「…………ふむ」
執務室でいつも通り、着々と仕事を済ませたエミヤは手元にある資料を眺めならこくりと頷いた。
「高町なのは、フェイト・T・ハラオウン、八神はやての三名は平均的な管理局員に相応しい技術と知識を習得したな。流石は天才魔法少女と言ったところか。まったく、この成長速度は異常すぎる」
エミヤの言葉にクロノも同意するように頷く。
彼女達は常識では縛られない高い潜在能力を持っている。それこそエミヤとクロノのような凡人を大きく凌ぐ圧倒的なモノだ。
彼女達が時空管理局員として正式に認められるためのあらゆる基礎をエミヤが教え、魔導の真髄たるものをクロノが教授した。
普通の者なら根を上げるであろう知識を彼女達は水を吸うスポンジの如く吸収していった。まるで全く苦にもならないというふうに。
長年の研鑽を積み、執務官まで上り詰めたクロノは何かを教えるたびに彼女達の『才能』は本物であると確信した。なにせ何年もロッテ姉妹にしごかれ会得したモノを彼女達は数週間でモノにする。これを天才と云わずして何と言う。
「残った課題は、素の肉体の脆弱性だけだな」
もはや魔導については教えるものなど何もない。管理局の知識も満たしている。
ただ彼女達は過酷な鍛錬を行えるほど肉体が成熟しておらず、ましてや肉体面が男性より極めて弱い女性だ。とてもじゃないが管理局の肉体訓練には参加できない。
幼いながらもずば抜けた運動神経を誇るフェイトであっても、体を壊すのは目に見えている。
「こればかりは後回しにせざるを得ないか」
「ああ。流石にあの年齢で肉体訓練などすれば体が持たないだろうからね」
彼女達の肉体作りはもう少し時が経ち、過酷な訓練でも耐えれるだけの身体成長を遂げてからにするしかないだろう。
「まぁこの調子なら、あと数年で彼女達はエースの位まで上り詰めれる。後はあまり無理をさせず、日本の勉学も疎かにさせずに育てていけばいいか」
「あまり無理をさせず…か。なのはは最近無理ばかりしているようだから注意が必要だな」
「ああ、あの少女の自主錬の時間はフェイト達の二倍はこなしている。鍛錬に熱心なのは結構だが、あの年で無茶をし過ぎると碌なことにはならん」
「――――分かっている。僕の二の舞にはさせないさ」
なのはの事をエミヤ以上に気遣っているクロノは彼女の頑張り具合に頭を悩ませていた。
決して多大な努力をすることは間違っていない。天才が努力すればその成果も並よりも大きく現れるだろう。
しかし、忘れてはいけない。彼女はまだ子供なのだ。かつて幼い頃から鍛錬をしていたクロノだからこそ熟知している。未成熟な肉体、精神で過剰な鍛錬を行うことがどれだけ危険なことなのかを。
「………そろそろ行くか」
クロノは己の腕時計の針が指す時刻を見て、ゆっくりと腰を上げた。
「僕は先に失礼する。恭也さんにお茶を飲みに誘われているからね」
「………驚いたな。いつの間に、なのはの兄と親しくなっていた?」
高町家の長男、高町恭也は時空管理局を少なからず良くは思っていなかった。
大事な妹を戦場に等しい現場に駆り立てるのだ。
なのは自身の希望であっても、良く思わないのは当然だ。警戒して当たり前なのだ。
自分達とは表面上では友好的な関係を築いているが、恐らく、いや間違いなく彼は自分たちに敵意を抱いている。
そんな彼が、一部隊の前線指揮官を勤める執務官と親しくなれるとは思ってもみなかった。
「別に特別なことがあったわけじゃない。ただ休暇中、基本的に海鳴市でゆっくりするようになってから、よく彼と遭遇するようになってね。その際に交流を深めていっただけさ」
なのはの指導を担当しているクロノだからこそ、恭也は聞きたいことが山ほどあったし、それにそつなく答え、変な誤解があれば即座に解くクロノの対応などが功を奏して、今の裏表のない友好関係を築けたとのこと。
今では時空管理局の印象もかなり緩和することが出来ており、ある程度信用してくれたようだ。少なくとも強い敵意などは向けられていない。
「それに僕と彼はどうやら波長が合っているらしい。趣味も似ていてね。話も良く合う。心なしか、ずいぶんと昔に何処かで会って、親密な関係であったような、そんな親近感さえ湧くほどだ」
何やら珍しく活き活きとして喋るクロノにエミヤは内心で苦笑していた。
クロノもなのは達に劣らず年齢より精神の方が早く成熟していた。
幼い頃から魔導の訓練に勤しみ、命掛けの任務をこなす日々。
休日があっても子供らしく遊ぶ姿など全く見せず、ワーカーホリック一歩手前まで行っていたあの少年が、今こうして楽しそうに余った時間を新しくできた友人と活用している。
その事実に親友のエミヤはとても喜ばしく思った。
◆
高町家の縁側で雅な庭を眺めながら茶を啜る二人の青年。
恭也とクロノはこうした風流な庭を眺め、美味い茶を堪能し、そよ風に肌を当てて気分を安らがせることを一つの楽しみとしている。
年齢の割には若々しさがない、とは決して言ってはならない。
「このひと時で、先ほどまで溜まっていた職務の疲労が抜けていくのを感じます」
クロノは膝の上で熟睡している久遠の頭を優しく撫でながら、この休息に満足した声を出す。
「それは良かったな………やはり執務の仕事は忙しいのか?」
「無論ですよ。でも最近、やっと仕事量が減ってきまして。こうしてゆっくりできる時間も作れてきています」
「………ふむ。毎度思うが、まだまだ若いのに立派なことだ」
恭也は関心関心と頷いた。
ミッドチルダではどれだけ低い年齢であっても、働くことができる。
そして人手不足である時空管理局では少年少女が働いていることは決して珍しくない。
だが大人であっても子供であっても、働けるだけの実力が伴っていなければ雇ってくれるわけがない。よほど高い実力を有していない限り、大人、ましてや命が関わってくる現場で子供がやっていけるはずがない。
だというのに、クロノは執務官という高い役職に就いているばかりか、多くの部下を従わせ、命を預かる隊長の役目までこなしている。
数多の死線を潜り抜けてきた恭也をもってしても、クロノ・ハラオウンは大した男だと認めざるを得ない。
「君ならば、なのはを安心して任せられる」
「………はい!?」
クロノは大声を上げて、顔を赤面させる。
どうやら誤解をさせてしまったようだ。
〝これは悪いことをした”
確かに、先ほどの言葉は誤解を招いてしまっても致し方ないものだった。
「いや、そういう意味じゃない。まだ未熟ななのはを心身ともに立派にしてやれる教師兼上司として頼りにしている、という意味だ」
「あ、ああ……そういう意味ですか」
「なんだ? 別の意味であってほしかったか?」
「いえ! そんなことは!!」
「………冗談だ」
「恭也さん!」
トマトのように顔を紅くするクロノ。
その反応を見るに、あながち満更でもなかったか。これはこれで良い発見をした。
根が腐っているどころか、しっかりしていて、堅物かと思いきや冗談なども言える面白い男だ。顔も性格も申し分ない。これほどの優良物件はそうそうあるまいと確信している。
「まぁ、余計な世話というものか」
未だに熱さを保っている茶に口を付けながら、恭也は密かに唇を緩ませた。
…………
………
……
…
二人は一時間ほど、縁側でただのんびりとしていた。
リラックス状態の彼らは、まるで風景と同化しているように静かで、自然体だった。
「ところでクロノ。君は、何かしらの武術を身に付けているのか?」
しかしこのまま何もせず、時を経過させていくのも些か勿体無いと思ったのか、恭也はクロノを横目で見て前々から気になっていたことを問うてみた。
彼の歩行は若いながらも完成された無駄のないものだ。
恐らく、魔法使いでありながら武を学んでいるのではないかと恭也は考えていた。
「………ええ。大方の武術は師匠二人に叩き込まれているので、それなりには」
そっけない問いにクロノは少々気恥ずかしげに答える。
魔法という力に頼り切らず、武道を嗜んでいる彼に恭也は関心を覚えた。
これは興味深い。
「………なら得意な武術は何だ?」
「近接格闘術に、槍術、棒術ですね」
「面白い………ここはひとつ手合わせをしてみないか?」
好奇心旺盛な言葉に、クロノは乾いた笑いが漏れる。
もし自分が「断る」と言えば、彼は「そうか」といって引き下がるだろうが、エミヤに「只者ではない」とまで言わせた高町家の人間の強さに興味がないと言えば嘘になる。
「………いいですね。先ほど思う存分ゆっくりしましたし、身体を動かすには丁度いいです」
「結構。では、道場に移動しよう」
「分かりました」
…………
………
……
…
道場に着いたクロノはまず初めに自分の肉体に合う木製の槍を借りた。
長さは二m。重さも軽すぎないので、自分が扱うには実にベストな得物だ。
久遠は道場の端に避難させておいて、巻き添えを喰わないようにしておく。
クロノは握り具合、重さ、リーチなどを再確認して軽くその槍を振るってみた。
床を踏みしめ、魔力強化を持ち入らず素の筋力のみを頼りに槍術の基本動作を行う。
無駄な力は抜き、しなやかさを重きに置き、されど一撃一撃には人を打倒しえれるだけの鋭さを宿らせる。
軽快なステップに槍が風を断つ音が良い音色を奏でている。武術の達人である恭也も彼の演舞に目を釘付けにさせていた。
「………よし」
肢体の何処にも問題はなく、槍の扱いも良好と言えよう。
「準備運動は終えたようだな」
「はい」
「もう少しばかり鑑賞してみたかったが………続きは実戦で堪能させてもらおう」
小太刀二刀を握り締め、恭也は構えを取った。
“―――流石、武術に長けている強者だ。隙があまりにも少ない”
戦闘経験なら管理局所属の魔導師の数倍に匹敵するクロノであっても、容易に踏み込めない鋭い剣気。意識を乱されかねない確かな覇気。そしてそこいらの次元犯罪者などとは比べ物にならないほどの闘気が彼にはあった。
しかし怖気づいてはいられない。自分とて数多の強者と命の取り合いをしてきた男だ。どれほどの兵であろうと、弱腰などになどなりはしない。
“相手が攻めてくる気がないのなら、こちらから攻めるまで”
幸いにも多くの武に精通した輩が身近にいたクロノにとって、恭也のような武人は決して不慣れた相手ではない。
クロノは怖気づくことなくダンっ、と床を蹴り、槍の間合いまで詰める。
「っふ―――!」
大地を踏み締め、肉体の重心が乗った鋭利な刺突を放つ。
木製の槍から放つ突きとは言えど、直撃すれば唯では済まない初撃。
狙いは無論、急所の一つである心臓。
相手の実力など測るまでもない。力をセーブした一撃など放つ意味などない。
高町恭也に対して、手加減など命知らずの行動に他ならず、しようものなら剣豪たる彼を侮辱することを意味する。
―――ガァンッ!!
全力の突きを右手の木刀で容易く短刀で弾いて見せた恭也。
かなりの重量を捧げた一撃だったのだが、エミヤと同じように簡単にあしらわれる。
“ッ、来るか!”
槍の勢いを真っ向から殺され、弾かれたクロノを恭也が黙って見ているわけがない。
彼は槍の間合いに何の恐れも無く入り、強烈な一撃を与えるべく木刀を振り上げ、そしてとてつもないスピードで振り下ろした。
その動きに無駄は無く、最小限の動作で最大限の力を引き出せる理想的な型だった。
まさに才能だけではなく、経験と努力が上乗せされた極上の一太刀だ。
それと同時に、エミヤシロウの剣術と同じく人殺しの臭いがした。まるで幾人もの人を殺めてきたような、そんな危険な香り。
“やはり高町家の人間は、どこか常識を覆すモノを持っているな”
クロノは美しい曲線を描いて迫る木刀を見据え、弾かれて軌道を乱された槍を瞬時に防御に移させる。
それに伴う筋力は相当なものだが、魔導ばかりに依存せず、日頃から肉体鍛錬を惜しまず続けてきたクロノの腕力なら何の問題もない。
歪みの無い一太刀をギリギリ槍の胴で防ぎきったクロノは、素早く後退する。
あの間合いは剣士の独断場だ。槍使いの自分では分が悪い。
唯でさえ地力で劣っているのだ。相手の優位な状況で戦ってはならない。
「良い動きに善い判断だ」
恭也は賛辞を送ると共に、後退するクロノに追撃をかける。
刀と槍とでは見た目通り間合いが違いすぎる。
武具の優劣だけで言えばクロノの槍の方が優れているだろう。
されど、素の身体能力ではクロノの方が明らかに劣っている。ましてや恭也は魔力という力など一切頼らず、己の力のみを極めてきた武人。魔法を織り交ぜて戦う戦闘スタイルを獲得し、扱ってきたクロノとでは格が違いすぎる。
故に力量差が離れていることは痛いほど理解できる。理解できるが―――降参する理由にはなり得ない。
「能力で劣っているからといって、簡単には負けられない………!」
どれほどの実力差があろうと、絶対に勝てないと断言できるほど絶望的な状況ではないのも確かだ。それにまだ試合は始まったばかり。僅かな勝機を逃さず、掴み取る気概で行けば自ずとチャンスは現れる。
クロノは槍を巧みに操り、目にも留まらぬ連撃の突きを近づいてくる恭也に見舞う。
昔 エミヤが披露した槍兵の力の一端よりも遥かに劣っている業だが、並の達人程度なら十分通用するレベルだ。
しかし相手は唯の達人ではない。あのエミヤが戦わずに、一目で認めた剣豪なのだ。この程度の業に屈するタマではない。
クロノの予想通り、彼は二刀の木刀で連撃突きを全て捌いてみせた。
分かっていたが、こうも当然のように対処されると少し傷つく。
「槍の死角、踏み込ませて貰う」
「させませんよ………!!」
刀の間合いまで踏み込まれたら恭也の勝利は確実なものとなる。
槍の間合いに恭也を抑え込み続ければクロノにも勝機が生まれる。
小太刀二刀と槍の攻防は時間が経つにつれて激しさを増していく。
獲物がぶつかり合うごとに周囲に響かせる音はより大きく、衝撃波も高まりを魅せる。
どちらも退かず、長時間打ち合っているというのに手を緩めようとしない。
緩めたら最後、敗北するだろうと理解しているが故に。
“なんて剣速だ………!”
次から次へと放たれる無数の剣戟。それを必死にクロノは対処する。
二振りの刀は手数が多い。その上、一撃の重さが半端ではない。
今こうして打ち合えているのは、常日頃からエミヤと手合わせしていたからだろう。
「ッ…………!!」
計200以上の剣戟を終えたところで、クロノは恭也の一太刀によって後方へ吹っ飛ばされた。
「チィ!」
なんとか直撃は避けれたが、衝撃までは防げない。すでに青年まで肉体が成長しているクロノの体を宙に浮かせれるほどの一撃だ。防いだからといって無傷で済むはずがない。
〝まったく、これが唯の人間だというのか?”
陸戦魔導師のレベルに換算すれば間違いなくエースクラスの戦闘力だ。
あんな化け物に真正面から、ましてや魔法も頼らず勝ちに行ける人材など自分の知る限りでは三名ほどしか名が出てこない。
「ふぅ………流石、なのはの上司だな。初戦でここまで粘るとは大したものだ」
息切れを起こしているクロノに対し、恭也は全く呼吸を乱していない。
「見たところ限界が来ているようだな………どうする、降参するか?」
「―――まさか。僕は、なのはと同じくらい、負けず嫌いなんですよ。決着がついていないのに負けを認めるなんて、絶対にしない」
未だに勝てる見込みが見えないから敗北を認める?
まだ粘れば勝機を見出せるかもしれないのに降参する?
そんな考え、まったくもってナンセンスだ。
意識があるかぎり負けはしない。勝機が無いにしても生み出せる可能性がある。
ならば、挑まない理由はない。
「………ならば、もう出し惜しみはすまい。俺の全力の籠った一撃、受けてみろ」
「望むところです」
恭也から放たれる闘気が先ほどまでとは比べ物にならないほど高まりを魅せた。
純粋な殺意ではないが故に、恐ろしく澄んでいる圧力。
“かなりヤバイのが来る”
肌に突き刺さるような嫌な予感。
今から披露しようとしている恭也の業は、生半可なものではない。
それこそ実戦で使われる類の……本気の一撃とみた。
「くうん………!!」
あれほど熟睡していた久遠も、道場内に立ち込める大きな気を感じ取り、目を覚ましてまっさきに己が主の身を按じた。
「大丈夫だ、久遠」
久遠を落ち着かせるために、優しい声で言うクロノであったが、ぶっちゃけそんな言葉は気休めでしかないと自覚していた。
嗚呼、この胸を抉られるような圧迫感、緊張感は久しぶりだ。
「―――行くぞ」
恭也から放たれるドスの利いた声。無表情なところも相まって恐ろしい。
クロノは全神経を尖らせ、警戒を最大限に高める。
どのような業でも、絶対にまともに受けてはならないと脳に言い聞かせる。
しかし―――そんな警戒は、まるで意味を成さなかった。
「あ―――――?」
刹那、高町恭也は己の視界から姿を消した。
ありえない。転移魔法を使ったわけでもあるまいし、人が消えるなどという出鱈目な現象が起こってたまるものか。
いったい何処に、と口にする前に、クロノの体は崩れ落ちるかのように床に倒れ伏した。
まるで何が起こったのか、頭が理解するよりも早く、彼は打ちのめされたのだ。
◆
暗くなっていた視界が鮮明に彩られ、暫く時間を置いたらやっと意識が回復してくれた。
まだ意識がハッキリしていないが、今自分は高町家のリビングのソファーで横になっているようだ。しかも掛け布団まで掛けられている。
「…………ぐぅ…
クロノはズキズキと痛む頭を抑えながら、朦朧としている意識を正常な状態へと安定させる。
先ほどから酷く痛んでいる箇所が頭となると、恭也の一撃は頭にヒットしたと断言していいだろう。
丁寧に頭には包帯が巻かれている。よほど強く打たれたようだ。
「なんだったんだ、あれは…………」
思い出すは無様に完敗した己の姿。
あれほど警戒していたというのに、まるで恭也の動きに反応できなかった。
“エミヤといい、恭也さんといい、言峰といい、地球人は出鱈目な人間が多すぎる”
過去この97管理外世界に対して驚かされたことは数知れず。
そして今日も、見事に驚かされた。
「………っと。呆けてばかりではいられないな」
ここに訪れた時間帯からだいぶ時が流れている。
自分が意識を失っている間、恭也さんに心配をかけさせてしまった可能性も少なくない。
手合わせ、そして治療のことを含めて礼を言わなければ。
「――――へ?」
ソファーから立ち上がろうとしたその時、なんとも言えない違和感が自分の膝元から感じられた。
なにか柔らかいものが、自分の膝元に覆いかぶさっている。そして何処と無く暖かい。そう、まるで人の体温のように。
クロノは恐る恐る、自分に掛けられていた掛け布団を剥がしてみた。
「すぴー…………」
「くうん…………」
「………なんでさ」
相棒兼親友が口癖にしていた言葉を、この時ばかり、クロノも発した。
何故か久遠となのはが自分の膝元で寝ている。いや、久遠は分かる。だがなのははどうして。本当になんで?
「なのははずっと気絶した君の傍にいた。心配だから、とな」
困惑して止まないクロノに助け舟を出したのは、今このリビングに入ってきた恭也だった。
「恭也さん………なんだかげっそりしてません?」
「………うむ。少しばかり、なのはの説教を受けてな」
聞けば一時間ほど正座をさせられ、その上愛する妹から辛辣な言葉責めを受けたそうな。
『いい年した大人が、それも達人と言われる人が、年下相手を気絶させるほど打ちのめすなんて非常識なの!!』
ぷんすかと怒りながら説教するなのはの姿は安易に想像することができ、恭也の身に降りかかった不幸をクロノは同情した。
「なんていうか………すみません」
「いいや、クロノが謝罪するのは筋違いというもの。あの時、俺は君の想像以上の強さに熱くなってしまっていたからな。つい加減することを頭の中から放棄していた」
「手加減されることの方がよほど辛いですよ。それに貴方は出し惜しみをしないと宣言して、僕もそれを嬉嬉として受け入れた。恭也さんが怒られることなんてなかった」
「………そう言ってくれると助かる。傷の具合はどうだ?」
「まったく問題ありません」
「………そうか」
木刀で頭を打たれるよりも、銃弾やら魔弾やらをこの身に幾度も受けた痛みの方が何倍も辛い。それに比べれば、この程度の鈍痛などそう気にするものでもない。
「それにしても、恐ろしいものを魅せて頂きました。良い経験になりましたよ」
己の目が捉えきれず、あたかも消えたように見えたあの動き。
何をされたか理解する前に、意識を奪われた刹那の出来事。
あれほどのことをやってのけた目の前の男に、クロノは好奇心、畏怖、そして敬意などの感情が籠められた瞳で見る。
「なに、アレはうちの流派を最強たらしめる奥義でな。多大な負荷を体に掛けるが、一瞬だけ、『人』の限界を超えうることが可能になる」
「………そんな、ことが」
「流派の奥義故にそうそう披露するものではないが、クロノなら使っても問題ないと……俺はそう確信した」
まっすぐ、クロノを見据える彼の瞳。
クロノは、大きく頭を下げる。
「………また、手合わせをお願いしても構いませんか」
「ああ、構わない。気が済むまで、いくらでも相手してやる」
この後、クロノと恭也は再度手合わせを開始した。
無論 恭也の全戦全勝。そしてクロノの全戦全敗。
一試合繰り返すごとにクロノはボロボロになっていくが、決して彼は諦めることなく挑み続けた。そして最終的に、なのはが試合を止めるまで二人はやり続けた。
ズタボロになってアースラに帰還したクロノを見た武装隊のメンバーは、『高町家の長男は妹萌えな男で、なのはに手を出そうとする男を完膚無きまでに叩き潰す強者』という大きな誤解を密かに生むのであった。
・リリカルおもちゃ箱でのクロノ(原作)と恭也って本当に血の繋がってない兄弟って感じがしますね。リリカルなのは版の二人の場合は、どうなるんだろうと思いながら50話を執筆しました。
・このSSの恭也とクロノは良好な師弟関係っぽいものになりそうです。