I.S.F インフィニット・ストラトス×Fate   作:ボイス

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 キャスターと相対する鈴とラウラは、魔力光弾を受けたことにより――キャスター本人も直撃を狙わず、余波ではあるが――意識を失っている。

 だが――

 搭乗者たるふたりが頭を垂らすよう気絶しているにもかかわらず、ISは展開解除されることもなく起動を続けていた。

 本来であれば、操縦者生命危険域(デッドゾーン)として、これ以上ISが稼動できるレベルではない。

 ISとは、人が乗ったことによってはじめて最大限の力を発揮することが出来る。

 その程度の知識はキャスターとて十二分に把握していた。

 鈴とラウラの機体は具現維持限界(リミット・ダウン)――いわゆるエネルギー切れを迎えている。

 ISの操縦者絶対防御――救命領域対応により、すべてのエネルギーは防御に回され操縦者の命は護られていた。

 操縦者の命に関わる攻撃はシールドエネルギーを大幅に消耗するのだが、その判断はIS自体が行い、操縦者側ではカットできないシステム根幹である。

 あらゆる攻撃を受け止める絶対防御とて完璧ではないが、放たれた魔力光弾は物理的にそれを突破し、鈴とラウラの肉体にダメージを与える程のものではなかった。

 だと言うのに、彼女たちが腕や脚から血を流している姿を見て、キャスターは眉を寄せていた。

(絶対防御が発動しているならば、この子たちは血を流さないはず……気絶しているということは、救命領域対応が機能しているはず……でも、それにしてはおかしな点がひとつ……)

 キャスターが矛盾として捉えているもの――

 それは、搭乗者の意識が途絶えているにもかかわらず動き続けている二機のISに対してだった。

 機体稼働に必要なシールドエネルギー量は遥かに下回り、この状態では機体の耐久力が急激に下がっている。更に言えば、絶対防御を除いた、武装、機能全般が使用できなくなるハズであった。

 その認識が通じなく、かくいう意味を示すのは――

「ああ、()()()()()()()()()……」

 導き出された答えに納得したキャスターの額に青筋がうっすらと浮かぶ。

 ふたりのISの絶対防御などハナから機能していない。最初から捨て駒として扱われていることを理解した彼女の貌が怒りに染まる。

「木偶風情が……一端に人質のつもりかしら?」

 学園周囲に展開していた防御障壁魔術を解除し、それら全てを攻撃魔術へと変換させる。

 竜牙兵に回していた魔力すら打ちきり攻撃へと専念する。

 紫電が奔り――

「坊やにとっては有効でしょうね。でも、お生憎さま……わたしにそんな手は通用しないわよ」

 腕を払い、刹那に結果は生まれ出る。

「捩れなさい」

 キャスターが詠唱に用いる神代の言葉。

 呪文や魔術回路の接続を経ずに魔術を発動する、高速神言――

 一小節に該当するが、発動速度は一工程と同じかそれ以上。しかしながら、その威力は五小節を上回る大魔術に相当する。

 『甲龍』と『シュバルツェア・レーゲン』、二機のISの両腕がその場で捩れ吹き飛ばされていた。

 しかし、キャスターによる蹂躙は停まらず。

 Aランク(建物半壊級)レベルに当たる魔力弾による狂飆により、二機は完膚なきまでに破壊されつくしていく。

 両脚を潰し達磨にされたところへ、『シュバルツェア・レーゲン』の肩部の大型レールカノンは損壊し、『甲龍』の非固定浮遊部位の棘付き装甲が爆砕される。

 一方的な魔力弾の集中砲火――

 立ち込める砂塵が晴れた後、残骸部品が散らばる中に残されたのは、機体とは逆に無傷のまま転がる鈴とラウラ。

 このままにしておくわけにもいかず、ふたりを安全であり邪魔にならないアリーナ内の端に運び――

「…………」

 キャスターの視線はとある先へと向けられていた。

 腕を伸ばし、彼女の手に握られているのは剥ぎ取った黒のブレスレットと黒いレッグバンド。いずれも鈴とラウラが有する各々の待機形態ISである。

「先生……」

 心配そうに声をかけてくるのは本音だった。護り抜いていた竜牙兵もアリーナ端へ本音を送り届けると同時に消失していた。

 落ち着かせるように、キャスターは本音の頭を優しく撫でる。

 と、そこへ簪が機体を駆り走りこんで来る。『打鉄弐式』の腕の中には同じように失神しているシャルロットを抱えながら。

 『白式』を停めると口にする士郎に対し、簪もまた手を貸すことを申し出ていた。だが、その協力に彼は首を振っていた。

「お前の武装は打ち止めだろう?」

「でも、荷電粒子砲がある……接近戦が出来ないわけじゃない……それに、わたしの『弐式』は、まだ動ける」

 いくら未完成であろうとも、士郎と連携であれば使えなくはない武装である。そう考えた上での発言ではあるのだが、やんわりと士郎は断りを口にしていた。

 純粋な厚意に対して簪を怪我させるのに抵抗があること、さすがに『白式』相手では戦闘経験がほぼゼロの状態では荷が重過ぎるだろうという二点からの考慮である。

「その気持ちはすごく嬉しいよ。でも、お前震えてるだろ? 無理をしないでくれ。それに、俺はお前にしか頼めないことをお願いしたいんだ」

「わたし、に……?」

「ああ。デュノアを頼む。それと、葛木先生のところに行ってくれ。あの先生の近くなら安全だ」

「…………」

 こちらを心配してくれているというのは痛いほどわかる。だが逆に、簪は自分自身が足手まといであるということも同じぐらいに痛感していた。

 士郎がそのような意味合いを含んで口にしたとは思っていないが、自分にもっと力があれば彼を助けてあげられたのにと己を責める。

「頼む」

 再度呟く士郎だが、視線は『白式』へと向けられていた。竜牙兵が消え失せた中、劣勢に追い込まれていながらもなお志気を下げずに奮闘する真耶を捉えて。

「…………」

 しばし無言のままでいた簪ではあるが、ようやくして頷くとシャルロットを抱き上げ『打鉄弐式』を疾らせていた。

 士郎の指示を受けて運ぶように頼まれたと告げる相手に頷き、シャルロットを受け取ったキャスターはそっと地面へ寝かせ――首にかかっている十字のマークのついたオレンジ色のネックレス・トップをもまた剥ぎ取っていた。

 眼前での保健医の行為に、簪は気がついていない。いや、既に見てはいなかった。

 彼女の双眸に焼き付けられている光景は、纏うISが消失し、無防備な恰好の士郎に振り下ろされる凶刃だった。

「衛宮くんっ――!?」

 叫び、駆け出そうとした簪ではあるが、唐突に腕を掴まれていた。

 驚き振り返って見れば、『打鉄弐式』の片腕を掴んでいるのはキャスターである。だが、簪が驚いたのは、掴まれている箇所だった。女性の細い腕でありながらも、まるで石のように。逆に引き寄せられていたのだから。

 とはいえ、士郎の援護に向わねばならぬ簪は掴まれた腕を振り解こうとするのだが、それが叶うことはなかった。

「――――」

 こんな時に何をするのかと叫びかける簪ではあるが、改めて意識をキャスターへ戻してみれば、相手からは鋭い眼差しが向けられていた。

「行ってどうするの? ろくな装備も無い今のあなたの機体では、無駄に足を引っ張るだけよ?」

「……それは、そうですけれど……」

 指摘される点は事実であり反論できない。だが、だからといって放っておくことができないのも事実である。

「黙って見ていろ……と言うんですか……?」

「そうよ。手を出さずに見ていなさい」

「そんな……」

 憂慮の面持ちのまま視線を向ける簪だが――状況は更に一変している。生身でありながら、士郎は剣を手にし『白式』と互角に渡り歩いていた。

 ISの補佐もなしで幾合もの剣戟を繰り広げる姿など異様であろう。

「……武装……展開……?」

「…………」

 キャスターが動かない理由は二点からだった。

 ひとつは、皆を停めて見せると口にした士郎の意志を尊重して。残るひとつは、自身が任されたのはあくまでも鈴とラウラであるからだった。

 だが、そんなものは口実にもなりはしない。純粋な本心で言えば、衛宮士郎が織斑一夏を停めるだろうということはわかっている。故に、邪魔をする気がなかったからとなる。

 そのために、簪が介入してしまえば士郎の枷となり余計な手間を与えるからだと判断したキャスターが引き止めていただけに他ならない。

 と――

「簪さん、ISを解除しなさい」

「……え?」

 士郎と『白式』が繰り広げる攻防に眼を奪われていた簪は、一瞬何を言われているかわからなかった。

 本音もまた視線だけをキャスターに向けている。

 簪も同じように瞳を動かし――よくよく見れば、ネックレス・トップを掴んでいる手とは逆の手には、他の専用機持ちのものと思しき待機形態が握られていることに気づく。

(どうして、待機ISを手に取っているの……?)

 なんのためにと脳裏で呟く簪へ――

「早く」

 有無を言わさぬ強い口調。

 普段眼にする相手からは想像できぬ姿に、簪はあわてて『打鉄弐式』を解除する。

 光に包まれ、右手中指に填められたクリスタルの指輪へとISが待機形態に戻ったことを確認したキャスターは、次いで掌を上に向けて差し出し告げていた。

()()を、こちらに渡しなさい」

「…………」

 どうしてですか――?

 喉から出かけた言葉を呑み込み簪。人とのかかわりに酷く敏感な彼女だからこそ、先と同様に、下手な問答は許されない空気を肌で感じとっていた。

 断れば、何をされるかわからない。言いようのない重度の威圧を受け、本能からそう悟らされた簪は然したる抵抗もせずに、言われるまま素直に指輪を外すと、キャスターへと手渡していた。

「いい子ね。今は休みなさい。大丈夫、きちんと返すわよ」 

 そう言葉をかけるキャスターの声に頷くかのように、瞼が降り、糸が切れた操り人形よろしく簪の身体がぐらりと前のめりに傾いていた。

 倒れ込む簪を優しく抱き受け、寝かせようとして――本音の悲鳴がキャスターの耳を貫いていた。

 

 

「――――」

 ずるりと引き抜かれる刀身が紅く染まる。

 何をされたのか未だ思考理解が追いつかない士郎に対し――遅れて身体には焼けつく痛みが駆けめくる。

 部分部分の痛覚が麻痺し、だが新たな傷口によって、彼の意識は強制的に戻されていた。

 ぼたりぼたりと傷口から『生命』を零す相手へ――

「あは」

 無邪気に笑い、風を切ったブレードは士郎の右肩へと振り下ろされていた。

「づっ……!!」

 肉を断ち骨を削る痛みにより、眼の前が真っ白になる。

 だが――

 鎖骨に喰いこむ刃身は、それ以上先には進まなかった。

 些か不確かな手応えを感じた真耶の表情は眉を寄せていた。それは、なにか金属のようなものにでも当たったかのような感触を覚えたからだった。

 事実、見れば真耶の握るブレードは刃こぼれしていた。

「どういうことでしょう?」

 不思議そうに小首を傾げていた真耶ではあったが直ぐに意識を切り替えていた。

 刃が通じないのならば、銃を使うしかない、と。

「斬れない身体なら、撃ち殺すしかないですよね?」

 役に立たなくなったブレードを地に捨てると、逆の手に握られる銃器。肩部武装コンテナから取り出していたのは、五十一口径アサルトライフル『レッドバレット』――

(まさかっ、山田先生までっ――)

 胸中で呻きながらも、士郎は魔術回路を起動させていた。

「――投影(トレース)

 右腕は動かず空手のまま。左腕に生み出したのは干将。

 引き金に手をかけた真耶に迷いはない。銃口から火を噴き――士郎の身体から紅い筋が走りぬいていた。

 致命傷となる部分を咄嗟に残る片手で覆う士郎ではあるが、しかし、無論のこと全ての銃弾を停めることなどできなかった。

「――っ、はぐっ――!?」

 脚を撃ちぬかれ、地面へ倒れる士郎は起き上がることが出来なかった。斬られ突かれることに慣れはするが撃たれる痛みは初めてだった。

 視界が霞み、猛烈な寒気と睡魔が彼を襲う。

「おかしな手品は使わせませんよ……衛宮くん?」

 虫の息となる士郎の身体を乱雑に蹴転がし真耶。仰向けとなり呻く相手に、二挺の銃口――手にする一方を額に狙いを定め、もう一方を心臓部へと向ける。

 だが――

 両眼が塞がり苦悶に歪む士郎の貌。荒い呼吸に上下する胸。

 狂気に染まっていた真耶の双眸に変化が起こる。

 眼前――足元に倒れる士郎の姿に、彼女の瞳は正気を取り戻していた。

「え……? ウソ……衛……衛宮、くん……?」

 ピクリともしない相手に、真耶の口から掠れた声音が漏れ出ていた。

「わ、わたし……わたし、が? わたし、わたしが、わた、し、が、彼を……ウソ……だって、衛宮くんは……やだ……わたし……なんてことを……」

 手を震わせながら数歩ほど後ろへと下がっていた。

 どうして、彼が倒れているのか――

 どうして、自分は銃器を向けているのか――

 自分が何をしたのか、自分が何故こんなことをしたのか……彼女は、自分自身が理解できずに、ただただ茫然自失となるだけだった。

 血の気が失せ、顔面蒼白となり彼女。片手は、士郎の腹を刺した際にブレードを伝った血で汚れている。

 地面に倒れたまま動かない士郎と、己の手を何度も見比べ――真耶は声にならない悲鳴を上げる。

 しかし――

 正気と狂気が入り乱れる真耶の思考は安定しない。

 身体を揺らし、ガチガチと歯を鳴らし――その脚はがくがくと震え、ふらりふらりとおぼつかない足取りのまま後退していた。

「はやく、殺、さないと……」

 まともな判断が下せぬまま、頭の中に直接命じられる声に従い、手にする銃口が向けられ――

 刹那に、彼女は両の腕を射抜かれていた。

 

 

 超高高度上空でタイミングを見計らっていたホークアイは戦闘行動へ移っていた。

「現時刻を以って武力介入を開始する。最優先任務は、第二男性操縦者、()()()()()()()。ならびに、()()()()()()()()()()()()()()()()()

 淡々と呟き、刹那に黒の機体が構える銃口から戦術的高圧縮エネルギーレーザーが発射される。

 『ヴェズルフェルニル』が扱う長銃は、すでに戦闘用という域を超えている。もはや戦争用の代物であろう。

 名を『グングニル(貫くもの)』――

 北欧神話の主神にして戦争と死の神オーディンが振るいし槍の名を冠し、伝承でのその槍は決して的を射損なうことないと謳われている。

 僅かに屈折しつつ、皮肉にもキャスターが展開していた魔術障壁があれば防げたであろう一撃は、『壁』が存在しない学園全体を包むシールドを容易に貫く結果となる。

 衝撃により若干照準がずれるがセンサーは軌道修正を瞬時に施し、目標補足システムが『次』を捉えていた。

 対象機体がロックオンされ――

 学園を覆うシールド消失を確認し、続けざまに引き金にかかる指が動く。放たれたのは二射。

 標的を射抜くべく疾る二条の閃光は流星の如く。正確無比に、銃器を握る『ラファール・リヴァイヴ』の両手首を撃ち抜き破壊していた。

「…………」

 更にもう二射が放たれ、今度は対象機体の肩部を狙撃していた。

 長銃砲(グングニル)から蒸気が排出されていく。

 内蔵された液体窒素によって急速冷却された銃身に次弾エネルギーが供給される中、ハイパーセンサーの望遠機能を最大にして、ホークアイは眼下の状況を視る。

 第二男性操縦者の生体反応は健在であること。量産機の稼動が停止したのを確認し――

 障害となるものがなくなったと認識すると、彼女は機体を疾らせIS学園へ向って急速降下していた。

 だが――

「――ッ」

 息を漏らしたホークアイは、刹那に機体の進行方向を変えていた。減速は一切せずに、逆に更に加速しては螺旋を描くように駆ける。

 肩部、脚部から撃ち放たれた特殊ミサイルを瞬間爆発させ、広範囲に高エネルギーのサージ電流が発生する中、ホークアイは前後左右へと機体を走らせ、真下からの砲撃をことごとくかわし続けていた。

 異形の姿は忽然と消えていたこと、ならびにハイパーセンサーがIS反応を感知していないために見落としていたが、アリーナ内にもうひとりばかり厄介な存在が居たことを彼女は痛感する。

「…………」

 無言ではあるが、展開される電磁パルスの防護シールドを容易に突破してくる威力に、彼女は眉をしかめることしか出来なかった。

 また、ハイパーセンサーが相手の砲撃種類を特定出来ないこと、ならびに砲撃軌道予測が読めないことにも疑問を持たざるをえなかった。

 攻撃してくる『正体』が掴めぬ以上、ホークアイには対処の仕様がなく、ワケのわからぬ手により撃墜されるなど笑い話にもなりはしない。

 故に、この場からの撤退を余儀なくされることとなる。

「…………」

 今一度、彼女は第二男性操縦者の姿を確認していた。できることであれば、保護し連れ帰ることが任務でもある。

 だが、正体不明の輩を相手には出来ぬと割り切ると、決断するのは迅速だった。

「すまないスコール……衛宮士郎のテイクアウト(持ち帰り)は断念せざるを得ない。帰還する」

「気にしないで。彼のことは残念だけれど、おかげで案の定、()()()()()()()()()()()

 幾度目ともない閃光を掻い潜り、ホークアイは八翼のスラスターを展開すると、全速を以って空域から離脱していた。

 

 

 上空から続けざまに射られるのは二射。真耶の両肩武装コンテナが貫かれ――収納していた銃器が誘爆する。

 激しい爆発をその身に受けた真耶はその場に崩れ落ちていた。ピクリとも動かず、さりとて瞬く間に起きた出来事にキャスターは舌を鳴らす。

「無様だわっ――」

 専用機持ちのみになにかしらの問題が生じていると酌んだ彼女は早計であった。

 根本的な解釈自体を誤っていたこと。ソレは、優れた専用機であろうとも、安定した量産機であろうとしても、基本となり唯一共通するのはISだということだった。そこに機体性能の優劣など一切関係が無い。

 真耶が展開しているISは専用機でもなければ特殊なシステムが施されている機体でもない。教員が扱う、ただの一量産機である。

 専用機が何かしらの操作権を奪われるというならば、訓練機とて奪われぬ道理が存在しない。現に真耶の機体は凶行に及んだのだから。

 ISであるならば、例え量産機であろうともなんら代わりがない。

「迂闊すぎるにも程がある」

 自分自身の浅はかさを呪いながらキャスター。

 だが、今は優先すべき順番が変わりすぎていくことに苛立ちすら覚えていた。

「次から次へと――」

 続けざまに起こる第三者の介入によって、真耶の機体が狙撃される。予想外の展開にキャスターは歯を軋らせていた。

 本音に危険だから動かないようにと念押しした彼女は魔術で瞳を強化し、閃光が駆けた大空を仰ぎ――遥か天に滞空する機体を視認する。

 一小節の基に展開される高速神言。

 生み出された魔力が迸り――幾筋もの線条に広がり標的を撃ち墜とすべく空へと昇る。

 だが――

「――はずしたっ!?」

 高速起動により、『ヴェズルフェルニル』は魔術光をことごとく避けきっていた。

 そうこうしているうちに、黒い機体は空域を離脱する。

「――ッ」

 いなくなった相手にこれ以上かまけている暇もなく。キャスターは己に出来ることを全うするしかない。

 アリーナ周辺が慌ただしい。

 それは、学園に配備した使い魔を通じて流れ込む映像。生徒や教員が動き出している姿だった。

 学園へ撃ちこまれた一撃はシールドを容易に突破されている。

 無論のこと、セキュリティが感知しないワケもなく、学園に警鐘が鳴り響くのは自明の理。

 ならびに、閃光を多くの生徒たちが目撃していた。何事かと騒ぎにならぬ方がおかしいだろう。

 今はまだアリーナのシステムロックがなされたままであり、人目に触れることはないが、それもいずれは時間の問題であろう。

 余計な面倒ごとになる前に、早急に処理しなければならない。

 一夏と同様に地に倒れ伏している真耶はISを纏っておらず生身のまま。

 無言で歩み寄り、指先を伸ばすキャスターだったが、唐突に制止の声が士郎の口から上がっていた。

「やめてくれ、キャスター」

「…………」

 首を動かして片眼で睨みつけてくる士郎に対し、キャスターは冷めた一瞥を向けるだけだった。

「……なに、しようとしてんだよ……その手を下ろしてくれよ」

「放っておけば、また殺されるかもしれないのよ? この女は、この場で殺しておくべきよ」

「ふざ……ふざ、けんな……」

 起き上がろうとして――身体が動かないことを諦めた士郎はその恰好のまま口を動かし続けていた。

「……山田先生は……そんな人じゃない……」

「坊や、アナタ自分が何をされたのか本気で理解していないのっ!? この教員も、専用機持ちも――始末しておくに越したことは無いのよ!?」

 キャスターとて、決して士郎が襲われたというだけで彼女たちを殺そうとしているわけではない。

 しかし、どこかの誰かがキャスターの知らない技術によって真耶たちを操っていた以上、それが今すぐにでも、ならびに今後も繰り返されないという保証はない。

 不穏分子ともなりえる彼女たちを、ここで排除しておくことは今現在の安全を確保するうえでは合理的な判断である。

 士郎もキャスターの言葉に含まれている意味合いを理解している。だが、それでも彼は僅かに首を動かし否定の言葉を口にしていた。

「……馬鹿、そんなのダメに決まってるだろ……それに……アンタ、デュノアも殺すって言うのかよ……」

「……ええ、そうよ。わたしは、あのお嬢さんに特別な感情など持ち合わせていないもの」

「嘘つけっての……桜のように、気にかけてくれてるクセに」

 見透かされていることに――

 痛いところを衝かれ、返答に間を空けることとなったキャスターは観念したように声を荒げていた。

「本当に憎たらしくて嫌な坊やだことっ! わかった、わかったわよっ! 坊やの指示があるまでわたしは一切手を出さない! 当事者たちには暗示も掛けないっ! これで満足かしらっ!?」

 霞む視界の中、士郎はキャスターがこめかみに青筋を立てながらピクピクと怖い笑顔で震えているのが見えたような気がしていた。

 本気で怒っているなと感じながら――

「あ、ああ……サンキュー……あ、それと……」

「――まだあるのっ!?」

 さすがにこれ以上は聴いていられない。

 いい加減に殴りつけて黙らせようかと思考するキャスターだが、士郎は真っ直ぐに見据え、残る頼みを口にする。

「頼まれついでにもうひとつ……オルコットを、迎えにいかなくちゃならないんだ……約束したから……いつまでも、あそこに置いておくのは危険なんだ……悪いけれど、最優先で……それも頼めるかな?」

「…………」

 こんな状況であるにもかかわらず他人を優先することにキャスターは本格的に言葉を失い頭痛すら覚えていた。

「わかったわよ、わかったからっ! 後の始末は全てわたしがやっておくから、これ以上は喋らないでちょうだい! 坊やの身がこれ以上手に負えなくなれば、わたしがセイバーに会わせる顔がないのよ! 今はさっさと休んでいなさい!」

「ああ、セイバーに心配かけさせるのは本当にヤバイ……悪い、キャスター……無理ばっかり言って、後は……頼んだ……」

 言って、ついに士郎は限界を迎え意識を失う。

「ああもうっ! 無駄な手間をかけさせてくれる坊やねっ!」

 使い魔を通じてアリーナ内に居るセシリアたち以外の他の生徒は幾人か。

 まずはその連中からどうにかしていかないと――

 やることなすことが多すぎることにキャスターは苛立ち紛れにそう呟くことしかできなかった。

 

 

「――ッ」

 予想外の介入者による砲撃に束は舌を鳴らしていた。

 なにからなにまで自分の思い通りに事が運ばないことに苛立ちは増すばかりだった。

 一基の軌道衛星をハッキングし、座標を割り当ててみれば成層圏空域に存在する一機のIS反応――

「コイツが邪魔したのか……」

 余計なことをするなよと一言漏らし、IS『アーチャー』に下した機体強制解除の信号を送り込んでいた。

 が――

「っ?」

 モニターに映し出されるISに変化は何も見当たらなかった。

 再度強制解除、緊急停止の信号を送り込むのだが、変わらず、何も受け付けていない。

 ISを開発した束でありながら、大元たる主の命令に従わない状況に眉を寄せることしかできなかった。

「――っ、どういうことだよ」

 ぎりと歯噛みした束ではあるが、事態は更に変化していく。

 何の前触れもなく――

 突如として表示されていた全てのディスプレイが切り替わる。勝手にプログラムを立ち上げては、あるウィンドウはデータを改竄しはじめ、あるウィンドウではOSデータを次々に抽出していく。

 一瞬、さすがの束もなにが起こったのか理解できずに呆けていたが、ハッキングを受けている状況であるということをようやく把握する。

「――っ」

 やられた、と束は本格的に呻きモニターを睨みつけていた。

 成層圏空域で戦闘する量産機は、ある意味(デコイ)であり本命。こちらを炙り出そうという役目も担っている。 

 経緯はどうあれ、相手側は、篠ノ之束が衛宮士郎に接触するのをどういうわけか知っていた。邪魔をしたISに介入してくることさえ読んでいた上で、その機会を虎視眈々と狙っていたのだろう。

「……っ」

 データの流出は止まらない。

 一部を敢えて直結させ、そこから束の手腕を発揮するかのごとく、逆ハッキングを仕掛けていく。

 ウィルスプログラムを送り込み、僅かな時間すら稼ぎもするのだが、有利であるのは相手側だった。束が主導権をひとつ取り返せば三つ取られ、三つ取り返せば五つ取られる。

「――チッ――」

 このままではいたちごっこにより時間をとられるだけでしかない。ハッキングの攻防に無駄な手間をとられ、その隙にこの場を押さえられても面白くない。

 取り返すことを諦めた束は防衛のみに専念する。天才たる彼女が本領を発揮したことにより、これ以上の侵攻は食い止められ、そこから幾重にも防衛プログラムを組み込んでいく。

 だが、あくまでも止めているだけに過ぎない状況は、いつかは拮抗が崩れ出す。

 数パターンの情報殲滅改竄プログラムを送り込み、完全なプロテクトを幾重にも張り巡らせ――

 ひとつ小さな舌打ちを漏らした束は、無造作にとあるキーを叩いていた。

 瞬間――

 ボン、と音を立てて汎用機は黒煙を吐き出していた。

 物言わぬ鉄の塊と化していく機材。その中には、メインフレームすら含まれている。

 必要なデータは定期的にバックアップしているとはいえ、この光景は他者から見ればやりすぎであろう。しかし、自身のマイナスに値すると判断した対象に関しては、やるからには徹底するのが束でもある。

 主要となる機材は次々と壊れていく。 

 束が下した命令はデータ消去。

 これ以上の損害を免れるために、データを破棄するためだけに機材ごと破壊するために、キーを無造作に叩いていく。

 主要の機材が次々と壊れていく中、束は別のことを考えていた。

 どこぞの国家が介入してきたのかと踏むが――いや違うと束は首を振っていた。一国家でできることなど限られる。

 だとすれば――

「…………」

 国家でなければ組織であろう。更に、こんなマネができる組織など、束にとっては思い当たる節はひとつしかなかった。

 当初は、国際IS委員会かと思いもしたが、連中にこのような芸当が行えるとは考えにくい。

「レベルが低いヤツじゃないとすると……」

 どういう理屈か、こちらの掌握を打ち払う方法をこの機体は有しているのだろう。

 今この場で一機のISにかまけている暇はない。此処が割り出されるのも時間の問題である。いや、既に割り出されている。

 こちらの居場所を特定するのが目的であったかのように――

 現に、ディスプレイに映る赤二点。

 別の軌道衛星をハッキングし、そこから映し出される結果に――束の表情は変化を生じさせるに十分だった。

 ダイレクトに流れる映像は、超高速で白色と黄色のISが移動していた。

 割り出された方角から、二機は間違いなくここを目指し向って来ている。

「…………」

 目的は篠ノ之束の捕縛か、または有する無人機か。

 移動式のラボたる『吾輩は猫である(名前はまだ無い)』には相応の防衛装備を有している。だが、亡国機業の相手をするなど面倒であり手間がかかる。

 故に、早々にここから撤退する必要がある。

「……まあ、いっか……」

 一度だけモニターに視線を向け――

 当初の目的は達成できたことに束は満足していた。遅かれ早かれ、第二操縦者の男は死に絶える。次は三番目の男を排除しなくてはならない。

 癪ではあるが、全ての機能を打ち切ると彼女は逃走するための行動を開始していた。

 

 

 寮食堂内の片隅で、ソファーに座る箒とセシリアは言葉少なく会話を交わしていた。

 内容は第二アリーナで起こったものである。

 箒自身もアリーナ内に居合わせていたことを告げ、セシリアは一部始終を口にする。

 とはいえ、あの場で唯一全てを見入り、最初から最後までを知るのはセシリアと本音だけだった。思い出してみても理解出来ぬことの連続でしかない。

 特に、士郎の身体の傷口が癒えていく姿を直に眼にしたふたりは信じられないといった驚愕の眼差しで見ることしかできなかった。

 部分空間凍結の魔術を施された士郎の身体から無造作に引き抜かれた杭が地面へ放られる。

「葛木先生……これは、一体なんなんですの……?」

「…………」

 キャスターの手を借りて地面へ下ろされたセシリアは、眼の前で起きている現状に問いかけの声を漏らしていた。

 しかし、相手は求めた答えに応じることはなかった。ただ、邪魔をするなという殺気にも近い威圧を篭められた一瞥を向けられるだけであり、以後セシリアと本音は何も口にすることも出来ずに押し黙るだけだった。

 あの場あの時ほど、セシリアは背筋を凍らせるほどの戦慄を覚えたのははじめてであった。そのため、本能的に口外できる部分のみを話すだけに留まることとなる。

 箒にとっては、彼女は隔壁に閉じ込められたまま何もすることが出来ずにいた。『紅椿』を展開したところで隔壁をこじ開けることも破壊することも叶わぬまま、気がつけば事態は収束に向かっていた。

 だが、終わってみれば事態は箒が思っているほど楽観出来るような状況ではないことを気づかされる。彼女は知りもしなかった。一夏以外に士郎に襲いかかった五人の存在を。

 その内のひとりであるセシリアの口から伝えられる内容もまた耳を疑うに値するものだった。

「…………」

 双方押し黙り、時間だけが過ぎていく。

 ――と、そんなふたりのところへ、ふらりと現れたのはISスーツ姿に腕や脚、頭に包帯を巻いた痛々しい恰好のシャルロットだった。箒とセシリアの姿を捉え、憔悴しきった顔のまま声をかける。

「ああ、此処に居たんだ。よかった。部屋に行っても居なかったからさ……随分と探しちゃったよ」

「どうしたんだ? 何かあったのか?」

「うん、実は……ふたりに言っておこうと思って……あのさ……僕、帰ろうと思うんだ」

「は?」

「…………」

 唐突に切り出したシャルロットの内容に、箒は聴き間違いかといわんばかりに眼を丸くし、セシリアは無言のまま視線を向けていた。

「帰る? 帰るとは……一体何処にだ?」

「フランスにさ」

 損壊した機体修復のために一時帰国するのかと理解した箒であるが、シャルロットは違うと首を振っていた。

「たぶん、僕はもう此処には戻れないと思う。ううん、恐らく、箒たちにももう二度と会えないと思うんだ」

「何を言っているんだ……?」

 引き揚げることを示す意味合いに箒は困惑する。

「ごめん……ちょっと詳しいことは言えないんだ。ただ、皆と過ごした時間は楽しかったよ」

「ど、どうしてだ? いくらなんでも、突然すぎるじゃないか」

 慌てるように声を上げる箒に対し、シャルロットは静かに首を振る。

「どうしてもないよ。僕は、此処に居られない。僕は、士郎にとんでもないことをしたんだから」

「……ま、待て! だが、だからと言って……」

「四組の子には、さっき会うことが出来て……その……僕は、士郎に会わせる顔がないんだよ。だから……ごめん。虫のいいことを言っているのは重々承知してる……でも、それでもお願いしたいんだ。士郎には、箒とセシリアから伝えておいてほしい……許してもらえるなんては思っていないけれど、本当に申し訳なかったって」

 それじゃ、と消え入りそうな声で呟くとシャルロットは箒の視線を振り切って踵を返す。

 だが――

「お待ちなさい」

 呼び止めたのは無言のまま聴き入っていたセシリアだった。

「黙って聴いていれば……シャルロットさん、アナタ、随分と自分勝手すぎませんこと?」

「……言ったでしょ。勝手なことだってのはわかってるって……だから――」

「だから、逃げ出すと仰いますの? 保身のために?」

 蔑むかのような眼を向けるセシリアに、シャルロットは顔を伏せることしか出来なかった。

「……保身……君は酷いね……僕に生き恥を晒せって言うの?」

「ええ、そのように捉えてもらって結構ですわ。みっともなく無様な姿をあらわにしろと申しておりますのよ」

「セシリア、お前……」

 いくらなんでもそんな言い方はないだろうと咄嗟に肩を掴む箒であるが、セシリアはうっとうしそうに振り払っていた。

「箒さん、申し訳ありませんが、アナタは黙っていてくださいまし」

 ぴしゃりと言い切り、セシリアはシャルロットへと向き直る。

「悲劇のヒロインぶるのは勝手ですわよ。それでも自国へ帰るのならば、お好きにどうぞ。ですが、彼への言伝は御自分でなさいませ。わたくしも箒さんも、メッセンジャーではございませんのよ」

「…………」

 俯くシャルロットはただただ言葉を吐いていた。

「……どんな顔をして、僕は彼に会えって言うのさ」

「そんなのは知りませんわよ。御自分で考えなさい。それに、言っておきますけれど、辛いと思うのはシャルロットさんだけではございませんのよ? わたくしとて、どの面下げて彼に会うべきかなど、逆に教えて欲しいぐらいですわよ」

「…………」

「今一度、よく考えなさい。彼を傷つけたのは、アナタだけではないんですのよ。わたくしも、鈴さんもラウラさんも、一夏さんもですのよ。自国に帰るから伝えて欲しい? 甘えるのもいい加減になさい」

「…………」

「帰るのならば、直接ご自身の口から彼に伝えてから去るんですのね」

「……僕は、セシリアのように振舞うことは出来ないんだよ」

「だから、殻に閉じこもるというんですの? ハッキリ言いまして、今のあなたは見ていてイライラしますわよ。何をひとりで不幸ぶってるんですの?」

 その物言いに、シャルロットの眉がピクリと動く。

「僕は、そんなつもりは――」

「いいえ、あなたは不幸ぶってますわよ。なんて僕は可哀想なんだろう。こんなにも僕は辛い思いをしたのにと……虫唾が走りますわよ」

「……ッ、なんだよ……さっきから偉そうにっ……僕がどんな思いをして、どんなに悩んで決めたかも知らないクセにっ!」

 セシリアの言葉尻にシャルロットの抑えていた感情が爆発する。怒り、睨みつけながら。

 だが、射殺すかという双眸を向けられていながらもセシリアは動じることもない。むしろ呆れたように肩を竦めて見せていた。

「ええ、ええ、知りませんわよ。わたくしはアナタではございませんもの。いえ、むしろ知りたくなどありませんわね。彼を傷つけて、すごすご逃げ出そうとしているアナタの何をわかれと仰いますの? わかってもらおうという根本的な考え方自体が甘いんですのよ」

「…………」

「もっとも、アナタにとってはその程度でございましょうね。さっさと帰って悠々自適にすごせばいいんじゃありませんの? その様子ですと、アナタのことですから彼を傷つけたことに関しても、特に責任も感じていらっしゃらないんでしょうけれど。士郎さんのことなど綺麗さっぱり忘れて、何事もなかったかのように呑気に暮らせばよろしくて? さぞかし楽なことでしょう」

「――っ」

 刹那、ばしんと乾いた音が上がるのはセシリアの頬から。

 肩を怒らせ、呼吸も荒いシャルロットは相手を睨みつけていた。

「前々から気に入らなかったんだよ。お嬢さま然としたその物言い。上から目線の君がさ」

「……やりましたわね」

 頬を手の甲で拭ったセシリアは、負けじとシャルロットの顔を掌で張っていた。

 ひとつ叩かれればふたつ返し、ふたつ叩かれればみっつに返す。

 互いの頬を打ち合うふたりに――

「や、やめろ! こんな時に何をやっているんだ、お前たちはっ!?」

「……やらせとけばいいんじゃないの?」

 唐突に割り込まれた声音は――自動販売機に寄りかかるように腕を付き、面倒くさそうに視線を向けていた鈴だった。彼女の恰好もいたるところに包帯が巻かれた姿である。

「鈴! 身体の方はもういいのか!?」

「ちょっと、あんまりデカイ声出さないでくんない? 頭に響くから」

 眉をしかめて嫌そうな顔をする相手に箒は即座に口を噤んでいた。

「す、すまない……」

「ん。まあ、打ち身が酷くて至るところがまだ痛いけれど……頭もまだぐらぐらするけれどね」

 動けないわけじゃないわよと応える鈴。

「大丈夫なのか? まだ休んでいた方がいいんじゃないのか? 無理をしても身体を壊してしまったら意味がないんだぞ?」

「呑気に寝てもいられないわよ。で? あのふたりはなにしてんの?」

 呆れ、疲れたように視線を投げる先では未だセシリアとシャルロットのふたりは平手の応酬をしていた。

「そうだ――お前もふたりを停めるのを手伝ってくれ」

 思い出したように箒は事態を収拾させるために協力を募る――のだが、予想に反して鈴は至極面倒くさそうに一瞥をくれるだけだった。

「はぁ? なんでよ。イヤよ、めんどくさい」

「鈴!?」

「停めたきゃ箒ひとりで勝手にどーぞ。あたしはあたしで用があんのよ。で? 衛宮はどこ? ラウラは隣の部屋で寝てて、一夏は隔離されて、アンタたちはここに居るし。衛宮を探してるんだけど、どこにいるか知んない?」

 その言葉に掴み合いを続けていたセシリアとシャルロットの手が停まり、箒もまた表情に陰りを浮かばせる。

「……その顔からすると、どこに居るかは知ってんのね。ならいいわ。それで、一体なにがあったわけ? きちんと説明してくんない? あたし、気がついたらベッドの上なんだけれど?」

 

 

 同刻――

 深夜、人気の無い公園に居るのはふたり。遊具のブランコに腰掛けた千冬と真耶は無言だった。

 公園内の外灯に照らされたふたりの表情は浮かなかった。

 セイバーとランサーを連れてIS学園に戻ってきた千冬にとって、第二アリーナで起きた件はまさに寝耳に水であろう。

 一連の騒動を聴き入った千冬は静かに息を吐いていた。報告内容はどれも頭が痛いものばかりである。

 キィと音を鳴らし、真耶はようやくして視線を千冬へと向けていた。

「……織斑先生、『白式』は、一度本格的に精密検査を行うべきです。あの機体は、明らかに何かがおかしいです」

「…………」

 真耶の指摘通りに、千冬も『白式』には何処かきな臭さを感じてはいる。一般企業や国家が造った機体ならまだしも、少なからず篠ノ之束が手がけたという事実が、彼女にとってはどうにも妙に引っかかっていた。

 何より、彼女はランサーに告げられてから『白式』と『紅椿』を訝しんでいたところはあった。

 片手で缶ビールのプルタブを引いて開けると、口をつけて喉に流し込む。

 バーで随分と呑みはしたが、それでもまだ千冬は呑みたりなかった。

 委員会の貪欲さ。眼にし、耳にした内容を今思い出しただけでも虫唾が走り、苛立ちは消えない。呑まなければやっていられないとはこのことだろう。

 あげく、学園に戻ってみれば専用機たちの暴走事故があったと報告を受ければ耳を疑い言葉もなくなる。

 負傷者の中でも特に怪我の状態が一番酷いのは、重篤とされる士郎である。

 身体中の至るところに生じる切創、裂傷。一部は割創さえある。銃創や杙創(よくそう)、内部的怪我となる内出血に骨折、捻挫、内臓破裂。熱的要因となる火傷も酷い。

 集中治療室に担ぎ込まれ、士郎の意識は未だ戻ってはいない。セイバーとランサーのふたりは士郎の容体を知るや否や何処かへと姿を消していた。

 士郎とは別に、意識が戻っていないのは三人ほど。一夏と鈴、ラウラである。だが、こちらの三人は命に別状があるわけでもなかった。重度の打撲として呼吸は安定している。意識が戻るのも時間の問題であろうと診断されていた。

 一体何が原因で、何が起こったのか――

 とりわけ呆けたように塞ぎ込むのは真耶だった。眼を覚ましてから自分がした事の重大さを我を忘れるほど錯乱したかのように暴れ出し、酷く取り乱す彼女を押さえつけたのはキャスターであると居合わせていた本音や簪、セシリアから聴かされていた。

 教職員寮の自室にまるで引き篭もるかのように。

 何があったのか事情を聴くために、敢えて外へと連れ出したのは千冬の独断である。学園にいては訊けることも訊けないとしての配慮故に。

 当然ではあるが、連れ出すことにキャスターが気づいていないハズはなく、だが敢えてなにも言わずに黙認していた。

 行きつけのバーで呑むのも千冬ひとりであり、真耶は一口も酒には手をつけなかった。

 話したくないのならばそれでもいいとして、帰りがてらにたまたま眼についた公園へと誘って来たのは真耶である。

 そこで一連の流れを――真耶は重い口を開いて語り、全てを吐露していた。

 唐突に――

()()()()()()()……」

 一点を見つめ、ポツリと呟かれた千冬の声音に真耶は一瞬呆けた顔をしていたが、応じるように――場に不似合いな声が加わる。

「あれれ? 気づいていたのかな?」

 一体いつからそこにいたのか、何の前触れもなく、何も無い場所から現れたのは、篠ノ之束。まるで最初からそこに居たかのように。

「篠ノ之、博士……」

 驚きに眼を見開く真耶とは違い、居るのがわかっていたのか千冬の表情に変化は見当たらなかった。

 缶ビールに口をつけた格好のまま視線を向けてくる幼馴染の前に、束はスキップさながら足取り軽く歩み寄っていた。

「やー、ちーちゃん」

「……なんの用だ?」

 自分から声をかけておきながら、問いただす相手に気にした素振りも見せずに束は笑う。

「いやいやいや、なんだかさー、学園で愉快なことが起きたそうだねー。何でもさ、いっくんの『白式』が暴走したらしいじゃない。これまた随分と面白いことが起きるもんだねー。ホントホント、不思議なこともあるんだねぇ。それに、二番目の男がくたばりそうだって言うじゃない?」

「……面白い?」

 だが、この言葉に反応したのは真耶だった。

 彼女の中で、少しづつではあるが、何かが壊れかけていく。

 下手をすれば誰もが大怪我をし、最悪なケースでは命すら落しかけない危機的状況であったものを、ただの一言の『面白い』と片付けられることなど、如何様にしても納得できるはずがない。

 なによりも、面白い要素など――断固として――ひとつもありはしない。

 相手がISを世に生み出し造った張本人の篠ノ之束とはいえ、不謹慎としか思えない今の発言は、真耶の神経を逆なでさせるには十分だった。

「何が、面白いんですか……」

 ぼそりと吐かれた声音は、しかし、束の耳に届いていたのだろう。千冬との会話を邪魔されたことに、露骨に怪訝そうな表情を浮かべていた。

「は? なんだよコイツ。ちーちゃん、なに、コレ?」

 コレ呼ばわりをし、向ける顔つきも、千冬へ見せていた物腰優しそうだった双眸の面影は微塵も無く、睨みをきかせた眼光へと変わっていた。

「……束、失礼な言い方はやめろ。彼女は、わたしが受け持つクラスの副担任の山田真耶だ。臨海学校で一度会っているだろう?」

「あれ? そうだっけ? 取るに足らないどーでもいい人間なんて、いちいち覚えてないよ――て、あぁ、よくよく見たら、ちーちゃんをたぶらかそうとしたおっぱい魔神か」

「…………」

 けろりと応える束に対し、千冬は無言のまま眉を寄せていた。

 鬱陶しそうに指を差し向ける束ではあるが、千冬が制止するよりも早く、肩を怒らせる真耶の口が動いていた。

「もし、取り返しのつかない怪我をしたら、死んでしまっていたとしたら……篠ノ之博士、あなたはそれでも面白いと笑っていられるんですか?」

「はぁ? だからなんだよ? なに束さんに意見してるワケ? 別に、二番目のヤツがどうこうなろうと知ったことじゃないよ。それに模擬戦なんだから、事故で死んだとしても、相応に処理されるわけだし。なにマジでムキになってるわけ? 理解できないんだけれど」

 面倒くさそうに応えながら、ひとつ名案を思いついたかのように指を一本立てていた。

「ああ、例え死んだ後でも役には立つよね? 研究材料としての『価値』ぐらいは残ってると思うし。できれば死んじゃえば良かったのにねェ? そうすれば、男でISを動かせる理由も原因もいろいろと調べられたのに残念だったねぇ。まぁ、くたばってたらくたばってたらで、腕の一本でも貰おうかなーと思ってたところではあるし。束さんとちーちゃんの仲だしねぇ。ねぇ、ちーちゃん? どーせあの二番目は死ぬんだしさぁ、予約ってことで、事切れたら束さんに死体を寄こしてよ。有効活用してあげるよー」

「…………」

 くすくすと笑う束ではあるが、千冬は無言のまま聴き入っているだけ。ただ、その表情はより一層険しい顔となっていた。

 ただひとり、静かな怒りによって身体を震わせる真耶のみは束を真正面から睨み見据えていた。

「衛宮くんは死にませんっ! いいえ、絶対に死なせませんっ!」

「うるさいなぁ。空気ぐらい読めよ。それに、お前ひとりがどうこうしようが、遅かれ早かれ、死ぬ人間はどうあがいたって死ぬんだよ」

「あなたは、本気で言っているんですか……?」

 相手の考え方は到底受け入れられはしない。いいようのない嫌悪のみが真耶の心を支配していく。生理的に受け付けることが出来ないと彼女の本心がそう警鐘を奏ではじめていた。

「くだらないことを訊かないでほしいね。冗談を言うほど束さんは暇じゃあないんだよ。まぁ、言い方を変えれば、少しは興味があるよ。人体の構造上の部品としてね」

「……っ」

「いろいろと調べたけれど、他の専用機持ちたちもこぞって襲ったらしいじゃんか。二番目の男性操縦者を事故とはいえ殺したってなると、他国のどうでもいい代表候補生も相応に面白くなってたのにねぇ。男性で操れる内のひとり。貴重な輩を殺したともなれば、各国の面目丸つぶれだったろうにさぁー。実に残念だったよ」

「アナタはっ!」

 思わず立ち上がろうとした真耶に片手を差し向け、そこで今まで口を挟まなかった千冬が割って入っていた。

「……束、遠回りな言い方はやめろ。お前がそれだけを言うために、わたしの前に現れた訳ではないだろう?」

「おおっ、さすがちーちゃん、察しが早くて助かるよ。わかってくれるってことは、やっぱり愛かな?」

 真耶にはもはや興味はないとばかりに、束は嬉しそうに千冬へと向き直っていた。

「あのさー、やっぱり二番目のヤツは個人的にいろいろと調べたいから、バラしてみたいんだよねー。ナノ単位ででも調べもすれば、どうして男でもISが動かせるのかがハッキリとすると思うんだよ」

「――っ」

「…………」

 表情に変化を生じさせるのは、無論、真耶である。千冬は眉を微かに動かすのみ。

「それだけを伝えに来たんだよ。束さんなら検体として、効率よく研究材料として使ってやれるからね。そんじょそこらの無能な屑どもとは勝手が違うよ~?」

「そんなこと、容認できるわけがありませんっ!」

 両手を広げ、ケラケラと笑い楽しそうに説明し出していた相手に我慢できず――

 だが、確固たる意志を持った真耶は声を荒げていた。

 案の定、邪魔されることを快く思わない束の表情もまた変わることとなる。

「ちーちゃん、ホントになんなのコレ、さっきからさぁ……? なにコイツ、なに偉そうに束さんに意見してるの?」

「衛宮くんは、モルモットじゃありませんっ!」

 怒りに身を任せて立ち上がる真耶に対し、心底鬱陶しく目障りだといわんばかりに束は呆れの表情を浮かべていた。

「はあ? だからうるさいって言ってるだろ。どうせおっ死ぬ二番目なんだし、替えは三番目のヤツが居るんだから別にいいだろ。ゴッコで教職者ぶってる割りに偉そうにするなよな。大した実力もないクセに」

「なっ――!?」

 束が告げた言葉に真耶は言葉を失っていた。自身は決して『ごっこ』で教師を行っているつもりは無い。至らない点があるのは自覚しているが、教師としての誇りを持っている。遊びのつもりなど毛頭なかった。そんな風にとられるなどと、心外以外の何者でもなかった。

 悔しさに歯噛みする真耶に構わず、束は続けていた。

「それに、三人の男性操縦者の中で一番どうでもいいのが二番目の男だしね」

「……どういう意味でそう思う? できれば聴かせろ、束」

「――ッ!」

 唐突な千冬の言葉に、真耶は顔色を変えていた。まさか、話の内容如何によっては了承するつもりなのかと彼女は危惧する。

 話に乗ってきたと捉えた束は嬉しそうに切り出していた。

「いっくんは、束さんや箒ちゃんにとって、とても大事な子だからね。三番目は操縦技術がダントツっぽいし。ほら、そうなると二番目なんて大した役にも立ってないじゃん」

「…………」

 束の一個人の感情での物言い。

 どういった理由が聴かされるのかと少しばかり期待をしていたのだが、思わず千冬は苦笑を浮かべていた。それは予想出来得ていた応えであったからに他ならないために。

「……それが、理由か?」

「そうだよ。ちーちゃんこそわかってるクセに、何でいちいち訊くのかなぁ? ちーちゃんだって、その三人の中なら篩いにかけて二番目のヤツが一番どうでもいい存在だと思うでしょ?」

 意味がわからないよと漏らす束に対し、千冬はフンと鼻で笑っていた。

「その考えには賛同できんな。お前の言い分では、それでは衛宮が一番格下だからという意味での結果だろう? 偏見でしかない」

「偏見も何も、事実だからねぇ」

「……束、その三人の中では、一夏が一番下だとは捉えないのか?」

「ありえないね」

「何故そう言い切れる?」

 千冬の言葉に、束は呆れた表情を浮かべていた。

「ちーちゃん、ちーちゃんこそよく考えた方がいいよ? いっくんは伸びるよ」

「ほう……その根拠はなんだ?」

「決まってるじゃない。束さんが手がけた『白式』に乗ってるんだよ? これで伸びないはずがないじゃない」

「…………」

「だからさー、ちーちゃんの許可を貰っておこうと思ってさ。ちーちゃんだって、いっくんよりもどこの馬の骨ともわからないヤツが研究材料にされてた方がいいでしょ? ISの発展のために何かしらの役に立つとは思うし」

 ね、と賛同を得るかのように問いかける束に対し、だが、千冬の表情は冷ややかだった。それは、いつぞやの携帯電話で会話を交わした際の時と同じ否定の言葉を口にするために。

 同時に――まだ中身が残っていた缶ビールが彼女の手の中で握り潰されていた。

「……なぁ束、前にも言ったはずだ。人道的に反した事柄に、わたしは賛同する気はないと。それに、一切興味がない」

「んんー? ちーちゃんも箒ちゃんと同じで御堅いねェ」

「…………」

 妹と同じという物言いに、千冬の首が僅かに傾く。

「まー、いっか……とりあえず、伝えることは伝えたからね? ちーちゃん? それにしてもさぁ」

 口元に指を運び、くすくすと束は笑う。

「『白式』は、わたしの予想を裏切る動きを見せるねぇ。搭乗者の精神とリンクして、そういう行動に走るのかもしれないのかなぁ。わたしにもわからないことが出てくるってのは興味深いよ。うんうん、そう考えると、いっくんが心の底からそのように望んだからこそ、『白式』が動いたんじゃないかなあ?」

 だが、この言葉に異議を唱えたのは真耶である。

「織斑くんが自ら望んで、衛宮くんに危害を加えたと言いたいんですかっ!?」

「そうだよ。目障りだから潰したい、気に入らないって思うのは、人間誰もが持ちうる心理だろ。別におかしなことじゃないはずだよ」

「…………」

 キッと睨みつける真耶だったが、その口は動いていた。

「……篠ノ之博士っ、あなたがなにかしたんですかっ!? 応えてくださいっ、篠ノ之博士……あなたが、彼らに何かをしたんですかっ!?」

「随分と面白いことを訊くね? 仮に束さんがちょっかいを出したとして、何の得があるのかなぁ?」

「……ISを造ったあなた以外に、こんなことが出来るとは思えません」

「まあ、束さんに不可能はないけれど、だからといって、それだけで束さんが何かしたって言うのはどうかと思うけれどねぇ?」

「…………」

「そうまで言うなら、束さんが何かちょっかいを出したって言う証拠を出しなよ。誰もが納得できる断固たる証拠をさぁ」

「……それは」

 ぎりと真耶は歯を軋らせていた。

 確証を持ったわけではないが、相手は嘘をついている。雰囲気でそれを察していた。

「証拠は?」

「……証拠なんてありません。ですが、ハッキリとわかります。篠ノ之博士、あなたが何かをしたのは……わたしの、ただの勘です」

 相手が告げる言葉に、束は失笑を漏らしていた。

「勘? とるにたらない人間の勘ごときで難癖つけられても迷惑な話でしかないよ。ちーちゃんの前だからって、下手に格好つけるなよな。たかが一教師もどきがさぁ。もう一度訊くよ? ちょっかい出したとして、束さんに何の得があるって言うのさ?」

「――っ」

 明らかに眼の前の篠ノ之束は何かを行っている。だが、それを明確に表示できる証拠がない。介入し、手を加えたという物質的証拠が。

 本人を前にしておきながら、この言いようのない歯痒さ、怒り。

「それにさぁ、機体のせい機体のせいって言うけれど、本当に機体のせいなのかな?」

「……どういう意味ですか?」

「あれ? ここまで言ってわからない? 無能はどこまでいっても無能ってことか。搭乗者の意思で殺そうとしたんじゃないのって言ってんだけれど? こうまで砕いて言わないと理解できないわけ?」

「――――」

 それは、妹の箒にも告げた同じ言葉。一夏やセシリア、鈴、シャルロット、ラウラたちの明確な意思で士郎を傷つけたのだろう、と。

 だが、反応は箒とは違う。真耶にとって、教え子がそんな感情を持つはずがないと信じているために。

「だいたいさぁ、お前も殺しかけて喜んでたひとりのクセに、何が護るだ死なせないだ、だよ。よくそんなことが言えるもんだね。今頃いい子ぶるなって言ってんだよ」

「――ッッ!?」

「お前の明確な意思で、あの二番目を殺そうとしたんだろ。他人に責任擦り付けるなんて鬱陶しいことこの上ないよ」

 聴くに堪えられないと捉えた真耶は掴みかかろうとするが、身体を滑り込ませた千冬が制止していた。

 束はニタニタと口元を歪ませている。

「ムキになるってことは、自覚はあるみたいだねぇ。で、どうだった? 偉そうなこと言ってた割には、やってることは矛盾してるわけだよねぇ? お前もなんだかんだヌかしてるクセに、本心では男がISを操作できることが妬ましかったんだろ?」

 結果――

「アナタはッッッ」

 聴くに堪えられず、千冬の腕を振りほどき、感情のままに殴りかかる真耶ではあるが――

 次の瞬間に、地面に倒れこんでいたのは己だった。

 何をされたのかはわからない。気がつけば、自分から地面へ倒れこむかのように。

 頬にじんじんとした痛みと熱が帯びはじめる。ようやくして、真耶は、逆に自分が束に殴り倒されたのだということを理解していた。

「大丈夫か?」

 真耶を優しく抱き起こすと、千冬は鋭い視線を束へと向けていた。

「束、お前が何を考え、何を企んでいるのかは知らんし、訊く気もなければ興味もない。だがな……これ以上、衛宮にいらんちょっかいをかけてみろ。さすがにわたしとて見過ごすワケにはいかん」

「…………」

「それにだ、お前がわざわざこうして出てきたということは……お前、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()?」

「…………」

 今の今まで楽観としていた相手の態度、雰囲気が変わる。

 眼つきを変えた束は逆に問いかけていた。

「……ちーちゃん、どうしてそう思うのかな……?」

「フン、お前との付き合いが何年だと思う? お前の真意に関して理解は出来ないが、お前が考えそうなことぐらいは察しがつく」

「……それだけで?」

「ああ、それだけだ。だがな……」

 嘲りの混じった眼差しの束に対し――

 千冬はハンと鼻で笑い、口元を釣り上げていた。

「うぬぼれるなよ? 世の中にはな、お前が知らないことも存在するんだ。お前を中心に世界が回っているとは思わないことだな」

「……その言い方だと、やっぱりちーちゃんは、何か知ってるっぽいってことでいいのかな?」

「そうだな。お前よりは知っているつもりだ。一夏以外にISを動かせる輩を近くで見ているからな。常識が通用しないとはこのことだろうな。現に、お前の理解が及ばない出来事に直面している……違うか? 衛宮の登場は、まさしく予想外のことではないのか?」

 かまをかける言い方の千冬ではあるが、相手は愉快そうに笑みを浮かべるだけだった。

「ふうん……面白いねぇ。そういうことにしといてあげるよ、ちーちゃん」

 ぺろと指先を舐め、目を細めた束は……しかし、彼女もまた、にんまりと口元を歪ませていた。

「まあいいや。一応、断りは入れたから、後はこっちで勝手にやるからね」

「篠ノ之博士っ、まだ話は終わっていませんっ!」

 落ち着け真耶と千冬に肩を捕まれるが、その手を荒々しく振り払い――

「彼に――いえ、衛宮くんとランサーさんに指一本触れてみなさいっ! わたしは、アナタを許しませんっ!」

「…………」

 その言葉に――

 束は眼を瞬かせ、きょとんとした顔をしていたが、唐突にケラケラと笑い出していた。

 これに唖然とするのは発言者の真耶だった。

 後ろめたいことも指をさされるようなことも口にしてはいない。自身が思い、信念のままに発言した内容である。

 だが、これを笑われるということに、彼女の表情は赤く染まる。怒りと羞恥が入り混じった顔。

「――っ、何がおかしいんですかっ!?」

「あははは、滑稽で笑えるねぇ。触れたらどうするの? ひとりじゃ何にもできないくせに? ISに頼らなければ誰かを護れる力も無いくせに? あんまりくだらないことで束さんを笑わせないでほしいなぁ」

「――っ」

「ちーちゃんがいなけりゃ何も出来ないクセにさぁ。ちーちゃんがいるからこそ、ここにいられるクセに。おんぶに抱っこの割りに、何を偉そうに言ってるわけ? 正直うっとうしいんだけれど」

「っ――」

 声を詰まらせる真耶に、これ以上は興味もないとばかりに束は千冬に向き直っていた。

「じゃーねー、ちーちゃん。また会おうね。今度はふたりきりでね。うるさいハエがいない時に話そうね」

「篠ノ之博士ッ!!」

 現れたときと同様に、忽然と姿を消す束。

 夜のしじまに、真耶の怒声が響き渡っていた。

「真耶、あまり気にするな。昔から、あいつはああいうヤツなんだ。あいつの言うことは――」

 肩に手を添える千冬ではあったが――真耶はその手を荒々しく振り払っていた。

 涙を浮かべて睨み据える双眸に、一瞬呆けた千冬だが、再度言い聴かせようとして――だが、それよりも早く真耶の口が動いていた。

「先輩はッ――どうして、そんなに冷静でいられるんですかッ!?」

「真耶?」

「篠ノ之博士と幼馴染だからですかっ!? 冗談だからと受け入れられるからですかっ!? 織斑くんには危害を与えられないからと分かっているからですかっ!? 衛宮くんならどうなっても構わないという考えですかっ!? そんなの、わたしは許せませんっ! わたしはっ――本気で、衛宮くんが心配なんですっ! わたしは、わたしは彼に取り返しのつかないことをしてしまったんです!」

「落ち着け真耶、今のお前は疲れているだけだ。身体を休めて冷静になれば、いつものお前に戻る。だから――」

「……わたしの何を知っているんですか」

 自嘲めいた笑いを漏らし、真耶は数歩ほど後ろへと下がっていた。

「――――」

「わたしの何を知っているって言うんですかっ! 何も知らないクセにっ! 然もわかったような言い方をして――勝手なことばかり言わないでくださいっ!」

「待て真耶、わたしが口にした言葉が気に触ったのならば謝る。だが、わたしは決してそんなつもりでは」

 取り乱すかのように、口早に告げる後輩を宥めるために、真耶の両肩を掴もうとするが――

「触らないでっ!」

「――っ」

 一喝する相手の声音に、伸ばした指先は停まっていた。

 敵意を剥き出しに睨みつけてくる真耶の表情など、千冬にとってははじめて眼にする姿であろう。

 故に、どう対応してよいかわからず、千冬は言葉をかけることも動くこともできなかった。

 その場から逃げるように――踵を返した真耶は、己の身体を抱きしめるようにして駆け出していた。

「…………」

 千冬は追うこともできず、ひとりその場に残されるだけだった。

 

 

 セシリアから一連の話を聴かされる鈴は無言だった。

 『ブルー・ティアーズ』を停めたこと――

 『ラファール・リヴァイヴ・カスタムⅡ』を四組の日本の代表候補生と共闘して停めたこと――

 ISの展開維持が出来ぬまま、武装のみの展開で『白式』を停めたこと――

 全ての機体が停止したと思われたところを真耶が駆るラファール・リヴァイヴに刺されたこと――

 説明される内容に、鈴は表情に変化を生じさせることもなく、大人しく、ただただ黙って聴いていた。

「……士郎さんは、今は集中治療室(ICU)ですの。意識が戻らなくて……その、わたしくしたちも立ち会えていないので、詳しいことはわからないんですのよ。面会謝絶でして……」

「状況も、あの時の一夏とは違ってな……」

 あの時、とは『銀の福音』戦時に箒を庇い負傷した一夏の状態を示していた。

 ISに備わっている操縦者絶対防御。致命領域対応により、一時的にではあるが一夏は昏睡状態に陥っていた。

 全てのエネルギーを防御に回して操縦者の命を守る状態は、ISの補助を深く受けた状態でもある。福音戦で負傷した一夏はISのエネルギーが回復するまで眼を覚ますことはなかった。

 だが、今回はその時と同じではない。士郎のIS『アーチャー』は機能すらしていない。操縦者絶対防御も発動していない状態だった。

「衛宮のISは一切作動していないんだ……原因も全くわからないままでな」

 操縦者生命危険域(デッドゾーン)に入っている旨を伝えられ――

「……つまりは、後は衛宮本人の体力次第ってこと?」

「……ああ」

「あ、そ」

 神妙な面持ちの箒とは対照に、鈴はあっさりとそう返答する。

 だが――

 誰もがそこから先、続きを口にすることはできず、押し黙るしかなかった。

 体力次第とは言うが、ならばその体力は果たして持つのだろうか――と。

 特に鈴と箒は知り得ていないことであるが、立て続けに行われた連戦によって、傷ついた士郎の身に十分な体力など残っているハズがない。

 治療室に運ばれるまで息があったというのが奇跡的なほどの致命傷。それを、あの状態で乗り切れることなどできるのだろうか――

 場の空気が否応もなく重くなる。その『答え』が全員に理解させている。

 沈黙が続く中――

 誰に訊ねるわけでもなく、沈んだ空気を少しでも払拭させるかのように、鈴はポツリと呟いていた。

「あのさ……衛宮、死なないわよね?」

「…………」

 その問いかけに、やはり三人は応えられなかった。

 しかし――

「死なせませんわよ……約束したんですから……」

 小さく独りごちるセシリアの声は耳に届かず。

「……んで? 山田先生は?」

 自分たちのように制御が利かないISによって凶行に及んだ教員の身を案じた鈴ではあるが、箒も意味を感じ取ったのだろう。ひとつ頷き返答する。

「山田先生は教員寮の自室だ。塞ぎ込んでいてな……その、無理もないと思う」

「確かに。経緯はどうあれ、自分の手で刺したってもなれば、あの先生メンタル弱そうだモンね」

 押し黙ったままの友人たちに――ふうと息を吐き、鈴は顔を上げていた。見入る先はシャルロットへ。

 シャルロットもまた自分へ向けられた視線に気づくのだが、見られていることに耐えられず咄嗟に顔を伏せていた。しかし、鈴はかまわずに口を開く。

「ねえ、シャルロット……耳を貸せるんなら聴いて。さっきの話、正直言えば、途中からは聴いてたのよ。アンタが逃げ出したいってのはわからなくはないわよ。あたしだって同じよ。でもね、あたしたちは、個人以前に代表候補生であり、専用機持ちでもあんのよ」

「…………」

「伊達や酔狂、遊びで代表候補生になったんじゃないでしょ? アンタだってそれなりに思うことがあったから候補生になったわけでしょ? あたしたちが肩に背負ってるモンは、決して軽くはないハズよ」

「でも……僕は、士郎に許してもらえるなんて思えないんだよ……怖いんだよ」

 静かに、搾り出すような声音でシャルロット。だが、鈴はハンと鼻で一笑していた。

「なにアンタ、まさか許してもうおうなんて甘っちょろいこと期待してるわけ? 心のどこかでは許してもらえるんじゃないかなって期待があるからこそ、そんな考えを持つのよ。許されるわけないじゃない。どういうわけか知らないけれど、あたしたちは今こうして自由にしてられるってのもおかしなことなのよ? むしろ拘束されてない方が異常よ」

「…………」

「でもね……だからといって、そのままほっぽって嫌なことから眼を逸らして逃げ出すのは本当にいいこと? 衛宮にぶん殴られるのが当たり前だと思いなさいよ」

「…………」

「あたしはね、自分自身にムカついてんのよ。機体にちょっかい出されたこともムカつくわよ。でも、それ以前に、あたしは自分が許せない。どんな容であれ、衛宮を傷つけた自分がね」

 唇を噛み締め、それでもシャルロットは視線を逸らしたまま。

 鈴はひとつ息を吐くと続けていた。

「あたしたちは衛宮に罵られて責められても、例えぶん殴られても文句が言えない当然なことをしたのよ。帰るってんならそれでもいいと思う。それはアンタが決めたことなんでしょう。だけれど、それならそれで、きちんと衛宮に真正面から文句を言われてから消えなさいよ。それくらいの筋を通さなくちゃなんないじゃない……あたしたち……」

「……僕、は……」

「自分だけ楽になろうと思ってんじゃないわよ。なんのために衛宮が身体張って停めたのか、アンタ本当にわかってんの?」

「わかってるよ……わかってるからこそ、僕は士郎に会わせる顔がないって言ってるんだよ! 僕が……僕の機体は、彼を殺しかけたんだよっ!?」

「……だから?」

 つまらなそうに訊き返して来る相手に――一瞬、シャルロットは言葉を詰まらせる。

 だが、直ぐに口を動かしていた。

「だからって、さっきから鈴はどうしてそんなに冷静でいられるの!? どうして平気でいられるの!? 士郎のことが心配じゃないの!? 代表候補生だから、彼を傷つけたこともしょうがないって思ってるの!?」

 刹那――

 伸ばされた腕はシャルロットの胸倉を掴み力任せに引き寄せていた。

「最っ高に笑える冗談を口に出来るのね……なにアンタ、あたしがいつ気にしてないなんて言ったのよ。あたしが心配してないとでも思ってんの? 馬鹿じゃないの?」

 鼻先が触れるかというぐらいの距離で言いのける。

「平気でいられるわけないじゃない。こちとら心底ハラワタ煮えくり返ってんのよ。今すぐにでも仕返ししたいぐらいよ。何処のどいつか知らないけれど、代表候補生に――あたしと『甲龍』に舐めたマネしくさってくれたのよ。絶対に見つけ出して、一京一兆一億万倍してやり返してやるわよ。それに、あたしたちが騒いだところで衛宮が元気になるワケ? 騒いだところでアイツが良くなるってんならいくらでも騒いでやるわよ」

 言って、突き飛ばすように押しのける鈴は鼻息荒く。

 よろめいたシャルロットはセシリアに受け止められていたが、顔は伏せることしか出来なかった。

 自分にはそんな覚悟は持ち合わせていなかった。やられたらやり返すという気概さえ思いつかない。ただただ、眼の前の事実から顔を背け、見ないようにして逃げ出すことしか頭になかった。

「……鈴は、強いね」

 ぼそりと呟くシャルロットに、鈴は今一度フンと鼻を鳴らす。

「強くなんかないわよ。あたしは、あたしにできることをする……ただ、それだけよ。で? アンタはどうするの、シャルロット……逃げるの? やり返すの?」

「…………」

「アンタがどれだけ苦悩したかどうかなんて、そんなの知ったこっちゃないのよ。大事なのは、アンタ自身が本気で衛宮に申し訳ないと思ってんなら、何を言われようとも、そんなのは覚悟の上じゃない。それとも、アンタの覚悟ってのは、後ろめたさにビビッて逃げ出すような、その程度の柔なモンなワケ?」

「四組の子も、士郎にも……僕は、相手を傷つけることがたまらなかったんだ。愉しくて嬉しくて……笑いながらふたりに酷いことをしたんだよ……僕の手は、あの感触を覚えてるんだ。士郎のお腹を盾殺し(シールド・ピアース)が貫いた感触を……」

 シャルロットは己の片手を開き、じっと見入る。

「僕は、狂ってるのかな? 僕は……僕自身がわからないんだよ……ねぇ、鈴……セシリア、箒……僕は、おかしくなってるのかな?」

 悲痛な表情で友人たちに問いかけるが――セシリアも箒も何も応えることはできなかった。かけられる言葉が思い付かなかったために。

 だがひとり、鈴だけは違っていた。心底つまらなそうに言い返していた。

「だから、知んないわよそんなの。アンタが狂ってようが狂っていまいが、罪悪感に駆られてるんなら、やることやってから好きなだけ悩みなさいよ。くっだらないことに頭使ってんじゃないわよ」

「……くだらない、かな?」

「くだらないわよ。自分のことと衛宮のこと秤にかけて、自分を選んでるってことでしょう? それがくだらないって言う以外に、他になんて言えばいいわけ? 教えてくんない?」

「……酷いな、君も……本当に参ったね……」

 深く息を吐き、シャルロットは眼元を指先で拭っていた。

「なんだよ、そうまで言われたら逃げ出せなくなるじゃないか……まさか、鈴にまで同じこと言われるとは思わなかったよ」

「喧嘩売ってんの?」

「違うよ……納得しただけ」

 言って、顔を上げたシャルロットの表情に迷いの色は消えていた。

「……そうだね。士郎に、気が済むまで殴られなくちゃいけないよね。責任は、とらなくちゃならないよね」

「そういうことよ。ここまで言わせといて、それでもぐちぐち泣き言ヌかしてたら、その面容赦なく張っ倒してたところよ。大体ね、ひとりであれこれ悩むなってのよ。あたしらって、アンタにとってはそんなに信用ならない? 他国の専用機持ちだからって壁がある?」

「…………」

 頭を掻き、ついで意味もなく自身の髪を手持ち無沙汰に弄りながら鈴は続ける。

「自惚れかもしんないけれど、あたしはアンタのこと、大切な友だちだと思ってんのよ。ううん、あたしだけじゃない。そこの箒もセシリアも、ラウラも、アンタのことは大切な友だちだと思ってる、と思ってんの。だから……ひとりでああだこうだと悩む前に、箒でもセシリアでもラウラでも、あたしでも、誰でもいい……相談ぐらいは、してくれたっていいじゃないのよ……ひとりで悩むよりは楽になると思うし」

「……ごめん……」

「……その言葉は、あたしの前に言うべきヤツがいるでしょ。あたしよりも、アンタを先に心配したヤツにちゃんと言わなきゃなんないんじゃないの?」

 面倒くさそうに鈴が顎でしゃくる先はセシリアに、である。

 シャルロットもまたわかっているよ、と頷き応えると向き直っていた。

「うん……ごめん、セシリア……君が僕のことを、そうまで心配してくれていたのに酷いことをして」

「別に、気にしてませんわよ。それに、殴られる覚悟があるのは、わたくしも同じですし」

 深々と頭を下げる相手に、多少頬を紅くしたセシリアは腕を組むと居心地悪そうにそっぽを向いていた。

「それに、ライバルがこんな簡単に退場されてしまっては、それはそれで面白くありませんもの」

「ありがとう、セシリア……」

「話は纏まった? いい? あたしたちがハッキリさせなきゃなんないのはふたつよ。ひとつは、どうしてあたしたちの機体が衛宮を襲ったのか。それともうひとつは」

 ギラリと双眸に怒りの炎を灯し彼女は告げる。

「あたしたちの機体に要らんちょっかい出したヤツを絶対に見つけ出して、徹底的に叩きのめす……そうでしょ?」

 問いかけに対し、セシリアとシャルロットは頷き返す。

 表情を緩めた鈴は肩を竦めておどけて見せる。

「まぁ、それはそれとして、アンタが国に帰るってんなら半分は停めはしなかったのよね。一夏を狙うヤツがひとり減るってのは、あたしにとっては僥倖だもの」

 惜しいことしたわと冗談めいて口にする鈴ではあるが――

 だがしかし、逆にシャルロットはニヤリとした笑みを浮かべていた。

「どうかな? 僕、本当にフランスに帰るつもりではあったけれど、ひとりでとは口にしてないよ? 悪いけれど、一夏も連れていくつもりだったし」

『…………』

 したたかな応えの相手に鈴とセシリアは言葉を失う。が、合図をしたわけでもなく、直ぐに双方どちらともなく顔を見合わせていた。

「ねぇ……あたしたち、厄介なヤツを引き止めたことにならないコレ?」

「同感ですわ。日本のことわざにある、敵に塩を送るとはこういう状況なのでしょうか?」

「ま、そこまで減らず口が叩けるようなら大丈夫でしょ。で、それとは関係ないことがひとつ気になってんだけど」

 鈴の目線は、今度はセシリアへと向けられていた。

「セシリア……アンタ、いつから衛宮のこと名前で呼ぶようになったの?」

「……え?」

 告げられ、ふとセシリアは顎に指を当てていた。意識して口にしたワケではない。

 深い意味があることもなく、自然と呼んでいただけであろう。だが、面と向かってそう言われてみれば、どうして自分は彼を名前で呼ぶようになったのか。

「特に意識していたわけではございませんけれど……?」

「ふーん、まぁ別にどうでもいいんだけれどさ、なんか気になっただけ。それだけよ」

 それはそれとして、と漏らし鈴は腹に手を当てる。

「それよりも、あたしすっごくお腹空いてるのよね。眼が覚めるまで何も食べてないし……さすがに限界なんだけれど」

 鈴が寮食堂に足を運んだのも何の事はない。空腹を覚えて眼を覚まし、あわよくば、誰かしら居ないかと目論んでの行動だった。食堂関係者であれば無理を通してなにかしらを作ってもらうつもりであったのだが、居合わせたのは箒たちであったと当初の当ては外れていたのだが。

 こんな時に食欲があると告げる鈴に対しセシリアは呆れていた。だが、逆に、食欲があるということは元気である証でもある。

「なら、僕が何か作ろうか? 簡単なものでよければだけど……お詫びもかねてさ。よければ、セシリアと箒もどうかな? お茶も出すけど――ああ、鈴、言っておくけれど、僕酢豚は作れないからね」

 シャルロットの提案に――鈴は即座に反応していた。

「アンタ、あたしが酢豚しか食わないとでも思ってんの? なんでもいいわよ。食べられるんなら、ぶーたれる文句もないわ。あたしはごちそうになるわよ」

「わたくしも、お茶であればそれに見合ったお菓子を持参いたしますわよ」

「遅い時間に食べるのはどうかと思うが、お茶ならばわたしも頂こう」

「決まりだね」

 三人に頷き、なら早速用意するよとシャルロットは歩き出す。ついで、お菓子を持ってきますわとセシリアも続いていた。

 残されたふたり――箒は言葉をかけていた。 

「すまない、鈴……」

「別に、アンタに礼を言われる義理もないわよ。あたしは思ったことを言っただけよ。決めたのはシャルロットなんだから」

「それでも、きっかけを与えたのは、お前だろ」

「はぁ? あのね、それこそお門違いよ。きっかけを与えたのなんて、あたしじゃない。大本はセシリアよ。アイツはアイツで、アレでハッパをかけたつもりなんでしょ」

「……お前もお前だ。福音の時も、同じように助けられたな」

「後先考えずに、勝手なことして命令違反した内ひとりのあたしが心構えを説くってのもおかしな話よね。『お前が言うな』っての」

 自分自身を皮肉る鈴だが、箒は首を振っていた。

「いや、鈴は人を奮い立たせるのが巧いものだとわたしは思う」

 だが――

 鈴に対してそう告げる箒ではあるが、心中は別のことを考えており複雑だった。

 自分でなんとかしてみせると豪語しておきながら、実際のところ彼女は何も出来なかった。

 隔壁に阻まれ、閉じ込められたまま。

(結局、わたしは何もすることができなかった……自分ひとりの力ではどうすることも……)

 所詮は姉が造ったIS『紅椿』に頼る恰好であった。

「――さっきの話だけどさ」

 唐突に切り出す鈴に、箒の意識が向けられる。

「?」

「第二アリーナの件よ。箒、アンタがあの場に居合わせて無くて本当によかったと思ってんの。あたしに一夏、セシリアにシャルロット、ラウラの機体がこぞって衛宮を襲ったのよ。そこにアンタの『紅椿』が加わっていたらと思うと本気でゾッとするわよ。アンタの機体って『白式』と同じ第四世代型でしょ? 『白式』と『紅椿』が組んで襲いかかってたとしたら、いくら衛宮でもどうなってたかなんて考えたくもないわ」

「そう、だな……」

「四組の専用機持ちの機体は完成してなかったから影響は受けてなかったみたいだけれど……山田先生の量産機はあたしたちと同じように影響受けてんのよね。でも、そうなると葛木先生のISはなにも問題がなかったわけじゃない?」

 ワケわかんないわよと両手を広げる鈴ではあるが、横を歩いていた箒の歩は不意に止まっていた。

「…………」

 彼女は姉との会話時の事を思い出し、その内容に違和感を覚えていた。

 なぜ、姉は、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 自分は士郎の名など口に出してはいない。模擬戦をしているとしか伝えていなかった。にもかかわらず、姉は相手が士郎であるということがわかっていた。

「…………」

 ただの偶然、とは思えない。

 男性操縦者の一夏だから、模擬戦の相手も同じ男性操縦者の士郎であるという予測は幾らなんでも無理がありすぎる。

 考えたくは無いが――

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

「箒? なにしてんの?」

「ああ、すまない。なんでもない」

 胸の奥に生まれる疑心を隠すように、箒は後を追いかけていた。

 

 

 ラボに戻った束は上機嫌だった。それは、鼻歌交じりに作業をこなすほどに。

 入手した代表候補生たちのパーソナルデータを確認しながら独り言を口にする。

「ちーちゃんを本気で怒らせるのは、()()得策じゃないし。結果としては、こんなところかなぁ」

 顎先を指でなぞると、次にモニターに映し出されるのは男女の姿。

 片方は、IS『アーチャー』を纏いさまざまな刀剣の類を周囲に浮かび上がらせる衛宮士郎――

 もう片方は、IS学園勤務保健医とされる葛木メディア――

 特に束が着目していたのは、保健医の方だった。素性も知り得られる情報は全て集めていた。

「このコスプレ女も理解できないね……既婚者で、生まれはギリシャ……ギリシャで造られた専用機の類ってことなのかな……」

 ぶつぶつと呟きながら、彼女は思案に暮れる。

 IS展開反応を一切感知させることもなく、それでいてビームともレーザーとも熱線とも与り知らぬ不可思議な武装砲撃。

 なによりも、どこぞの特撮映画に出てくる化物もどきの群れ。

 単一仕様能力(ワンオフ・アビリティー)であるとしても、このような量子変換など考えられない。

 だが、考えられる限りでは、単一仕様能力(ワンオフ・アビリティー)が濃厚かと結論付けていた。

 それであれば、第二操縦者の衛宮士郎の機体は量産機でありながら第二次移行(セカンドシフト)したとも考えられる。しかし、第二次移行(セカンドシフト)したのであれば、束自身が気づかぬハズもない。

 IS『アーチャー』の武装も、保健医の武装も、コンピュータが何度解析したところで表示される結果は変わることはなかった。いずれも『unknown』――

 しかし、予想外の収穫として得られた事実もある。

 『白式』にとっての戦闘経験値は大幅に増加していた。これが何を物語るのかは、束のみが知っている。

 ある意味、最高の死に土産を残していった衛宮士郎に対して、ほんの少し――僅かに評価を上げていた。

 ――と。

「束さま」

 ディスプレイの明かりだけが光源となる闇に包まれた室内に響くもうひとりの声音。

 見た目は背が低く華奢、銀色の髪を持つ少女だった。

 気難しい表情は消え失せ、にへらと子どものような笑顔となった束は迎え入れていた。

「あー、おかえりくーちゃん。どうだった?」

 『くー』と呼ばれた少女――クロエ・クロニクルは一礼していた。

「はい。束さまのご命令とおりに()()してまいりました。今は、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

「うんうん、さすがさすが。仕事が早いねぇ、くーちゃんは」

「恐れ入ります。ご命令ですので」

 腰まで届く三つ編みの長い銀の髪を垂らしたクロエは、再度深々と頭を下げていた。

 そんな相手に、束は「真面目さんだねー」と言葉を漏らす。

「そんなにかしこまらなくたっていいんだよぅ? くーちゃんは、何事も一生懸命すぎるよ。もっと肩の力を抜くべきだと思うんだよね?」

 仕えるべき大切な主の声にクロエは顔を上げていた。

「肩の力を抜く? お言葉ですが、束さま……それでは、わたしは束さまのお力になれません」

「んー? そういうことじゃなくてだねぇ、もっと手を抜くとか、気を抜くとか……何よりも、束さんの前ではもーっとリラックスしていいんだよ?」

 と――

 そこでクロエは足元の感触に気がついていた。

 室内を歩き、微かに踏んだのは割れた陶器の小さな破片。しかし、床に散乱しているのがそれ以外にも多数在るというのを触れる足先で把握していた。ついで部屋に漂う焦げた匂い。

 入室してから先、クロエの両の瞳は閉じられたまま。表情に変化は生まれていないが、視覚で確認せずとも、嗅覚と雰囲気からしていつもの部屋の状態とは違うことを敏感に察していた。

「……束さま、なにかあったのでしょうか?」

 クロエの意識は散乱する床に向けられる。ここまでの状況ともなれば、何かがあったのだろうと瞬時に理解していた。確認も踏まえて黒の少女は問いかけていた。

「んんー? どうしてだい?」

 おかしなことを訊くねと漏らす束は僅かに首を傾げるだけ。

「その、床の状態があまりよろしくないようでして」

「あや?」

 言われて、束は今頃になって思い出していた。散らかる部屋の原因を。

「ああ、すっかり忘れてた。くーちゃんのいない間に、束さん、少しばかり虫の居所が悪くってさぁ、ちょっと散らかしちゃった」

「…………」

 あははと笑う束とは対照に、やはりクロエの表情に変化はない。

 少女が感じ取った部屋の惨状は、決して『ちょっと』というレベルで表現できる範囲ではないということさえ理解しているのだろう。

「まぁ、そんなことよりご飯にしようか。束さんお腹がすいてペコペコだよ。くーちゃんの作るご飯は美味しいからねぇ」

「……嘘です。わたしの作るご飯など美味しいわけがありません。ですが、その前にお片づけを致します」

 屈み、破片を手に取り掃除に取りかかるクロエであるが、束は慌てて制していた。

「いいよいいよ、そんなことやらなくったって。そのまんまでいいよ、別に束さんは困らないから」

「そういうわけにも行きません。このお部屋は、束さまのお部屋なのですから」

 てきぱきと作業をこなしはじめるクロエに――

「むー、じゃあママ(束さん)も一緒にお片づけしようか。そうすれば早く終わるしね」

 言って、束は――偽りなく、それでいて純粋――無邪気な笑顔を見せるのだった。


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