I.S.F インフィニット・ストラトス×Fate   作:ボイス

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「しっかし、士郎のヤツ……もう五日も経つのにまだ帰ってきてないのか」

「…………」

「…………」

 昼休み――

 昼食を摂る生徒たちで賑うIS学園食堂にて、自身もまた食事をしていた一夏は、雑談に興じていた中何気なく呟いていた。

 そんな彼の言葉に対し、同席していたふたりの女生徒――箒の箸は停まり、鈴の眉はピクリと僅かに反応する。

 一夏は対面する席に座り食事をしている幼馴染ふたりの変化に気づいた様子は見せていなかった。

「なぁ、検査って、そんなに時間がかかるものか?」

「……まぁ、検査って言ってもピンキリでしょ。わたしの『甲龍』で例えれば、専用機のメンテナンスとか、データ取りとか結構面倒くさいことはするもんよ。それに、衛宮は衛宮でいろいろと理由があんでしょ。時間がかかるってのも、それこそいろいろあんじゃないの?」

 公にて士郎が学園を離れている理由としては、専用機『アーチャー』のメンテナンスのためとされている。どこが開発したのかも極秘扱いとされており明かされていない。

 無論ではあるが、これは虚偽でしかない。本来の事実を知るのは極々僅かであり、鈴はその事実を知るひとりにカウントされている。

「そりゃまぁ、そう言われればそうだけれどさ」

「…………」

 然して取り合おうともしない鈴に軽く聴き流された一夏ではあるが、そういうものかと納得してか、それ以上士郎のことを口にすることはなかった。

 逆に、無言となり食事の手が停まっているのは箒であった。彼女は俯いた姿勢のまま。

 真横に座る鈴は相手の心中を容易に察しはするが口にはせずに。

「…………」

 一夏の状態がおかしいことに、箒、鈴ともに気づいている。否、正確に言えば、彼の記憶がおかしなことになっている、というのが現状であろう。

 どういうことなのか……?

 その話は、一夏が口にした五日前にまで遡る。

 

   ◆

 

 それは、医務室に隔離されていた彼は、眼を覚まして以降、第二アリーナでの出来事をなにひとつ覚えていなかったからだった。どうして自分が見慣れぬベッドに寝かされていたのかもわからぬ上に。

 身体の打ち身などは完全に癒されており、後遺症すら一切ない。『銀の福音(シルバリオ・ゴスペル)』戦時に負傷した状況と同じく――いや、それ以上に『白式』搭乗者たる一夏にはダメージが残ることもない。

 けろりとした態度のまま、一夏が箒と鈴、シャルロットの三人がたまたま居たところへ姿を現せたことに驚きはしたが、開口一番告げる内容は、更に彼女たちを驚かせるには十分だった。

「なぁ、何かあったのか?」

 ただただ、淡々と。

 その一言は、唖然と言うよりも呆れ、怒りすら箒は覚えることとなる。

 何を呑気なことを言っているのかと、常日頃、極力普段は温厚なシャルロットですらこの時ばかりは顔色が変わっていた。

「一夏……お前っ、何を言っているんだっ!?」

 冗談を口にするには度が過ぎている。もともと怒りの沸点が低い箒は語気を荒く。

「な、何だよ、箒……何って……箒こそ、何をそんなに怒ってるんだよ」

「お前っ――!」

「…………」

 掴みかかろうとする箒を割って入り、停めたのは鈴である。明らかに、どこか様子がおかしい一夏に対して訝しみながらも彼女は口早に告げていた。

「一夏、アンタ昨日何したか覚えてる?」

 当然のことながら、鈴は昨日の一件を問うているのだが。

 一夏は不思議そうな顔をすると、思い出すように口を開き――

「昨日? 昨日は授業が終わってからさっさと部屋に帰って寝てたぞ。すごく疲れてたからな」

「…………」

「……ちょっと一夏……さっきから、何、言っているの? それ以上は……僕もさすがに、本気で怒るよ……?」

 震える声音でそう洩らすシャルロットであるが、鈴は片手を挙げて制していた。余計なことを言うな、と示す。

「あ、そ。じゃあ、もうひとつ。何でアンタ、医務室に寝てたかは……わかる?」

「いや、それがおかしいんだよ。俺は自室で寝てたのに、起きて気づけばあそこだろ? 何だよこれ……ドッキリかなんかか? ラウラのイタズラにしては手が込んでて意味がわからないし。それと、何で包帯やら湿布やらが巻かれて貼られてんのかもわかんないんだよ。これじゃまるで、俺が怪我でもしてたみたいだろ?」

「…………」

 どこも怪我なんてしてないのにな、と零す相手に――鈴は無言だった。

 だが、我慢出来ずに口を挟んでこようとする箒とシャルロットに気づいた彼女は遮るように再度問いかける。

「最後にひとつ。アンタ、第二アリーナでのこと覚えてる?」

「はあ? 第二アリーナなんて、昨日実技で使用したか?」

「……本音って子に何したかは?」

「なんで、ここでのほほんさんが出てくるんだ? 彼女、なにかしたのか? ていうか、さっき彼女と会ったんだけれど、なんだか知らないけれど怯えたように俺を避けてるようなんだよな……俺、何かしたのかな?」

 そう応える彼に対し、箒とシャルロットは言葉を失う。ただひとり反応が違ったのは鈴だった。

「……あっそ。オッケー。いいわ。わかった。癪だけれど……()()()()()()

 言って、つかつかと歩み寄り、眼前に立つと――

 何の前触れもなく唐突に、鈴は一夏の頬を――容赦なく、それでいて力任せに――平手で張り倒していた。

 シャルロットがセシリアの頬を打ったものの比ではない。それ以上の強烈な一撃を物語る鈍い音が響いていた。

 あまりの衝撃に、思わず一夏はよろめくほどに。わけがわからず、じんじんと痺れるような痛みに加え、徐々に熱を帯びはじめる頬を押さえていた。

「な、なんだよ、鈴っ――お前っ、なにすんだよ! 俺が何したって言うんだよっ!?」

 まさか平手を見舞われるとは努々思っていなかった彼の抗議は当然であろう。しかしながら、鈴は悪びれる様子を微塵も見せずに、手をひらひらとさせては、冷めた眼差しに何食わぬ顔をしているだけだった。

「別に、今のアンタに意味もないわよ。ただ、あたしは心底ムカついただけ。それだけよ。それと、手前勝手なことだから一応謝っとくわ。悪いわね」

「なんだよ、それ……」

「わかんないんでしょ? なら、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。じゃあね。箒、シャルロット、来て」

 言って、ひとり踵を返し歩き出す鈴に――何が何やらわからず、左の頬にくっきりと紅い手形を浮かび上がらせ、ただ呆然と立ち尽くす一夏を尻目に箒とシャルロットは慌てて後を追っていた。

 駆け寄る箒は問いかける。

「待ってくれ鈴……どういうことだ、アレは……」

「どうもこうもないわよ、箒……アイツ、本気で言ってるわよ、アレ」

「だ、だからって、その、い、いきなり引っ叩かなくてもイイんじゃないかな……?」

「よく言うわ。わたしが手ェ出さなかったら、シャルロット、アンタが代わりにやってたクセに。さっきのアンタも横目で見てたけど、結構な顔してたわよ?」

「う……」

「それに、憎まれ役ってのは慣れっこよ。アンタよりは、わたしの方が適任でしょ」

 後の余談となるが、この件を知ったセシリアもまた同じように激昂することとなる。

 一夏を殴りつけようかと動く彼女を停めたのも鈴であるのは別の話となるが。

「……そ、それよりも、さっきのはどういうこと? まさか、覚えてないってこと?」

 後姿から見ても肩を怒らせて歩くのがはっきりとわかる鈴に追いつき、シャルロットもまた疑問をぶつけてくるのだが――

「そのまさかでしょ」

 鈴は面倒くさそうに応えるだけだった。

 だが、箒もシャルロットも信じられないといった顔をしていた。

「そんな馬鹿なことがあるか!?」

「箒、アンタがそう感じるのは、わたしも同じよ。でもね、いつもと変わらない馬鹿面したまま平然とベラベラ喋ってて、驚く通り越して呆れたわよ」

「ね、ねえ……考えたくはないんだけれど……一夏がウソをついてるってことはない、かな? 状況が状況なだけに、言うに言い出せないから知らないフリをしてるとか……」

「それはないわね」

 あっさりと、鈴はシャルロットの指摘を切り捨てる。

 その根拠を彼女は淡々と口にしていた。

「だいたい、アイツ嘘つくのが上手いワケでもないし。嘘をつく意味があると思う?」

「……開き直ってるとか」

「あの馬鹿が? それこそないわよ」

 あれだけの事態だったというのに、とぼけて見せているというのにも些か無理がある。いくらなんでも、そこまで一夏の人間性が腐ってはいないと信じているために。

「ま、仮に……もしも、もしもよ? もし、そうだとした場合、衛宮に怪我させときながら、後ろめたさを微塵も無くて、マジで知らぬ存ぜぬ決め込んでるんだとしたら、ただブン殴るだけじゃ飽き足りないわね」

「…………」

 鈴の説明を黙って聴いていたシャルロットではあるが、やはり彼女は彼女で釈然としない表情を浮かべていた。

「で、でもさ……やっぱり、それこそ言うに言えないからだとは思わない?」

「思わないわよ」

「……即答だね」

「まあね。悪いけど、わたしはアンタよりもアイツとの付き合い長いし。そもそも、衛宮のことを無かったことにしておきながら、わたしらの前に平然と居られると思う?」

「…………」

「そこまでの無神経さも計算尽くだっていうのなら感心するわよ。それに、箒」

 言って、鈴は面倒くさそうに肩越しに箒へと視線を向けていた。

「アンタも同じなんじゃない? アイツ、嘘をついているようには感じられなかったでしょう?」

「……ああ、鈴の言うとおりだ。少なからず、わたしにとっては、普段の……いつも通りの一夏に感じられる」

 箒にとっては違和感は拭えていない。

 今の一夏は、紛れもなくいつもの一夏であった。あの時の、憎悪に駆られ、敵意を剥き出しにした形を潜めている。まるで、憑き物が落ちたかのようにすっきりとしているのだから。

「そういうこと。幼馴染を舐めんなってところよ。変に取り繕うような態度はわたしらにとっては簡単にわかるモンなのよ」

 ファースト、セカンドといったふたりの幼馴染の言に、シャルロットは黙り納得せざるを得なかった。

 自分に持ち合わせていない繋がりを、このふたりは持っている。

 さすがに勝てないなと苦笑し、それらを理解した上で、今一度彼女は問いかける。

「……どうするの?」

 一夏の件を、と示すことに鈴はひとつ吐息を漏らす。

「どうするもこうするもないわよ。まずは……セシリアとラウラには伝えないとでしょ? セイバーとランサーに……本音と簪だっけ? あとは、葛木先生と織斑先生……山田先生、は不在か……とにかく、報告はしとかないとマズイことになると思うし」

「…………」

「特に、この件は葛木先生の判断を仰ぐしかないと思うわよ? 結果的にどうなるかもわかんないし」

「……冷静だね」

「そう見える? こっちもね、これでもいっぱいっぱいなのよ。第二アリーナの件はどういうワケだか記憶にない。挙句、本音って子に何をしたのかも覚えてないとかヌかしてんのよ?」

「…………」

 黙するシャルロットを気にせず、鈴は続ける。

「ウソを口にしてるわけじゃないわよ。あの馬鹿は、本当に昨日の放課後以降のことを綺麗さっぱり忘れてるのよ。それこそ、ご丁寧に模擬戦だけの部分をね」

「……何故だ? 記憶障害の類ということか?」

 模擬戦による頭部への怪我の後遺症により、記憶の混乱によるものかと勘繰る箒ではあるのだが。

「さあ? そこまではわかんないけどさ、わたしの手前勝手な推測だけど、その線は薄いんじゃないかと思うのよね。それに」

「それに?」

 訊き返すシャルロットに――そこでようやく鈴の歩は停まると、くるりとふたりへ振り返っていた。その顔には思いつめた表情を張り付かせて。

「あの馬鹿も、わたしらみたいに、なにかされたとは考えられない?」

「――っ!」

 その推測は、感情を操られた鈴であるからこそ。妙な違和感は、そのことを真っ先に思い知らせていた。

 シャルロットもまたその意見には異を唱えることができなかった。彼女もまた自分自身の感情を制御することができずに凶行に至ったのだから。

「……ねぇ、シャルロット……アンタ言ってたわよね? 衛宮に襲いかかってた時の一夏は、いつもの一夏とは違ってたって」

「…………」

 その言葉にシャルロットは言葉なく頷くのみ。

「そう考えると、つじつまが合ってくると思えるのよ。でも、これはあくまでもわたしの勝手な推測だから確証はないわよ。だけれど……一夏に衛宮を襲わせるメリットって何だと思う?」

「メリットって……互いに男の子だよね? 機体は専用機同士だし……傷つけて得られるものなんて、データと戦闘経験値でしょ? 後は――」

 呟き思案するシャルロットを他所に、鈴はメリットと口にしながらも自分たちが士郎に危害を加えた際のことも思い出していた。

 それこそ、自分たちが士郎を襲ったのは何のためかと。

(戦闘経験値は確かに驚かされたわよね……あれだけの数値が加算されてれば、遅かれ早かれ第二形態移行も現実になりかけるし……)

 自身の専用機『甲龍』が今回の件で得た戦闘経験値は、本来の模擬戦時で獲得する数値を凌駕するほどのものだった。彼女だけではない。セシリアやラウラ、シャルロットたち三人の機体も同様の現象を得ている。中でも飛び抜けていたのはセシリアの機体『ブルー・ティアーズ』である。

 そんな中、今この場で人一倍酷く顔色を悪くしているのは箒だった。さすがに鈴も彼女の尋常ではない表情に眼を疑っていた。

「――って、ちょっと箒! アンタ、顔色ヤバイわよ!? 大丈夫?」

「……いや、すまない……鈴の話を聴いていて、わたしなりに考えていたものがあったからな……なに、大丈夫だ。問題ない」

「…………」

 大丈夫どころではない。

 普段と明らかに――いや、どうにも此処最近の箒の様子は何かしら不審に鈴は感じていた。

 しかし、そう感じていながらも、敢えて彼女は追求することはしなかった。

 

   ◆

 

 彼女たちの間で、そんなやり取りがあったのだが。

 と――

 がたん、と音を鳴らし席から立ち上がるのは箒だった。

「…………」

 突然のことに一夏はぽかんとした――悪く言えば、間の抜けた顔をしていたことだろう――表情を浮かべていたのだが。

 どうかしたのかと視線を向けてくる彼ではあるが、箒は何か言うわけでもなく――視線を合わせようともせずに――器には未だ食べかけが残るままのトレイを手に持ち足早に駆けていた。

 それはまるで、逃げるかのように。

「……なんだ? 箒の奴、どうかしたのか?」

 問いかけてくる一夏の声を――無視し、鈴もまた席を立っていた。

「悪いわね。わたしら、先行くから」

「……あ、ああ」

 やはり鈴もまた彼と視線を合わせるでもなく、そそくさと席から離れていた。

 唖然とする一夏を残し、足早に歩く箒を追いかけた鈴は声をかける。

「箒、あんま無理しない方がイイわよ」

「…………」

 生徒たちで賑う食堂内。そんな喧騒の中、箒は立ち止まると振り返ることもなくぼそりと呟いていた。

「……鈴、わたしは、もう、耐えられない」 

 一夏が第二アリーナでの一件を何ひとつ覚えていない。加えて、知らぬとはいえ、平然としていられるなど見ていられない。

「アンタの言いたいことはわかってるつもりよ。でも、仕方ないじゃない。正直に言う? アンタが衛宮に怪我させたって」

「…………」

「葛木先生も言ってたでしょ。余計なことは何も言うな。何もするなって」

「だが……だからといって!」

 若干語尾を強める箒に、周囲の生徒たちの幾人かは何事かと視線を向けてくる。

 面倒くさいことを避けたい鈴は、彼女の腕を掴むと隅へと移動していた。

 周りを伺い、他に誰にも聴かれていないことを確認すると鈴は声を潜めて口を開く。

「……わたしだって思うことは当然あるわよ。納得だって出来てない。でも……それでもよ? 先生がそうしろって言う以上は、わたしたちは従うしかないじゃない。わたしらがどうなるかなんて、正直なところ、先生の匙加減で決まるんだし」

「…………」

「これが決してイイ方法だとは思ってもいないわよ? でも、先生の胸のうちひとつでどうとでもされる以上、どういう状況がベストとなるのかもわからなくなってるし……」

 織斑千冬を差し置き、今この現状を掌握しているのはキャスターである。

 鈴は一夏の状態を真っ先に彼女へ報告していた。

 内容を理解した上でキャスターから指示されたのは二点。以後何もするな、何も言うな、である。

 許可を得て話をしてもいいと括られた人物へ教えることは許されはしたが、内密にされる類のものは全て黙殺するように脅迫される。

 キャスターにしてみれば、全てを見入っていた者の中に箒がいたのは予想外であった。

 本来であれば、暗示でもかけて記憶消去でも施すのが手っ取り早いのであるが、律儀に士郎との約束を守っているため何もしていない。とは言えど、誤魔化せるところは誤魔化し、とぼけられるものは全てとぼけて見せ、知らぬ存ぜぬを決め込んではいるのだが。

 鈴がキャスターに逆らえない理由はもうひとつある。否、正確には『専用機持ちたちは』と言った方が合っているだろう。

 彼女は手首に視線を落としていた。そこには、普段あるハズのモノが存在しなかった。

 それは箒もまた同様に、()()()()()()()()()()

 専用機持ちたちのISは全てキャスターが押収していた。一年生はもとより、二年生、三年生が所持するものも。無論の事、箒の『紅椿』さえも同じく回収されている。

 唯一の例外は楯無が所持する『ミステリアス・レイディ』のみ未だ入手されていなかった。

 回収などと言い方は丁寧な響きを持つが、その実は、乱暴過ぎるやり方でしかない。

「箒さん……あなたが持っているISを、こちらへ寄こしなさい」

 事件のあった翌日の夜、他の人影が無く、セシリアと一緒に居たところへ現れたキャスターからISを渡すように告げられる。だが、最初はISを取り上げられることを拒んだ箒であるが、次の瞬間には彼女の身体は手近の壁に激しく叩きつけられることとなる。

「――っ!?」

 何をされたのか、何が起こったのかと理解する暇もなく、箒は声を詰まらせるのみ。

 見えない何本もの手で――しかしながら確実に、首を、腕を、腹を、脚を押さえつけられている。

 抗い手足を動かそうにも動かせず、声を出そうにも言葉が出ない。

「――――」

 それは、居合わせたセシリアさえも声を漏らすことはできなかった。キャスターが一切触れることもなく、突如として箒の身体が浮き上がり、横薙ぎに壁へと叩きつけられる様を目撃させられているのだから。

 そんな中、然したる表情の変化を見せないキャスターは静かに歩み寄っていた。

「聴こえていなかったようだからもう一度言うわ。ISを、こちらへ渡しなさい」

 淡々と告げる相手に――

「――――」

 しかし、箒は首を本当にごく僅かに左右へと振っていた。

 拒否を示したことを知るや否や――

「そう」

 にこり、と微笑んだキャスターではあるが、刹那に状況に変化が生じていた。

「――ッッ!?」

 がくんと箒の首は虚空を見上げる形へと変わる。

 喉を締め上げる不可視の手の力が増していることを物語る。

 眼は見開かれ、喉は仰け反り、顔は窒息による呼吸困難により見る見るうちに赤くなっていく。

「別に、素直に渡す気が無いのならそれでも結構よ。あなたを殺して奪うだけだから」

 抑揚のない声音。冗談と取ることが出来ずに、本気で箒を殺そうとしているのがセシリアには雰囲気で感じていた。

 実際に、その言葉が合図であるかのごとく、至るところを締め上げられる箒はもがくことさえ叶わなかった。

 指先、爪先から力が失われかけ――

「ま、待ってくださいっ!」

 唐突に、声を張り上げてふたりの間へと割って入ったのはセシリアだった。

「葛木先生、おやめになってくださいまし!」

 割って入ったというのに、セシリアの身体は何かにぶつかることもない。それもそのハズに、箒に対してキャスターは魔力を絡みつかせているだけに過ぎない。

 一方のセシリアにしてみれば、光学迷彩によるキャスターが所持するISの何かしらの部分展開による暴行だと捉えていた。だが、当てが外れていることなどはどうでもよかった。今は焦りの方が強い。

「お願いです――どうか、どうかお願いですから、箒さんに乱暴するのはおやめになってくださいませ!」

「…………」

 横槍を入れられたことにより、キャスターの気分は幾許か不快を生み出すのは事実である。だが、それと同時に意識が僅かに箒から離れたことによって拘束する力に緩みが生じていた。

 それは、標的が箒からセシリアへと移行したことをも意味している。

 セシリア自身も、同じ目に遭うのではないかという憂虞を感じていないわけではない。現に、彼女の身体は恐怖でカタカタと震えていた。

 だというのに、懸命にセシリアは口を開き、微かな声音で言葉を紡ぎ出していた。

「お願いですから……これ以上、彼女を傷つけるのは……箒さんも、此処は素直にお渡しになって――どうか、お願いですから」

「――――」

 だが――

 それでも箒は『紅椿』を手放すことに抵抗がないわけではなかった。難色を示すのも当然であろう。経緯はどうあれ、やっと自分の専用機を手に入れたがために。

 これがいきなり取り上げられるともなれば、素直に首を縦に振れるはずもない。

 と――

「……箒さん」

 哀願するセシリアの二度目の声音に――決して納得などできていないが――箒は観念したように、微かに首を動かしていた。

「…………」

 それを見てキャスターはようやく拘束を解くことになる。

 解放された箒はその場にへたり込んでいた。立ち上がることも叶わず、恐怖に震え、激しく咽、呼吸を整えることしかできていない。

「大丈夫ですの……? 箒さん……」

 箒の背をさすり労わるセシリアたちの前に、キャスターは無言のまま氷のように冷たい眼差しを向けて立っていた。

 いくらか落ち着いた箒は――気丈にも睨みつけていた。その姿は、彼女なりの精一杯の虚勢であろう。

 キャスターにとっては、たかだか人間である小娘風情に睥睨されても何の感情も湧きはしないのだが。

「そちらのお嬢さんに感謝することね。もっとも……わたしにとっては、あなたたちふたりまとめて始末するのも厭わないのだけれど」

「――ッ、セシリアに、手を出すのならば……いくら先生でも許しはしません」

 自分に対してだけならまだしも、セシリアにまで手を出されるのは許容できない。

 加えて理解できない恐怖にさらされていながらも、箒は精神力を強く持ち言い告げる。

 だが、その恰好はキャスターにとってみれば逆に失笑を買うだけだった。

「許さない? 別に、わたしは許してもらうつもりなんてないわよ? 言ったでしょう? なんなら、ふたりまとめて始末するだけでしかないのだけれど、と」

「…………」

 微笑さえ浮かべるキャスターを前に――背筋に冷たい汗を浮かべる箒は言葉を失う。

 肌に絡みつくのは、えもいわれぬ恐怖感。畏れをいだく彼女はごくりと固唾を飲み込んでいた。

 明確な理由も説明されていなければ、承服などできるハズがない。

 が――

「…………」

 箒は左手首から金と銀の鈴がついている赤い紐を外すとキャスターへと手渡していた。

 キャスターとて、士郎の指示があるまで一切手は出さないと口にはしていたが、それはあくまでも必要最低限と割り切っている。殺害していないだけ遥かにマシであろうという考えでさえいる。とりわけ恐怖で屈服させるなど、決して褒められる行為ではないのだが。

 フンと鼻を鳴らし、キャスターは踵を返す。

「最初から素直に応じていればいいのよ」

 用は済んだとばかりに立ち去る養護教諭との一件――

 それら一連の件を思い出していた箒は、なにもできない自分の無力さに歯噛みすることしかできなかった。

 

   ◆

 

 同刻――

 士郎が隔離されている病室へと続く通路にふたりの女生徒が立っていた。

 ひとりは本音。もうひとりはシャルロットである。

「本音、もうすぐ昼休みが終わっちゃうよ? そろそろ戻らないと」

「……うん……」

 シャルロットの声に力無く頷き応える本音ではあるが、その場から動こうとはしなかった。

 寮棟に在る士郎の部屋の花を毎日入れ替えているのをシャルロットもまた知っていた。休み時間になるたびに此処に足を運んでは、ただじっと待っている。

 食事もあまり摂らなくなり、大好きなお菓子ですら口にすることもなくなっていた。

 簪の前では健気に振舞う本音ではあったが、彼女も彼女で精神的には疲労がかなり募りはじめていることを物語る。

 根を詰めて、本音自身が身体を壊してはどうにもならない。

 労わり声をかけるシャルロットではあったが、やはり本音は力なく返答するのみ。

 と――

 予鈴を告げる鐘が鳴る。

 本鈴が鳴る前には教室に戻らねばならない。授業に遅刻するわけにもいかないと判断するシャルロットは三度声をかけていた。

「ほら、チャイムが鳴ったよ。次の授業に遅れちゃうから、もう戻ろう」

「……うん」

 返事はするが、しかし本音は動こうとはしなかった。

 さすがにこれ以上は黙認できないと割り切ったシャルロットは、本音の肩にそっと触れてると反転させていた。

「戻らないとダメだよ。次の休み時間にまた来よう。僕も付き合うからさ」

「…………」

「ね?」

 無言のままの本音ではあったが、シャルロットに促されると、ようやくしてこくりと頷き歩き出す。

 駆け足で戻れば授業開始までにはまだ間に合う。廊下を走ってはいけないとはわかっていながらも、背に腹は変えられないとシャルロットは本音の手を引き駆け出そうとして――

 そのふたりの背後で、電子音を奏でて施錠されていたスライドドアがゆっくりと開かれていた。


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