「お父さん道で寝たら風邪ひいちゃうよ? ほら、早く帰ろうよ。ほら、お母さんからも何か言ってやってよ。あれ、お母さん?」
何やってるんだろう、苦しそうな顔をしたまま私に抱きついてきて。
「強く、いきて、ね……」
そう言って私をつかんだ腕から力が抜けていく。
え、やだよ。
お母さんお母さん。
ねえ、返事をしてよ。
嘘でしょこんなの嘘だよ。
あ、そうだ先生が困った時は誰か近くにいる大人の人に助けてもらいなさいって。
「ちょっと待っててお父さんお母さん今誰かを呼んでくるからね」
私は靴も履かないで外に駆け出すとそのまま隣の家に走った。
隣のおばちゃんはお母さんのお友達だって言ってたし、いつも私にも優しくしてくれる。
だからきっとお父さんとお母さんを助けてくれるはず。
ただ、あわててたせいか何度も石につまずいて転んじゃったけど。
二度三度と転ぶうちに隣の家につき力いっぱい呼び鈴を押した。
「え、こんな時に呼び鈴が壊れてるの。押しても戻ってこない……」
仕方なく私は大声でおばちゃんを呼ぶ。
「おばちゃん、助けておばちゃん。お父さんとお母さんが」
何度か叫んでいると直ぐにおばちゃんが心配そうな表情をした顔を出してくれた。
「どうしたんだい? お父さんとお母さんに何かあったのかい?」
「お父さんとお母さんが何度呼んでも目を覚まさないんです。さっき間で元気だったのに湯気に触ったら凄い苦しそうな顔をして急に……」
「湯気? なんか変なものでも燃やしたのかい? ちょっと待ってなおばちゃん今救急車を呼ぶからそこで待ってな」
ポケットからあわてて携帯を取り出すともどかしそうにボタンを押し始める。
よかった、これでお父さんとお母さんもきっと助かる。
「ほら、救急車を呼んだからちょっと待ってるんだよ。って、あんた怪我してるじゃないか。ほら、消毒してあげるからこっちにきな」
え、そう言えば気がつかなかったけどひざが痛い。
さっき転んだ時に怪我しちゃってたみたいだ。
「さ、膝を出しな。少し痛いけど我慢するんだよ。お父さんとお母さんが助かってもあんたが怪我してたんじゃ心配するからね」
そう言って本当はお母さんたちを心配してるんだろうけど私には笑顔で怪我の治療をしてくれる。
だから私は気が抜けていたんだろう。
怪我に消毒液が触れた時思わず痛みでおばちゃんの手を軽くはたいてしまった。
「ほら、ちゃんとぬらな……な、何だいこれは!!」
私が湯気を纏った手ではたいたおばちゃんの手からも湯気が出てくる。
そしてそれは直ぐにおばちゃんの体中から噴出し始める。
「湯気ってこれのことかい。あ、あんたは早く逃げな。おばちゃんは直ぐに救急車が来て助けてくれるから。だから早く逃げな。近くで変なガスでも出てるみたいだ。だから大声で周りの人に知らせながら逃げなさい」
それだけ言うと湯気を体から出し切ったおばちゃんもお父さんたちみたいに倒れてしまう。
「え、え……何が……あ、そうだ逃げなきゃ。逃げなきゃ。湯気から逃げなきゃ」
私はもう何が何だかわからなかった。
ただ、おばちゃんに言われたことは守らなきゃと思って必死で叫びながら走り続ける。
今どこを走ってるかなんてわからない。
なぜかどんなに走っても疲れない足をただ前に動かす。
皆に知らせるように喉に力をこめて大声で叫びながら。
私の体が足と喉だけになったかのような気がする。
もう意味のある言葉をしゃべれている気はしない。
ただの泣き声でしかないけど、それでも大声を出して走り続けた。
崩れて湯気を体から噴出して倒れる人をよそ目に。
泣き叫ぶ人をよそ目に。
響く怒号を横目に。
すべてのものから目を背けてただただ逃げる。
そして、私が私の町から逃げ出したとき辺りは色んな人の体から抜け出した湯気でまるで霧に覆われた町みたいになっていた。
「ふむ……それにしても恐ろしいものだ。こんな幼い子供が一つの町をすべて滅ぼしてしまうとは」
え、この人いつ来たの?
何を言ってるの?
皆を助けてくれるの?
「す、すいません。誰だかわかりませんが助けてください。あそこにはまだ皆が……」
「ふむ、おぞましいものだな。君はまだわかっていないらしい」
「え、何のことですか? そんなことより皆を」
だが、その私の声に耳を傾けることなくその男の人は目をいやらしく吊り上げると町のほうに目を向ける。
「無駄だ。もうこの町の住人は皆死んでいる。仮に念に目覚めていたものが居たとしてもこの莫大な恨みがこもったオーラに覆われた町の中にいて無事で居られるわけがない。そう、この町はもう滅んだのさ。未来永劫この禍々しいオーラに覆われて誰も近づけるものもなく永遠に呪われ続けてね」
「え、え?」
その人は吊り上げた目を町からこちらに変更する。
「おめでとう、大量殺人犯になった気分はどうだい犯罪者?」
「ち、違う。私じゃない。私じゃ」
「本当はもう気がついているんだろう? 君の体から湧き出るオーラそれに触れたほとんどの才能のない人はなすすべもなく死んでいったと」
その人が口にする言葉から逃げようと私は耳を覆って必死で首を振る。
「い、いや。違う。私じゃない私じゃ」
「君は気がついたはずだ。通常では考えられない速度で走れる足に。そして、すべてをなぎ倒した声に」
「ち、ちが」
「違わない。おかしいとは思わなかったのか? 錯乱していた君は無意識のうちにまっすぐ走っていた」
私はもう何も聞きたくなくてただ弱弱しく首を振る。
それでもその人は余計に目を吊り上げて私に淡々と語りかける。
「こんな町の中だ。君の走る道の前には人だって居ただろう。建物だってあったはずだ。おかしいとは思わないのか? 君はそれらにぶつかることなくまっすぐ走ってきた。おかしいとは思わないのか?」
問いかけている形とは裏腹に実際は私の答えなんて求めていないのだろう。
問いの答えを待たずに次々と言葉を投げかけてくる。
そして、言葉がだんだんと熱を帯びてくる。
「聞け、君はその喉から発した音という名前の衝撃波で君の前に立ちふさがるすべてのものを薙ぎ払った」
黙って
「障害物の無くなった場所を君は駆け抜けた。町を覆うオーラで近づけずに居る私達の目の前で君はただ駆け抜けた」
「黙って」
「この国の法律では7歳以下の君に死刑や刑罰は適用されない。5万人以上も住んでいた町を一つ滅ぼした君といえどもな」
「黙って!」
「恐ろしい話だ。A級犯罪者に匹敵するだけの人を殺した犯罪者がのうのうと野に放たれるというのだからな」
『黙って!!』
無意識のうちに私はその男に向かって叫ぶ。
こんな男消えてしまえとでもいうかのように全力で。
「中々の威力だ。誰かに師事した訳でもなく自然発生した能力者とは思えん。これならば君の前を塞いだものなどひとたまりもなかっただろうよ」
あ……
私は今何を。
何をしたの?
前を見ると湯気に覆われて全身を守った男の居る場所以外の全ての場所がめくれ上がり荒れ果てている。
これを私がやったの?
私が町を滅ぼしたの?
お父さんお母さんおばちゃん皆を私が?
「いやあああああああ」
「ふん、この国の法律が君を許したとしても私は君を許さない。君はすでに人ではない。犯罪者という生き物なのだ。狂うことも許さない。一生……いや、たとえ君が死んだとしても罪を償わせ続けてやる」
ナイフが私の腕を切りつけていく。
何かの文字のような記号のような複雑なものをナイフで私の腕に書き込んでいく。
そして、それが進むにつれて私は正気を取り戻していく。
「君に今刻んだものは神字という。これで君は一生狂うことすら出来ない。狂気にとらわれることもない。そして、今日の光景を忘れることもない。ただただ私の言う事を聞いて果てしない罪を永遠に返し続けるだけの犯罪者という化け物になった」
私はもう人間じゃない。
犯罪者。
そう、犯罪者だ。
「今この時を持って犯罪者ハンターリッポーは一線を退く。これからは君の様な化け物を管理する長となろう。丁度会長に頼まれてもいたしな。君はこれ以降名前を名乗ることすら揺るさない。おまえはこれからはこの町で平和に暮らしていた少女ではない特別収容犯0番だ」
私は特別収容犯0番。
さよならお父さんお母さんが名前をつけてくれた私。
そしてさよなら人間だった私。
「まずは5年だ。その間におまえに死すら生ぬるい地獄という名の訓練をつけてやろう。死ぬことは許さない。おまえは死なんていう平穏に逃げることは許されない存在だ。ただ苦しみ続けろ。それが終わったらおまえは犯罪者を捕まえ続けるだけの存在になる」
その日一つの町が地図から消えた。
この町のあった場所はハンターでも立ち入りを制限される危険地帯に指定される。
いつまでもはれる事のない死者のオーラに覆われた町。
やがてこの国は常に霧に覆われた死者の町「ニブルヘルム」と呼ばれるようになる。