竜騎を駆る者   作:副隊長

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8話 譲れないモノ

 目が覚めて、最初に感じたのは違和感だった。全身が気怠く、身体を動かすのも億劫に思える。このまま眠ってしまおうか。そんな事をぼんやりと考える。なんとなく左手を動かす。問題無く、持ち上がった。

 

「む……。ああ、そうか、私は敗れたのか」

 

 左手を動かして見て、気付いた。義手をしている左手に違和感を感じた。反応が、何時もよりも遥かに悪いのである。動かす事はできるが、思っている動作をするのに、間が一つ二つ空いてしまっていた。生活するだけならば不自由なだけで済むが、良いか不幸か、自分は軍人である。つまり、戦う事が仕事なのだ。これはまずいな。そう、思った。どうも、思考がうまく纏まらなかった。

 

「ん……。あ、……、ふぁぁ、ん、起きた、のか?」

「おや、貴女は」

 

 傍らで、可愛らしい欠伸が聞こえた。動くのも怠く、頭もいまいち回らないため、視線だけで声の主を見る。金色の髪が特徴的な可愛らしい獣人の少女が、床に膝をつき、寝台に上体を覆いかぶせるようにして、此方を見ていた。寝起きなのか、しょぼしょぼと瞳を擦りながらこちらを見てくる様は、素直に愛らしく思えた。そうか、この娘は生き残る事が出来たか。ならば、勝負には負けたが試合には勝つ事ができていた。麾下達を先行させ、自身が単騎で戦鬼の足止めをした甲斐があった。そう、思えた。

 

「あの……、傷の具合はどうだ?」

「傷、か」

 

 少女――名を確かネネカと言った。――は俺の様子を見詰めながら、どこか遠慮がちに聞いてきた。言われて、自身の状態を確認してみる。全身が気怠く、熱い。何をするのも億劫である。そう感じる。特に腹部に感じる熱は凄まじく、熱さとも痛さとも取れない感覚が続いていた。思考もどこか霞がかったように定まらず、ぼんやりとしている。左手は既になく、変わりにつけている義手は、戦鬼との戦いでどこか痛めたのか、反応が悪い。もしかしたら、そのうち動かせなくなるかもしれない。そう思った。右腕は、動かす事は可能だが、少しばかり痺れが残っている。とは言え、他に比べればマシであると言える。

 

「最悪、と言ったところだ」

 

 静かに告げる。自身の体は今、最悪と言っても差支えない程の負荷を負っていると言えた。情けない。素直にそう思った。相手は戦鬼ガルムスであった。勝てないまでも、良い戦いならば可能だろう。そう思って挑んだ。結果は、文句のつけられないほどの、敗北であった。自分の力を過信していたつもりは無かった。だが、驕っていたのかもしれない。敗北を喫した時点でようやくソレに気付く事が出来た自身の愚かさに、嫌気がさした。

 とは言え、収穫が無かったわけでは無い。今はまだ届かなかったが、決して届かないとは思わなかった。敗北を喫したが、真の意味で負けた訳では無かった。誇りはまだ、失ってはいないのである。ならば自身はまだ戦える。そう、思った。

 

「……そう、か」

 

 俺の言葉を聞いたネネカが、絞り出すように言った。獣人特有の獣の耳が、へたりと垂れており、尻尾も力なく項垂れている。戦鬼ガルムスと刃を交える事が出来たのは、僥倖だったと言える。だが、それは俺の都合であり、彼女はそう思っていないのかもしれない。自身はネネカを助けるために戦鬼に挑み、敗れた。直接的な原因を作った自分を責めているのかもしれない。そんな事をぼんやりと思う。何か言葉をかけてやるべきなのだろうが、気の利いた事は言えないのが、自分である。ただ、瞳を閉じた。

 

「傷が、沢山あった」

 

 ネネカが、絞り出すように言った。目を閉じたまま、言葉にだけ意識を移す。沈んだ声音であるが、負傷した身体には、どこか心地よく感じる音であった。

 

「お前が運び込まれて、衛生兵の下に連れて行ったとき、服を脱がせた。お腹に受けた深い傷が目に入った。ちが、沢山出てたんだ」

 

 戦鬼ガルムスに斬られたモノだろうか。切り札を切り、愛馬と共に全力を尽くし、負けた。誇りを賭して挑んだ。それでも、負けた。相手はそれほどの漢であった。その漢と武を競い合わせられた事は、大きな収穫であり、自身を見詰め直す、転機であった。

 

「言葉を失った。けど、それは血を見たからじゃないんだ。傷が、多すぎた。背中や肩、腕や腿、左手なんか、無かった」

 

 センタクス敗戦の時や、それ以外の戦いでの傷だろう。自分が弱かった故にできた傷であった。だが、恥とは思わない。その傷を負うほどの出来事があったからこそ、今の自分の強さがある。傷を負わされた事については恥じ入る事もあるが、傷を負った事に関しては恥に思う事は無い。傷は勲章と言うが、そのとおりである。そう思えた。

 

「中には、包帯の上から赤くなっている傷も見えた。ネネカたちと出会った時から、怪我をしてたんだろう。出会った時は解らなかったけど、衛生兵と一緒に見てそれに気付けた」

 

 傷を癒す暇など、無かった。動けるだけ回復すれば、王に軍の調練を施す許可をもらった。眠っている時間など、惜しかった。麾下の多くを死なせた。そんな自分は生き残った。王には感謝しているが、麾下を死なせた自分の弱さは、許す訳にはいかなかった。それ故、強さを求めた。無論それだけでは無い。それは、自分の在り方であった。敗北し、生き残ったことで、強さを求める理由がより強くなったのである。だからこそ、身体を癒す時が惜しかった。自身の体が時を必要とするならば、自身の手足となる麾下達を強くするのが、何よりも必要だったのだ。そして彼らは、期待によく応えてくれたと思う。目の前にいるネネカ救出と言う面で見れば、文句の付けどころのない結果を出す事が出来たのだから。

 

「そんな体だったのに、どうしてお前は戦えた。どうして、ネネカが勝てなかった戦鬼と渡り合う事が出来たんだ?」

 

 それは、純粋な疑問だったのだろう。静かに聞いてくるが、どこか切実な思いが感じ取れた。

 

「譲れないモノがある。命と同じぐらい、もしかしたら命以上に大事だと思える、それ。それを守るためならば、何も恐れる事は無かった。だから、私は戦えたのだよ、ネネカ・ハーネス」

「ソレ、って言うのはなんだ?」

「誇り」

 

 瞳を開け、気怠い体を動かしネネカの目を見て伝える。腹部が、熱く脈打ったのを感じた。

 人には、誰しも譲れないものがあると思っていた。だから、それを守る為に戦った。そう、伝えたつもりである。上手く伝わっているかは、解らない。だが、それで良いと思った。伝わるかは解らないが、自分は譲れないモノのために戦った。その事実だけは残るだろう。ならば、それで良いのだ。

 

「少しばかり、疲れた」

「傷が、響くのか?」

「大じょ――ッ、ごほごほ」

 

 最後まで言葉を紡ぐことができなかった。咳が漏れた。ソレを比較的自由の利く右手で覆うように隠す。

咳は直ぐに止まった。右手を見る。僅かにだが、紅く染まっていた。戦鬼との戦いで、臓腑まで被害を受けたのだろう。口の中から、鉄の味が広がっていた。ならば、体調の悪さは鎮痛薬が効いているのだろう。そう思った。口元についた血を、手で拭う。

 

「くく、大丈夫では無いようだ」

「……ごめん。ネネカの所為で」

「謝る必要などない。戦場で皆が成すべき事を成した。だが、恩義を感じると言うのならば、いつの日か、私が窮地に陥った時、助けて貰えると有りがたいな」

 

 戦場で、誰かを助けると言うのは当たり前の事であった。余力が無い場合は別だが、その余力があったのだ。だからこそネネカを助けた。それは、恩義を感じる事では無い。そう思うが、自分とネネカはそもそも所属する国が違っている。一時的にだが同じ旗の下に戦った。それだけであり、本来は別の者を主と戴くのである。だからこそ、気にするのだろう。それ故、妥協案を出した。果たす時など来ない。そう思うが、ネネカを納得させるにはそれで良いと思った。

 

「解った。ユインが危ないときは、ネネカが助けに行く」

「期待させてもらおうか」

 

 ネネカの言葉に満足できた。瞳を閉じる。少女がどのような顔をしているのか解らないが、暗い表情では無いだろう。そう思えた。

 

「すまないが、休ませてもらう。流石に、疲れたようだ」

「ああ、解った。ゆっくり寝てくれ」

 

 傷を負ったまま長く語った。体の外にも内にも傷跡が残っている。ソレを癒さねばまともに動けないだろう。そう、思った。動けるようになるまで、少しでも気を充実させよう。そう思い、瞳を閉じた。身体が熱い。だが、それは生きているのだ。ならば、恐れる事は無い。そう、思った。

 

 

 

 

 

 

「これは、予想外の方がおられる」

「すまない。用があったのでな、着てしまった」

 

 目を覚ますと、人の気配を感じた。少し体を動かす。先ほどの様な気怠さは無かった。ただ、体が熱い。生きているのだ。ソレを実感した。視線を移す。アルフィミア・ザラが佇んでいた。言葉を交える。

 

「用とは?」

「そうだな。その前にまずは現状を話そう。ザフハはメルキアに敗北し、ヘンダルムを放棄しクルッソ山岳都市方面まで後退した。とは言え、この地で勢いに乗った戦鬼率いるメルキアを迎え撃つのは難しく、グラントラム大要塞まで下がらざる得ないかもしれないな」

「そうでしたか。申し訳ありません。大口を叩いておきながら、自分は何も成せませんでした」

「そんな事は無いさ。戦鬼から、ネネカを救ってくれた。負傷こそしたが、部隊自体もほぼ無傷だった。戦鬼を相手にしてそれ程の成果を出した。と考えるべきだと思う」

 

 本題に入る前に、現状を伝えられる。結局予見した通り、ザフハの戦線は崩され、敗走に追い込まれたと言う事であった。解っていながら、その状況を覆せなかった。情けない。素直にそう思った。アルフィミアは成果を出したと言うが、それだけではダメなのだ。成果を出したとしても、国が滅べば意味などない。ザフハの敗走は、そのままセンタクスへの脅威を防げなかった事に繋がる。それは、自身にとって敗北だと言えた。

 

「それでも、敗れたのです。私はそう思う事にします」

「ふふ、お前は頑固な男なのだな。それならそう思っておくと良いさ」

 

 アルフィミアは苦笑しながらそう言った。過ぎた事であるが、敗北したと言う事は自分に知らしめる必要がある。そう、思っていた。頑固ととられるのも仕方が無いのかもしれない。

 

「ならば、私はセンタクスに戻って、メルキアに備えなければなりませんね」

 

 現状を聞いたところで、すぐさま次にすべきことを考える。幸い、ヘンダルムはセンタクスの隣である。現在地はどちらかと言えばクルッソ山岳都市の付近であるが、麾下ならばその速さを以て容易く通過できると踏んでいた。先の戦で、自分の部隊はどの部隊よりも早いと言う事が、実感できたのだ。多少危険ではあったが、そうする事でセンタクスでの決戦には間に合わせる事が出来る、そう見当をつけていた。

 

「それは、無理だろう」

「何故でしょう?」

「センタクスは既に陥落している」

「な、に……?」

 

 故に、アルフィミアの言葉に思考の隙を突かれたかのように固まった。目の前の女は何を言っているのだ、思考の間隙を突いたその言葉に、思わそんな言葉を零しそうになる。だが、アルフィミアの目は冗談を言っているようには見えなかった。

 

「……真ですか? エルミナ様が、既にメルキアに敗れたと?」

「そうだ。キサラでは無く、ディナスティから出た部隊の奇襲により、奪還されたと言う報告を受けている。何よりもユン・ガソルの王から直接書簡が来たよ。状況が変わったから、ユインを早急に戻してくれとな」

「見せて貰えますか?」

「構わんよ、コレだ」

 

 アルフィミアから書簡を受け取る。

 

「確かに、本物のようですね」

 

 確かにそこには、自身を招集する旨が書かれていた。そしてザフハ領を通過し、レイムレス城塞に拠る様にとも綴られている。

 すぐにアルフィミアに書簡を返す。あまりの事で、情報が足りなかった。だが、一つだけわかったことがある。三銃士の一人である、エルミナ様が敗れ、王が我が力を必要としている。ソレが、事実であった。ソレが解れば、動くのには充分である。

 

「アルフィミア様、短い間ですが、お世話になりました」

「行くのか?」

「行かぬ理由がありません」

 

 寝台から立ち上がり、告げた。僅かに、視界が歪んだ。血が足りないのだろう。そう思った。アルフィミアは、そんな俺の言葉に、少々驚きながら尋ねてくる。愚問であった。自分は軍人であり、主がその力を求めているのだ。動かないと言う選択肢など、ありはしないのだ。

 

「戦鬼と交戦し負傷をしたと言う事を含めて、書簡で伝えてある。傷を癒してから発っても、大丈夫なはずだ」

「お心遣い、感謝いたします。ですが、嫌な予感がするのです。そうしなければ、取り返しのつかない事になる。それ程の予感が」

「言うだけ、無駄だろうか?」

 

 アルフィミアが少し困ったような顔をしながら言った。

 

「でしょうね。私は軍人なのですよ、アルフィミア様」

「そうか、そうだろうな」

「失礼します」

「せめて、武運を祈るよ」

 

 そして背を向け、歩き出す。視界がまた、一瞬黒く染まった。だが、直ぐに元に戻る。体調は、万全では無かった。戦鬼とやりあった直ぐ後なのである。悠長に回復を望める状況でもなかった。眠りから覚めた後も、気を貯め続けていた。それ故、倒れる事無く進む事はできる。それならば、問題などなかった。

 

「駄目だ、行ったらダメだぞ!」

 

 入口から勢いよく、ネネカが入ってきた。眠りにつく前、少しだけだが言葉を交わらせた少女であった。その娘が此方に向かって歩を進めてくる。手を振り上げた。

 

「ネネカ?」

 

 アルフィミアが不思議そうな声を上げた。以前のアルフィミアの言葉といい、この二人は仲が良いのだろう。そう、思った。

 

「……ッ」

 

 頬をぶたれた。左頬に僅かな痛みが走り、全身に衝撃が伝わる。三度、視界が暗転した。崩れ落ちる、そう思った。ソレを、気力を振り絞り、堪えた。やがて、視界が広がる。ネネカが俺を睨み付けていた。

 

「全然力を入れずに、叩いた。戦鬼と戦ったお前が、それぐらいも避けられないわけがない。それなのに、避けれなかった」

「……」

「そんな体で、何ができるんだ!?」

 

 ネネカが、瞳に涙を溜め叫んでいた。僅かな痛みと、焼けつく様な熱が、全身を包んでいた。彼女の言う通り、傷は深いのだろう。そう思った。

 

「それでも、行くのだ。主が、私を求めている。ならば、例えどのような状況であろうと駆けつける。それが私にできる事であり、成すべき事なのだよ」

「そんなの、おかしい。死ぬかも知れないんだぞ。それもお前の言う、誇りなのか?」

「そうなる」

 

 静かに告げる。ネネカは、更に声を荒げた。だが、意思を変える事は無い。これは自身の誇りなのだから。敵に敗れざる事であり、味方に敗れざる事であり、自身にすら敗れない。それが、『誇り』なのだ。故に、誰が何を言おうと考慮するに値はしない。顧みる必要など、無い。その生き方が俺であり、ユイン・シルヴェスト足り得るのだ。だからこそ、ネネカの言葉で意思が揺らぐ事は無かった。

 だが、少しだけ、ほんの少しだけだが情けなく思った。自分などの所為で、目の前の少女を泣かせた。傷を負うほど自分が弱くなければ、こうはならなかった。自分の弱さが、情けなかったのだ。

 

「ネネカ」

「……何だ?」

「また、会おう。次は、戦場以外の場所で」

 

 それだけ告げて、ネネカの傍らを通り過ぎる。短い付き合いだった。それなのに自身の事で涙を見せた。戦場では勇敢であり、果敢であった。だが、戦場以外では、面倒見の良い、心優しい子なのかもしれない。そう思った。そんな娘を、泣かせた。そして、顧みる事すらもしない。ソレが、俺なのだ。気の利いた事をいえなければ、言う気すらない。そんな男なのである。どうしようもなく、弱い。苦笑が漏れた。

 

「ッ、お前は、馬鹿だ。大馬鹿だ……」

 

 ネネカの泣きそうな声が聞こえた。ソレに応える事無く、天幕の外に出る。自分にはこの少女に応える言葉など、無かったのだから。

 

 

 

 

 

 

「行くぞ、カイアス」

「御心のままに」

 

 天幕の外で控えていた副官に、声をかける。居るのは解っていた。メルキアに居た頃から麾下であった、数少ない男。自分の最も信頼できる部下であった。

 

「肩を……」

「すまない、な」

 

 この男と麾下達の前では、虚勢など張らずとも良かった。ありのままの自分でいられるのだ。

 

「カイアス」

「何か?」

「私は……弱いな」

 

 だからこそ零れた、弱音。心を許せるからこそ、ソレを漏らせた。

 

「将軍は、強いですよ」

「そうかな?」

「あの、戦鬼にすら退かなかったのです。弱い訳がありません」

「そう、在りたいものだな」

 

 肩を借り、麾下達の前に姿を見せる。皆、此方を見ている。麾下達五百の野営地。この場こそが、自分の居場所なのだ。そう、思った。

 

「具足を、頼む」

「ここに」

 

 真新しい、漆黒の鎧。目の前に届けられた。ソレを、ゆっくりと時をかけ、身に着ける。麾下達に、自分の状態を解らせるためであった。全てを身に纏い、真紅の布を首に巻き付ける。血の匂いが、広がった。視界、一瞬途絶えた。しかし、倒れる事は無い。両の足で、その場に立っていた。

 

「戦鬼、ガルムスに敗れた。そして、ザフハすら敗れた」

 

 そのまま、言葉を紡ぐ。体が熱を放っている。特に腹部の違和感が強い。

 

「そして、センタクスすらも陥落したと聞く」

 

 告げた。流石に麾下達にも動揺が走った。数舜だけ騒めくも、誰ともなしに声を上げ、皆が黙り込んだ。自分やカイアスが態々声を上げずとも、動揺を打ち消せるほどに成長していた。口元が吊り上がる。強く、なったのだ。

 

「傷は深い。だが、王に招集された。我らの力が必要だと、そう言われているのだ。ならば、倒れている暇など、ない」

 

 麾下達は殆ど無傷と言ってよかった。言いつけを守り、キサラの兵とは直接ぶつからなかったのだ。故に、行軍するのに何の問題も無い。漆黒の騎馬隊。その力を十分に振るえる。そう思った。一度天を見上げた。星が出ている。美しい、星空であった。

 

「……行くぞ。王が呼んでいるのだ。動く理由など、それだけで十分なのだ。駆けに駆け、センタクスの借りを……返すぞ!」

「応!」

 

 愛馬。飛び乗り、その手綱を取る。視界が、紅く染まった。

 

「ッ?!」

 

 短く、咳が零れる。喀血。右手に熱いものが広がっているのを感じた。愛馬が、嘶いた。寂しげであった。すまない。そういう思いを込め、一度頭を撫でた。愛馬の全身が震えた。この身を案じながらも、我が意を汲んでくれているのが、解った。

 

「将軍」

「言うな、カイアス」

 

 副官が、此方を見て告げた。副官であるが故、自分の体の状態を麾下の中でも一番良く知っていた。それ故、言葉を遮る。

 

「……解りました」

「すまんな」

 

 この男もまた、俺の意思を汲んでくれた。相棒だけでは無く、部下にも恵まれた。何かを言いたそうにしながらも、黙って此方に従う姿を見てそう思った。この男がいれば、自分が倒れたとしても麾下達が崩れる事は無い。そう、思えた。

 

「ですが、全てが終われば。王に頼み込んででも、安静にしてもらいます」

「ふ、お前も言うようになった」

「将軍に鍛えられたのです」

 

 カイアスの言葉に両目を閉じ、にやりと笑いながら返す。それに副官も当然の如く答え、後方に控えた。自分には勿体ないぐらいの副官である。目を閉じたまま、全身に気が充実するのを待つ。直ぐに、準備は整った。

 新たな槍を、水平に構える。それだけで、麾下達が縦列になった。見なくとも気配だけでそれを知る事が出来た。ゆっくりと、歩き出し、やがて全軍が駆け始める。馬上、身体が揺られた。腹部を中心に全身が、痛いほどに熱くなっていた。傷は癒えてなどいない。とりあえずは塞いだだけであり、熱を放っていた。

 熱い。全身が熱いのだ。だが、それは自身が生きている証しでもある。生きているから、血潮が滾るのだ。そう考えれば、心地の良い熱さだった。

 

「駆けに、駆ける。俺に遅れる事は、恥と思え!」

「応!」

 

 声を上げる。気が、全身が、昂っている。叫ぶことすら厭わない。

 少しだけ、咳き込んだ。暗くて見えはしないが、血が混じっているのだろう。そう思った。馬腹を蹴り、速度を上げた。身体が揺れ、全身が熱くなる。視界すら、紅く染まる。だが、狂おしい程の生を実感していた。自身は敗れたが、誇りは未だ、胸の奥に残っている。ならば、それだけで戦えるのだ。

 

「原野を駆ける我らが意思よ、竜をも破る峻烈なる加護を」

 

 魔剣、力を解き放った。真紅が淡い輝きを得ていた。漆黒の中を、真紅が煌めく。

 

「借りは返させてもらうぞ、メルキア帝国」

 

 呟いた。風を切り、麾下達と共に駆け抜ける。漆黒が、闇に溶けいるようにして、夜を越えた。 

 

 

 

 

 

 

 




次回、ついに我らが主人公、ヴァイスハイト登場(予定)!

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