I.S.F インフィニット・ストラトス×Fate 作:ボイス
士郎たちが第二整備室で機体調整作業をしている頃、夕食を終えた一夏たち一行は剣道場で稽古をしていた。
何度目かになる試合形式の勝負を終えた箒と一夏は肩で大きく息をする。対して相手をするランサーは息ひとつ乱れてはいない。棍を肩に担ぎ、涼しい顔をして直立したまま。
ふらふらした足取りで木刀を構えようとした一夏ではあるが――募る疲労により、よろよろと床に尻餅をついていた。呻きながら彼は言う。
「参った……駄目だ。限界だ」
「……わたしもだ」
息を切らせた箒もまた同様に、その場に腰を下ろしていた。
ふたりがかりで挑んだとは言え、結果は一方的に倒されただけ。ランサーに軽くあしらわれた自分たちが情けない。
とは言っても、ランサーを相手にする前に、一夏と箒はセイバーと手合わせをしていたのだが。
一夏と箒のふたりを交互に稽古をつけていたセイバーではあるが、連戦に連戦を重ね続ければ当然疲れが生じてくる。休憩を申し出た箒に頷き、セイバーは『少々お腹が空きました』と残し、自らも席を外していた。
休憩もそこそこに、ようやく体力が幾分回復したふたりを見て、次に相手を買って出たのがランサーだった。
「なんだなんだぁ? 夫婦揃って、だらしがねーなぁ」
「だ、誰が夫婦かっ!」
ランサーの軽口に箒は紅潮した頬へ更に赤みが増し反論する。
満更でもあるまいにと胸中で漏らしながら――呼吸を整えるのにやっとのふたりを見下ろし――ランサーは棍の柄で軽く肩を叩きながら口を開く。
「まぁ、最初の頃に比べりゃ、ちったぁマシになったがな。とは言っても、一夏の兄ちゃんはまだまだだな。お前はこちらの間合いを意識しすぎだ。俺がわざと間合いを取らせてやってたのに気づいてたか? 馬鹿正直に、嬉々として踏み込むのは止めろ。ほいほいと簡単に誘いにのるな。自分の間合いに持っていったつもりの、その油断が目立つぞ」
「…………」
ランサーの指摘に一夏は声も無い。
「お前が距離を詰めたつもりでもな、俺がちょいと後ろに下がっちまえば、状況なんざまた変わるんだぜ? それに、俺の得物と握る腕も考えろよ。こっちの間合いなんてのはよ、それこそ自在に変えられるんだからな。でないと、打ちのめされる一方だぜ?」
「……わかった」
素直に答える一夏に頷き、ランサーの視線は箒へと移っていた。
「篠ノ之の嬢ちゃんは嬢ちゃんで、線と点の切り替えしへの対応が甘い。一度俺のペースに呑まれると何にも出来なくなるだろ? そいつぁ問題だぞ。いいように手玉に取られるからな」
「あ、ああ。気をつける」
そう返答しはするのだが、どうにも巧くいくわけがない。技量には圧倒的差がある。にも拘らず、箒は相手の指摘を素直に受け入れていた。それは、少しでも今後に生かせることができればと判断してのものである。
ランサーもそれは理解しているのだろう。
「まぁ、今日明日で完璧に対処できるとは思わねーけどな。基礎には些かの足しにはなんだろ。次に活かせるようにはしとけよ。さてと……」
視線をふたりから座って傍観していた他の専用機持ちたちへ移し彼。
「お前らも、見てるだけじゃつまんねェだろ? 遊ぼうや」
「……遊ぶ?」
「ゲームでもしますの?」
ランサーの提案にいまいち話が読めないシャルロットとセシリアが小首を傾げる。
そうだと応え、ランサーは続ける。
「ああ、ゲームだ。得物無しの俺と、お前ら六人がかりでの組み手ってのはどうだ?」
「ほう、面白そうだ」
そう声を漏らしたのはラウラだった。
彼女はすっくと立ち上がり、鋭い隻眼がランサーへと向けられる。
「貴様には、わたしも相手をしてもらいたかったところだ。それで、勝敗はどうつける?」
「そうだな……」
ラウラの声にランサーは顎に手を当て考えると……いい案を思いついたとばかりに、ニヤリと笑みを浮かべていた。その『貌』は、酷く悪い。
「ルールは、お前らが動けなくなるか、俺を床に叩きつけるか、てのはどうだ?」
『…………』
一夏たちは各々顔を見合せていた。その表情には不安を浮かべたものではない。
舐められたものだと受け取ったのは全員だった。いくらランサーとて、徒手で六人を相手にはハンデを与えすぎだと考える。
結果が見えすぎてつまらないと、半ば呆れた表情を浮かべたラウラは続けていた。
「ふむ……いいだろう。ちなみに、わたしたちが勝てばどうする? 張り合いが無ければつまらんぞ」
はあ、そういうモンかねとランサーは考え、定番ではあるがと前置きしてから口を開く。
「あー、ならメシでも奢るか? 上限金額はいくらでも。和洋中なんでもござれ。次いでだ。駅前のなんか高ェ甘いモン売ってるトコあんだろ? なんつったか? なんたらクルーズとかいう店の、あそこのデザートも別腹で追加ってなトコでどうだ?」
他には思いつかんとランサー。
と――
「乗った!」
真っ先に声を上げたのは鈴。次いでシャルロットとセシリアも乗り気なのか腰を上げていた。
「一夏と箒がやられっぱなしなのを見てるのも面白くないし」
「ランサーさん、殿方に二言はございませんわよね?」
「ちなみに訊いておくが、お前が勝ったらどうすればいい?」
一応訊いておいてやるとするラウラの問いかけに、ランサーは嬢ちゃんたちとのデートでいいぜと軽く応える。
「言うだけは、自由だな」
口元を吊り上げるラウラと同様に、一夏と箒もそれならばと立ち上がっていた。
素手ならば自分たちにも利はある。
ボコボコにしてやると各々胸中で呟き、くつくつと悪い笑みを浮かべる六人ではあるが――
しかし、それが甘い考えだったと直ぐに思い知らされることになるのだが、当然のように、この時点では誰ひとりとして気づきも考えもしなかった。
床に這い蹲るかのように身体を沈ませ、円を描くかのようにランサーの右脚が疾る。
簡単に足を払われ、バランスを崩したセシリアの左腕を絡み取ったランサーは捻るように立ち位置を変え、瞬時に床を蹴る。
入れ替わるように、鈍い音とともに床に背を叩きつけられたセシリアは息を詰まらせていた。
畳道場とは違い、此処は剣道場だ。緩衝は何もない。これが畳の上であれば、身体を打ち付けたとしても衝撃を吸収する柔軟性があるのだが――
ダイレクトに伝わる衝撃に肺が空気を欲し激しく咽る。
痛みにより起き上がる事もできない彼女の視界を過ぎるのは、フランス代表候補生のシャルロットだった。
一瞬にして次の獲物に飛び掛られたランサーに投げ飛ばされていた。
何とか受身を取りはしたが、シャルロットもセシリア同様に体力の限界なのだろう。「ごめん」と一言漏らし起き上がる事はなかった。
左腕を前に出し、相手を牽制する様に腰を落とすランサー。対して、彼を左右から仕留めるように間合いを詰めるラウラと鈴。
じりと間合いを詰め、油断無く距離を取るふたりに対し、ランサーは眼を笑わせながら微動だにしない。
床に倒れているのは四人。今し方倒され動かないセシリアとシャルロット。早々に脱落したのは一夏と箒だ。「情けないわね」と鈴の罵声にふたりは面目ないと漏らす事しかできなかった。
それでもなんとか奮闘してはいるが、各々投げられ叩きつけられた数は当に覚えてはいない。皆が皆、もはや意地で向かっているだけだった。
刹那――
仕掛けたのは鈴だった。だんと踏み込み、弾丸のように間合いを詰めるとランサーの左腕を払うように懐に潜り込み、掌底を叩き込む。
だが手応えは無い。当たる寸前にランサーは後方へ跳び退いていた。
不発に終わった一撃に歯噛みした鈴だが、そのほんの僅かな油断がいけなかった。
伸びた腕を飛び退き様のランサーに掴まれ――着地と同時に、真下から捌く右腕の力が加わり背後ヘポイと投げ捨てられる。
「うきゃあぁぁっ!?」
放物線を描く鈴へ――まるで仔猫のようだなと思いながら――視線を向ける箒と一夏。
悲鳴を零し、面白いぐらいにポーンと飛ばされ、次いで背後で上がるのは鈍い音。
適当に投げ飛ばしておきながらランサーは後ろを確認してはいない。視線は残るひとりへ向けられたまま。
じりと間合いを詰めるラウラに対し、彼は言う。
「腰のナイフは抜くなよ、嬢ちゃん? まー、エモノありってんなら、俺もそれ相応に対処すんぜ?」
「…………」
ランサーに指摘され、思わず腰に下げたコンバットナイフの柄に伸ばしかけていた指先が止まる。
ニヤニヤと笑う相手に警告されるまで、ラウラは自分自身でも知らずの内にナイフを抜き掛けていた事に気づかされていた。
それほどまでに自分は追い込まれていた事を思い知らされる。
冷静を取り戻したかのように――ラウラは腰のホルスターごと外すと、一夏へと放り投げていた。
「持っていろ、嫁」
「あー」
適当に力無い返事をしながら受け取る一夏に眼もくれず、腰を落し構えるラウラ。
つま先を滑らせ、ランサーも構える。
とんと床を蹴り、疾るのはランサー。予備動作も無く、筋力だけでの一拍の踏み込みに対し、ラウラは咄嗟に掴みかかる腕を逆に取り、身体を捻り投げに入る。
相手の力をそのまま応用した合気。
が――
びくともしない。大木を相手にしたように、ずしりと大地に根が張る樹木のように。
一瞬気を取られたラウラの身体がぐるりと回り、視界の上下が瞬時に逆になる。
僅かな浮遊感。
ランサーに肩を掴み取られ、ぶんと後方へ投げられていた。
「くっ」
空中で体勢を整え、ラウラは音も無く床に着地する。
「やるねー。さすがにガキとは言え、軍人のお前さんともなると、そう簡単にはいかねーか」
「…………」
「じゃー、こっからは別だ。打撃も入れるぜ」
気楽に言いのけ……ランサーが床を蹴る。
刹那に間合いを詰められ、拳、肘、膝、蹴りが繰り出される。
打撃の雨。
一発一発の破壊力は、空を切る音だけでも否応無しに理解させられた。
その威力は、ランサーは手加減をしていないと一夏たちは捉えている。
だが、それは大きな間違いだ。
サーヴァントたるランサーが本気で繰り出す一撃は、例え相手がラウラであろうとも容易く皮膚を裂き、骨を砕き、絶命出来るものだ。
一夏たちに手加減無しと見える打撃でも、それはそれは手心を加えて放つものだ。とは言え、ランサーの一撃一撃が全力であろうと無かろうとも、相対するラウラ、また見入る一夏たちから見れば区別など付くはずが無い。
事実、先まで箒たち五人を相手にした際の比にもならない、明らかな速度。
一発でも受ければ致命傷になりかねない攻撃。
全ての打撃を無傷でやり過ごす事は出来ない。避けられないものは箇所を外し受け止めるしかなかった。
一撃一撃が重く、人体の急所を的確に狙う破壊の牙。
何処を襲えば壊れるかを熟知している暴風に、ラウラは胸中で悪態をつくしかなかった。
あのラウラが防戦一方の姿を晒すなど、誰が想像できようか。
ひゅっと伸びるランサーの右膝。それをラウラは身を捻りかわし避ける。が、ランサーの動きは止まらない。本命は、爪先を使った蹴り足。
反応が遅れたラウラの顎を掠め――がくんと彼女は膝を付いていた。
意思とは裏腹に、身体の自由が急速に奪われる。
首を鳴らし、欠伸すらしているランサーが視界に映る。
「待て! まだ終わっていないぞ!」
声を上げて叫んだラウラだが、実際には口を動かす事は出来なかった。そのまま彼女は床に大の字に倒れ込んでいた。
撃沈するラウラを見せられ、一夏たちは本格的にランサーが何者なのかがわからなかった。
気楽にへらへらした態度は相変わらずに、実力は軽口を叩くほどに確かなものを持ち合わせている。
(これは、もしかしたら千冬姉でも勝てないんじゃないか?)
一夏自身が最強と思える姉を引き合いに出してみて考える。脳内での結果は贔屓目に見ても姉の圧勝とは思えなかった。もしかしたら負けてしまうという姿すら想像してしまう。
思案する一夏など当然気にもせずに、ランサーは口を開く。
「さーどうするよ。まだ続けんなら受けるぜ」
ランサーの声に――だが一夏たちは冗談ではなかった。
ラウラと違い、適当に投げられただけでダウンした自分たちが生身で勝てるワケが無い。
不意に――
ランサーが背後を振り返る。視線の先には、ふらりと立ち上がっていたラウラの姿があった。
産まれたての仔鹿のように、がくがくと膝が震えている。顎から脳に伝わるダメージの余韻が残っているにも関わらず、無理矢理立ち上がったのだろう。
隻眼には諦めの色は浮かんでいない。執念、信念、負けず嫌いは流石といったところだ。
シャルロットの静止も聴かず、ラウラは駆ける。
だんと床を蹴り、身体を捻ると渾身の一撃の蹴りを叩き込む。しかし、ランサーは左腕でそれを防ぐのみ。
ラウラの脚に伝わる痺れ。まるで鋼にでも打ち込んだかのような堅さ。
(本当に人間かコイツは――)
ぐんと身体を反転させると、ランサーの眉間めがけて踵を振り下ろす。
当たる寸前に――今度はその足首を掴まれていた。そのままランサーの腕が捻り、古い西部劇で見るようなカウボーイが扱う投げ縄よろしく、軽々とラウラの身体を振り回し始めていた。
「うわぁ……」
眼の当たりにした光景に思わず声を漏らしたのは鈴。他の連中も顔を顰めていたのは言うまでもない。
「や、やめろおぉぉぉ」
ラウラの悲鳴。
脳震盪と遠心力の振り回し、的確に三半規管を狂わされる彼女は簡単に眼を回す。
あっはっはっと笑いながら――ある程度力を緩めると、ランサーは床にポイと投げ捨てていた。
「きゅううう……」
眩暈と吐き気による二重の不快さにより伸びたまま、ラウラはぴくりとも動かない。
今度こそ完全に、『ドイツの冷氷』は撃沈していた。
「さて」
額を拭い――汗など一切浮かんでいないが――手強い相手だったとふざけた事を口にしながら、何事も無かったかのようにランサーは一夏へ向き直る。
「じっくり休んだろ? んじゃ一夏の兄ちゃん、続きやるか」
「やらねぇーよ! 無理だろ! ラウラで無理なのに何で俺なんだよ!?」
白羽の矢を立てる相手に一夏は本気で抗議していた。何処をどう見たら俺になるんだと。嫌がらせかよとさえ口にする。
それに対してランサーはつまらなそうに応えるだけだ。
「情けねーなぁ。男のクセに泣き言ヌかしてんじゃねーぞ。仲間護ンだろ? あ? 口先だけか、テメエは?」
「ぐぬぬぬぬぬ……」
それを言われるのは辛い。
反論できず歯噛みする一夏は、止むを得ず立ち上がるしかなかった。しかしと彼は胸中で思う事もある。ランサーの台詞は自分の信念と果たして今此処でのものは繋がるのだろうか、と。
首を傾げる一夏を無視したまま、ラウラとの組み手で身体が温まってきたのだろう。ランサーは爽やかな笑顔を浮かべ、しれっと告げる。
「お前も打撃ありな」
「だから、なんでだよっ!?」
「嬢ちゃんたちが見てんだ。それなりにイイとこ見せろよ、色男」
「出来る事と出来ない事の線引きを見ろよ、アンタは!」
会話が成り立たない事に激昂する一夏を当然のように再度無視し、ランサーは馬鹿な野郎だなと零していた。
「お前が一本取れば済むことで簡単だろ。約束通りに嬢ちゃんたちにはメシ奢りなんだからよ」
「…………」
無言。
一夏には理解できなかった。この男は、一体何を言っているのだろうか?
例えるならば、エネルギー無尽蔵の雪片装備、IS暮桜展開本気モードの千冬相手に生身で殴り倒してみろと言っている様なものだ。
無茶苦茶過ぎる事をよくもまあ平気で言えるものだなと、ある意味感心させられる。そんな一夏を尻目に周りからは声がかかる。
「一夏ッ! しっかり! 応援してるよ」
「わかってるわねアンタ。死ぬ気で取りなさいよ。て言うか、死んでも取りなさいよ。あたしたちのために」
「取らなければ、わかっているな……?」
「一夏さん、信じていますわよ……」
好き勝手な事を言う、ガールズギャラリー。
だが、各々の眼は『取らなければ殺す』と安易に物語っている。
誰も一夏の事を心配していない。いや、この場合、都合がいいように信用信頼しているだけかもしれないが。
「勝手な事言うなよ畜生がぁぁ」
叫び、一夏は破れかぶれにランサーに突貫していた。
「なっさけないわね、アンタ」
「一夏にはがっかりさんだよ」
はあと溜息をつく鈴とシャルロットに反論する気力もなく、一夏は床に寝転がったまま動くことも出来ず、何を言われようとも一切反応を示しはしなかった。
一夏の名誉のために記すのならば、彼は彼なりに奮闘したと言えよう。だが五度目の組み手で流石に体力の限界を迎えたのか崩れ落ちたまま動く事はなかった。
瞳に光はなく、死人然の一夏は放っておき、ランサーの視線は女性陣へと向けられる。
「じゃー、次はお前らだな。どいつだ? デュノアの嬢ちゃんか? オルコットの嬢ちゃんか? ふたりまとめてかかって来るか?」
その言葉に皆ぶんぶんと首を振る。「嫌だ」と全力をもってアピールしている。
ちなみにラウラは未だ眼を回したまま夢の中だ。
「そうかそうか。首を振るほど嬉しいか」
「アナタの眼は腐ってるんですの!? 全力で嫌がってるんですのよ!」
セシリアの声にうんうんと頷きランサーは笑う。
「そうか。次はオルコットの嬢ちゃんか」
「人の話を聴けですわ!」
怒髪天をつくほどに吼えるセシリアを軽く聴き流し、ぱたぱたと手を払いながらランサーは視線を逸らす。
「冗談だっての。なら、あっちか」
「あっち?」
ランサーが視線を向ける先。釣られてシャルロットも首を動かす。次いで残りの女性陣も向き直り――
「楽しそうねー」
ひょいひょいと軽い足取りで道場内に現れたのは生徒会長こと更職楯無だった。
「見てたわよー。随分と面白そうな事してるじゃない」
弾む声音で倒れ横になったままの一夏に歩み寄り――
「やだもうぅ、一夏くんのエッチー」
わざとらしくスカート内の下着がはっきりと確認できる位の位置に立つ楯無は、棒読みの台詞のままスカートの裾を押さえつける仕草を見せる。
のだが――
「…………」
言葉も一切発さず、身体も眼球すらも微塵も動かない一夏。
自身が想像していた反応を全く示さない相手に対し、楯無はぽつりと呟く。
「……予想以上に、ガチみたいね」
慌てふためく姿を期待していただけに、口元を開いた扇子で覆い彼女。
先から一方的に要領を得ない奇怪な行動を示す生徒会長に、箒は眼を閉じると、眉を寄せた額に指を添えていた。
「……何がしたいんですか、アナタは……」
「んー、からかい?」
箒の問いかけにしれっと応えると、楯無はランサーに向き直っていた。
「改めまして、衛宮ランサーさん。わたしは二年生の更職楯無。この学園の生徒会長です」
「噂はかねがね。全生徒中最強らしいな。話にゃ聴いてんぜ? んで、そのお偉い生徒会長さまが、俺なんかに何用かね?」
肩を竦めながら尋ねるランサーに箒も同意見だった。此処へ来た楯無の意図がわからない。一夏に用があるのかと思ったのだが、倒れたままの男子生徒にはどうやらなにもないらしい。
閉じた扇子を口元に当て、楯無は言う。
「わたしも、この催しに混ぜてもらおうかなぁと思って」
「あー? 別に構わねーよ」
気楽に答えるランサーと、拳をぐっと握り締めて『やりぃ』と声を洩らし準備をする楯無。
そんなふたりのやり取りに気をとられ、思考が追いついていなかった箒は慌てて割って入っていた。
「ま、待ってください先輩! その、まさか……ランサーと組み手するつもりですか!?」
その問いかけに対し――
楯無は不思議そうな顔をして、僅かばかり小首を傾げて見せていた。
「んー? その『まさか』だけど? そもそも、こんなの面白そうじゃない。見てるだけだなんて冗談ばっかり。もう、ずるいわよー。箒ちゃんたちだけ楽しんじゃってば」
「いや、ずるいもなにも……そうではなくて、先輩、その、あの人は――」
強いですよ――
箒のその一言に、だが楯無は頷き、にんまりと笑うだけだった。
「モチわかってるわよー。だから、混ぜてもらうのんじゃない」
ばっと開いた扇子には『上等』の文字が浮かんでいた。
掴み、投げ、打ち、殴り、蹴る――
眼前で繰り広げられる攻防。出来の悪い演舞を見せられたかのように、箒たちは声も無くただただ黙って見ているだけだった。否、見せられていた、という言葉が当てはまる。
ランサーの顔を狙う楯無の貫手を無造作に払い打ち、逆に明らかに眼を狙った爪先蹴りを楯無は身体を仰け反らしてかわしていた。
鼻先を掠める風圧を感じる間も無く、制服の胸倉を掴まれた彼女の身体が勢いのまま床へと叩きつけられる――寸前、指が床を弾いていた。
衝撃を殺したまま身体を捻り、ランサーの足を刈るように繰り出す旋脚。
楯無に足を払われたランサーの身体が浮くが、ぐんと後方へ跳ね飛び床に着地する。
一瞬互いの眼が合うが、ニヤリと笑みを浮かべるだけ。
僅かに床から浮いた格好のまま、楯無も瞬時に起き上がり体勢を立て直していた。
「いやはや。いい動きだ。いいね、気にいったぜ」
「それはどうも」
そう軽く応えた楯無ではあるが、胸中は落ち着いてなどいなかった。
(なんなのよ!? 見たものと実戦で、こうも違うものなの……!?)
手足を触れさせてはっきりとわかる。相手は生半可な人間ではない。足運びなども人間相手に熟知したものだ。
少なからず、先日の道場での箒との得物を用いた試合の話、今日の組み手の様子、それらを見越し戦略を踏まえた上で自分が勝てる相手と軽く見定めていた楯無はその考えを改めざるを得なかった。
フェイントを絡めた手技足技も全く功をなさない。此方の思惑など最初から知っているように布石の小細工は尽く全く通じない。
相対する眼の前の男は、明らかに人間の潰し方を知り、壊す事に手馴れている。
この男は危険すぎる――
対暗部用暗部「更識家」の当主であり、17代目の楯無を名乗る彼女、更識楯無の脳裏にはそう警鐘が鳴り響く。
生身でこんなに肝を冷やす事など何時以来だろうか。
悟られないように余裕を持って振舞ってはいるが、正直息は上がっている。
ランサーにしてみれば焦りなど全く無い。幾ら学園最強を名乗る相手であろうとも、結果的には楯無はただの人間なのだから。
先の攻防でもランサーは彼女の下着の色すら確認出来る余裕があるくらいだ。ちなみに楯無の股を覆う色は黒だった。
背中を伝い流れる冷たい汗を感じながら、生徒会長はさてどうしようかと考えあぐね――
「ランサアァァッッ!」
道場を震撼させる突然の咆哮に、均衡は一気に吹き飛んでいた。
楯無はもとより、ランサーすら驚いている。
専用機持ちたちは言うに及ばず、例外は死んだままの一夏とラウラの両二名のみ。
怒気を含む声量で現れたセイバーは、鬼の形相といわんばかりの表情のまま眼当てとする相手へ向かって突き進んでいく。
離れた場所に居るとはいえ、あまりの剣幕とセイバーが放つ近寄りがたい雰囲気にあてられたセシリアは、蒼い顔のままつい横に居る鈴へ震える声でそっと耳打ちしていた。
「鈴さん……わたくし、セイバーさんがなにやら銀色の甲冑をお召しになられているように見えてならないんですが……?」
「はあ? 甲冑って、アンタ何言ってんの? 床にでも頭ぶつけたせいで、元々馬鹿だった脳味噌がシェイクされて、余計に馬鹿になったんじゃないの?」
「……随分な言いようですわね……ケンカを売られているというのはいくらなんでもわかりましてよ?」
見えませんか、見えないわよと言い合うふたりの声など当然耳に捉えるはずもなく、セイバーは今一度の怒声をあげる。
「貴公……わたしのプリンを食べましたねっ!?」
「……プリン?」
思わず呟くシャルロット。その単語にランサーは頭を掻いていた。
今の今までセイバーが道場に帰ってこなかったのは、どうやら探していた菓子類があったためなのだろう。しかしながら結局のところ見つからず、怒り心頭のまま戻ってきたというのが窺い知れる。
「なんだよ……菓子の類のひとつやふたつ、どーでもいいだろうが」
「ほぅ、地べたに這い蹲り、額を擦り付けて許しを請うのならばまだしも、開き直るとはな……いいだろう、ランサー……この場で貴公との決着をつけてやろう。即刻、その首叩き落してくれる」
ずんずんと歩を進め――床に落ちていた木刀を足の爪先で引っ掛け蹴り上げ手に取ると――瞬く間に駆け出していた。
疾風――
シャルロットが認識する間も無く、真剣もかくやと言わんばかりに繰り出すセイバーの一閃を――
ランサーは足裏でそれを容易く受け止める。
舌打ちし、セイバーが繰り出す剣戟をランサーは足技だけで捌ききる。
いかに剣技を得意とするセイバーとは言えども、感情を激しく昂ぶらせ、冷静さを欠いた一撃など当たるはずもない。
「面倒くせー奴だなぁ。また買えばいいだろうが」
「買えばいい? 買えばいいと言ったか、ランサー? シロウが、わたしのために作ってくれたプリンを買って補えと言うかランサー!」
やはり怒りに身を任せて払われた剣閃を――うるせぇなぁと愚痴りながら、ランサーは首を軽く動かしかわして見せる。
「衛宮さんは、お菓子も作れるんですの?」
「うん。僕も食べさせてもらったけれど、プリンもケーキも凄く美味しかったよ。ラウラなんて眼をキラキラ輝かせてたぐらいだし」
「ほう」
「へー、そんな言うんだったら、あたしも食べてみたいわね」
眼の前の状況を敢えて見て見ぬ振りをし――現実逃避とも言うが――セシリアの声に頷くシャルロット。箒と鈴もまた興味深いと賛同する。
やんややんやと騒ぐ外野の声を無視し、楯無はランサーとセイバーの合間に割って入っていた。
「ちょっ、ちょっと待って。なんだかよく分からないけれど、話を聴いている限り、人の物を勝手に食べるのは……良くないと思うわ」
「そうでしょう。良かったタテナシ、と言いましたか? どうやらアナタは理解してくれるようだ」
「う、うん……」
いまいち状況、ならびに横槍を入れられてどうしていいかわからず、とりあえず楯無は頷く事しか出来なかった。
だが、ランサーは心底面倒くさそうな表情のまま。
「お前なぁ、五個も食っといて一個ぐらいイイじゃねーかよ。それにだ、ありゃお前だけにじゃねーぞ? 俺にも良かったら食べてくれって声かけられてんだからな」
五個――
その言葉に、女性陣からはぼそぼそと声が上がっていた。
「五個は……多くないか?」
「多すぎよ」
「わたくし、前々から思っていましたけれど……セイバーさんて……」
「うん、僕もそのことに関しては同意かな。こう言っちゃなんだけれど、セイバーって、すごい食いしん坊さんだよね」
「なっ――」
箒たちの指摘に振り返り、セイバーは慌てふためく。
「ち、違います! わたしは決してそのような――そ、そうです! シロウが、シロウの作るお菓子が美味しいから悪いのです!」
故に、わたしに落ち度は全くありませんとセイバーはそう豪語する。だが、女性陣の視線はといえば、氷のように冷たいものだった。
「だからって、いくら美味しいからって五個はいくらなんでも……」
「ねえ……」
同意しかねるという顔の鈴とシャルロットが揃って告げるのは『食べ過ぎ』の一言に尽きる。
「う、ううう……ランサーッ!」
四面楚歌となるセイバーは怒りの矛先をランサーへと向ける。が、肝心の槍兵の姿は見当たらない。
「何処へ逃げましたか、ランサー!」
ぶんぶんと首を動かし、獲物を探し彼女。
視線の先には申し訳無さそうに立つ楯無ひとり。
「……あの、セイバーちゃん? ランサーさんなら、とっとと出て行ったわよ?」
「なんと! おのれ、ランサー! 逃げ出すとは風上にも置けぬっ!」
楯無の声にセイバーはすぐさま駆け出していた。
まさに嵐のような一瞬に箒たちは唖然としたまま。
有耶無耶となった勝負。
中途半端な終わり方。
セイバーという闖入者による幕引き。
なんにせよ、お開きとなった催し。
「……助かった、かな……?」
誰に聴かれるとも無く楯無はぽつりと呟き――次いで考える。
本気で勝負していたらどうだったか?
その本気は、果たして何処までを意味するものか。生身でのものか、ISを含んでのものか……
楯無自身も深くは考えてはいない。だが、邪魔が入らなければ、いずれは勢いに熱くなり過ぎて、ミステリアス・レイディを展開していたかもしれない事は否めなかった。
「ちょーっと勿体無かったかな……」
僅かながらに胸中に生まれた好奇心と恐怖心を誤魔化すように、楯無の口元を覆う扇子には『不燃焼』の文字が浮かんでいた。