I.S.F インフィニット・ストラトス×Fate 作:ボイス
教室内――調理班が詰めるキッチンから上がる悲鳴に、一夏は頭が痛かった。
「やめて! セシリア触らないで!」
「誰!? セシリアから眼を離したのは!」
「もう簀巻きにして端のほうに転がしといて」
「衛宮くんもお願いされたからって調理を教えない!」
「つまみ出せ!」
「どういう意味ですのっ!? 皆さんこの間からわたくしに対する扱いが酷すぎませんこと!?」
ギャーギャー聴こえてくる内容から、容易に状況がわかりえていた。また、大方キッチンに潜り込み、調理班に混じって作業をしようとしたのだろう。
悪気があってやっているのではない。彼女は彼女なりに手伝おうとしているのはわかる。それは一夏だけではない。皆もわかっている。わかっているからこそ――皆はセシリアをキッチンから締め出していた。
ラウラとシャルロットふたりに連行され、セシリアは渋々といった面持ちのまま接客班に戻っていた。
何をしているいのやらと呆れる一夏だが、意識は別の方へ向けられていた。
接客フロアでは何事か騒いでいる。
「ちょっと、ランサーさんは!?」
「え? また、いないのっ?」
「ここにいるのは織斑くんだけだよ。衛宮くんは?」
名前を呼ばれた士郎の声がキッチンから聴こえてくる。
「衛宮くんは調理、織斑くんは接客となれば……はあっ!? また勝手に校舎外に出たの!?」
「あっ!」
夜竹さやかが廊下に顔を出して何かを発見する。見れば、話通りにランサーは不用意に持ち場の教室前から動いては他クラスの女子と戯れていた。ただでさえ混乱度合いが増すから不用意に許可無く勝手に他のクラスに行かないようにと忠告されていたにもかかわらず、雑談に花を咲かせていた。そのまま何処かへ行きそうな雰囲気だ。
「対象確保!」
見かねた鷹月静寐の指示に従い三人のメイドが素早く動く。
相川清香と谷本癒子、布仏本音はスカートを翻し一目散に駆け出すと、談笑していたランサーの腕を――清香と癒子が掴み取り、本音はトレイでぽこんと頭を叩くと、回れ右して教室前へと連行していた。
見事な連係プレイにより、ランサーの手綱を巧みに操る清香たちにクラス女子は「おお」と賛辞を送っていた。
一夏と士郎は忙しなく動き続けていた。
「何でこんなに忙しいんだよ……」
調理もすれば雑務もこなし、指名されればテーブルへと赴く。
赴く、のだが……箒たちにとっては、やはり面白くない。
「デレデレしおって」
「鼻の下を伸ばして、一夏ったらいやらしい」
彼女たちの言い分はもはや言いがかりに等しいものだ。決して一夏はランサーと違い弛んだ表情などしていない。むしろ困惑顔といったところだろう。
だが――箒たちから見れば、他の女性客に一夏が接すること自体が気に入らなかった。本人にしてみれば普通の距離で接しているのだが、彼女たちから見れば必要以上に近づきすぎていると捉えていた。
それは士郎も同じだった。オーダーされた品を運んだ足のまま、指名された別のテーブルへと向う。
セイバーにとっては、指名で士郎の名が挙がるたびに、彼の人気があることを嬉しく感じている。しかし、嬉しく感じる反面、複雑なものも感じていた。それは――
(こんなシロウの姿を凛や桜には見せられませんね。彼女たちは間違いなく機嫌を損ねる)
今もまた視線は士郎を追い、セイバー本人も気がついていないのだが、その頬はぷくりと膨れていたりする。他のクラスと思われる女子生徒と話し、にこやかに笑う彼の姿。
いわゆる「やきもち」というやつだ。
一息ついた士郎の横へ、セイバーは自然と詰め寄っていた。
「随分と嬉しそうですね、シロウ」
「……何がさ、セイバー?」
唐突にそう言われ……彼の表情にも困惑の色が浮かんでいた。セイバーからそんなことを言われる意味がわからなかったからだ。
「いえ、いつもよりも至極嬉しそうな顔をしていると思っただけです」
「待ってくれセイバー、何を怒ってるんだよ」
「別に、わたしは怒ってなどいません。不当な言いがかりは止していただきたい」
「……顔が不機嫌そうじゃないか」
「申し訳ありませんが、この顔は生まれつきです。そんなことよりも、あちらのテーブルの御方がお待ちですよ? わたしの相手などせずに、急いで馳せ参じたらいかがですか、お忙しい執事殿?」
「なんでさ」
ぷいとそっぽを向くセイバーと、どうしていいかわからず士郎は戸惑っていた。
そんなふたりのやり取りを直に目の当たりにしているのは、相川清香と鏡ナギ。彼女たちの口は笑みを象っているが、ジト眼は心を表している。
「うん。もう、ふたりとも完全にもげればイイと思うの」
「リア充爆発すればいいのに」
ぱんぱんと手を叩き――
無理やり間に割って入ると、士郎の背を清香が押し、セイバーの背をナギが押していた。
「はいはい、イチャラブしないの。衛宮くんはこっち」
「見せ付けなくていいから、仕事仕事。セイバーさんは」
『別にイチャついてなんかいない!』
瞬時に顔を紅くして声を上げる男女を無視し、白い眼の清香とナギは「うるさいな。頭のてっぺんから足の指先まで全部爆発して、もげればいいのに」と文句を漏らし引き離していく。
士郎とセイバーは、少々イライラした女生徒ふたりの手によって仲裁されるが、一夏の方はそうもいかない状況と化していた。
「…………」
谷本癒子は、箒が手にしているステンレス製のトレイがぐにゃりと変形していく様から眼が離せなかった。
「篠ノ之さんっ――トレイ! トレイが! ひしゃげる、ひしゃげてるよっ!?」
癒子の叫びは耳に入らず、客からの「すみません。オーダーお願いします」との呼び声すら聴いていなかった。箒の眼は一夏に向けられたまま釘付けとなり、口元からは歯をぎしりと軋らせた音を絶え間なく鳴らし続けていた。
露骨に機嫌が悪いのは、なにも箒だけではない。セシリアも同様に。更には、楽しそうに談笑している姿すら妬ましいほどだ。
(ああもうっ! あの位置に立っていればよかったですわ!)
立ち位置にさえ歯噛みするほどまでに、彼女の心は病みはじめていた。
「しっかし、なんでこんなに人が来るんだ?」
「わかってないね、一夏は。学園で三人の男の人なんだよ? 他の子たちから見れば、そんな一夏たちが執事姿でご奉仕してくれるともなれば興味を持つのは当たり前じゃないか」
「そんなに面白いものでもないと思うんだけれどな」
「はは、残念だけれど、学園祭が終わるまではこのままだと思うよ?」
「勘弁してくれよ……」
今、一夏とさり気なく話す相手はシャルロットだった。仲良く談笑するふたり。
――と。
偶然にも、セシリアと眼が合い――シャルロットは、くすりと口元を歪めて見せる。
(――っ!? 笑いましたわ! 今、間違いなく、シャルロットさんは、このわたくし、セシリア・オルコットを笑いましたわ!)
悔しさに、セシリアが手に持つトレイもまた歪な音を立てて、飴細工のようにぐにゃりと変形する。こちらはねじれていたのだが。
シャルロットの笑みは「ニコリ」ではなく「ニヤリ」としたもの。悪意のある笑みだ。
ぐぬぬぬと歯噛みするセシリアだが――静寐に「十番テーブルのお客さん紅茶のおかわりだよ」とそうを声をかけられると、ねじれたトレイを取り上げられ、代わりにティーポットを渡され背を押されるが、視線はシャルロットから外れてはいなかった。
テーブルに歩み寄り、だばだばと音を立てて紅茶を注ぐが当然カップは見ていないため、あふれ出す。ソーサーも満たし、湯気を上げる赤銅色の液体はテーブルへ広がっていた。
昨夜のうちにオルコット家に仕える――セシリアの専属メイド、チェルシー・ブランケットから紅茶を淹れる作法を事細かに電話で教わったというのに、なにひとつ活かされることはない。
「ちょっと――!?」
客の静止も聴きいれず、彼女の視線は向けられたまま。だが、そのセシリアの身に更なる激震が走ることとなる。
シャルロットは腕を絡め、見せ付けるかのように胸を押し当てる姿。勝者の特権といわんばかりに優越感に浸っている顔だ。
さすがに一夏も無駄に密着してくる相手に気づき困惑していた。
「あのさ、シャル……ちょっと離れてくれないか?」
「? 一夏は僕と一緒じゃ嫌なの?」
「誰もそうは言ってないだろ」
ただ、一夏にとっては、いつぞやの時と同じく腕に胸が当たっているから離れてくれ、と告げたいものがあるのだが。
「嫌? 嫌じゃない?」
「ええとな……だから、その……そうじゃなくてだな、嫌ってわけじゃなくてだな……」
上目遣いで相手の顔を覗き込むようにシャルロット。一夏も歯切れ悪く、気恥ずかしそうに視線を泳がせていた。
その際にさり気なく、シャルロットは更に胸を押し当てる。
瞬間――
(あ、あざとすぎますわ! あざとすぎますわよっ!? ず、ずるいですわ! そんなに一夏さんに寄り添うなんて! わたくしでも出来ないことを平然とやってのけるとは! 羨まし過ぎますわよっ! 一夏さんも一夏さんで、何でもっと強く抵抗しませんのっ!? これだから殿方というのはっ――)
そのまま――
「許せませんわぁぁっ!!」
我慢の限界なのだろう。奇声を上げて向かおうとするセシリア。だが――
「馬鹿者が」
一喝する千冬。
べしんとトレイでセシリアの頭を一撃し、仕事に戻させていた。
「阿呆なことをしていないで真面目にやれ! デュノア、貴様もふざけが過ぎるならば放り出すぞ!」
「あはは、すみません」
注意されるや否や、シャルロットは一夏からパッと離れる。千冬に謝りはするが、セシリアにはペロと舌を出していた。
困惑する一夏の横を寄り添うように歩き、再度見せ付けるかのように必要以上に身体を密着させている。
シャルロットに対し、なかなかの策士であるとセシリアは評価を改めざるをえなかった。
(宣戦布告と捉えますわよ……シャルロットさん……危険視危険視とは把握しておりましたけれど、よもやここまでとは……正直、見くびっていた――侮っておりましたわ。大人しい形を潜めていながら、こうまで大胆に『実力』を発揮するとは……やはり、彼女こそダークホース……セシリア・オルコット、一生の不覚ですわ……改めてその名をわたくしの胸に刻みましてよ!)
シャルロットはスタートラインにすら立っていない。一足飛びに、もはやその場は遥か前に通過している。今の相手は距離半ばを過ぎているといったところか。どれほど自分が出遅れていることか。悔やんでも悔やみきれない。
どうでもいいが、セシリアの空想の筋書きであって、話は飛躍しすぎである。
ぶつぶつと呟きながらも――テーブルの惨状は、すっ飛んで来た士郎が既に片付けていた。ティーポットすらセシリアの手から受け取り、用意した別のカップに注いで済ませている――紅茶を頼んだ生徒に深々と頭を下げるセシリア。だが、彼女の頭の中は今後のシャルロットに関する対応をどうするべきかという算段に追われていた。
馬鹿な生徒に呆れながら――千冬は別の問題で頭が痛かった。
「…………」
自分に向けられる視線。熱に浮かされたかのような女生徒たちの絡みつく数々の視線が煩わしかった。ついで喧しく上がる歓喜の悲鳴。
注文品を運ぶために歩くだけできゃあきゃあと騒々しく、注文をとるために話しかけるだけできゃあきゃあとかしましい。
最初は黙らせるために睨みもしたが、それもすぐに無駄だと悟る。それすらもご褒美だとばかりにさらに喧騒に拍車がかかるからだ。
「…………」
彼女はすこぶる機嫌が悪かった。幾ら学園祭とて、教師も楽しむことに関しては反対するつもりはない。
よりにもよって、まさか自分もこんな格好をさせられるとは――
だが、それでも懸命に千冬は自分自身に落ち着け落ち着けと諭すように言葉をかけていた。
忌まわしい記憶がよみがえる。メイド服などまだマシな方だ。ネコミミ姿、裸エプロンや卑猥な水着姿など、とても人目にさらせるものではない。
(落ち着け落ち着け、納得しろ納得しろ……)
眼を瞑り、ふうと息をひとつ吐く。
と――
「納得できるかっ!」
くわっと眼を見開き、叫ぶと、キッチンに戻った彼女は力任せにトレイを投げつけていた。
風切り音を立てて、まるで円月輪――古代インドで用いられた投擲武器――のように壁に突き刺さる。その際に、先にキッチンに戻り調理をしていた一夏の鼻先をチッと掠めて、だ。
前髪が幾本かはらりと落ち――顔面を蒼白にした一夏の首が鈍い音を立ててこちらを見ているが千冬は相手にしない。いや、もしかしたら彼女は弟に眼を向けて舌打ちさえ鳴らしていたかもしれない。
ふうふうと肩で大きく息をしながら――
「織斑先生、九番テーブルお願いします」
別の生徒が調理したオーダー品が眼の前にドンと置かれていた。海老ピラフとホットケーキ、コーラフロートを無言で見つめ、彼女はやりきれない表情のまま――別のトレイを掴んでいた。
言われるまま、指定の席に次々と品を運び、本人は笑顔のつもりだが、実際には口元は震え、引きつった笑みを浮かべていた。
熱い声を背に受けながら、しかめっ面のまま歩いていた千冬の歩が唐突に止まる。
「…………」
自身が受け持つクラス、喫茶店と化した一年一組は、結構な人でにぎわっていた。他クラスの生徒の姿は説明するまでもないが、一生徒につきひとり招待されるチケットにより外部の者――当然一部だ――が多く居るのもわかった。
千冬にとっては予想外の人の出入りに僅かながらに驚いていたというのが正直な感想だった。
(こんなものを見て、何が楽しいんだ?)
自分の姿に視線を落とし、ついで執事姿でオーダー品を運ぶ士郎と一夏、接客をこなすメイド服姿の箒、巫女装束のセイバーを見る。袴姿のセシリアは先程の件が気に入らなかったのだろう。シャルロットに迫り何かをまくし立てていた。ラウラと真耶の姿は見当たらない。休憩でもしているのだろう。
滑稽な格好の連中を見ても面白くもあるまいに、と千冬は胸中でひとりごちる。
とは言え、彼女はわかっていない。魅力的だからこそ人が集まることに。男性陣目当てに来る者は多い。だが、そんな男連中を抑えてより高い支持、人気があるのは千冬だった。
熱い視線で見られているものが、からかい――物笑いの種で見られていると当の千冬本人は捉えている。しかし、彼女が思うようなことは実際とは違っていたことに気づいていない。
誰も笑ってなどいなかった。いや、誰が笑いなどするものか。皆、ウットリとした眼差しと表情、憧れを持った眼で見ている者もいるだけだった。普段は近寄りがたい雰囲気を醸し出す千冬が、まさかどういう冗談かメイド服にもなっているのだ。そんな彼女に奉仕されたい。否、奉仕したいと生徒たちの中に生まれる群集心理はえてして間違ったことではない。
「織斑先生、すみませんがランサーさんの様子を横で見ていてもらえませんか?」
三番テーブルと五番テーブルの客からの注文を伝えた千冬は、静寐からそう声をかけられていた。
「ランサー? また何かしたのかアイツは」
廊下に並ぶ長蛇の列を女生徒だけで切り盛りするのは難しい。各種クレームの対応もあるのだが、それらを買って出て処理しているのはランサーだった。
ランサーの接客、話術によって事実クレームはなくなってはいるが、朝と比べて列が更に長くなっていたりするのだが。
「ええ。廊下で接客はしてくれているようなんですけれど、ある程度は大丈夫だろうと状況を見ては、サボって直ぐ何処かに行こうとするんです。その……衛宮くんだけでは接客に調理も雑務も兼ねていっぱいいっぱいで、他にお願いできるのは織斑先生しかいないので……」
ただでさえ自分たちに付き合ってもらっているという建前があるので、静寐は申し訳なさそうに俯いていた。
こういうところはコイツは生真面目なやつだったなと千冬は改めていた。
「……まあ、山田先生やお前たちでは素直に聴かんだろう。衛宮が手一杯では仕方あるまい。セイバーでも同じだろうしな」
「あはは……」
引き受けようと一言残し、千冬は廊下へ出ていた。
だが、予想とは違い、そこには入り口に立っているのは燕尾服姿のランサーだ。悠々自適に接客をこなしている。千冬が現れたことで廊下に並ぶ女性客から歓声が上がるが、そんなものはこの際無視する。
千冬の姿に気づいたのか、ランサーも向き直り――ほうと一言漏らし、カカカと笑っていた。
メイド服を着ているとは聴いてはいたが、実際に眼にしてはいなかったため、その姿は斬新だった。
「なんだよ。お前もンな格好させられたのか? 似合ってるぜ、千冬ちゃん?」
「うるさい黙れ。張り倒すぞ? ちゃん付けするな。喜んで着たと思うか? いいように騙されただけだ、葛木のヤツに」
「そーかい? なんだかんだ言っても、そーやって着てるってこたぁそれなりに楽しんでんだろ? 素直じゃねーわな、アンタ。でなけりゃいくら言われようとも着ねぇもんさ。ホントに嫌なら脱ぎ捨ててどっか行けばいいじゃねーか」
「……フン」
反論はできずにそっぽを向く。笑いながらランサーは千冬の姿を今一度改める。
「しかしまぁ、随分と愛想のねぇ態度だなぁオイ」
口はへの字に腕を組んで立っているメイドなど、そうお眼にかかれるものではない。
「もっとこう愛嬌よくしたらどうだ? 布仏の嬢ちゃんみてーに、にこにこ笑えや。ああ、それがイイって言うマゾにゃぁたまらねーか。なんつーんだっけか? ツンデレってーのか?」
「阿呆か。それよりも、『裸エプロンなんてどう?』などと真顔で言ってくるようなヤツはどうにかならんのか? あいつは風俗業かなにかと混合しているのか?」
思い出すだけでも憎たらしいとして、この場に居ないキャスターに対し千冬は恨み節をぶつけていた。
キャスターは本来の持ち場、保健室に戻っている。学園祭中に何かあった場合に備えて常時保健室は開けているために。
可愛い子達に囲まれなくて残念だわと漏らしながら去るキャスターの背に「さっさと戻れ」と追い払うように声を浴びせていたのだが。
「俺個人としては、是非とも拝見したいもんだがな」
「黙れ」
「へいへい、口じゃぁあの女にゃ勝てはしねぇわな。まぁいいさ。それよりも、あっちを見てみなっての」
「?」
顎でしゃくられた先を見てみれば、ランサーと同じように列整理をしている真耶とラウラ、本音の姿を捉え――嘆息する。
ランサーがこの場から居なくならなかったのも三人を見て楽しんでいたからだった。
「……なんだアレは」
ランサーに手招きされて駆け寄ってきた真耶に、千冬はなんとも言いがたい視線を向ける。
「山田先生……君は、なんと言う格好をしているんだ……」
「あ、あははは……似合いませんかね?」
「…………」
千冬は頭が痛かった。似合う似合わない以前の問題だ。
真耶の格好は、バニーガール姿だった。すらりと伸びた手足、くびれた腰、あらわになる胸元、童顔とは言え女性の肢体を強調させるデザイン。
相手の視線に真耶は気まずそうに、意味もなく頭につけた垂れたウサ耳を弄っている。
担任の姿に気づいたのか、とことことラウラと本音も寄ってくる。呆れながらも、一応千冬は声をかけていた。
「ボーデヴィッヒ……お前の格好は……なんだソレは……」
「はっ、教官。自分は衛生兵であります。日本の衛生兵の正式な制服ということでこちらを――」
正式な制服、という言葉が引っかかり……いや、千冬はわかっている。わかっていたのだ。だが、敢えて訊き返さなければならなかったと言えよう。
「……待て。誰がそんなことを言った?」
「はっ。葛木先生でありますが」
敬礼したまま述べるラウラの格好は、ナース姿だった。それも黒一色である。頭に乗せたナースキャップの色も当然黒だ。
額を押さえたまま千冬は呻く。横では腰に手を当てて笑うランサー。
「あの馬鹿は風俗業と何かを混同しているのか? それよりも」
呆れるだけで二の句は続かない。千冬が視線を向ける本音の姿。
楽しそうににこにこしている本音の格好は白一色のナーススタイルだった。こちらもナースキャップをちょこんと頭に乗せている。
袴姿だったラウラ、メイド服姿の本音と真耶の格好が変わっているのも簡単な話だ。保健室の手伝いとして本音が時間を見てうかがった際に、暇そうにだらけていたキャスターが唐突に「保健室ならナースよね」との短絡的な考えにより着替えさせていた。その場にたまたま一緒にいたラウラや真耶も巻き込んで。
真耶に関するバニーガールは完全な趣味の押し付けだった。
「いや……さすがにコレはちょっと……」
抵抗を示す真耶にキャスターはにべもない。
「そんなことないわよ。山田先生にはお似合いよ。それに、そんな格好で迫れば、男なら誰だってメロメロよ?」
ぴくりと真耶の耳が反応する。「男なら」の部分に強く彼女は喰らいついていた。彼女の脳裏に浮かぶ男性の顔――
「メ、メロメロですか?」
「メロメロ」
そんな一連のやりとりがあったことを真耶の口から聴いた――真耶にとって自身の名誉に関わる部分は当然伏せてだが――千冬は心底頭が痛かった。
不意に、別の声がその場に割って入る。
「なにしてんのよ、アンタらは……」
声のする方を見れば、大胆なスリットが入ったチャイナドレスに身を包んだ鈴が呆れた顔をして立っていた。髪形はいつものツインテールとは違い、シニョンと呼ばれる髪飾りをつけていた。
「ほうほう。これはこれは」
「な、なによ」
顎に手を当てニヤニヤした顔で見入るランサー。
「いやらしい眼でみんな!」
ぷんすかと怒り、ぷいとそっぽを向く鈴に――伸ばされたランサーの指先は彼女の背をすいとなぞる。
「うにゃあああっ!?」
ぞわぞわと背筋に走る不快感。瞬時に向き直り激昂する。
「さわんな馬鹿! 変態!」
「そうだもんなぁ、俺なんかよりも触ってほしいヤツがいるもんなぁ?」
「う、うっさいっ!」
意味深に言う相手に鈴の顔は瞬く間に紅くなる。
「いやはや、ちんちくりんが板に合うぜ、可愛いなぁ嬢ちゃん」
「ほっとけ馬鹿!」
ぽんぽんと頭に触れるランサーの手を邪険に払い鈴。からから笑いながら、だがランサーの手はぐりぐりと鈴の頭を撫でていた。
可愛いなどと言われてしまうと、さすがの鈴も照れてしまう。顔は赤いままではあるが、褒められたことも嬉しくないわけではない。だが、その褒めてくれる相手がランサーではなく一夏だったらなと考えてしまっていた。
実際に一夏に見せてみたところで言われた台詞は――
「その頭のぽんぽんてなんだ?」
それだけである。他には何もない。
これには次の瞬間に鈴が相手を蹴り飛ばしていたのも仕方がないことだろう。たまたまその場を目撃していた本音は「アレは狙ってやってるとしか思えない」と言わしめたほどに。
気分を変えるべく彼女は「ところでさ」と声を漏らし忌々しそうに視線を向けてくる。
「なんなのよアンタんトコ。話に聴いてはいたけれどさぁ……」
言って、居並ぶ面々を順に見入る鈴。
「メイド服の千冬さ――織斑先生に、バニーの山田先生……ナースのラウラに、本音だっけか? で、燕尾服っつーの、それ? そのカッコのアンタに……」
一組の教室内を覗いて、更にげんなりと顔をしかめる。
「袴のセシリアにシャルロット、巫女服のセイバーに執事服の衛宮……他にもメイド服に袴の子もいるし……全然こっちに人が流れてこないんだけれど。どうしてくれんの? あげくはウチのクラスの子もそっちに並んでるってどういうこと?」
一夏の執事服姿はカッコいいなと思ったことは鈴の胸にだけ秘めておく。
「それは俺の魅力によるものだろう」
腕を組み、ふふんと笑うランサーに千冬が後ろで「相手にしなくていいぞ」と告げている。無論、鈴もまともに相手などしていないし、する気もない。
「あのさ、一言いい? 『寝言』って、寝て言うモンよ?」
面倒くさいヤツだわコイツと彼女は息を吐いていた。
「そろそろ休憩に入ったら?」
休みなしで働いている一夏と士郎のふたりに、静寐はそう声をかけていた。
言われたふたりは時計を見る。
特に士郎は接客、調理、雑務をこなす。てきぱきと。細かいところも気が利く性分だ。
「一家にひとり、衛宮くんがいればスゴイ助かるよね」
「3,980円ぐらいで売ってないかしら」
「何もしなくても家事全般。炊事、洗濯、掃除、寝てる間に全部やってもらえるし」
誰かの呟きにうんうんと賛同の気配を感じる。
人を安い家電用品のように扱うな、洗濯までされて抵抗ないのか、さらには手頃なお値打ち価格だと感じながらも、士郎の調理の腕は停まらない。
冗談はさておき、さすがに朝から働き尽くめの一夏は言葉に甘えていたが、士郎は頭を振っていた。
「いや、俺は午後から生徒会の演劇の手伝いがあるからさ、悪いけれど後で抜けるから……そっちに出るんで休憩はいいよ。それに、男ふたり抜けたら捌くのが難しくないか?」
「うん、まぁ、そうなんだけれどね」
作り終えたオムライスを皿に移し、キッチンから顔を覗かせフロアを見れば、いわゆるお姫さま抱っこでひとりの女生徒を席へと運ぶランサーの姿。
何をやってんだアイツはと呆れながらも、女性客の目当ては、やはり男性陣と千冬目当てと分類される。
「んー、じゃ衛宮くんは引き続きお願いできる? 調理に回ってくれるのは正直助かるし、休みたかったら言ってくれていいから。織斑くんは大丈夫だよ」
そう言われても、一夏としては、片方は休まないとなれば、自分だけ休憩をとることには気が引ける。
自分もいいやとそのことを伝えると、逆にふたりに呆れられていた。
「別に気にするなよ」
「そだよ? 皆だって好きに休憩してるんだから」
静寐が言うように、清香や癒子は当たり前のようにフロアのテーブルに陣取り食事をしている。
「わたしオムライスとオレンジジュース」
「わたしは、シーフードドリアとアイスコーヒーね」
ついでに執事御奉仕セットを士郎指名で頼んでいるのだけに手が付けられない。メニューを提供する側なのに、何故自分たちが受ける側になっているのやら。
言われ、考える一夏だったが、自分の名前が打たれた学園祭招待チケットで友人の五反田弾を呼んでいるのを思い出す。彼のことだから今日この日を心待ちにし楽しみにしていたのだ、間違いなく学園祭に来ているだろう。数日前に電話で話したときのテンションの高さは忘れようがなかったのだが。
「ごめん、じゃ少し出るからさ」
手ですまないとジェスチャーするが、士郎も静寐も気にしない。「いってらっしゃい」と送るだけだった。
静寐はフロアに戻り、士郎は別の調理をはじめている。
と――
「あれ? 一夏は?」
フロアに姿が見えなかったことに不思議がったシャルロットがキッチンを覗き込んでそう声をかけていた。
入れ違ったのか、はたまた忙しくて気がつかなかったのだろうか、休憩に出たぞと告げると、瞬時に彼女は詰め寄っていた。
「ひ、酷いよ士郎! なんで教えてくれなかったのさ!」
「え? いやなんでって……一夏が休憩に入るのを、何でデュノアに教えるんだ?」
「え? あ、いや、だってその、休憩に入るっていうことを教えてもらえれば、その……」
一緒に学園祭を回れたのにあんまりだよ、と不満そうに彼女は漏らしていた。然も士郎が悪いという雰囲気だ。
(なんでさ?)
胸中で声を漏らす士郎に構わず、シャルロットに――何処から話を聴いたのか、箒とセシリア、ラウラ、果ては二組の鈴にまで。特にセシリアには強い口調で責められていた。
今しばらく、彼はそのことで問い詰められることとなる。
携帯電話で連絡を取り合い、早々に合流した弾と一夏は学園内を適当にぶらついていた。
ふたりが足を踏み入れた先は、美術室で行われている爆弾解体ゲームだった。工具一式を渡され、一夏と弾は雑談を交えながらゲームを進めていく。
だが――
行く先々で声をかけられる友人を思い出し、弾は低い声を漏らすことしかできなかった。
「お前、人気あんのな?」
「はぁ? 単に珍しいから声をかけられてるだけだぞ?」
「…………」
手際よくドライバーで上蓋をはずす作業を見ながら弾は無言。
中にはそういう輩がいないとはいえない。だが、弾が今のところ見ている限りでは、純粋に一夏に好意を寄せて声をかけてきている子がいるのもわかっていた。
何故わかるかと言われれば至極簡単なこと。頬を赤らめて照れたように……それこそ勇気を振り絞って話しかける少女の姿を見れば容易に知れる。僅かな会話とは言え、話し終えて「やったー」と嬉しそうに喜ぶ顔を見れば確証だろう。
弾にとっての頭の痛いところとしては、それらも一緒くたに見ている阿呆な友人に対してなのだが。
「一夏、お前はやっぱアホだわ」
「は? 馬鹿なお前に言われたくないぞ?」
「うっせ。お前は豆腐の角に頭打ちつけて死んだ方がいいぞ。むしろ死ね。二度死ね」
「なんだそれ? どういうことだよ」
「言うかアホが。それよりもよ、入り口にいた眼鏡かけた人……美人で可愛いかったなぁ、なあ、お前知らないか?」
「眼鏡の美人?」
はて、と首を傾げながら指先は爆弾を解体していく。
「よくわからんが、眼鏡かけたその人ってさ……みつ編みのおさげ髪か?」
「あー、たしかそんな感じ」
「……お堅そうな感じか?」
「ああ、そんなイメージはあるな」
「…………」
そこで一夏は無言となり――爆弾を弄る指先も停まる。
黙する相手に視線を向け、弾は訊ねていた。
「なんだよ、知ってんのか?」
「……お前が会った人と俺が知ってる人が同一人物かどうかはわかりかねるが、似たような人はいるな。ただ、すごい真面目な人だぞ。お前みたいなちゃらい男なんて相手にしないと思うけどな」
「うるせえな」
ちゃらい言うんじゃねぇよ、と一夏が手にしようとしていたニッパーを奪い取る。
爆弾解体は最終局面を迎えている。二本の配線のうちどちらか一方を切ればクリアという定番の状況だ。
「んで、どーよ」
「……なにが?」
ニッパー片手に赤と青、どちらの配線を切るか迷う弾の声に一夏は思わず訊き返していた。
相手に視線は向けず、弾は配線を凝視したまま。これが時限式の本物であれば、既にふたりは爆死しているほどの時間の掛けようだ。
「お前以外にふたり男の操縦者がいるってたじゃねーか」
「あー、まあ別に、普通だぞ」
「なんだよ。女の園にたった三人なんだぜ? それにお前みたいにISを動かせるってことは、やっぱすごいことなんだろ?」
「……すごい、か……まぁ、すごいよな……ふたりは……」
急に口を噤む友人に――弾はちらと視線を向けて肩を竦めて見せていた。
自分にはわからない何かに対し、一夏は思うところがあるのだろう。
「ま、俺にはよくはわかんねえけどさ、お前はお前なんだから気にすることねーと思うけど?」
「…………」
「俺から言わせりゃな、お前がアレに乗れて動かせるってのだけですごいんだからよ。変なことは気にしねーで胸張ってろや」
弾なりに気を使っているつもりなのだろう。
それが痛いほどわかる。一夏とて長年無駄に馬鹿みたくつるんでいたわけではない。
故に――
「……弾」
「なんだ?」
友人を真っ直ぐに見据え、彼は今胸中で思っていたことを口にする。
「真面目な話するお前は似合わないな」
「上等だテメエ。表でろや」
叫ぶと同時、赤と青い配線両方をバチンと断ち切り――解体失敗を示すアラームが鳴り響いていた。
一夏から弾を紹介され、士郎とセイバーも互いに軽い自己紹介をした際に、弾は「家が食堂をやっているんで機会があれば来てくれ」と告げていた。セイバーは「是非にと」即答していたりするのだが。
弾はそっと一夏に耳打ちする。
「なあ、ここの学園の子って、えらくレベル高くねぇか?」
「? そうか?」
「そうかって……セイバーちゃんなんてすげえ綺麗で可愛いじゃねぇかよ!」
「あー、まあ、そうかな」
大した反応を示さない相手に――
「……お前、やっぱダメだわ」
「?」
一夏は不思議そうに首を傾げるだけだったのだが、弾はなにを言ってもダメだと諦めたのか、士郎とセイバーに対して挨拶もそこそこに、個人で他を見て回りたいからと教室を後にする。
時間を見てそろそろ頃合かなと判断した士郎は、生徒会の手伝いに言ってくるとクラスの連中にそう声をかけていた。だが、その際に専用機持ちたちとセイバーの様子は何処か変だった。何かよそよそしく、妙にそわそわとしている。一夏の姿も見当たらなかった。
「?」
不思議に思ったが、それ以上は深くは考えず、士郎は楯無に言われていた第四アリーナへと足を運んでいた。
と、しばらくすると演劇主催の楯無が現れると、専用機持ちたちとセイバーを集めてなにやらぼそぼそと話をしていた。
「第四アリーナの演劇に一夏くんと士郎くんが出るから――」
ヒロイン役で、あなたたちも参加してみない?
そう告げて、専用機持ちたちの了承は簡単に得、セイバーも箒たちのように即答ではないが、自分が参加することで劇にプラスになるものがあるのならば協力しましょうと応じていた。
尤も、セイバーにしてみれば、キャスターから聴いた話の真偽はどうあれ、警戒するためにも士郎の傍から離れるつもりはないのだが。
楯無は満足そうに頷いていた。暗部の『草』からの報告を受け、不穏な動きを見せる連中に対処する手筈を整える。第四アリーナへは外部内部に教師の布陣も考慮してのもの。
(相手の数がわからないのは痛いところだけれど、一夏くんはわたしがなんとかするとして、士郎くんは箒ちゃんたちの専用機持ちの傍に置いておけば万が一に備えられるとして……残る問題は……)
彼女はちらりとランサーを一瞥する。
「…………」
わかる限りでは、ランサーの身体能力は士郎と一夏を超えている。専用機を持たない彼がふたりと比べて狙われる確率は低いと捉えていた。だが、だからと言って狙われる可能性がないわけではない。相手の眼を分断できるにも打って付けかと考える。それに、いくら武術か何かを心得ているのだとしても、人間が銃弾ででも撃たれれば無事ではすまないと楯無は当然のように考えている。どこぞの漫画やアニメではあるまいし、撃たれた銃弾を生身の人間が指先でつまみ防ぐなど、ありえるはずがない荒唐無稽なものを思わず想像してしまっていた。
(と、すれば……)
ならば、監視の眼を強めてもらうしかない。
幸いここには最高の指導者と補佐のふたりがいる。監視には十分すぎる逸材だろう。
そう考えた楯無は、真耶と千冬に二、三ほど会話を交わすと、セイバーたちを連れて出て行った。
士郎と一夏、セイバーに専用機持ちたちが抜けた穴を埋めるように、清香や癒子、静寐たちは忙しなく動く。
中でもランサーはクレーム処理、接客、注文取りと難なくこなす。客の回転率も相応に。
唯一の男性ともなり引っ張りだこではあるが、そこはランサーの巧みな接客術と話術によるもの。女性客に不平不満を与えず残さず苦もなく捌いていく。
教室廊下を往復している――と。
「すみません」
「はい?」
廊下で、幾度目ともなる、かけられた声音に、ランサーはにこやかに応えながら振り返っていた。
眼の前には、にこにこと笑みを浮かべ、ふわりとしたロングヘアー、スーツ姿の女性が立っていた。
「織斑一夏さんは此方にいらっしゃいませんか?」
「ああ、彼なら今演劇の方に出ていましてね」
普段と打って変わった接客態度で彼。演劇に関しても事前に士郎から話を聴いていた程度でのものであるが。
「演劇、ですか?」
きょとんとする相手にランサーは頷く。
「ええ。第四アリーナの方で。よろしければご覧になられてみては? 観客参加型の演劇と聴いておりますので。お客さまも楽しめられると思いますが?」
「それは面白そうですね。わかりました、ありがとうございます」
「いえいえ」
ペコリと一礼して去っていく女性。
その女性の後姿を眺めていたランサーだが――
「……ほう」
一言漏らし、その眼つきが僅かに変わったことに誰も気づきはしなかった。
ならびに、離れていた場所とはいえ、彼は先程の楯無と千冬、真耶との会話の内容を耳にしていた。
必要以上にふたりが自分を注視しているのがわかる。故に、敢えてランサーは普通にやり過ごしているのだが――胸中はニヤリとした愉快そうな感情の色が支配する。
「ランサーさん! 四番テーブルと七番テーブルご指名だよー。戻ってー」
入り口からひょっこりと顔をのぞかせる清香に――しかし、ランサーは振り返りもせず、淡々と告げていた。
「あー、わりぃ。俺、ちっとばかし抜けるわ」
「え?」
思わず聴き返した清香には応えず、ランサーは燕尾服に手をかけ――上着を脱いで放り投げる。
「相川の嬢ちゃん、つーことで後は頼まぁ」
「え? ちょ、ちょっと、ご指名入ってるんだよっ!?」
咄嗟に投げられた上着を受け取った彼女だが、視線を向けた先には、ランサーの姿はその場から既に消えていた。
アリーナ全体を使ってのセットは豪勢な造りだった。
(まあ、それを手伝った自分が言うのもなんだけれど、やっぱり豪勢だよなぁコレ……)
第四アリーナを使っての演劇はシンデレラ。
手伝いとして、ナレーションの朗読を頼まれた彼は、抑揚つけて、感情こめて、と横に立つ本音に頷き、劇の幕開けを待っていた。
と――
ブザーが鳴り響き、照明が落ちる。
さっと幕が上がり、アリーナのライトが壇上を照らし――
「――なんでさ?」
思わず士郎はそう声を漏らしていた。
ライトに照らされた先には、なぜかそこには一夏が立っていた。ここからでも十分わかる不安そうな表情。王冠を頭にのせ、煌びやかな衣装を纏った王子然とした姿。
「エミヤん」
本音の声にハッとなり、士郎は慌ててナレーションを読み上げていく。
「むかしむかし、あるところにシンデレラという少女がおりました」
垂れ流しになる声に眉を寄せるが、内容はまともなものだった。一夏の不安は拭えないが、楯無の言うとおりアナウンスに沿って話を進めろと言われるままに移動する。
が、ナレーションはそれ以上先が流れなかった。一夏の表情の不安の色が更に増す。
それは士郎も同様だった。
疑問を口にし――マイクで声が筒抜けだというのはわかっているが、それでも口は閉じなかった。話の内容も事前に聴いていた段取りと全く違う。思わずぽつりと呟いたために、本来のナレーションは停まっていた。
「シンデレラ・ザ・シンデレラってなんだよコレ。シンデレラはひとりだろ?」
「ほら、エミヤんちゃんと読む」
「本当に読むのか、コレを……」
思わずステージを指さし彼。本音に確認を取るために視線を向けるが――
「エミヤん、劇!」
「あ、ああ……」
横に立つ本音の鋭い叱責を受けながらも、どこか釈然としないまま読み続けていく。だが、次第に――先行して目読していた文の内容に眉はより、頬は引きつったものになっていた。
確か、聴いていた話では「シンデレラ」のはずだった。それも、自分の知っている「シンデレラ」が上演されると思っていた。
だが――
自分がナレーションとして読まされているコレは一体なんなのか――
「シンデレラ・ザ・シンデレラ、今宵もその幕が開ける――て、今宵ってなんだよ――はいはい、読みますって」
ステージに立つ一夏は呆然としていた。
垂れ流されるナレーションを読み上げている声は聴き覚えがある士郎のものだ。だが、読んでいる当の本人も内容が理解できていないのだろう。途中引っかかったり、いかにも傍に誰か居るのか確認するかのように小声でぼそぼそと囁き合う声すらマイクが拾っていた。
「? 何を読んでるんだコレ」
一夏は途切れ途切れのナレーションにただただ首を傾げることしかできなかった。
士郎も同様に頭が痛かった。台本の内容が理解できない。
「は? いやだからおかしいってのコレ……あー、わかったっての……布仏、頼むからそんな顔するのはやめてくれ……」
お手製さながら……否。段取りが行き当たりばったりなのはいかがなものか。
読み上げながら、向かいの舞台袖に居る楯無を見つけ睨みつける。
相手もこちらの視線に気づいたのか――あはっ、と舌を出して笑って見せる
(あいつは……)
後でぜったいとっちめてやる。馬鹿な生徒会長に文句のひとつでも言わねば気がすまない。
そんなことを考えていながらも――気づけばナレーションを読み終えていたのだろう。
壇上の不安そうな顔のままの一夏と眼を合わせていた。相手は「なぁ、なんなんだコレ?」と顔が物語るが、士郎も「俺に訊くなよ。俺だってわかんないよ」と首を横に振るだけだった。
と――
「あわれ王子は、血に飢えた最強最悪凶悪凶暴なシンデレラに狙われることになったのです。王子は王冠に隠された機密事項を必死に護るため、シンデレラはその機密を奪い、国を自らの欲望、糧とし、掌握するために――彼女たちの血で血を染める舞踏会はこうして幕を開けるのだった」
ナレーションが続く。読み上げるこの声は楯無だ。
「頭悪すぎだろ、この内容。なんだよ『最強最悪凶悪凶暴』て。それにアイツがナレーション読むなら、俺手伝う意味無くないか?」
思わず呟く士郎の眼が――唐突に、一夏の頭上に向けられる。何の前触れもなく奔る凶刃。
「一夏っ――上だっ!」
「上? 上がなに――うおわっ!?」
士郎の叫びに――つられて見上げた途端。一夏は悲鳴を漏らしながら横へと跳ぶ。転がりながら再度視線を向ければ、白いドレスに身を纏い刀を振り下ろしたを格好の箒と、同じく白いドレスに身を包み両の腕にナイフを握るラウラが立っていた。
「衛宮、余計なことを言うな。もう少しだったものを」
「余計なもなにも、刀振りかぶって上から襲いかかっといてなに言ってんだよ」
睨んでくる箒に士郎は呆れを含みながら反論する。眼の前で友人が暴行されて黙ってなどいられない。
起き上がり、一夏はふたりから離れるように数歩ほど後ずさる
「おい待て、箒……何でそんなモンで俺が襲われるんだよ。やめろっての」
「黙れ。劇の内容を聴いていなかったのか? わたしはお前の王冠を奪い手に入れる。いや、手に入れねばならんのだ」
「ヘタに動くな。なに、痛みなど与える前にわたしが処理してやる。無駄に嫁を痛めつけるつもりはないからな」
「無理言うなっての」
模造刀とは言え、結構な勢いで殴られもすれば当然痛みはある。故に、理不尽ないわれのない打撃を受けるわけにもいかない。
転がりながら刀とナイフを掻い潜り、一夏は士郎の方へと這うように逃げていた。
追撃しようと箒とラウラが床を蹴る。
刹那――
「そこまでです!」
『誰?』
突然響き渡る声音に思わず訊き返す士郎と一夏。
バッと観客席にスポットライトが当てられる。照明の中に立つのは、腕を組み、純白のドレスを身に纏い、頭には見なれたクセ毛がぴょっこり飛び出ている金の髪。顔にはホッケーマスクをつけた――
最後のおかしなアクセサリーに、そこで士郎は、セイバーの異様な姿に言葉を失っていた。
「いたいけな少年を、自らの醜い強欲のために毒牙にかけようとする者よ……その浅ましくも愚かな行為に心すら闇に呑まれたこと恥と知れ! 人はそれを『独善』と呼ぶ……」
「なにやってんだアイツは……え? なにこれ」
相手を見て、ようやく声を絞り出し、ぼそりと士郎は呟いていた。状況が飲み込めないまま周囲を窺うだけ。一夏も理性が追いつかないのかぽかんとしている。
ふたりを無視したまま「シンデレラ」の物語は進む。
「おのれ、何者だ!?」
演技も板につくように、憎悪を滾らせた眼――刀先を相手に向けて叫ぶ箒。
一夏の「え? お前悪役なの?」との指摘を聴きもせず、現れたホッケーマスク姿の白い騎士に、ラウラもまたぎしりと歯を軋らせていた。だが、セイバーは一喝する。
「貴様たちに名乗る名などない!」
観客席から跳躍し、セイバーは一夏の前にふわりと降り立っていた。ステージに立つ騎士は、まるで王子を護るかのように。
「……邪魔をするならば容赦はせんぞ」
「ならば貴様から片付けてくれる」
ナイフを構えるラウラと刀を構える箒。だが、セイバーは静かに構えてみせていた。
「己が欲のみを求める者よ、その考えを今一度改める気はないのですか?」
その言葉を聴き、心底つまらなかったのだろう。ラウラはハンと鼻で笑っていた。
「笑止! 欲するものを求めて何が悪い! 力で奪うことの何が悪い?」
「愚かな……一時の欲求に罪もない者を蹂躙するか! 見過ごすことなどできぬ!」
そう叫びを上げると同時に――セイバーめがけて、向かいの舞台袖から楯無がブンと投げこんだ――チェーンソー。
「……アイツはなにをぶん投げてんだ?」
力ない士郎の呟き。
放物線を描いて――だが的確にセイバーに届いたソレを片手で掴み受け取ると――
手馴れたようにスイッチを入れると、チェーンソーは起動する。バルルル――と勢いよく耳障りな駆動音を奏ではじめた。
「挽肉となって、己の罪を後悔なさい。地獄への片道切符を献上します」
決め台詞のつもりなのだろう。コーホーとマスク越しに漏れる呼吸音が駆動音に紛れて聴こえてくる。
「いや、どう贔屓目に聴いても善玉の口上じゃないだろ」
玩具だろうとは思うが、何であんなものを持ってきてるんだと考えも織り交ぜながら。
士郎の指摘を無視し、箒とラウラはセイバーを睨みつけていた。
なにがなんだかわからない。
ホッケーマスクをかぶりドレス姿。手には「バルルルル」とやかましく物騒な得物を振り回している――あまりにも奇抜な格好をしたセイバーに一夏は頭が痛かった。
「え? どう考えても悪玉の立場側なのに、本人は善玉のつもりで押し通す気なのか?」
「ハロウィンか、これ?」
コーホーとくぐもった呼吸音。ホッケーマスクをかぶっているため顔は窺えないが、頭には、ぴょっこりと見なれたクセ毛がピコピコと動いている。本人も意外と楽しんでいるのだろう。
改めるまでもない。やはり、見まごうことなき、セイバーだ。
――と。
煩わしそうに、セイバーはマスクで覆った顔で振り返っていた。
「何ですかシロウ、イチカもさっきから……今いいところなのですから邪魔しないでいただきたい」
「あ、ごめん……」
全く、と小さく漏らし、チェーンソーを構えるセイバーもどき。
これは悪いことをしたなと頭を垂れる士郎だが――
「あれ?」
すぐさま、俺悪くないよな、と自分自身に言い聴かせていた。
くぐもった声音で、マスク越しにコホーと息を吐くセイバーは劇に戻っていた。
「今宵の我が剣は血に飢えている……迂闊に近寄らば、その身を貪ろうぞ」
「うん。やっぱりどう聴いても悪モンの台詞だよな」
チェーンソーをあくまでも「剣」呼ばわりすることには、士郎はもうどうでもよかった。
フンと鼻を鳴らし、ラウラは両手のナイフを構えていた。
「抜かせ。貴様こそわたしのナイフの錆にしてくれよう。大人しくここで朽ち果てろ」
「お前もお前でノリがいいな」
呆れる一夏の声など当然耳に入れるはずも無く、ラウラと箒は腰を落とし静かに身構える。
そのまま――下卑た笑みを浮かべながら、ラウラはぺろりとナイフを舐め、箒もまた刀身に舌を這わせる。完全な悪役面だった。
当然ではあるが――無論演技である。
――が。
「馬鹿かっ!? おい馬鹿やめろ。その絵面はいろいろとマズイだろっ!? 特にお前らふたりは本当にやめろっ!! 別の意味で違和感が無いっ!」
咄嗟に反応した一夏の叫びを聴きもせず、ふたりは瞬時に駆け出していた。
「愚かな……『神』をもバラバラにできるチェーンソーを相手に身の程をわきまえぬとは」
「おい。今、チェーンソーって言ったよな? 認めたよな? 更識はちゃんと考えて台詞言わせてるのか、コレ……」
こちらはこちらで、士郎の指摘を当たり前のように無視し、憂いを含んだ僅かな吐息。だが――次の瞬間にはホッケーマスクのセイバーも駆け出していた。
ラウラ、箒と切り結び、がぎんがぎんと交戦する度に火花が散り――
最近の玩具は精巧にできているんだなと感心する。士郎はあんな小道具を用意した覚えはない。おおかた、楯無か本音あたりが準備していたのだろう。
しかし、それにしてもと言った表情で士郎と一夏は見入っていた。
チェーンソーはもとより、ぶつかり合うナイフと刀も、まるで本物のようにしか見えなく煌きを持っている。
振るうセイバーの得物がたまたま床を掠めれば、綺麗さっぱり抉れており――
『本物じゃんっ!?』
悲鳴を上げるふたりとは別に観客は興奮の叫びを上げる。
いやいや、盛り上がる箇所おかしいだろうと手を振りながらの一夏を無視し、劇は進む。
回転する刃に刀とナイフで切りかかっている姿を見て、セイバーが手加減しているのか、はたまた箒とラウラの技量がすごいのか士郎には理解できなかった。
刀に関しては、一夏の見知ったものだった。
(よくよく見ればあの刀……確か『緋宵』とかいう真剣じゃないか!?)
何でそんな大事なものを持ち出してチャンバラなんかしてんだよ――胸中で叫ぶ一夏を気にも留めず、壇上ではセイバーと箒が切り結んでいる。
観客からは「おお」と歓声が上がるが、士郎と一夏からは「なにコレ」と呆れの声が漏れる。
瞬間、セイバーは見入っていた一夏の前に滑り込むと、チェーンソーを振り払っていた。
ぎん――と鈍い音とともに何かが弾かれていた。ライトの反射にきらりと輝くものは銃弾だった。
どうやら狙撃されたのだろう。そのまま――降り注ぐ銃弾をセイバーはチェーンソーで切り弾いていく。
「なんでもありかよ」
発砲音も何も聴こえない流れ弾にあたってたまるかと遮蔽物に身を隠す一夏が見たものは、観客席――スナイパーライフルを担ぎ狙撃ポイントを移すセシリアの姿。
「よそ見とは余裕だな」
横合いから走りセイバーに斬りかかる箒。だが、向かってくるのがわかっていたのか身体をそらし一閃をやり過ごす。
小さく呻く相手に、真下からチェーンソーを刀身に叩きつけ――箒の手から撥ね飛ばされた刀は弧を描き床に突き刺さる。入れ違うように、タクティカルナイフを両手に構えたラウラがセイバーに躍りかかっていた。
観客もまた奇想天外、予想のできない演出の連続に声を上げるだけ。
「あーくそ、出遅れた」
「うーん、ここに飛び入るのは骨が折れるなぁ」
「?」
声のした方へ士郎が振り返ってみれば、そこには箒やラウラと同じように白いドレスを纏った鈴とシャルロットが立っていた。
憎々しげな表情を浮かべる鈴と、どうしていいかわからず困惑するシャルロット。だが、そのふたりの手に持つ物を見て士郎は「お前らもか」といった顔をする。
鈴は逆手に持った飛刀。シャルロットはマシンガンを携えている。
だが、士郎も鈴もシャルロットも気づいていなかった。壇上で身を隠していた一夏の姿が消えていたことに――