I.S.F インフィニット・ストラトス×Fate   作:ボイス

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「ほう」
 アリーナ外壁に悠然と立つギルガメッシュは、酷薄な笑みを浮かべ見下ろしていた。
「……なんだ、テメエは」
 オータムにしてみれば、突然現れた見知らぬ男に誰何(すいか)の声をあげるのは当然といえよう。
 だが、その問いかけに相手は応じる気概など持ち合わせてはいない。
 言わずもがな、人類最古の英雄王たる傍若無人な彼の視界には、()()()()()()()()()()()()()()()
「――――」
 赤い瞳に射抜かれたスコールは息を呑み、動くことができなかった。
 ただ視線を向けられているだけであるにもかかわらず、彼女の身体はじっとりと汗に包まれる。
 亡国機業に身を置く彼女とは言えど、今まで見てきた人間の中でも、一際異様という表現しか思いつかない。
 男や女、老人、果ては子どもまで。()()()()()類に関わる連中の『眼』をさまざま見て来はしたが、向けられる男の視線は、比べようも無く、ただただ冷たかった。
 直視されるスコールは威圧に心が締め付けられていた。
 対照に、興味を一切示さなかったギルガメッシュの双眸に変化の色が起こる。
「有象無象のガラクタかと思えば……()()にしてはそこそこか。その金色(こんじき)は、この(オレ)にこそ乗り手に相応しい」
「……何をヌかしてやがんだ、あの野郎は……」
「…………」
 スコールは眼を逸らすこともできずに、ただただ呆然と立ち尽くすだけだった。オータムの声すら彼女の耳には届いていない。
 ギルガメッシュの口から淡々と言葉が紡がれる。
「女、膝を屈し地に伏せ、()()(オレ)に差し出し()く失せろ。であれば、畜生にも劣るその命、献上の褒美として、温情をかけてやらんでもない」
「状況が理解出来てねぇのか? 命乞いすんのはテメエの方だ、このクソ野郎っ!」
 『アラクネ』が持つ全ての装甲脚の砲門をギルガメッシュへと向けてオータム。
 しかし――
 やはりギルガメッシュは、オータムを見てはいなかった。正確には視界にすらおさめていない。
 その態度が――彼女の逆鱗に触れることとなる。荒々しい語気で言い放つ。
「イカレてんのかっ!? シカトこいてんじゃねえぞ、テメエ!」
「ま――やめなさい、オータム!」
 得体の知れない相手に警戒していたため、僅かに反応が遅れ――それでも咄嗟に叫ぶスコールではあるが、オータムは聴いてはいなかった。制止の声を無視したまま銃撃を開始していた。
 が――
 瞬時に、眼を疑う出来事が起こることとなる。
「なん、だ……?」
 唖然としたオータムの口から力なく声音が漏れる。
 相手の男は、何事もなく立っていた。
 否――
 彼女は、今起きたことが理解できていなかった。
 実弾、レーザーとも相手を撃ち貫くために、装甲脚による砲撃は間違いなく行われていた。
 確実に殺したとオータムは確信していたのだが、そうはならなかった。なぜならば、何処から現れたのかもわからぬ刀剣によって、砲撃は遮られていたのだから。
 あげく、相殺などという言葉は当てはまらない。展開した実弾、レーザー、そのどちらも、一方的に掻き消されたのだから。
「どういうことだ、こりゃ……」
 加えて、豪雨のように降りそそいだはずの刀や剣は、跡形も無く消え去っている。
 夢や幻でも見ていたかのように。だが、断じて夢でもなければ幻であるはずもない。自身は、相手を殺すために砲撃したのだ。決して威嚇で放ったわけではない。
 平然と立っていられるはずがない
 だというのに――
「何で、くたばってねぇんだ、テメエっ!」
「――無礼者」
 侮蔑の篭った声音が響く。
「誰の許し得て、(オレ)を見ているか、雑種」
 そこでようやくギルガメッシュの視線がオータムへと向けられる。
 刹那――
 彼女もまた、見据えられたことにより極度の威圧を受けることとなる。
 言葉を失い、動くことすら叶わぬ――それはまさに、蛇に睨まれた蛙の如く。
「さて」
 ギルガメッシュの視線がオータムからスコールへと移る。
「いつまで待たせるか、女? (オレ)は献上せよと命じたハズだが……聴こえていなかったのか?」
「……生憎と、この『ゴールデン・ドーン』は、わたしなりに愛着があるの。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()?」
 背筋を冷たい汗が流れながらもスコールなりの皮肉を篭めた言い方に――ギルガメッシュは口角を吊り上げる。
「なるほど。命はいらぬとみえる。ならば、そこな雑種とともに朽ち果てるがよかろう」
 と――
 ギルガメッシュが立つ背後の空間に異変が生じる。
 水面に小石を投じたことによって波紋が浮かぶように――振るえ、揺らぎ、歪む。
「――なんだ、そりゃ?」
 オータムは言葉を失いただ見入るだけ。
 何もない空間から現れ出でるのは、刀や槍、剣、斧――
「おいおい……」
 どういう原理か理解できるはずもない。IS反応すら感知せずに、武装のみを展開させている。
 理解することはできないが、オータムとスコールのふたりは、ISによる何かしらの武装展開であると捉えたであろう。しかしながら、当然のごとくISなどのハズがない。
 ()()()()、ギルガメッシュ自身の宝具『王の財宝(ゲート・オブ・バビロン)』であることなど知るよしもない。
「おいおい……おいおいおい……」
 同じ形状の武具はひとつも見当たらなかった。それぞれ一本一本の形が違う。それも十や二十といった数ではない。否、オータムの眼の前で、その数はどんどんと増えていき、今はゆうに五十を超えている。
「……なんだよ、そりゃ……なんなんだよ、それは――それがテメエの単一仕様能力(ワンオフ・アビリティー)だってのかっ!?」
「雑種が理解する必要はない。(オレ)のモノとはいえ、その金色(こんじき)を破壊するのは些か癪ではあるのだが……ISには自己修復機能とやらが備わっているのだったな。加えて、コアさえ無事であれば、後はどうとでもなるのだったな? であれば、何も問題はなかろう」
 腕を掲げ――
「消え失せろ、道化」
 パチンと指を鳴らすと同時、神速を以って放たれる無数の凶器は、機関銃のようにスコールとオータムへと降りそそいでいた。



ここまで読んだ人、ご苦労さまです。
金ぴか繋がりなだけで、コレ別に続かんですよ?
一方的な蹂躙で終わるだけですし。


48-4

 昼休み時――

 自室で適当に昼食を済ませた更識簪は、第二整備室へ向かおうとしていた。

 整備室で何をするのかといえば、特にするべきことは見当たらなかった。自身の専用機である『打鉄弐式』はキャスターに取り上げられたまま。手元には返っていなかった。

 愛機であるISがなければ整備室に向かう用事もない。だが、かといって部屋で引き篭もるかのように時間を潰せるのかといえば、答えは否。

 今の彼女は――いや、正確には、ここ数日の簪は、落ち着いてなどいられなかった。

 それは何故か――?

 考えるまでもない。士郎の身を案じていたからに他ならなかった。

 本音と一緒にキャスターのもとへと向かい、士郎に会わせてほしいと懇願したが、取り次いでもらうことは叶わなかった。

 自堕落に過ごせるはずもなく、やることが限られる中、時間を潰せる数少ない場の一箇所に向うその矢先に、簪は見知った顔を見つけていたのだった。

「……本音?」

 呟きの通りに、布仏本音の姿を捉えた彼女は、何処へ行くのだろうかと眼で追っていた。

 両手で抱えるように花を持ち、足取り軽く向う先は――

「……先生たちの、寮?」

 簪が口にし、本音が進む先に建つのはIS学園敷地内に設けられている教職員寮棟である。

 生徒である自分たちが普段立ち寄るような場所ではない。本音に限って、寮棟に一体何の用があるというのだろうか。

「…………」

 無言のまま――駆け足さながらに、簪もその後を追っていた。

 もしや、教職員寮棟に何かしらの悪戯目的で忍び込むようなマネでもするというのであれば、止めさせるためにも力尽くで連れ帰えらねばならない。

 用もないのに教師が使用する寮に足を踏み入れるなど、簪にとっては考えられないことである。

 いつ誰に見つかるかもわからない。寮棟に入り込んだのがバレでもして、教師に怒られたりしてはたまったものではない。

「……早く、本音を見つけないと……」

 とは言えど、その心配は杞憂に終わる。

 無造作に扉が開かれたままであった、とある部屋の中に本音の姿を発見していたのだから。

「……居た」

 誰にも見つからずに本音の姿を捉えたことに彼女は安心する。

「本音、何してるの?」

「んー?」

 かけられた声に本音はくるりと振り返り――

「あー、かんちゃんだー。かんちゃん何してるのー?」

「…………」

 質問を質問で返されたことに、簪は頭が痛かった。

 それはこちらの台詞であるとばかりに険しい顔となる彼女は、今一度問いかけていた。

「……何してるの、本音?」

 そう言葉をかけながら部屋の中を覗く簪ではあるが、本音以外の人影は見当たらなかった。

 相手は対照的に、ほにゃっとした表情のまま答えていた。

「お花を飾ってるんだよー」

「……お花?」

 見れば、綺麗に片付けられた部屋、テーブルの上に置かれたフラワーベースに本音は持っていた花を生けていた。

 飾り付けに満足したのか、彼女は袖をぼふぼふと打ち当てる。

「うん、綺麗ー」

「……とにかく、勝手に入っちゃダメ……先生たちに見つかったら、怒られるから……」

「大丈夫だよー。織斑先生から、エミヤんの部屋に入る許可はちゃんと貰ってるからー」

 問題なしだよと応える本音ではあるが、簪は聴いてはいなかった。それは、耳に捉えた言葉に気を取られていたからだった。

「エミヤん、て……え? ここ、衛宮くんの部屋なの?」

「あー、そういえば、かんちゃんてエミヤんの部屋入ったことないよねー。この部屋は、エミヤんとランランの部屋なんだよー」

 男子の部屋に入ったことなど一度もない簪にとってみれば、いざ実際眼にした光景に心底驚いたことであろう。年頃の少年であるというのに、想像していた異性の部屋とは大きくかけ離れており何もない。唯一目に付いたのは、玄関先に置かれている釣り道具一式であるが、それはランランのだよと本音は告げる。それ以外に、本格的に衛宮士郎にとっての私物というものが存在しない。

「そう、なの? それで、ええと……本音? ここが、衛宮くんの部屋なのはわかったけれど……だからって、どうしてその衛宮くんの部屋に、あなたが居るの?」

 どうして花を飾っているのかと訊ねてみれば――

「エミヤんの部屋って殺風景だよね。ランランの私物はあるけれどさー。帰ってきたときに、何もない部屋だと可哀想だと思うの。こうしてお花を見ると、心が和んでホッとするでしょ? だから、こうして飾ってるんだよー」

 この三日というもの、本音は毎日のようにこの部屋に足を運んでは花を生けている。

 今日こそは士郎が帰ってくると信じ、願いを込めて――

 いつ戻ってきてもいい様に、おかえりなさいと伝えてあげられるように。本音なりに士郎の帰りを待ちわびた考えの結果なのだろう。

「…………」

 そんな事情を知らない簪ではあるが、確かに、何とも味気ない無機質な部屋が、急に華やいだ空間へと変わるのは理解できる。

 が――

 瞬時に簪の心情は虚ろなものへと変わるだけだった。

 本音のこの行動は、全て無意味に終わる、と判断したために。

「…………」

 とてもではないが、あの出血量、怪我の状況から見て、彼が助かる見込みなどないのではないか。

 本音には悪いが、簪は落胆の気分が強かった。

 その結果――

 硬く、思いつめた表情となる彼女に対し、本音は口を開くと優しく声をかけていた。

「大丈夫だよ、かんちゃん」

「……え?」

 唐突にかけられた本音の言葉の意味が一瞬わからず、簪は訊き返していた。

「心配しなくても大丈夫だよー。エミヤんは、必ず元気になるよ」

「…………」

 何故そう思えるのだろうか――?

 依然予断を許さない重篤な状態であるとされる士郎の身を聴かされている以上、簪の頭の中には最悪な結果が描かれているというのに。

「本音……衛宮くんは、多分……」

 助からない――

 そう言葉にしようとした簪ではあるが、開かれた口はそのままで、声音は発せられていなかった。

 告げることが忍びなかった。口にしてしまっては、認めてしまうことになり、抑えていた何かが壊れてしまいそうで怖かった。

 しかし――

「……かんちゃん……わたしね、エミヤんと約束したんだよ」

 ぽつりと言葉を洩らす本音に対し、簪は思わず訊き返していた。

「……約束?」

「うん、エミヤんはね、ケーキを作ってくれるって約束したんだよ」

「……え? なん、て? ケーキ……?」

 話の脈絡がいまいちよくわからない簪は困惑の表情を浮かべるだけ。だというのにもかかわらず、相手は身振り手振りを交えて話し続けていた。

「そうだよ。イチゴがいーっぱい乗ったホールケーキ。それと、プリンも付けてくれるんだよー」

 以前に約束した件が履行されていないのにはワケがある。士郎的には『アーチャー』のメンテナンスを手伝ってくれた御礼に彼女が希望するケーキを作ろうとはしていたのだが、それを止めたのは他でもない本音の姉の虚である。わがままに付き合う必要もありませんと釘をさされたかたちとなり、未だケーキは作られてはいなかった。

 士郎とてこのままにする気はない。虚に言われたこともわからなくはないが、約束は約束として考えている。それ故、本音にはきちんと約束は守るからと伝えていたのだが……虚の鋭い監視の眼は継続中であった。

 それ故、隠れてこそこそするよりは、面と向かって堂々とするだけであるのだが。要約すれば、メインのケーキはまだ渡せていなくても、生徒会事務の休憩時にお茶請け程度に作った菓子の類で場を繋ぐ。しかも、本音のためという大義名分を隠すために、楯無と虚の分も用意して。 

「そろそろ休憩にしないか? 今日は、ちょっと試しに趣向を変えたものを作ってみた」

「…………」

 虚とて士郎の隠れた動機を見抜けていないわけではない。逆も然り、士郎とて虚に自身の目的が見透かされていないとは思っていない。

「あら、楽しみね。今日はなにかしら? 士郎くんの作るお菓子は美味しいから、おねーさん期待しちゃうわよ?」

 そう声に出して喜ぶのは、ひとりわかっていない楯無のみ。

 毎度期待に胸を膨らませる生徒会長に強く言えるわけでもなく、さりとて虚も実のところは士郎のお菓子を何気なく所望しており、敢えて黙認していたりするのだが。

「エミヤんはね、約束を守ってくれるんだよ。前にエアコンが壊れた時だって、直してくれるって言ってその通りに直してもらったし」

「…………」

「他にもね、エミヤんはすごいんだよ。同じクラスの子の壊れた腕時計も直せるし、ハンドボール部のスコアボードも直せるし、生徒会のお仕事も手伝ってくれる……約束したことは、きちんと守ってくれるんだから」

 士郎のことを語る本音は、なんと嬉しそうなことか。

 故に――

 努めて明るく振舞おうとする彼女の姿を眼にしながらも同時に、簪は酷く後ろめたい感情に胸を締め付けられることとなる。

 本音には悪いと感じながらも、そんなことで信じて待つなど荒唐無稽にも程がある。

 現実は、そのように楽観視できるものではない。

 だが――

「それにね、わたしもエミヤんと約束したんだよ」

 あれこれと語る本音であったが、そこで言葉をいったん切ると視線を生けた花へと向けていた。

「エミヤんの『アーチャー』を元に戻すって。模擬戦でいろいろバタバタしちゃったけれど、帰ってきたらメンテナンスの続きを頼むって言われたんだもん」

「…………」

「わたしはわたしで約束を守るんだよ。本当は、整備室でエミヤんの『アーチャー』を弄って待っていたかったんだけれど、葛木先生にそれはダメって怒られちゃったから……だから」

 そっと歩み寄った本音は、だるだるの袖で簪の頭を優しく撫でていた。

「泣かない泣かない。わたしはエミヤんを信じて待つから、かんちゃんもわたしと同じように信じて待っててくれてたら嬉しいなぁ」

「…………」

「泣いちゃダメだよ。かんちゃんが哀しんで泣いてる姿をエミヤんが見たら、すっごく心配しちゃうんだから。ほらほら、笑って笑って」

 にこりと笑う本音の指摘により、簪はそこでようやく自分は涙を零していることに気づいていた。

 双眸からぽろぽろと涙がこぼれ頬を濡らす。静かに流れていた涙は、やがて嗚咽へと変わる。

「かんちゃんだって、エミヤんと約束したでしょ」

「約束……? わたし、が?」

「うん」

 はたして、自分は彼と何を約束したというのか。思い当たる節がない。

 困惑する簪をよそに、本音は続けていた。

「エミヤんは、弐式を組み立てるのを手伝うって言ったでしょ?」

「…………」

 答えの意味を都合のいい様に捉えている。自分は考えさせてくれとしか返答していない。何よりも、手伝われることに良しとも悪いとも応えていない。肯定も、否定もしていないのだから。

「本音、わたしは……」

 はっきりとした、そんな約束を交わした覚えはない。そのことを弁明しようとする簪であったのだが――だというのに、本音は笑ったままだった。

「だから、エミヤんが帰ってきたら、その時はかんちゃんから答えを伝えないとダメだと思うんだよー。かんちゃんは、考えさせてって言ったんだよ? なら、返事をしないといけないと思うんだよ。手伝ってて言うのも、手伝わないでって言うのも、決めるのは、かんちゃんなんだから。ほら、これも約束になるでしょう?」

「…………」

 本音の考察に驚かされた、というのが簪の素直な心情であろう。

 幼少の頃からの付き合いのために、こちらに気を使っているというのがありありとわかる。

 自然と――僅かにではあるが、涙で顔をぐしゃぐしゃにした簪の口元は笑みを作る。

「それにね、エミヤんの作るお菓子は、とーっても美味しいんだよ。かんちゃんもきっと気に入ると思うし……かんちゃんも食べたいケーキを作ってもらえばいいと思うんだよねー」

「……うん。衛宮くんが戻ってきたら、お願いしてみようかな……」

 紅い眼元を指先で拭う簪を、本音は再度いい子いい子と頭を撫でていた。

「うんうん、そうしようよー。わたしも食べたいもの、いーっぱいあるし」

「……もう次のお願いを決めてるの? それよりも、いい加減、子ども扱いはやめて……」

 お菓子は別腹なんだよと告げる本音に簪は呆れざるを得なかった。

 だが――

 正直に言えば、本音とて心は酷く落ち着いていない。不安という名の重圧にいつでも押し潰されそうになっている。実際、予断を許さない状況であるのは変わっていない。士郎の身に如何なる変化が生じるかも想像が付かない。それでも、健気に振舞い、諦めずにいられるのは、ひとえに士郎と交わした約束のために。

 彼との約束が絆となり、本音はこの場にいることができていた。

「…………」

 唐突に、簪の脳裏に浮かんだのは、ギリシア神話で語られるパンドラの箱である。

 パンドラの箱とは、ギリシア神話の最高神ゼウスが、人類最初の女性であるパンドラに持たせたとされる、ありとあらゆる災いが詰まった箱である。決して開けてはならないと命ぜられていながらも、パンドラが好奇心から開けたために、すべての災いが地上に飛び出したとされる。

 不謹慎ではあると自覚しながらも、士郎が専用機持ちたちに襲われたことを災厄に当て嵌める。だが、簪が着目しているのは別にあった。

 このパンドラの箱には続きがある。あらゆる災禍が外へ飛び出したことによって、人類は不幸にみまわれるようになりはするが、パンドラが急いで蓋を閉じたために箱の底には『希望』だけが残ったとされる。

 希望――

 簪とて、希望を捨てたわけではない。どうして自分は、彼が死んでしまうと決め付けているのか。どうして助からないと思い込んでいるのか。

(衛宮くんが、元気になる可能性が消えたわけじゃない……)

 表情に然したる変化はない。だが、その胸の内には先まで持ち得なかった熱い決意を秘めるには十分だった。

「…………」 

 本音が士郎の帰りを信じて待つように――

 伝えるべき答えを直接告げるためにも――

 簪もまた、彼が帰ってくることを信じて待とうと心に誓ったのだった。

 

   ◆

 

 自室で休むセイバーは、事の経緯を思い出していた。

 査問委員会でのやり取りを早急に切り上げ、学園へ戻るや否や、キャスターから一連の騒動を聴かされた彼女は耳を疑うしかなかった。

 完全なる人払いを施し、自分たちふたり以外は誰も居ない室内。

 部屋自体もなにかしらの監視、盗聴といった類のものが一切無いのを確認するほどに徹底した上で、キャスターは話しはじめていた。

 士郎が襲われたこと――

 士郎を襲った者たちのこと――

 傍に居ながら士郎を護れなかったこと――

 所属不明のISの介入を受けたこと――

 頭を垂れるキャスターに、だがセイバーは格別罵倒するような真似などはしなかった。

 連鎖的に起こった出来事の説明を静かに聴き入るのみ。

「言い訳にしか聴こえないわね。わたしがこんなことを口にしたとしても」

「そんなことはありません。あなたは、ラウラやリンを助けたではありませんか。シロウの頼みを受け入れてくれたのでしょう」

 セシリアやシャルロット、真耶たちの機体を士郎ひとりで止めに入っては奮闘したと聴き、中でも簪を護りながらシャルロットの相手をしたという話では士郎らしいとセイバーは胸中で感じていた。

 そんな騒動である。士郎ひとりでは手が足りなかったところを、理由はどうあれ、キャスターは残るラウラと鈴の機体を相手にしたのは事実である。

 しかし、キャスターは自嘲気味に――それでいて力なく笑みを浮かべていた。

「……わたしは、見境なく殺すつもりでいたのだけれど?」

「だが、そうはしなかった。結果としてシロウの願いを聴き入れてくれた。わたしはそう思っています」

「……甘いわね……坊やも、あなたも……」

「キャスター、その話はまた後ほど改めて。詳しく教えていただきたいのは、事の騒動にシロウが襲われた理由についてです。やはり、マスターだということが発覚したからでしょうか?」

「…………」

 難しい顔をしていたキャスターではあるが――思案の末に、静かに首を振る。

 聖杯戦争において、サーヴァント同士が闘うだけが優位を決するわけではない。サーヴァントを使役するマスターを排除しさえすれば状況は如何様にも変わる。

 現界のための依り代と魔力供給の役割を持つマスターが不在となれば、サーヴァントは消滅するしかない。

 例外としては『単独行動』スキルを持つサーヴァントであれば、自身の残存する魔力によって現界することは可能となるが、それも持って数日程度となる。

 極端な言い方をすれば、サーヴァント自体の能力が優れていようとも、そのマスターが殺害でもされれば無駄な戦闘はしなくても済むこととなる。そのためにマスターを狙うことは定石ともいえるのだが。

 三騎いるサーヴァントのうち二騎が離れた隙を狙ったのではとセイバーは読むのだが。

「いえ、それはないわね」

「マスターだから襲われた、というわけではないと?」

 そうでなければ狙われる理由がないではありませんかと続けるセイバーではあるが、キャスターは冷静に判断していた。

「セイバー、確かに坊やはマスターであり、わたしたち三騎のサーヴァントを使役しているわ」

「ならば――」

 言葉を続けようとするセイバーをキャスターは軽く手で制す。話を最後まで聴いて頂戴という意味合いを篭めて。

「でもね……それは、本来の世界で該当する事案であって、この世界では当てはまらないのよ」

「では、それ以外になにが?」

 仮にマスターということで襲われたということであれば、何故今なのか。人で賑う学園祭時ほど都合がいい頃合であったはずだとセイバーは推測する。

 三騎のうち、二騎のサーヴァントが離れた隙を狙うというのもわからなくはないが、であれば、敵サーヴァントや敵マスターが何かしらの接触しようものならば、魔力反応にキャスターが気づかぬはずがない。

 加えて、士郎を襲うとするならば、今この状況をもっと利用するべきではないのか――?

 仕留め損なった故に、時間を置くべきか――?

 あれこれと思考するセイバーであるが、決め手に欠けるものが多すぎていた。

「あちらの世界とこちらの世界で違う事柄、その中で坊やに適用されるのは何かしら? 聖杯戦争に関するものを全て外した上で、残されるのはなにかしら?」

「…………」

 そこまで言われ――ようやくしてセイバーも理解していた。

「それは……つまりキャスター、士郎がISを動かせる()()()()()ということで襲われたというのですか?」

「ええ」

「まさか、たったそれだけのことで?」

 そんなことで襲われたと言われて素直に受け入れられるセイバーではない。しかし、対照的にキャスターは淡々としていた。

「認識の違いよ。こちらの世界は女尊男卑が強い。馬鹿みたいに男が虐げられている。その中で、女にしかISが使えなかったところに織斑一夏が扱えることが発表された。これが何を意味するかは、あなたでもわかるでしょう?」

「…………」

「織斑一夏の登場は、世の男と女にしてみれば衝撃的でしょう。女にとっては女尊男卑という牙城が崩れる。男にとっては女尊男卑という牙城を崩せる」

「…………」

「ある意味、無視できない存在が現れてしまったともなれば、はたして、つまらないと認識するのは一体どちらかしら?」

 そこまで述べられては答えなど決まっている。考えるまでもない。

「女性にとっては不愉快なことでしょう。ですが、だからといって、そんなことだけで襲われたというのは些か無理がありませんか?」

 だが、キャスターはにべもない。

「どうかしら? 女どもにとって、今のこの確立した社会が崩壊するかもしれないのよ? 世界では、織斑一夏のようにISを動かせる男が他にもいるかもしれないとして、躍起になって検査し、調べているのが現状よ? 加えて、女にしか動かせないISの謎が解明でもされれば、肩身の狭い思いをしている男たちの立場なんて簡単に覆るかもしれないのだから」

「そのために、排除するというのですか? 自分たちの今の理想を保つために?」

「ええ、ある意味危機的状況に陥るやもしれぬ重大な案件ですものね。我が物顔で何でも思い通りに出来ると思っている馬鹿な女どもにとっては厄介でしょう。それ故、たまたま坊やが狙われた、と考えるのが妥当じゃないかしら?」

「…………」

「だってそうでしょう? 不穏分子が存在するのならば、それを淘汰する必要があるのではなくて?」

 無言、というよりも絶句に近い。険しい貌となるセイバーに対し、更なるレクチャーをするかのごとくキャスターは人差し指を立てていた。

「もしかしたら、狙いは違うのかもしれないわね。考えられるとするならば、IS学園自体か、学園の生徒ならば誰でも良かったのか、男性操縦者であったのか、専用機を持つ者だったからなのか、男性操縦者であるのならばランサーが学園を離れることも事前に知っていたのか……」

「…………」

「考えればキリがないわね。だけれど、いずれにせよ坊やが狙われたことは事実であり、坊やを襲ったのはISであるということは間違いがないのよ」

「あなたの指摘は一理ある。ですがキャスター……そうなると、カンザシはどうなのでしょうか? 彼女の機体は影響がなかったと聴きます」

「……そうね。そこが気がかりである内のひとつでもあるのよ。専用機持ちのみが、何かしらの影響を受けているというのならば、簪さんも例外ではないわ。それと、上級生の二年と三年にいる専用機持ちも同様にね。あとは――」

「……ホウキとタテナシも……ですね?」

 セイバーが挙げるふたりの名に、キャスターは御明察と応えながら、とあるもの取り出していた。

 彼女が手にするのは、専用機持ちたちの各々の待機形態ISであった。

 一年生連中の全ての専用機はもとより、二年生であるフォルテ・サファイアが所持する専用機『コールド・ブラッド』と、三年生のダリル・ケイシーが所持する専用機『ヘル・ハウンドVer2.5』さえもその手に在る。

 唯一の例外は、生徒会長である更識楯無の待機形態ISのみを入手していない。

「しかし……しかしですよ、キャスター……彼女たちは、アリーナでの前後の記憶が曖昧だとも口にしている。そう考えてみると、何かしらの暗示をかけられていたとは思われないだろうか?」

 士郎に危害を加えたことは覚えているが、何故、危害を加えようとしたのかという衝動がわからないとセシリアたちは告げていた。

「頭の中に声が響いてきて、その声を聴いているうちに……気がつけば士郎さんに銃口を向けていましたの。こんな話、信じてもらえるとは思っていませんのよ……」

 悲観にくれ、どこか自分を蔑み笑うセシリアであったが、セイバーは茶化すでもなく真面目に聴き入るのみ。

 彼女が口にした内容に、どこか引っかかる部分があったために。そのことを踏まえて問うのだが――キャスターは真顔であった。

「暗示は、誰から?」

「……それはわかりませんが、敵マスターの可能性とも言い切れないのではないでしょうか?」

 見習いの身とはいえ、魔術師であり、マスターであるからこそ士郎は襲われたのだ、とセイバーは自身の考えを口にしていた。

 セシリアたちが凶行に及んだのも、操られたというのならば話も纏まる。

 とは言えど――

「確かに……でも、そうなると、齟齬が生まれてくるのよ」

 キャスターもその線は真っ先に考えていた。どこぞのマスターが関与しているのではないか、と。

 しかし――

「…………」

「もし仮に、この世界に聖杯があるとするならば、その機能は当然活きていると考えるべきよね? だとしたら、闘争本能が互いを敵だと認識するのではなくて? 坊やに仕えている立場とは言えど、この身がサーヴァントに変わりがないのなら、何かしらの聖杯の影響を受けるはずよ」

「…………」

 それに、とキャスターは続ける。

「サーヴァントの気配は感じなかったわ。例え隠密行動に優れた『気配遮断』のスキルを持つアサシンであったとしても、わたしの結界を素通りすることはできないのよ」

 魔術師のサーヴァトであるキャスターが告げるように、魔術絡みであれば彼女が口にしているのは確かなのであろう。

「となれば、魔術の類で操られている、という線はないでしょうね。先も述べたけれど、魔力の反応を一切感知していない。魔術の痕跡もない。そう考えると、別の方法となるのだけれど。そちらとなると、坊やが魔術がらみで狙われる理由がないのよ」

 ふうと息を吐きキャスター。

「……その方法とは?」

「セイバー、あなたが口にした『操られていた』という点は、あながち間違ってはいないと思うわ」

「では――」

「だから、最後まで話を聴きなさいな。操られていたというのは確かでしょう。ただし、それが魔術でないとすれば、別のものよ」

「……別のもの?」

「ええ、別のもの」

「……それは……」

 そう呟き、ハッとするセイバーの脳裏に思いつくのは――

「インフィニット・ストラトス、ですか?」

「ええ。凶行に及んだのは、いずれもISであるということ。専用機、訓練機とも関係なく。それも全てが操縦者の意志に関係なく暴走している。でも、これも可能性でしかないのよね。逆に暴走していない専用機も存在するのよ。これが何を意味するのかは今のところわかりかねるわね」

「…………」

「犯人は外部の人間かもしれないし、学園関係者かもしれない。どちらにせよ、ここの連中は誰ひとりとして信用も信頼も出来ないということよ」

「…………」

 残された状況証拠だけで判断するセイバーは思案に暮れるが――

「キャスター、わたしからもひとつ……セシリアたちとは別のISの介入を受けたと言いましたが、話で聴いている状況の限りでは、まるでシロウを助けたような行動に思えてならないのですが」

「確かに。坊やを狙撃するならば出来た状況であるのは認めるわ。だけれど、そうはならなかった」

「ええ」

 セイバーの指摘にある所属不明ISの行動は、キャスターも考察していたことである。何故、士郎を助けるような真似をしたのか。何故、士郎を襲わなかったのか。

 十分な結果を手に入れたから、これ以上の介入は無用としたためか?

 真耶を狙撃したのも、用済みとなったからなのか?

 または、全く別の思惑があったからなのか?

「…………」

 顎に手を当て、眉を寄せながら状況を思い出す。

「……これは、わたしの勝手な推測によるものなのだけれど」

「どうぞ」

 是非聴かせてほしいと促すセイバーに、キャスターはひとつ頷く。

「シャルロットさんたちのISが坊やを襲った件と、介入したISの件は全く別であったのでは、と思えるのよ」

「と言いますと?」

「前者をA、後者をBとした場合……この二件は、たまたま重なったとしたらどう? 坊やを目的としていたのは別であるのかもしれないわ」

「なんのために、ですか?」

「それは今の段階ではなんとも言えないわね。言ったでしょう? わたしの勝手な推測だって」

「…………」

 肩を竦めて見せる相手に対し、セイバーは無言。

「……どちらにせよ、坊やの身辺警護は厳重にしておかないといけないのは確かね。この機会を狙われては厄介だわ」

 まったく面倒なことだわと洩らすキャスターではあるが、視線は騎士王へ向けられたまま。

「坊やの身辺を護るのはあなたの役目でしょう」

「無論です」

「であれば、あなたも身体を休めておきなさい。大事な時にガス欠にでもなったら締まらないわよ? ああ、食べ物を摂取しないと締まらないかしら?」

「む」

 ニタリと笑うキャスターに対し、セイバーは少々顔を赤らめて反論していた。

「わたしを食欲だけで動くと思われるのは心外です」

「あら? 違うの? わたしはてっきりそうだと思っていたのだけれど?」

「キャスター!」

「はいはい、冗談よ。坊やの身体の傷は間違いなく癒えている。後は意識が戻り、自然に眼を覚ますのを待つしかないわ。これ以上魔術を使うのは逆に身体に障りかねるわ」

「……魔術のことに関しては長けたあなたがそう言うのであれば、そうなのでしょう」

「そういうこと。それで、そちらの方はどうだったのかしら?」

 査問委員会はどうだったのかという意味合いを篭めてキャスターは訊ねていた。とはいえども、その中身としては、シャルロットに対してフランス政府がなにかしら口を挟んできたのかどうかという真偽を確かめるためでもある。

 だが――

 セイバーは眉をしかめ困惑した表情を浮かべていた。

「ええ、こちらはこちらで、()()()()()()()()()()()()()()()()()

「?」

 僅かに小首を傾げるキャスターに、セイバーは重い口を開き説明し出していた。

 

   ◆

 

 深夜――

 IS学園第六アリーナに建つ螺旋状の塔の頂に登ったランサーはひとり夜風に吹かれていた。

 無言のまま彼が見据えるのは眼下の学園敷地内。

 士郎の状況を鑑みて、哨戒の任に就いたランサーは今宵もまた同じように周囲を監視していた。

 遅い時間であるにもかかわらず、学園内には人の気配は未だ多く存在している。無論のこと、生徒や教員である。各々の寮棟もいくつかちらほらと灯りが点いている部屋がある。

 しかし、ランサーの意識の先は、学園内よりも学園外へと向けられていた。

「…………」

 風に紛れて嗅ぎ取れる、とある臭い――

 ここ数日、幾人かの気配を彼は感じ取っていた。しかしながら、相手は学園に侵入してくるでもなく、あくまでも遠巻きに外からこちらの様子を窺うかのように。

(こんなことなら、こないだの野郎を締め上げとけばよかったぜ)

 胸中で愚痴りながら彼。十中八九、先日に相対した類の輩なのだろうとあたりをつける。そうでなければ、朝、昼、晩、四六時中監視の気配が途切れることもないために。

 何故そう決め付けられるのかと問われれば、その根拠となるのは微かに漂う血の臭い。

 当初は鬱陶しく思いながらも傍観を決め込んでいたのだが、それがさすがに三日も同じ状態が続いたことに対し、彼は痺れを切らし行動へと移っていた。

 踏み込んでこないのならば、こちらから誘い出すために。自身を囮に、相手が喰らいついてくることを期待して。

 学園を離れ、ネオンに彩られる街中をひとりふらつき歩くランサーであるが、目論見通りに、学園周囲に点在していた気配は全て自分へと向き、なおかつ、後をつけられることになる――のだが、直ぐに違和感に気づいていた。

 数は三人。

 お世辞にも尾行術が巧いとは言えず、その名の通り、こちらの後をただ付いてきているだけだった。

 亡国機業と名乗る連中だと勘繰るランサーではあるが、それにしてはあのときの男とは比べるべくもなく、技術が杜撰であり素人臭過ぎる。

 こうまであからさまなのは、返ってこちらを油断させるための算段かと思えるほどに。または対象となるのが自分ではないのかとさえ考えさせられていた。

 とは言えど、男たちが付け狙らっているのは、やはり自分であることに間違いはなかった。

 深夜の時間も時間であり、歓楽街を歩くランサーに客引きの声は多くかかる。だが、彼はそれらを悉く適当にあしらい断っていた。

「…………」

 しばらく歩き、人通りも若干まばらになったところで――とは言っても、人の往来が完全になくなっているわけではない――頃合を見計らうと、ランサーは手近の路地へ足を踏み入れる。案の定、後ろを付いてきていた三人も踏み込んできたのだが。

 街灯もなく明かりは空から輝る月光のみ。大通りから奥まった袋小路となる場所で、ランサーはようやく振り返るとともに、そこで相手を確認する。

「…………」

 ランサーの予想に些か反したのは、男たちの恰好であろう。

 服装も、ジーンズにワークブーツ、ジャンパーといったストリートファッションスタイル。

 街でたむろしたり不良行為などを行い、徒党を組む集団――いわゆるチーマーとの造語で呼ばれる輩たちである。

 連中の手には月明かりに輝くナイフが握られていた。

「…………」

 この時点で、ランサーは三人の男たちを『取るに足らない完全な素人』であると断定していた。構え、握り方もまちまちであり、なっていない。敢えて言えば、とりあえず手に持ったという表現が相応しい。

 刃物を取り出した男たちも、本気で刺そうとしたわけではない。あくまでも脅しの道具として。

 ニタニタとした笑みを浮かべ、フォールディングナイフ(折り畳みナイフ)をちらつかせているのも余裕であろうという現れか。こちらが萎縮すると踏んでの行動であろう。

 だが、チーマーの男たちにしてみれば、選んだ相手が悪すぎた。

 ただの人間とは遥かに違い、たかがナイフ程度を出されたぐらいでランサーの顔色が怯えに変わることなど有り得ない。それこそ眉ひとつ動かずに、逆に冷めた表情そのものだった。

 男たちは気づいてもいない。この状況は、追い込んだつもりが、逆に追い込まれたかたちとなったのだから。

 刹那に、事態は一変する。襲いかかったのは、ランサーの方だった。

 刃物を持つ男たちも、丸腰の相手がまさかこちらに向かってくるとは思いもよらず。

 完全に虚を衝かれ、咄嗟に反応など出来るはずもなく――

 一番手前に立っていた男の鼻っ柱に打撃を叩き込んだランサーの追撃は止まず加速する。

 ずぶの素人とはいえ、数では勝る三人を馬鹿正直に相手にすることもない。

 手っ取り早く無力化するために、見せしめも兼ねて、ランサーはひとりだけを必要以上に痛めつけていた。

 その結果は、火を見るよりも明らかである。

 月明かりが照らす中、その光景は異様であろう。場慣れした喧嘩とは呼べぬ惨状に。

 ナイフを振らせる暇すら与えずに――瞬く間に、情け容赦なく一方的に叩きのめされ続ける仲間のひとりを眼にしては、残るふたりが戦意を喪失するにはそう時間はかからなかった。

「なぁ、兄ちゃん? 俺の後をつけてたのは何のためだ? 俺を狙った目的はなんだ? なぁ、おい……ぎゃあぎゃあ騒いでねぇで、訊いたことにはきちんと応えてくれや。なぁ?」

 地面に落ちたナイフを踏み潰し――

 胸倉を掴み、男の身体を片手で軽々と持ち上げていたランサーは問いかける。対照に、相手は震える声音で、知らない、何のことだと口にするのみ。

 ぎりと締上げる腕を、男はもがき懸命に振りほどこうとするがそう簡単に外れることはない。

 と――

 ランサーの残る空いた片手が拳を作り、男のわき腹を無情にも撃ち付けていた。

 顔は血にまみれ、鼻は歪み折れ曲がる男の口からくぐもった悲鳴を漏らし崩れ落ちるが、その叫びが大通りに届くことはない。

 夜の繁華街は雑踏が途切れていない。いたるところから流れる人や店の喧騒に掻き消されているのだから。

「……もう一度訊くぞ? 誰に頼まれた?」

「知らねぇつってんだろうが! 俺らはなんも――」

 全身に走る激しい痛みにより、顔は涙と鼻水で汚し、だらしなく開かれたままの口からは涎を垂らしていた男は最後まで言い終えることはできなかった。

 台詞を途切らせ、うずくまる男の脇腹を、無言のままランサーはサッカーボールよろしく蹴りつけていた。

 いくらサーヴァントたる『力』は加減しているとはいえ、与える衝撃は通常を超える。軽々と吹き飛ばされた男の身体は手近の壁へと叩きつけられていた。

 か細く呻き声を洩らし、だがぴくりとも動かない仲間のひとりの姿を眼にした他の男たちは恐怖するのみ。

 と――

 ランサーの首がゆっくりと動き、その鋭く獣じみた眼光が向けられる。

 これに慌てるのは残されたふたりの男たちである。

 次は自分たちも同じ末路を辿るのかと後ずさっていた。

「冗談じゃねぇぞ……勘弁してくれよ……」

「し、知らねぇんだ! 本当だ! お、俺たちは、知らねェ女に、アンタを痛めつけてくれって頼まれただけなんだよっ!」

「…………」

 こんなことになるなんて聴いちゃいなかったと零す相手だが、ランサーは余計な戯言は耳にしていなかった。

「……女ってのは、どんなヤツだ?」

「知らねぇよ! 赤毛の女に金貰って頼まれただけしか覚えてねえんだよ!」

「…………」

 赤毛の女、との言葉にランサーの脳裏に該当する輩は存在しなかった。

 学園祭時に亡国機業と名乗る女連中と交戦した際にも、赤い髪を持つ女はいなかったことを思い出す。

「……おい」

 抑揚のない声音に、男たちはびくりと身体を震わせるには十分だった。それほどまでに、恐怖を覚えているという証であろう。

 一歩前に出るランサーに、男のひとりは咄嗟に両手を差し向けていた。取り繕うためと、それ以上近づいてくれるなとの両方の意味合いを篭めて。

「おい――待て待て、待てって! 本当だ、嘘じゃねえ!」

「ま、前金で30万貰ったんだよ! アンタを痛めつけたら更に倍出すって言われたんだ!」

 少々痛めつけただけで大金を貰えるのならば、こんなに旨い話はない。

 金のために襲おうとしたんだと口を揃えるふたりに、本格的にランサーは苛立ちを募らせていた。

 これ以上暴行を続けたとしても、得られる情報は何もない。口にするように、嘘をついているわけでもなく、本当に何も知らないのだろう。

 もはや興味を失ったランサーは、背後の路地を顎でしゃくっていた。その双眸は、目障りだ、消え失せろ、と物語る。

 男たちにしてみれば、命からがら解放されたと捉えたことであろう。

 先を争うかのように――それでいて、引きずるように呻く仲間を連れて路地裏から一目散に逃げ出そうとする。

 が――

「ああ、言い忘れてたがよ」

 背後からかけられるランサーの声音。

「こういう時は、テメエのツラ覚えたぞとか言うんだろ? 仕返しするためによ。やり返しに来んならいつでも受けんぞ。いくらでも仲間連れて来んのも構わねぇがな。ただ、俺もテメエらのツラは覚えたからよ、そん時は、お前ら全員、その兄ちゃん程度の怪我じゃ済まさねぇからな」

「――――」

「それと、テメェらが金貰ったとかヌかす、その赤毛の女ってヤツに会う機会があったら伝えといてくれや。まどろっこしいマネしてねェで、直接来いってな」

「――――」

 ()()()()()()

 いくら金のためとはいえ、喧嘩という腕っ節には自信があった三人であるが、割に合うはずもない。復讐などすれば、余計な被害を受けるのは自分たちであろう。本能的にそう悟らされては下手な考えなど持つハズもない。

 返事をすることもなく、転がるように逃げた男たちは姿を消していた。

 ひとり残されたランサーは小さく息を吐く。

 当てが外れたことに無駄な時間を費やしたもんだと舌打ちをひとつ。

 こちらを監視をしている連中は、予想よりも警戒しているというのを理解する。

(思ったよりも、馬鹿じゃねえってことか)

 そう胸中で独りごちると、面倒なことになったと再度息を吐き出していた。

 やがて――

 ランサーの姿もまた、裏路地から消えていた。




「48」のそれぞれの思惑は今回で終わりです。
出てない彼や彼女や彼女は以降。

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