I.S.F インフィニット・ストラトス×Fate   作:ボイス

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 ニコニコと笑みを浮かべて座るキャスターを眼の前にして、真耶は頬に汗を浮かべることしか出来なかった。

「美味しいお菓子とお茶があるの。よければどう?」

 放課後、お茶に誘われたことに、軽い気持ちでほいほいと乗り、シャルロットが居合わせた保健室に足を踏み入れた己を真耶は呪っていた。

 比喩でもなく、確かにお茶とお菓子は美味しかった。

 茶飲み話もそれなりに楽しかったのは事実である。唐突に、キャスターがテーブルに二枚の申請書を出さなければ、であるが。

「実は、山田先生にお願いしたいことがあるの」

「なんでしょうか?」

 口をつけていた紅茶のカップをソーサーに置き、真耶は相手へ訊き返していた。

 キャスターもまた、どこか難しそうな表情を浮かべて応えていた。

「とある生徒さんが、家庭のことで悩んでいるのだけれど、その生徒さんのためにも何とか協力してあげたいと思うのだけれど、如何せん、わたしでは力不足で、どうしてもあなたに助力をお願いしたいのよ」

「む……それは見過ごすことが出来ませんね。生徒のためというならば、このわたし、山田真耶も教師の端くれとして協力は惜しみません」

 教師として頼られたことに対し、なにをすればいいんですか、と鼻息荒く応える真耶。だが、瞬時にキャスターは首を振っていた。

「ああ、いや……やっぱり、あなたの手を煩わせるわけにはいかないわ。ごめんなさい、今の話は忘れてちょうだいな」

 申し訳なさそうに告げる相手に……だが、真耶はバンとテーブルを叩き立ち上がっていた。

「何を言っているんですかっ! ひとりの教師として、ひとりの生徒の悩みも解消できずに、何が『教師』ですかっ!」

「でも……」

 迷い、顔を曇らせる相手に有無を言わさず、真耶は続ける。

「『でも』も『しかし』もありませんっ!」

「……本当に? 本当に協力してもらえるのかしら?」

「こんなことに嘘をついてどうするんですかっ!」

「そう……じゃあ、お願いしようかしら」

 その時のキャスターの笑みは、それはそれは悪魔じみたものであったことだろう。

 すいと差し出す二枚の書類。

「実は、この書類にあなたの署名と判がほしいのよ」

「なんだ、そんなことですか? 構いませんよ。署名のひとつやふたつ、判のひとつやふたつ。ちょっと見せてくださいね」

 言って、書類を一枚手にとり、内容を眼を通していき――その身体は、ビシリと擬音を発するかのごとく、石のように固まっていた。

 だらりだらりと汗を垂らし、心なしか指は震える。だが決して書面から眼を背けることも出来ず、さりとてキャスターを見ることも叶わなかった。

 そんな彼女を代弁するかのように、キャスターは紅茶を啜り、笑みを浮かべて告げていた。

「協力を惜しまない? 生徒のためならば?」

「…………」

 真耶の視線が外れることのない書面に記されている文面はこうである。

 『休暇申請書』『外出届申請書』――

 そこに記されているふたりの名前が問題であった。片方は、シャルロット・デュノア。もう片方は、葛木メディアと記されている。

 ふたりの名前が記されている意味を真耶は否応なしに理解させられている。許可できるはずもなく、共犯の片棒を担ぐこともできなかった。

「あ、あの――」

 意を決して、断ろうと口を開きかけたのだが――

「ひとりの教師として、ひとりの生徒の悩みも解消できずに、何が『教師』か……ご立派な信念だわ。正に教師の鑑ね。ねぇ、山田先生?」

「あうううう……」

 牽制もかねたキャスターの言葉のジャブに、真耶の意志は容易く粉砕されていた。

 偉そうに豪語した内容は嘘だったのかと脅すかのように、担任の欄に名前と受領した判を押せと告げているのだから。

 眼を泳がせ、返答に困窮する真耶がさすがに不憫に思えてならなかったシャルロットは口を開き割り込んでいた。

「あの、葛木先生……さすがに、これ以上は……山田先生も困っていますし……」

「何を言っているのお嬢さん? 山田先生は、快く、生徒のためと力強く応じてくれたのよ? まさか、ここに来て、ごめんなさい、無理です、なんて、無責任なこと言わないわよねェ?」

「あ、あうううううう……」

 もはや泣きそうなほどに表情を曇らせる真耶。いつ涙腺が決壊してもおかしくはない状態だった。

 今、この状況下でクラス申請の判を押せるのは彼女しかいない。担任である織斑千冬は所用で出かけてしまっている。だからこそ狙った犯行でしかない。

 判さえもらえばこちらのものであり、後は如何なる言及がされようとも、のらりくらりと言い逃れる。

「残念なことに、担任の織斑先生は不在なんですもの、副担任のあなたに許可を求めるのは当然ではなくて?」

 どの口が言うんですか、と真耶は思わず抗議しかけるのだが、胸中とは裏腹に声を発することは出来なかった。

 もう一押しだと決め付けるキャスターが更に言葉を畳みかけようとして――

 唐突に、彼女の視線が窓の外へと向けられていた。

 愉悦に歪んでいた表情は消え失せ、気楽さは微塵もなく、険しい『貌』へと変わっていた。

 

 

 モニターに映される二機のISの模擬戦を見入り、束の表情は愉悦に歪んでいた。

 くつくつと笑いは漏れ、眼元も心底楽しそうに細まっていた。

 何気なく、コア・ネットワークを通じてIS学園のアリーナで行われていた模擬戦を見入っていたが、束にとっては、これほどまでになく愉快で堪らなかった。

 感情のままに怒りを爆発させる一夏の動きは、お世辞に見ても稚拙で雑過ぎる。だが、そんなことはどうでもよかった。

 束にとってもっとも重要なことは、今の一夏が本心から相手を憎んでいることに着目していた。

 こんな絶好の機会を見逃せるわけがない。

「いっくん、ちょろっとだけ、束さんが手を貸してあげるね。いっくんが望むように、いっくんが求めるようにしてあげるから」

 言って、彼女はモニターを見ながら指先でキーを叩いていた。

 表示されているのは二種類のデータ。片方は『白式』、もう片方は『アーチャー』のスペックデータであった。

「さあて、お片づけをしないとね」

 冷めた声音と裏腹に、表情には笑みを張り付かせたまま。

 彼女が口にする手伝いとは、ほんのちょっとだけ背中を押してあげること。そのために、結果として不幸な事故が起きてしまったとしても、それはそれで模擬戦上致し方のないことであろう。

「なにが『アーチャー』だよ、コイツ。ふざけてるよね」

 ふたりのやり取りの会話も耳にしていたが、正直に言って束はうんざりしていた。

 他人がどうなろうが、他人をどうしようが、そんなのはどうでもいいことであった。要は、自分や箒、一夏と千冬以外がどうなろうが知ったことではない。

 怪我をしようが、命を落そうが、それらは極々些細な事であり、束本人からすれば、意味もないことである。

 くだらないと眉をしかめていた束の顔は、一瞬だけ素に戻っていた。その意味が示す先は、彼女は、IS『アーチャー』の正体を見抜いていた。

「量産機のクセに専用機? こんなガラクタに、束さんの『白式』が手こずるなんて、一体どういうわけだろうねぇ」

 ぼそりと呟かれる彼女の疑問。

 それもそのはずだろう。

 二番目の操縦者とされる衛宮士郎に与えられた専用機に関して、機体の開発元も提供先も一切存在していないのだから。

 当初、束にとっては、倉持技研が『白式』の前に開発着手していた『打鉄弐式』のような、どうでもいいISのように途中放棄していた類かと考えていた。だが、彼女なりに調べた結果、そんな事実は一切なく、倉持技研が携わったのはあくまでも武装のみ。更には最近になって装甲の類を手にかけはじめたと知ったのだった。

 これに対して彼女が疑問を持たぬはずがない。

 実際、他国、各企業が開発し有している専用機には一切手をつけておらず、だが、それでも学園が専用機を用意したとの情報が存在している。

 どこの企業、国家が開発したのかデータが一切存在しない専用機。そんな矛盾した存在のIS『アーチャー』を束が黙認せぬはずがない。

 そして彼女は、『アーチャー』の正体を容易に知り得ることとなる。学園に配備された量産機『ラファール・リヴァイヴ』であることを。

 たかが一量産機如きを、どういうわけか専用機として扱っている。極端な言い方をすればその程度のことは然したる問題ではないだろう。

 しかし、彼女――束が固執している部分は、いわゆる、自分が少なからず手を加えた『白式』が量産機などに劣るという現実を受け入れることができなかった。

 確かに、搭乗者たる一夏自身の実力不足は否めない。

 だが、それでも完全なIS自体の基礎スペックのみの話で言うのならば、『アーチャー』が『白式』に勝るものなど、何ひとつとして存在しなかった。

 機体性能同様に、所持する武装もこれといって眼を惹くデータがあるわけでもない。

 特化した長所も見当たらなく、束にとって見ればいわばゴミに近いISに、『白式』がいいように扱われるなどは、プライドが許さなかった。

「本当に、つまらないね」

 指を伸ばし、彼女は投影キーボードを叩いていく。表示されていたIS『アーチャー』の出力数値を、コア・ネットワークを通じて軒並みカットしていく。ある数値は半分以下に、ある数値は出力自体をゼロに。逆に『白式』のデータはリミッターすら外し、外部からのデータ送信をし、インストールすら行っていた。

 効率のよい機体性能を維持出来るように、逆に非効率の機体性能に弄ることなど束にとっては造作もない。

 強制的に、彼女は二機のスペックデータを対照的に改竄していくのだった。

 と――

 アリーナの監視モニターを通じて、動こうとする代表候補生たちの姿があることに気づいていた。おおかた、『白式』を停めようとでもいうのだろう。

 フンと鼻を鳴らし、束は鬱陶しそうに言葉を吐き出していた。

「なんだよ。どいつもこいつも……邪魔しないでほしいねぇ、まったくもう」

 言って、彼女の指先は、とあるキーを無造作に叩いていた。

 

 

「……ぐっ……」

 機体性能が急激に反応しなくなったことに、操縦者たる士郎は否応なしに理解させられていた。

 ついで、片翼のスラスターの反応が途絶えたことにも気づいていた。

(なんだ……?)

 見れば、『アーチャー』のスペックデータは全てがおかしな数値を示し出す。部分は途絶え、部分は半分以下しか表示されない。

 士郎の動きが唐突におかしくなったことに気づいたのは、本音と簪、ラウラやセシリア。鈴すらも、これが明らかに機体の調子が悪いことだというのを理解する。

 ただひとり、例外は一夏のみ。

「やめろっ! 停まれよ『白式』ッ――どういうことだよっ……どうなってんだよっ! くそっ! 士郎、逃げろっ!」

 唐突に、こちらの制御を一切受け付けず、一夏の意思に反して『白式』は勝手に動き続けていた。

 耳に聴こえたかのような束の声。周囲に視線を向けるが、当然ではあるが、束の姿など見つけられはしなかった。

「一夏ッ!」

 振り払われる雪片弐型を斬り弾きながら側面に回りこんだ士郎が叫ぶ。

 明らかに、搭乗者を無視したかのような奇行。機体に振り回されている状態だというのが嫌でも理解させられていた。

 一夏もまた、焦りを浮かべた表情のまま声を荒げていた。

「くそっ――士郎、ダメだ近寄るな! 今の『白式』は俺の制御を受け付けていないっ! オートモードでお前を完全にロックしてる! いいから逃げろっ!」

「馬鹿っ、だったらなおさらだ! 理由はわからないけれど、暴走してる機体をそのままにしておけるかよ!」

 突き込んでくる雪片弐型を白剣で防ぎ、逆手で斬り返そうとするところへ、そうはさせるかと黒剣で弾き逸らす。

「っ――ならっ、そうだっ! 零落白夜の出力エネルギー切れを誘って停止させるしかないぞ!」

 『白式』が繰り出す一刀を黒剣と白剣でいなした士郎に一夏は叫ぶと、彼は機体の残存エネルギーを確認していた。どんなに暴走して動こうとも、エネルギーさえ切れてしまえば停止もしよう。無駄に零落白夜が発動すればその分だけ機体停止も早まるために。

 そのためには、士郎に凌いでもらわねばならないわけなのだが。はたして、この暴走機体に『アーチャー』がどこまで持つのかが甚だ疑問ではあるが。

 だが――

 一夏の目論見は水泡に帰する。

「なんだよ、これ……」

 思わず漏れた、震える声音。信じられず……だが、視線は一切外れることができなかった。

 『白式』のエネルギーは一切減っていなかった。『紅椿』の単一仕様能力、絢爛舞踏によるエネルギー供給をされたわけでもないのにだ。

 エネルギーを供給するもうひとつの方法は、従来であれば、事前準備が必要となるコア同士での供給がある。だが、こちらの場合は、機体同士のシンクロ率などの問題が生じ、困難が伴うやり方となってしまう。当然ではあるが、そんなことをした覚えなどあるはずがない。

 零落白夜の起動、無駄に撃ち放った荷電粒子砲によってエネルギー消費は在り得ているというのに……

 これではまるで、自動供給されているようなものだ。

 相手に告げることを迷いはしたが、言わないわけにはいかなかった。重い口を開き――

「士郎っ――『白式』のエネルギーは元に戻っている……減ったはずのシールドエネルギーも同様だっ!」

「……なんだソレ……エネルギー切れは望めないってことかよ」

 悪態をつきながらも、身を捻り斬撃をかわした士郎は『白式』との間合いを計っていた。

 士郎だけでは荷が重すぎると感じた一夏は、直ぐにオープンチャネルを開いていた。

「箒――鈴ッ!? ラウラっ! セシリア、シャル!」

 オープンチャネルで友人たちに呼びかけるのだが、一向に通話は繋がらなかった。どういう状況か、外部へは一切繋げることはできなかった。逆に、内部――士郎と一夏の間でのやり取りは繋がっている。

 さらに言えば、一夏はそこでようやくアリーナ内が『異常』であることに気づいていた。

 それは、以前に一度見たことがある……

「ワケがわからねえよっ! なんで回線が繋がらないんだよ!? なんで隔壁なんて降りてるんだよっ! これじゃまるで……」

 クラスリーグマッチ時の未確認ISの襲撃と同じじゃないか、と一夏は胸中で叫んでいた。

 士郎も『白式』を相手にすることにのみ集中していたせいか、周囲を見入る余裕は持ち合わせていなかった。彼もまた、今になって状況が変化していることを把握する。

 遮断シールドに加えて観客席とステージを分けるように隔壁が降りている。セシリアたちの姿も覆われた隔壁の中に居るのだろうと判断していた。

 どういう状況下は、いまいち理解はしていないが、士郎にとってはひとつの安堵を得たことになる。隔壁が降りたことにより、ひとまずはセシリアたちに危害が及ぶということはなくなったと捉えていた。しかし、完全に楽観視できないのも事実。

 いつ『白式』が標的対象者を変更するかはわからない。己に標的を絞っているのならば、それはそれで士郎にとっては都合が良いことになる。

(となると……)

 士郎の意識は、ステージ内に取り残されているふたりへと向けられていた。

 オープンチャネルを展開し、士郎は簪へと話しかけていた。視線はあくまでも『白式』へ。相手の予測のつかない動きを警戒するためである。

「――簪! 状況が変わった。お前もISを展開して、本音を護ってくれ。頼む!」

「……もうやってる。本音のことは心配しないで。それよりも、衛宮くん……あなたは自分のことを心配して。決して無理をしないで。傍から見ても、今のあなたの機体は、明らかにおかしいの」

 努めて冷静に振舞う彼女ではあるが、その実、心中は穏やかではなかった。

 簪もまた、目の当たりにした機体動作がおかしなことに気がついていた。先まで見事に『白式』を相手に優位に事を進めていたはずなのに、唐突に動きに不調が出はじめていた。当初は純粋な機体トラブルかと思われたが、それにしては、どこか妙に思えていた。

 ISの機体構造、製作に関して人一倍努力している彼女だからこそ。ISに精通している故の洞察力であろう。

 本来であれば、簪もただ黙って見ているつもりはなかった。未完成の『打鉄弐式』とはいえど、動かないわけではない。士郎の補助、サポートに回れればと考えはしたが、直ぐにその思案は取りやめざるをえなくなる。

 簪にとっての未完成の武装の独立稼動型誘導ミサイル。システムが不完全なため、目標とするマルチロックオン・システムは機能しない。単一ロックオン・システムでなら撃てなくはないが、その結果としては士郎も巻き込む恐れがある。巧く士郎が切り抜けてくれればいいが、接近戦での膠着状態となっている二機へ介入するタイミングすら簪にとっては判断に考えあぐね、手をこまねくことしかできなかった。

 簪の胸中を知りもせず、士郎は続ける。

「極力、ふたりに被弾はさせないようにする。だけれど、もしものことがあるかもしれない。重ねて頼む」

「……気にしないで。こちらはこちらで対処する」

 ひとつ頷き、士郎は『白式』へと向き直っていた。

 ふたりを護り、ついで一夏を助けるために機体を停める……

 なかなか難しい注文だなと考えながらも、士郎は『アーチャー』を疾らせていた。

「なんとか停めるしか方法はないぞ」

 がぎんがぎんと鈍い金属音を奏でる中、すれ違いざまに加速する一夏の表情には迷いが浮かぶ。オープンチャネル越しに漏れた声音。

「だけど……」

 いくらなんでも、士郎ひとりでは無理だと感じていた。

 しかし――

「『だけど』も『でも』もないんだよ! そのまま放って置いて、エネルギー切れを待つ余裕はないぞ。どういうわけか、俺を狙うならそれでいい。だけど、布仏やオルコットたち、他の奴らに狙いを変えはじめたら、それこそ事だぞ! お前の機体はあらゆるバリアエネルギーを無効化する武器なんだ。遮断シールドを切り裂いて暴れ出してみろ……手に負えなくなるぞっ!?」

「――っ」

 士郎の含みのある言葉――

 一夏は瞬時に『銀の福音』を思い浮かべていた。士郎が言うように、『白式』は『アーチャー』をオートモード、ならびにロックオンし続けていた。こちらの制止を一切受け付けず、振り払われる斬撃は執拗に相手を狙い続けていた。

 今は『アーチャー』のみを攻撃対象としているが、これが何かの拍子に士郎の言うように遮断シールドを切り裂いて観客席に居る鈴たちを襲いはじめたらと考えただけでも嫌な汗が背を伝う。

 がぎんと音を鳴らし、火花が散る。双剣で雪片弐型を防ぎきり――少しずつ、『白式』の出力が『アーチャー』を上回りはじめていく。

 一夏の眼前に映し出されるウインドウには在り得ない数値を示していた。自身が把握していたスペック数値が全て最大限界まで引き上げられている。

 その意味するところは、瞬時に理解させられていた。

 鍔迫り合っていた力の拮抗は、唐突に終わりを迎えていた。パワー、スピード、それらが急激に高まる『白式』が『アーチャー』を容易くいなす。

「――っ!?」

 バランスを崩され、無防備となったところへ――

 機体から感じる嫌な雰囲気に、ハッとする一夏は声を上げていた。

「零落白夜だっ! 避けろ士郎っ!」

 叫びと同時に、至近距離から発動した『白式』のワンオフアビリティが唸りを轟かせて逆袈裟懸けに振り上げられていた。

 だが――

 捉えていた士郎の眼と、一夏の声音も相まって、『アーチャー』は寸でのところをかわしきっていた。

 空を疾る一刀を瞬く間に蹴り弾き、士郎は間合いを仕切るために瞬時加速で離れていた。

 零落白夜の発動を解除し、雪片弐型を構える『白式』に対し、士郎は僅かながらに舌打ちを漏らしていた。

 今の繰り出された一撃は、明らかに先までの動きとは比較にならない。予備動作を無視した加速、一夏が言うように、オートモードによる攻撃へと切り替わっていることになる。

「…………」

 しかし、そんなことがありえるのだろうか?

 油断なく双剣を手にする士郎は胸中でそう自問していた。攻守を全てオートモードに頼りきり、あげくは操縦者の制御を受け付けない。そんなシステム、技術法があるなどとは本音や真耶からとて聴いたことがない。

 ならば考えられる可能性は二点のみ。一点は、純粋な機体暴走――

「――っ、一夏! 悪いけど、ここからは手荒くなるぞ。力尽くで停めにかかる。衝撃があるかもしれないが、我慢してくれ!」

 『アーチャー』の不具合など、既に士郎の頭の中にはない。今はどうあっても眼の前の機体を停めることだけを考えていた。

「かまわねぇよ! もうこうなりゃ、ぶっ壊すぐらいの気概でやってくれ!」

「出来うる限り、壊さないようにはやってみる。いくぞ」

 言って、『アーチャー』を駆る士郎は『白式』へと斬りかかっていた。手数では上を行く双剣を巧みに操り、雪片弐型を押さえ込み――

 士郎の腕に生まれたのはフェイルノート。瞬く間に彼は射続けていく。

 正確無比に狙う箇所は『白式』の間接駆動部分。特に四肢の動きを停めることを最優先としていた。

 が――

 次の瞬間には、ふたりの表情は変わることになる。驚く士郎、何よりも搭乗者たる一夏もまた同様に。

 飛来する箇所が既にわかっているかのように、高速反応によって『白式』は七射を全て斬り弾いていたのだから。

「なんだよコレ……士郎の弓の反応を上回るってのかよ――っ!?」

 不意に顔をしかめ、一夏は苦悶の表情を浮かべていた。

 ここに来て、状況は更に悪化していく。機体だけに留まらず、操縦者たる一夏へも異変が生じていく。

 暴走する機体を制御するため、強制停止や機体解除といったあらゆる手を行使していた彼ではあったが、それらのコールには一切の反応を示しはしなかった。加えて、操縦者たる一夏の表情は次第に狂気に彩られていた。

 己の身体の中に侵入してくる、どす黒い『何か』に懸命に抗う彼ではあったが、如何せん未熟な彼に撥ね退ける術はない。

 束によるコア・ネットワークを通じての『白式』の搭乗者への精神汚染。脳波へ一方的に攻撃性を増す信号波長を強制的に送りつけることにより、一夏が篭絡するなど容易いことであった。

 ならびに、本心では士郎を妬み憎んでいたことも災いする。自身の精神力の弱さにつけこまれる容となっていた。

「なんだ、コレっ……頭の中に入り込んでくる、この嫌な感じ……」

 徐々に蝕まれ、意識を失いかける一夏ではあったが、それでも彼は懸命に耐えて見せていた。

 逆に、士郎は表情を曇らせる。

「くそっ……」

 機能するシステムの類が本来の数値を大幅に下回る。それが何を意味するのかは、既存能力値にも極端に影響を及ぼすことになる。

 自立機動する『白式』は雪片弐型を振るい、『アーチャー』を力尽くで押しのけ退かすと果敢に攻め立てる。

 だが、士郎とて機体に不具合が生じようとも、そう易々と喰らうわけではない。双剣を手に見事に捌ききっていた。

「……っ」

 機体にこれ以上無理をかけたくはない。負荷をかければかけるほど、後々に本音の手を煩わせることに負い目を感じていた彼ではあるが、もはやそんな配慮を考えている場合ではなかった。

 極端な数値低下は、『アーチャー』への無理がたたった結果であると士郎はそう解釈していた。

 まさかこれが、コア・ネットワークを通じて、『天災』篠ノ之束による介入による影響など夢にも思いはしない。

 IS『アーチャー』の機体性能の著しい低下に加え、眼を見張る問題はもう一点。

 それは――

 

 

 話は数分前に遡る――

 人が変わったかのような一夏の動きに、最初は士郎を圧倒したことを喜んでいた鈴ではあったが、徐々にではあるが表情は曇りはじめていた。

 なにかがおかしい。

 いたぶるような動き、攻撃。

 自分が知る一夏は、こんなことをするような人間ではないはずだった。

 何よりも、模擬戦にしては度が過ぎている攻撃が眼につきはじめていた。

 胸の奥にこみ上げる焦燥に駆られかけたが――

「停めるぞっ!」

「――ッ、あたしに命令しないでよ! アンタに言われなくてもわかってるわよっ!」

 ラウラの叫びに意識を戻した鈴もまた声を荒げていた。

 明らかに一夏の様子、士郎の様子が奇異と捉えたラウラと鈴、ふたりは観客席を駆け、ステージへと向かおうとするのだが――

 更なる異変に気づいたのはセシリアだった。一点を見つめた彼女の双眸は驚きに開かれていた。

「ラウラさんっ――鈴さんっ!」

 一刻も早くステージ内へ向かわなければならないのに、余計な手間は取られたくはなかった。

 焦りを覚えながらも、呼び止める声に振り返るふたりだが、セシリアが指し示す方へ視線を瞬時に這わせ――

 ラウラと鈴もまた驚き、眉を寄せていた。

 ステージと隔てる遮断シールドに表示される文字――

「レベル……7っ!?」

「どういうことだっ!?」

 唖然とした表情で読み上げる鈴と、普段の冷静さもなく声を荒げるラウラ。

 セシリアもこの状況がおかしなことであるのはわかっている。

 たかが模擬戦如きが、警戒レベルとして認識され、システムロックの挙句に、遮断シールドの大幅な設定変更。

 以前、クラス対抗戦時に所属不明の無人機による乱入の際に眼にしたアリーナステータスチェックは『レベル4』。そこから三段階も跳ね上がった数値にセシリアは眼を見開くことしか出来なかった。

 こんな馬鹿な話が在り得るはずがない。だが、現に三人の眼の前で『事実』が起きている。

 それはまるで、外部からの侵入を拒み、内部から逃がさぬかのように――

「こんのっ――」

 形振りなど構っていられなかった。後のことなど一切考えず、最悪身柄を拘束されて事情聴取されようとも、良くて反省文を書かされることになろうとも、鈴は部分展開していたIS腕部を遮断シールドへ向けると、最大威力での衝撃砲を撃ち込んでいた。

 しかし――

 『レベル7』の表示は、伊達でもなければ酔狂でもない。突破などできるはずがなかった。

「――っ」

 歯噛みする鈴たちの眼の前で二機の攻防は進展していく。

 『アーチャー』の機体が徐々に破壊され、装甲部が砕けはじめていた。

 この光景に、本格的に三人は顔色すら変え、混乱することとなる。

「なんだっ!? 衛宮の機体はシールドバリアが正常に発動していないっ!?」

 正確に言えば、まだこの時点で機体シールドは部分部分では健在であった。だが、それも意図されてのものである。

 そうこうしているうちに、士郎が流血したことにセシリアは悲鳴を上げて口元を覆っていた。

「衛宮さんっ――」

 ピットで士郎と口論した際の事を彼女は思い出していた。

 操縦者が血を流す――それは、ISに本来備わっているはずであり、人命に危険が及ばないように護るための絶対防御が発動していないことを物語っていた。

 無駄であるとわかっていながらも、ラウラは展開したレールカノンを砲撃する。

 が――

「ちいっ――」

 ラウラの舌打ちが示すように、近距離からの砲撃にもかかわらず、やはりシールドに変化は一切見当たらない。

 自分たちではどうすることも出来ず、副担任の真耶に助けを求めるために、セシリアはオープンチャネルを展開させるのだが、通信すら機能しはしなかった。

「山田先生!? 山田先生――っ!? ダメですわッ、回線が繋がりませんの」

「なんなのよっ……何が起きてるのよ、コレ……意味わかんないわよ……」

 呆然と呟くことしかできない鈴の視界、ステージと観客席を仕切る間に隔壁さえもが降りはじめていく。

 そのまま、三人を取り囲むかのように隔壁が降り塞がれる。ステージ内の状況を見ることはできなくなっていた。

 

 

 力任せに打ち付けられただけの衝撃に、受けた左腕が弾かれる。

 瞬時にその場で身を捻った『白式』の回し蹴りをわき腹にまともに喰らい、勢いのまま遮断シールドに叩きつけられ、士郎の身体は地面へと落下していた。

「……ぁ……っ、はあ、ぁ……」

 背中を強打し、息を詰まらせ――それでも、手にした黒剣を地面に突き立て身体を起こす。

「……っ」

 息を吐き出し、苦悶の表情を浮かべながらも士郎は相手へと視線を向けていた。

 人が変わったような動きを見せる『白式』へ――

 何が起きたのか理解できない。だが、先までの一夏の動きではないことだけは明白だった。加えて、決して『白式』による機体暴走という答えだけでは説明がつかないことも把握していた。

 身体に響く鈍痛に顔を顰めながら、士郎は立ち上がる。

 これではまるで――

(織斑先生のようだ……)

 胸中で呟いた通り、士郎が目星をつけた結果としては、もはや現状の『白式』は、何度も映像で見た、完全に織斑千冬の動きである。

 いくら姉弟とはいえど、どんなに巧く動きをコピーしたとしても、他人の動きを精巧に事細かに表現することは出来ない。何故か。それは、人には独特の呼吸がある。自身でも知らずのうちに無意識によるクセが出たりもするからだ。

 士郎が調べた限り、戦闘方法を模倣するシステムに、『ヴァルキリー・トレース・システム』、通称『VTシステム』というものが在るのは知っていた。

 過去のモンド・グロッソにおける出場選手たちの戦闘方法をデータ化し、そのまま再現、実行するシステムであり、士郎がもう一点の可能性として考えていたのがこれだった。

 一夏の『白式』にも同じものが搭載されているのかと思いはしたが、直ぐに考えは却下していた。『VTシステム』は現在、あらゆる企業や国家での開発が禁止されているとも聴いている。そんな代物を、一夏の機体に搭載されているとは思えなかったからだ。

 それに、模倣と呼べるレベルではないというのも理解させられていた。

 戦闘能力の制限を解除され、内に秘めていた力を発揮でもするかのように――

(これが一夏の実力だってことか……)

 双剣を構え対峙しようとする士郎ではあるが――

「エミヤんっ!」

「……っ」

 突然の声音に士郎の意識が戻される。気がつけば、真横に本音が駆け寄っていた。恐らく、突然のことに彼女も驚きいてもたってもいられず、簪の制止を振り切っていたのだろう。

 だが、近寄るということは、危険に晒されることを意味していた。

「馬鹿っ! なんで来たんだっ!? いいから早く離れろっ!」

「で、でも――」

 士郎に一喝され、瞬時に本音は身を竦める。

 明らかに『アーチャー』の動きがおかしいことを心配して言いよどむ彼女だったが――

「士郎ッッ!! そこから離れろっ! 雪羅が動く! 早く逃げろっ!」

 懸命に抗っていた一夏だったが、その言葉を最後に、彼の意識は朦朧となる。

 表示された警告音。

 士郎の眼が僅かに頭上へと向けられ――その表情が驚きへと変わる。

「――ダメだっっ!」

 叫びを上げると同時、士郎はいまだ突っ立っていたままの本音の腕を掴み抱き寄せると、その場に覆いかぶさっていた。

 本音を護るため、刹那の間とはいえ――士郎は魔力を通し、一時的に機体外骨格の硬度強化を高めていた。

 直後、落雷に似たような轟音が鳴り響く。

 その正体は、頭上から降り注がれた荷電粒子砲。直撃により機体は激しく揺さぶられ、至る箇所が悲鳴のような異音を発する。

 士郎の身体もまた受ける重度の衝撃によって顔は苦痛に歪んでいたが、機体構造を把握していたために、補強による恩恵に助かっていた。

 複雑な機械で造られたISの基本構造を全て熟知しているわけではない。あくまでも外骨格、装甲部分を『強化』し、凌いでいるだけでしかない。ならびに、長時間耐えられるわけでもなかった。

 士郎にとっても『荷電粒子砲』などと言う、エネルギーを変換し、収束圧縮させて撃ち出す兵器に機体だけで防げるはずもない。 

「――っ、ぐっ、がぁっ――」。

 シールドエネルギーが削りとられ、機体破損個所が表示されるが、士郎はそんなものは見ていなかった。

 機体の損傷レベルが報告されようとも、搭乗者たる士郎の絶対防御の不具合が表示されようとも、彼は一切眼にしていない。背部に極度の熱と痛みを覚えるが、そんなことさえも構ってはいられなかった。

 考え、最優先と捉えているのはただひとつ。腕に抱く本音の身を護りぬくこと。

 刹那――

 雪羅による攻撃は不意に止んでいた。その理由は、簪が『打鉄弐式』の武装、八門のミサイルポッドから放たれていた誘導ミサイルによる。

 単一ロックオン・システムにより、狙いは雑であり、それらミサイルはことごとく外れ、または雪片弐型によって斬り捨てられていた。

 当たらなかったことに焦りはない。直撃しようがしまいが、簪にとっては『白式』の動きに変化を生じさせることが目的である。

 無論のこと、生まれた隙を士郎が見逃がすはずがなかった。

 荷電粒子砲の射撃が逸れた中から焼け焦げる機体を疾らせ、士郎はその場を瞬時加速で離れていた。

 が――

「……っ!?」

 息を呑む士郎の眼前に回り込んでいたのは、二段階加速(ダブルイグニション)で迫る『白式』。

 今しばらく時間を稼ぐために、簪が二射目の誘導ミサイルの群れをバラ撒きはしたのだが、それらを容易く潜り抜け突破していた。

「させるかっ!」

 既に振りかぶられていた雪片弐型を本音に当たらせてなるものかと身をひねり、士郎は相手機体の腕を蹴り上げていた。

 ほぼ曲芸に近い動きを見せるが、無理やり体勢を崩した格好のまま二機は衝突する。

 腕の中で小さな悲鳴を漏らす本音を懸命に護り、取り落とさぬように加速すると、一刻も早くこの場から避難させるためだけを考えていた。

 しかし――

 背後からの斬撃に、咄嗟に士郎は振り返り防ぎ止めていた。

 

 

 モニターに映る『アーチャー』の動きに、束は小さく舌打ちを漏らしていた。

「しぶといねぇ……いっくんも意外と粘るし……抵抗するとは思わなかったけれど」

 早急に決着はつくかと思っていただけに、予想以上に粘る相手に束の苛立ちは増していた。

 自分が作っているシナリオ通りに進まない。

 トントンとリズムをとるようにテーブルを叩いている指先も自然と力がこもりかけていた。

 更に言えば、彼女は『アーチャー』に対して疑問を持ちはじめていた。

 雪羅による砲撃を見入っていたが、笑みを浮かべていた表情は徐々に硬くなっていた。

 どうして動いていられるのか――

 それが束の一番の疑問点だった。己が介入し、明らかに『アーチャー』は不利な立場に居るハズだった。

 だというのに――

「……っ」

 当たり所が悪かったとしても、大破とはいかずに中破ぐらいには陥るだろうと読んでいた。

 それがどうだ?

 『アーチャー』は何食わぬまま動き続けている。いくらISの装甲とはいえ、荷電粒子砲の直撃を受ければ相応のダメージは生じるはずだというのが束の考えである。

「束さんの知らない合成金属……? 何処かの企業が造った装甲が邪魔してるってのかな?」

 本来のISに流用されている外装金属とは違う、別の何か。だが、それが彼女にはわからなかった。

 ただの偶然、勘違い、とも考えたのだが――

「…………」

 鬱陶しいなぁと漏らすと、束の指先はキーボード上を舞っていた。

 

 

 表情を歪ませ、湧き起こる負の情性に必死に抗っていた一夏ではあったが、それももはや限界であると彼は悟っていた。

 胸の内を染め上げていく『黒』に流されまいとするのだが、同時に、心のどこかでは進んで受け入れることを望む自分にも気づくこととなる。

 頭の中に響く言葉。敵を叩き潰せ、蹂躙しろ、自身の心に従い望むように排除しろ、と甘く囁かれる。

(敵? 誰が? 士郎がか……?)

 普段とは明らかに違い、今の一夏の思考はまともな判断力すらも鈍っている。虚ろとなる眼が士郎へ向けられ、その口元が吊り上りかけ――

 だが、矛盾する感情を払拭させるために、己を言い聴かせるために、一夏は声を上げて叫んでいた。

「士郎ッッ、時間がないっ、俺が俺でいられなくなるっ――躊躇せずに俺ごと叩き潰せ! 絶対防御があるから死にはしないっ! 早くしてくれっ!」

 このままでは自分を見失い、結果的にとんでもない事態を引き起こしかねない。本能的に感じた彼ではあるのだが……

 『絶対防御』を過信した一夏の発言。しかし、士郎にとっては、その提案を受け入れることはできなかった。

 と――

 そこで一夏の意識は完全に『白式』へ乗っとられることとなる。

「一夏っ! 何とか制御してくれっ! 本音が居るんだっ――頼むっ!」

 無駄であるとわかっていながらも、士郎は声を荒げざるをえなかった。振られる剣戟は止むこともなく、むしろ速度は増していた。

 踏み込む速度は圧倒的。繰り出される一撃は秀逸。

 凡庸であった単調な攻撃は消え失せ、剣戟の一撃一撃に重さがのせられている。見れば、一夏の表情も尋常ではないものへと変わっていることに気づく。例えるならば、それは『狂化』するバーサーカーのように――声にならない咆哮を上げて、斬りかかってくる。

「くそっ――馬鹿野郎っ!」

 罵声を漏らす士郎の反応速度を上回り、迫る斬撃を――片手に握られる黒剣だけで斬り弾いていた。

 先までの剣筋、運びなど比にもならない。

「……っ、ぐっ……」

 片手には本音を抱えて護る。

 決して防御には回ることが出来なかった。故に士郎もまた攻勢に打って出ることしか出来ずにいた。

 耳障りな音を奏で、三撃を打ち払う。

「……っ!」

 首を刎ねるかのように迫る四撃目を、咄嗟に黒剣を掌で返し、振るわれた一刀を捌ききっていた。

 本能的に捉えたのは、護れば負ける。攻めなければ勝てないと直感していた。

 それほどまでに、一夏の剣戟には躊躇がない。

 両者の合間に火花が散る。

 正直に言えば、本音を手放し、一夏との戦闘に集中したかった。

 だが、迂闊に彼女を手放せば、瞬く間に互いの剣戟により斬り捨ててしまう恐れがあった。そのために、放すに放せない。

 抱えられ、手枷足枷となる彼女が至近距離でぶつかり合う鋼同士の余波に一切怪我らしい怪我を受けていないのは、士郎による技量。

 全身全霊、全神経を集中し、全力を以って本音には掠り傷ひとつ負わせぬようにと護り抜く。

「……っ、このっ……」

 剣を振るうたびに息は上がり、バランスを崩し倒れそうになりながらも必死に踏みとどまり次撃を見舞う。

 ぶつかり合う刃と刃。

 受ける剣、振られる剣。

 徐々に力を宿し振られる『白式』の剣に、僅かに士郎が押されはじめる。

 片手とは言えど、士郎もまた懸命に黒剣を繰り出し、相手機体の剣戟を打ち殺す。

 息体中の筋肉が悲鳴を上げる。

 かわし損ねた斬撃が、『アーチャー』の右肩を抉る。砕けた破片が士郎の頬を僅かに切り裂き、そこから紅い筋が流れていた。

「エミヤんっ!?」

 驚きに声を漏らしたのは本音。彼が血を流したことによって理解させられたのは、ひとつだけ。

 どういうわけか、今のIS『アーチャー』は、シールドバリアならびに絶対防御が発動していない。

 それがどういうことを意味するのか、生身で『白式』の雪片弐型を相手にしていることを示していた。

「ダメっ! エミヤんっ――逃げてっ!」

 これ以上は本当に取り返しのつかないことになってしまう。士郎が傷つく姿は見たくない。

 後退するように、必死に本音は叫んでいた。

 だが――

「……ふざけるなよっ……」

 ぼそりと、士郎の口から声音が漏れる。

 『アーチャー』のシールドバリア展開に不具合が生じていることに、やはり彼は気づいていない。

 腕に抱く本音の声も聴いていなかった。今の士郎の心を支配するのは純粋な怒りだった。

 至近距離から荷電粒子砲を撃ち放っていた『白式』ではあったが、士郎は機体を無理やりひねらせやり過ごしていた。その際に、わき腹に猛烈な痛みと激しい熱を感じたが、そんなことすら、もはや些細な程度としか判断していなかった。

「一夏っ! しっかりしやがれっ! 皆を護る、誰も傷つけさせないって決めたんなら機体ぐらい制御してみせろっ! いいように遊ばれて、呑まれてんじゃねえよっ! 眼ェ覚ましやがれっ!」

 士郎は後退する意思など微塵も持ち合わせていなかった。

 逃げるぐらいなら、真っ向から叩き潰して停めてやる――もはや、士郎にとっても意地であろう。

「聴いてんのか、一夏っ! ぼけっとしてないで制御してみせやがれっ!」

 士郎とて、己が無理なことを口にしているというのは理解している。純粋な機体暴走という可能性も十分考えられはする。しかし、だからといって、一夏が制御できないとは思ってはいなかった。心のどこかでは、操縦者たる彼が『白式』を自在に制御できることを信じているために――可能性を捨てきれていなかった。

 しかし、現実は残酷である。

 士郎の声は、一夏の耳には届いていない。

 否――

 相手が何かを言っている程度にしか捉えていない一夏にとって、耳には何も聴こえはしなかった。

 ただ、眼の前の敵を倒すことのみ。その一点だけに集中し、何も視えておらず、何も聴こえてはいなかった。

 切り結ぶは十の剣戟。

「――――ッッ!」

 一夏の口から漏れる獣のような咆哮。声を荒げ、叫び、剣を叩き込んでくる。

 渾身の力で打ち込み――片や斬り伏せようと奮い、片や相手を止めるべく奮われる。

 護るべき存在をその腕に抱く士郎の強さ、意志、信念、執念は眼を見張る。決して口先だけではない。

 有言実行――

 本音を傷つけさせまいと、片腕一本の剣でことごとく斬り弾く。

 しかしながら、護ると口にした以上、確かに本音は怪我ひとつ負ってはいない。が、その分、身を挺して捌く士郎の機体が傷を負いはじめていくことになる。

 黒剣で防ぎきれない斬撃は、文字通り、IS『アーチャー』の身を以って受けきっていた。

 腕部の装甲、肩部の装甲、脚部の装甲が抉られ、砕けた破片が宙を舞う。

 怒りに任せた一撃、士郎の胸元を狙うように繰り出された雪片弐型を――だが、真下から振り上げた黒剣が切っ先を斬り払い軌道を僅かに逸らしていた。

 頬を掠める穂先に構わず、その場で剣を振るった勢いのまま反転すると、『白式』の腕の関節駆動部分に斬り返した一刀を叩き込んでいた。

 どんなに装甲に硬度があろうとも、脆い部分――間接部分まではその限りではない。

 雪片弐型を握る『白式』の右腕の反応が鈍る。完全な破壊とまではいかないが、唯一、相手が振るう近接武装の攻撃が止まったことは、士郎にとっては幸いである。

 僅かな隙とはいえ、体勢を立て直させる前に、士郎は自由の利かない機体ながらも『白式』を停めるべく斬りかかっていた。

 幾度となく死線を掻い潜ったとはいえ、恐怖心が無いわけではない。わき腹からはひっきり無しに痛みが伴い、額にはじっとりと脂汗が滲む。ISスーツの一部は焦げ、その箇所からは肉の焼けた嫌な臭いが鼻腔に漂い、流れる鮮血が『アーチャー』の装甲を濡らしていた。

 と――

 轟音を上げて、ステージを隔てる遮断シールドを突破する『剣』が士郎の視界に映っていた。

 

 

「は?」

 間の抜けた声音が、束の口から漏れていた。

 眼の前に映し出されている実態に、彼女は一瞬、理解することができなかった。束の脳が、在り得ない現実を理解することを拒否していたが、だからといって状況が変わるわけでもない。頭の片隅では、今現在の疑うことの出来ない現状であるというのは嫌でも認識させられている。

 それでも、理解したくない光景を、信じる事ができない事実を、受け入れることができない在りのままを――

 眼を大きく見開きくことしか叶わないながらも、それら全てを、彼女は否定したかった。

「……なんなんだよっ!」

 語気を荒くし、振り下ろされた拳はテーブルを殴りつけていた。

「なんなんだよ、コイツはっ……なんなんだよ、この女はッッ!?」

 自身がハッキングしたシステム『レベル7』は、容易に突破できるものではない。随時演算プログラムが書き組み替えされており、その法則、対処法は当然、束のみしか知りえていない。

 あらゆるエネルギーを無効化できる零落白夜以外に力づくで突破することなど出来ないはずだった。

 それが、訓練機の『打鉄』が扱う鈍い鉄色の実体剣に突破されたのだから。

 キーを叩き、束は剣が撃ち込まれた方角を割り出すと、望遠機能を最大にしてモニターへと映し出していた。

 捉えた映像には、紫のスーツに白衣をなびかせた女が映る。

 その女の周囲には、どういう原理か三本の実体剣が浮かんでいた。と、振り下ろす腕に従い、『剣』は一直線に突き進み、轟音を上げて遮断シールドへと突き刺さっていた。

 先の剣と同様に、原形を留めずにひしゃげながらもシールドを突破し穴を開ける。

「なんなんだよっ……なんなんだよっ、コレはっ!?」

 声音は震え、キーを叩く指先も僅かに震えている。それでも、束は映像に捉えた女性を録り込み、解析していた。

 だが、その表情は更に険しく、理解できないといった顔へと歪むだけでしかなかった。

 常識の範疇をこえている。

 女性からは、IS反応が何ひとつ感知されていない。ISを身に纏いもせず、IS専用武装に手も触れずにステージ内へと投げ込んでいる。そんなことは現実的に出来るはずもなく、在りえるわけがない。

 束が理解できるはずがない。実体剣にキャスターが魔力を絡め、それをミサイルさながらに投擲しているのだから。

 と――女の首が動く。

 監視カメラ越しに向けられた視線が、真っ直ぐに束を射抜いていた。

「――っ」

 息を呑む束ではあるが、次の瞬間には映像は砂嵐へと変わっていた。

 最後に映っていた女の表情。こちらを見透かすような視線。正体に気づかれたのかという悪寒が身を駆け抜け、背には冷たい汗が伝う。

 こちらの存在に気がついたためにカメラを壊したのかと捉えた束ではあるが、しかしながら、実際には、そんなことは在りえていない。

 呆けていた束ではあったが、その表情には怒りを滲ませていた。

「ふざけるなよっ――凡人がっ! この束さんにっ!」

 綻びを修復し、邪魔をされないようにと束は手を加えていた。

 

 

 キャスターもまた、シールドが修繕されていくのがわかっていた。

 下手に監視カメラに映像が記録され、残されても後々厄介だと判断した彼女は事前に把握していた場所に設けられているカメラの類を全て魔力で破壊し尽くしていた。その結果が束へ無駄な脅威感を与えていることになど気づくはずもない。

 たった今し方、開けた穴が徐々にではあるが元の状態へと戻ろうとしていく。

「…………」

 予想以上の威力を下回る現実に、キャスターは眉をしかめていた。シールドへ直撃する寸前に、魔力を爆発的に高めて一点突破を狙い、容易く目論見通りに行くかと思いはしていたのだが――

「思った以上に厄介ね、このシールドというのは……この世界における魔力の神秘による制限……面倒ね……」

 ふうと息を漏らしたキャスターではあるが、投擲する実体剣は既にない。全て使い切ってしまっている。

「本当に面倒ね……自己修復の機能といったところかしら?」

 デジタル方式によって管理されている堅牢な防御遮断シールド、隔壁を解除するには相応のデータ量を解析し突破していかなければならない。

 情報を『0』と『1』の数字の組み合わせ、あるいは、オンとオフで扱う方式。更には、ハッキングしている束にのみしかシステムなどの状態を離散的な数字に書き換えているため、元に戻すことは困難であろう。

 故に――

 シールドを突破するために、彼女は極々単純な手段を用いることにしていた。その方法とは、壊すこと。

 手中に生み出されるは、錫杖。

 そこからほとばしる魔力の奔流が、遮断シールドを直撃し、一部を消し飛ばしていた。

 より火力を強めるためには、更に魔力を行使することを意味する。

 修復など追いつかないほどに蹂躙し、キャスターの高速神言による魔術が開いた穴を凍結させる。

「後は任せたわよ、おふたりさん」

 キャスターの声に応じるように、開いた穴へと飛び込んでいたのは、ISを展開した真耶とシャルロットだった。


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