……なんだろう。
本当に此処であってるのか、自信が無くなってきた。
一応ドアに“大十字探偵事務所”と書かれたプレートが掛けられているものの、どうも暗々とした雰囲気が立ち込めている―――なんて云うか、人が住むような場所じゃない的な。
とはいえ、何時までもここで突っ立っている訳にはいかない。
私は意を決し、チャイムを鳴らした。
ピンポーン。
「こ、こんにちは~……」
それにしても……こんなところに住んでいるなんて、いったいどんな人なんだろう。
そんな疑問を持ってほどなく、ドアがゆっくりと開かれた。
「あ、初めまして。私、リリィ・ブリッジと―――」
私の言葉は、最後まで続かなかった。
中から出てきた人―――恐らく大十字探偵だろう―――が、私に向かって倒れ掛かってきたからだ。
「えっ!? なんっ、だ、大丈夫!?」
慌てて抱きとめ、声を掛ける。
歳は二十代前半と云うところだろうか、サラサラとした黒髪と凛々しい顔立ちが目を惹く。
平時であれば女性としては高めの身長と相俟って、モデルと言っても何の疑いも持たれないだろう。
しかしその美しい顔は、何らかの要因によって翳りを見せていた。
「うぅ……っ」
女性が苦しそうに呻きを洩らす。
何かの病気だろうか? しかし医者でもない私には現状、詳しい事を知る術はない。
「し、しっかり! 今、病院に連れて行って―――」
とにかく医者に見せるべきだろうと、私は病院に連絡しようとした……のだが。
ぐきゅうぅ~~~~~。
そんな緊張を破壊する、盛大なお腹の音が鳴った。
……念の為に言っておくけど、私のお腹ではない。
つまりは目の前の女性のお腹と云う事になるんだけど……。
「……お腹……すいた……」
……うん、つまり、あれですか。
病気とかじゃなくて、只単にお腹が空いていただけだと……?
―――アーカムシティ、某料理店。
「もぐもぐ……ぱくぱく……」
私の目の前で、もの凄い勢いで料理を平らげてゆく女性。
どれだけお腹空いてたんだろう、と疑問に思ってしまうのは当然だろう。
私はポカーンと、その食べっぷりを眺めてしまっていた。
「んぐんぐ……ふぅ、助かったわ」
人心地ついたのか、烏竜茶を片手にお礼を言う女性。
その顔に翳りはなく、柔らかな微笑みを浮かべていた。
「連れは探し物から戻ってこないし、食べ物を買おうにもお金は無いし……まったく。ちょっと派手にやらかしたからって、何もお給金止める事はないわよね」
「派手にやらかした……?」
はて、探偵とはそんな事象が発生する職種だっただろうか。
愚痴る女性に聞き返すと、彼女は何でもないと否定した。
「えっと、私、リリィ・ブリッジ。貴女の名前は?」
「九淨―――大十字九淨よ」
“大十字九淨”。
事務所の名前から察するに、やはり彼女が探偵らしい。
ようやく話が出来そうな状態になったので、早速本題を切り出すことにした。
「九淨、貴女この街の事詳しいわよね? 良かったら、私と組まない?」
「組むっていうと?」
「私、新聞記者やっててね、お互いに情報を流せる仲間を探してたの。どうかな?」
私がそう言うと、どうやら納得してくれたようだ。
胸に手を当てて応じてくれた。
「なるほど。そう云う事なら任せて頂戴! ご飯のお礼に、出来る限りの事をするわ。―――それで、何が訊きたいのかしら?」
言って烏竜茶を呷る九淨に、私は訊ねる。
「―――“デモンベイン”」
「―――ッ!? けほっ! けほっ!」
いきなりむせる九淨。
……この明らかな反応を見るに、どうやら、“デモンベイン”について何か知っているみたいだ。
「九淨、何か知ってるみたいね?」
「あ、あああアレ、ね。うん、まあ、その、アレはちょっと……」
「ちょっとって何よ?」
問い詰める私に、九淨は言葉を濁した。
「……悪いことは言わないわ、アレは止めておきなさい。決して面白い話でもないし、記事にはならないと思うわよ」
「結局知らないって事? なぁんだ……」
「うーん、知らないと云うか知らない振りをしなくちゃけないと云うか……とにかく微妙な立場なのよね。“デモンベイン”以外の質問じゃ駄目かしら?」
「はぁ……もういいわ、またね」
結局収穫は得られず、私は肩を落として九淨と別れた。
「まったく……この街にマトモな人はいないの?」
夕方の街を歩きながら独り言つ。
そうしてフラフラと彷徨っていると、いつの間にか例の立ち入り禁止区画の前まで来ていた。
目の前には
“覇道財閥”の文字も目に付く。
「…………?」
ふと、誰かの足音が聴こえてきた。
そちらに視線を向けると、小柄な少女が駆けて来るところだった。
……こんな所に用がある人間には、到底見えない。
私は声を掛けることにした。
「お嬢ちゃん! こんな所にいると危ないわよ?」
私の声に、少女は立ち止まった。
綺麗な翡翠の瞳が、私に向けられる。
「―――小娘の分際で、妾の身を案じるのか」
「えっ? 小娘……?」
少女の口から発せられた予想外の言葉に、私は困惑した。
確かに大した年齢ではないけど、少なくともこの少女に小娘と呼ばれる年齢ではない。
少女はそんな私から視線を外し、有刺鉄線の巻きついた柵の向こう側―――即ち、立ち入り禁止区画へと
「えっ!?」
少女の銀髪が靡く。
私の身長を超える高さの柵を、しかし少女は軽々と跳び越した。
スカートをふわりと浮かび上がらせ、軽やかに着地。
少女はそのまま、立ち入り禁止区画の中へと駆けていった。
「ま、待って!」
僅かに途切れている柵の隙間を見つけ、有刺鉄線を潜り抜ける。
「待ちなさい!」
慌てて少女を追い掛けるも、とても追いつくことは出来なかった。
息を切らせて、その場に立ち止まる。
「ハァ……ハァ……」
息を整えながら、周囲を見回す。
立ち入り禁止区画と云うだけあって、辺りは一面瓦礫の山だった。
「……?」
ふと、不思議な物が目に留まった。
近づき、それを拾い上げる。
「何これ……?」
それは、不思議な金属だった。
それこそ、今まで見たことも触れたことない金属だった。
特別金属に詳しい訳ではないが、コレは自分の知識の中の如何なる金属にも合致しなかった。
そのとき、急に辺りが薄暗くなってきた。
見上げれば、空には灰色の雲。
一雨来るのだろうかと、謎の金属をポケットの中に入れ踵を返す私……だが。
「―――!?」
そんな私の視界に、先程の銀髪の少女とは違う二人の少女の姿が映った。
しかし、瞬きをした瞬間、二人の姿は消えていた。
慌てて周囲を見回す―――と、二人は私の背後に立っていた。
「えっ!? あ、あなたたち何処から?」
問い掛けるも、返事はない。
二人―――紺碧と真紅の少女は、ただ無言で私を見るだけだ。
暗い緑と血のような赤い瞳で。
「だ、大丈夫。何もしないわ」
下手に刺激しないように、出来る限り優しく声を掛ける。
しかしその声が切っ掛けになったのか、次の瞬間―――二人の姿が掻き消えた。
「え……っ?」
半ば呆然とする私。
そこに、不思議な事態が続く。
突如、二方向から猛烈な風―――明らかに自然のモノではない―――が吹き付けた。
「きゃああ!? 何何何よ!?」
この場に留まるのは拙いと判断し、私は駆け出した。
そんな私を、二つの猛烈な風が追い掛けてくる。
必死に風から逃げ惑いながらも、フォト・ジャーナリストとしての精神が行動を起こさせた。
いつも持ち歩いているカメラを取り出し、風が来るであろう方向へと向ける。
そして―――シャッターを切った。
フラッシュが焚かれ、一瞬の閃光が奔る。
それに眩んだのかは定かではないが、風は私のすぐ横を通り抜け、瓦礫の山の中へと突っ込んでいった。
「ハァ……ハァ……ハァ……」
思わずその場にへたり込む。
いったいあの風はなんなのだろうか、あの二人の少女と何か関係があるのだろうか。
とにかく、すぐに此処から離れようとして―――“何か”が、身を起こす音を聴いた。
「っ……!?」
音に振り向けば、先程消えた二人の少女が瓦礫から身を起こしてこちらを見ている。
暗い緑と血のような赤い瞳で。
「――――――」
その瞳に、私は凍りついた。
二人の瞳は少女―――ではなく。
少女と云う容をした、おぞましい“何か”に見えてしまったからだ。
「ぁ……ぁぁ……」
身体が動かず、呼吸さえもままならない。
私はここで終わるのだと、自らの死さえ覚悟した……が。
「リリィ!」
少し前に聴いた、女性の声。
私の手を掴む、確かな感触。
「く、九淨!?」
突然現れた彼女は、私の手を力強く引いてくれた。
それに合わせて、私も必死に足を動かす。
そして何故かあの風が襲って来ることはなく、私は無事に立ち入り禁止区画から抜け出せたのだった。
―――翌日、デイリー・アーカム社。
「俺はこんなチンケなオカルト事件が欲しいんじゃないッ!」
「しかし、この二つの事件には必ず何らかの関係が―――!」
「誰がお前のご大層な推理を持って来いと言ったァ!? “デモンベイン”だ! “デモンベイン”の写真を持って来い!」
昨日咄嗟に撮った写真を編集長に渡し、あの立ち入り禁止区画についての考察を提示してみたものの、一喝されてしまった。
やはり“デモンベイン”のスクープでなければ駄目なのだろうか。
「この街では、モンスターぐらいじゃあ誰も驚かないのさ」
ブレイクの言葉に、デスクにぐでーっと伸びながら答える。
「そんなのもう分かってるわよ……」
謎の風と二人の少女について上手く説明出来ないのがもどかしい。
あの時感じたモノを伝えることが出来れば、記事にもなる内容だと思ったんだけど……。
「それより例の金属についてだが……」
例の金属―――立ち入り禁止区画で拾った、あの金属のことだ。
ブレイクに渡して、調査をしてもらっていたのだが……。
「何か解った?」
「ああ」
これは思いがけない収穫だ―――と思ったが、続くブレイクの言葉に糠喜びを悟った。
「
「はぁ……」
思わず溜息を吐いてしまう。
しかしその後、ブレイクの口から思いがけない単語が出てきた。
「まあ、そう落ち込むなって。知り合いの科学者に見せたんだが、成分も製法も今まで見たことの無い金属だそうだ。こんな高度な錬金術を扱えるのは、“覇道財閥”くらいじゃないかって」
「“覇道財閥”……!」
“覇道財閥”の指定した立ち入り禁止区画で拾った“覇道財閥”ぐらいでしか作れない謎の金属。
これは調べてみる必要がありそうだ。
双子のカラーリングが結構適当。実際、暗緑ぐらいしか明確な設定が無い気が。
そして九淨さん―――極限状態から一気に大量の飲食をすると、お腹周りにお肉が付き易い気が……。
※鳥竜茶
要はお茶を飲んでるって言いたいだけなので、緑茶でも紅茶でも珈琲でも問題ないです。