんだ。マイナスの感情によって生成された涙なんて、ただ単純に自分の心を傷つけちまうだけだろ?」

 

 両目を真っ赤に腫らして鼻水さえ垂らしているくしゃくしゃなサシャの顔に両手を添え、リィンはサシャの額に軽くキスをする。

 

「お前の涙は俺が止めてやる。巨人の恐怖に屈しちまったってんなら、俺がその恐怖を愛情で抑えこんでやる。怖けりゃ俺の手を握れ、それでも駄目ならキスだってなんだってしてやるよ。――だから、もう泣くんじゃねー」

 

「ッ……ぐすっ……――はいッ!」

 

 歯を見せて子供のように笑うリィンに向かって、サシャはくしゃくしゃながらに満面の笑みを向ける。

 ああ、やっぱり、私はこの人が好きなんだ。最初に私の巻き添えで一緒に罰走した時から、私はリィン=マクガーデンという少年が好きなんだ。蚕糸のように透き通った白髪も、見る者全てを吸い込むようなライトブラウンの瞳も、全てのことにやる気が無いようなダウナーな目つきも、私よりも少しだけ低い身長も――全部含めて、私は彼のことが好きなんだ。

 この人なら、私の支えになってくれる。身勝手な願いかもしれないけれど、それでも、私はこの人に支えられながら成長していきたい。成長して成長して成長して成長しきった姿を、お父さんに見てもらいたい。

 そして胸を張って紹介するんだ。成長した自分の姿を見せつけた後に、リィンのことをお父さんに紹介するんだ。

 この人はリィン=マクガーデン。世界で一番格好よくて、私が世界で一番愛している人です――って。

 自分のリィンへの想いを再確認し、サシャは頬を朱く染める。そんなサシャの心境など知る由もないリィンは不思議そうに首を傾げるが、サシャは「なんでもないです」と恥ずかしそうにそっぽを向いた。

 だが、そんな平凡なひと時は終わりを告げる。

 平和なんていう甘えた時間など許さないとでも言いたげに、世界は再び動き出す。

 ドゴォンッ! という轟音が街中に響き渡る。

 

「固定砲の発射音!? なんで、一発だけなんだ……ッ!?」

 

 奇しくもそれは、絶望の始まりを知らせる――警鐘のようなものだった。

 

 

 

 

 

  ☆☆☆

 

 

 

 

 

 トロスト区奪還作戦。

 トロスト区への連絡扉付近に集められた兵士たちに告げられたのは、あまりにも非現実的な作戦だった。

 上官は何を考えているんだ。トロスト区を奪還するなんて不可能だ。あの大穴をどうやって塞ぐ気なんだ。そんなに手柄が欲しいのか。突然言い渡された実現不可能な作戦に、兵士たちの疑心は急速に膨れ上がっていく。『虚偽』の『繁栄』を促すように、兵士たちの心は恐怖と疑念で埋め尽くされていく。

 そんな兵士たちの中で、まず最初に行動を起こした者がいた。

 ダズ、と呼ばれるリィン達104期訓練兵の一人だった。

 

「か、帰らせてくれ! またあんな地獄に突っ込むなんて馬鹿げてる! こんな無謀な作戦に、意味なんてない!」

 

「ッ!? おい、そこの貴様、聞こえたぞ! 人類を裏切る気か!? 今の私には処刑の許可が出ている! 今この場でその首を刎ねてやってもいいんだぞ!?」

 

「ええいいでしょう! こんな無謀な作戦で無駄死にするぐらいなら、人類を裏切って今この場で処刑された方が百倍もマシだ!」

 

 その一言はあまりにも人間らしく、そして、あまりにも兵士らしからぬ一言だった。

 人類の為に心臓を捧げているというのに、死にに行くのは絶対に嫌だ。巨人に食われて死ぬぐらいなら、今この場で処刑された方がマシだ。それはある意味では兵士全員の願望と呼べるのだろうが、兵士である以上絶対に口にしてはならない一言だ。

 死ぬ覚悟のない兵士に、価値などない。

 そう言うことができればどれほど楽だろうか。だが、今の状況で戦力をこれ以上失うのは得策ではない。一人でも多くの兵士を死地に向かわせ、巨人から勝利をもぎ取らなければならないのだ。

 ダズと上官のやり取りに、集まった兵士たちの心が揺らぐ。巨人に奪われたトロスト区を取り返すなんて不可能だと思っている兵士たちの心が、楽な方へと逃げていく。これ以上この場を恐怖に支配させてしまったら、誰も統制できなくなるのは火を見るよりも明らかだ。

 そろそろこの場をどうにかしたほうが良い。予め覚悟を決めていた上官たちがダズを始めとした逃げ腰の兵士たちを黙らせようと超硬質スチールを抜き放――

 

「ちゅぅうううもぉおおおおおおおおおおおくっ!」

 

 ――とうとした瞬間、内壁の上からそんな叫び声が響き渡って来た。

 その叫びの原因は、彼ら兵士がよく知る者だった。

 ドット=ピクシス。

 南側領土の最高責任者で、兵団一の変人だと言われている、初老の兵士だった。

 最高責任者の突然の登場に場が騒然とする中、ピクシスは腹の底からはち切れんばかりの声を張り上げる。

 

「今から、トロスト区奪還作戦についての説明を始める!」

 

 

 

 

 

  ☆☆☆

 

 

 

 

 

 ピクシスの口から告げられたのは、作戦名よりも遥かに非現実的な内容だった。

 巨人たちの進撃を止めるために必要なのは、ウォール・ローゼに空いた大穴を塞ぐこと。だが、今の彼らに十メートル級の大穴を塞ぐ技術はない。布を被せて補強するという応急処置的な対処はできるだろうが、それでは根本的な解決にもなりはしない。

 ピクシスの話によると、その大穴を塞ぐ方法が一つだけあるらしい。

 エレン=イェーガー。

 先の戦闘でリィンの目の前で巨人から出てきた、目つきの悪い少年だった。ピクシスはそのエレン=イェーガーの巨人化能力を駆使して、壁に空いた大穴を塞ごうと考えているらしい。政府が極秘に開発していた《巨人身体生成能力実験》の成功者というのは、困惑する兵士たちを無理やり納得させるための虚言だろう。少なくとも、リィンの知っているエレン=イェーガーはそんな実験になど参加していない。

 巨人化したエレンがトロスト区にある大岩を運び、穴を塞ぐ。その作戦はあまりにも簡単なように思えるが、それでも致命的な欠陥が一つだけある。

 それは――

 

「そんな作戦に俺たちの命を捧げられるわけないだろ! 俺たちは……俺たちは、使い捨ての刃じゃないんだぞ!」

 

 ――兵士たちの死ぬ覚悟の弱さだ。

 巨人化したエレンが大岩を運ぶ間、トロスト区内にいる巨人を彼ら兵士が誘き出さなくてはならない。その身を犠牲にして巨人を誘い出し、エレンから少しでも遠ざけなくてはならないのだ。――勿論、かなりの危険が伴う作業と言える。

 成功率は予想できず、失敗する確率だけは無駄に高い。しかも、失敗すれば自分はただの犬死となるのだ。そんな作戦に「はい分かりました、頑張ります」などという簡単な一言で参加できるわけがない。

 「俺は降りるぞ!」「お、俺も!」「私も!」人は場の流れに弱い生き物である。一人がその場から離れると、更にもう一人が離れだす。そんな負の連鎖が続き、多数の兵士がその場から去ろうとしていた。このままでは、トロスト区奪還作戦が実行に移せない。

 と。

 

「――いい加減にしろよ、この腰抜けどもがァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアーッ!」

 

『ッツ!?』

 

 集まった兵士たちのほぼ中央の位置から、大地を揺るがすほどの咆哮が放たれた。空気はビリビリと波打ち、兵士たちは思わず進めていた足を止めて振り返った。

 叫びの主の名は、リィン=マクガーデン。

 エレンとは違うベクトルで全ての巨人の駆逐を目標とする、異様な容姿の少年だった。

 兵士たちが異様な沈黙に包まれる中、額に青筋を浮かべたリィンは憤怒の形相で叫び散らす。

 

「お前ら兵士の癖に戦いから逃げんのか! 今逃げ出そーとした奴らの中にゃ、普段威張り散らしてる上官もいる気がしたが俺の気のせいか!? 仲間が巨人に食われるのを見て、何も感じなかったのか!? ただ恐怖に屈して逃げ出して、人類滅亡エンドってか!? お前ら最低のクズだなオイ! そんなに滅亡したけりゃそこら辺で自殺でもしてろよこの腰抜けどもがァ!」

 

 リィンの叫びに、兵士たちは騒然とする。一介の訓練兵が上官に暴言を吐き、あろうことか侮辱するようなことまで言ってしまっている。

 「き……貴様! 何様のつもりだ! 処刑される覚悟はできているんだろうな!?」超硬質スチールを抜き放ちながら吼える上官をキッと睨みつけ、凄まじいほどに美しい敬礼をしながらリィンは返答する。

 

「104期訓練兵団所属、先の戦闘での巨人討伐数は1、リィン=マクガーデン! エルヴィン調査兵団長を育ての親に持ち、トロスト区最強の兵士と謳われたリース=マクガーデンを実の親に持つ、人類に心臓を捧げると誓った――一人の兵士です!」

 

 リィンが口にした二人の英雄の名に、兵士たちは再び騒然とする。まさかここで出てくるとは思わなかった二人の英雄の名に、兵士たちは驚愕する。

 だが、その二人の英雄の名が齎す絶対的な安心感は、絶大なものだった。そこら辺の兵士が叫んで激励するよりも、確実に兵士たちの心を落ち着かせることができる名前だった。

 リース=マクガーデンの息子で、エルヴィン=スミスを育ての親に持つリィン=マクガーデン。リィンのことを一応は噂には聞いていたピクシスは愉快気な笑みを浮かべ、兵士たちに咆哮するように告げる。

 

「その者のおかげで覚悟は決まったじゃろう? ――これより、トロスト区奪還作戦を開始する!」

 

 巨人に勝利するため――人類の進撃が始まった。

 




 《現在公開できる情報》

 リース=マクガーデンの名を知らぬものはモグリだと言われるほど、リースは人々から英雄視されている。

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