I.S.F インフィニット・ストラトス×Fate 作:ボイス
秘密結社と称される『亡国機業』内部でも、幹部連中にとっては、その思惑は必ずしも一致するわけではない。
派閥というものは存在する。
何処の国でもある政治然り、会社の組織然り。
タカ派とハト派。
強硬派と穏健派。
右翼と左翼。
亡国機業とて例外ではない。
スコール一派が別の任務で日本を離れているこの隙は、別の派閥にとっては絶好の機会だった。
言うなれば、眼の上のこぶとなる相手が不在となった今、他の幹部連中もこの好機に乗じてスコールを出し抜こうと躍起になっていた。それは、そんな連中のひとりとなるフォレストと呼ばれる派閥も内のひとつ。
得られる情報は、今のうちに、あらゆる手を尽くしてでも得がたいものがある。ならびに、絶好の機会があれば男性操縦者の身柄を確保するという大胆な手段も算段のひとつに組み込まれてさえいた。
「対象が動くぞ」
「あいよ」
無線の相手に軽い声音でひとつ頷き、男――バンビーノは缶コーヒーを口にする。
「…………」
フォレスト一派のひとりであるバンビーノは、他の同僚の三人と組んで監視を続けていた。
監視するべく任務対象の報告を受けたのは、織斑千冬と学生ふたり。
とある筋から、学園教員のスケジュールというものは入手している。だがこの日、織斑千冬が外出する予定などは知り得ていなかった。
さらには、学生――報告ではIS適正ランクも高いとされているふたり。うちひとりは女性。もうひとりは、学園に在籍しているISを動かせるといわれる男性陣の一角。長身の男。
幾ら世界に名だたるブリュンヒルデ、織斑千冬が一緒とはいえ、護衛も連れずに――もしかしたら自分たちのように離れながら張り付いているのかもしれないが――出歩くことなどありえない。
手配されたと思しきリムジンに乗り込み、学園から動きを見せたことに彼らが黙っているはずがなかった。
尾行に気づかれぬように後を付けたというのに、どういうわけか連中は駅前で車から降り、近くのショッピングモールへと向かっていた。
仲間の三人が距離をとりながら、逐一バンビーノへと連絡していた。
が――
「――待て! 対象に『変化』がある。奴ら……分かれたぞ」
ひとりの報告にある『分かれた』という言葉に、バンビーノの眉がぴくりと動くと、すぐさま無線に手を伸ばし問いかける。
「気づかれたか?」
「いや、こちらに気づいた様子はない。アルファワン、アルファツーはそのまま。ベータワンが単独だ。街の方へ向かっている」
「…………」
駅前を離れて街へと向かうことに意味することをバンビーノは瞬時に考えていた。行動を別にするには、簡単に推測できるのは撹乱であろう。
だが、対象者がひとりで動くというには、あまりにも露骨過ぎる。何らかの形で尾行に気づき、こちらを釣ろうとする罠にしては、ずさんとも言える。
となれば、どこかの護衛者と合流するためかと判断していた。
合流されても面倒だなと結論付けたバンビーノは無線を今一度手にとっていた。
『ベータワン』と聴き、男の方かと胸中呟くと、彼は飲み干して空になった缶コーヒーを投げ捨てる。
空き缶は狙い違わずゴミ箱へと吸い込まれていた。
「ベータワンは俺が追う。お前らは、アルファワン、アルファツーを引き続き監視しろ」
「了解」
無線の通信を切ると――バンビーノは行動を開始していた。
「…………」
喉から叫び声が漏れそうになるが、千冬は必死に口を真一文字に閉じ――懸命に堪えていた。
だが、彼女の心臓は、ばくんばくんと早鐘にように忙しなく鼓動する。
心拍数は極度に増加し、自律神経系は圧迫され、いわゆる洞性頻脈の状態だった。
それもそのはずに。今の千冬は、セイバーに抱えられて宙を跳んでいた。
飛ぶ、ではなく、跳ぶ――
比喩表現でもなく、実際に跳躍を続ける彼女。
「喋ると舌を噛みますよ」
セイバーがそう一言だけ告げると、降り立ったビルの壁面を間髪置かずに再び蹴りつける。
「――っ」
身に受ける浮遊感。千冬は思わず眼を瞑り、しっかりと抱えてくれているセイバーに強くしがみつくことしかできなかった。
ランサーと分かれ、しばらくブティックなどを見るともなしに時間を潰していたのだが、ようやくして彼女たちも行動を開始する。
張り付く三人の気配を感じるセイバーに倣い、ようやくして千冬も尾行に気がついていた。
追跡者を撒くために、ショッピングモールなどに足を運ぶが、付かず離れずの気配は健在。
さすがに人混みに紛れて徒歩で振り切ることはできぬと判断したセイバーは、やむをえないと千冬の手をとり――駆け出していた。
尾行者たちの気配も追ってくるのがわかる。構わずに駅の構内を抜け、人で賑う通りを駆けていく。
「セイバー、駅を出てしまっては――」
目的地はそちらではないと告げる千冬の声を無視し、手を引き駆けるセイバーは雑踏の中に紛れ、そのまま手近にある裏路地に入り込んでいた。
人の姿もなく、だが、追ってくる気配を感じながら。
「チフユ、失礼しますよ」
一言断りを入れ、相手が反応するよりも早く――
千冬の膝裏をすくい上げるように、小柄な体躯のセイバーに抱えられると、そのまま一気に地面を力強く踏みしめ跳躍していた。
何の迷いも説明もなく、高層ビルの壁を垂直に蹴り上げ、駆け昇る。
「…………」
言葉もなく、千冬は眼を大きく見開くことしかできなかった。
普段、滅多なことでは表情を露にしない千冬ではあるが、今、この時ばかりは例外であった。
信じられない状況を眼の当たりにし、光景に直面している千冬を無視したまま、瞬く間にビルの屋上の給水塔まで登ると、今度はそこから手近いのビルへめがけて跳躍していた。
手近のビルとはいえ、その距離は数十メートはあるのだが。
ビルからビルへ。そのまた次のビルへと足場を求めて、セイバーは跳び移り続けていた。
「――っ」
身に受ける風の強さによって、結構な速度だというのがわかる。
眼を開けていられず、思わず瞑りそうになるが――視界に映る光景は瞬時に背後へと流れていく。
(白昼夢でも見ているのか……?)
規格外の能力を有するセイバーたちをなんとなくではあるが感じていた千冬は、自分にそう言い聴かせることしかできなかった。
IS『暮桜』や『白騎士』で飛ぶことに慣れてはいたが、跳ぶことになど慣れてはいない。なによりも、彼女はISという絶対安全に護られていれば命への危険がないということを知っているだけに、今はその概念も消えうせている。
適度な加速や減速も自分の意思ひとつで自由に効くISとは違い、他人任せの速度であるため、生身にとっては命の危険に直面している。
セイバーが足でも滑らせれば、まっさかさまに落下し、地面に叩きつけられれば即死は免れない。
恐怖により、やめろと口にしかけるが――
同様に、明確な確証はないが、何故か安心を覚えていたのも事実だった。セイバーに抱えられてビルの合間を縫って跳ぶなど、非常識な体験を身をもって味わっているというのにだ。
思わずセイバーの首に回していた腕に力がこもる。
と――
「怖いですか、チフユ?」
こんな状況で気楽に声をかけてくるセイバーを、千冬は本気で殴り飛ばしたかった。
さすがのブリュンヒルデ、織斑千冬とて、今この状況下において、恐怖を感じぬ筈もない。顔を赤めて、彼女は食ってかかることしかできなかった。
「か、からかうなっ!」
「ふふ、失礼。ですが、安心してください。あなたは、わたしが護りますから」
「……っ」
説明することはできないが、彼女――セイバーと一緒であれば、どんなに危険なことであったとしても、不思議と憂虞は薄れていたりする。
ついと視線を真下に向ければ、遥か彼方のように見える地面。通りを人が行き交い、自動車が走る。
身に受ける浮遊感に、声が漏れそうになるのだが、やはり千冬は懸命に堪えていた。
対照に、セイバーは僅かに身体を傾け、次のビルを目指し、壁を蹴る。
眼下の人間も、オフィスビルで働く周囲の人間も、セイバーと千冬の姿など肉眼で捉えてはいないし、視認すら出来てはいないだろう。
一陣の風となり、セイバーはしっかりと千冬の身体を抱えたまま、ビルの谷間を駆け抜けていた。
観客席で見入るのは三人。鈴とセシリア、ラウラだった。
それぞれ自主訓練に励んではいたのだが、早々に切り上げ自室へ戻ろうとしていた矢先に、途中に士郎と出会っていた。
「あれ? 衛宮、アンタこれからどっか行くの?」
「ああ、一夏と模擬戦をちょっとな」
かけられた鈴の声に、何の気もなく返答する士郎ではあったのだが、一夏との模擬戦、との言葉に妙な胸騒ぎを覚え、変に反応したのはセシリアとラウラのみ。
セシリアに至っては何か言いかけようとはしたのだが、一緒に居る鈴の存在を考慮し、余計なことは言うまいと口を閉ざしていた。
逆に、鈴にとっては一夏との模擬戦と聴き興味を持つこととなる。
「ふーん、暇だし、見ててもいいでしょ?」
「構わないぞ。第二アリーナらしいからな。じゃ、俺は先に行くから」
言って、士郎は片手を挙げて去っていく。
面白そうだと口にする鈴とは対照に、セシリアとラウラのふたりの表情はどこか浮かぬまま。
他に生徒の姿が見受けられない第二アリーナ内、対峙する『白式』と『アーチャー』に視線を向けながら鈴はふたりに訊ねていた。
「ねぇ、一夏と衛宮、どっちが勝つと思う? わたしは、一夏だと思うけれど」
一夏と士郎を比べ、贔屓目に見てしまえば、鈴にとって好意を寄せる相手の方が勝ってほしいと捉えるのは当然だろう。
機体も、同じ専用機でも、セカンドシフトしている『白式』の方が上だと読む。この時点で、鈴は士郎を格下と捉えてしまうのは無理からぬことだった。
あくまでも、鈴は他クラスの生徒。一組との混合実技時に顔を合わせることであり、常日頃、言うなればクラス単体での実技時間の方が遥かに多い。そこでの向上を彼女は見ていない。
その姿を見ていれば、彼女も些か考えは変わっていただろう。
とにかく、現時点での鈴は、己の考えに、他の専用機持ちも同意すると思っていた。
だが、現実は違う。
首を振り、ラウラは淡々と返答していた。
「いや、おそらく……衛宮の方だろうな。嫁には勝ってほしいと思うのだが」
「わたくしも、ラウラさんの意見と同じですわ。お互い、努力をしているのは認めますが、上回っているのは衛宮さんだと思いますの」
「……へ?」
予想外のふたりの返答に、鈴は間の抜けた声音を漏らしていた。
士郎の視界の隅、アリーナ内の端に立つふたりの人影を見つけていた。心配そうに見上げる本音と、その隣に立つのは簪。離れた場所とはいえ、模擬戦を行うアリーナ内に制服姿のまま居合わせていては、危険が皆無というわけではない。
流れ弾にでも当たっては事だと考え、退出するように手で示そうとするのだが、士郎は瞬時に思いとどまっていた。
傍に簪がいる以上、相応の対処はしてくれるだろうと判断していた。
と――
考慮していた矢先、秘匿回線が繋がれていた。相手は今意識していた簪だった。
「衛宮くん、本音のことは大丈夫。何かあったとしても、わたしが護るから気にしないで」
「…………」
秘匿回線が展開されているということは、簪自身の専用機『打鉄弐式』を纏っているということになる。こちらの心配は杞憂だったかなと胸中で安堵しながら士郎は返答していた。
「悪い。迷惑をかける」
「……別に、気にしてない。本音が動こうとしないから……それに、わたし自身も意図したことがあるから問題ない」
「……悪いな」
今一度呟く士郎ではあるが、簪も苦笑を交えた吐息を漏らしていた。
「言ったはず。気にしないで、と。わたしはわたしで此処に居るだけ。あなたは眼の前の相手に集中した方がいい」
「ああ……」
簪の声に頷き、士郎の意識は『白式』へと戻されていた。
第二アリーナに、模擬戦を開始する合図が鳴り響く。
滞空飛行状態を維持していた二機は、ほぼ同時に行動を開始する。
IS『アーチャー』の手中には、量子変換により実体を得た黒弓フェイルノートを握りしめる。
「……っ!」
射法八節――極限の集中により放たれる矢は全てが必殺である。
シールドバリアーを用いるIS戦に置いては、『白式』の零落白夜や亡国機業が用いた特殊兵装以外で厳密な意味の一撃必殺は存在しない。
つまりは、あらゆる攻撃が牽制にしかなり得ない。
しかし、例外として、イレギュラーたる士郎からしてみれば、それは些細な問題でしかなかった。
例え一撃で射抜くことが出来ない相手であろうとも、こんな初手で対応を誤るなら、所詮はその程度と言うこである。
いくら『白式』がセカンドシフトの姿を取り、基礎スペックでは大きな差があるとしても。乗り手の技量の底が見え透いているのなら、それを踏まえて戦闘を行えばいい。
牽制であろうとなかろうと、勝利へと繋がる道筋を創る足がかりとなるならば必殺と言って過言ではない。
事実、士郎は仮に一夏が多機能武装腕・雪羅を展開し、バリアーシールドを張る。または瞬間加速で攻めてくるなら勝利を確信していた。
だが、一夏が取った行動は雪羅の荷電粒子砲による砲撃。
士郎の射に僅かに遅れて放たれていたそれは、フェイルノートのエネルギー矢を飲み込み、そのまま『アーチャー』へと猛進する。
その火力は圧倒的。
士郎の知るISの中でもトップクラスの威力を誇っている。まともに食らえば、一撃でシールドバリアーの大部分を削り取られるだろう。
(そんな大技、当たりはしないぞ、一夏……)
士郎は自身の射が終わると同時に機体を操作し、容易に身を捻るようにしながら避けていた。
真正面からやり合う分には恐ろしい武器だが、如何せん大味である。
連射性能に乏しく、エネルギー消費も激しい荷電粒子砲は、注意さえしていればそこまで厄介な存在ではない。
「ちっ……」
一夏は舌打ちをしながら士郎に迫るため、斜め右に大きく回りながら飛ぼうとする。
が、彼に待っていたのは肩に刺さる衝撃。
黒弓フェイルノートから放たれたエネルギー矢が被弾したものだった。
(何時の間に……!?)
考える暇もなく迫る次弾を雪片弐型で切り払う。
一夏が油断していたのも無理はない。
スペックなら自分が圧倒的に上。過去の鈴との戦いを思い出してもここまで第二射が早くはなかった。
次々と放たれる矢を打ち払いながら、一夏は回避に回らざるを得なかった。
(なんだよ……そうやって……自分だけ強くなったって言うのかよ!?)
士郎は一夏が遮二無二撃ってくる荷電粒子砲を避けながら、それでも射続ける手をやめなかった。
彼の射撃速度が増していくのには理由がある。何も機体を特別改造したわけではない。それどころか、『アーチャー』自体は本来のスペックを発揮しているとは言いづらい状態だった。
(だいぶ慣れてきたな……)
士郎が胸中で呟く通り――
そう。彼は単純に、このISという存在に慣れて来ていたのだ。その世界にも、である。
三次元立体機動を可能とするISから見える世界は、通常の人間が見ている世界とは異なる。
単純に言えばコントローラーでのキャラクター操作による方向転換、カメラ移動が常に変動している状態に近い。
上へ飛んでいるつもりでも、実は落下している。
眼の回るような世界。戦闘機のパイロットであろうと、ここまでの眼まぐるしい状況変化にはついていけないだろう。
本来、それを一学生が操作することを可能とする領域までハードルを下げているのが、ハイパーセンサーを初めとした各種センサーである。
これによって感覚を制御することによって、世界最強の兵器はその最強たる由縁である驚異の機動力を手に入れる。
しかし、今の『アーチャー』は、それらセンサーの切り替えによる補佐がまったく追いついてない。
本音が心配していたのも詰まる所、このセンサーの異常についてである。彼女自身、今の状況を見て驚いていた。
普通に考えれば、戦闘どころか機体を操作しての飛行すら正常にできるとは思っていなかったからだ。
それでも、そんな心配をよそに、士郎は非常識なまでの集中力によって機体を制御し、射を続けていた。
彼の射撃間隔が短くなったのも、今までセンサーによる補正に頼っていた部分を、日頃の訓練によって鳴らしてきたところが大きい。
士郎自身、最もクレバーな選択肢は『白式』との遠距離戦である。
荷電粒子砲は一夏の射撃センスと相まって、士郎には当たらない。
一方、士郎の射撃は既に一種の境地に立っている。一夏が防ぎ、いなし、避けることすら彼の射には『見えている結果』のひとつに過ぎない。
遠距離射撃戦を主体とするIS操縦者たちが聴けば、百人中百人は「あり得ない」と口をそろえることだろう。
先ほどの一夏の肩を射抜いた一射もそのひとつにすぎない。
今も一夏は呪いにでもかかったように防いだすきを突かれ、避けた方向に矢が飛んでくるなどどいう状況に陥っていた。
これがラウラや鈴なら早々にある程度のダメージを覚悟で接近戦を挑んできていただろう。
しかし、一向にその気配がない。
それが士郎の眼には、今の一夏がどこかここではない別の場所を見ているように思えてならなかった。
(……何を考えているんだ、一夏……?)
射続ける士郎の弓に隙を見つけようとする一夏だったが、その間も彼のエネルギー残存量は減り続けていた。
一夏からは相手に隙らしい隙が見当たらない。
近づこうとすれば絶妙のタイミングで牽制の矢が降り注ぐ。
士郎のことを心のどこかで軽視している一夏であったが、この射撃センスに関してだけは言い訳のしようがない差を感じさせられる。
故に、それがさらに彼の心を追い詰めてもいた。
これが普段の一夏であったならば、あるいは隙を見つけることができたかもしれない。
もしくは、早々に別の手段をとっていただろう。
だが、今の一夏の頭の中にあることは『士郎の全てを越えなければいけない』という想いだけだった。それが彼の判断を鈍らせる。
とは言え、そうも悠長にはしていられない。
フェイルノートのエネルギー矢は決して一撃や二撃で大打撃を受けるような火力はない。しかし、既に数えるのも面倒なほどの射を受けていた一夏のエネルギー残存は半分を切っていた。
負けてしまっては元も子もない。
一夏は隙とも呼べない僅かな隙を見計らい、矢をその身に受けながらも瞬時加速で間合いを詰める。
瞬時加速からの斬撃に、鈴は思わず、やったと上ずった声を漏らし拳を握り締めていた。だが、隣に立つラウラの表情は冷ややかだった。それは、ランサーを相手に見せた時と同じように、何も考えておらず、ただ闇雲に突っ走っているようにしか思えなかった。
ラウラの考えを肯定するかのように、セシリアが代わりに口を開いていた。
「いえ……」
彼女の呟き通りに、状況は一変していた。
一夏が薙ぎ払った一閃は、絶好の機会、間合い、タイミングともに見事だった。
だが――
士郎は迫り来る一撃を屈み避けていた。瞬時加速で、だ。
「瞬時加速ッ――!?」
驚きの声を漏らす鈴。士郎が瞬時加速を使えるなどとは聴いたことがないし、知り得てはいなかった。
告げるように、ラウラは言葉を紡ぎ出していた。
「鈴、お前は勘違いをしているぞ。嫁が日々努力しているのはわかるが、同じように、衛宮もまた努力しているということだ」
「でも、だからって、今まで使ったことがないのに、いきなり……?」
それほどまでに、士郎は技術を隠していたのだろうか。
もし、そうだというのならば、今まで手を抜いていたということなのか、と鈴はそう捉えてしまっていた。
しかし、ラウラは違うと口にする。
「いきなりではない。言ったろう? 努力をしている、とな。ヤツは、ヤツなりに積み重ねてもいたということだ。それに、瞬時加速は嫁もシャルロットも使えるんだぞ? それが衛宮も使えないという道理にはならんだろう?」
ラウラへ視線を向けていた鈴は、上空の二機を見入っていた。
「となると……」
「瞬時加速からの零落白夜による一撃必殺が望めない以上、対等……いや、完全な白兵戦であれば、衛宮の方が上だな」
「…………」
鈴の意識は、再度ドイツ代表候補生へと向けられていた。先から逐一、士郎を擁護するかのような発言が気に障る。苛立ちが募りはじめていく。
「なに? さっきから衛宮ばっかり贔屓目に見てるようだけれど、それだとまるで一夏が負けるような言い方じゃない」
自然と語気が荒くなり感情的になる。眼つきも睨みつける表情に変わっていた。
「…………」
肯定も否定もせず無言を通すラウラの代わりに返答したのはセシリアだった。
「鈴さん、気づいていませんの?」
「なにがよ。セシリア、まさかアンタも衛宮が上だとか言うんじゃないでしょうね?」
睨む鈴だが、セシリアは気にも留めなかった。
「接近戦での唯一の奇襲が効かない今、衛宮さんと対等とはいきませんのよ?」
「……だからなんでよ。たかが衛宮が瞬時加速を使えるってなだけでしょ? どうしてそれが一夏の負けに繋がるのよ」
意味がわかんないわよ、と鈴。
本格的に、セシリアは呆れた声を漏らしていた。
「……鈴さん、本当に気づいてらっしゃらないのですか? 衛宮さんのスタイルは、接近戦のみではないんですのよ? お忘れですの? あなた御自身が、専用機を得た彼とはじめて模擬戦をされた時のことを。今一度、思い出してください。どのようにして、追い込まれたのかを」
「…………」
そこまで言われて、ようやく気づかされていた。何故、自分はそんなことを忘れ、見落としていたのだろうか。
慌てて鈴は振り返り――
想像を読むかのように、士郎は黒弓フェイルノートを構えた姿がそこにはあった。
「衛宮は、瞬時加速しながら射るんだ。それも、正確無比にな」
どういう原理か理解出来ぬが、動き回っているのに当ててくるのだからなと自嘲気味にラウラは笑う。己も放課後に士郎との模擬戦を行った際に、弓矢の餌食となり、いいようにあしらわれ、敗北を喫している。
言葉通りに、戦況は大きく動きを見せはじめていた。
瞬時加速しながらも、狙いは違わず、士郎は矢を射続ける。
第五次聖杯戦争時に、アインツベルンの森の中、セイバーと激しく斬り結び、高速移動するバーサーカーの眼を的確に狙い撃つ士郎にとって、ISを纏っているとはいえ、一夏を相手にするには、慣れた腕では造作もないことだった。
一気に、一夏は苦しい立場へと追い込まれていく。
飛来する矢をかわし、あるいは弾き、それでもどうすることができないものは、零落白夜のバリアシールドを展開して防ぐのみ。だが、防御に回るということは、完全に攻撃の手が止み、脚も停まる。
動きが留まれば、それはもはやただの的でしかない。
士郎とて、闇雲に矢を放っているわけではない。相手に避けられ、斬り払われようとも、決して本音と簪のふたりに被害が及ばないように考慮している。
黒弓フェイルノートを引き絞り――一夏へ向けて撃ち放っていた。
傍目から見ても劣勢となる一夏を、それでも擁護しようと鈴は懸命に言葉を吐き出していた。
「で、でも……ほら、一夏にだって、多機能武装腕の荷電粒子砲が……」
「ほう。わたしは、瞬時加速しながら射撃に移る嫁を見たことがないのだが? それに、お世辞にも嫁は射撃は巧くはないはずだと認識していたのだが? それほど までに射撃を得意としているのならば、話は別だ。嫁にも分はあるだろうな。最大火力を有しているからとはいえ、必ずしも勝機に繋がるとは思えんがな」
ラウラの指摘通りに、一夏は苦し紛れに雪羅による大出力の荷電粒子砲を撃ち放つのだが、士郎は機体を操りひらりとかわしていた。
何度も何度も同じ展開を繰り返し、一夏は内心の焦りを隠せずにいた。
例え士郎がこちらの行動を的確に読んでいるのだとしても、一夏にはそもそも接近戦以外の選択肢がない。
荷電粒子砲も雪羅のエネルギー爪も全てはその為にあるのだから。近づくこと自体は難しくない。基礎スペックは圧倒的に自分が上だ。
直線経路を最短で行くならば、どうやっても『アーチャー』は逃げ切れない。
いくら士郎が牽制を仕掛けることで、『白式』の動きに制限を与えようとしても、一夏には少しの痛手も何もかもがどうでもよかった。
間違いではない。元より勝機があるとすればそこにのみ。
しかし、それは言うなれば、あまりにも知性に欠けた獣のような姿だった。
一夏は『アーチャー』に接近しても瞬間加速によるヒット&アウェーに固執している。それでは意味がない。既にそのアドバンテージは失われたものだ。
『アーチャー』が距離を置くことを許さない白兵戦における純粋な剣術勝負に掛けるしか術はないはずなのだが――
これには、さすがの士郎も困惑していた。
(どうしたって言うんだ……)
勿論、一夏はあまり戦術的に戦えるタイプではなかった。箒もそうであるが、接近戦での一撃必殺に掛ける彼らは感覚に頼る部分が大きい。
だからと言って、決して考えなしと言うわけではなかった。直感的に次にどうするのかが分かる彼らは士郎にはない戦闘センスを持ち合わせていると言えた。
だと言うのに、今の彼から感じるのは蛮勇。みんなを護りたいと、強く願っていた少年の姿はどこにもなかった。
戦況は終始、士郎の独壇場だった。
一夏が士郎に仕掛けるヒット&アウェイでの先方。そのことごとくを士郎は先読みすることが出来ていたからだ。
(次は一拍置いて、引いてからの瞬間加速……こっちが追おうとすれば後ろに回り込まれ、遠距離に切り替えれば隙を突かれる。だったら……)
士郎は一夏の手にあえて乗るふりしながら、武装を双剣へと切り替える。
それにつられるようにして一夏は士郎の後ろに回り込んでから、振り向きざまを薙ぎ払ってくる。
狙い通りの薙ぎ払いが加速する直前、士郎は双剣で弾くと同時に一夏の胴体を殴りつける様に斬り払おうとする。
それを雪片弐型で何とか防ぐものの、もう片方の黒剣が一夏の首を狙っていた。
顎を引きやり過ごすと同時、蹴りを放ち間合いをとる。だが、その寸前に、既に士郎は空域を離脱していた。
ぐんと身を捻りながら、既に武装は変換されていた。手に握られるフェイルノートで射続ける。
エネルギー媒体の矢をかわし、斬り払いやり過ごすが、全てを撃ち落すことは出来ていない。
瞬時加速で切り抜けるのだが、その進行方向に投擲していたのは黒剣。
「ちっ――」
咄嗟に後方へと逃げようとするが、今度は白剣が行く手を遮る。
逃走経路を狭められ、此方の手の内を読まれていたことに歯噛みする一夏だが、斬り弾き、なおも加速する。
だが、僅かとは言え、動きが止まったところを士郎は逃がしはしなかった。彼もまた仕留めるべく機体を駆り、双剣との斬撃を浴びせにかかる。
悪態をつきながら、雪片弐型を構え直し迎え撃つべく一夏も加速する。
士郎なりに、一夏への対策がないわけではなかった。
一夏の戦闘スタイルは、姉の織斑千冬に酷似している。否、出来の悪い模倣でしかない。過去の千冬のIS戦闘記録、モンド・グロッソにおける映像記録を見て対処法を学習していた。
明らかに、一夏の動きの大本は姉に倣った戦い方だった。攻撃、防御、それらはコピーであり、そこに一夏独自のスタイルは一切組み込まれてはいない。
故に、対処の仕方など、意外と簡単であったりする。
当然であろう。
一度剣の道を捨てた人間と、一度も立ち止まることなく才能を磨き続けた人間。
最強の存在だからこそ成し得る戦法をそれ以外の人間が、ましてや一学生が真似たところで、同域になる筈がない。
それは、士郎がセイバーの剣術を真似るようなものだった。
剣に自身が宿らないならば、そんなものはただの機械でしかない。
どれだけ機械が発達しようと、その中心に人間がいるのは、そこに未だ越えられない壁があるからに相違ない。
そのため、機械である一夏が士郎を超えられる道理はない。
映像で何度も見て、知り得た動き。行く手を遮れば、想像通りであり、目測通りに相手が動く。
士郎にして見れば、シミュレーション通りに、過去のモンド・グロッソでの千冬の各試合での間合いの取り方、対各種武装に対する反応、それらを興味本位で見て得ていた知識が十分活かされていた。
士郎とて、ISに関しては学習している。
何よりも、己は素人である。ISとなると、まだまだ技術面は拙いものがあるのは否めない。
そのため、人一倍努力するのは当然であった。
初めの頃はそれこそ歩くことさえ覚束なかった。クラスの女子に呆れられたり笑われて恥ずかしい思いも何度もした。
セイバーやランサーが一級品だったおかげで、余計に拍車が掛かったが、それでも笑われるのは自分のせいだと認めていた。
毎日のように訓練場でセイバーたちと訓練した。
わからない箇所に関しては本音や真耶に訊ね、情報、知識、技術を吸収していった。
過去の映像を参考にしたのも、真耶の配慮によるところである。
少しずつではあるが、着実に、それでいて確実に。士郎は得た知識を余すことなく。己が身へと覚えさせ反映させていた。
二刀による手数に押されながらも、一夏は諦めてはいなかった。
士郎には負けられない。負けるわけには行かない。負けたくない。
振り抜かれた雪片弐型をかわして見せた士郎の位置は頭上。そのまま――反転するように振り下ろした蹴りが、一夏の肩へと叩き込まれていた。
「くそっ――」
スラスター制御をかけて体勢を整えるが、一夏の視界に迫るのは、頭上から降り注ぐエネルギー矢の群れだった。
懸命に滞空制御をかけるが、矢継ぎはやに警告表示が眼に飛び込んでくる。
頭上からロックされた緊急警告。
舌打ちすると同時に、その場から瞬時加速で飛び退いていた。
が――
その眼前には、同じように瞬時加速によって回りこみ、双剣を振り上げた士郎の姿があった。
戦闘は、何も武器だけによるものではない。
『白式』に纏わりつくように両肩を押さえ込むと――そのままスラスターを吹かせて手近の壁へと叩きつけていた。
衝撃に息を詰まらせる相手へ拳を見舞い、蹴りを放つ。
「……っ」
ぶんと振り払われた雪片弐型を屈んでかわし――腕が振り切り戻る瞬間に身をひねった士郎の脚が一夏の脇腹に叩き込まれる。
「くそっ、くそっくそっ――」
口汚く己を、士郎を罵り、一夏は力の無さに悔やんでいた。
「俺は、皆を護るんだ……皆を護るって決めたんだ……」
護ると誓ったのに、何も出来ずに終わってしまっては、またあの時と同じになってしまう。
『銀の福音』との戦いを、先輩の言葉を――
『もし、士郎くんが福音を相手にしていたとしたら……彼ならもっと巧くできたかもしれないわね』
模擬戦の最中だというのに、一夏は耳に残る楯無の声を払うかのように頭を振っていた。
「そんなはずない……俺はみんなを護ったんだ……俺は、何も間違っていない!!」
「さっきからぶつぶつと口にして……言いたいことがあるなら、ハッキリと言えよ、一夏!」
この試合中、一夏が訳のわからないことを呟いていることを士郎は耳に捉えていた。
否、それ以上に剣を伝わって、一夏が並々ならぬ敵意を向けて来ていることにも気がついていた。
本音に当り散らすように模擬戦に付き合わせておきながら、当の相手は集中していない。意味不明の呟きと苛立ちをぶつけられる士郎も最早我慢の限界だった。
「先輩も、千冬姉も……みんな、みんな、みんな、みんな、俺を馬鹿にしやがってるんだ!?」
一夏の叫びと共に繰り出される剣戟は、その苦々しい響きとは裏腹に軽い。
「俺の何がいけないって言うんだ? 俺はただ、皆を護りたかっただけだろうが。実際に今までだって、上手くやってきたんだ。なのに、お前が……お前が来てからだ! 俺は自分が一番強いなんて言うつもりはないさ。でも、努力だってしてきた。皆を護りたかったから、『銀の福音』のときだって戦ったんだ!!」
「だから、何だってんだ! それと俺が、何の関係があるんだ!?」
「ないさ!! 関係ないのに、皆がお前の方が優れてるって。お前の方が上手くやれたって言うんだ!! あの時、アイツらを助けたのは俺なのに、俺が間違ってるって言うのかよ!?」
双剣と雪片弐型が激しくぶつかり合い火花を散らす。
一夏の慟哭を聴きながら、そこでようやく士郎にも相手が何を言っているのかを理解しはじめていた。
『銀の福音事件』――
彼とて、その出来事は知りえていた。本来は外部に漏れるはずのない事件でありながら、主にキャスターからの聴いた話によるところである。
何者かが、自分たちを狙ってくる可能性がある。その一端の触りとして、聴き及んでいたのだ。
そこで一夏は一度、作戦ミスをした。
福音を零落白夜で一撃のもとに破壊する作戦。
それを実行した一夏と箒は、福音を撃破することが出来なかったという。
しかし、話はそれにとどまらない。
その時、偶然にも密漁船が戦闘区域に居たのだ。
それを見つけた一夏は密漁船の安全を第一に考えてしまった結果、箒を危険に晒し、自分自身も重傷を負い、福音も逃がしてしまったと言う。
結果的には誰も大きな怪我をすることもなく、事件は解決したらしいが、一夏はそうは思っていなかったのだろう。
あの時、最初の一撃を成功させていたなら。密漁船を気にせずに福音を叩いていたなら。初めから自分にもっと力があれば。
そんな『if』が彼を苦しめ続けていたに違いない。
だが、だからと言って、何故そこまで気に病む必要があるのかが士郎には分からなかった。
一夏はやり通したはずだ。その場にいなかった自分だからこそかもしれないが、全員を護り通して、無事に事件は終わったはずなのだ。
「もしもの話なんて、そんなの、考えるだけ無駄だ。自分でも分かってるんだ。俺だろうと、お前だろうと、誰が皆を護ったが重要じゃない。でも、考えちまうんだよ。もしも、密漁船を護ったせいで箒が死んでいたらって。市街地に福音が入って、沢山の人を襲っていたらって」
一夏は考えてしまっていた。
ありえたかもしれない未来。それは『if』などという甘いものではなく、天秤が僅かに傾いただけで実現していた。
それを分かっているからこそ、彼は自分を否定する人間を見返さなければならない。自分よりも上手くやれたという男に負けるわけにはいかない。
そうでなければ――
「俺が、俺である意味がないだろ!!」
――自分自身の存在価値を証明できない。
証明できなければ、織斑一夏にとって、一番大切な人の名前を汚すことになる。
最も優れた女性操縦者である姉のためにも、自分は最も優れた男性操縦者でなければならない。
その星のような名声を侵すようなことがあるというなら、自分は無価値どころの話ではない。
ゴミ、否、害悪だ。
憧れの存在に最も不必要なもの。
何時の日か、織斑千冬が自分のことを不要と捨て去られることがなによりも……
「…………」
士郎には咄嗟に出てくる言葉かなかった。
幾度も切り結ぶ剣線の中、相手の事情を分かった気になって慰めることだけはしてはならないとだけ、直感が囁く。
そんなことに意味はない。ただ慰めるだけでは一夏のためにならない。
しかし、それ以上に。
――もとからそんなつもりはなかった。
一夏を心の奥底から理解できたわけではない。
本来なら世界唯一の男性操縦者は彼のみであり、偉大すぎる姉を持った少年。
みんなを、仲間を護りたいと直向きに真っ直ぐなその決意を持つのに必要だった勇気はどれほどのものか。
それなのに、彼はきっと後悔している。
それが士郎には何よりも許せなかった。
「俺が俺である意味……? そんなもの、誰かに認めてもらわないといけないものじゃないだろう!?」
「……煩い!! お前になんか、分かるわけがないんだ!」
一瞬、驚いた顔を見せながらも、それは自分に対して拒絶の言葉を叫ぶ士郎への憤怒に塗りつぶされる。
「お前に俺の気持ちが分かるか!? 一度も誰かを護るために戦ったこともないくせに、千冬姉の名前を背負う意味も重みも知らないくせに、偉そうに言うんじゃねぇよ!!」
「……っ」
一夏は知らない。
士郎が元の世界で何を失い、何を誓い、何を護るために生きてきたのかを。
それを知っている人達なら決して出てくることのない言葉だったが、今は関係ないことだった。
「重いんだよ。無敗のモンド・グロッソのチャンピオン。その『弟』として扱われるのが、俺にとってはどうしようもなく苦しいんだ」
それは傷ひとつない天上の至宝。世界中のすべての人々を魅了する「無敵」というなの宝石だ。
穢れているのなら価値はない。傷があるなら他の傷が増えようがいまさら大して変わらない。
だが、その宝石には一切の穢れなどない。
預けられた身にはあまりにも手に余る代物だ。
自分自身のものだと言い張れる資格のない者は、傷をつける権利などない。
その価値を落としめた人間に待っているのは、輝きを穢した『大罪』だ。
これを預けるべき人間が他に居るのなら喜んで渡してしまいたい。
しかし、織斑千冬の『弟』は、織斑一夏ただひとりである。この世に生を受け、死する時まで、その宝石の輝きに照らされた道を歩む『影』となる以外の選択肢が存在しない。
その一生を、『織斑』として過ごさねばならないのだから。
だが――
「言いたいことは、それだけか?」
静かに、だが、それでいて怒りを含んだ声音が士郎の口から吐かれていた。
感情を制御してはいるが、それが巧くいかないのも、士郎自身理解している。
「お前は、根本的に間違ってるんだよ。千冬姉、千冬姉ってな……結局は、皆を護りたいって言うのも、強くなりたいって言うのも、全部千冬さんに迷惑を掛けてない自分、なんていう証――それこそ、くだらない免罪符が欲しいだけなんだろ!!」
「――っ!? 違う、俺は……」
「違うもんかよ! 誰かに何か言われたぐらいでグチグチグチグチ気にしやがって。今まで、お前のやってきたことを後悔してるって言うのかよ。仲間を助けてきた自分が間違ってるなんて思ってるのかよ。そうなんだろ。違うんなら、違うって胸を張って言い返してみろ!! それにな、護るために戦ったことがないだと? 言ってくれるな……それこそ俺は必死に戦って護ったんだよ! イリヤも桜も、俺は必死に護ったんだ! 見ろよ……お前だって、俺のことを何ひとつわかっちゃいないだろう! 何を以ってして、俺が誰も護っていないだと? ふざけるなよっ!」
それは一夏にとって予想外の言葉だった。
『後悔しているのか?』――
あまりにも眩しい姉の背中に目が眩んで、いつも最善の結果を残さないと怖かった。
自分を護ってきてくれた姉の姿。
親に捨てられて、絶望するしかなかった自分が今もこうしていられるのは全て千冬という存在がいてくれたからだと。
だから、自分も誰かを護らなないといけないと思った。
千冬姉が自分にやってくれたことと同じように、自分もみんなを護ることが出来たなら、自分も千冬姉のために生きられるのだと。
護られる側から、護る側へと――
なのに、何度も間違えそうな自分がいて。そのたびに他の人に助けられた。
誰かに助けられるたびに、自分が誰かの重しになっていることが嫌だった。
どれだけ結果が良くても、途中経過に存在する綻び。
自分が誤って断ち切ってしまった糸。その結び目を解くだけで、全く違う最悪のシナリオが目に浮かんだ。
もっと上手くやれてればそんな想像をしないで良かった。
誰にも指摘されなければ忘れていられた。
「違う……違う、違う、違う、違う!! 俺は、後悔なんかしてなかったんだ。お前さえ……士郎、お前さえいなければなっ! こんな気持ちにはならなかったんだっ!! お前さえいなければっ!」
振り下ろされる雪片弐型には例えようもないほどの熱がこもっていた。
自分の殻に閉じこもっていた時の何倍も熱い心が。
だが、だからこそ、士郎はその熱さに応えるように真実を告げていた。
振り払われた雪片弐型を斬り弾き――
「誰かがいたから? 誰かがいなければ? その言葉の矛盾に、何で気がつかないんだ、お前はっ! 『皆を護る』と言ったお前の皆ってのは、篠ノ之やオルコットたちだけか? たった一握りの連中を護って満足かよ! 誰かの存在を否定している。自分に圧し掛かる重荷を最初から否定しているのは、何よりもお前じゃないか! 責任から逃げたくて、自分の護りたいものを消し去ろうとしている。そんなんじゃ、いつか本当に護りたかったものまで失うことになるだろ!!」
繰り出される双剣の乱打に、一夏は舌打ちを漏らし防戦に回ることしか出来なかった。
一夏の頭の中に、士郎の言葉が雪崩れ込んでくる。
今まで空っぽだったはずの器。
己から振り払おうとしてきた重荷が、再び自分自身に背負われようとしている。
しかし、一体、それは何の重さだったのだろうか?
分からない。分かろうとしない。分かりたくない。
目の前に居るあいつはこちらの言い分など聞こうともしないで、引き下がることなく剣を振るい続けている。
お互いに怒りにまかせた打ち合いは力任せに振るわれて、強くなるために身につけてきた技術も戦術もいつのまにやらなくなっていた。
ただ、それでも残ったものをぶつけ合う。
士郎は自分自身のエゴと怒りを。
一夏は――果たして、彼は一体何をぶつけているのか。
「…………」
一夏は感じはじめていた。
士郎が振るう剣の重さ。それは決して技術によるものなどではない。
自分達は今、そんな領域には居ない。もっと低俗で、野蛮で、純粋なぶつかり合い。
そんな中、士郎の剣が重いのは、その怒りと言葉が、他の誰かのために向けられる怒りだからだ。
自分の剣が押し返される。機体性能で上回っているはずの自分の剣が。
士郎の剣の重さが彼の背負っている覚悟と、他の誰かの命の重さで出来ている。
彼の剣にはどうやっても自分の命という重さが欠けている。だが、それでいて、力強く、直向きに、怖いほど真っ直ぐな気持ちだけで圧倒される。
互いの渾身の一刀がぶつかり合い、弾け飛ぶ。
しかし、まるで敗者であるかのごとく膝をついているのは一夏だけだった。
屈む一夏の前に歩み寄る士郎は剣を構えたまま、見下ろすように相手を見つめている。
「お前がみんなを護りたいっていうのと同じくらい、俺だってみんなを護りたいさ。でもな、誰しもが幸せである世界なんてただのお伽噺だ。そんなことも分からないで、闇雲に突っ走って、責任から逃げて、それで一体お前は何を守れると思ってるんだ?」
「俺は……お前みたいに……そんな風に諦めたことなんて絶対に言わない。お伽噺になんてさせないんだ」
「……お伽噺だよ。一切合財何の犠牲も出さずに、全てを自分ひとりで護って見せるなんて、土台無理な話なんだよ。俺たちみたいな奴は、俺たちだけじゃない。俺たちよりも実力があって、俺たちなんかよりも、ずっと長い間戦ってきた奴がこの世にはきっといる。そんな奴らが必死になって護ろうとしても、変わらなかった世界に俺たちは生きているんだ。沢山の誰かが力の限りを尽くして護ってきた。それでも、どうしようもない
それは何時かの少女の夢であり、ある男の辿り着く絶望だったかもしれない。
一夏はその言葉に、自分の言っていたことがどれだけの綺麗事だったのかを思い知らされる。
所詮、彼の今までの功績も、その手に握る剣で『敵』という誰かを切り捨ててきたきたことの結果だ。
それでどうして『みんなを護る』などと口にできるだろうか?
その敵が自分の大切な人だったなら、どうやっても取りこぼすものが出てくると言うのに……
呆然と、ただ現実に立ち尽くすしかない。それが当然の結論なのだから。
だと言うのに――
「それでも進み続けるって、俺は決めたんだ」
今まで正論を散々振りかざしていた男は、あり得ない夢を語った。
「不可能だからなんて言い訳は、諦める理由になんてならない。傷つくのがあるなら、この身を差し出す。例え零れ落ちていく犠牲があったとしても、決して足だけは止めはしない。背負い続ける重荷で、いつか自分自身が潰れることになったとしても、俺が俺である理由を間違えない。衛宮士郎がどれだけ無価値な存在だとしても、取り零してきた人のために、何よりも自分のために、俺はどんなことだって乗り越えてみせるんだ。だってさ、俺は、正義の味方になると誓ったんだから」
お前はどうなんだ、と男は無言で語りかけてくる。
それが自分と彼の違いだった。同じことを目指していたのに、それでも現れた差異。
自分は現実を直視せずに、何時かどうにかなると結局は他人任せ。都合の悪いことがあれば、その責任を誰かに押しつけて逃げていた。
彼は現実にぶち当たりながら、体を、心をボロボロにして。それでも夢を背負い続けると胸を張っている。
気がついてみればそれだけの違い。
しかし、一夏にはその背中がかすれて見えなくなりそうなほどに遥か遠くに立っているように見えてならなかった。
ここにきてようやく、認められた。
どれだけの機体性能があろうと、どれだけの才能の違いがあろうと、そんなことは瑣末な問題だ。
比喩表現で例えるならば――
何しろ相手は宇宙人だった。人間じゃない。絶望しか待っていないはずなのに、それが立ち止まる理由にならないなんて言う奴は、地球を離れて何処か遠い星――金星あたりにでも居かなければ見つからないだろう。
ああ、それはなんて尊く、そして光に満ちた地獄。
煉獄の炎のとび込む勇気を自分は持ち合わせていない。
だから勝てない。心の戦いで、こいつには絶対に勝てないのだ。
でも、もしも許されるのなら――
自分にもその大切な物があると誇れる人間になれるなら。
俺は、こいつに――負けたくない。負けるわけにはいかない。
自分が負けているものがあるなら、それを補って余りある何かで凌駕しなければならない。
覚悟が足りない。積み重ねてきた研鑽が足りない。責任から逃れようと必死に重荷をふるい落としてきた自分に残っているものなんて最早何もない。
虚勢を張っていたこの身はたった一つの想いさへひていしていたのだから。
いや、たったひとつだけ、本当に最後まで残っていたものがある。
振るいに掛け、削り落した自分の体の奥の奥に。どれだけのものを否定し続けてきたのだとしても。それでも、この胸を穿つような苦しみだけは捨てなかった。
最も大切な人の名を。その誇りを穢すまいとする。それだけが、今までの自分が本当の意味で護り続けてきた、ただひとつの己が証明。
世界なんてスケールが大きすぎて考えられない。IS学園のことは好きだが、命を賭けるのかと訊かれれば躊躇ってしまう。箒、鈴、セシリア、シャルロット、ラウラ、代表候補生の仲間たちのために戦ってきたつもりだったが、覚悟も実力もまだまだ足りていなかった。
それでも、自分は織斑一夏である限り、それ以上でも以下でもない。
誰かに認められるでもなく、何を証明するでもなく――生き続けていく限り、自分は織斑一夏なのでしかないのだから。
姉の織斑千冬が世界最強の名を冠するものだとするならば、織斑の名を継ぐ自分も、また恥じることのない最強へと至りたい。
力への執着。醜くもとれるそれではあるが、それすらどうでもよかったのかもしれない。
何を背負って戦うのか。それがハッキリしただけでも、身体はこんなにも軽く感じ取れていた。
余計な言い訳をし過ぎた。
そんな想いと共に、力尽きていた両脚に力を入れる。激情に燃えていただけの心が、その熱さを動力に変えたかのように全身に力がみなぎっていた。
「正義の味方……か。士郎、お前、そんなこと言ってて恥ずかしくないのか?」
「う……いや、まあ……あくまで物の例えってヤツでだな。実際にそういう風に名乗っているわけじゃないぞ」
「いいじゃんか、正義の味方。馬鹿みたいだけどよ、お前には良く似合ってるぜ?」
「……一夏、それって馬鹿にしてるよな?」
「してないって。俺には無理だ。たぶん、見知らぬ誰かよりも大切な物がある。そんな奴には無理なんだ。だから俺は――千冬姉のために最強になる」
叫ぶように、大気を揺るがすように。ここに、世界最強の姉を目指すことを織斑一夏は宣言した。
「一夏……前から思ってたけど、お前ってかなり重症だよな」
「何が悪いってんだ! 俺は今まで俺のことを育ててくれた千冬姉に感謝してる。難しいことはよくわかんないけれど、千冬姉のために強くなる。そんでもって強くなったらみんなも護ってやるんだ!!」
巻きあがる気炎。吹っ切れら彼を見て、若干ながら引いてしまいそうになった士郎だったが。
口元には確かに笑みを浮かべていた。
ニヤリと笑いながらこちらの隙を窺う綺羅星のような眼。間違いなく、それは今までみんなを護り続けてきた織斑一夏という男の眼だったからだ。
――姉のために強くなって、ついでにみんなも護ってやる。
大層なことだ。
片手間に護って見せられてはたまったものではないが、今の彼なら「千冬姉のためだ!」などと、シスターコンプレックス丸出しでやり遂げてしまいそうなのだから恐ろしい。
両者は構えを取る。
ふたりとも、今日初めてお互いの本当の顔を見たような気がした。
一夏の視界を遮っていた暗雲は晴れた。
士郎が見る初めての一夏の表情があった。
それだけで、きっと目の前に居る敵はとんでもない強敵なのだと理解した。
一夏は士郎の構えの隙のなさ、そして両の目がどんなものだろうと逃さぬと驚異的な集中を見せていることに気がつく。これでは自分の動きなど、簡単に見切られてしまったとしても仕方がない。
次は隙を見つけるのではなく、隙を生み出すようにしかけなければならない。
士郎は一夏の才気を侮ることなく見極める。機体に関しても圧倒的に有利な相手であろう。
どんな攻撃も自分と違い一撃必殺だ。今まではまるで格下の相手のような無茶苦茶な剣筋だったが、今からはセイバーと対峙するがごとく動かなければやられてしまいかねないだろう。
そうして先手を取るべく、踏み出そうとした一足は――
「実に見事な三文芝居だね。反吐が出るよ」
唐突に――
「ちょーっと遅かったかな? もっと早くに本気になってれば良かったけど、今のままだと、いっくん負けちゃいそうだから」
在るはずが無いことなのに――
「くだらないゴミを片付けるのを手伝ってあげるね」
耳元で、篠ノ之束がささやくような声が聴こえたような感覚に一夏は捉われていた。