I.S.F インフィニット・ストラトス×Fate 作:ボイス
「更識、この書類のハンコ頼む」
「はいはい」
「それと、このハンドボール部の備品新調の嘆願書だけどさ、さすがにスコアボードを直して使うのも限界だぞ。前に一度直したものを再度修復はしたけれど、検討したほうがいいいかもしれない。と言っても、部費で賄えばいいのに嘆願書出してくるってのは、純粋に部費アップを願ってんだろうなコレ」
「ふむふむ」
「あとは、一年の教室棟の廊下の照明が切れてるところがある。予備品あるか? あれば俺取り替えるし」
「ああそれなら――」
「コレ今日の分の書類な。報告書もまとめてある」
「了解」
言って、士郎は雑務をてきぱきとこなす。
「じゃ、お先な」
「お疲れさま。また明日ね」
ひらひらと手を振る楯無に頷き、周囲を片付け席を立ち、士朗は生徒会室を後にする。
いなくなった男子生徒に楯無の手が停まり、ふむと彼女は一息漏らしていた。
「うーん。コレじゃ本当に生徒会長は士郎君でいいんじゃないかしら、と思うわね。ね、虚ちゃん?」
同意を求めるように、向かいの席に座る虚へ声をかけていた。
だが、当の虚は面を上げもせず、視線は書類へ落としたまま。手は忙しなく動き、握られたペン先が紙面上を素早く踊り、インクが走っていた。黙々と、彼女は与えられた自身の作業をこなすだけ。
「お嬢さま。おしゃべりはその辺で。お仕事がまだ残っておりますので」
「いや、だから……」
ちょっとぐらいイイじゃないの、息抜きも必要よ、と気楽に言ってみるのだが――
「お仕事が残っておりますので」
「……はい」
無表情、ならびに感情のない声音の虚に従い、楯無は静かに作業に戻っていた。
花壇の水まきを終え、士郎は額の汗を拭う。夕方とはいえ今日も暑い。
生徒会室を出た士郎は放課後の廊下をひとり歩いていたが、ふと、足が停まり窓の外を見る。グラウンドの隅にある花壇が視界に映った。
気づけば彼は、用務員室に寄り居合わせた轡木十蔵からバケツや軍手など作業一式を借り受けて、花壇へ向かい今に至る。
「さて」
本題に取り掛かるかと、視線を向ける。
周囲には無造作に生い茂る雑草。制服に手をかけ上下を脱ぐとISスーツ姿になる。部分には未だ包帯が巻かれたまま。
汚れないように手近の場所に制服を置くと、首にタオルを巻き、士郎は草むしりに取り掛かっていた。
午前中の授業でグラウンドに出た際に、隅で十蔵が作業をしていたのを知っていただけに、手伝えればと思考してのもの。
しばらく無心のまま作業に没頭していたためか、真横に立っていた相手に士郎は気がついていなかった。
「アンタって、変わってるわね」
不意にかけられた声音に振り向き顔を上げれば、鈴が立っている。彼女もまたISスーツ姿だった。
見た感じ、放課後の自主訓練を終えたところなのだろう。
引き抜いた雑草を放り、士郎は返答する。
「そうか?」
「そうよ、こんなの業者に任せればいいじゃないの」
事実、遠巻きに立つ幾人かの他クラス――上級生か同学年かはわからないが――の生徒はこちらを見て笑っている。生徒が草むしりをする必要などない。やるとすれば、それは余程のことになる。
鈴の言うように、IS学園には専用の業者が立ち入るものだ。清掃でさえ、毎日専属の業者が処理する。教室や廊下、果ては天井まで。自分たちが使う学舎だというのに、掃除に回す時間さえ惜しくその分を少しでもIS教育にあてるためだという。確かに楽ではあろうが、律儀な士郎はこの点も解せなかった。
もっとも、教室の清掃に関しては完全に生徒が行わないというわけではない。何かしらの罰に宛がわれることがあるのだが。教室の清掃に関しても、士郎が自主的に気になったところは掃除していたりする。
大して気にも留めず、士郎は作業に戻っていた。草を引き抜き付着する土を落とし脇へ放る。そのまま次の草を引き抜いていき――同じ作業を繰り返す。
「俺が気になったからやってるだけだよ」
「ふーん」
手馴れたようにこなしていく士郎を見て、鈴はそれ以上言っても無駄だと悟ったのだろう。
そう応えると……鈴もまた雑草が生い茂る手付かずの場所に屈み込みむと、ぶちぶちと草を引き抜いていた。
本来であれば、彼女――鈴は士郎と話をしたいことがあった。それは本当に些細なもの。
訓練を終えて戻ろうとした鈴は、幾人かの他クラスの生徒とすれ違った際に耳に聴こえた内容が気になっていた。
「なんであんなことしてるんだろうね?」
「男なんて雑用するしか能がないんだからいいんじゃないの? それこそグラウンドの全部むしってろっての」
「あはは、言えてるー、男のクセに専用機貰ったからって調子に乗ってるよねー」
愉快そうに嘲笑して去っていく声に、鈴は立ち止り思わず振り返る。
「男?」
男に専用機と聴いて思い当たる人間は、鈴が知る限り学園には消去法でふたりしかいない。
耳にした場所に向かってみれば、聴いた話通りに士郎の姿を発見する。なにをしているのか近寄ってみれば草むしりをこなしはじめている。さすがに邪魔をするのも気が引けていた。
故に、終わってから話をしようと考えてのもの。
「汚れるぞ?」
「なによ。そっちもやってるでしょ。同じじゃない」
「そのままだと手を切るからさ……草だと思っても切れるもんだし。軍手使えよ」
言って、見もせずに、ポイと余分の軍手を投げると、それは放物線を描き鈴の元へ的確に届けられていた。
「それと、やるなら根っこから抜いてくれると助かる。根が残るとまた生えてくるからさ。千切れないように掴んで抜いてくれ」
「……アンタって、けっこう細かいのね」
こんなの適当でいいじゃないの、と返答はするが、鈴は言われるままにしっかりと根元から引き抜いていた。
さて。草むしりは根気が要となる。集中力も当然必要となるだろう。
つまりはどういう事かといえば――鈴は既に飽きていた。
「ああもう面倒くさいっ! 甲龍で削ってやろうかしら」
「なんでさ? お前、ここら一帯を耕す気か? 後はいいよ。俺がやるから」
「む」
呆れながら呟かれたその一言は、鈴の心をカチンとさせる。遠回しに邪魔だと言われた気がするからだ。無論の事、士郎はそんなつもりは毛頭ない。言葉足らずであるのは変わらないのだが。
「誰もやらないとは言ってないわよ!」
「……なにを怒ってるんだよ」
「うっさい! 見てなさい! あたしにだってこんなの簡単に出来るんだから! あたしは代表候補生なんだからっ!」
「だから、本当に何で怒ってんだよ。それと、草むしりに代表候補生なんて関係ないだろ?」
ワケがわからず、士郎は首を傾げていた。だが、鈴はそんな指摘に耳を貸さず、ただひたすらに雑草を根元から確実に引き抜いていた。
ふたりで行えば、はかどるもの。
作業に没頭していたが、顔を上げて見ると地面は綺麗になっている。最初の方は巧くいかず、ぶつぶつと文句を漏らしていたが、数をこなしていくうちにいつしか口数は減っていき、やがては無言。
だが――
鈴は、ちらと士郎の方へ視線を向けていた。見れば作業範囲は鈴の3倍ほどに。黙々とこなす結果だ。
「……さすがに暑いわね」
夕暮れの風が吹くとは言え、地面は日中に照りつけた熱気を帯び、身体は作業により汗をかく。額を拭い一息つく鈴に気づき士郎は声をかけていた。
「本当は朝方にやるのがいいんだけれどな。バケツの中に飲み物あるから適当に飲んでくれていいよ」
「バケツ?」
立ち上がり、言われるまま周囲を見渡すと彼女は青いバケツを見つけていた。近寄りバケツを覗けば水に浸かった幾本のペットボトルがある。
作業しながら休憩がてらに飲むために準備していたのだろう。
「アンタって、ほんとに用意がいいわね」
軍手を外し、バケツの中に手を突き込む。水は温くなっていたが、手に伝わるひんやりとした感触が火照る熱を抑えていく。
一本のスポーツドリンクを引き抜くと、封を切って口をつけ、乾いた喉に流し込んでいた。
「こんなもんかな」
区切りをつけて満足そうに頷くとむしった雑草を一箇所にまとめておく。邪魔にならないところに置いてくれていい、と十蔵に事前に言われていたので問題は無い。
取りこぼしがないのを確認すると、後片付けをしながら鈴へと顔を向けていた。
「悪いな凰、手伝ってもらって」
「別いいいわよ。暇だったし」
「? そうか?」
バケツからペットボトルのお茶を引き抜き、口をつける。汗を拭いながら士郎もまたようやく一息ついていた。まだ茂る雑草を見て、残った分はまた明日かなと考えていたが、無言のまま視線を向けている鈴に気づいていた。
向き直り彼。
「どうかしたか?」
士郎の声に「うん」と一言呟き、鈴は応えていた。今なら話をしても大丈夫かなと探りを入れながら。
「……あのさ、生徒会長とISで勝負したんでしょ?」
その言葉に耳が早いなと士郎は思わず感心していた。情報元は何処だろうと考えながら素直に頷く。
「ああ」
「で? どっちが勝ったの?」
「聴いてどうするんだ?」
「どうもしない。単にあたしがどっちが勝ったか知りたいから訊いてんの。他意はないわよ」
そうか、と士郎はお茶を一口含み、喉を潤してから返答する。
「更識が勝って、俺が負けた」
負けた、と聴き、鈴の表情に変化はない。予想通りとは思わない。
代表候補生としてのプライド故に、認めたくはないが、今の士郎のIS技術能力は追い越すような勢いの伸びを感じている。
最近の士郎を見て、実力はわからないが楯無と互角に渡り合えると思っていたものがある。鈴の勝手な予測では、どちらが勝ってもおかしくはないと読んでいただけに。
逆に言えば、仮にも自分を倒した手前、そう容易く負けてほしくないと願うところがあったりもする。
「……衛宮、アンタ、本気で戦った?」
「ああ。別に手は抜いてない」
士郎の手首や身体に巻かれた包帯を見て余程の試合だったのかなと鈴は想像する。
「どんな勝負だったの?」
「どんなって……あー」
思い出しながら――士郎は顔に疲れたような表情を浮かべていた。
剣と槍がぶつかり合い、拮抗したところを爆発された……それをそのまま口にするのも面倒だった。
うん、とひとつ頷き彼は言う。
「滅茶苦茶だった」
「なにそれ。アンタってさ、ホントにいったいなんなの? ついでに言えば、アンタの兄貴のランサーも」
「…………」
「男でこうまでISを動かせるなんて、それこそおかしな話なのよ」
「なんでって言われてもな……」
返答に困り士郎は頭を掻いていた。事実、起動した明確な手段はこの世界の常識では説明がつかない。当然、魔力、魔術のことを話す気はない。
「本題はそれか? お前が俺なんかに用があるなんて、よっぽどだろ?」
「……そんなに卑屈になんなくてもいいわよ別に。ただちょっと、衛宮と話がしたかっただけ」
「そうか?」
僅かに首を傾げた士郎だが、此処で話すにしても、日は暮れており、辺りも暗くなっている。
眼の前の少女も、例え下手なことを口にしたとしても、素直に聴き入りそうな雰囲気ではない。
「なら、飯でも食うか? 落ち着いたところなら構わないか? 此処で話すよりはいいと思うし」
考えた上で、士郎はそう声をかけていた。
士郎の部屋――もとい、教師寮棟に足を運ぶことなどほとんど無い。滅多なことでは慌てず毅然とした態度の鈴ではあるが、その顔は何処か不安そうだった。
寮食堂では他者の人目もあるだろうからとしての士郎の配慮だった。
(こんなトコに来るなんて思わなかったわ……変に緊張するし)
自室に戻り、シャワーを浴びて汗を流した鈴が言われた部屋に訪れてみれば、士郎もまたラフな格好に着替えていた。
ほのかな石鹸の香りになぜかドキリとしたが、鈴はおくびに出さず、室内に招かれていた。
(コイツはコイツで、部屋に招き入れることの意味わかってんのかしら? ま、まぁ……衛宮がそんなことするヤツじゃないってのはわかってはいるけれど……い、一夏だったら嬉しいかなぁ――って、なにをあたしは考えてんのよ)
慌ててぶんぶんと頭を振り鈴。ひとり息を吐き、落ち着きを取り戻す。
部屋は拍子抜けするほど綺麗だった。それもそのはずに、殺風景と呼べるほどに部屋には余分なものが何もなかった。元から寮部屋に完備されている最低限の生活用品以外――有体に言えば、士郎の私物品らしきものは、何ひとつも見当たらない。何もない部屋ではあるが、当然のように至る所の清掃は行き届いている。
(……なんて言うか、つまらない部屋ね……)
殺風景ではあるが、部屋には生活の温かみらしきものは感じとれていた。
胸中で呟きながらぐるりと見渡し――と、視線が一箇所に停まる。唯一の私物品らしきものを視界に捉える。それは、ドアの近くに無造作に置かれている釣り道具の一式だった。釣具を指さし、鈴は士郎に問いかける。
「ねぇ、入り口にある釣り具って、あれ、アンタの?」
「違う、ランサーのだよ」
ランサー、と聴き――そういえば、ここはアイツと同部屋なんだったわね、と鈴は今更ながらに思い出す。言われてみれば、放課後に意気揚々と釣竿担いで外へと駆ける姿を幾度か見たことがある。
今日はどうしたのか気になったので彼女は訊ねていた。
「で、そのランサーは?」
「あれ? 入れ違いに会わなかったか? アイツ別の道具一式持って近くの埠頭に釣りに行ったぞ」
「こんな時間に?」
「夜釣りがどうとか言ってたな。詳しくは聴かなかったけれどさ」
ふーん、と一言漏らし、鈴はキッチンへと視線を向けていた。士郎は冷蔵庫から食材を取り出す。
「まぁ、夜に勝手に学園の外に出ていいんだっけか――と、ベーコンと玉ねぎ……ろくな物が残ってないな、オリーブオイルあったっけかなぁ……」
簡易キッチンでがさがさと探す士郎に、思わず鈴は席を立ち上がる。
「衛宮、あたしも手伝おうか?」
「なんでさ。座ってて待っててくれよ。テレビでも見ててくれ」
「……うん」
正直に言えば、鈴は落ち着かなかった。
男の子の部屋に入ることに抵抗がないわけではない。今一度改めて室内を見渡してみる。
(そうは言われても、妙に落ち着かないのよね……弾や一夏の部屋によく遊びに行ってたのに……それとはなんか違う感じがするし……)
女子よりも清掃が行き届いているとしか思えてならない空間。
なによりも、彼女はドキドキしていた。それは、友人と接して感じる気持ちとは違うもの。
見るともなしに視線を向けて、鈴はひとり考える。
(……まぁ、衛宮もカッコいいって言えばカッコいいわよね。ウチのクラスでもそれなりに人気あるし……で、でも、一夏に比べたら全然だけれど! い、一夏の方が!)
一夏に想うものは確かな恋愛感情。
友人の五反田弾に想うのは、よき悪友としての感情。
だが、ランサーへ想うもの、士郎に想うものはまたそれらとも違う何か。
鈴の中で一番格好いいと思う男性は一夏であり、それはどうあっても変わらない。
大人のランサーからはワイルドさを感じるし、士郎は士郎で一夏にはない男らしさを感じる。だからと言って恋愛感情までは募らない。だが気にはなる。それが何かわからないため、ドキドキと変に意識してしまう。
それに、IS学園に来てから、他の男子の料理など食べるなど久しぶりだ。
一夏や弾の手料理を食べたことがあるが、前に屋上で食べた士郎の弁当はそれらと比べても本当に美味しかった。
香ばしい匂いが漂う。フライパン片手に調理する姿を鈴は見るともなしに眺めていた。
(これが一夏とふたりきりだったら、なおいいのになぁ……って、だからあたしはなに考えてんのかしら)
頬を若干紅く染めながら、鈴はそんな淡い願望を抱いていた。
――と。
扉がノックされた。
フライパンを置き士郎が出ようとするが――それを見越して、妄想を振り払うように自分の頬をぺちぺちと叩きながら鈴が動いていた。
「いいわ、あたしが出るから衛宮は続けといてて」
「悪い」
「はーい、どちらさまですか?」
言ってしまってから後悔する。普段の学生寮のノリで。
ガチャリと開いた先に立つ――織斑千冬の姿を眼の前にして言葉を失う。
「衛宮、少し話をしたくて……て、何故、凰がいる」
「ち、千冬さん――!?」
現れた相手に失念していた鈴ではあるが、千冬は眉を寄せた表情になっていた。女生徒を連れ込むような輩かと詮索するが、だが、直ぐにそんな甲斐性はこの男にはないなと確信する。普段の態度を見ていれば、女に対してだらしないというイメージはない。セイバーや楯無、本音に振り回されている姿をよく見ているだけに。更には、実弟と比べて、そうまで鈍感ではあるまいと推測する。この男は弁えているところはきちんと弁えている。
余談ではあるが、これがランサーだとしたら千冬は容赦なく殴りつけているところだが。
そうこうしているうちに、士郎もまたエプロン姿でフライパン片手に顔を覗かせていた。戸口に出た鈴が固まったままなのが気になったからなのではあるが。
戸口に立つ千冬を見て、士郎の表情には「おや」と変化が生まれていた。
「織斑先生、よければ織斑先生も夕飯どうですか?」
「いや、私は――」
そこで断ろうとした千冬ではあるが、鼻腔に漂う香ばしい匂いに食欲がそそられる。
不覚にも、ぐうと腹の虫が鳴る。
無表情ではあるが、何処か気まずそうに千冬は視線を逸らしていた。
「よかったらどうですか?」
「……いや、結構だ」
――と。
再度鳴った千冬の腹の虫。先よりも一回り大きな音が。
表情に一切変化の無い士郎は再度訊ね言う。
「よかったらどうですか?」
「……すまん。いただこう」
少々気恥ずかしく、千冬は頷いていた。
士郎が作った料理は、ベーコンと玉ねぎでシンプルに作られたリゾットとトマトサラダ、キャベツのコンソメスープ。どれも手軽に作られたものではあるが、士郎なりの調理分量よる味なのだろう。口にしたそれらは確かに美味しかった。
「大したものだな、衛宮……お前の作る料理は、実に美味いな」
「ホント、手軽な材料で簡単に作ってるハズなのに美味しいわね」
食事を終えた三人は、食後のお茶を口にしていた。
士郎と鈴、千冬の組み合わせで話をするなど珍しいものがある。
座学やIS実技のこと、会話の内容も主に授業のことが多かった。寮部屋でまで授業の話をするのはどうかと三人とも思っていたことではあるのだが、話を変えようと、士郎は鈴へ視線を向ける。
「で、凰。話ってはなんだ?」
「あー、ええとね……」
唐突に話の矛先を振られ、鈴はもじもじと湯飲みをいじる。それを見て千冬は察したかのように口を挟んでいた。
「私がいては気まずいか? 席を外すが」
「あ、いえ……千冬さ……織斑先生が気を遣ってくださらなくても大丈夫です。大したことじゃないですし」
「そうか? それと今は教師も生徒も関係ない。普段通りでかまわんぞ。楽にしろ。衛宮、お前もな」
「はい……」
実際、鈴にとって千冬が居ようが居まいが関係ない。自身が気になったことを口にしたいだけなのだから。
あのさ、と前置きし鈴の口が開かれる。
「衛宮、アンタってさ、その、強いわよね……」
「そうか? お前の方が十分強いだろ? 代表候補生なんだし」
「嫌味のつもり? その代表候補生に勝つクセに……そうじゃないわよ。純粋に、今のあたしじゃ……たぶん十回戦っても全部は勝てないと思う」
着実な努力により、少しずつではあるが士郎はIS技術力を高めてきている。それでも鈴の方がISに関しては上回ってはいるのだが、勝率も良くて八割。残り二割は負けるような気がしてしまう。
鈴の独白に士郎は無言。千冬が代わりに口を挟んでいた。
「……なんだ、凰? お前にしては、ずいぶんと弱気だな」
「茶化さないでください千冬さん……これでもあたし、真面目に考えてるんですから」
話が逸れたわね、と呟くと――ええと、と漏らし鈴は続ける。
「あの双剣、弓の腕……とてもここ最近のものじゃないわよね。アンタ、もともとそれなりの腕だったんでしょ? 隠してたわけ?」
「隠してたって言うのは語弊があるよ。ISを触ったことが無いのは本当だ。ここに入ってからだよ。弓は昔、俺弓道部に入っててな」
「……剣は?」
「あれは日頃の鍛錬での結果かな……」
事実であり、それ以外は応えられない。セイバーによる剣の師事、幾度と無い死線を潜り抜けた上で見につけた剣技。未だ及ばず、模倣と呼ばれようとも己の存在意義ともなるもの。
「ほう……」
思わず千冬は声を漏らしていた。彼女も気になっていたところではある。如何様にして、眼の前の男子は相応の技術を得たのだろうかと。
鍛錬と聴き、鈴は興味を惹かれていた。
「昔から? アンタのお父さんもそれなりの腕だったの? それともお母さん? 稽古をつけてもらえるほどアンタの両親てすごいんだ。羨ましいなぁ」
だからアンタって強いのね、と一方的に話し、鈴はひとりで納得している。それも変な勘違いをしたままで。
そのためだろうか、自然のうちに士郎は苦笑を浮かべていた。
「いや、俺の両親は普通の人だったよ」
「……だった?」
「凰……」
小さく呟かれた千冬の声音。それ以上はやめろという意味を含んでのもの。
何気なく返答したつもりであったが、敏感にその言葉に反応していた。見れば鈴の表情は一変している。何処か聴いてはいけない領域に土足で踏み込んだことに。
しかし、士郎は気にもしない。そんなものは慣れたことだ。
「ああ、言ってなかったか? 俺の両親はもういない。十年も前に火事で死んだんだ」
「……え?」
言葉を失い、鈴は呆然としたまま。相手が何を言っているのかわからなかったが、瞬時に把握する。ついで、自分がいかに無神経なことを口にしたのかがようやくわかったのだろう。咄嗟に――慌てたように彼女は顔を伏せていた。
「ご、ごめん。何も知らなくて……あたし、そんなつもりでアンタに訊いたワケじゃないの」
「? なんでさ。そんなに気にするなよ」
「でも――」
それこそ不思議そうに士郎は鈴を遮っていた。
「お前がそんなヤツじゃないってのはわかってるよ。知らないんだからしょうがない。お前が気にすることなんてなんにもないんだからさ」
だからさ、そんなに気にしないでくれ、と彼は告げる。
「…………」
無言の鈴。千冬はひとり口の端を吊り上げていた。
(馬鹿正直なヤツだ。お人よしというか、なんというか……なるほど。確かに、真耶が真剣に思うだけの男ではあるな)
士郎が口にした言葉に、千冬は少なからず思うところがある。改めて、真耶が味方になりたがるのも頷ける。裏表などない。眼の前の少年は純粋すぎる。
横でひとり考察している千冬に気づくはずもなく、鈴は顔を伏せたまま問いかけていた。
「ね、衛宮……怒ってくれてもいい。でも、失礼ついでにどうしても聴かせて。お父さんもお母さんもいなくなって、アンタは……寂しくなかったの? その、今も……」
どうしてそこまで普通にしていられるのだろうか。鈴自身には考えられない。幾ら十年もの時間が経とうといえど、そうまで普通に振舞えるものなのだろうか。
自分が両親を亡くしたとして、果たして普通でいられるだろうか? なによりも、鈴はあんなに仲が良かった両親が離婚したことでさえ、ショックを隠しきれていなかったのだから。とても想像がつかない。故に、彼女は不躾であるのを十分理解した上で訊いてみたかったものがある。
ふむ、と士郎は顎に拳を当て考える。頬杖をつくような格好のまま視線を一度虚空に向けてから鈴へと移す。
「……そりゃ寂しくなかったってのは嘘になるけどさ、俺、自分の両親のことあんまり覚えていないってのが正直なところなんだ。でも、それを補えるかのように俺はいろんな人と会った。本当の親はいないけれど、俺を引き取って育ててくれた人もいる。血は繋がってないけれど、姉のような人が俺を世話して……ああ違うな。俺の方が世話してるなアレは。肉親とは変わらない家族が俺にはいるんだ。だから、今の俺は全然寂しくない」
「…………」
「嬉しいこと、嫌なこと、馬鹿なこと……それこそいっぱいあったさ。でも、それら全ては楽しいと思える」
そう応える士郎に鈴は顔を上げて見つめていた。
「そいうものなの?」
「んー、お前に訊くけれど、家族って何だと思う?」
「……血縁関係?」
「確かにそれもあるよな。偉そうなことは言えないけれど、俺は絆なんじゃないかなと思うんだ。さっきも言ったけれど、俺には血の繋がらない大切な人たちがいる。姉のような人もいるし、妹のような人もいる。一緒にいると、そう思うんだ。家族ってのは、こういうモンなのかなって」
「絆か……」
ポツリと呟く千冬に、士郎は「ええ」と応え頷く。
士郎の肉親のことは知っている。鈴の今の家庭環境もクラスは違えど知っている。
千冬は自身のことを思い出す。幼子の一夏を護るために、ただひたすらがむしゃらだった。それこそ脇目も振らずに一心に。
支えあえれることが、これこそ、絆なのだろう。その通りかもしれんな、と千冬は思う。己の両親に絆を感じるかと問われれば、否としか応えられない。
しかし、士郎は支えあう兄弟も居ない。文字通り「ひとり」だったのだろう。一夏とふたりきりでの過酷さを知っている。それが独り身ともなればどれほど辛いことか。
この少年は孤独を知っている。それを絶望もせず乗り越えている。
相手を見据え、千冬は精神面からくる切実な願いのようなものを感じていた。それは鈴もまた同様に。
士郎とて自覚は無いが、家族と居たいという心の現われが自然と人を引き寄せるのかもしれない。家族が出来れば自ずと護るべき強さが必要となる。強くあろうとするのはそこから来ているのかもしれないのだが。
とは言え、千冬は士郎から別のものも感じていた。
何かを誤魔化して生きている――
例えるならば「危うさ」というものか。
(……家族を失っている割には、なにか妙ではあるが……偽っているような……それとも、ただ私が気にしすぎているだけか)
確証があるわけではない。それこそ千冬が何気なくそう思っただけでしかない。
(……気のせいか)
自分に言い聴かせるかのように、千冬はそれ以上の詮索はしなかった。
「…………」
鈴は無言のまま。彼女は士郎が口にした内容を反芻していた。
彼の「思い出せない家族を失っていながら、本当の家族の様な絆で結ばれた他者に囲まれて生きること」と、自身の「あんなに仲が良く、大好きだった両親が離婚してしまったこと」を不謹慎にも秤にかける。
不幸を比べたつもりではないが、応えはわかりきったもの。士郎はそれでも前に進むことができている。決して自分は進めていないとは思わない。だが、敢えて比べてしまうと鈴は些か前に進めてはいないと感じていた。
「なんとなくだけど、衛宮の言いたいことはわかる気がする」
こくりと頷く鈴から、士郎は視線を千冬へと移す。
「千冬さんには一夏がいますよね。羨ましいなって思うとこがあります」
「手のかかる弟だがな」
「それこそわかるような気がします。俺にも手のかかる姉のような人がいますから」
やれやれと疲れたような笑みを浮かべる千冬に相槌を打つように士郎もまた苦笑を浮かべて応えていた。
「ははは、ま、家族ってのはいいモンですよね」
何気に呟かれたその言葉。士郎自身は気づいていないだろう。その顔には、どこか寂しそうな色が窺えたことに。ふたりはそれを見逃さなかった。
故に――
『…………』
そんな彼に鈴は申し訳なさそうに口を開く。
「ゴメンね。衛宮、変なこと訊いて……お詫びに……」
言って――
鈴はニカリと笑う。その顔は――ヒマワリのような元気な笑顔だ。
「なら、今日だけは、あたしがアンタの妹になってあげる」
「なら私は、お前の姉になってやろうか?」
対する千冬の笑顔は、まるで桜の花のように美しく栄える。
「なんでさ!?」
意味がわからずそう反論することしか出来ない。しかし、同時にこのふたりが『姉』と『妹』にもなれば、それはそれで手間がかかり面倒くさく、喧しくもあり賑やかになる毎日なのは確実だろうと考えていた。
(なんとなく、イリヤと藤ねえを逆にした感じだよなぁ……あれ? でもそれって何も変わってなくないか?)
おかしな話の矛先を変えるべく、士郎の口は動いていた。
「そんなことよりも――ところで千冬さん、俺に用事ってのはなんだったんですか?」
話題を無理やり変える相手に対し、キャスターに劣らぬ美貌の千冬は、その表情に些か不満そうな色を浮かべていた。
「ん? ああ、すまんな……私の話も大したことではない。なんとなくではあるのだが、お前さえよければ、剣道場で手合わせを頼めないかと思ってな。そのことで話そうと思っていたところでな」
その申し出は、士郎にとって心の底から意外なものだった。
セイバーやランサーには遥かに劣りはするが、純粋な竹刀を用いての稽古ともなれば、士郎が勝てる相手ではないと思えるからだ。
そのため、眉を寄せて訊き返す。
「俺がですか?」
「ああ」
「……俺なんかじゃ、千冬さんの相手なんて勤まらないですよ?」
「そんなこともあるまい」
謙遜するな、と千冬は付け足す。
実際、千冬は士郎の剣技に興味があった。ISでの鈴や楯無との剣戟を眼の当たりにし、久方ぶりに刺激を受けたのは紛れもない事実だった。
朝晩には剣道場の一角を借りて、日課の鍛錬だと口にし、セイバーと竹刀を使用して稽古をしているのも知っている。
それらを見知った上で、純粋に千冬は士郎に手合わせをと願っていたのだった。
「衛宮、お前の剣筋はISを見ていてもなかなかだと思えてな。生身でも相応のものかと感じてな」
「いや……そう言われても」
言われたからといって、はいそうですかと素直には受け入れられないものがある。だが、千冬を相手にしてみたいと思う気持ちがあるのも否めなかった。
それこそ『ブリュンヒルデ』と呼ばれる彼女に対して、果たして自分が何処まで喰らいつくことが出来るのかは興味がある。
士郎はしばし黙考していた。
怖いもの見たさに千冬の実力を覗き込んでみたいものがある。
「ほれ『士郎』、『姉』に付き合え」
思考の踏ん切りをつけるのかのように、背を後押しするかの如く――
千冬が口にするように、姉として振舞っているつもりなのだろう。士郎が見慣れた織斑千冬がこんな遊びに付き合うとは思わなかった。『姉弟ごっこ』はどうやらはじまっているようだ。
自然と、士郎の口元には笑みが浮かぶ。それは、挑戦意欲に駆られてのもの。
「わかりました。俺でよければ」
笑みを浮かべる士郎を見て千冬も満足そうに頷いていた。
(いい顔をする。一夏にも見習わせたいものだ……)
立ち上がるふたりにを見て、鈴もまた席を立っていた。
「面白そうね。立会人はあたしでイイでしょ? こんなに面白そうなの見逃すなんて勿体無いしね、『お兄ちゃん』?」
心底気に入った玩具を手にしたかのように鈴は愉快そうに笑う。
千冬は思う。もし、自分にもうひとり、士郎のような『弟』が居れば、三人そろって今よりも尚楽しいだろうと。
鈴は思う。もし、自分に士郎のような『兄』が居れば、寂しさなど感じることもなく温かく楽しめるだろうと。
一時の自称『姉』と『妹』に連れられて――
食後の運動と称する剣道の鍛錬は、結果は惨敗であれど、士郎にとって有意義な時間を過ごさせていた。
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