I.S.F インフィニット・ストラトス×Fate   作:ボイス

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一話では収まりきりませんでした。


35

「あら、簪さん」

「あ、葛木先生……」

 生徒や招待客の往来で賑わう廊下を、ひとり歩いていた簪にキャスターは声をかけていた。

 簪も呼び止められた声音に振り返り、相手がキャスターだとわかると、ぺこりと頭を下げていた。

 周囲に視線を向けてから、再度簪を見て、キャスターは訊ねていた。

「おひとり?」

「……は、はい……ええ、そうですけれど……」

 言いにくそうに返答する相手に、ふむとキャスターは顎に手を当てていた。

 文化祭ともなれば、相応に友人同士とつるんで行動するものだが、人付き合いが苦手という話は本音から聴いていた。

 せっかくの学園祭も、ひとりではつまらないだろうとキャスターは値踏みする。何より簪の格好は、いつもの制服姿だった。特別、クラスの催しごとにも関わっていないのだろうと容易に推測できた。

 簪もまた、本来であれば自身の専用機『打鉄弐式』を弄っていたかったのだが、学園祭ともなり、第二整備室は開放されていなかった。

 一年四組のクラスメイトとも交流があるわけでもない彼女にとって、クラスの催しごとに参加する気は浮かばなかった。朝から寮の自室にこもって好きなアニメを見て過ごしていたのだが、さすがにひとりでのつまらなさと見飽きたこともあった。

 制服姿のまま校舎にやってきたのだが、特に見たい場所もなかった彼女の足が自然と向いた先は、一年一組。三人の男性を中心にホストまがいなコスプレ喫茶店をやっているという話を事前に本音から聴いていたこともあり、特に抵抗もなく立ち寄っていた。

 本心では、本音と一緒に何処か回れればいいかなという淡い願望があった。

 クラス前にやってきて驚いたのは長蛇の列。噂には聴いてはいたが、これほど人が並んでいるとは思わなかった。

 隙間から中を除いてみれば、忙しなく動いている士郎の姿を見つけていた。本音の姿はなく、自身が嫌う織斑一夏の姿もなぜか見当たらなかった。

 どうしようかと迷ったが、やはり、寮にまた戻ろうと踵を返し――

 そんな時に彼女はキャスターに声をかけられたのだった。

「なら、今、お暇かしら? ちょっとお着替えしてみない?」

「え?」

 聴き返す相手に、キャスターはにこりと微笑んでいた。

 

 

「…………」

 簪は困惑していた。

 別のクラスの生徒、部外者の自分がここに居ていいのかがわからなかった。

 確かに、一組の生徒と話をしたことなど、本音と士郎以外ではひとりもいない。だが、生徒たちは簪に対して極々普通に接していた。

 否、知っているのが当たり前かというように。

 だが、他人の眼に必要以上に敏感な簪が、この不自然さを感じぬはずがない。

 なんと言うのだろうか、周りの人たちは自分たちを見ているようで見ていない。なぜかそんな風に彼女は感じていた。

 だというのに、どうしてそうなっているのかが理解できない。なにかしらのからかいの対象にされているということもない。

 しかし、それ以上に不思議な状態を眼の当たりにしていた。

 向かいの席に座るのは、衛宮士郎――

「衛宮くん、顔色悪いよ? ちょっと休む?」

「…………」

 清香にそう声をかけられ、士郎は言われてみれば、ぼうっとすることに気がついていた。

 眩暈や気分が悪くなるわけではないが、なんとなくだが身体に違和感があり、だるさを覚えていた。

 そこへ簪を連れたキャスターが現れ、休憩するなら彼女の相手をしてあげなさいな、と告げると、また列の整理に戻っていった。

「更識、嫌なら嫌って言ったほうがいいぞ」

「あ、うん、あ、でも……その、嫌じゃない……かな」

「なんだそれ。まあ、本当に嫌だったら言ってくれ。言いにくかったら、俺が代わりに言うからさ」

「う、うん……」

「まったく……なんで他のクラスの……更識にまで着せてるんだか」

「あの……衛、衛宮くん?」

「ん?」

 そこで簪は、ぶつくさと呟く士郎に声をかけていた。

 視線を向けてくる相手に、しかし簪は咄嗟に顔を伏せていた。申し訳なさそうに、しかし、視線はちらちらと士郎へ向けながら。

 意を決して、彼女は問いかける。

「……あの……何で……衛宮くんは、その……メイドさんの服を着ているの?」

「…………」

 無言。

 簪が指摘するように、士郎の今の格好は、黒を基調としたメイド服だった。スカートから下、露になる脚は黒のタイツに包まれている。無論、ISスーツを着用している。穿いたことのないパンプスにより、足の指先は非常に痛い。頭にはセミロングのウィッグを付けられている。フリルのカチューシャも忘ることなく乗せられている。

 顔にもうっすらと化粧が施されている。

 対する簪の格好は、白のシャツに黒のベスト、黒のズボンといった執事姿だった。当然、キャスターが着替えさせていた。

 ウイッグを掴みテーブルへ放ると――すぐさま慌てて飛んできた癒子とさやかに被され、整わされる。

 元に戻し、櫛で梳かれ、出来に満足すると、何事もなかったかのようにふたりは戻っていった。ふたりの姿も、執事の格好だ。

「…………」

 一瞬の出来事に、簪も眼をしばたたかせ、無言だった。

 眼を瞑り――士郎は淡々と口を開き言葉を吐いていた。

 

 

 教室に戻るなり、士郎は腕を引かれてキッチンへと連れ込まれていた。

「わたしたちは、考えを誤っていたのよ」

「ほう」

 腕を組み、ひとり頷く癒子に対し、士郎はどこか興味なさ気に返答していた。

 周囲には、静寐と清香、さやかとナギも居合わせる。

 然したる反応を見せない士郎を無視するように、癒子はピッと人さし指を立てていた。

「いい? 人を呼び込むために、圧倒的に差をつけるために、わたしたちは他クラスにない、イニシアチブを存分に発揮することができたわ。結果はどう?」

「まあ、予想に反してスゴイ長蛇の列ができたよね。今も現在進行形で、人の列が作られ続けているけれど」

 さやかの声に、癒子はうんうんと頷いていた。だが、立てた指を左右に振る。

「うん。でもね、それだけではダメだということに気づいた……いや、気づかされてしまったのよ」

「……どういうこと?」

 これはナギの声。

「…………」

 癒子のもったいぶった口調に対し、嫌な予感がした士郎は無言のまま席をはずそうとしたのだが、「何処行くの?」と口にする静寐に腕を掴まれていた。

 指先を――すいとナギに向け、癒子は続ける。

「いい、確かに執事での御奉仕喫茶は評判が高かった。織斑くん、衛宮くん、ランサーさんに織斑先生のおかげで繁盛したわ」

「うん」

「でも、ここが盲点だったのよ」

「どういうこと?」

「……人っていうのはね、飽きやすいのよ!」

『――!?』

 告げられた言葉に――

 その発想はなかったとばかりに、静寐と士郎を除いた女子三人には電流が走る。

「確かに、人は熱しやすく冷めやすい」

「言われてみれば」

「迂闊だったわ」

 思案するように顎に手を当て、または口元を手で覆い驚き――各々ぶつぶつ呟く清香とさやか、ナギを尻目に、士郎は静寐にそっと耳打ちしていた。

「こんなトコで話をしてるよりは、お客さんを相手にした方がよくないか?」

「も、もうちょっとだけ付き合ってあげようよ」

 ふたりの会話を無視しながら――癒子は拳を握り締めていた。

「口コミ、人伝で確かに催し物の内容情報は広がって、このままいっても人気は落ちないと思うよ。でもね、学園祭上位入賞クラスに与えられるデザートフリーパスを確実に手に入れるためには、更なるテコ入れが必要だと思うわけよ。いわゆる、ダメ押しというヤツよ。使える手段は全て使って、万全に備えるべきだと思うの」

 癒子が言うように、学園祭での各クラス、部活動の催し物の投票を行い、上位入賞組には相応の賞品が用意されている。部費、特別助成金など、その中の一角にある学食デザートフリーパスをクラス女子は一丸となって狙っているのだった。

 話が長くなりそうだなと感じた士郎は、再び、そそくさとその場を後にしようとするが、今度は襟首をナギとさやかに掴まれ引き戻されていた。

 癒子は続ける。

「あげく、今は衛宮くんのみ。織斑くんもランサーさんも織斑先生がいないとなると、どうあっても回転率は落ちちゃうのよ」

「それは、仕方がないんじゃないかなあ……」

 顎に手をあて小首を傾げる静寐に頷き、清香は手を挙げ訊ね言う。

「そうまで言うには、何か考えがあるってことでいいのかな?」

「うん。要は、インパクトを与えればいいわけよ」

「そのインパクトってのは?」

 さやかの声音に――よくぞ訊いてくれたといわんばかりに、これ以上ないほどに顔をほころばせる癒子。

 彼女の口が開かれ、紡がれる内容は――

「衛宮くんを女装させるのよ!」

 その一言に――

 士郎は一目散に駆け出していた。が、横から飛びかかられた清香に足を払われ床に転がされると、簡単に捕えられていた。伊達にハンドボール部で身体を慣らしてはいない。更には、狭いキッチンでは逃げ場など限られていた。

 離してくれ、と呻き暴れる士郎から視線をはずし、癒子へ移すと――静寐は「え?」と再度首を傾げていた。

「えと、どういうこと?」

 まあ聴いて、と前置きした癒子は、立てていた指を床でもがく士郎へと向けていた。

 人を指さす行為はダメだよ、と静寐に咎められるが――直ぐに癒子は指の形を変え、掌で示す格好のまま説明していた。

「男性に執事の格好をさせて客を集めようとしたのが間違いだったのよ。発想の転換。逆を攻めるの! つまり、わたしたちが執事姿になって、男性陣をメイドさんにするのよ!」

「なるほど」

 腕を組んで頷くナギに、士郎は「なんでだよ」と反論する。

「いや、待ってくれっての! おかしいだろ? おかしいっての。自分で言うのもなんだけれど、結構客入り凄いんだからさ、このままコレで行こうっての! そんなおかしなことに挑戦する必要ないだろ?」

 だが――

「衛宮くん……人間てのはね、永遠に挑戦し続ける生き物なの。そこで甘んじてちゃダメ……もっと高みを目指さないと……終わりなんてないのよ」

 清浄潔白、とでも言うべきか――

 けがれない澄んだ瞳を向けて、癒子は静かに微笑んでいた。しかし、口にされた内容は立派だと思いはするが、士郎は半眼だった。

「何を真面目な顔で言ってるんだよ。単に面白がってるだけだろ、それは!」

「あーもう、うるさいな衛宮くんは。フリーパスのために協力してくれてもいいじゃない。皆のために犠牲になってもいいじゃないの。ちょっと女の子のカッコするだけじゃないの。何が不満なの?」

「まさかの逆ギレ!? 本音を漏らしたなっ!?」

「だーいじょうーぶー、ちゃーんと綺麗にしてあげるよ。そのために葛木先生を呼んであるから」

「はろー」

 癒子の声に応えるように、片手を上げて現れる自称保健医。

 だが、更に士郎は暴れるだけだった。

「や、やめろーっ! 最悪な人材を連れてくるなっての!!」

 激しく抵抗するのだが、やはり清香に押さえつけられたまま逃げることは叶わなかった。

「普段であれば、可愛い女の子限定だけれど、皆が楽しめるためにという大義名分を掲げる癒子さんに頼まれてしまってはしょうがないわ。不承不承。嫌々だけれど、頼まれた以上は、それに見合った仕事はきっかりするわよ」

「嫌ならやめろよ! 男なんざ着替えさせても面白くもなんともないだろう!?」

「まぁ、自分の限界に挑戦してみるのも一興よ。それに、男相手におめかしさせるとなるのは、意外とドキドキするわね。ランサーなら完全に御免こうむるけれども、あなたは可愛い顔立ちしてるしね」

 にこにこと微笑みながら、左手には化粧道具を、右手にはメイド服一式を持ったキャスターがにじり寄る。

「まぁまぁ」

「そういうわけだから……」

 面白そうだと、手をわきわきとさせながら……能面となったナギとさやかもまた歩み寄る。

「やめろっての! せめて自分で着替えさせろーッ」

「脱がせ脱がせ」

「ええい、大人しくしなさいっての! どうせISスーツ着てるんだから、恥ずかしがらなくていいんだから」

 わいのわいのと取り囲む一同を、静寐は呆れた表情を浮かべ溜め息を漏らしていた。

 

 

『…………』

 メイド服に着替えさせられた士郎の姿を見て、癒子と清香、静寐、さやかとナギは言葉がなかった。

 キャスターの化粧による腕もさることながら、素体なる士郎の格好は完全に女生徒と化していた。

「うん……なんか、スゴイ負けた気がする……男の子なのに脚綺麗……」

「……なんだか……女の子って言っても全然大丈夫なレベルだよね……」

 しみじみと呟くさやかとナギとは対照に、士郎は不貞腐れた顔をしているのだが。

 ただ、ひとつだけ気になる点があるとすれば――

「ちょっと歩いてみて」

「?」

 言われるまま歩いてみれば、腕を組み、うーんと首を傾げる癒子は「やっぱりね」と漏らしていた。

「歩き方は、やっぱり男の子だね。股を閉めて歩くように心がけてみて」

「見た目からなんとかしろと?」

 呆れたように、士郎は力なくそう呟いていた。

 思い出しても、やはりいい気分にはならない。そんな一悶着があったことを士郎は説明し終えていた。

「――と、いうわけだ」

「…………」

 無言のまま、簪の視線は周囲に向けられる。メイド服や袴姿も居れば、自分のように執事服の割合の生徒も多い。

 三種の給仕姿を見るともなしに見入る彼女へ、士郎は半笑いを浮かべていた。

「……更識、笑ってくれていいんだぞ? 女装が趣味なの、とか言ってくれていいんだからな? 俺は、もう、何を言われても気にしないからさ……」

 どこか遠い眼をして、半ば自棄になっている士郎に対し、簪は慌てて手をぶんぶんと振っていた。

「そ、そんなことない。それに、その……に、似合ってるし……か、可愛いし……」

「やめてくれ……こんな格好して、似合うだ可愛いだなんて、悪いけれど、嬉しくない褒め言葉だ……」

「あうぅ……」

 気落ちして沈む士郎をなんとか励まそうとする簪ではあるが――

 残念ながら、彼女の口から気の利いた台詞は紡がれなかった。

 と――

 横を通りかけた清香が話に割って入っていた。

「何か持ってこようか? コーラでも飲む?」

「……あー、うん。もらおうかな。更識にも何か頼むよ」

「オッケー♪」

 ちょっと待っててね、と一言残してキッチンへ駆けると、四個のグラスをトレイに乗せて戻ってくる。

 水の入った二個のグラスをテーブルへ置くと、簪の手元にオレンジジュースを置き、士郎の前にもグラスを差し出していた。

 喉が渇いていた士郎は迷いもなくグラスを取り――簪は、清香の口元がニヤリと歪むのを見逃さなかった。

「衛宮くん――」

 よからぬ不安を覚えた簪が制止するが、間に合うはずもなく、士郎はグラスに口をつけて喉に流し込み――

 ぶふっと激しく噴きこんでいた。

 舌を刺激する辛い酸味、氷で誤魔化されていたが、発酵した大豆の匂い。明らかに、自分が知っている炭酸飲料ではない味だ。

 その正体は――

「これ、醤油だろっ!?」

「はっはっはっ――すりかえておいたのさっ!」

「意味がわかんないぞっ!?」

 両腕を意味もなく突き出すように構えて笑う清香は、ピューと逃げていく。

 激しく咽る士郎に、簪はハンカチを取り出し、相手の口元をつい拭っていた。

 何をされたかを理解した士郎と、咄嗟ではあったものの、自分が何をしたのかを理解した簪は無言のまま。

『…………』

 気恥ずかしいふたりではあったが、士郎は簡単に礼を述べると水が注がれていたグラスを手に取っていた。

 彼にとって見れば、悪戯された意味が理解できぬまま。口直しの水――こちらは酢じゃないだろうなと、液体の透明度を見て、注意深く匂いを嗅ぎ――を飲む。

 

 

 女性の自分たちよりも可愛い士郎へ不満を持ったふたり――

 悪戯が成功したことに、イエーイとハイタッチをかわす清香と癒子に呆れながらも、キャスターは士郎の体調が優れていない理由に気づいていた。

 休憩に入っている今、このクラスに居合わせる人間全ては認識齟齬の暗示をかけている。それは、士郎を休ませるために。彼の体調に問題があるのは、魔力の消費による。ランサーとセイバーの影響だろうと察しはついていた。自身の魔力の流れにも違和感があることに気づいている。

 士郎の手の甲と二の腕に浮かぶ令呪は、召喚されたあの日からキャスターの魔術で人目に触れないように隠されているが、二騎の魔力消費により、現に今の片腕は僅かな熱を持っていることだろう。

「…………」

 戸口に立つキャスターの切れ長の眼が向けられる先は、士郎の手首に巻かれている赤い布――魔術礼装「マグダラの聖骸布」を模したかのようなソレは、IS『アーチャー』の待機形態である。

 体調不良となる原因を既にキャスターは説明していた。だが、それは真実ではなく偽りを交えてのこと。

「坊や、暗示を掛け直すのに、予想以上に魔力を使うことになるわ。わたし自身の貯蔵魔力も使うけれど、ラインの繋がるあなたの魔力にも影響が出るかもしれないの。気分が優れなくなるかもしれないけれど、我慢してもらえるかしら?」

 何のためにとの問いかけに対しては、ランサーの一件「生徒会長になる方法、特例措置の部費アップ」の対象の件でとだけ告げると、士郎はあっさりと了承していた。

 何の疑いも持たずに、逆に「頼むよ」とさえも言葉を残して去っていくマスターに、キャスターは感心と呆れが織り交ざった微妙な表情を浮かべていた。

「もう少し疑うということを覚えた方がいいと思うのだけれど」

 変なところは不必要なまでに勘付くクセに、大事なところは探索せずに意外と見落とす。

 話を鵜呑みにする士郎の甘さにやれやれと肩を竦めながらも、彼女は表情を改めていた。

 今日のところはコレで誤魔化せることができようが、もはや士郎本人に隠し事をして動くことは避けられぬレベルと判断する。

 話すべき頃合ね、と胸中で呟きながら、キャスターもまた踵を返していた。

 廊下で列の整理をしながらも、離れた一角で会話を交わす士郎と簪のふたりを見て――やれやれと肩を竦めながら――それも一瞬のこと、キャスターの表情は鋭いものとなる。

 彼女がセイバーやランサーのように追撃しない理由は二点。

 ひとつは、士郎の護衛のためにこの場に留まったこと。

 もうひとつは、彼女の固有スキル、陣地作成が大きく意味を成す。学園を神殿に見立てて張った結界は防御を固めてはいるが、本懐は別にある。

 聖杯や霊脈に頼れない今、魔力を得るには他から奪うしかない。その方法は、他者から精神力と体力を奪うものだった。

 結界を通じて得る手段――特に、多数の来場者で大いに賑う今日この日を、キャスターは逃すことはなかった。

 汚れ役をあえて買って出るのはキャスター。ランサーもその辺は気づいているのだろう。だが、彼は何も言いはしなかった。

 士郎にさえ告げてはいない。無論、話したところで許可など下りはしないだろう。故に、彼女の独断で行ったことでしかない。

 自分を含めたサーヴァント三騎の能力低下は、如何様にしても否めない。

 不足の魔力を補うには、もはや綺麗事だけでは済まされない。取り入れるだけ取り入れるため、対象者を死に至らしめるまで搾り取る気はないが、だからと言って、この方法は決して褒められたものではない。それでもキャスターは非道なマネを駆使するのも厭いはしない。

 よくよく見れば、体調が優れていないのは何も士郎だけではない。横を過ぎる清香と静寐も、些かではあるが、何処か疲れた表情を浮かべている。本人たちにしてみれば身体がちょっとだるいかなと思う程度。はしゃいだせいかと感じるぐらいだろう。

 それが純粋に接客によるものだけではないことを知っているのはキャスターのみ。

 無言ではあるが、キャスターは結界を緩めることもなく、クラスの手伝いを続けていた。

 しかし――

 魔力低下の影響は、着実にキャスターへも及んでいた。彼女の警戒力は、意思とは裏腹に綻びはじめていた。

 

 

 見た限りでは命に別状はなく、疲労が激しいシャルロットを預けたセイバーは、教員ふたりの制止も無視し、『打鉄』を駆り疾駆する。

 向かう場所は、ランサーが交戦する空域へ。

 「魔力放出」によって、機体に魔力を纏わせて高速飛行するセイバーではあったが、唐突に通信回線が繋がれていた。

 呼び出しは真耶。

「ひとりで先行するのは危険です」

 真耶の言い分は尤もではあるが、停まることはない。

 飛行速度を緩めながら疾るセイバーに追いついてきたのは三機。訓練機『ラファール・リヴァイヴ』に乗る真耶と、『ブルー・ティアーズ』を展開したセシリア、『シュヴァルツェア・レーゲン』を纏うラウラが続いていた。

 セシリアとラウラを連れて行かせたのは千冬の指示だった。

 交戦するセイバーたちの空域の変化。シャルロットのIS反応は消え、所属不明の二機は突如進行方向を変えて高速移動を開始する。

 向かう先のルートを割り出し、それがランサーたちの交戦空域だと知った真耶は気が気でならなかった。

 ただでさえ、二機を相手にしているランサーの『打鉄』は徐々に損傷率が上がっている。そこへ、シャルロットたちと交戦した所属不明の二機まで加わったとすれば、いくらなんでもランサーひとりでは多勢に無勢。

 真耶は考えるよりも早く、行動に移していた。

 立ち上がり駆け出そうとするが、その肩を掴み留めるのは千冬だった。

「落ち着け、真耶!」

「落ち着いてなんかいられません! 離してください! ランサーさんを見殺しになんて出来ません!」

 聴き分けのない子供のように、掴まれた腕を振り払おうとする真耶だったが、千冬は一喝する。

「落ち着けと言っている! 今この場で慌てたところでどうにもならん!」

「……っ」

 声量にびくりと身体を竦ませる相手に、ようやく手を離すと、諦めたように息を吐く。

「お前もこれ以上は言っても聴かんのだろう。行け。ただし、無理はするな……教師のお前が死ぬようなマネは許さんぞ」

「織斑先生……」

「……それに、どうやらセイバーも同じようだ」

「え?」

「見ろ」

 言われ、千冬が指し示した先へ振り返り、真耶が眼にしたのは、高速で移動するセイバーが乗っていると思われる『打鉄』のIS反応。所属不明の二機を追うように移動をはじめていた。

「教員ふたりと接触してから動きはじめたようだ。教員も学園へ動いていると言うことは……恐らくとしか言えんが、デュノアは無事なのだろう」

「…………」

「行って来い」

 千冬の声に向き直り――

「……すみません」

 軽く一礼すると、真耶は管制室から駆け出していた。

 居なくなった一年一組副担任を見送り、今の今まで口を挟まなかった楯無は、深く息を吐く千冬に言葉をかける。

「いいんですか? 織斑先生……山田先生を行かせてしまって……」

「……本音を言えば、行かせたくはないが、アイツがああまで感情を露にするなど久しぶりだ。見た目とは裏腹に、ああ見えて冷静に対処できる。それとだ。本当は、お前も行きたくはあったのだろう?」

「……ええ。動けるならば、わたしはここに居るべきではありません……悔しいですね、何が生徒会長でしょうか」

「なに、今のお前には、やれることをやってもらうさ」

「ええ」

 わかりましたと一言返すと、楯無は先まで真耶が座っていた場所へ腰を下ろすと、キーボードを操作する。

 千冬は携帯電話を手に取っていた。真耶とセイバーだけでは荷が重い。巻き込みたくはないが、千冬にとって動かせる人間は限られていた。

 数回のコール音の後、目当ての人物が応答する。

「ボーデヴィッヒ、わたしだ」

「教官? どうかしましたか?」

「ああ、少々込み入ったことが起こってな。お前は、今何処に居る?」

「はっ。第四アリーナの外に出たところであります。セシリアと一緒ですが」

 セシリアと一緒と聴き、一瞬眉を寄せた千冬だが――直ぐに口を開いていた。

「他の連中はどうした? 演劇に出ていたと聴いているが?」

「箒と鈴は、わかりません。シャルロットも同様です。それと教官、嫁の姿が見当たらないのですが、ご存知ありま――」

「ボーデヴィッヒ、くだらん話は後にしろ。今からそこに居るオルコットを連れて、第四アリーナの格納庫へ向かえ。山田先生が居るはずだ。落ち合い、彼女の指示に従い行動を共にしろ」

「は? あの、教官……どういうことでしょうか?」

「詳しく説明している暇はない。お前たちにしか頼めんことだ」

 事態を呑み込めないラウラだったが、相手の声に素直に従い、了解しましたと返答することしかできなかった。

 飛行中に事のあらましを真耶から聴いたラウラとセシリアは、ただただ驚くばかりだった。だが、やるべきことを理解したふたりの表情は変わっていた。

 今は、一刻も早くランサーのもとへ辿りつくこと。

 刹那――

 三機の前に滑り込んだセイバーは、飛来する閃光をことごとく斬り弾いていた。

 セイバーの技量に驚くが、さらに驚かされたのは弧を描き曲がった閃光。

 高速接近し、眼の前を塞ぐように佇む機体。その機体を見て、誰よりも早く、真っ先に声を上げて反応したのはセシリアだった。

「『サイレント・ゼフィルス』っ!? そんな……どうしてここに!?」

 彼女は胸中で「馬鹿な」と叫んでいた。

 自国イギリスに有るはずのBT二号機が、何故ここに存在するのか、と驚愕に眼を見開きながらも、セシリアが持つ感情は「困惑」の色合いが強かった。

 フレキシブル――

 セイバーが斬り弾いたのは、偏向射撃。自分が未だ習得できない技能を眼の前の相手は物にしている。

 否、それよりも、BT適正最高値を記録したのは自分のはずだというのに――

 驚きと推測にセシリアは顔しかめていた。

 しかし、こんなところで足止めを食うわけには行かなかった。

 邪魔をする以上は、所属不明機の仲間なのだろうと判断すると、武装を展開し、前に出たのは――真耶。

「オルコットさん、ここはわたしが抑えますから、セイバーさんとボーデヴィッヒさんを連れて先に行ってください」

 真耶の言葉に、しかしセシリアは首を振る。

「いいえ、悔しいですけれど……山田先生とセイバーさん、おふたりの方が今のわたしたちの中では一番の戦力ですわ。あの機体の相手は、わたくしとラウラさんが致します」

「……オルコットさん」

 真耶にとって、その進言は受け入れがたかった。見た限りではあるが、いくら代表候補生といえど、眼前の搭乗者は容易な相手ではないと雰囲気で感じ取っていた。

 口を開きかけるのだが、それよりも先に言葉を発していたのはセシリア。

「山田先生、それ以上は仰らないでください。何も、わたくし自惚れて口にしているわけではございませんの。むしろ逆ですわ。格好つけているわけでもございません。ですので、どうか、先をお急ぎになさってくださいまし」

 冷静に考えれば、真耶かセイバーが残るのが相応ではあろう。だが、今ランサーが相手にしているISは四機。うち三機は量産型の第二世代型とはいえ搭乗者の実力は結構なものだという報告を受けている。一刻も早く救援に向かわなければならない。

 ならば、真耶とセイバーのふたりをここに残すわけにはいかない。欲を言えば、ラウラも先へ送りたいが、セシリア自身は己の実力を理解していた。セイバーやランサー、士郎を相手にしても能力が劣っている今の自分では倒せない。実力が違いすぎる。

 逆も同じことだった。ラウラだけに任せるにも、苦い重い相手だというのがセシリアの直感。であれば、自分とラウラのふたりがかりで処理するのみ。

 セシリアの顔を見て――何かを言おうとするが、言葉を呑み込み真耶。

 生徒を危険にさらしたくないという思いはあるが、実際にこうして連れてきている以上は覚悟を決めねばならない。

 幸い、セシリアひとりでは下手な無茶をするのではと不安はあったが、軍人であるラウラが一緒であれば、まだなんとかなるだろうという思いがあった。

 当たり前ではあるが、幾ら軍人のラウラとはいえ、一生徒に変わりはない。ラウラが居るから全てが巧くいけるだろうという考えを真耶は持っていなかった。

 しかし、それでも、彼女は決断する。瞬時に回線を開き、シャルロットを保護した榊原菜月とエドワース・フランシィらに、セシリアたちの応援に向かうよう頼んでいた。

「ごめんなさい。頼りない、こんな先生で」

「セシリア、ラウラ……すみませんが、ここはお願いします。決して、無理はしないように。危険と判断した場合は直ぐに退きなさい。先程の教員の方が来てくれます。マヤ、飛ばしますよ」

 言って、セイバーは真耶の腕を掴むと、瞬く間に加速していた。

 音速で消える二機を見送り、フンと鼻で笑いラウラは身構える。

「さて……ならば、早めに片づけなくてはならんな」

「そのようですわね」

 頷いたセシリアの手には、レーザーライフル、スターライトmkⅢが握られていた。

 バイザー型ハイパーセンサーで顔を覆う『サイレント・ゼフィルス』の搭乗者が妨害するでもなく素通りさせたことに、特に意味はない。ただ単に、セシリアの口にした言葉が気になっただけだった。

「解せんな。それではまるで、勝つつもりで口にしているようだぞ?」

「誇りある英国機体に乗っているわりには、知能はお粗末過ぎるようですのね。言語を理解できないのでしょうか? そのつもりで申しましたけれど……もう少し噛み砕いてご説明いたしましょうか?」

 挑発のつもりなのだろうが、その程度で相手は釣られはしない。

「ふん、ろくに機体も操作できず、満足な結果も残せぬ貴様がイギリス代表候補生に専用機持ちとはな……落ち目の貴族に与えるとは、よほどイギリスはレベルが低いと言うことか。それと――」

 首を動かし、顔を覆うバイザー越しの視線をラウラへと向ける。

「ドイツの遺伝子強化素対の出来損ない……欠陥品が、一丁前に専用機持ちとはな、実にお笑い種だ。くだらん塵屑二匹が相手をするとは……先の元代表候補生止まりの女ならまだしもな」

 くつくつと笑う『サイレント・ゼフィルス』の搭乗者に――セシリアも笑みを浮かべて応えていた。

 冷静に振る舞いはするが、その実、内心はハラワタが煮えくり返っている。相手の言葉に踊らされ、猪突猛進といかないのは、少なからずセイバーやランサーとの模擬戦の成果。

 熱くなっては、周りが見えず、勝機すらも見出せぬ――

「ええ、仰るとおり認めましてよ。ですが、わたくしにも意地がございますの。その機体はイギリスのものですので、返していただきますわ。それに、あのふたりを先に行かせたのにも意味がありましてよ?」

 優雅に、だがそれでいて双眸に宿る意志を見せながら、彼女は告げる。

「強者を、こんなところで足止めさせるわけにも行きませんものね。相応の舞台はこの先ですし、格下の方と踊る円舞曲は、わたくしたちだけで十分でしてよ? うるさいハエを払うのに、おふたりの御手を煩わせる必要もございませんの」

「……貴様」

 静かに、はじめて感情の変化を見せる相手。

「どうしてあなたがその機体に乗っているのか。どうしてあなたがその機体を手に入れたのか。詳しく聴かせていただきますわよ」

 セシリアは視線も向けずに、横に並ぶ友人へ声をかける。

「そういうことですので、ラウラさん、申し訳ございませんが……わたくしにお付き合いいただいてもよろしくて?」

「……今更だな。何を改める必要がある? わたしも同じことを考えていたぞ。どちらにせよ、セイバーと山田先生を先に行かせることに変わりはなかったからな」

「感謝しますわ」

「なに……では、先も言ったが、あの機体を拘束してから追うとしよう」

「ええ。塵屑は塵屑なりに、力を見せてさしあげましょう」

 言って――

 ラウラは眼帯を外し、ハイパーセンサー補助システム『ヴォーダン・オージェ』を発動させ、セシリアは四機の自立機動兵器を展開していた。

 黒と蒼の機体は空を翔ける。

 

 

 両手首装甲から伸びる三爪状の大型ブレード、パペットクローを振りかざし、スノーはあざけりの笑いを漏らしていた。

「キャハッ!」

 斬りかかる右腕部のクローをゲイボルクで防ぎ、突き込まれる左腕部のクローをランサーが駆る『打鉄』の右手が掴み留める。

 だが――

 耳障りな音がランサーの両腕部の間接部分から鳴り響く。拮抗するIS自体が劣勢に傾きはじめていた。

「――クソッ」

 罵声を漏らしたランサーの眼が向けられる先は、側面に回り込み、カタールを構え斬りかかってくるオータム。

 『打鉄』の両腕をふさがれたランサーは、舌打ちとともに右の装甲脚を跳ね上げていた。

 カタールの切っ先を脚で防ぐのだが、踝にあたる部分を貫かれる。

 刺さる刀身は先端のみ。カタールはそれ以上刺さりはしなかったが、無理な体勢からランサーは身をよじったため、損傷部分が大きく広がる。

 右脚に組み込まれた補助スラスターまで被害が及ぶが、その格好のまま、構わずにオータムを蹴り飛ばす。

 三機の戦闘空域は、今は海上へと移行していた。

 相手を追い立て、または誘い出すように、高速で斬り合いながら、ランサーは市街地上空からオータムたちを引き離すことに成功する。

 もっとも、オータムにとっては、なんとしても『白式』のコアを持ち帰るために襲いかかっていたのだが。ランサーもそのことに理解した上で、相手をいいように利用しながら誘い出していた。

 危惧していた眼下の市街地への被弾という憂いも消えたことにより、ランサーは気を使うこともなく存分に戦闘に集中できていた。

 そのまま――

 スノーを掴み留めた腕を疾らせ、半円を描くように身を捻ると――力任せに、オータムめがけて投げ飛ばしていた。

 振り回され、体勢を立て直すこともできぬスノーと、避けることもできなかったオータムの両者は、なす術もなく衝突する。

 槍を構えて突撃するように疾駆するランサー――だが。

「ふひっ――」

 呻き、未だ体勢を立て直せていないオータムとは対照に、嗤いながらスノーは右腕を突き出していた――瞬間、ランサーの身体が凍りついたように動かなくなる。

「なんだ、コリャ――」

 眼に見えない何かに掴まれたかのように。それはまるで、ライダー、メドゥーサが持つ魔眼「キュベレイ」による石化のように。

 だが、無論のこと石化魔眼などではない。その正体は、ラウラが駆るドイツ第三世代型IS、『シュバルツェア・レーゲン』に搭載されている特殊兵器と同じ、慣性停止能力、アクティブ・イナーシャル・キャンセラー。

 例外なく、ランサーの駆る『打鉄』もまた、空中に縫い付けられたかのように固定していた。

 表情を歪ませるランサーとは逆に、スノーはせせら哂う顔をしていた。

「やっべ――」

「ヒャハッ!」

 動かない的となった相手に、白の機体がかざす無骨な右腕の砲口から放たれた三発のグレネード弾が撃ち込まれ――狙い違わず着弾する。

 爆音と爆発。炎と煙を巻き上げる中、ようやくAICの認識対象から外れたランサーが飛び出してくる。

「ああくそっ――邪魔くせぇモン詰め込んでやがるな」

 グレネード弾の直撃により、機体の至る所から機体維持警告が鳴りはじめる。ランサー自身にダメージはないが、機体の『打鉄』はそうもいかなかった。

 対IS装甲突破用特殊徹甲弾――

 両腕、両脚の装甲は爆発と衝撃によって、一部は壊れてなくなっている箇所もある。

 左腕部と右脚部はPIC反応が完全に消失していた。従来の、ただのISアーマーとしか機能しない。

 PICが正常作動しない場合、本来であれば搭乗者にとっては、鋼の塊を括られていることになる。それでも左腕と右脚が動かせるのは、サーヴァントの筋力で振り回しているだけでしかない。

 サンシーカーと同じように、戦闘中に三錠の薬物を摂取したスノーは、身体能力を爆発的に底上げしている。

 反応速度も、人間にしては先までとは比べられないほどに。

 サーヴァントとはいえ、飛行能力を持たぬ彼が空を翔けるにはISに頼るしかない。そのISは既にボロボロの状態にまで追い込まれていた。

 いくらランサー自身がISに抗う力を持っていようとも、『脚』となる『打鉄』は限界に近い。

 ケタケタと嗤い、両腕の大爪、パペットクローで斬りかかるスノーの斬撃を左腕で受け止め――シールドバリアが機能していない装甲が紙のように抉られていた。

 構わずに、ランサーは半壊した物理シールドを掴むと、フリスビーのように投擲する。

 シールドとはいえ、ランサーの力で投げつけられもすれば、それはちょっとした凶器にさえ成り果てる。

「くはっ」

 嗤い、スノーは容易く斬り弾く。だが、一瞬とはいえ、相手の動きが止まったところをランサーは逃がしはしない。

 シールドを払った空間に、入れ違うように現れたランサーの蹴りを受け――白のリヴァイヴは咄嗟に両腕を重ね衝撃を殺しながらも後方へ下がらされていた。

「ビービーやかましいったらありゃしねぇ」

 腕部、脚部から機体維持警告域の表示が、警告音ともにひっきりなしに鳴り響く。これ以上機体損壊が続けば、ISが強制的に解除される場合もある。空中で放り出されもすれば、いくらランサーとて対応する術はない。真下は海なのだから。

(これが、足がつく地表なら、まだなんとかなるんだがな)

 追い込まれているとはいえ、余裕の考えを持つランサー。

 ――が。

 すぐに、煩わしそうに吐き捨てると――たった今吹き飛ばしたスノーが急速接近し、パペットクローを振り上げる。

 斬りかかる両のクローを弾き――

 そこへ横合いから撃ち込まれる二条のレーザーをまたも斬り捨てる。

 面倒な装備を持つスノーを先に仕留めようとしたランサーだが、阻むようにオータムの駆る『アラクネ』が眼の前に滑り込んでいた。

 AICが有効だとわかったオータムは、カタールと装甲脚で襲いかかる。

「死にさらせっ!」

「うるせぇなぁ!」

 槍の柄とカタールの刀身がぶつかり合い、火花が散る。

 オータムはスラスター推力を上げているのか、槍の打突に喰らいつき――二刀のカタールで斬り返していた。

「ちっ――」

 打ち合いながらもランサーの手が止まることはない。加速度を増すオータムの一撃一撃を弾き、逆に攻め込みながらも――舌打ひとつ。

 『打鉄』自体のダメージにより、動きが完全に鈍くなっていた。それは当然、搭乗者のランサーは理解しており、オータムもまた気づいている。

 ニタリと嗤い、彼女は叫ぶ。

「スノー! こいつを停めろ!」

 槍で斬り払いながら――ランサーの眼は、オータムの指示に従い、離れた場所で再び右腕を向けようと動くスノーの姿を捉えていた。

 しかし――

 振り下ろされた二本の装甲脚を蹴り弾くと――

 二度も同じ手を喰らう彼ではない。

 一瞬にして、『アラクネ』と切り結んでいた『打鉄』は――カタールをいなし払った隙に加速していた。

 スラスターが半分死んだまま、機体制御が利かないながらも、楕円の軌道を描くように、オータムの股下を掻い潜る。

 そのまま――スノーから見て斜め後ろの空間、数十メートルほど離れた位置に疾駆する。

 唐突に対象を見失い、未だハイパーセンサーが索敵に追いついていないスノーめがけて――ランサーはゲイボルクを投げ放っていた。

 音を切り裂き――白のリヴァイヴの右腕を槍が貫き過ぎると、数秒遅れて爆ぜていた。

 爆発は、ゲイボルクの投擲によるものだけではなかった。右腕に搭載されているグレネード弾にも誘爆したのだろう。

 更なる爆発を危ぶみ、装甲を切り離しはしたのだろうが、思った以上の損壊を逃れることはできなかった。

 腕部――右腕半ばから先を抉り取られ、パペットクローも爆発の衝撃によって壊される。撒き散らされた破片が眼下の海面へと落ちていく。

 一瞬の出来事に唖然としたのはオータム。スノーもまた壊された右腕を不思議そうに見つめていた。

 ただひとり、笑うのはランサーだ。彼は再び腕に紅い槍を握っていた。

「これでおかしな手品は使えねえな?」

「――テメエ」

 静かに呟くオータムだが、その表情は焦りが浮かぶ。

 散々相手に翻弄され、いいように手も足も出ずに打ちのめされ続けたところへ、ようやくして有効となる手段が見つかり、一泡吹かせることができたと思えば、瞬く間にその策さえも潰されていたのだから。これでは元の木阿弥になってしまった。

 相手の機体は、もはや『死に体』だというのにだ。生き残っているスラスターも、メインとなるスカートアーマー背面部と、左脚部の補助スラスターのみ。

 刹那――

「っと――」

 頭上から――視界を遮るように肉迫した黄色のISが身を翻し、手にする大剣を『打鉄』めがけて振り下ろしていた。

 

 

 轟音を上げ、叩きつけられた一刀を槍で受け止めるが、サンシーカーの駆るISの連撃は続く。

「ちっ――」

 舌打ちながらも、サンシーカーと斬り合うランサーは後退せず。

 バイザーで顔を覆っているため表情はわからないが、相手の口は嬉しさに歪んでいる。

「はじめまして、お兄さん。わたしとも遊んでくれる? さっきの金髪のお姉ちゃんと同じくらい強そうだね」

「…………」

 その言葉に、ランサーの警戒は一際強くなる。

 相手――眼の前の子供が口にした「金髪のお姉ちゃん」とは、離れた場所で感じたサーヴァントの気配と消去法からして、セイバーとあたりをつけていた。どういう経緯かはわからないが、一戦まみえ、更には倒されもせずに逃げおおせたのだろう。

 能力が低下しているとはいえ、セイバーから逃げることなど、簡単なことではない。にもかかわらず、こうしてこの場にいるということは、それほどまでに眼の前の少女はIS操作能力に長けているのだろうと決めつける。

 長年の経験――戦場から離れることもなく、さまざまな人間、人外を眼にしてきた手前、相対する少女からは、年頃とは思えぬ雰囲気さえも感じ取っていた。

 黄色のISが握る大剣を見て――ランサーは口元を吊り上げていた。伊達や酔狂で、あんな巨大な剣を振り回すわけがない。腕にも相当自信があるからこそ扱っていると読む。

「ガキにしちゃやりやがる。末恐ろしいな……」

 バーサーカー、ヘラクレスを思い出しながら彼。

 あははと嗤いながら切り結ぶ相手。剣技は洗練された域ではないが、本能に従い振るう直感的な運び。ランサーの槍を巧みに捌く。

「あはっ♪」

 スラスターを最大に、機体全体を使ってその場で反転し、振り下ろす一撃を――ランサーは罵声を漏らしながら受け止めていた。

 だが、衝撃に右腕部の反応もここで途絶える。完全に両腕のPICは沈黙する。

 重い一撃。サンシーカーにとっては渾身の一振りだが――『打鉄』を素早く駆り、ランサーはその場を切り抜けていた。

 瞬前までいた空間を奔るのは、スノーが駆るリヴァイブの大型クロー。

「キャハッ!」

 嗤いながら、ガラス玉のような紅い眼球がギョロリとランサーへ向けられる。

「さぁて、どうしたもんかねぇ……」

 軽い声音。ついで息を吐き、ランサーは肩を竦めていた。

 視界に捉える三体のIS。下にスノー、左手側にサンシーカー、右にオータムを捉えながら。

 三機を相手にするのは問題ない。だが、それはあくまでも、サーヴァントたる『ランサー自身のみ』という限定での話である。

 彼が駆る『打鉄』自体が、もはや限界に近かった。

 ランサーの動きについてこれていない機体。至る箇所から警告音が鳴り響いている。周囲に浮かぶ表示ウインドゥ。損傷率は既に80パーセントを越えていた。いつオーバーヒートを起こしてもおかしくはない状態だ。

 しかし――

 対照に、浮かない表情はオータム。それもそのはずだろう。

 槍一本だけで、他には何も武装を持たない訓練機を相手にし、こちらは二機がかりだというのに、未だに撃ち墜せていないのだから。

 『打鉄』の機体は確実にダメージは負っている。にもかかわらず、機体を操り、自分やスノー、果ては増援として現れたサンシーカーの斬撃まで巧みに捌き今に至っている。眼の当たりにする現実を、オータムは受け入れることなど出来はしなかった。

 決して、自分たちのIS操縦技術が低いわけではない。組織「亡国機業」内でのIS能力はトップレベル。操作能力を比べれば、相手の『打鉄』に乗る男は拙いものがある。

 そうなのだが――

 それでも、こうして生き残っているのが理解できずにいた。

 オータムの心境を汲み取ったかのように、ランサーは口を吊り上げる。

「往生際が悪ぃモンでなぁ。テメエの読み通りにゃいかねーぞ? お前らの動きは大体わかった。コイツ(打鉄)がぶっ壊れる前に、沈めてやんぜ」

 ランサーが有する「戦闘続行」能力。

 名前の通り、戦闘を続行する為の能力は、決定的な致命傷を受けない限り生き延び、瀕死の傷を負った状態でも戦闘の続行を可能とする。それは纏うISに乗りながらも同様に。

「ちっ――」

 小さく呻くことしか出来ずにオータム。本来であれば一笑に付したであろうが、彼女は、相手の口から発せられた言葉を、出まかせ、虚勢、と取ることは出来なかった。

 何故、そう思ったのかはわからない。わかりはしないが、男が口にする以上は、実際にやりかねないと危惧していた。

(往生際が悪いってレベルじゃねぇぞ……アラクネにムスペル、ネージュの三機だってのに……)

 オータムが奪ったアメリカ製、軍事用IS『アラクネ』――

 サンシーカーが駆る黄色い機体、近接戦闘特化型『ラファール・リヴァイヴ・カスタム・ムスペル』――

 スノーが操る白い機体、接近戦も中距離戦も得意とする『ラファール・リヴァイヴ・カスタム・ブランシュネージュ』――

 いずれも、三下程度の安い機体ではない。この三機であれば、たかがIS一機など、ものの数分とかからずに無力化できる能力を有している。

 と――

「まあいい、そんじゃまぁ……まずはテメエだ。いい加減、そのツラも見飽きたところだ」

「――っ」

 鋭い眼光が向けられた先は――オータム。

 飄々とした態度ではあるが、ランサーの口から発せられた言音は深く、重く、冷たさを含んでいた。 

「――――」

 オータムは動くことができなかった。

 ランサーから放たれる殺気に、彼女は呼吸すら忘れかけたように。相手の構えは、先までの雑さなど一切なく、寸分の狂いもない。

 槍の穂先は海面へ穿つ様に向けられるが、ランサーの獰猛な双眸はオータムを射抜いている。

「…………」

 背筋が凍る。言葉も無く、彼女は構える事も出来ない。

 恐怖によって、何もすることが出来ないといった方が正しいだろう。

 相手が握り構える槍の穂先を僅かに下げると同時――

 空気が変わったのがわかった。先までとは比べられないまでの殺気が更に溢れ出す。

 否、人間が放てるものなのかと何度も考えさせられるほどに。

 尋常ではない雰囲気に呑まれたオータムは無言のまま。

 他の二機からは、ランサーは背を見せ無防備であるというのに、スノーとサンシーカーもその場から動くことができなかった。

 歯を見せて、笑みを浮かべていたスノーの口は自然と閉じられ、サンシーカーは、バイザー型ハイパーセンサーに覆われた眼をぱちくりとさせていた。

「…………」

 槍を構えたランサーの身体が沈む。

 殺される――

 馬鹿げた話であり、信じられないはずなのだが――恐怖を覚えたオータムの直感がそう告げる。

 シールドバリアも絶対防御も関係なく、男が動いた瞬間に、自分は「死ぬ」とそう理解していた。

 槍を構え、疾り出す――瞬間、ランサーはその空間から後方へと飛び退いていた。

 が――

「――っ」

 ランサーの反応についていけない『打鉄』の左脚が、頭上から奔る一条の鋭い閃光に撃ち抜かれる。

 亡国機業のメンバーたちの中で、唯一動くことが出来たのは、交戦する四機の更に高高度上空で様子を窺っていた一機のIS。

 黒い機体は、ホークアイが乗る中距離遠距離後方支援型、『ラファール・リヴァイヴ・カスタム・ヴェズルフェルニル』――

 彼女は光学迷彩により機体を隠したまま、大型スラスターでの姿勢制御を行い滞空するに留まっていたが、ようやくして行動を起こしていた。

 高感度ハイパーセンサーが捕捉するのは『打鉄』。

 ロングレンジスナイパーライフルを眼下に構えた彼女は、自身の『鷹の目(ホークアイ)』の名の通り、鋭く広い観察力により精密射撃を開始する。

 生き残ったスラスターを制御しながらも、二射目、三射目の奔る光弾をかわし、斬り弾き――ランサーが眼を向けたときには、大剣を振りかぶったサンシーカーが迫っていた。


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