I.S.F インフィニット・ストラトス×Fate 作:ボイス
『I.S.F インフィニット・ストラトス×Fate』を書く上で、真っ先に思いついていた話。
このふたりを絡めたかった。
どうしても作りたかった話。
「なにコレ……なんで……」
ディスプレイに映る数値、スペック表値にシャルロットは小さく声を漏らしていた。
深夜の第二整備室、そこで彼女はひとり作業をしていた。だが、作業とは些か違和感を受ける状況。煌々とした照明などない暗い空間の中。唯一のまともな明かりはシャルロットの開くノートPCのディスプレイによる光源のみ。
無言のまま、かちゃかちゃとキーボードを叩く指先は僅かに震えていた。
ハンガーラックに吊るされた、士郎が造ったIS『アーチャー』、赤銅を基調のその機体――
接続したコードから読み込む詳細データ、それらが端末を通し映し出される度に彼女の表情は逐一変化する。それは眉を寄せるものに。
「どういうこと……数値表示は全然大した事がない……寧ろ機動性が著しく高いだけ……なにより……」
彼女が一番驚いたものはその事実。
「これは、ほとんどラファール・リヴァイヴのデータだ……」
そう。シャルロットが何度見ても、何度同じ表示をされるのは『アーチャー』の基本スペックはラファール・リヴァイヴと遜色ない。
それもそのはずだろう。
どんなに弄ろうとも、士郎のIS『アーチャー』に流用されている基本データはラファール・リヴァイヴである限り、それ以上のデータが抽出されるはずもない。
とは言え、彼女が理解できなかったのは模擬戦における士郎の動き。あれほど見事な精密射撃を行える機体にも拘らず、スペックが第二世代型というのだから。
では、一体どうやって彼はあれほどの武装を繰り出しているのだろうか。考えれば考えるほど、調べれば調べるほど、その答えは見つけられない。
詰め込まれているのは、あくまでも訓練機と変わらぬスペックとISコアのみ。
「専用機なのに……実質、訓練機と同等……何処の機体だろうこれ……」
武装データも一通り眼にしたが、近接格闘武装の双剣の重複登録、中距離遠距離武装として登録されている弓のみ。他には何もない。
拡張領域容量にはまだまだ空きがある。この登録武装だけで『高速切替』に近い動きをしているのかと思考しながらキーを叩くシャルロット。
――が。
「勤勉なのね」
「――!?」
不意に、暗闇に響いた声音に彼女は身体をびくりと竦ませていた。ノートPCを咄嗟に閉じ、シャルロットは立ち上がる。
「坊やのISを調べても何もわからないでしょう? 欲しいデータは見つからないものね。お嬢さん?」
唐突に灯りが生まれる。光はふたりの姿を闇の中に浮かび上がらせていた。
その光明が魔術によるものなどシャルロットはわかりもしない。
「な、何を言っているんですか……く、葛木先生、僕は……」
「ええ。坊やに頼まれて効率良く動かせる方法なんでしょう? データを修得しないといけないものねぇ」
口調、声音は穏やかだが、背筋を凍らせる冷たさが含まれている。
こつこつと静かにヒールの音を響かせ――第二整備室に現れたのはキャスターだった。
心臓を鷲掴みにされたかのようにシャルロットは声も出ない。
キャスターが口にしたように、シャルロットが『アーチャー』に接触したのは簡単だ。模擬戦を終えた士郎にISの効率性を上げる方法がある。エネルギー効率を上げるともっと良くなるよ、と。当然士郎は疑いもしない。関連する機体制御、エネルギーシステムなどはわからないのだから。
良かったら手伝おうか、と口にするシャルロットの提案を士郎が断る理由はなかった。
エネルギーシステム向上の話は嘘ではない。機体の装甲アーマーを開いて調整する必要があるため士郎立ち会いのもと作業は進み、実際に上がっている。
後の細かい作業は僕がしておくよ、と丁寧に応え、士郎も言葉に甘えてシャルロットに任せていたのだが。
キャスターは少年のように甘くはない。新たな専用機が登場したとなれば、何れはスパイ紛いな輩が近づかないとは思っていなかったわけではない。案の定、人払いと暗示をかけてみれば、相手が勝手に餌に食いついたのだから。
ならびに、面倒くさい事ではあるが、今は仮にもマスターの身の衛宮士郎に害をなすならばキャスターは殺害も厭わなかった。
「…………」
「坊やは短絡だから疑わないでしょうねぇ……でも、私は違うわよ? 返答如何によっては手間ではあるけれど血なまぐさいことになるわねぇ。玩具を展開する前に……ああ、別にその玩具を展開してもいいわよ。無残に捻り潰してあげるから」
ISを展開して抵抗するならご自由に、と。
楽しそうにくすくすと笑うキャスターにシャルロットは言葉なく恐怖する。妖しく笑うその『貌』に――
かすかに空気が絞まるような気がした。
保健医として見慣れた顔、シャルロット自身も怪我をした際に何度か世話になった事がある。その時の第一印象は、とても綺麗な人だというものだ。
それが、今眼の前にいる相手が同一人物には見えなかった。
保健医は手に何も持っていない。だが、彼女が言うように、簡単に自分は殺されるという恐怖感にシャルロットは駆られていた。
眼の前の埃を払うのに何の迷いも持たぬように――
何故そんな事を思うのかはシャルロット自身わからない。ただはっきりわかるのは、相手が遊びで口にしたものではないということ。
脅しでもない声音にシャルロットはごくりと固唾を飲み込み――『アーチャー』から離れ、キャスターの前に姿を見せる。
素直に現れた少女に対して、キャスターの眼つきが変わる。
蛇に睨まれた蛙のように。
身体にまとわりつくような異様な違和感。笑みを浮かべる女性からは不気味なほどに『死』を感じさせられた。
シャルロットは気がついていない。キャスターの眼に魔力が篭り、その瞳を見た少女の脳と心、口を撓ませた事に。
それが軽い心理誘導の魔術だという事に気づきもせず。
「答えなさい。少しでも嘘だと思ったら容赦はしない。偽ろうとしても同じ。返答に迷いが出ても。包み隠さず喋りなさいな」
「……はい」
どう考えても逃げられない――魔術の影響だと理解するはずもなく――彼女は諦めたようにそう答えていた。
いい返事ねと答え、キャスターは言う。
「最初に、坊やのISになにをしたの?」
「……何もしていません。詳細スペックのデータを端末で盗みました」
「あなた個人の意思? あなたは確かフランス代表候補生だったわね? フランス政府の差し金かしら?」
「…………」
無言ではあったが、いいえとシャルロットは首を振っていた。
震えた声音が口から発せられる。
「デュノア社……僕の父の指示です」
ぴくりと眉を寄せ、キャスターは耳にした言葉を訊き返していた。
「父親?」
「はい……弁解する気はありません。僕は父の命令でデータを盗みました」
「何のために?」
「…………」
そこでシャルロットは口を噤む。
無言のまま、しばし時間が流れるが、キャスターは再度口を開いていた。
「今一度訊くわ、お嬢さん。答えなさいな。何のために盗んだのかしら?」
軽い魔術とは言え少女に抗う術はない。逆らえない力に圧され――
「……僕が、妾の子供だからです」
眼を瞑り、シャルロットは観念したように――何処か諦めた様にそう答えていた。
だが、キャスターにしてみればその返答は求めたものではない。
そこで魔術を解くと、言葉の意味を知るため、彼女は三度口を開く。
「場所を変えるわ。付いてきなさい」
顎でしゃくり、キャスターは踵を返していた。
つかつかと歩くキャスターの背に、おどおどとした視線を向けてシャルロットが続く。
会話など一切ない。
無言のまま、シャルロットはただキャスターの後を付いていくしかなかった。
途中、逃げ出そうかと考えもしたが、すぐに思い留まる事になった。
逃げ出したとしても、一体何処へ逃げるというのか?
(怖いよ……一夏……)
脳裏に想いを寄せる男子生徒に助けを求めるがそれは叶わぬ事だ。
いいようのない恐怖を覚えながら、力ない足取り。
――と。
「入りなさい」
唐突に声をかけられ、入るように命じられたのは保健室だ。
明かりが点る室内に足を踏み入れ――視界に映る、保健室には似つかわしくない物。その類も今現在のシャルロットには気にもならない。それほど精神は圧迫されているという事だ。
椅子に座るよう促され、シャルロットは大人しく従っていた。
(僕……どうなるんだろう、これから……)
俯き、肩が震える。ぎゅっと握り締めた拳も力なく震えていた。
一夏に知られた前回の状況とは勝手が違う。明らかに一教師に見咎められたのだから。
不意に――小さく、かちゃりと陶器が重なる音が鳴る。
鼻腔をくすぐるのは甘い香り。見れば、眼の前には琥珀色から湯気をのぼらせるティーカップが差し出されていた。
出された琥珀色を見るともなしに見つめるシャルロット。その身体は未だ震えたまま。
嘆息ひとつ漏らし、キャスターは言う。
「飲みなさいな。毒なんて入っていないわよ。そうまで震えられたら訊くものも訊けないわ」
それは嘘だ。
キャスターが本気であれば、相手に暗示をかけて強制的に自白させる事など造作もない。
それをしないのは、仮にも本人の意思を尊重してのもの。
「…………」
しばし無言であったが、おそるおそるとカップに手を伸ばし、シャルロットは紅茶を口に含んでいた。
最近紅茶を淹れてばかりねと、キャスター自身考えていた。紅茶など、ただの色水程度にしか見ていなかったというのに。
最初の頃と比べ、彼女の紅茶を淹れる作法は上がっていると言えよう。布仏本音の姉、布仏虚と顔をあわせる機会があった際に偶々紅茶の淹れ方を教えてもらったからだ。虚やアーチャーには到底足元にも及ばないが、作法を知る知らないで淹れる味は違うもの。
だが、それらはあくまでもその手順を十分にこなせる場所で淹れるもの。
悲しいかな此処は保健室。お湯はポットのみ。茶葉もインスタントでしかない。休憩程度に口にするものに、キャスターはそこまで徹底したものを求めてはいない。故に手軽に済ませる方法を選ぶ。とはいえ、インスタントでも美味しく淹れる分量は教えてもらった上でのものだ。
紅茶の甘味に緊張がほぐれたのか、シャルロットは肩の力を緩めていた。
それを見越し――キャスターもまた椅子を引き、向かいの席に座っていた。自身も紅茶に口をつける。
唇と喉を潤した魔女は少女へ視線を向ける。
蒼く見据える瞳に一瞬背筋をぞくりとさせるシャルロットだが、冷静故か大人しいまま。
「お嬢さん、話してもらうわよ。あなたが何をしようとしていたのかを。それと、さっき言っていたわね。『妾の子』と……どう言う事?」
「…………」
少しは落ちついたのか、シャルロットはキャスターの問いかけに――静かに、ぽつりぽつりと答えはじめていた。
事のはじまりは、IS学園のセキュリティを踏まえた上でのデュノア社からの暗号通信からだった。
当初のシャルロットに課せられた任務の織斑一夏と白式のデータがいつまで経っても送られてこないのだから。
痺れを切らしたデュノア社にしてみれば、遊びでシャルロットをIS学園に送り込んだわけではない。先に述べた二種のデータを得るためだ。
だがシャルロットはデータを送るつもりはなかった。とは言え、彼女は年頃のひとりの女の子だ。自分の会社が相手となれば抵抗できるものにも限りは出てくる。
デュノア社の経営は日々変動する。一向に送られてこないデータに躍起になるのは当然と言えよう。
だが、それでもシャルロットは頑なにデータ提供は拒否していた。IS学園特記事項第二一条を盾にして。
双方の意思が平行のまま、動いたのはデュノア社だった。
第二の男性操縦者、衛宮士郎の専用機ISデータを入手しろ――と。
「…………」
携帯電話に告げられた内容にシャルロットは言葉を失う。それは、一夏とのやり取りを思い出したのだから。
「僕は――」
「シャルロット・デュノア代表候補生」
反論しようとするシャルロットを遮り、通話相手は抑揚のない声音で告げる。
「我々デュノア社は、遊びであなたをIS学園に送り込んだわけではありません。そこはご理解されているはずです」
「……はい」
「織斑一夏、ならびに同操縦者のISデータの取得があなたの任務だったハズですよ?」
「ですから、それは何度も言っているでしょう? 僕にはそんな事は出来ないと――」
「出来る出来ないではないんですよ。我々はやれと言っている」
「――っ」
「言い方を変えれば、あなたひとりのせいで、デュノア社員が路頭に迷うという事をお忘れなく。それとあまり我侭を仰られますと、此方としても不本意ではありますが代わりを用意しなくてはなりません」
電話越しに聴こえる相手の嘆息。それよりも聴き捉えた言葉にぴくりと反応し、僅かにシャルロットの指先、肩が震え出す。
「代わり?」
「ええ。あなたを本国に引き上げろ、との話が出ております」
「――――」
「聡明なあなたならわかるはずです。この意味が」
その後の事をシャルロットは覚えていなかった。ただ、震える手がよく携帯電話を取り落とさなかったと今になれば思う事だ。
無意識のまま二、三程言葉を交わし通話を終えると、無言のまま額に手をあて思案に暮れる。
(戻される……? あの場所に……嫌だ……そんなの嫌だよ……)
父親、本家、デュノア社、フランス政府……それらが頭に浮かびシャルロットは更に苦しむ。
しばらくひとり悩んでいた彼女だが、悩み考え抜いた末に出した答えは――今の生活を壊したくないとしたもの。
その後は今に至る。
「――――」
自分が愛人の子供である事。
現状のデュノア社の経営不振の事。
それと、このデータ収集の件はこれが初めてではない事。
自分が男として偽り、織斑一夏に接触して彼の身体データ、ならびに機体データを得るように言われた事。だが自分が女だとばれたこと、その際に一夏にどうしたいのか告げられ、助けてもらった事まで。
キャスターにとっては関係ない部分もあったが、シャルロットにとっては勢いのまま全てを話していた。特に、白式のデータ取得の話などは一夏以外に口外していない。キャスターが二人目となる。
シャルロットの思惑など知るはずもなく、キャスターは内心呆れたものがあった。
士郎のISに関しては、何処かから情報が漏れたものを中身の確証もせず聴き捉えたのだろう。しかも白式や紅椿のように、最新型ISかなにかと勘違いしての食いつきとも取れる。白式のデータが得られなくても最新型のデータが取れればそれでいい。その考えは間違ってはいない。
その欲する機体データが、願っているように最新型であればの話が前提となるのだが。
データを取得しなければ、代表候補を剥奪すると脅されもしたとシャルロットは話す。別の人間を新たな代表候補生として学園に送る。帰国させられるのが嫌ならば、大人しく指示に従えと安易に示唆されたもの。
とはいえ、それはシャルロットの問題である。
理由はどうあれ、キャスターの眼の前で縮こまる少女は損得を天秤にかけて『得』を選んでいる。
皆と離れたくないから心苦しいが言われるままに協力したと聴こえはいいが、そのために士郎のデータを得ようとした。それは目的の為ならやむなしというシャルロットの本心だろう。苦渋の選択など言葉で彩っても事実は変えられない。
それはシャルロット自身もわかっている。一夏と離れたくないために、友人の機体データを売ろうとしたのだから。
「一夏に助けてもらったのに、僕はやっぱり駄目なんです。軽く条件を出されてしまって大人しく従っているんですから」
「一夏? ああ、ISをはじめて動かしたという男ね。織斑一夏だったかしら」
「はい」
シャルロットの頷きに、だがキャスターは特に反応はない。
織斑一夏に関する情報は頭の中に入っている。織斑千冬の弟で、士郎と仲良くしているとも聴くし、ランサーがくだらないちょっかいをかけているのも知っている。
「…………」
恐らく、一夏という男が助けたというが、その少年も感情のまま口にし、少女を諭したつもりなのだろう。キャスターはその程度の認識だった。『子供』だと捉えている。
覚悟は出来ていますと答えるシャルロットに、キャスターは内心鼻で笑っていた。
簡単に覚悟があると口にするのなら、最初からこんな事をしなければいいのにと。そのため、魔女は問いかけていた。
「あなたはどうしたいの?」
「……どうしたい?」
「どうしたい、どうやりたいの? 今の状態をあなた自身はどうしたいの?」
話を聴く限り、今回の件を通すところへ通せば、この少女自身にもそれなりの処罰が下されるだろう。命を奪られるまではいかないと見越しても、陽の当たらない生活を余儀なくされると推測する。
なにより、デュノア社だけのものか、その背後にもしフランス政府が関与しているとなれば面倒ごとは増えるだけ。
デュノア社は解体され、別会社に吸収、または傘下に入る程度にはなるだろう。デュノア家は一族郎党も処罰は受けるやもしれない。もしくは、狡猾にもこの少女だけに罪を被せてトカゲの尻尾きりとして保身に走る輩がいないとも限らない。
だが――
画策した者が処罰を受けるのは当然だが、自分の都合で産ませるに至った女の子供を、実の娘と接するわけもなく、IS適正があるとわかれば掌を返したように駒のように扱う。
シャルロット・デュノアの父が、果たして本心から下したのか、または別の者の指図なのかはわからない。しかしキャスターにすれば、黒幕が誰かなど、そんな些細な事はどうでも良かった。彼女はただひとつ、『気に入らなかった』だけなのだから。
大人たちにいいように利用されて、自由も、本人の意思も蹂躙されたこの少女への仕打ちが、キャスターは純粋に許せなかった。
「……私と同じね。まるで」
「え?」
ぽつりと漏らすキャスターの声音にシャルロットは思わず訊き返していた。だが、魔女はそれには応えず、先の言葉を繰り返す。どうしたいのか、と。
相手の問いかけに、シャルロットは視線を泳がせ力なく呟いていた。
「僕は……一夏と……皆と離れたくないです」
「……ならいいんじゃないかしら、それで」
「いいって……」
シャルロットの視線がキャスターへ向けられる。あっさりと応える女性。そんな簡単に済む問題ではない。それほどの事を未遂とはいえ自分はやろうとしていたのだから。
罪の意識はあるようね、と捉えたキャスターはつまらなそうに言う。
「どうでもいいわよそんなの。くだらない」
「ど、どうでもいいって……悪いことをしようとしたんですよ。そ、それに、僕が嘘をついているかもしれないじゃないですか」
「それはないわね」
あっさりと――言いのける。
「あなたの眼を見ればわかるわね。嘘をついているのかどうなのか。それに、そんなに器用じゃないでしょ、あなた」
「…………」
「そんなあなたを見て、一夏て子は助けてあげようという気になったのでしょうね。ついでに言うけれど、衛宮士郎の機体データなんて、大して役に立たないわよ? あなたならわかるでしょう。所詮は第二世代型のデータなのだから、今更お古のデータを手に入れたところでどうにもならないはずよ」
「……それは……」
キャスターの指摘にシャルロットは口篭る。言われる通り、中身を見た限りでは『アーチャー』のデータはそれほど価値があるとは思えなかったからだ。
「どうしても欲しいっていうのならくれてやればいいわ。ああ、なんなら私が直接デュノア社に話をしてあげるわよ? 私はね、お嬢さん……自分の勝手な都合でいいように振り回そうとしている輩が大嫌いなのよ。それに私はあなたを許したつもりはないわよ。罪の意識があるのなら償いなさいな」
「…………」
「それでも自分自身に納得できないのなら、自分で勝手に担任の織斑先生なり山田先生にでも言う事ね」
「はい……」
おそらく、シャルロットは許しを得るために馬鹿正直に士郎に話をしたとしても、当の彼はこう応えるだろう。
「データぐらい、いいじゃないか」
後先も考えず、どういう事になるかなど考えてもいない。『正義の味方』を語る少年の心情を知り、その後の行動など安易に想像がつくだけにキャスターは頭が痛かった。いや、シャルロットの実情を知れば、あの少年は間違いなく首を突っ込むだろう。
空になっていたカップを下げ、二杯目を淹れて差し出しキャスターは嘆息する。
素直に紅茶に口をつけるシャルロットを見ながら――いずれにせよ、根本の問題は解決しない。
自分ひとりが勝手に手を下すとなると、後々厄介なことが起きるのは必須と考える。IS学園の存在、ならびに織斑千冬だ。
「お嬢さん、私は今回何も見なかった。何も聴かなかった。それでいいわね」
「え? でもそれは……」
シャルロットが顔を上げ、口を開き言いかけるがキャスターは相手にしなかった。
「極力面倒事には首を突っ込みたくないの。あなたは今まで通り大人しくしてる。そうしなさいな」
「……でも……」
でもそれは、何の解決にもならないのでは――シャルロットは胸中でそう呟く。
「魔がさそうとしたけれど、それを思いとどまった。それでいいじゃないの」
「…………」
お話は終わり。今日はもう帰りなさいなとシャルロットへ声をかける。
これ以上話しても変わらないと思ったのかどうかはわからない。ただ、シャルロット自身が今後をよく考えるにはこれ以上拘束するにも得策ではない。
わかりましたと応え、保健室から出て行く際にシャルロットは振り返ると、ぺこりと頭を下げていた。
扉が閉まり、廊下を歩く音が鳴るが、やがてそれも徐々に聴こえなくなる。
しんと静まり返る保健室で、キャスターはひとり思案顔となる。
「…………」
何故に自分は手を貸しているのだろう?
あの少女が自分と同じだから?
「…………」
眼を閉じ、キャスターは意識を沈ませる。
利用されて捨てられるなど。まるで自分を見ているようだ。
他者による、あまりにも身勝手な振るまいが、キャスターは我慢ならなかった。
自分と同じように、いいように利用されて捨てられるなど。
自分自身はどうあっても変える事は出来ないが、眼の前の少女の運命を変えることは出来る。
こんな自分でも、助けてあげる事が出来る。
そこまで考えていたところで、キャスターは眼を開けていた。
何故、自分は彼女を助けようとしているのだろう?
所詮は他人だ。放っておけばいいだけなのに。
何故に――?
くだらない。実にくだらない事を自分はしようとしている。
サーヴァントにあるまじき行為。自身は『キャスター』、希代の魔術師、『裏切りの魔女』と呼ばれる自分がどうして人助け紛いな事を――
「こんな私が……」
魔術師になれない魔術見習いの少年の甘さが移っている――?
「私も正義の味方の真似事かしら?」
魔女の自分がなんとお笑い種だろうか。
誰かのために本気で助けようとしている自分に嘲笑う。
馬鹿な話があってたまるか、とキャスターは一蹴したい気分だ。この身は宗一郎のためだけにある。
葛木宗一郎にとっての善悪は衛宮士郎とは違いすぎる。宗一郎にとって間違っていると感じたものが正されるのだから。
当初の目的は桜に頼まれた士郎を捜す事。それはもう済んでいる。次はこの世界から早々に出る事だ。他の連中はどう考えているか知らないが、キャスター自身はこんなところにいつまでも長居するつもりはない。一刻でも早く、愛する人のもとへ戻りたいのだから。だが、それにも時間がかかる。
――故に。
時間がかかるその合間に――仕方がないと捉えていた。
戯れとして、自分自身に言い聴かせるように、決して、湧いた感情が本心からのものではないと敢えて論じ否定しながら。
いずれにせよ、彼女は理に合わぬ事を考える。
自分が振舞おうとしている行いは、本心からのものではない。忌々しいが止むを得ず下すしかない。絶対に認めようとはせず、他に手がないのだからと置き換えていた。
退屈しのぎにもならない退屈しのぎとしてか。
気が変わったというべきか。束の間にやるべき事が見つかったというものか。
くつくつと小さく笑いながら、どんなに自分に都合よく言葉を並べたとしても、ただひとつハッキリと理解しているものはある。
「そうね……私は気に入らないんだわ……」
無意識のうちに手にしていた空のカップに力を篭めると――がぎんと音を立てて握り潰していた。
それからのキャスターは迅速だった。
翌日の生徒たちが疎らな早朝、職員室に入るなり千冬を掴まえ、有無を言わさず屋上へ連れ出していた。
「なんの用だ」
写真の一件以来、千冬はキャスターを快く思っていない。
士郎、セイバー、ランサーを含めた四人のうち、千冬が尤も警戒しているのは眼の前の女だった。ランサーも危険視するものではあるが、彼と比べればレベル的にはキャスターが圧倒する。保健室でよからぬ事を企てているのではと常々警戒してはいるが、予想とは裏腹に生徒からは良好の声しか耳にしない。
キャスター自身も己がどう思われようが気にもしない。相手はただの人間だ。例え千冬があのISなどという玩具を持ってきたとしても歯牙にもかけない。
互いの思惑などさて置き、キャスターは単刀直入に要件だけを告げていた。
「あなたのクラスの生徒、シャルロット・デュノア……どこまで知りえているのかしら?」
「言っている意味がわからんが?」
眉を寄せ訊き返す千冬に、あらそうと応えつまらなそうに視線を向ける。
「わかりやすく説明したほうがよさそうかしら? あのお嬢さんの身辺状況、どこまで知っているのかと訊いてるのよ」
「……お前に教える必要があるのか? 貴様こそ説明しろ。目的はなんだ」
「訊いているのは私よ。あなたはただ訊かれた事に素直に応えればいいだけ。偉そうに、たかが人間如きが私に命令するんじゃないわよ。消し飛ばされたいの?」
「…………」
ふたりの空気は最悪だ。
節度を持ち振舞っているとは言え、キャスターはサーヴァントとしての能力をひけらかす気はないが隠す気もない。彼女の言葉は冗談など一切含んでいない。やる気になれば本気で行うだろう。
対する千冬も相手の不可思議な能力に怯えもせず睨みつける。
千冬が生徒を護るように、キャスターは不本意であれ士郎を護るだけ。どちらも己が護る領域に手出しをされれば黙ってはいない。
しばし無言。だが先に折れたのは――千冬だった。自分が何も応えなければ、眼の前の女は次に真耶を標的にするだろう。彼女を相手にさせるには分が悪い。それを見越しての判断となる。
「先に言っておくが、生徒に危害を与えるよなものなら私とて容赦はせん。何が知りたい? デュノアに関してはそう応えるものなどないぞ?」
「男として編入したと聴いたけれど?」
「確かに。その事実はある……最初はな。だが、デュノア自身が女だと告げてその件は済んでいる」
「…………」
それだけかと問いかける千冬にキャスターは顎に手を当て考える。
昨日聴いた話をそのまま口にするべきか。もし口外して、眼の前の女が知り得ていない情報を提供したら面倒な事になる。
そう考え――
キャスターは別の事を訊いていた。
「デュノア社の経営は悪いのかしら?」
「……産業シェアに関しては我々が感知し、把握しているものではない。ただ、些か苦しいとは耳にする」
「…………」
些か――
相手の返答は予想出来得ていたもの。キャスターはやれやれとひとつ嘆息を漏らし口を開いていた。
「最後。とある生徒が自分ではやりたくもない事をやらされている。それをしなくてはならない脅しを受けている。どうしていいかわからないと迷うその子を、あなたならどうするかしら?」
キャスターの口から発せられた唐突な内容に、千冬はなんだその例え話はと一瞬笑いかける。
が、すぐにそれは思い止まっていた。相手の眼、冗談を一切含まない至極真面目な双眸だったからだ。
それを見た千冬の表情も自然と強張り、相応の声音で返答していた。
「……決まっている。理由がどうであれ、生徒に外部から圧力をかける事など見過ごせん。それがお前の言うように無理強いを示すものなら尚更だ。如何なる手段を用いても護るだけだ」
「ふうん……」
千冬の応えに納得したわけではない。だが、キャスターは口の端を吊り上げていた。
「なら、私は手を引くわ。面倒事まで深入りする気はないの」
「待て。先から何を言っている。的を得ない話ばかりでわからないぞ」
立ち止まり、振り返ると魔女は言う。
此処までは口にしても構わないと頭の中で算段しながら。
「デュノア社が、坊やのISのデータを欲しがっている。それをシャルロット・デュノアに命じて盗ませようとしている」
「…………」
「データ取得は未遂で終わったけれど、本人はそのことに酷く心を痛めている。経緯はどうあれ、自分自身が決めてデータを盗もうとしたことは事実なのだから」
白式と一夏のことは敢えて口にしなかった。
それは既に一夏とシャルロットの間で済んでいる事。いまさらそれをつつく気はない。
「私としては、あんなデータなどくれてやればいいと思うけれど、そうもいかないでしょう? あなたが受け持つ可愛い生徒なら、なんとかしてあげなさいな。それと、出来る事なら彼女にはなんの咎もないようにしてちょうだい。それくらいできるでしょう? 『ブリュンヒルデ』さん?」
それだけよ、と言ってキャスターは踵を返す。
「待て。なぜお前がデュノアに肩入れをする?」
そこが一番理解できない事だ。この女とデュノアに接点はないはずだ、と千冬は捉えている。
だが、今度はキャスターは振り向きもしなかった。
「さあ? 自分でもよくわからないのよ。ただ、あの子が私と同じように、ただいいように利用されている姿を見るのが気に入らないだけ。実の子供を駒や道具に扱うのが我慢ならないの」
実の子供、という言葉に千冬はぴくりと反応する。自身にも当て嵌まる境遇を思い出しながら。だが、それは一瞬。
眼の前の女がこれほどまでに感情的になるとは珍しい。声音だけでも十分怒りを含んでいるのがわかる。見えはしないが、表情も相応のものなのかと邪推しながら、千冬は聴きとめた言葉を口にする。
「お前と同じとはどういう事だ?」
「私に、あなた如きにそれに応える義理があって?」
話は終わりよと手を振り、キャスターは去っていく。千冬はその背をたた無言で見入るだけだった。
職員室に戻り、彼女なりに調べた事でわかったものは、やはりきな臭いデュノア社の動きだった。それなりにカマをかけてみたが、相手は否定を示すだけ。
だが、千冬とてそのまま引き下がりはしなかった。IS学園から遠回しにデュノア社に警告した事はみっつ。
ひとつ、本学園生徒、シャルロット・デュノアに干渉するな。
ひとつ、在学中のありとあらゆる国家、組織、団体に帰属しない。本人の同意がない限り、外的介入は原則として受け入れない。それでも介入するというのならば、規定違反の学園への干渉と見なし此方にも考えがあること。
ひとつ、一経営企業如きが、私を甘く見るな、と。
その三点を強制的に告げただけだった。今現在はこれだけだ。
IS学園特記事項第二一条があるとはいえ、どれほどまでに効果があるかはわからない。だが、三年間は向こうも手は出せないのだ。その合間に最善の手を考えればいい。
まったく、余計な面倒事を増やしてくれると、千冬はこの場に居ない保健医に対して恨みをぶつけていた。
千冬に放課後呼ばれたシャルロットは気が気でなかった。
自分が呼び出される事など、心当たりはひとつしかない。案の定、少女の予想は的中する。
織斑千冬が本気になれば、シャルロットに関して調べられないものはなかった。キャスターの口にした内容もその筋から裏が取れた。また、実弟の織斑一夏と白式のデータを得ようとしていた事も調べていく上でわかったもの。
(葛木め……知っていながら口にしなかったな……)
その事実を知った時、千冬は胸中でキャスターに怒りをぶつけていた。
他の教師の姿が見えない職員室でシャルロットから一連の話を聴き取り――終えた際に千冬は険しい顔のまま告げる。
「くだらん」
そう一言残し、千冬は手を払うとシャルロットに退室を命じていたからだ。
ワケがわからないシャルロットは当然詰め寄っていた。言い方がおかしいが、何故、そうまで事情を知っているのに自分にはお咎めがないのかと。
だが、それこそ千冬は面倒くさそうに視線を向けて言葉を吐く。
「お前はどうしたいんだ? 学園を離れたいのか?」
その言葉にシャルロットは声を噤む。キャスターに応えたように、自分は仲間から離れたくないのだから。
そのことを伝えると、然して表情に変化のない担任は「そうか」と応えただけだった。
「ガキの考えは所詮ガキの範疇でしかない。お前らでどうにかできるのか? くだらん事を考えるな」
適当に言葉を濁され、半ば追い出されるように職員室を後にしたシャルロットはその脚のまま保健室へ向かっていた。
がらりと扉を開けば、目当ての女性は、昨日話をした椅子に座り衣服を縫っていた。
キャスターも現れた少女に視線を向け――あらと口元をほころばせる。まさかシャルロットが来るとは思っていなかったからだ。
シャルロットは確認したい事があった。千冬は何も言わなかったが、今回のタイミングで真っ先に浮かんだのは眼の前に座る女性。
椅子を勧められ素直に従う少女とは対照に、キャスターは裁縫の手を休めない。
しばし無言が続くが、口火を切ったのはシャルロットだった。
「葛木先生が……その……色々としてくれたんですよね?」
「なにをかしら?」
目線は合わせず、キャスターの指先は糸が通された針を布地に這わせていく。
手際よい作業に見入りながらシャルロットは続ける。
「織斑先生から……デュノア社の事で話をしました」
「……そう」
「でも、おかしいんです。昨日の今日でこんな風になるなんて」
「なんの事を言っているのやら。わからない話をされても、私はなんとも返答の仕様がないのだけれど。余程優秀なのね、織斑先生は」
「…………」
「良かったじゃない。話を聴く限り、万事解決するんでしょう?」
「…………」
そこでシャルロットは今の言葉に違和感を覚えていた。
(どうして葛木先生は、万事解決するなんて口にしたんだろう……僕は織斑先生からデュノア社の事で話をしたとしか言っていないのに……)
まるで最初からわかっているかのような口振りともとれる。
改めて相手を見るが、やはり変わらずキャスターは裁縫を続けるだけだ。
確証を得たわけではない。だが、自然とシャルロットは感謝の言葉を口にしていた。
「……ありがとうございます。こんな僕を、助けてくださって」
「助けた?」
そこで指が止まり、キャスターははじめて少女を視界に捉えていた。蒼い瞳が少女を睨むように真っ直ぐに見据える。
「お嬢さん、言葉はよく選んで使いなさいな。あなたが勝手に助かっただけではなくて? 勘違いしない事ね」
「…………」
シャルロットは無言。
キャスターはすいと視線を外し作業に戻る。
「ありがとうございます」
「礼を言われる覚えはないわよ」
「ええ。それでも、僕は葛木先生にお礼が言いたいんです」
「…………」
「何もしてくれていないかもしれません。でも、僕をあの時見つけてくれた事、話を聞いてくれた事には感謝しています」
「…………」
言葉はない。この少女は本当に愚かな子だと魔女は思う。
キャスターがあの場を押さえてくれたから、止めてくれたから今の自分がいるなどと、シャルロットは都合のいい解釈をしている。
「あの……」
「なにかしら?」
「その……迷惑でなければ、昨日の話を訊いてもいいですか? 僕と同じって口にした事……」
「ちっ――」
小娘が、調子に乗るなと考える。
余計な事を言ったものだとキャスターは後悔していた。相手の少女に対しても律儀に覚えているものだと歯噛みしながら。
思わず暗示をかけようかと考えたが、すぐにやめた。余計な手間をかけたくない。
なおかつ――何故か、キャスターは眼の前の少女に話してもいいかと考えていた。同情、憐れみかはわからない。気がつけば彼女は手にした針と衣類をしまい、空いたベッドへと抛っていた。その脚のままふたり分のお茶の用意をする。
カップを手にして戻ったキャスターはシャルロットへ差し出し、自身も腰を下ろす。
「私自身のことを話す気はないけれど、ちょっとした御伽話を聴かせましょうか」
話は長くなる、それにつまらない話よ、と前置きしてキャスターは口を開いていた。
まだ、人間として生きていた頃の思い出を混ぜながら――
オリンポスの神々の思惑と夫の裏切りにより人生を狂わされた女の話を語り出す。
国を棄て、父を裏切り、弟を手にかけ、望みもしない夫を愛し捨てられ、帰る場所を失い異国の土を踏み長い放浪を辿る魔女の物語。
無理矢理重ねられた多くの罪。叶わぬ願いと知らされながらも捨てざるをえなかった多くの夢。
淡々と――
時間にしてはどれ程か。
語り終えたキャスターが顔を上げて見たものは、ほろりと一滴の涙を頬に伝わせるシャルロットだった。
紅茶などとうに冷めている。最初は口をつけていたのだろうが、それほどまでに途中からは話に聴き入っていたのだろう。
馬鹿な娘ね、とキャスターは笑う。
くだらない昔話で、何故にこの少女が涙するのか。自分の事として話したつもりではないというのに。
思わず、キャスターは手にしたハンカチでシャルロットの目元を優しく拭っていた。そのまま少女に語りかける。
「運命なんてものはね、お嬢さん。努力次第で先送りには出来るかもしれないわ。でもね、己の運命だけは、例えどんなに汚く足掻いたとしても自分ひとりの努力だけではどうする事も出来ないのよ」
現に私がそうなのだからとキャスターは自嘲気味に笑う。
だが、シャルロットは相対する女性の瞳に浮かぶ、どこか寂しそうな色があることに気づいていた。
口に出しかけた言葉を――呑み込む。それは、眼の前の女性に告げていいのか迷ったからだ。
逡巡するシャルロットに構わず、キャスターは続ける。
「心から、本当に自分を変えたいと願い求めるならば、誰かに手を借りなさいな。それも、ちゃんとした大人よ? 子供の浅知恵ではただ今を先伸ばしにしているだけ。それに満足できるものでもないでしょう?」
遠回しに一夏の事に触れている。キャスターとて一夏の行動を馬鹿にしているわけではない。あくまでも彼は子供なのだから。その場の勢いでいい案を思いついたとしても、ならばどのように対処するのかと踏み込んだところまでは考えていまい。でなければ、シャルロットが悩む姿などあるわけがない。
助ける事と救われる事が同一とは限らない。シャルロット自身も完全に救われてはいないのだから。
でも――とも考える。子供だからこそ、口にできた言葉にシャルロットが助けられたというのもまた事実。
こんな昔話を聴かせた事にキャスター自身意味があるとは思わなかった。
だが、放っておけないと考えたのは本心からのもの。そのため、キャスターはシャルロットに優しく告げていた。
「お嬢さん、あなたと仲良くする気はないけれど、困った事があったらいつでもいらっしゃいな。おかしな事をされても面倒だし……そうね、お茶ぐらいは出すわよ」
「…………」
その言葉に――シャルロットは、無言のままこくりと頷いていた。
後日――
保健室に訪れた士郎は、そこで珍しい顔を見つけていた。
「……珍しいな。デュノアがいるなんて」
呟き通り、シャルロットと本音、キャスターの三人の組み合わせなど珍しい。
仲良かったっけと首を傾げる士郎に、シャルロットは頷き応えていた。
「うん、葛木先生には良くしてもらっているよ」
「…………」
無言のまま、キャスターに疑惑の眼差しを向け――問いかける。『アンタ何かしたのか?』と。
だがキャスターは少年の言いたい事が簡単にわかったのだろう。否定の言葉を口にしていた。
「失礼ね。私はなにもしていないわよ」
「……どうだか」
布仏の件があるから信用できないからな、と手を振ると士郎の視線はシャルロットへ向けられていた。
「デュノア……気をつけた方がいいぞ。この先生は怪しいからな」
「ちょっと、それはどういう意味かしら?」
言い合う士郎とキャスターのふたりを見て――
「あはは、大丈夫だよ士郎。葛木先生は優しい人なんだから」
屈託のない笑みを浮かべて――
シャルロットは、心からそう微笑んでいた。
三度、今回の話に関しまして、alutoさんのご協力に感謝いたします。誠にありがとうございます。