I.S.F インフィニット・ストラトス×Fate 作:ボイス
此処最近の士郎は寝不足だった。
それは、学園祭準備の追い込み、ならびに生徒会主催の演目の手伝いもしていたためである。まあ何はともあれ、無事に学園祭に間に合って良かったと彼は安堵の息を漏らしていた。
漏らしていたのだが――その表情は浮かなかった。
「坊や、わたし今すごく幸せよ」
「…………」
衛宮くんの執事服には何がいいかな、と模索していたふたり――夜竹さやかと鏡ナギだ――の声を、話半分に聴きながら、意識を向ける。
白のシャツに赤のベストと紺のベストを交互に当てて見繕われていた彼の横に立つ女性――
眼の下の隈はなく、いつもの美貌に戻ったキャスターは聴いてもいないことを告げてくる。
感無量、とはこのことだろうか。幸せそうに、愛でるかのような眼差しで。
安い幸せだなあと士郎は胸中で呟いていた。あくまでも胸中。口に出しようものならば、キャスターが持つ不思議剣、ルールブレイカーでバラバラに切り刻まれそうだった。放っておけば、そのうち鼻血でも勝手に垂らして倒れもするだろうかと適当に考えながら。
「あはー、いいわねぇ。いいわ。やっぱり可愛い子が可愛い服を着るのはたまらないわ……くあーっ、ああもぅ押し倒したい……」
言って、頬に手を当てウットリとした表情で眺めるキャスター。あげくは、作ったわたしがすばらしいわ。自分自身の才能が恐ろしいわと漏らしている。
「…………」
げんなりした表情の士郎は――キャスターが口にした最後の台詞を特に――聴かなかった振りをして顔を背けていた。
眼の前では、キャスターが製作したメイド服に袖を通した女生徒たち。
日常的に胴着などの格好に見慣れている箒はメイド服姿。口を開かずに立っている限りは清楚なメイドと見れるだろう。
メニュー品のチョコレート菓子をぽりぽり齧りながら準備に取りかかるラウラ。そのラウラから「何で勝手に食べてるのさ」と菓子を取り上げるシャルロット。
当たり前のようにキッチンに入ろうとして、すぐさま鷹月静寐に追い返されるセシリア。
箒と違い、三人の専用機持ちたちが纏う格好は大正浪漫漂う矢絣柄の袴姿。他の生徒も何人かは袴姿でいるのだが、やはりこの三人は特に目立つ。和と洋を合わせた姿となればなおさらだろう。
だが、だからと言って他の生徒が陰になるのかといえばそうではない。
個々による「個性」など様々だ。
タイツに包まれた脚線美。しなやかなスタイルで存在を示す者や、メイド服や袴服に映えるような艶やかな髪を持つ者、または雰囲気だけでこれでもかと十分アピールする者など、それこそ多種多様に揃っている。
IS操縦技術では専用機持ちに劣る彼女たちとて、今この場では、一個人のメイドとしての存在は決して負けて劣ることはない。
もっと言い方を変えれば、生徒ひとりひとりが輝いていると言えよう。
一同を目にしてキャスターの頬はだらしなく緩んでいる。口元を伝うよだれを白衣の裾で拭いながら。
「桃源郷とはこのことだったのね……天国に近い場所を見つけたわ」
「……前に『ヴァルハラ』がなんたら言ってなかったか? まぁいいけれど……確かにこれはちょっとお眼にかかれないものではあるよな」
キャスターほどではないが、士郎とて理解している。ここがとんでもない『楽園』と化しているのを。
黒タイツ姿の生徒もいれば、白タイツの姿の生徒もいる。
「なあ、色が違うのは何か意味があるのか?」
『こだわりよ!!』
「……こだわり?」
『こだわり!!』
何気なく訊ねてみれば、女生徒たちからそう真顔で力説されたのがついさっきのこと。
はあ、そういうものなのかと圧倒されたが――わきに立つセイバーだったら、とつい思わず考えてしまう。
導き出された「答え」は――
「……ふむ。なるほど、確かにこれはこだわりだ」
腕さえ組み、うんうんとひとり頷き納得する。
想像対象にしていたそのセイバーは静寐に呼ばれてキッチンの方へと歩み寄っていた。
そうこうしているうちに、キャスターは黛薫子に負けず劣らずの腕前により、被写体をカメラにおさめ続けている。
士郎の執事服も決まったようで、赤のズボンに赤のベスト、首もとは赤のリボンに落ち着いていた。我ながらいい仕事したわといわんばかりにナギとさやかは満足したように笑みを浮かべている。
赤一色で派手じゃないかと訊ねてみるのだが、ふたりは瞬時に「そんなことはない」と力説する。
「衛宮くんは『赤』が似合うの!」
「イメージカラー!」
「…………」
士郎は無言。『赤一色』ともなれば、否応なしにまさに『
抵抗はあるのだが――しかし、そうまで言われては、せっかくの好意を無下するには心苦しく、断るわけにも行かず素直に頷いていた。なによりも、ナギとさやかは楽しそうにしているのだから。
周囲に視線を向けてみれば生徒たちもノリがよく、皆、キャスターの求めるポーズに快く応じていた。
ぱしゃぱしゃかしゃりかしゃりと機械音とシャッター音が鳴る。
「いいわよ! もっといやらしく! 最高――今のアングル最高よ! 目線をこちらに――そう! そうよ!」
言って、床に這い蹲り、またはごろごろと寝転がりながらカメラを向けるキャスター。
前言撤回。生徒たちも悪ノリしすぎである。
ごろごろと転がってなにを撮ろうとしているんだお前は――そう口を開きかけた士郎だったが、それよりも早く別の第三者の声音が割って入る。
「……何をしているんだ貴様は」
声の方を振り返れば、呆れた顔をした千冬が立っていた。千冬は周囲に視線を向け――はあと溜め息をついていた。生徒たちは皆メイド服に身を包んでいる。真耶さえも同様に。視界で目立つのはシャルロット、ラウラ、セシリアの袴姿。色合い的に一際眼を惹かれたのはセイバーだった。彼女に至ってはなぜか紅白を基調とした巫女装束だった。
頭を痛めながら、千冬は息を吐く。キャスターが関わっていると知った途端に許可を出すかどうかは本気で悩んだものだった。何かよからぬことを企てているのではないかと邪推したために。
結果的には生徒たちも楽しんでいるならばとやむを得ず許可したものなのだが。
こんなことになるならば、是が非でも不許可にしていた方がマシだったなと今更ながらに後悔の念に駆られていた。
「全く……山田先生、あなたも何を一緒になってそんな格好をしているんだ?」
「あ、あはは……で、でも楽しいですよ? 織斑先生もご一緒にどうですか?」
「何を言っているんだ……」
生徒と同じようにメイド服姿の真耶は苦笑を浮かべ、千冬は呆れて溜め息を漏らす。
と――
むくりと起き上がり、キャスターがじっと此方を見入っていることに千冬は気づいていた。
「……なんだ?」
「『なんだ』とは此方の台詞よ……なぜ、着ていないの?」
千冬の格好はいつもの黒のスーツに黒のタイトスカート姿だ。
信じられないといった風貌でキャスター。その肩はふるふると震えている。
着ていない、とはキャスターが作ったメイド服だ。朝方、職員室の千冬の机の上においていたはずなのに――
「誰が着るかあんなもの。くだらん」
瞬間、千冬の腰にキャスターは抱きついていた。
きゃあと上がる黄色い歓声。
「禁断の恋!?」
「うらやましいっ!」
はしゃぐ周囲を千冬は「馬鹿か」と一喝する。
刹那――
「お姉さま! わたしも!」
「教官! わたしも!」
どさくさに紛れて自分たちもと抱きつこうとする、四十院神楽と岸原理子、ラウラ。だが、千冬の繰り出した拳骨が振り下ろされ、簡単に三人を撃沈させていた。
頭にぷくりとこぶをこしらえ、些か涙目になってすごすごと下がるラウラたち。
「なにをやってるのさ」
「…………」
呆れるシャルロットの声に戻ったラウラはしゅんとしたまま言葉もない。
馬鹿どもが、と役に立たない生徒に声を漏らした千冬は――ぽかんとしたまま立っている士郎へ視線が向けられていた。
キャスターの顔を押さえ込み、腰にしがみつく相手の腕力が想像以上に強いことに困惑しながら――
「衛宮! コイツを引き剥がせ!」
千冬の声音に我に返ったのか、頷き士郎はキャスターの肩に触れた途端、音速を超えた右フックは彼の側頭部を的確に捉え吹き飛ばす。
力技で黙らせられたとは、士郎は思いもしない。判断する暇すら与えられず、捻りさえ加わった殴打――頭部に伝わる衝撃により、意識は瞬時に刈り取られていたのだから。
「がはっ――」
意識がないのに口腔からは叫びが漏れる。
「シロウーッ!?」
静寐の試食に付き合っていたセイバーは瞬時にキッチンから駆けていた。
きりもみ状に跳ね飛ばされる士郎を落下寸前に受け止め、一発で昏倒したマスターを抱き起こすセイバーを見もせずに、奇行に走るキャスターは続けていた。
「離れろ!」
「いいじゃないの! あなたも教師の端くれなら、生徒と一緒に楽しんだっていいじゃない! 人間だもの!」
「黙れ! 何が端くれだ! いい加減に離れろと――ドコを触っているっ!?」
「中身はともかく、素体だけはいいのだから!」
「無駄に失礼なことを言ってくれるな貴様は!」
両手でキャスターの顔を押さえつけ、ぐぐぐと剥がしにかかる千冬。
だが――
意外にも、キャスターはすんなりと引き下がっていた。
「ええそうね。無理強いをするのはよくないものよね」
言って、千冬から離れると服についた埃をぱたぱたと払う。
先までの態度はなんだったのか。
素直すぎて逆に拍子抜けであり、あまりにも気持ちが悪い。
「…………」
用心深くうかがっていた千冬に、にこりと微笑み「時間を取らせたわね」と言ってキャスターは踵を返す。
そのまま――
「裸エプロン」
去り際にぼそりと呟いていた。
「――っ!?」
それを耳敏く捉えていたのは、何を隠そう当の千冬。
飛びかからんばかりの勢いでキャスターの肩を掴み振り向かせると、瞬く間に胸倉を掴み締め上げていた。
「あらあら、苦しいわ」
平然と応えながらも、だが視線は敢えてそらしキャスター。
「き、貴様……」
小さい声音――眼の前の相手にのみ聴こえる声量で――言うに言えず、あの写真をまだ隠し持っているのかと眼が訴える。
ようやくして、キャスターは千冬を真正面に捉えていた。
「何のことかしら? あの時、わたしは全てを渡したわよ? 信じる信じないはあなたの勝手。わたしからはそれ以上はなにも言わないわよ?」
「……何が目的だ」
「その言い方だと、まるでわたしがあなたを脅しているみたいじゃない。心外だわ。他意なんてないのだけれど?」
わかったのならそろそろ手を離してもらえるかしら、と告げるキャスター。真顔ではあるが、その瞳の奥には愉快そうな色が滲む。何かを企んでいるのが容易に知り得た。
「…………」
掴んでいた手を離し千冬。乱れたスーツを整えるキャスターにしかめっ面のまま訊ねていた。
「で? わたしに何を着せる気だ? おかしなものなら張り倒すぞ?」
「あら? 着てくれるの? どういう風の吹き回しかしら」
「……狸が」
「わかってるわよ。じゃ、裸エプロンで――」
「お前の耳も飾りか!?」
言って、千冬は再びキャスターを締め上げていた。
交差した腕で首を絞められているというのに、苦しむ素振りも見せず、さらりと口を開いていた。
「あなたこそ何を言っているの? 客寄せには最高じゃないの。『ブリュンヒルデ』織斑千冬の痴女――意外な一面が見れて」
「貴様、今、本心を漏らしていながら何を言い直している!?」
「冗談よ。ちゃんとまともなのを着てもらうわよ。下着の上にワイシャツ羽織っただけの格好でネコミミなんてどう?」
「馬鹿か」
「『ギャップ萌え』って言葉、ご存知かしら?」
「知るか」
「『ちふゆたん恥ずかしいお』て言ってみて。なるべく馬鹿っぽく」
「死ね」
「じゃあ『ちふゆたんガッカリだお』でもいいわよ? さん、はい!」
「音頭を取られても言うはずがなかろう!? 張り倒すぞっ!?」
「おお、こわいこわい」
鋭く一喝し、千冬は絞める力をより一層こめていた。
復活した士郎は椅子に座り水を飲んでいた。
「大丈夫ですか。シロウ?」
「ああ、大丈夫だセイバー、これぐらいはなんともないよ」
改めて巫女服姿のセイバーを前にした士郎は直視することができずに視線をそらしていた。
白い小袖に緋袴、コスプレとはいえ、衣装に関してはキャスターは一切の妥協はしない。そんじょそこらの神社に劣らぬほどの立派であり精細な作り。まるでこの衣装自体が何かの神具であるかと言い過ぎるほどに。それほどまでに、綺麗な彼女が神道たる装束に身を包んだことに、より神秘的な美しさを感じていた。
今のこの季節、紅葉舞い散る境内や水の澄み渡った湖がバックにでもなれば、それはそれはさぞや絵になるはずだろう。
「?……どうかしましたか、シロウ」
「うん、ちょっと考え事。セイバーの格好見てたらさ、綺麗な湖とかがあったらなと思って」
「ハア? 湖……ですか?」
首を傾げる姿を見る限り、どうやら意味がわかっていないみたいだが、ここでセイバーの姿があまりにも美しかったからと改めて口にするのは恥ずかしかったし、タイミングが悪い。
だからほんの少しの言いわけと本音を伝えることにする。
「ああ、湖だ。セイバーは海は見たことあっても大きな湖は見に行ったことないだろ? そのうち連れて行ってやりたいと思ってさ」
「なるほど。それで、ですか。しかし、シロウ、わたしとて湖ぐらいは見たことがあります。何よりもわたしの剣と鞘はそこから貰い受けたものですし、わたしの側近は『湖の騎士』と呼ばれていた」
「あ……!」
しまった――
そういえばと失言に気づく。セイバーの出生には、湖の貴婦人が大きくかかわっている。
湖ぐらい当然見たことがあるだろう。
忘れていたのですか、と腰に手を当てジト眼顔で呆れられる。
「……面目ない」
素直にそう謝ると、彼女は困ったものですねと漏らし――
「それでも、あなたとふたりで見に行ったことはありませんでしたね。わたしも、いつか……シロウ、ふたりで見に行きたい」
言って、セイバーはそう笑ってくれていた。
「っ――」
咄嗟に身体ごと背けると、片手で顔を覆っていた。
やばい――
彼の顔は瞬時に熱を帯び火照ることだろう。セイバーの今の一言と笑みを浮かべた表情は、不意打ち過ぎるにも程がある。
意識を敢えて変えるように、今一度、士郎は恥ずかしさに震える手でコップを取り、水を口に含んでいた。程よい冷水は思考を鮮明にし、ドキドキとした感情も落ち着かせていた。
「ま、まあ、アレだよ……ええと……キャスターにも困ったもんだよなぁ」
まさか殴り倒されるとは思わなかったけれどなと苦笑を浮かべながら――士郎の視線は、とある方へと向けられていた。
セイバーもつられてそちらを見て、同じように苦笑を浮かべるしかなかった。
視線の先――
空き教室で着替えさせられた千冬のお披露目と化した一角。
「ちょっと、歩きにくいのだけれど」
うんざりとした顔をしたキャスターのスーツの裾を掴んだ千冬は、片手は自身が纏うメイド服のスカートを押さえていた。
「しゃんとなさいな」
「か、勝手なことを言うな!」
指摘に対して千冬は顔を赤らめて反論することしかできなかった。きゃいきゃいと黄色い声に包まれていること自体も堪えられなかった。
「お、おい、このスカートの丈は短すぎないか?」
「何を言っているのよ。そんなことないわよ。それぐらい普通よ」
「こ、これで普通なのか? 下手に動くと、その……し、下着が見えそうなのだが……」
「普通よ」
何も問題ないわと真顔のまま応えるキャスター。だが、それは真っ赤な嘘だ。千冬用に渡したメイド服だけは明らかにスカートの丈は他のものよりも短くなっている。
太ももには白タイツ。頭にはフリルのカチューシャ。生徒たちと比べて白の割合が多いメイド服に身を包んだ千冬は恥ずかしそうに俯いている。
普段黒ばかりの格好が眼につく千冬を敢えて「白」を基調としたコーディネートに統一したのはキャスターの目論見だ。
「う、ううぅ……脚がすうすうする……」
穿きなれないミニスカートなどいつ以来だろうか。
千冬自身は戸惑いと羞恥の二種の感情に支配されている。
常日頃、凛とした態度の自分がこのようなひらひらした格好を身に纏うなど、どのように想像できようか。
(くっ……こんなことならば執事服の方を頑なに通せばよかった……)
空き教室に連れられ、キャスターを前に矢継ぎ早に言いくるめられ、あれよあれよと気がつけばメイド服を着せられていた。
(よりにもよって……こ、こんな破廉恥まがいな、か、格好を……わた、わたしがするだと……それに……か、風でも吹いたら、め、めくれそうじゃないか……)
確か此方も逐一反論していたはずだが、結果的にはキャスターの巧みな弁舌には太刀打ちできなかった。
執事服なら下半身はズボンであり、いつもの千冬らしく振舞い、まだ落ち着いていられるというのに――
普段では決してありえなく、また絶対に見ることができない姿。クラス生徒からは歓声が上がっていた。
「可愛いですよ、織斑先生」
「素敵っ!」
「お姉さま! 一生ついていきます!」
真耶や生徒たちの千冬へ対する信仰心は更に高まり、団結力も増していた。
「ほら、士郎くん、なにをひとり『やれやれ、まったく……』という感じに冷めてるつもり? あなたも織斑先生を見た感想を言ってみなさいな」
「え?」
キャスターに唐突に話をふられて士郎は困惑していた。
別に距離を置いて冷めているつもりはない。ランサーやキャスターほどではないが、彼とて学園祭は相応に楽しんでいるつもりはある。
何かを皆と一緒になって楽しむのは好きなことだ。
関係ないが、ちなみにランサーはここにはいない。燕尾服の姿のまま彼は適当に学園内をふらついている。
段取る打ち合わせがあるのに勝手に出て行って、と半ば呆れた相川清香と谷本癒子、布仏本音がランサー捕縛のため同様に席をはずしている。
下手に姿をさらして混雑が増されても困ってしまう。事実、先日三人が各々執事姿で過ごした結果、相応の反響がクラスに寄せられていた。
「あの格好はなに?」
「一年一組はホストクラブなの?」
クラス女子の遊び半分で過ごさせた結果が思わぬ波紋を呼び寄せる。
同学年から二年生、三年生まで。果ては教師陣からも。無駄に対応に追われて疲労することに困ったクラス生徒は、これ以上余計な情報を与えないために三人の男性に学園祭当日まで一切余計な行動に出ないようにと釘を刺していたのだが。
物の見事にランサーはその厳令をぶち破っていた。故に、廊下には既に他クラスの者と思われる幾人かのざわざわとした気配が感じられるほどに。一部は千冬のメイド姿を目撃したという情報をもとに現れた者もいるだろう。
人の入りによって賑うことは悪いことではない。喫茶店ともなれば、人入りがなければやっている意味もない。だがしかし、何事にも物の手順というものは存在する。それを無視して行き当たりばったりで進めるわけにもいかないものがある。
未だ清香、癒子、本音の捕縛チームは戻ってきていない。それほどまでに、捕縛対象者は勝手気ままにどこかをほっつき歩いているのだろう。
なにはさておき――
恨みがましく此方を睨んでくる千冬に、士郎は胸中でひとり呟く。
(なんでさ? 何で俺が睨まれるのさ?)
ほらとキャスターに催促されると、士郎は思うがままを口にする。
「まあ、俺なんかが言っていいのかどうかわからないですけれど……普段のスーツ姿と違って、今の織斑先生は仕草のひとつひとつが新鮮で、すごく可愛いと思いますよ。織斑先生は魅力的な女性なんですから、もっとお洒落してもいいんじゃないですか? 勿体無いですし……なぁ?」
言って士郎はセイバーに同意を求める。
セイバーもまたこくりと頷き、改めて千冬に向き直っていた。
「わたしも同感です。凛々しいチフユもそれはそれで人を惹き寄せ魅力的ではありますが、今のあなたはとても愛らしい。ふふ、チャーミングですよ?」
「――っ」
ふたりにそう褒められた千冬は顔を赤らめ俯くだけ。だが、「からかうな」と反論はしておく彼女。その声音にはいつもの威厳さは含まれていない。
にんまりとした笑みを浮かべ、目元も意地悪そうな表情のキャスターの指先がとある箇所へ向けられていた。
「それに、弟さんもまんざらでもないようだし」
「…………」
一夏も姉のメイド服姿などまさか御眼にかかれるとは思っていなかった。故に、臨海学校での水着姿の時と同様に、見とれていた、というのも仕方がないことだろう。
だが、一夏がとある女性のみを若干頬を染め、熱い視線で見つめている姿は、ごく一部のある連中にしてみれば面白くもなんともない。
つまりはどういうことかといえば――箒、セシリア、シャルロット、ラウラの四人はすこぶる機嫌が悪かった。
着替えた四人は一目散に一夏のもとに馳せ参じ、各々の姿を披露したのだが――それ以上反応を示してくれなかったのだ。千冬のようにじっと見入ることもしてくれない。
箒に対しては――
「へぇ、いいな」
セシリアに対しては――
「和服姿もなかなかだ」
シャルロットに対しては――
「似合ってるぞ」
ラウラに対しては――
「袴服でもナイフは携帯しているんだな」
なんというか、言葉足りなくあまりにも淡白すぎるものであろう。ラウラに至っては認識しているものすらずれている始末だ。
彼女たちにしてみれば、その一言で終わるというのは残念でしかない。心情は寂しいものがある。
褒められている、というのは彼女たちとてわかっている。だが、もっとこう……想い人の前であれば自分をもっと見てほしいものであり、褒めてもらいたい。それが普段と違う格好であれば尚更と捉えるものは少しばかりわがままとなっても致し方あるまい。
何も必要以上に持ち上げろと望んでいるわけではない。
今の風体を事細かに絶賛し、心から称賛しろ、というつもりもない。言葉は悪いが鈍感な一夏に四人は相応な気の利いた褒め言葉など期待はしていない。
確かに「綺麗」「可愛い」「美しい」といった言葉をかけられるのは嬉しいものだ、だがそれは美醜についてのもの。着眼点はそこでなくても多様にあろう。
例えば雰囲気。優雅、品、美麗といったものを絡めて。
次に動作。些細なものすら対象に汲まれてもおかしいことではない。話す仕草、笑い方、歩き方など。
さらには感覚に至る、楽しいといったものまで。褒め言葉など豊富にあるものだ。
何よりも四人は恋する乙女たちである。端的に言えば、日常で頻繁に着る機会のない格好なのだ、見た目をより口にしてもらえるだけで彼女たちの心は躍るのだったのだが……
現実は望んだように行くはずもない。
大事なのは、一夏が女性のさまざまな魅力にどれだけ関心を持っているかが重要であるため、褒めることに然したる抵抗がないことイコールそれほど興味がない、と四人はそう結論付けていた。
これが士郎ならばと怨嗟のこもった双眸が向けられる。恨み、辛み、妬み、嫉み……ほとんど八つ当たりでしかない。
セイバーへかける言葉は、四人が本来望んでいたものだ。「綺麗だ」「可愛い」「普段の姿もいいけれど、その格好も可憐だよ」と。セイバーも士郎からの言葉にまんざらでもなく頬を赤らめている姿が、やはり口惜しい。
「わたしはわたしは?」
「どうどう? 衛宮くん?」
千冬とセイバーへの賛辞を眼にしていた女子たちも、わたしも褒めて誉めてとわらわらと詰め寄り士郎を困惑させていた。
「憎悪の視線で人が殺せるならば……」
物騒なことを口にしながらセシリアはハンカチを口にくわえ忌々しそうに呻いていた。箒、シャルロット、ラウラの三人も舌打ちをしながら親指の爪を噛んで似たような表情をしていたのは仕方のないことだろう。
「い、いやらしい眼で見るな織斑!」
一夏の視線に気づいた千冬は、照れ隠しに弟を罵倒する。刹那、我慢の限界を迎えたのか、「破廉恥だ」「馬鹿嫁が」と難癖をつけた箒とラウラに腹を蹴り上げられた一夏は「理不尽だ」と叫ぶことになるのだが。
と――
かしゃり、と機械音が鳴る。慌てて千冬は音のした方に視線を向け――睨みつけていた。
「な、何を撮っているんだ貴様は!」
「あら、ついうっかり」
カメラ片手に肩を竦ませ、キャスターはとぼけて見せるが素知らぬ顔だ。確信犯であろう。
なんにせよ、こうして学園祭は始まったのだった。
IS学園の敷地内に生い茂る樹々は色づき、もえるような紅葉は人々の眼を魅了し心を楽しませる秋――
何気なく眺めていた布仏虚は無言のまま。
楽しむには申し分ない。落葉も後始末は大変であるが、それらに関しては昨夜の時点までに、眼につくものは士郎があらかた片付けていた。とは言え、当たり前とはなるが、全てを、ではない。一度掃除したところを風に吹かれたものや自然に落下した葉々までは手が回らない。
無論、広大な敷地を彼ひとりが管理しているわけもなく、あくまでも学園祭を迎える上で、来場する人々の通りの邪魔にならないように掃除しているだけ。尤も、士郎ならばやるからには数日前から徹底的に手をつける。そうまでしなくていい、とは楯無や真耶に言われたため。
竹箒を片手に持った士郎と、手伝いのつもりなのか妹の本音も一緒になって石畳を掃除する姿を虚自身も見たことがある。ついでに言えば、落ち葉で焼き芋を作っていたのも知っている。何故知っているのかといえば、虚の存在に気づいた士郎に誘われて仲良く焼き芋を食したからなのだが。
もとより毎日清掃に入る業者によって酷く目立つものは既に処理されている。先日も士郎が個人的に行った草むしりと同じではあるが、気になったところがあったから片付けているという程度。
赤々とした紅葉から視線を逸らし、虚は他の教員と同じように仕事に戻っていた。
IS学園正面ゲートで来場する人々のチケットをチェックする。それは、偽造されたチケットで入場する者がいないか確認するためでもある。
不意に――
「こんにちは!」
たたたと駆け寄り、元気よく挨拶してくる少女に虚もつられて微笑んでいた。
「はい、こんにちは。チケット見せてもらってもいい?」
「はーい。お姉さん、お願いします」
「お利口さんね。お名前は?」
「ネロ。ネロ・ジラソーレ」
言って、少女はポケットから学園祭の招待券を手渡していた。
それを受け取り眼を通す虚。招待者の名前を確認し、本物であり問題はない。屈み、ありがとう、と一言告げて少女へチケットを返していた。
「ネロちゃんね。今日は楽しんで行ってね」
「うん」
にこりと笑うネロの頭を優しく撫でる。「えへへ」と笑う少女に――虚は直ぐにあることに気づいていた。
「ひとりで来たの?」
まさかこんな小さな女の子がひとりで学園祭に来たのかと不思議に思う。だが、その心配は杞憂に終わった。
ううんと首を振るネロ。
「おねーちゃんと来たの」
「お姉ちゃん?」
首を傾げる虚。もしかしたら迷子かしらと脳裏をよぎるが――唐突に声がかけられていた。
「ネロ」
「…………」
声の方を振り返れば、サングラスにスーツ姿の女性が足早に駆けて来た。
スーツの女性は、こつんと少女の頭を小突く。
「勝手にはぐれてはダメでしょう」
「えへへ、ごめんなさーい」
小さくペロと舌を出すネロ。
「全く……ご迷惑をおかけしました」
言って、女性は向き直り頭を下げる。虚も慌てて立ち上がっていた。
「ああ、いえ、全然……ネロちゃんのお姉さんですか?」
「ええ。申し遅れました。わたくし、こういう者です」
サングラスをはずし、にこやかな笑みを浮かべた女性はスーツの内側から学園祭の招待チケットと一枚の名刺を取り出し虚へと渡す。
素直に受け取った虚が視線を落とした名刺に印刷された文字、篠原重工IS技術開発局第一課主任レディ・ブルックリン――
「本日はお招きいただきましてありがとうございます。この子はどうにもお祭り事が大好きなものでして……眼を離すと直ぐどこかに行ってしまいましてね」
困ったものです、と女性は嘆息する。
苦笑を浮かべる相手に、虚もその胸中は理解できる。自分にも手のかかる妹がひとりいるのだから。
貰った名刺はポケットへ、チケットは返し虚は微笑んでいた。
「ネロちゃんと一緒に、今日はぜひ楽しんでいってください」
「ええ」
「ばいばーい」
手を振るネロに、虚もまた手を振り返していた。ふたりの姿を見送り――
正面ゲート前でひとり笑みを浮かべて立つ少年に視線が停まる。赤い髪にバンダナ姿、どこかおしゃれな服を着た男子。
にやけた顔を見て、一目見て、虚にとっては不審者と捉えていた。
眼鏡をかけ直し、彼女は少年へと歩み寄っていた。
まさか、正面から堂々と入るとはオータムは思っていなかった。
学園祭で催される各イベント用に運ばれる資材にでも紛れて潜入するのが手っ取り早いと考えていただけに、スコールの提案は拍子抜けだった。
渡された学園祭のチケットは本物であり、偽造品ではない。一体何処から手配したのか訊ねてみれば、スコールは「ヒミツ」と意味深に妖しく笑うだけだった。チケットの配布者の欄に打たれた名前は彼女の知らない相手だ。
オータムすら知り得ない人脈のパイプ――もしかしたら、IS学園内部に同胞が紛れているのかと怪しんでみたのだが、すぐに考えるのをやめていた。自分が今あれこれ考察してもどうにもならない。
IS学園には各国家の生徒や要人が出入りするために厳重にチェックする監視カメラが至る所に完備されている。それら全てを把握しているわけでもなく、無駄に顔を知られるのは考えものではないかと思案するオータムだが、敢えて真正面から挑むというのがスコールのもの。彼女なりの意図して考えるものがあるならば、例えオータムに思うところがあろうとも従うのみ。それほどまでにスコールを信頼しているといえる。
あげくはサンシーカーに対して、めいっぱい楽しんできなさいとさえ告げていた。
別にこそこそする必要はないものねと言うスコールに、キャッキャとはしゃぎ喜ぶサンシーカーとは逆に、オータムは顔を引きつらせていたのだが。
「たまには羽を伸ばすのもいいじゃない?」
「コイツに関しては、年がら年中、羽伸ばしまくりじゃないか?」
疲れたように言うオータムの指摘に、スコールは「あらあら、コイツ呼ばわりは酷いわね」とおどけて見せると優しく笑うだけだった。
「サニ、オータムをお願いね」
「はーい」
「おい、そりゃわたしの台詞だろ?」
ガキのお守りをさせられるのはわたしだぞ、とオータムは非難がましくスコールを睨む。
今の今まで三人の会話を耳にしていたホークアイはひとり自分のペースを崩さない。やり取りを耳にしていながらも、一切口を挟まず、話に参加もせずに、無言のまま読み耽る書物の頁を静かにぺらりと捲っていた。
昨日のことを思い出しながら――
「馬鹿どもが……呑気に浮かれやがって」
視界に映る行き交う人々、喧騒に、自然と苛立ちが募ったオータムは悪態をつく。
ここら一帯を吹き飛ばしでもすれば、少しばかりは溜飲が下がるだろう。何も知らずにのほほんと過ごす連中に癇癪を起こし――
そんな彼女の考えを遮るように、横には音もなく歩み寄っていたスーツ姿にサングラスの女性――レディ・ブルックリンが声をかけていた。
「オータム、顔」
「ちっ……」
虚の前で見せた饒舌な姿とは違い、言葉少ない今の姿こそ本来の素のスタイル。
レディ・ブルックリンの指摘に、オータム――巻紙礼子は掌を口に当てると崩れた微笑を取り繕っていた。
キャリアウーマン然とした格好のまま歩くふたり。
スコールから受け取ったチケットですんなりと学園内に入ることができた三人ではあるが、周囲をあふれる人の波に紛れ歩を進める。
気楽な気分で行き交う人混みの中を――だが、巻紙礼子とレディ・ブルックリンは油断なく伺っていた。
「…………」
人が多いとは言え、学園警護の人間を等間隔に眼にしていた。相応に監視の名目で人員を配置しているのだろう。
思わず口元を微笑とは違う歪みが生じる。
「手筈通りだ。お前らは指示があるまで待機しとけよ」
「了解」
淡々と応えるレディ・ブルックリンの声に頷く巻紙礼子だが――もうひとりの返答がないことに不思議がり、歩みを止めて振り帰り――言葉を失う。
ネロ・ジラソーレの姿がない。
つい先まで、横について歩いていたはずだというのに。どこかへはぐれたのか、その後姿すら見かけない。
「あの馬鹿……」
ちょろちょろ動きやがって、と悪態をつくが、計画は予定通りに遂行せねばならない。頭が痛い巻紙礼子だったが、レディ・ブルックリンは片手で制していた。
「クソガキが」
「……サニは、わたしが探す。オータムは予定通りに」
「ったく……どうせ食いモンにでもつられてんだろ。そっちは任せるぞ」
巻紙礼子の言葉に、レディ・ブルックリンはこくりと頷いていた。