I.S.F インフィニット・ストラトス×Fate 作:ボイス
「30」部分は関係がありません。
とある週末の夜――
ある程度の書類処理を終えた千冬は、IS学園での自室ともなる寮長室で一息ついていた。
凝った肩をほぐしながら、ふと何気なく時計を見れば、午後の11時半ばを過ぎている。
(小腹が空いたな……)
冷蔵庫にはつまめる食材はなにもない。あるのは酒類のみ。弟の一夏が見れば呆れるだけ。とても一教師とは思えぬものぐさぶりである。
「…………」
意識すれば余計に腹が減る。こんな時間では寮食堂など当然やっているはずもない。
自炊など無論無理。何より先も述べたが食材が一切ない。
遅い時間ではあるが、思いついた次いでとばかりに、今から外出でもして近くのコンビニエンスストアまで行ってこようかと立ち上がりかけ――唐突に、彼女はドアをノックされた音に気づいていた。
(こんな時間に誰だ?)
不審に思いながら――
もしや、一夏か士郎が夜食を作ってきてくれたのかと脳裏を過ぎるが、すぐにあるわけがないなと却下する。晩い時間も時間であり、何よりふたりがそこまで気が利くとは思えなかったからだ。
だが、少しばかりは『ひょっとしたら』と思うところはある。獣耳が生えていれば、千冬は間違いなく狼だろう。耳はぴこぴこ忙しなく動き、尾っぽもばさりばさりと揺れることだ。
故に、ちょっとばかりの淡い期待を胸に秘め、少しばかり浮かれながら――寮長室の扉を勢いよく開き、千冬は無言になっていた。
そのちょっとばかりの淡い期待は見事に粉砕されていた。シャルロットの愛機ISの切り札、69口径パイルバンカー『灰色の鱗殻』を叩き込まれたかのように。
訪問した相手の顔を見て、彼女は眉を寄せ、瞬時に嫌そうな表情を浮かべていた。眼の前に立っているのは、陽気に片手を挙げたランサーだった。
「おーう、吊り眼のねーちゃん、飲もうや」
「…………」
相手の落胆振りもなんのその。ランサーは全く気にもしていない。
手にした幾つものビニール袋から覗くのは酒の類。近くのコンビニエンスストアから買い漁ってきたのだろう。袋の膨らみ具合から瓶や缶の量が半端ではなかった。とてもふたりで飲む分ではないのが窺い知れる。
それ以前に、千冬の目線が捕らえていたのはランサーにではない。彼の背後に立つ真耶に向けられていた。
真耶も見据えられる双眸に申し訳無さそうに身体を竦め萎縮する。苦笑を浮かべながら。
千冬の視線の意味に気づいたのだろう。ランサーは、やめとけやめとけと手を振っていた。
「待て待て。俺が誘ったんだ。眼鏡のねーちゃんに非はねーぞ」
「…………」
しばし無言の千冬だったが、「帰れ」と一言残し扉を閉めようとする。
――だが。
「しゃーねーな。眼鏡のねーちゃん、ふたりで飲むか」
「は、はい」
そんな会話を耳に捕らえ――
閉まりかけていたドアが再度勢いよく開かれた。ギロリと睨む千冬。
真耶とふたりきりにさせるとなれば、この男は一体何をするのかわからない。真耶も真耶とて持ち前の性格上断りもしないだろう。
下手にランサーとふたりきりにして、馬鹿な間違いを起こされても困る。
「……入れ」
結果、千冬が下した判断は――不承不承、招き入れるしかなかった。
「セイバーが言っていた通り、綺麗なモンだな」
部屋に通されるなり、ランサーは開口一番そう告げた。
「――っ」
何気なく背後で呟かれた声音に、瞬時に振り返りランサーに視線を向ければ、ニヤリと笑みを浮かべている彼。真耶はわからずきょとんとしている。
彼の笑みが意味するものは、間違いなく千冬のマイナス面を知っている顔だ。
部屋に関しては、昨日一夏が片付けている。一日経ってはいるが、部屋はまだ通常を維持している。阿鼻叫喚の魔界化は『まだ』していない。
「――くっ」
反論するに反論できず、口を開くが言葉は出ない。
ランサーも千冬の心情を手に取るようにわかっていながら、それ以上は口にしない。眼だけが「なんにも言わねーよ」と物語っていた。
ふたりに適当に座れと言うと、千冬は差し出されていたビニール袋を半ばひったくるように受け取っていた。不貞腐れながらも礼を述べて早速ビールに手をつける。
ムスッとした仏頂面の相手に対し、なんなら小僧たちも誘うか、とランサーは告げていた。小僧とは、当然一夏たちのことだろう。だが、千冬は額に指を当てて嘆息を漏らす。
「未成年に飲酒を強要させる馬鹿がいるか?」
仮にも教師が生徒に対して酒飲みに誘うのが常識か考えろ、と千冬に言われるのだが、ランサーはどこ吹く風か全く聴いてはいない。
「酒なんて水みてぇなモンだろ? ちっとばかし見逃したっていいじゃねーかよ」
「いいわけなかろう。まったく……」
此方を疲れさせる奴だと一言漏らし、千冬は手渡された弁当を口にしていた。
腹が減っていたのは否めない。ランサーが買ってきて出したのは酒類だけではなかった。ちょっとした弁当の類もある。それを千冬が食したのは言うまでもない。
テーブルに散乱する酒の残骸。強いアルコールの香りが部屋に漂う。
定番のビールなど言うに及ばず。ワインにウイスキー、ブランデー。日本酒、焼酎、ウオッカなどなど。
酒の肴の燻製類、チョコレートといった菓子類まである。
三人も居ればアルコールの消費ペースなど早まるものだ。特に、真耶は飲むペースがふたりを上回っていた。
最初は嫌々な表情を浮かべていた千冬ではあったが、時間が経つごとに、次第にその頬には若干ではあるが赤みが増していた。
「家飲みもいいモンだな」と声を漏らすランサーに深く訊けば、『バー・クレッシェンド』によく行くと言う。思わず耳を疑ったが、ひとりでふらりと脚を運ぶ事もあれば、真耶や榊原菜月、エドワース・フランシィらと一緒に行く事もあると平気で言いのけていた。あげく、バイト紛いにウェイターまでやっているという。
それが板につくほど似合っているというのは真耶の談。話半分に聴いていれば、携帯電話のカメラで撮った画像を見せられた。
そこには、言われるようにウェイター姿が様になったランサー。思わず似合いすぎて天職かと考えさせられたのは千冬にとっては余談だろう。
更に言えば、千冬はランサーの話術を知らない。ワイルドの中にダンディさがあるのだから。より多くのオーダーをとるのが巧い。その実力は確かに店の売り上げに貢献している。
顔を顰め――次いで、携帯電話からランサーへ視線を走らせ千冬は言う。
「お前は一体何をやっているんだ?」
本当に、コイツは何をやっているのだと千冬は頭が痛かった。自身の行きつけの場所で勝手な事をしてくれるなと胸中で呟きながら。
仮にも男性操縦者という立場上、何故に学園外でアルバイトなどしているのかがわからない。否、それよりも、IS学園の厳重なセキュリティを如何ほどに掻い潜り外へ出ているのかが千冬には到底理解できなかった。それもそのはずだろう。霊体化になり平然と外へ出ているなど非科学的な手段など思いもよらない。
ランサーの手合いを知ってはいるが、それでも彼を狙う国家、組織、機関はいる。ひとりとなれば好都合として強引な手段に打って出てくる輩がいないとは言い切れない。
(自分がどれ程の立場にいるのか、わかっているのかいないのか……)
千冬の思惑とは裏腹に、一夏、士郎、ランサーの中で、状況を一番理解しているのはランサーだ。その状況を知りえた上での行動。あきらかに面白おかしく楽しんでのものだ。それを千冬が知れば心労は更に絶えないだろう。
バーのマスターには気に入られて女客には好評なんだぜ、と聴いてもいない事を平気で言う。
千冬は頭が痛かった。だが、確実に思ったことはひとつ。バイトをするなとは強く言えないが、今度店に行った際には、マスターにそれとなく話をしておこうかと決めていた。
しかしながら、ランサーも千冬の考えを察したのだろう。
「おいおい、結構気に入ってんだ。唯一の楽しみと額に汗する収入源を潰さんでくれや。勝手に辞めさせられたらかなわんぜ」
彼の言い分は尤もであろう。理由はどうであれ、仕事はきっちりこなし、客受けはよい。売り上げも上々。それを千冬の個人的な一存で決める完全な正統性はない。問題としては、男性でのIS操縦者というところだろう。
変なところは的を得ているが、だが、そうであったとしてもアルバイトをするなどという話は、仮にも「IS学園生徒」として在籍している立場上、一応連絡ぐらいするべきだろうと告げておく。相手は十分な大人とは言えど、千冬はそれでいて担任教師となり、真耶は副担任教師なのだから。
「……確かにわたしの先行した考えは申し訳ない。だがな、お前はもっと自分の立場を考えろ。衛宮もそうだが……特にお前はそれなりの武術か何かを心得てはいるようだが、それはあくまでも生身のものだろう? よからぬ連中に眼を付けられた場合、素手でならば十分太刀打ちできるだろうが、極端な例え話をするが相手が銃でも持っていればどうにもならん。ISであれば尚更だ。それに、勝手に出歩かれて、何かあったとしたら此方で庇うことはできん」
「?」
千冬の口にした意味がわからず、きょとんとしたままのランサー。
――が。
合点が行き内容を理解したのか――くはっ、と声を漏らし、くつくつと笑う。ばんばんと自身の太ももを叩き彼。
「…………」
何を笑うところがあったのか、今度は逆に千冬が理解できなかった。些か不愉快そうな顔になる彼女を無視し、ひとしきり笑い――気が済んだのか――ようやくランサーは顔を上げていた。
「いやいや、悪ぃな。まさかアンタが俺らを『心配』するとは思わなかったモンでな。ああ、違うな。俺にも心配するとは思っちゃいなかったモンでね。つい笑っちまった。ちっとばかしこっちで思うことがあってよ、気を悪くせんでくれや」
「……フン」
ランサーにとって見れば、人間に我が身を心配されるとは思わなかっただけに以外であった。自身にとって、例え話であろうとも銃やISなど全く意味がないというのに。
だが、それは他ならぬサーヴァントとしての考えであり、人間であり、教師の身である千冬の心配は当然といえるものだ。
千冬の常識にランサーが当てはまらなければ、ランサー自身の常識に千冬は当てはまらないことになる。
ひさしく『心配』されることなど忘れていた。心配する側ではあれ、される側に回るとは思っていなかった。大方、男性操縦者としての立場を考えろ、との認識なのだろうとランサーは汲み取っていた。
(まぁ、コイツから見ればそうなるわな。俺の考えで勝手気ままに動きもすりゃ気が気でもねーか。坊主のことはセイバーとキャスターに任せとけば問題ねぇと楽観してたモンはあるしなぁ)
胸中で考えているように、士郎に関してはセイバーとキャスターが居れば問題はなかろうと踏まえていたものはある。とは言え、千冬の言い分もわからぬ彼ではない。
結果的には、勝手過ぎたものはあるなと考え直してはいる――果たして何処までが本心からのものかと議論すればまた変わりはするだろう――のだが。
「せっかくの忠告だ。考えてはおくさ」
「どうせ、話半分だろうがな……」
一言返すと千冬はビールを飲み干していた。所詮はただ酒だ。懐がランンサーからのものであれば遠慮もしない。片っ端から飲み尽くしてやると画策していたのだった。
いい飲みっぷりだと茶化しながらもランサーは空いたグラスにビールを注ぐ。満更でもなく千冬も注がれたビールを口にし飲み干していた。
頬杖をつき、にやにやとした笑みを浮かべて相手を見る。ランサーも千冬や真耶と同じように結構な量を既に飲んでいる。ウイスキーであれば割らずにストレートのまま。顔には一切出ていない。味がわからないわけではない。単に彼にとってはアルコールなど水と同じでしかない。
そうこうしているうちに、三人の中で早々に出来あがったのは、ひとりペース配分が先行していた真耶だった。
適度に酔いが回ったのかケラケラ笑い、眼は据わり、呂律の回らない口調で彼女はぺしぺしとテーブルを叩き、または横に座るランサーの額をぺちぺちと叩いていた。
ここぞとばかりに日常の不平不満をぶちまける。
やれ、織斑先生は厳しすぎる。弟の織斑くんには優しくない。
やれ、ランサーさんとセイバーさんはISをもっと丁寧に扱わなさ過ぎる。
やれ、生徒さんはわたしを教師と見ていない、と。
普段のおどおどする真耶とは思えぬ饒舌ぶり。酒の力とは恐ろしいものだ。何よりも本人の千冬を前にしても物怖じせずに言いたい事をハッキリと告げるのだから。
端的に言えば、酒癖が悪い。
酒臭い息を吐き、顔を紅くした真耶はランサーの肩に腕を回し絡んでいた。
「むふぅ……わたしだって、頑張ってるんですよぅ。頑張ってるんです……生徒の成長は見ていて嬉しいものがありますよぅ。ですがぁ……生徒は生徒、教師は教師であるべきだと思うんですよぅ……聴いてます? 聴いてますかぁ、ランサーさん……?」
ぐに、と頬をつままれながら彼はこくこくと頷いていた。
「あー、聴いてる聴いてる。聴いてんぜ。つまりはアレだ、敬えってこったろ? 勿論だ。ふてえ野郎だ。アンタほど生徒の成長に一喜一憂してる奴はいねえさ。胸張れることだ。立派なモンだ。つーことでな、まあ飲めやねーちゃん、飲んで嫌な事は綺麗さっぱり忘れろや」
ランサーの声に満足したのか、三白眼でニコリとしたままの真耶。
「そうですよねぇ。ランサーさんはわかってくれますよねぇ」
言って彼女はワインを呷り、チーズをもごもごと食していた。
さっきからこの調子だ。しかも同じ事を繰り返してこれで七回目である。
さすがのランサーも何度も何度も、延々と同じ話を聴かされては堪らない。早いところ酔い潰して大人しくさせた方がいいと判断した彼は、眼につく酒を――相手の身体をそれなりに考慮してだが――次々に真耶のグラスに注ぎ勧めていた。
「ふにゅう……」
言い疲れたのか、程よく酔いが回ったのか――
見事なまでに酔いつぶれた真耶は眼を回し寝入っている。
風邪を引くぞと千冬はブランケットを後輩の肩にそっとかけていた。
ぷひゅるるる、と静かな寝息を立て、ぷくーと鼻ちょうちんに加え、よだれまでたらしている真耶の顔は見事なまでに幸せそうだ。
「ストレス溜まってんなぁ、このねーちゃんも」
がじがじと乾物を齧りながらランサー。千冬もサラミに手をつけ口へと運ぶ。
「あのガキどもを相手にしているからな。ついでに言えば、真耶に接する態度が馴れ馴れしいものがあるがな。親近感はいいが、何事にも限度がある。一教師を友達感覚で慕うのは問題だろう」
「そういうモンかね? ま、それだけ人気ってこったろーがよ。結構な事じゃねーか」
「はにゃあ……」
泥酔する真耶の口から声音が漏れる。
「い、いけませんよ、織斑くん……衛宮くんも……わ、わたしは先生なんですよ……ラ、ランサーさんまでそんな……」
「……コイツは本当に寝ているのか? ずいぶんと的確な寝言だが?」
覗き込んで見れば……困ります、と呟き、だらしなくニヘラと笑う真耶に対し千冬は呆れるだけ。
どのようないかがわしい夢を見ているのやら。
寝息に合わせて膨らむ萎むを繰り返す鼻ちょうちんを見ながら、ランサーは笑っていた。
「割ったら起きそうだな」
おもしれぇ嬢ちゃんだと言いながら……真耶も大概だが、ランサーから見れば千冬も同じようだと考える。
つい、思っていた事を彼は口にしていた。
「アンタも普段はおかたくツンケンしやがるくせに、たまには肩の荷を下ろしたらどうだ? 肩肘張っても疲れるだけだぜ?」
「余計なお世話だ」
あぁ、そうかいと酒を口にしながら――片眼で相手を見定める。
ランサーから見た織斑千冬は美人ではあるが、いつも気難しそうにムスッとした顔をしている。笑えばそれなりの女性らしさを見せる一面があるのも知っている。尤も笑う事など滅多にないのだが。
気の強い女性は嫌いではない。むしろ彼にとってみれば逆に好みであると言えよう。
勿体ねェなと漏らした言葉が千冬の耳に届く。
「お前さん、イイ奴は居ねーのか?」
「?」
意味がわからず、千冬は眼で問い返す。どういう意味だ、と。
ランサーはノリが悪いな、察しろとばかりに口を開き言う。
「男だ男。お前ぐらいならいい男のひとりやふたりぐらい、居やがんだろうが」
「……なんだお前、もしかして、わたしを口説いているつもりか?」
「あ? お前はなかなかの女だぞ。放っておくにゃ勿体ねえ」
なかなかとは言ってくれると胸中で呟き千冬。
「ほう、ならば何故手を出さない?」
そう簡単に、お前如きにはなびかんがなと告げながら。少しばかり酔っているなと自覚しつつも、彼女は軽く言いのける。
ランサーは肩を竦めながら別の乾物を齧っていた。
「俺としては魅力的だがな、アンタ、弟がいんだろーが。あいつは本気で俺を嫌うぜ。嫌がることはしねーつもりだ。おまけに言えば、アンタもあの兄ちゃんには甘いとこがあるがな。見ててわかんぜ」
「…………」
姉離れできない弟。弟離れできない姉。主にランサーが指すのは果たしてどちらの事か。
――唐突に。
僅かながらのほろ酔い気分。グラスを傾けながら千冬は問いかけていた。
「なあ……」
「あ?」
「お前から見て、一夏はどうだ?」
その言葉はどういう意味を示したものかは理解していないが、ランサーは思うがままを口にしていた。
「あの兄ちゃんか? いい眼はしやがるが、まだまだ子供だな。覚悟も足りねえ。戦う意味も護ろうという意味も何処か履き違えてやがるし、甘すぎる。何よりも」
言って、ランサーはグラスの酒を呷ると口元を手の甲で拭う。
「俺から言わせりゃなぁ、小僧だけじゃあない。どいつもこいつも、ISに過信しすぎてやがるさ」
「…………」
ランサーが口にした意味を理解しかねた千冬だが、相手は続けていた。
「一夏の兄ちゃんに関しては、あんな玩具に振り回されてる以上は強くもなれんさ。制御できてこそ面白くはあるがな。振り回されんじゃなくて、振り回してこそだぜ?」
一夏の戦う意味はイコール「護る」であろうと推測する。であれば、次に「護る」という考えの本懐としては、果たしてどこまで踏み込んでいるのかどうかが焦点となろう。命を懸けて、とした場合ならば、ランサーなりに思う応えは「否定」と取っていた。
面と向かって論じれば、本人は命を懸けると勇ましく豪語するだろうが、それはあくまでもISという代物に頼っての発言であろう。ISに頼るものが悪いとは言わない。ランサーが指摘するものは、心のどこかで「絶対に死なない」という安全枠に括りついている固定概念が外れていない事へ対してのもの。何々があるから大丈夫だという片隅に縋る部分が癪にさわる。
仮に、「ISに備わる『絶対防御』がある限り、命を落とすことはない。だから俺は命をかけて誰かを護る」などと豪語されれば、ランサーは半ば本気で笑いながら『現実』を叩き込ませることだろう。
軽々しく「護る」などと口にするな、と論ずる気は毛頭ない。
だがしかし、一夏が口にする「護る」と、士郎が口にする「護る」では、圧倒的にその意味も、行動も、結果も、重みすら乖離していると彼は捉える。
それら「言葉」を理解していれば尚更に。上辺だけの「命知らず」は勇猛果敢でもなく、素晴らしくもなんともない。
ひとしきり笑ってから「尤も問題は」と告げてから――
「挙句にゃ、好意寄せてる連中に囲まれてやがるクセに気づきもしねェ。ありゃ、一種の病気だぞ?」
「流石のお前にもそう見えるか……本当に、あいつには困ったものだ」
ふふと笑い、千冬も酒を口へと運んでいた。
だが――
眼を細めたランサーは少々表情を強張らせて千冬を見入っていた。
「ISと言やぁ、篠ノ之の嬢ちゃんが乗ってんのは、玩具にしてはやり過ぎてやがる。ありゃただの小娘が使うにゃ過ぎた玩具だぞ」
「…………」
幾度となく模擬戦を交わしてわかった相手の武装。『紅椿』に搭載されている二振りの刀剣、雨月と空裂。
雨月の刺突攻撃時のレーザー放出、斬撃そのものをエネルギー刃として放出する空裂――
どちらも、サーヴァントの自分にしてみれば取るに足らない存在ではあるが、ひとりの少女が扱うには十分すぎる。いや、ランサーにしてみれば危険視するものだ。
その事に搭乗者の箒も気がついていないだろう。自身がどれ程の力を振りかざしているのかを。
更に言えば、士郎ほどではないがランサーも「絶対防御」に関しては良くは思っていない。
あんなものは何の役にも立ちはしない。いざ実際に命のやり取りに直面すれば、女生徒たちなど悲鳴を上げて何も出来ずに震えているだけだろうと考える。クラスのほとんどの連中など、腕でも斬り落とされれば泣き叫んで終わりと踏んでいる。
だが、ランサーのこの考えは極論過ぎるものでしかない。手練れの戦士、または魔術師とて腕の一本斬り落とされればそれこそ致命的となる。にもかかわらず、当たり前ではあるが、何処の世界に特殊な力も持たぬ純真な少女が腕を切り落とされて平然としていられるものか。
セイバーがもしこの考えを聴いたならば、少女たちという一立場側を無視した一方的なその考えの根本がずれていると一笑に付したことだろう。
無言のまま、氷の入ったグラスに視線を落としながら千冬は聴き入るだけ。ランサーは続ける。
「お前の弟が乗ってるヤツも、他のと比べりゃ何処かきな臭ェ。だが、それよりも篠ノ之の嬢ちゃんが乗ってんのは異様だ。今は自分が扱っているものがどれだけのものかを理解しているのかすらわかっちゃいねぇ。下手をしたら力に呑まれて狂うだけだぜ」
「…………」
「俺はな、ねーちゃん、そういう輩をごまんと見てきた。過ぎた力は身を滅ぼすぞ」
成長する姿は見ていて面白いんだがな、とそう告げる相手に対し、千冬は「お前は一体何者なのだ?」と言いかけ――だが、声音は発せられなかった。
眼の前にいる男は、ぱっと見て普通の「成人男性」にしか思えない。だが、口にする言葉を聴く限り、いまいち理解できぬ物言いでもある。まるで、見た目以上の倍の時を過ごしてきたかのように。
そんな馬鹿なと千冬は小さく頭を振ると、そのまま素直に頷いていた。
「……ああ、肝に銘じておく」
教師として、生徒を導くのは仕事だからなと。誤った方向には決して進ませんさと彼女は言う。
互いに無言。
ぷふー、と真耶の寝息が静かに響く。
「……シケた話になっちまったなぁ」
ぼそりとつぶやき、ランサーは乾物を齧る。暗い話題では酒も不味くなる。
話を変えるかと思案するランサーだが、それよりも早く千冬が口を開いていた。
「先の話だが……」
「あ?」
「お前にはいないのか? いろんな女に手を出しているが、本気であって、本気であるまい?」
千冬の言葉に――ランサーは些か心外だと眉を寄せていた。
「おいおい、言ってくれるじゃねーか。これでも俺は遊びのつもりなんざ欠片もねーぞ? いつだって本気だ。そりゃまぁアレだ。相手が嫌がらねー限りはな」
「む……」
そう言われればと千冬は思案する。
よくよく考えてみれば、ランサーからちょっかいを出されている女性は皆嫌がってはいない。それは生徒であろうが教師であろうが同様に。
「いくら俺でもな、相手が嫌がりもすればそこまでよ。引き際も肝心だ。無理だとわかりゃそれまでにしとくモンさ」
「……だが……それでも、ではないか?」
気だるそうなランサーの表情が僅かに変化する。
空になった千冬のグラスに氷を放り込み、適当にウイスキーを注ぐ。
めんどくせえやつだと諦めながら、ランサーは観念したように話し出していた。
酒の席だ、そう割り切りながら、たまにはそんな話もいいだろうと考えて。
「昔な、本気で惚れた女がいた。イイ女だった」
飲みながらでなければやっていられない。自分にもと手に取ったウイスキーの瓶だが、それが空だとわかると、偶々眼に止まった手つかずの日本酒の口を開け、氷をグラスへ落とし彼。飲めるものであればなんでもよかった。
日本酒に氷を入れると味や香りがわかりにくくなるぞ、と千冬に言われるが、酒の飲み方など好きなように飲むだけでしかない。
飲む本人が美味しいと思えばそれでいいかと思いながら彼女は訊ねる。
「……その人は今は?」
「もうずっと昔の話だ。とっくにくたばっちまったよ」
魔槍ゲイボルクを貰い受けた、影の国の魔女スカサハを思い出し――
参ったもんさ、と空いた手を払い、酒を喉に流し込む。
含みのある言い方に――じっと相手の顔を見て、千冬は呟く。
「……その口振りは、後悔しているのか?」
「後悔か……そうだな。その時ばかりは、何でもっと早く生まれて来なかったのかと思ったぜ。もっと早く出会えていりゃ、と想う事はある。寄り道ばかりの人生でよ、後悔はしているな」
手にしたグラスの琥珀色に視線を落としながら。
ランサーが告げたその言葉の意味を瞬時に理解する。それ以上、千冬は深く訊く気にもなれなかった。
「そうか」
「ああ、本当にイイ女だった」
ひとりの男として、愛した女性に悔いを残す――
普段は飄々とし、だらけた姿さえ見せる。しかし、それでいて剣呑さを持つランサーからは想像できぬ表情。それほどまでに、この男は真剣だったのだろうと千冬は感じていた。それと同時に、この男を此処まで真剣にさせたという相手に興味を惹かれていた。
「……出来る事ならば、一度会ってみたかったものだな。お前がそこまで入れ込むほどとは」
「ああ、そいつもきっと気に入ったと思うぜ。お前みたいな奴は特にな」
言って、ランサーはグラスを手にし、陽気に笑っていた。
さてと、と声を漏らし背中に真耶をおぶりランサーは振り返る。
浴びるように酒を呷っていたというのに、眼の前の男はけろリとしていた。対して千冬の足取りはふらついている。
だが、言うべき事は告げていた。
「……送り狼にでもなってみろ。容赦せんぞ」
「しねーよ。流石の俺でも素面以外で手なんざ出さねェよ」
「ふん」
勘弁してくれよと漏らす相手を千冬は信用していない。だが、そこまで腐ってはいまいと信用せざるを得なかった。
「結構楽しめたぜ。また飲もうや」
「……気が向けばな」
「今度はセイバーも誘ってみるか」
セイバーは学生じゃねェからなと付け足しながら。
「……構わんが、葛木は誘うな。わたしはアイツが嫌いだ」
千冬の口から漏れた言葉に「嫌われたモンだな」とランサーは口元を吊り上げていた。
「そうか? 案外、酒が入りゃ楽しいモンかもしんねーがな」
意外と意気投合するかもな、と告げると彼女は心底嫌そうな顔になっていた。
そんなわけがあるかと応える千冬に、彼はガハハと笑う。
「そいじゃま、眠り姫をお届けに行きますかね」
静かに寝息を立てる真耶を起こさぬようにランサーは歩き出す。
去り際の男の背に千冬は嘆息まじりに声をかけていた。
「今一度言うが、送り届けたらさっさと帰れ」
へいへいと軽く応えると、ランサーは真耶をおぶり直していた。
「……さて」
ランサーの姿が見えなくなり、千冬はおもむろに呟いていた。
部屋にはまだ手つかずの酒が幾本かと、口を開けた酒類が残っている。正直に言えば、彼女はまだ飲み足りていなかった。
日付が変わった日曜日は、日がな一日何もない。完全なオフだ。多少ばかり昼前までに寝過ごしたとしても然したる問題はない。
例え何かあったとしても、副担任の真耶に任せておけばいいと、ぐうたらな考えが脳裏によぎる。
そうと決まれば、彼女の行動は迅速だった。
あるはずのない獣耳をピンと立て、酔っているはずの足取りだというのに、千冬はスキップさながら部屋に取って返すのだった。