竜騎を駆る者   作:副隊長

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20話 不穏な気配

「準備はどうだ?」

「万全です。何時でも出れます」

「ならば、良い」

 

 副官のカイアスに尋ねる。戦である。その準備ができているかを尋ねた。返事は想定通りのモノであった。復帰してより、麾下には自ら調練を行っていた。新人の育成を任せられていたと言う事もあるが、強くなるためには必要であった。それ故、麾下達は常に臨戦態勢の様なものだったのである。何よりも、長である自分が、戦を求めていた。自分の麾下たる竜騎兵の戦闘態勢が整っているのは、当然と思えた。直属の部下と言うのは、自ら鍛えるモノである。指揮官の気性に似るのは、道理なのだ。それが悪い事だとは思わない。寧ろ、必要な要素である。

 

「アンナローツェとは、事を構えた事がありませんな。どれほどのものなのでしょうか」

「知らん。が、新たにアンナローツェの軍を指揮する竜人がいるようだ。敗戦続きの対ザフハ戦線が、その将軍の台頭により、持ち直したと聞く。あのアルフィミア・ザラ相手にだ。中々面白そうな相手だとは思わないか?」

 

 副官の言葉に、思いを馳せる。アンナローツェ王国。古くからザフハと事を構えていたが、アルフィミアの台頭と、王の戦死により、かつてない程の窮地に立たされていた。新たに王位についたのは、若き王女だった。マルギレッタ・シリオス。前王は賢王だった言う噂ではあるが、その娘とは言え、所詮は小娘である。このままザフハにのみ込まれる。諸国はそう見ていた。だが、現実にはザフハとの戦線が再び膠着していると言えた。件の龍人であった。名を確か、リ・アネスと言ったか。マルギレッタ・シリオスの命により、アンナローツェの総騎長についた人物であった。その総騎長が、蹂躙されるはずであったアンナローツェを立て直したと言える。それ程の人物だった。

 噂を聞いていた。どれほどの人物なのかを想像すると、心の内側が騒めいた。あのザフハを相手に、戦線を持ち直したのだ。一廉の人物なのだろう。容易に想像できた。鼓動が高鳴る。楽しみで仕方が無かった。何といっても、龍人である。人と龍。人半身と、蛇の半身を持つ種族であった。人より強靭な肉体を持ち、人の及ばぬ英知を持つ者達である。人間よりも遥かに強い種族であった。その力は並の人間どころか、獣人を以てしても及ぶ事は無く、知と勇を兼ね揃えていると言える。そんな種族であり、一国の王直々に、指揮官に任命されるほどの人物なのだ。それだけでも、強き者だと想像できる。ザフハにとって、そして俺たちユン・ガソルにとっても、最大の敵となり得る人物であろう。

 だからこそ、楽しみであった。相手は、強者なのだ。強さを求めていた。それ程の人物と刃を交える事になる。そんな想像をするだけで、心が躍るのだ。熱くなる血が、確かな生を実感させるのだ。自分は、何度刃を交える事ができるのだろうか。龍を冠する者との闘争を、ただ夢想する。本拠に居て尚、戦いの事に意識が向いている。ふと、笑みを浮かべている事に気付いた。

 

「将軍は、いつも通りのようですな」

「そうだろうか?」

 

 副官が、苦笑を浮かべながら言う。知らず知らずのうちに笑みを浮かべていた。正面いるこの男には、それが良く見えたのだろう。また始まったと言わんばかりの表情を浮かべていた。

 

「はい。とても楽しそうな笑みを浮かべておられました。此れこそが我らの主、竜騎将。そう思いますよ」

「仕方があるまい。実際楽しみで仕方が無い。それが俺なのだ。事を構えると決まった日から、未だ知らない強い者と戦える事に、子供の様に思いを馳せているのだよ」

 

 楽しみなのだ。自分がどれ程戦えるのか。どこに至るのか。それが知りたかった。他には何もいらない。

 

「だからこそ、将軍らしいのですよ。ユン・ガソルに来て、将軍は少しだけ変わられました。ですが、本質は揺らいでいません」

「私は変わっただろうか?」

「少しだけ」

 

 カイアスは、メルキアに居た時から自分を知る男だった。だからこそ、その言葉にはある種の重さがあった。王や三銃士達とは別の位置にある、信頼だった。麾下の筆頭である。愛馬の次に、命を預ける者なのだ。同じ筈が無かった。

 

「お前が言うのならば、そうなのかもしれんな。だが、それだけだ。俺は、強く在れれば良い。誇りさえ護れれば良いのだよ」

「何処までも、将軍らしい言葉です」

 

 自分にはそれだけで良かった。身命を賭し、王に仕える心算であるが、それとは違う次元の話であった。それは、俺が心より求めるモノなのだ。そう告げると、カイアスが笑みを浮かべた。

 

「無駄話が過ぎるな。準備ができていると言うのなら、調練に割くか」

「御意。直ぐに集めましょう」

 

 カイアスが兵を呼びに行く。自分は何処まで行けるのか。そんな事を思った。

 

 

 

 

 

 

 

「正面から来るだけでは、芸が無い」

「ぐ、まだまだっ! リプティー!」

 

 短く呟き、ダリエルの剣を右手の剣で弾き、崩れたところでその腹に向け右足を振り抜く。ダリエルは呻き声を漏らすも、その場で持ちこたえた。そのまま俺の足を掴む。普段ならばそのまま吹き飛ぶところなのだが、歯を食いしばり堪えていた。出陣が近くなっていた。彼女等にとっては初陣だ。だからこそ、調練に気合も入るのだろう。ダリエルを囮に、側面から奇襲をかけるリプティーを見ながら思った。

 

「解ってるよ、お姉ちゃんっ」

「放つと良い」

「っ、その余裕、今日こそ崩す」

 

 リプティーが剣を振りかぶる。右足はダリエルがしっかりと掴み、その場から動く事は難しかった。ならば剣で受け止めればいいのだが、今回はあえてやらない。軸足に体重を移し、両足に気を充分集中させた。

 

「当てまっ!?」

「なぁっ」

 

 来る。そう思った時、一気に右足をダリエルごと振り抜く。左方からの奇襲であった。自分とリプティーとの間にダリエルが入るように調整する。重心を深く落とし、ダリエルは備えていた。だが、女性であり、未熟である。体重も軽い方であった。経験も体格も不十分である。ダリエルを足だけで動かすのは、それほど難しい事では無いのだ。

 刃が奔る軌跡の先。其処に姉が入ってきたことに動揺し、リプティーの剣筋が揺らぐ。其処につけ込むように、左手で刃を掴み、ダリエルの首筋に押し付ける。同時に右手の剣をリプティーの喉元に向けた。

 

「お前たち二人は、軽い。私と正面からやるには、まだ早いな」

 

 二人の首元に向けた剣を離し、告げる。そもそも弓兵である。剣は本職では無い。だからこそ、相手になる訳は無いのだ。それを敢えて二人の調練として、課していた。弓に関していえば、態々俺が口出しする必要などないのだ。二人ともそれだけの才は持っている。

 だからこそ、直接相手をする調練は、剣での組み手が多かった。二人とも弓を扱う指揮官ではあるが、俺の指揮下にいる限り、弓騎兵である。ならば、剣を使い戦う事は多いのだ。それ故、剣術に重点を置いていた。尤も、騎乗しての訓練は施していない。相手にならないからだ。

 

「ぐぐ……。また負けたぁ! なんで勝てないのよ」

「いや、お姉ちゃん。ユイン将軍にそんなに簡単に勝てる訳ないよ。未だって、すごく手加減されてるし」

「それぐらい、解ってる。だからこそ、良い様にやられる自分に腹が立つのよ」

 

 あしらったところで、ダリエルが声を上げた。それにリプティーが困ったように応じる。彼女が言うように、ある程度加減はしていた。そもそもこちらの土俵である。全力で相手をしたら、調練にならないのだ。何の収穫も無いまま、調練で死に続ける事になる。その程度の実力差はある。しかしそれでは意味が無い。だからこそ、力を抜く事は必然であった。とは言え、力を抜いているだけであり、本気で相手をしていないわけではない。手を抜きつつ、全力で相手をする。そんな妙な戦い方をしていた。

 

「まぁ、頑張ると良い。出来が悪い者ほど、可愛いものだ」

「うぐぐ……。ぜったい、絶対、倒す!」

「直ぐには無理だよぉ。ユイン将軍も、あんまりお姉ちゃんをいじめないでください」

 

 悔しがるダリエルに、追い打つ。実際、リプティーの方が剣術も使えるのだ。尤も、ダリエルが弱いと言う訳では無い。寧ろ、弓兵とは思えない程度には使える。が、それ以上に妹が優秀なのだ。先ほどの調練において、姉が囮で妹が本命なのもそう言う訳である。それがまた、ダリエルの負けず嫌いに拍車をかけるのだろう。性格上、ダリエルは叩かれて伸びるタイプであった。

 

「努力はする。リプティーの剣筋自体は中々よかった。改善点はまだまだ多いが、基礎体力をつけると良い」

「えっと、本当ですか?」

「嘘は言わんよ」

「やった、褒められた!」

 

 対してリプティーは褒められてやる気を出すタイプであった。何気なく告げた言葉に、嬉しそうに微笑んでいる。リプティーは姉より優れた才を持ち、たいていの事は人並み以上にできるが、それ故どこか情熱に欠けている印象を持つ。とは言え、姉と比べたらの話であり、人並みには向上心も持ち合わせている。それ故、妹の方は叩くのではなく、褒めて伸ばす方がよかった。

 

「……将軍、なんか贔屓してない。……ですか」

「贔屓はしていない。区別はしているがな」

 

 ダリエルが不満そうに言った。姉を厳しくし、妹を甘やかしている。そう見えるのだろう。実際、そんな感じである。ダリエルには悪いが、それが最適なのだから仕方が無い。とは言え、ダリエルに厳しくするのはある程度期待しているからである。そんな事は口に出さないが。

 

「やっぱり、あたしは将軍の事が嫌いだ」

「ならば、私に勝って見せると良い。何年かかるかは解らないが、な」

「絶対勝つ! 行くよ、リプティー!」

「うーん。まだ無理だと思うけどなぁ」

 

 ダリエルがそう漏らした。何処までも、負けず嫌いであった。それに微笑を以て答える。リプティーが困ったように笑っていた。

 

 

 

 

 

 

 

「此方に野営しておられる部隊の指揮官殿はどちらにおられますか?」

「私がそうだが、どうかしたのか?」

 

 調練が一区切りがつき、体を休めていたところに見知らぬ兵士が一人駆けて来た。見た事は無い顔だが、ユン・ガソルの正規軍の鎧を着ている為、他の部隊の人間だろうと見当をつけ、応じる。俺を目にした直後、肩で息をし始める。余程急ぎだったのだろう。そんな事を思った。近くにダリエルとリプティーがぐったりと倒れているが、特に気に留めるものでもない。立ち上がり、正面に立つ。生暖かい風が、頬を撫でた。どこからか、いやな気配が漂っているように思えた。馬笛を吹く。愛馬が直ぐに傍らにまで来た。兵士の呼吸が整うまでのわずかな時間、白夜の頭に手を添える。

 

「失礼しました。自分は、治安維持部隊の者です」

「ほう。それで、何があった?」

「は、はい。竜が、出ました」

 

 僅かに、目を見開いた。竜。ソレは、人間と比べ、あまりにも大きな存在だった。その鱗は刃を弾き、魔法すらも寄せ付けない程固く、その牙は、人の作る鎧など、いとも容易く穿つ。空を自由自在に駆る者もいれば、地を這うものも存在する。その分類は多種多様に及ぶ。単純な力においては、人の上を行く存在であった。

 それが現れたと言うのか。思わず、自分の天命に感謝してしまった。空を仰ぎ見る。頭上に上った陽が、透き通るような光を放っていた。右手を伸ばす。無論、陽など掴めはしない。だが、何かを掴んだ気がした。

 竜騎兵。自分はそれを率いる将であった。王の前で竜をも倒す騎兵を作り上げ、指揮すると宣言していた。その倒すべき相手が近くに現れた。そう考えただけで、身体が震える。体中を巡る血が、どくどくと、鼓動を上げるかのように激しく暴れ回るのが感じられた。気持ちが昂っているのだ。拳を強く握りしめる。それで、逸る気持ちを抑え込む。それでも、口元が吊り上がるのを抑えきれなかった。

 

「詳しい状況はどうなっている?」

「突如現れた雷竜(サンダードラゴン)一体と、その群れを構成する飛竜(ワイバーン)が数十体。この辺りに存在するはずの無い魔物の奇襲を受け、防戦状態に陥っておりますが、治安維持部隊はその名の通り、治安を維持するための部隊にすぎません。とても、雷竜程の魔物を相手に出来る戦力は保持しておらず、このままでは全滅も有り得ます。現状は何とか街への侵攻を抑えていますが、とても長くは持ちません。どうか救援を!」

「解った。カイアス。王へ伝令。事が事なだけに、事後承諾もやむを得まい。魔物に街を襲われたとなれば、国の威信に関わる」

「承知」

 

 兵士の言葉を聞き、即決する。ユン・ガソルの街が魔物に襲われている。それは、国として捨て置ける話では無かった。出陣の準備はとうの昔に整っている。兵を動かす事など、今すぐにでもできる状態にあった。不幸中の幸いと言うべきか、雷竜が現れたのは、王都近郊の町だと言う。何故そこまで近付かれるまで気付かなかったのかは疑問に残るが、そうも言っていられない。今重要な事は、魔物に街が襲われていると言う事であった。人は国の要である。人が居なければ、国は戦う事も出来なければ、守る事も出来ない。それどころか、営みを成し、生を育む事すらできないのだ。

 そして相手は、竜である。人よりも強く、強大な存在。並の将では相手にならない。だからこそ、動くのだ。自身の率いるのは、竜を狩る者達。ならば、誰よりも雷竜を相手にするのに相応しい。

 

「集結」

 

 麾下の一人から槍を受け取り、身体に水平に構える。騎帝の剣。抜き放ち、天に掲げた。同時に短く告げる。集合の号令が辺りに鳴り響く。間を置かず、散っていた麾下達が集結する。見事な速さであった。自分に与えられたのは、右も左もわからない新兵だった。それが、此処まで動けるようになった。ユン・ガソルどころか、中原諸国の兵と比べても、此処まで動ける部隊は無いのではないかと思わせる程の速さ。それを漸く手にする事が出来ていた。

 

「将軍、あたしたちはどうすれば良いでしょうか?」

「指示をお願いします」

 

 リプティーとダリエルが、俺に指示を仰ぐ。二人の率いる部隊も、自分の指揮下に組みこまれていた。それ故、俺が動くときは、二人が動くときでもあったと言う事だ。

 

「此れより、急行する。お前たち二人は、脱落者を出す事なく現地に辿り着き、街の防衛及び治安維持部隊の援護に当たれ。雷竜は、竜騎兵が落す」

 

 即座に指示を出す。考える余地などない。二人は調練を熟し、それなりに動けるようになっていたが、まだまだ未熟である。初陣も済ませていないにもかかわらず、竜と戦うなど、到底無理な話であった。個人としてならギリギリ及第点だが、指揮官としての経験が足りない。その為、ぶつかり合えば無駄な損害が出る。故に、二人が行うのは後方支援のみである。

 

「はい、解りました」

 

 リプティーが返事をする。その目に迷いは無く、俺の言う事に反抗の意思は無い事が感じられる。信頼されているのだろう。理由は解らないが、その事実が解れば十分だった。肩を並べるには未熟すぎるし背を任せるなど考えられもしないが、後方支援ならば任せる事が出来る程度には育っていた。

 

「将軍、あたしも共に連れて行ってください」

「お姉ちゃん!?」

 

 ダリエルが俺の目を見て行った。リプティーが驚きの声を上げる。当たり前である。先ほど出した指示に真っ向から逆らったようなモノなのだ。リプティーの驚きも仕方が無いといえた。ダリエルと数舜見つめあう。その瞳からは強い意志を感じた。雷竜が相手だろうと、無様は見せない。自分は戦える。それだけの調練を積んできた。そんな自信がありありと感じられる。確かに、指揮官単体の実力で見れば、それなりに戦えはするだろう。

 

「必要ない。竜騎兵を信じ、今回は任せると良い」 

「しかし、あたしたちの部隊を動かせば、より効率よく戦えるはずです」

「可能だろうな。だが、無駄な被害が出る。だからこそ、見ていろと言っている」

「大丈夫です。それができるぐらいに調練を積んできました!」

「知っている」

「なら!?」

 

 ダリエルが、連れて行けと食い下がる。彼女にとっても、初陣であると言えた。今回の敵は、雷竜である。新人指揮官率いる新兵が相手に出来る手合いでは無いのだ。ダリエルはその意味を分かっていないのだろう。人を殺した事も無い新兵に、竜を宛がう。それがどれ程酷な事なのか、解っていなかった。

 

「必要無いと言っている。足手纏いを連れては、勝てる勝負も勝てはしない」

「なぁっ。あたしが、足手纏いですって?」

「必要ない、と言った。自惚れるなよ、新人。貴様など、取るに足らん。数にすらならん半人前だと言っているのだ。いたところで、他者の足を引き摺るだけだ」

 

 素質はあるだろう。だが、圧倒的に経験が足りていない。だからこそ、容赦などしない。無駄死になど、させる心算は無いからだ。軍人は殺す事が仕事であり、死ぬことが仕事である。だが、同時に死なない事も仕事なのだ。気が強く負けず嫌いな娘であった。今連れて行けば、ダリエルは死ぬ。そんな確信があった。

 

「あたしは――」

「お姉ちゃん!」

「リプ、ティー?」

 

 尚も言い募ろうとするダリエルを、殴り飛ばすかと左腕を軽く上げたところで、鋭い声が上がった。妹のリプティーである。普段のおっとりとした彼女からは想像できない程の覇気を感じた。ほう、っとため息が零れる。才があるとは思っていたが、俺の予想の上を行くかもしれない。根拠は無いが、そう直感した。

 

「お姉ちゃん。将軍が、必要無いって言ってるんだよ。私たちは将軍の指揮下に居るんだから、勝手なこと言っちゃだめだよ?」

「う、それはそうだけど」

「解ってるなら、ちゃんと従わないとだめだよ。ソレとも、ユン・ガソルに牙を剥くつもりなの?」

「そんな訳ないでしょ! あたしは、ユン・ガソルの人間なの。だから、絶対に裏切らない」

「うん、解ってるよ。じゃあ、将軍の言う事は聞かないとだめだよ」

「……解ったわよ。すみません、ユイン将軍。出過ぎた事をしました」

 

 姉妹同士の会話に耳を傾ける。俺にすら反抗的なダリエルだが、流石は姉妹と言ったところか、リプティーはダリエルの痛いところを突いていく。彼女らは、ユン・ガソルの貴族の出だと聞いていた。それ故、ユン・ガソルへの忠誠は類を見ないモノがある。其処を的確についていた。他のものの言葉ならば揺らぐ気事は無いだろうが、ダリエルと同じ生まれのリプティーの言葉だからこそ効いたのだろう。二人の関係は姉が引っ張っていくものだと思っていたが、それだけでは無いのかもしれない。

 

「ダリエル。此方を向き、歯を食いしばれ」

「はい」

 

 右手を軽く上げ、告げる。何をするのか解ったのだろう。ダリエルは、瞳を閉じ、歯を食いしばった。

 

「っ!?」

「これで、許そう。配下の指揮を執れ」

 

 乾いた音が鳴り響く。ダリエルの頬を、打った。それで、終わりだった。

 

「はい」

 

 ダリエルはこちらの目を見て、静かに頷いた。それでこの件は終わりだった。

 

「行くぞ、敵は雷竜。相手にとって不足は無い。我らが武威を、見せつける」

「応!」

 

 麾下にに号令を出す。地の底から響き渡るような、雄叫びが上がる。傍らにいた、二人の指揮官がわずかに驚くのが解った。戦場に出る者達の本当の気炎。ソレに呑まれていた。呟く。だから、半人前なのだ。そう思った。

 

 

 

 

 

 

 天空を、蒼が駆け抜ける。直後に雷光が煌めき、地を這う者達に、その威を示す。兵たちは、鎧を纏い、弓を以て迎撃に当たるも、早すぎる蒼の前に成す術も無く、雷をその身に受け、崩れ落ちる。怒号が響き、砂塵が舞う。風が吹き荒れ、雷が迸る。辿り着いた治安維持部隊の支える戦線は、崩壊直前と言った惨状であった。

 

「弓騎兵は?」

「後方にて、接近中。脱落者も出る事は無く、駆けているようです」

 

 俺の質問に、副官は短く答える。竜騎兵と弓騎兵では、錬度が違っていた。行軍速度が合わないのは、最初から解っていた事である。だからこそ、麾下だけで先行していたのだ。弓騎兵が遅れていることについては、何の問題も無かった。

 

「ならば、良し。此れより、竜騎兵は戦闘を開始する。相手は雷竜だ。竜を狩る者達にとって、相応しい獲物と言えよう」

「全くですね。では、号令を」

 

 カイアスの言葉に、右手に持つ槍を天に掲げる。久方ぶりの、戦場なのだ。そう思うと、鼓動が高鳴るのが抑えられなかった。笑みを浮かべる。体が、気が、愛馬である白夜のソレと、溶け込むように一つになっていくのを感じた。人馬一体。それが自身の持つ最高の武器であった。調練の時も惜しむ事無く用いているが、戦場で発揮するソレは調練で行う時と比べ、どこか違うように感じる。命を燃やしているのだろう。命を預ける相棒の鼓動を、はっきりと感じる事が出来ていた。

 

「敵は、雷竜。天を駆り、雷を制する者だ。その力は、先ほど見ての通り、強大である。だが、我らの敵では無い。所詮は、獣だ。行くぞ。天から、引き摺り落とす」

「応!」

 

 右手に掲げていた槍を振り降ろし、号令をかける。騎馬が駆ける。治安維持部隊とぶつかり合っていた雷竜を頂点とする群れに、側面から襲撃をかける。

 

「構え」

 

 短く告げる。直後に音が鳴り響き、全軍に合図が届く。竜騎兵全体が、弓を構える。風を追い抜き、駆け抜ける。治安維持部隊から、咆哮が上がるのが解った。援軍。竜騎兵の出現に、指揮が上がったのだろう。そんな事を思った。

 

「落とせ」

 

 言葉と同時に鳴り響く音。引き絞られた弦が一斉に解き放たれ、矢が空を貫く音だけが響き渡る。すべての麾下が、一呼吸置く間に、三矢を放った。一瞬の間に放たれた千を越える数の矢。空を黒く覆い、雷竜率いる群れに、降り注ぐ。防戦一方だった守備兵が、歓声を上げた。

 

「次射、用意。前列、構えろ」

 

 言葉と同時に、騎帝の剣を抜き放つ。騎馬を駆る者の為にだけ作られた魔剣であった。その力は、加護を与える。その魔力を、迸らせる。

 

「カイアス、銃撃後、前列を率い駆け抜ける。指揮は、任せる」

「有象無象は、お任せください。将軍は、雷竜を」

 

 騎帝の剣に魔力を注ぎながら、副官に告げる。それで充分なのだ。

 

「原野を駆ける我らが意思に、竜をも破る峻烈なる加護を」

 

 魔剣の力、解き放つ。首元に巻かれた真紅、淡い光を放っていた。麾下全体にその光が広がり、竜騎兵全体の圧力が増す。我らが道を阻む事など、できはしない。そう思える程の魔の奔流が、辺りを包み込む。その圧力を最大限に活用したまま、雷竜に向け、一直線に駆け抜ける。

 

「放て」

「――!?」

 

 号令と共に、風と霹靂が駆け抜ける。後列が放った矢と、前列の放った魔導銃。二種の射撃が、雷竜に襲い掛る。魔導銃。竜騎兵の為だけに作成された、特別品であった。その威力は、通常の魔導銃とは比べ物にならない。竜の鱗すら穿つほどであった。先の射撃により、雷竜の下に集まっていた飛竜の群れを穿ち、雷竜までの道が開いた。雷竜もその身に数重にも渡る銃傷を受け、ふらふらと空を崩れ落ちるかのように、降りてくる。

 

「我が名はユイン・シルヴェスト。その命、貰い受ける!」

 

 愛馬を疾駆させ、最高速度に達する。相手は雷竜であった。知能を持つ、竜なのだ。何故ユン・ガソルに襲い掛かってきたのかは解らないが、倒すべき強き相手であった。その力に敬意を表し、名を告げた。そのまま渾身の力を振り絞り、右手に持つ槍を投擲する。魔力すらも用いて投げた槍、雷竜の翼を半ば引き千切る様に、穿った。翼の付け根から血を吹き出し、雷竜が地に堕ちる。

 

「――ッ!? ――――ッ!!」

 

 地に堕ちた蒼。その凄まじい衝撃に、砂塵が大きく舞う。右手に騎帝の剣を持ち替え、左手でもう一振りの魔剣を引き抜いた。白亜。限りなく白に近い灰色。淡い魔力を煌めかせる魔剣、構えた。体に活力が溢れるのを感じた。良い剣だ。そう思った。

 

「仕留める、二射用意!」

「応!」

 

 最高速度を保ったまま、背後をかける竜騎兵に告げた。魔導銃を用いた前衛。五十程の最精鋭が、風を切り追走する。全軍に銃を持たせることをせず、前列に複数の魔導銃を持たせていた。魔導銃は、魔焔と呼ばれる鉱石から力を抽出して、銃撃を放つ。そして竜騎兵の持つ魔導銃は、連射に向いているものでは無かった。今回の敵の規模は、大きい訳では無い。二つの事を考慮し、全軍に持たせることはせず、一部の兵に魔導銃を持たせていた。二射目の用意が整うのを見て、更に疾走する。雷竜が、立ち上がり此方を見るのが解った。竜の息遣いを感じる。同時に、粘り付くような悪意と、妙な懐かしさを感じた。顧みず、駆け抜ける。鐙から足を離し、鞍に足を掛ける。白夜に駆け抜けろと、呟き、軽く頭に触れた。

 

「――ッ!」

 

 咆哮。雷竜が俺に目掛け、その牙を以て襲い掛かる。口元が吊り上がるのを、隠せなかった。両の手に持つ魔剣、一度強く握りしめ、雷竜の瞳を見た。禍々しい色をしている。正気を失っているのだろうか。尋常では無い執念に似た何かを感じた。

 

「宣言通り、その命、貰い受けよう」

 

 迫りくる雷竜の牙。それを見据えつつ、その頭部に魔剣を振り下ろす。同時に鞍に掛けていた足に力を入れ、飛び上がる。振り下ろした騎帝の剣を支点に力を入れ、左手を振り下ろす。両の手に持つ魔剣を振るい、回転するかのように文字通り斬り抜ける。そのまま首から背にかけて一気に斬り進み、竜の鱗をいとも簡単に切裂いた魔剣が、その血を啜る。吹きこぼれる鮮血。全身に受け、指揮官用の外套を真紅に染めていた。身体が、血に染まった。その姿が自分らしい。戦いこそが、自分の置くべき場所なのだ。

 

「――」

 

 飛び上がり雷竜を斬り伏せた俺と、雷竜の下をくぐり抜けた白夜。一騎の在るべき場所が、再び重なる。雷竜の背から、白夜に飛び移り、離脱する。頭部から首をなぞり、背を何十と斬りつけていた。雷竜は、膝を着いた。それでも、咆哮をあげる様は、気高い。そう思った。

 

「終わりだ。放て!」

 

 騎帝の剣を天に掲げ、振り下ろす。その号令と共に、背後から駆け抜けていた竜騎兵が一斉に魔導銃を解き放った。砲身が唸りをあげ、雷鳴と錯覚しそうになるほどの轟音が辺りに響く。一斉に構えられた魔導銃。その銃撃が、蒼き体躯に入り込み、撃ち貫く。頭部を切り裂かれ尚倒れなかった竜、全身に魔導銃の斉射を受け、遂に地に沈んだ。

 

「全軍、聞け! 雷竜は竜騎兵が討伐した。残る有象無象を殲滅するぞ!」

「応!」

 

 それを横目に、告げる。柄にもなく、腹から力を出し叫んでいた。気炎が上がる。竜騎兵が、治安維持部隊が、雄叫びを上げていたのだ。口元にまでついていた竜の血を、外套で拭う。赤い血を、全身に浴びていた。むせ返るほどの血の匂い。それを纏っているにも拘らず、否、纏っていたからこそ、思った。自分の居場所は、戦場なのだ。強く在る事こそ、ユイン・シルヴェストの目指す道なのだろう。それ以外のものは、必要ないのだ。

 

「駆け抜けろ。竜を穿つ」

 

 参を乱して逃げていく飛竜を見、号令をかける。再び気炎が上がった。それを聞き、先陣を切る。全身に血の匂いを纏わせながら、駆け抜けた。一度だけ、咳き込む。少しだけ、血の匂いが広がった気がした。

 

 

 

 

 

「状況は?」

「掃討はほぼ完了と言ったところでしょう。現在も警戒はしておりますが、増援も到着しました。引き継げば、兵を戻せるでしょう」

「そうか、被害は?」

「負傷者が数名おりますが、竜騎兵の中からの死者は出ず。我が将ながら、凄まじい戦果です」

「誇って良い事だろうな」

 

 カイアスの報告を受け、短く答える。雷竜討伐。その直後に、仮の軍営を組み、辺りの警戒を行っていた。戦果として、死者が出なかったのは幸いと言えた。駐屯部隊にはかなりの被害が出たようだが、竜騎兵の消耗は殆ど無いと言ってよかった。満足しても良い戦果と言える。生暖かい風が頬を撫ぜた。何か、気に入らなかった。

 

「もう暫く、警戒」

「承知。引き続き、指揮を執ります」

「頼む」

 

 カイアスが退出する。やるべき事を成していた。

 一人になると、不快感が増した。肌にぬめり付くような気配。嫌と言うほど感じていた。だからこそ、言った。

 

「……出てきたらどうだ?」

 

 目の前には、何も居ない。だが、確実にいるのが解った。何度も味わった事がある、不快な感覚。それを感じていた。居るのである、何かが。

 

「オヤァ、バレェテイマシタカァ! サァスガ、ゆいん君デスネェ」

「……ノイアス元帥」

 

 ソレは、黒を纏っていた。否、黒に染まっていた。絞り出すように呟く。聞いた事がある、声。ソレは、かつて自分が使えていた人物の声音。間違える事など、ある筈がない。自身が使えると定め、守り切れなかった人物である。姿かたちは禍々しく変わり、不死者の様に、全身が干乾びてしまっているが、確かにノイアス・エンシュミオスだった。

 死したはずの主。だからこそ、王に降る事を良しとした。無論それだけでは無いが、ユイン・シルヴェストはかつての敗戦の折、ノイアス・エンシュミオスと共に死んだと定めたからこそ、『誇り』を曲げる事ができたのだ。その前提だった人間が目の前にいる。想定のしていない事態だった。

 

「オ久シブリデスネ。ゆいん君。ワタシガイナイ間、元気ニィシテイマシタカァ?」

「死しておりました。否、今も死んでおります」 

 

 以前の主の言葉に、ただ答える。ノイアス元帥が死んだとき、いや、直属の部下たちが死んだ時、ユイン・シルヴェストもまた、確かに死んでいたのだ。そして、今もまだ死んでいる。死んではいないが、死んでいるのだ。

 

「ソウデスカァ。トコロデ、ゆいん君。ゆん・がそるニツイタヨウデスガ、上手くヤッテイルゥヨウデスネェ! 貴方ノ上司トシテハ、ワタシモハナガタカイデスヨ!」

「……」

 

 返す言葉など、ある筈がない。姿かたちは変貌してしまっているが、相手は確かに以前の主である。そして自分は裏切り者なのだ。その事実を、胸に刻む。

 

「トコロデ、ゆいん君。貴方ハ、モウ一度私ノモトヘ戻ッテクル気ハアリマセンカ?」

「王を、裏切れと言うのですか?」

「ソウナリマスネ。シカシ、貴方ハモトモトワタシノ臣下ダッタハズデス。アナタノコトデス。ワタシガ死ンダトオモッタカラコソ、クダッタノデショウ? ナラバ、ワタシガイキテイルノナラバ、ワタシトトモニ来ルノガ筋デショウ」

 

 両の目を閉じ、ノイアス元帥の言葉を反芻する。確かに、自身は元々ノイアス元帥に仕えていた。好ましい人物では無かったとはいえ、死ぬまで支えると決め、仕官したのだ。そのノイアス元帥が死した事で、自身は王であるギュランドロス様に仕える事を是としたと言う事実は確かにあった。死する時まで、ノイアス元帥に仕えると決めていた。だからこそ、俺の答えは決まっていた。

 

「ソレは、できません。私は王を裏切れないのですよ」

「ナゼ、デショウカ?」

 

 俺の返答に、ノイアス元帥は不思議そうに尋ねた。本当に解っていないのだろう。声音だけでそれは解った。

 

「ノイアス元帥。貴方に仕えたユイン・シルヴェストは、既に死んだのです。今ここにいる男は、死人なのです。死んでいるが、死んでいない。ここにいる男は、そんな男なのですよ。貴方の部下は、既に死したのです」

「ダカラ、ワタシノ手ハ、トレナイト?」

「そうなります。何よりも、私から見れば、貴方は既に死んでいるのです。そして、今の貴方のその力は尋常では無い。それは、人の手に負えるものでは無い」

 

 ノイアス元帥の染まっている黒色。ソレは、並の力では無かった。禁呪の類なのだと言う事は、即座に解った。黒に染まっている。それだけで充分だった。

  

「ソウデスカ、貴方ニ期待シテイタノデスガ、非常ニィザンネンデス。ナラバ、ベツノ手ヲカンガエマスカ」

 

 ノイアス元帥は、にやりと不快な笑みを浮かべた。

 

「王に手を出すと言うのならば、私とて容赦はできません」

「ククク、怖イデスネ。デスガ、モット別ノハナシデスヨ。ゆん・がそるニハ手ヲ出シマセンヨ。イマノ貴方ト、マトモニヤッテモ勝テマセンカラネ」

「……ならば、話はこれで終わりと言う事でよろしいか?」

 

 剣の柄に手を添える。これ以上、話したくは無かった。

 

「エェ、充分デス」

「貴方は以前の主だった方です。できれば刃を向けたくはありません。今回だけは、見逃します。次は、ありません」

「オォ、怖イ! クク、マタ会イマショウ、ゆいん君!」

 

 そう言い、闇に溶け込むように、姿を消した。不快な気配が消え、思わずため息が零れた。メルキア帝国前東領元帥ノイアス・エンシュミオス。嘗て主と定めた人物と決別した。それだけであった。

 

「……裏切者か」

 

 呟く。自身を表すのに、これ程的確な言葉は無い。そう思った。




ノイアス登場。


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