ある少女の斬魔大聖   作:アイオン

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第26話

 廊下は血の海だった。

 ミンチ状になった肉片がそこら中に飛び散り、猛烈な血臭が立ち込めている。

 加えて、先に進むにつれ汚物じみた異臭がプラスされてくる。

 

 ―――お嬢様の悲鳴が聞こえた。

 

 スピードを上げ、悲鳴の聞こえた突き当たりの部屋―――お嬢様の部屋だろう―――へと駈ける。

 勢いそのまま、マギウス・ウィングを広げ体当たり気味にドアを吹き飛ばす。

 中に居たのはお嬢様と、彼女を組み敷いている道化師だった。

 

 道化師が顔を上げ―――その顔面に、私はドロップキックを叩き込んだ。

 軽々と吹き飛び、反対側の壁にめり込む道化師の身体。

 そちらに注意を向けたまま、私はお嬢様を助け起こす。

 

 「何とか、間に合ったみたいね……大丈夫、お嬢様?」

 

 「……ぇ……ぁ……?」

 

 涙で顔を濡らし、生気を失った瞳をしていたお嬢様。

 呼び掛けつつ何度か肩を揺さぶると、その目に光が戻り始めた。

 彼女の瞳が、私へと向けられる。

 

 「悪いけど、少し下がっていてもらえる? これからあの変態ピエロ、ぶっ飛ばしてくるから」

 

 まだよく状況を呑み込めていない様子のお嬢様。

 私はそっと頭を撫でながら、立たせてあげる。

 

 「あっ……」

 

 安堵/驚き/疑問、色々な響きを含んだ―――ように思う―――吐息が、お嬢様の口から漏れた。

 

 私は軽く、お嬢様の背を押す。

 お嬢様は覚束無い足取りながらもそれに従い、後ろに下がってくれた。

 

 (よし、後は……)

 

 前方に意識を集中。

 ちょうど道化師が、壁にめり込んだ体を引き剥がしているところだった。

 

 「あ~ら、誰かと思えば大十字九淨ちゃんじゃないの☆ まさか此処に来てたとはねぇん」

 

 「……アンタも、アンチクロスなのかしら?」

 

 「あらぁん? その様子じゃあ、もうティトゥスちゃんに会ったのかしらぁ?」

 

 道化師は壁から体を完全に引き剥がし、床に着地した。

 そして、体の感覚を確かめるように体操し始める。

 ふざけた言動と言葉遣いだけど、油断は出来ない。

 

 「まったく、敵を取り逃がすなんて何やってんのかしらね、もう。そうよぉん、アタシはティベリウス。アンチクロスの1人よん♪ よろしくね、九淨ちゃん☆」

 

 (やっぱりコイツもそうなのね……)

 

 二人目のアンチクロス―――一筋縄ではいかなそうだ。

 身構え、注意深く相手の動きを観察する。

 

 「……ところで九淨ちゃん? アタシね、実は結構ムカッとキテるのよ。せっっっっかく瑠璃お嬢ちゃんを玩具にしてイイって許可もらって、コレからお楽しみタイムだったっていうのに……人のズッコンバッコンを邪魔するのって、良くないと思うのよぉ!」

 

 道化師―――ティベリウスから、強烈な殺気が放たれる。

 悪意と狂気に満ち、吐き気を催す醜悪な殺気が。

 

 「九淨、来るぞ!」

 

 ティベリウスは両手に鉤爪を出現させ、独楽の様に回転しながら襲い掛かってきた。

 鉤爪は鋭く、体に直接触れられれば、忽ち廊下に散らばっていたようなミンチにされるであろうことは想像に易い。

 私はマギウス・ウィングを刃に変化させ、迫る鉤爪を迎撃するべく振るう……が。

 

 「―――――ッ!?」

 

 鉤爪は想像以上の質量を持っており、振るったマギウス・ウィングが逆に砕かれてしまった。

 砕かれた反動を利用し、初撃は何とか回避したものの……このままでは次の攻撃を躱すことは出来ない。

 

 「殺殺殺殺ァァァァァァァ!」

 

 そうこうしている間に、迫り来る第二撃。

 

 (くっ……!)

 

 「九淨! これを!」

 

 アルが叫ぶと同時、私の視界に炎が踊った。

 直感的に、その炎へと手を翳す。

 すると、炎の中から一振りの剣が顕れた。

 私は素早く剣を掴み、迫る鉤爪へと振るう。

 

 「―――――ハァッ!」

 

 ―――切断。

 鉤爪は、いとも容易く、まるでバターのように切れた。

 返し刀でもう一方の鉤爪も、同じく切断する。

 

 「なっ、何ですって!?」

 

 いきなり武器を失った為か、ティベリウスが慌てて飛び退いた。

 

 私は、掴んだ剣を確認する。

 三日月の様に反った、約一メートルの大刀。

 それほどの大きさにも関わらず、ほとんど重さを感じさせない。

 さらには、空気の抵抗すらも切り裂く鋭い切れ味―――

 

 「バルザイの偃月刀!」

 

 「うむ。そいつは剣としても優秀なのだが、本来は術の媒介として使用するもの―――謂わば“魔法使いの杖”だ。これがあれば、汝の魔術を何倍にも増幅する事が出来る」

 

 「随分とハイスペックね……流石はアル・アジフの記述ってトコかしら!」

 

 ともあれ、次はこちらのターン!

 ティベリウスを両断するべく、一気に間合いを詰める。

 

 「小娘がッ! 調子に乗るんじゃないわよっ!」

 

 間合いを詰めた私に、ティベリウスは退かず、逆に一歩踏み込んできた。

 懐に入られ、これでは偃月刀を自由に振るえない。

 

 ティベリウスの手刀が、私の心臓目掛けて放たれる。

 そのまま行けば、確実に心臓を抉るだろう。

 けど当然、それを許す気はない。

 

 私は砕けたマギウス・ウィングを再生し、ティベリウスの顔面に叩きつけてやった。

 大きく後方へとバランスを崩すティベリウス。

 今、敵は完全な隙を晒している!

 

 透かさず私は、バルザイの偃月刀を一閃。

 ティベリウスの胴体に、刃の煌きを疾らせた。

 

 「なん――――――っ?」

 

 「アンタ、さっきから臭いのよ。……とっとと消えてもらえる?」

 

 刃の通った場所を境目に、ティベリウスの体がずれた。

 ゆっくりとスライドし、鈍い音を立てて上半身が地面に落下する。

 

 「ふんっ。意外と呆気ないわね」

 

 ティベリウスの死体を一瞥する。

 両断され、切断面から血を流す上下に分かれた醜悪なオブジェになっている―――道化師の格好をした変態ピエロには、お似合いの最後だろう。

 

 私はオブジェに背を向け、後ろで呆然としているお嬢様に近づいた。

 

 「大丈夫かしら、お嬢様?」

 

 改めて確認してみると、お嬢様は酷い状態だった。

 真っ赤に泣き腫らした目、赤黒い血と嫌悪感を催す色をした謎の液体で汚れた髪、綺麗な白い肌には何箇所か青痣が出来てしまっていた。

 

 「遅くなってごめんなさい。けど、もう大丈夫よ」

 

 私は出来る限り優しい声をかけた……そのとき。

 

 「…………!」

 

 お嬢様の表情が崩れた。

 具体的に言うと、泣き出す3秒前的な感じに。

 

 「ぇ゛……」

 

 マズイ……と思ったときには手遅れだった。

 お嬢様の瞳から、ポロポロと大粒の涙が零れ出した。

 

 「あー……どうしよう、アル?」

 

 「知るか。汝がどうにかしろ」

 

 ヒドイ。

 

 (……まいったわね)

 

 教会で偶にがきんちょたちをあやすことはあっても、自分に近い年齢の人を慰めたことはない。

 とはいえ、流石にこのままってワケにもいかないだろう。

 

 (……仕方ない)

 

 私は意を決し、お嬢様の頭に手を乗せた。

 そのままお嬢様の頭を、優しく、何度も撫でる。

 不器用な私が泣く子に出来るのは、これくらいだ。

 

 「…………」

 

 そんな稚拙な手法だったけど、次第にお嬢様は落ち着き始めた。

 未だ潤む黒い瞳が、私を見つめてくる。

 それは純粋で、真っ直ぐで、真摯で……どこか不思議な気持ちになった。

 

 「……お嬢様?」

 

 「えっ……い、いえ、何でも」

 

 どこか気まずそうに、お嬢様は目を逸らした。

 なにやら意味深な感じだけど、落ち着いたみたいだし良しとしよう。

 

 「さて、早く移動しましょう。此処にいるのはあまりよろしくな

 

 そこまで言って―――いや、ひどく今更なんだけど―――お嬢様の格好に気付いた。

 ドレスが引き裂かれ、白い手袋と黒いニーソックス、そして下着のみ……そう。ほとんど裸だったのである。

 

 「……ごめん、羽織るもの無いや」

 

 「? …………!」

 

 私の言葉に、お嬢様も自分の格好に気付いたらしい。

 羞恥に赤く染まった顔は、熟した林檎も斯くやという具合だ。

 

 「汝ら……和んでおる場合か」

 

 肩に乗ったアルが、若干厳し目な声で言った。

 

 「や、別に和んでるワケじゃないんだけど」

 

 「まったく……執事の事を忘れているのではあるまいな?」

 

 「忘れるワケないでしょ? 仮にもお嬢様の事、任されたんだから……」

 

 とりあえずアルの言う通り、早く動いた方が良いのは間違いない。

 こうしている間にも執事さんは、アンチクロスの1人であるティトゥスと戦っているのだから。

 お嬢様を安全な場所へと避難させ、執事さんの援護に行かないと……

 

 「―――――!? だ、大十字さん!」

 

 突然、お嬢様の目が驚愕の色に染まり、悲痛なまでの叫び声を上げた。

 同時に、全身を走り抜ける悪寒。

 さらには、悪意と狂気に満ちた吐き気を催す醜悪な殺気が私に向けられているのを、ハッキリと感じ取った。

 

 ―――奴だ。

 

 咄嗟にその場から飛び退こうとするも……遅すぎた。

 

 「ガ――――――――ァッ!」

 

 「く、九淨ッ!?」

 

 背中を貫く、灼けるような感覚。

 ナニカが突き刺さったのは理解できるけど、それが何かまでは分からない。

 焼鏝を押し当てられでもしたら、こんな感じだろうか。

 

 倒れそうになる体を、偃月刀でなんとか支える。

 私の意志とは関係なく、口からは血反吐が吐き出された。

 

 傷はかなり深いらしい。

 大量の血液が流れ出して、床に敷き詰められた美しい絨毯を汚してゆくのが見える。

 

 「おーっほっほっほ! これまた綺麗にブッた切ってくれたわねぇ、九淨ちゃぁん?」

 

 声に振り向けば、ティベリウスが立っている。

 信じ難いことに、両断されたはずの上半身と下半身をくっつけている最中だった。

 体からはみ出た腸管がまるで触手の如くのたうち、上半身と下半身に絡み、結合していく。

 

 「おっと、それ返してもらうわよん? それが無いとどーにも締まらなくてね」

 

 ティベリウスが指を鳴らすと、私の背中に刺さっていたナニカが引き抜かれた。

 奴の手に戻っていくそれは―――肋骨。

 

 夥しい量の血液が、口から溢れ出す。

 わざわざ確認するまでもなく、明らかに出血多量だ。

 全身から力が抜けていき―――偃月刀を持つ手には力が入らず、足も体重を支えて踏ん張る事が出来ない―――私は、流れた自らの血液と吐き出した血反吐の中に沈んだ。

 

 「九淨! おい九淨! しっかりするのだ!」

 

 アルが私の頬をぺちぺちと叩くのが分かる。

 何とか立ち上がろうとするが、床についた手は血で滑り、上手く力が入らない事も相俟って立ち上がる事が出来ない。

 

 「あらあら、無様ねぇ。まあ、アンタの相手は後でちゃぁんとしてあげるから、そのまま其処で這い蹲ってなさいな☆」

 

 ティベリウスは私の姿を嘲笑いながら、肋骨を体に戻した。

 

 「そうか……汝、初めから死んでおったのだな!」

 

 「ご・め・い・さ・つ☆」

 

 そんなふざけた態度と共に、ティベリウスの仮面が割れる。

 

 「きゃあああああああああ!」

 

 お嬢様の悲鳴。

 無理もない。

 奴の仮面の下から現れたのは―――髑髏だったからだ。

 僅かに付着している肉は腐敗しており、何十匹もの蛆がそれを求めて蠢いている。

 

 「アタシはね、不死を手に入れたのよ。この―――“妖蛆の秘密(デ・ウエルミス・ミステリイス)”の力でね!」

 

 ティベリウスは体の中に手を捻じ込み一冊の本を取り出すと、私達に見せ付けるように掲げた。

 

 “De Vermis Mysteriis”

 表紙にはラテン語でそう書かれており、鉄の表装が施された黒い大冊であった。

 大量の蛆にまみれているものの、それが発する気配から、魔導書であることは疑いようもない。

 

 「さて……おしゃべりはこんなトコロかしらぁん? そろそろ我慢出来なくなってきちゃったから、瑠璃お嬢ちゃんをいただくとしましょっか☆」

 

 ティベリウスは腸を伸ばし、お嬢様を縛り上げて引き寄せた。

 

 「いやぁぁぁぁぁ!」

 

 お嬢様は悲鳴を上げながら必死に暴れるが、腸による縛めを解くことは出来ない。

 その姿を見て、ティベリウスはケタケタと不快な笑い声を発した。

 女性が抵抗する姿も、奴にとっては愉しみの一つに過ぎないのだろう……下衆野郎め。

 

 異様な粘液でぬめる腸が、お嬢様の全身を穢してゆく。

 ティベリウスは腸で嬲りながら、お嬢様のブラを摺り降ろした。

 そのまま髑髏の顔を近づけ、残っている舌―――獲物を味わうためだろうか―――と剥き出しの歯で、乳房を弄び始める。

 

 「い、いやぁ! やめてぇ!」

 

 (グッ……動きなさいよっ……! こんなトコで、無様に転がってる場合じゃないでしょうが……ッ!)

 

 かなりの出血にも関わらず、私は意識を保っていた。

 嬲られるお嬢様の姿に、何も出来ない自分への悔しさが募る。

 

 「くっ……! この下衆めが!」

 

 アルはちびアル状態のまま、魔力波を放とうと魔力を集中させる。

 

 「あらぁん? アルちゃんもアタシのお相手してくれるのかしらぁ? ちょぉっと待っててねん。アタシってばすーぐイッちゃうから、そんなにお待たせしないと思うわよん☆」

 

 しかし、ティベリウスは体から新たな腸管を生やし、アルに向かって振るった。

 

 「にゃあぁぁぁぁぁぁ!?」

 

 腸管に叩き落とされたアルはくるくると回転し、私の近くに墜落した。

 

 (くぅっ……! 立ちなさい! さっさと立ちなさいよ、九淨ッ!)

 

 上手く力の入らない体に、それでも無理矢理力を込める。

 倒れた際に落とした偃月刀を掴み、床に突き立てた。

 

 (執事さんは……私を信じてお嬢様の事を任せてくれた。だから……私も、全霊でその想いに応えなくちゃいけない! 守るべきお嬢様を……あんなクソ野郎に、好き放題させて良いワケがないッ!)

 

 歯を食い縛り、偃月刀を杖代わりにして立ち上がる。

 正に満身創痍という様だけど、体は何とか動く。

 ありったけの怒りと憎悪を込め、ティベリウスを睨みつけた。

 

 「……いい加減にしなさいよ、この腐れゾンビが」

 

 「……後でって言ってるのに、しつこい女ね。アタシ、そういうの嫌いなのよ」

 

 腐乱死体が何か言ってるけど、そんなものは無視だ。

 私はお嬢様に語りかける。

 

 「……ごめんなさい、お嬢様。怖い思いさせちゃって。依頼人を二度も危険に晒すようなヘマする盆暗探偵が、大切なデモンベインを好き勝手使ってるんだもん。そりゃ怒って当然よね」

 

 「だ、大十字さん……」

 

 「許してほしいなんて、図々しい話だけど……ケジメだけは、キッチリつけさせてもらうわ!」

 

 偃月刀を握り締め、ティベリウスへと向ける。

 

 「おやまあ。死にかけの分際で……随分と威勢がイイわね?」

 

 「―――黙りなさい。喋るな。口を開くな。……呼吸をやめろ、このクソッたれ!」

 

 「……そういうノリ、ウザイのよアンタ」

 

 ティベリウスの醜悪な殺気が濃度を増す。

 

 「アルッ! あなたもとっとと立ちなさい!」

 

 「ぬぐぐ……! 妾の気も知らんで……!」

 

 ちびアルは立ち上がり、私の肩まで飛んでくると、いつもの定位置へと着地した。

 同時に、私の体に魔力が流れ込む―――アルのものだ。

 アルの魔力が全身を駆け巡ると、背中の痛みがひいた。

 

 「応急処置だが、止血と痛み止めだ。無理は効かんぞ」

 

 「充分!」

 

 轟と音を立て、ティベリウスの臓物/触手が迫る。

 私は素早くその場を飛び退いて回避し、偃月刀を投擲。

 偃月刀は、ティベリウスから大きく離れた方向へと飛んでいった。

 

 「あらぁん? 折角の武器を手離すなんて、とんだお馬鹿さんね!」

 

 「―――誰が1本しかないって言ったのかしら?」

 

 「なッ――――――――――!?」

 

 偃月刀を投擲した私の手には―――バルザイの偃月刀。

 偃月刀を構えたまま低い姿勢で床を蹴り、ティベリウスへと肉迫する。

 

 「くっ! 小娘がァッ!」

 

 ティベリウスは触手を振るい、私の偃月刀を叩き落そうとする……が。

 

 「!?」

 

 鏡が割れる甲高い音が響く。

 砕けたバルザイの偃月刀は……鏡!

 

 「二、ニトクリスの鏡ですって!?」

 

 「行けぇ!」

 

 砕け散った鏡の破片。

 私はその一つ一つに魔力を通わせた―――イメージは細い糸。

 魔力の糸を手繰り、全ての破片をティベリウスへと叩きつける。

 額、咽喉、胸部、腹部、股座、腕、足、背中……奴の全身に、鏡の破片が突き刺さった。

 

 「うぎゃああああああっ!」

 

 「もう一撃!」

 

 私は、離れた方向へと飛んでいった―――否、飛ばした偃月刀を呼び寄せる。

 弧を描いて飛来する偃月刀を、しかしもがき苦しむティベリウスに躱すことは出来ない。

 空気を裂く偃月刀は、お嬢様を縛る腸と、複数の触手を切断した。

 

 「きゃあ!?」

 

 お嬢様が縛めから解かれ、床に落ちた。

 勢い良く落ちたように見えたけど、床には絨毯が敷き詰められているし、大丈夫だろう。

 

 ティベリウスは切断された触手達を押さえ、激しく身を捩りながら絶叫を上げている。

 

 「グガァァァァァ! ア、アタシの臓物がァァァァァァァ!」

 

 帰還した偃月刀を掴み取り、ティベリウスへと一閃。

 左肩から右脇へと袈裟斬りにした。

 

 「ギ……ッ! キサマァ……!」

 

 奴が一撃で死なない事は、先程体験済みだ。

 私はすぐさま二の太刀(斬撃)を浴びせる。

 ティベリウスの体がずれていくよりも速く、三の太刀(斬撃)

 更に四の太刀(斬撃)

 続けて五の太刀(斬撃)

 六の太刀(斬撃)

 七の太刀(斬撃)

 八の太刀(斬撃)

 九の太刀(斬撃)

 十の太刀(斬撃)

 

 「ご自慢の不死身っぷり! とくと拝見させてもらおうじゃないの! 何太刀まで原形を保ってられるかしら!」

 

 神速の太刀を、休まずティベリウスへと浴びせる。

 何十、何百の太刀に、奴の体が意味のないモノへと変わっていく。

 宛ら、腐ったミンチのように。

 

 「餓亜亜亜亜亜ァ!? 嘗メルナヨ小娘ェェェェェェェェェ!!」

 

 ティベリウスの叫び声が響いた……その時。

 巨大な質量を持った何かが、部屋の一部を破壊しながら私に迫ってきた。

 

 「大十字さん!?」

 

 それは、鋼鉄の手だった。

 圧倒的質量が、私を握り潰すべく迫る。

 

 (まさか―――!)

 

 「鬼械神だとぅ!?」

 

 「“妖蛆の秘密”が鬼械神・ベルゼビュートよ! 暴食せよ!」

 

 

 

 

 

 ティトゥス対ウィンフィールドの戦いは、激しさを増していた。

 “静”と“動”。

 互いに全く違うモノでありながら、無駄の無い、洗練された戦闘技巧。

 完璧と言っても過言ではない二人の激突の様は、一つの芸術作品と呼べるかもしれない。

 

 必殺の一撃/一太刀を放ち、躱し/躱され、迎撃する/迎撃される。

 神速の一太刀/一撃が放たれ、見切り/見切られ、防ぐ/防がれる。

 

 命という名の火花を散らし、二人の戦士はぶつかり合う。

 

 ウィンフィールドの攻撃を捌いたティトゥスは、大きく後方へと距離を取った。

 

 「認めよう。そして謝罪しよう。お主を侮っていた事を。まさか、これほどの猛者に巡り逢えるとは……感謝する、戦士よ。これならば、拙者は存分に闘いに身を灼くことが出来る」

 

 「礼を言われる筋合いなどありませんよ。私は、私の職務を忠実に果たすのみですから。この拳の総ては、瑠璃お嬢様の為にこそあります」

 

 「その精神、我が故郷に於いては“忠”と呼ぶ。成程、確固たる信念が支える肉体の何と強靭な事か。もっとも、堕ちた我が身には得られぬ境地ではあるが……」

 

 自嘲的に笑うティトゥス。

 そこで会話が途切れる……が、言葉は不要だろう。

 今、この瞬間。拳と刀さえあれば、会話は成立する。

 

 二人が構え、踏み込もうとしたその瞬間。

 覇道邸が大きく揺れ、二人の動きが止まった。

 

 「い、いったい何が? ―――!?」

 

 周囲を確認し―――窓から垣間見えた景色の中に、ウィンフィールドは巨大な機影を見た。

 ブラックロッジの破壊ロボとは違う、人型の巨人である。

 

 「チッ……ティベリウスめ、鬼械神を招喚しおったか」

 

 「鬼械神……!」

 

 ウィンフィールドはその単語から、以前アル・アジフに聞いた話を思い出した。

 

 鬼械神。

 力ある最高位の魔導書が招喚することの出来る、造られし神の総称。

 破壊ロボとは比べ物にならない、文字通り格が違う存在だ。

 

 最悪なことに、デウス・マキナの拳が覇道邸の一部を粉砕している―――ちょうど瑠璃の部屋を。

 

 「お、お嬢様!」

 

 彼の相手をしている場合ではない。

 ウィンフィールドはすぐさま駆け出そうとするが、ティトゥスはそれを許す相手ではない。

 

 「待て、戦士よ。拙者を相手にその背を向ける愚を、理解出来ぬ訳ではあるまい?」

 

 「……貴様ッ!」

 

 「今の拙者にとって、他がどうなろうと知った事ではない。あるのはただ、猛者であるお主と向かい合うという事実のみ」

 

 二刀を構え、闘気を発する侍。

 闘争に身を滾らせるその姿はまさに、六道の一・修羅道へと堕ちた武者であった。

 

 「あの冷たくも美しい戦場を前にして、それ以外の何を求めると云うのだ。お主も戦士ならば、この戦いが如何に価値あるものか正しく理解せよ」

 

 『闘争の術を持つ誰もが、お前と同じ価値観を持っているとは思わぬことだ―――大罪人』

 

 突如廊下に響いた機械的な声。

 ティトゥスの背後に、その声の主は立っていた。

 ―――白の天使(メタトロン)

 

 戦場に水をさされたティトゥスは、忌々しげに振り返る。

 

 「白の天使、拙者を大罪人と呼ぶか。……如何にもその通り。拙者共逆十字は、その罪深さ故に最強の魔術師たるのだからな。だが白天使よ、罪を問うならばお主はどうだ? 罪人も罪人、大罪人であろうよ。それが天使王を名乗るとは片腹痛い」

 

 『天使の名は自らに課した誓いだ。お前達のように、現世に蠢く悪鬼亡者共を狩りたてる、天使の役目を果たす為の。それよりも、どうする?戦いを続けるというなら、二対一とさせてもらうが?』

 

 「……お主たち2人を、同時に相手に出来るなどと自惚れるつもりはない」

 

 ティトゥスは二本の刀を収め、背後に立つメタトロンの横を悠然と通り過ぎた。

 ふと、数歩歩いたところで足を止め、振り返る。

 

 「戦士よ、まだ名を聞いていなかったな。聞かせてはもらえぬか?」

 

 「覇道家執事・ウィンフィールドと申します、ミスター・ブシドー。以後お見知りおきを」

 

 「うむ。では戦士・ウィンフィールドよ。この決着は次の機会に」

 

 ティトゥスは再び歩き出し、廊下の角へと消えた。

 その背を見送ったウィンフィールドは、メタトロンへと向き直る。

 

 「メタトロン様、助かりました。正式なお礼は、また改めて」

 

 『ああ。急げ』

 

 メタトロンが頷くのを確認し、ウィンフィールドは駆け出した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「マギウス・ウィング!」

 

 迫る鋼鉄の掌、私はその指の隙間から飛び出した。

 そして、しゃがみ込むお嬢様を抱きかかえる。

 天井は鬼械神によって粉砕されており、空へと離脱するのは簡単だった。

 

 「GURAAAAAAAAA!!」

 

 ティベリウスだったモノが蠢き、鬼械神―――ベルゼビュートの胸部へと殺到、密集した。

 そこから内臓が、骨が、筋肉が再構成され、腐ったミンチ肉から人型へと再生する。

 

 「……不死って言葉の意味は分かってるつもりだったけど、ホントメチャクチャね」

 

 「痛かったワぁ……痛かったわよ、大十字九淨ォ! どうやらアンタには、きっついおしおきが必要みたいね!」

 

 コクピットハッチが開き、ティベリウスは素早く中に乗り込んだ。

 直後、ベルゼビュートの拳が私達に振るわれる。

 私はそれを躱すべく、さらに高度を上げようとする……が。

 

 「ぐぅッ……!」

 

 突如痛みが奔り、飛行の制御が乱れた。

 ふらつきながらも、何とかベルゼビュートの拳を回避する。

 だがそこで高度を保てなくなり、地面に向かって落下し始めた。

 

 「きゃあああああ!?」

 

 「九淨!?」

 

 「っ……!」

 

 必死に黒翼を羽撃かせ、落下の速度を緩める。

 それでも結構なスピードが出ており、着地の衝撃に備えて、お嬢様をしっかりと抱き締めた。

 そして……着地。

 かなりの衝撃が足から伝わり、思わず膝を突く。

 

 (なんとか……地面に激突はしなかったみたいね)

 

 胸を撫で下ろしつつ、お嬢様を見やる。

 しかしお嬢様は、青ざめた顔で私を見ていた。

 

 「ごめんなさい……大丈夫だった、お嬢様?」

 

 「わ、わたくしは大丈夫ですが……大十字さん、あなたが……!」

 

 お嬢様が私の背中に回していた手を外す。

 その手は真っ赤に染まっていた。

 

 びちゃり、びちゃりと血が滴る音に地面を見れば、私の背中から垂れたであろう血液が、地面を赤く塗らしている。

 

 「傷口が開いたか! だから無理は効かんと言ったであろうに!」

 

 「ええ……もう少しでお嬢様と心中するトコだったわ」

 

 「何を呑気な事言っておるのだ! これ以上出血すればいかに汝が魔術師とは云え、死ぬぞ!」

 

 「言いたい事は分かるけど……あのクソ野郎は見逃してくれないでしょ」

 

 忌まわしい気配を漂わせ、聳え立つベルゼビュートを睨みつけながら吐き捨てる。

 私はベルゼビュートの方へと向き直る―――同時に、血塗れの背中がお嬢様の方へと向けられた。

 

 「だ、大十字さん! まだ戦おうとしているのですか!?」

 

 「ええ……ごめんなさい、お嬢様。勝手で悪いけど、またデモンベインを使わせてもらうわね」

 

 「そ、そんなことを言っているのではありません! この場は退いて、早く……早く傷の手当をしなければ!」

 

 お嬢様の訴えに、私は首を横に振る。

 

 「悪いんだけど、このままじゃ私の気が済まないわ」

 

 「そんなくだらん理由で無茶をするな! ここは小娘の言う通り退くのだ、九淨!」

 

 「冗談! あんな腐った下衆野郎を放って逃げたら、どんな無法を犯すか分からないじゃないのよ! だから、ここでブッ潰す!」

 

 「そ、そんな……だ、ダメです、大十字さん! だって血! 血が! そんなに血がたくさん……っ!」

 

 どうやらお嬢様は、私の怪我の酷さに取り乱してしまったみたいだ。

 少しでも安心させようと、お嬢様の頭を撫でる。

 

 「あっ……」

 

 「大丈夫、私は死なないわ」

 

 何の根拠も無い断言。

 

 私は再びベルゼビュートへと向き直る。

 

 「征くわよ、アル!」

 

 「し、しかし九淨……」

 

 「どのみち、鬼械神相手に逃げ切れるとは思えないでしょうが!」

 

 「……分かった。だがこれ以上無理だと判断したら、汝の身の安全を最優先に行動させてもらうぞ!」

 

 「今は余計な事考えない! やるわよッ!」

 

 

 

 

 

 (……同じ)

 

 頭を撫でられ、瑠璃は思った。

 あのときと同じだと。

 

 あのとき……両親の葬儀の日。

 全てが終わった後、自分の悲しみを黙って受け止めてくれた祖父に尋ねたのだ。

 

 「なんで……どうして、こんなに酷いことが許されるのですか!? この世に、神様は居ないのですか!?」

 

 無力だった自分が、有りっ丈の力でぶつけた言葉。

 無垢で、痛切で、ちっぽけな憎悪。

 祖父はその憎悪も受け止めてくれた。

 そして、黙って自分の頭を撫でてくれたのだ。

 節榑立った、けれど大きく、暖かな掌で。

 

 (……似てる)

 

 九淨の掌の温もりは、そんな祖父の温もりと良く似ているのだ。

 

 (何故なのでしょうか?)

 

 理由は分からない。

 年齢、性別、何もかもが違う両者。

 ただ2人には、共通する“意思”のようなものを感じる。

 怒り、悲しみ、憎しみ……あらゆるものを受け止める強い意思を。

 

 「憎悪の空より来たりて

  正しき怒りを胸に

  我等は魔を断つ剣を執る!」

 

 あのとき祖父が言ってくれた言葉を、自分は今でも憶えている。

 ハッキリと、鮮明に、思い出せる。

 

 「瑠璃……世界は確かに、邪悪に犯されているのかも知れない。だが、その邪悪を憎む正義もまた、確かに存在するのだよ」

 

 それは強大な邪悪から見れば、小さく無力な正義に過ぎないのだろう。

 人の心の奥底で眠っている、ちっぽけな正義に過ぎないのだろう。

 しかしその正義が目覚める日が、名も知らぬ誰かがその手に穢れ無き剣を執り、邪悪を討ち滅ぼす日が、いつか必ずやってくる。

 

 あの鋼の巨人には、そんな願いが込められている。

 あの鋼の巨人は、そんな願いを込めて、祖父に名付けられたのだ。

 

 「汝、無垢なる刃―――デモンベイン!」




※バルザイの偃月刀
幻夢境(ドリームランド)にある交易都市ウルタール、そこに住んでいた賢人・バルザイが鍛え上げたとされる刀。
以下の五箇条の呪文を唱え、鍛造する。

“フコリアクソユよ、ゾドカルネスよ、われは大いなる深淵に棲む汝等諸霊を力強く呼び醒ます者なり。
アザトースの恐るべき強壮な御名において、この場にあらわれ、古ぶしき伝承にのっとって造られたこの刀身に力をあたえよ。クセントノ=ロフマトルの御名において、われは汝アズィアベリスに命じる者なり。
イセイロロセトの御名において、汝アントクェリスを呼び出す者なり。
クロム=ヤーが発して大山が鳴動した恐るべき甚大なダマミアク御名において、われは汝バブルエリスを力強く呼び出し者なり。
われに仕え、われを助け、わが呪文に力をあたえ、火の秘文字の刻まれたこの武器が霊験あらたかに、わが命にそむく諸霊をことごとく震えあがれせるとともに、魔術の実践に必要な円、図、記号を描く助けとなるようにせよ。大いなる強壮なヨグ=ソートスの御名とヴーアの無敵の印において、力をあたえよ。力をあたえよ。力をあたえよ。”

以下、バルザイの偃月刀を喚ぶ際の一例。

「バルザイの偃月刀!」

「―――力を与えよ。力を与えよ。力を与えよ」

「ヴーアの無敵の印において、力を……与えよ!」

……魔術って、便利ですよね。

※妖蛆の秘密
錬金術師にして降霊術師にして魔術師にして妖術師な、ルートウィッヒ・プリンが獄中で記した魔導書。“サラセン人の宗教儀式”の章は特に重要。

悩んだ挙句、いつも通り普通の展開に。
九淨さんが触手に絡まれるのを楽しみにしていた方(いらっしゃるかどうかは分かりませんが)申し訳ございません。

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