倉橋家の姫君   作:クレイオ

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ハロウィーン

 

 翌朝、怜奈が朝食のイングリッシュ・マフィンを食べていると、正面にドラコが座った。

 

 「あー、その……おはよう、レイナ」

 

 「おはよう、ドラコ」

 

 怜奈がちらりと目をやって応えると、ドラコは嬉しそうに口角を上げたが、怜奈が再び目を伏せたので眉をハの字に下げた。ドラコは何度も皿と怜奈の間で視線を往復させ、怜奈がマフィンを食べ終わる頃にようやく決心して口を開いた。

 

 「……悪かった、レイナ。昨日の行動は、その、軽率だった。反省してるよ」

 

 目を上げると、ドラコは元々白い顔を一層白くしていた。隣でクラッブとゴイルが不安そうに成り行きを見ている。怜奈はナイフとフォークを置き、目を細めた。

 

 「――反省しているならいいわ。次からは気をつけてちょうだい。それより、早く食べないと授業に遅れるわよ」

 

 そう言って怜奈がオートミールを取り分けてあげると、ドラコはぱっと顔を赤らめて食べ始めた。それが子供っぽくて可愛らしく思え、怜奈はくすくすと笑った。

 いつものように梟が群れをなして郵便物を運んできた。マルフォイ家の毛並みのいい梟が小包を届け、ドラコはそれを開けるのに夢中だったが、六羽の大コノハズクが細長い包みを運んでいることに気付くと、他の生徒と同じくそれに興味を示した。コノハズク達がグリフィンドール、それもハリーに包みを届けたのでドラコは目を剥いた。そして伝言ゲーム形式で中身が箒だと知ると、親の仇を見るような目でグリフィンドールのテーブルを睨みつけた。

 ドラコはオートミールをかきこむと、まだ食べたそうにしているクラッブとゴイルを引っ張って広間を出て行った。怜奈がオレンジジュースを飲み終えて広間を出ると、ドラコがハリーとロンに突っかかっているのが視界に入った。止めようと思ったが、すぐに呪文学教授のフリットウィックが割って入ったので、怜奈は教科書を取りに寮へと戻った。

 

 毎日の課題をこなし、図書室の本を読み漁り、セブルスと放課後の個人課外を行っている内に、いつの間にか入学して二カ月も経っていた。

 ハロウィーンの朝、パンプキンパイを焼く甘い匂いが城中に漂っていた。地下にあるスリザリン寮にまで匂いが届き、澄ましていることが多いスリザリン生も目に見えて浮かれていた。日本では馴染みの薄いハロウィーンという行事が物珍しく、怜奈もこの日ばかりはドラコ達スリザリン生と「トリック・オア・トリート」と言い合い、お菓子を交換して子供らしく振る舞った。

 少し驚いたのは、わざわざリアンとセドリックが怜奈のもとに来て、にっこり笑いながら手を差し出したことである。

 

 「やあ、レイナ。早速だけどトリック・オア・トリート」

 

 「お菓子をくれなきゃ悪戯しちゃいますよ!」

 

 楽しそうな声音で宣言した二人に対し、怜奈はくすくすと笑いながらローブのポケットに手を入れ、二人の掌に鮮やかな色の紙で包まれたお菓子を乗せた。

 

 「さあ、今度は私の番ね。リアン、セドリック、トリック・オア・トリート」

 

 怜奈が手を手を出すと、二人は目を丸くした。しかし、すぐに口角を上げてそれぞれがお菓子の包みを取り出した。

 

 「レイナ様は持ってないと思ったんだけどなあ。日本にはハロウィーンの習慣がないみたいだし」

 

 「僕も、レイナは用意してないと思ってたよ」

 

 「確かに日本ではやっていなかったけれど、ここはイギリスですもの。郷に入っては郷に従えという言葉もあるし、残念だったわね」

 

 「ちぇっ、色んな悪戯を考えてたんですよ」

 

 「まあ、ひどい人。一体何をするつもりだったの?」

 

 怜奈がわざとらしく非難すると、リアンとセドリックが声をあげて笑った。

 

 夕食をとりに大広間に入ると、たくさんの蝙蝠が壁や天井で羽をばたつかせ、ジャック・オ・ランタンの中で蝋燭の火が揺らめいていた。

 

 「蝙蝠が食べ物の上を飛ぶって、少し不衛生だと思わない?」

 

 新学期同様、突然金の皿に現れたごちそうを取りつつ怜奈が眉を顰めた。ホグワーツの食事の度に思うのだが、大皿の上をふくろうが飛び交ったり、蝙蝠が急降下してきたり、怜奈としては衛生上の不安を覚える。

 

 「確かに、本家じゃ絶対にありえない光景だね。でも、魔法族ってヒルの絞り汁とか蜘蛛の足とかを入れた薬を飲むんだから、今さらじゃないかな」

 

 せっかくのイベントだからと連れて来た芒が、怜奈の呟きを拾って言った。それもそうか、と怜奈は深く考えるのをやめた。芒の言う通りだし、何よりドラコを始めとする他の生徒達が微塵も疑問に思っていない様子だったからだ。

 今日は実家から夕食が届かないため、怜奈はいつもより多く小皿に食事をよそった。芒にも適当な物を取ってあげる。ドラコがこれも食べるといいと薦めてくれたソーセージを咀嚼していた時、顔面蒼白なクィレルが大広間に全速で走り込んできた。普段はきっちり巻いてあるターバンがよれている。一体何事かと静まりかえる大広間の中央を突っ切り、クィレルはダンブルドアの席まで辿り着くと喘ぎながら言った。

 

 「トロールが……地下室に……お知らせしなくてはと思って」

 

 あまり大きくない声なのに、その言葉はよく響いた。言い切ると、クィレルはばったりと倒れて気絶してしまった。

 それをきっかけに、大混乱になった。あちこちで悲鳴があがり、生徒が立ち会った拍子に数多のゴブレットや皿がひっくり返った。スリザリンのテーブルでも生徒達が恐慌状態に陥っていた。

 

 「ト、トロールが!?なんてことだ!」

 

 怜奈の隣に座っていたドラコも例に漏れず、大きな悲鳴をあげたかと思えば、勢いよく立ち上がって髪を振り乱した。あまりの驚き様に呆れた芒が、ドラコを馬鹿にするように一鳴きして怜奈に擦り寄った。

 

 「怜奈、一体どうしたんだい?子供達は何に怯えているんだい?」

 

 英語のわからない芒が怜奈に日本語で問う。トロールという西洋の怪物が城内に侵入したのだと教えれば、芒はきゅっと目を細めた。

 

 「成程…ところで、そのとろーるという奴はどのくらい危険なのかな?」

 

 「知能は高くないから…そうね、体の大きい低級の鬼、といったところかしら」

 

 「ふむ、ではそれ程心配はいらないね。私一人で充分君を守ることができる」

 

 二人がそんな会話をしている内に、ダンブルドアが杖先から爆竹を放ち、生徒達を静かにさせた。

 

 「監督生達よ。すぐさま自分の寮の生徒を引率して寮に帰るように」

 

 ダンブルドアが重々しい声で告げると、各寮の監督生が声をあげた。スリザリンでも5年生の監督生が1年生を集めて、一番に広間から出ようとする。しかしトロールは地下室から侵入したようなので、スリザリン生は寮に戻らない方がいいのではないか。スリザリン寮は地下にあるというのに。怜奈が至極真っ当な疑問を抱きながら、それでも言われた通りに付いて行こうと芒を抱き上げる。いざとなれば、芒に頼んでトロールを倒してもらえばいいのだ。猫又の中でも上級種である芒にかかれば、トロールなんて一撃だろう。

 ふと何気なく教員席を見ると、厳めしい顔を突き合わせている教職員の中にセブルスがいないことに気付いた。不審に思った怜奈がさっと視線を滑らせると、彼は教員席の後ろにある扉から今まさに出るところだった。

 なぜ単独で行動するのだろう。ダンブルドアから密命でも下ったのだろうか。険しい顔で考えていると、唐突に過去の記憶が蘇った。――そうだ。すっかり忘れていたが、初年度のハロウィーンの夜、セブルスは怪我を負うのではなかったか。

 

 「ああ、どうして忘れていたのかしら!」

 

 怜奈は息を呑んだ後、小さく悪態をついた。本音が漏れたため、その言葉は日本語だった。芒がどうしたのだと尋ねる。怜奈はそれに答えず、1年生の集団からそっと抜け出た。皆が自分のことに精一杯で、怜奈が寮とは違う方へ走って行くのに誰も気がつかなかった。

 

 「どうして寮に戻らないんだい!?」

 

 「4階の廊下に行かなくちゃ。セブルスが怪我をしてしまうわ!」

 

 怜奈が芒の問いに答えたのは、4階へ続く階段を駆け上っている時だった。

 

 「怪我だって?」

 

 「ええ、詳しい説明をしている暇はないけれど、きっとあなたの封印を解くことになるわ。その時はお願いね」

 

 階段を二段飛ばしで駆け、姿の見えないセブルスを追う。そして、4階に到着した怜奈は呼吸を整えると印を組んで口を閉じた。陰陽術の一つ、隠形の術である。口を閉じている限り、術者は他人に視認されなくなるという、隠密行動には最適の術だ。

 足音と呼吸を殺し、怜奈は右側の廊下を慎重に歩いた。一つの扉が半分ほど開いていた。隙間から中を覗くことができ、大きな音と獣臭が漏れている。意を決して覗くと、部屋の奥に三つの頭を持つ大きな犬がいた。涎を垂らしながら、腹に響く大声で吠えている。何かに噛みつこうとしている。きっとセブルスだ、助けなければ。怜奈が芒の封印を解くために構えた時、芒が静かに爪を立てた。驚いて首を横に動かすと芒と目が合った。彼はすっと目を動かし、進んで来た方を見た。

 怜奈がその視線を追うと、そこに誰かが立っていた。特徴的な出で立ち――紛う事なく、それはクィレルだった。平時のおどおどとした様子は微塵も感じられない。顔には怒りが滲んでおり、忌々しそうに半分開いた扉を睨みつけていた。

 

 「スネイプめ、邪魔をしおって…!…しかし、まぁいい。『石』を守っているのが三頭犬だとわかっただけでも収穫だ」

 

 いつもどもっているのが嘘のように流暢に呟いたクィレルが踵を返した。

 怜奈はやっと、十年以上前に読んだ一巻の内容を思い出した。主人公ハリー・ポッターの宿敵ヴォルデモート。その依り代となっているのがクィレルだった。云わば、今年度の敵である。彼から漂う邪悪な気配はヴォルデモートのものだったのだ。

 全てを知った怜奈は深い溜息をついた。「石」とは即ち「賢者の石」のこと。セブルスはそれをクィレルに渡さないために、4階の廊下に向かったのだ。

 

 「はあ…憂鬱ね。とにかく、まずはセブルスを助けましょう」

 

 そう、何はともあれ当初の目的を果たさなければ。怜奈は新たに印を組み、芒の封印を解く呪文を唱えた。普段封じられている力が戻った芒の体が見る見る内に大きくなり、虎二周りほどある姿になった。これこそ、猫又である芒本来の姿である。それでも三頭犬より幾分小さいが、力や素早さは芒の方が何倍もある。

 

 「行くわよ、芒」

 

 「ああ、私に任せるといい」

 

 怜奈が声をかけると、芒は得意げに言った。

 勢いよく扉を全開にする。突然のことに三頭犬の動きが止まった。その隙をついて芒が飛びかかり、三頭犬の三対の頭の一つを鋭い爪で引っ掻いた。途端、三頭犬は甲高い悲鳴をあげてもんどりうつ。室内に入ると扉の影に隠れて見えなかったが、床に片膝をついたセブルスがいた。彼は驚愕に満ちた表情で、現れた芒と怜奈を交互に見つめた。

 

 「レイナ!どうしてお前が……!」

 

 「ああ、良かった。怪我はないようね。早くここを出ましょう」

 

 セブルスの言葉に答えず、怜奈は彼の腕を引いて廊下に出た。すぐに後を追って芒も飛び出す。怜奈は間髪を容れずに扉を閉め、杖を抜いて「アロホモラ」と唱えて施錠した。三頭犬が突進しているせいで、扉がガンガンと大きな音をたてながら振動している。しかし、強化魔法でもかかっているのか案外と丈夫で、扉が壊れる心配はなさそうだ。

 怜奈はほっと息を吐いて、まず芒を普段の姿に戻すために印を組んで呪文を唱えた。たちまち小さくなった芒がぴょんと怜奈の肩に跳び乗った。そして、今だ掴んだままだったセブルスの腕を離した。セブルスは眉間に深い皺を刻んでいて、大層立腹した様子だ。乱れた髪が、彼の形相をより恐ろしく見せた。

 

 「レイナ。寮にいるべきお前が、なぜこんな所にいる?」

 

 「最初は大人しく帰ろうと思っていたわ。でも、あなたが人目を盗んで大広間から出て行くのを見てしまったから、気になって尾行してみたの。ああ、誰にも見られていないから、その点は心配ご無用よ」

 

 わなわなと震えるセブルスの声を聞いて、怜奈は少し背筋が寒くなった。赤の他人ならば気にしないが、心を許しているセブルスに叱られた経験がない怜奈にとって、彼の怒りは恐ろしかった。それを誤魔化すために涼しい顔をしてみせる。

 セブルスは深く息を吐くと、表情を和らげた。これ以上咎めても無意味だと悟ったらしい。

 

 「……お前のお陰で助かった。あのままでは命も危うかったからな。今回の勝手な行動について、減点はしないでおこう」

 

 「ふふ、ありがとう」

 

 彼の怒りが去ったことを知り、怜奈は自然に微笑んだ。本来三頭犬に足を噛まれるはずだったセブルスが無傷な上、己も特に咎められなかった。怜奈にとっては最良の結果だ。

 

 「レイナ、念のために言っておくが、この扉の先で見たものは他言無用だぞ」

 

 「ええ、わかっているわ。藪蛇になんてなりたくないもの。セブルスこそ、あまり危険な行動はしないでちょうだい」

 

 そう言うと、セブルスは少しの沈黙の後「善処する」と答えた。はっきり約束しない辺り、怜奈の父・泰成と付き合う内に日本人特有の曖昧な表現を身に付けたのだろう。怜奈は仕方なさそうに苦笑した。

 

 「そろそろ寮に帰るわ。セブルスは早く他の先生方と合流して、トロール捜索にとりかかってね」

 

 「一人では危険だろう。私が送っていこう」

 

 「あら、平気よ。もしトロールに遭遇しても芒が撃退してくれるわ」

 

 「しかし……」

 

 「もう、大丈夫だったら。私は安倍氏流陰陽師でもあるのよ。どんな輩であれ、負けるはずないじゃない」

 

 猶も渋るセブルスを説得し、怜奈は地下にあるスリザリン寮に戻った。寮の談話室に滑り込んだ怜奈に気付く者は誰もいなかった。皆、パーティーの続きに夢中だったし、怜奈が気配を殺して静かに入ったからだ。自分ならトロールを簡単に仕留められると取り巻き達に嘯くドラコを横目で見ながら、怜奈はこっそりと部屋に戻った。

 

 




 芒は日本語しかわかりません。書き忘れてましたが、怜奈と芒の会話やその他日本人との会話は日本語で行われています。わかり易くするために鉤括弧を変えるべきだろうか…。

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