久しぶりに血ではないものを身に纏った。
粗末なただ一枚の布に穴を開けただけのその服は貫頭衣と言うものらしい。
この穴に頭を通して腰を紐で縛るだけ。
正直裸の時と心もとなさで言えば変わらない。
そう、変わらないはずなのになぜかその服を身に纏ったとき私の目から涙が零れ落ちた。
それは裸で過ごした二ヶ月を思っての涙か。
もしくは体を隠すなんてまるで人間みたいな行動をとっている事にか。
それとも、こんな粗末な服ですら身に纏う事が出来なくなってしまった町の皆を思っての事か。
私には理由がわからなかった。
犯罪者と触れ合ってきたリッポーならこの涙が何なのかわかったかもしれないが、私は生涯この涙の理由を誰かにくくことは無いだろうと予想していた。
「ふん、お前には贅沢すぎる服だがまあ良い。これからはお前に自分の意思で体を動かしてもらう。その代わりお前の手を拘束させてもらうがな」
その時私の足元に手を拘束する枷が現れた。
私はそれを拾おうとするがその重さに驚いてしまう。
「言い忘れていたがそれは鉛を仕込んだ特別製だ。貴様のような凶悪犯本当は全身がんじがらめにしてやりたいところだがな」
そのリッポーの声からは物凄く悔しさがにじみ出ている。
だが、私としても自分の罪を許す事など出来そうも無いのでその扱いに不満は無い。
私は何とかそれを拾うと自分の腕にはめた。
「よしはめたな。それではとりあえず100km走って貰おう。とりあえず6時間もあれば十分だろう」
それきりリッポーの声が途切れる。
おそらく通信を切ったんだろう。
私は腕を振る事ができずに走りにくいのを我慢して走り始めた。
「これでいい。念能力者は応用力を高めるものと唯一つのものだけを極める二つのタイプがいる。前者と後者は一長一短だが俺は強化系に近づけば近づくほど一つのものを極めたタイプ。特質系に近づけば近づくほど応用力のあるタイプが強いと思っている」
そう言って画面に映る犯罪者を見る。
「あれは放出系能力者だ。それもだいぶ強化系よりのな。ならば応用力は要らないひとつの戦法を突き詰めていくべきだ。理想は会長だが……やつは既に喉と足と言う二つを選んでしまっている。それに防御能力はたいした事がない」
眼前に先月のデータを表示させる。
その結果こちらが想定していたレベルで言うと3あたりが限界だった。
どうしても足と喉以外の場所のオーラの展開がぎこちない。
ならばいっそ他の場所を捨ててしまうのも手だ。
やつに腕はいらん。
防御もいらん。
足を集中的に鍛えてスピードに特化させるべきだ。
だが、完全に防御を捨ててしまうわけにも行かない。
ならどうすればいいか?
自分で出来ないのならば装備で補えばよいだけの事だ。
やつに渡した服。
あれに使われてる素材は私のコネで入手したかなりの防御力を秘めた素材で出来ている。
銃弾位なら難なく防ぐだろう。
しかし、貴重な分直ぐに数をそろえる事ができなかったのが痛いな。
これは今成長期だ。
服を用意しても直ぐに無駄になってしまうだろう。
おかげで体のサイズにあまり影響されないあのような原始的な服になってしまった。
裸よりはましだが、正直やりすぎてしまったか。
念能力者が思い切り動けば体を隠す上でほとんど役に立っていない。
走れば当然めくれるしジャンプなどしようものなら丸見えだ。
あれにはいずれメスである事を生かして潜入や暗殺もしてもらうことがあるだろう。
羞恥心を完全に無くされるのも困るんだが。
まあいい。
一年もあればあの素材の入手も安定するはずだ。
それから人間に擬態する事を教えれば良い。
―この時下着を着させるとかその下に何かを着せればよい。そんな簡単な事に彼が気が付かなかったことを攻めるのは簡単だ。だが、今まで修行と犯罪者との戦いと言う男主体の世界で生きてきた彼には女性と言うものがよくわかっていなかった―
さて、防御を装備に頼る事ができるのならば……
攻撃を避け相手をかく乱し隙を見て一撃必殺の声につなげるのが今のところベターだな。
勿論問題点が無いわけではない。
これは強化よりとは言った所で結局の所放出だ。
どうしても同じ速度優先タイプの強化系の相手には一歩を譲ってしまう。
そもそも音と足この二つの相性が最悪だ。
足ならばその速度には際限が無い。
どこまででも才能の許す限り上げていく事が出来るだろう。
だが、音には限界……というよりも音の速度は決まっているのだ。二流三流のうちはいいだろう。
音の速さに追いつく事などできない。
だが、一流や超一流は平気で音よりも早く動くものがいる。
「制約と誓約か……もしくは音と速度の折り合える戦法を見出していくべきか。何にせよやつの能力を見極めてからだな。足を主体にするかそれとも声を主体にしていくべきか。これ自身の直感にあわぬものにしても使い物にならんしな。問題だらけだ」
だいたい、俺はこいつをどう扱いたいんだろうな。
犯罪者など許せる存在ではないが、こいつは法の下では犯罪者ではない。
ここにいさせる理由も対外的にはあくまで私の弟子と言う事になっている。
法か、そんなものに縛られずに悪人を裁くためにハンターを目指したのだが。
結局法に縛られているとはな。
犯罪者は人ではない化け物だ。
この考えで今まで犯罪者と戦ってきた。
冷酷にもなれた、どんな手でも使用する。
だが、法に守られ狭間におかれたこいつに俺は……
「人生ままならぬものだ」
最後にちらりとその画面をのぞくとそれきりリッポーは沈黙した。
彼の心のうちは彼自身にもわかっていないのかもしれない。
その後無事にまた一月が過ぎた。
少女の身を包む貫頭衣は2着を日替わりで毎日洗濯していたのだがそれでもぼろぼろにくたびれている。
この一月どれだけの経験をつんできたのかそれだけでも伺えると言うものだ。
ハンター協会から一つの施設の長を任される程の男でも入手するのが困難だった程の素材がこうなると言えばわかりやすいだろうか。
勿論無理をすれば十分確保する事は可能だっただろうが、それでは追加で入手するのが難しくなってしまう。
それだけの価値がある素材だったのだが……
彼女は走った。
重りをつけて水の中を息が続く限り走った。
火の中を服に火が燃え移らない程のスピードで走った。
空気の薄い中を高熱の中を低温の中をある時は重りを背負って走った。
その結果現在の年齢とオーラ量から考えればありえない速度を手に入れることが出来た。
正直な話リッポーの予想以上ではある。
あるのだが、想像できなかった程であるか?
そう問われれば否である。
確かに8歳と言う年齢を考えればありえないレベル。
現在のオーラ量を考えればおかしいレベル。
だが、あくまでそれだけだ。
これが12~3歳の念能力者なら確かに早いがありえないレベルではない。
中堅ハンター程のオーラがあればさほど脅威とはいえないレベルだ。
勿論伸びしろは大きい。
何と言ってもまだ8歳。
むしろこれからだろう。
「まだ子供なんだし見逃してやろう」
これが通用する世界ならばの話だが……
「こんなものか。では声を見せてもらおうか」
そしてまた一月が流れる。
結論から言うと声も足もどちらも切り札たり得ない。
それが結論だ。
声は確かに破壊力は高い。
だが、戦法すら決まってない時点でメモリを食うのを嫌ったリッポーの方針で操作系の技術の無い彼女に的に正確に当てる事が出来ない。
ただでさえ音と言うものは周囲に広がるものでどこか一箇所にだけ正確に届かせると言う性質のものでないのだから仕方が無いのだが。
これでは威力はあっても誰かと共闘する事は出来ない。
何と言っても距離をとっては拡散してしまい威力が弱まるのではせっかくの放出系の利点が無い。
そして、もう一つの問題はやはりと言うか速度の問題である。
音速からどうしても変える事は出来ない。
幸いどちらの能力も単純なものだからメモリにはまだ余裕はあるのだが。
無意識に直感で選んだこの二つの能力を無駄にしてしまうと言うのは考えられない。
そんな事をしてしまっては能力者として大成するわけが無い。
足の速さを上げるのは強化系。
声の精度を上げるのは操作系。
声のスピードを上げるのは強化系もしくは操作系どちらかが必要になる。
必要になるものは全て自分の系統である放出以外の能力。
これではリッポーの希望する一つの戦法を極める能力者は夢のまた夢だろう。
今までに集まった全てのデータの結果が今の戦い方を否定する。
勿論今まで音を武器にするハンターは数多くいた。
足を主体にするハンター等それこそ膨大な数に及ぶ。
だが、その二つを主体にして大成したハンターはいない。
幸いこれから一月で念能力の知識の勉強をする予定だったからまだ時間に余裕はあるが。
もし変更するのならば早ければ早いに越した事は無い。
一応二つを生かした戦法も思いつかないのではないのだが、それが実際に使えるものなのか前例が無い為判断しづらい。
上手くはまれば前例が無い=対応しにくいと言う事なのだが。
「全く、天空闘技場では誰にも指示しないで発を作るやつが多いからメモリの無駄遣いで才能を無駄にして終わるやつが多いと聞くが。まさかこんなに厄介だったとはな。全く誰かに教えて初めてわかる師匠のありがたみと言うものだ」
「よし、これで体力測定は終わりだ。これを踏まえて今から修行に入るわけだが。まずは貴様に念の知識を叩き込む。この資料をくれてやるから一月で全て覚えろ。毎日夜にランダムでその資料のどこかから100問問題を出すから90点以上を取れなければ罰を与えるからそのつもりでな」
そう言ってリッポーは机を埋め尽くすほどの資料を指差す。
罰を与える事を想像しているのだろう既に目がいやらしくつり上がっている。
それを見てこの量の資料を見た時に萎えた気持ちに渇を入れると絶対に突破してやろうと心に誓った。
私の決意を感じたのかさらに楽しそうな顔を浮かべるとさらに言葉を付け加える。
「時々私の部下がその知識を実践的に確かめに行くからそちらも覚悟しておけ。当然だが一月で終わらない場合愉快な目にあわない事は覚えておけ。確か貴様には難を逃れた姉が一人いたはずだったな? 本来未成年者の罪は保護者が受けるものだしな」
その言葉を聞いた私の心の中が真っ赤に染まる。
お姉ちゃんが私のせいで人間じゃなくなってしまう?
私のせいでわたしのせいでワタシノセイデ……
「ふざけないで、私のことにお姉ちゃんは関係が無い!!」
「勘違いするなよ犯罪者。罪と言うものは本来どうやったって償うものなんだよ。本当だったら貴様の罪は姉だけでなく貴様にかかわった全ての人間に罪を与えてもまだ償いきれないほどの罪だ。ただ俺の権限で貴様以外に罪が及ばないようにしているだけだ。そもそも貴様がクリアすればいいだけの話なんだよ」
私の中の怒りがだんだん収まっていく。
そもそもこの怒り自体が筋違いだと気づかされたのもあるが、何より怒っている時間が惜しいからだ。
こうやって会話している間にも時間は流れている。
これだけの量を覚えるのだから一分一秒でも無駄にしている時間は無い。
この日私は初めて自分の足で念能力者の道を歩き始めた。
今まで私がいかにリッポーと言う名前の補助輪に甘えていたのか。
そして、彼の事を始めて直視した気がした。