I.S.F インフィニット・ストラトス×Fate 作:ボイス
「兄ちゃん、遊ぼうぜ」
かけられた声音に――だが一夏は不機嫌な表情で一瞥向けた程度で直ぐに顔を背けていた。
気だるそうに立ち、片手を腰に当てたランサーがそこに居た。
「お前とやる意味が俺には無い。模擬戦なら、鈴かラウラあたりにでも当たってくれ」
「つれねーなぁ」
肩を竦めるランサーではあるが、相手の反応は当然わかり切っていたものだ。
踵を返し歩き出す一夏の背に向けて、彼は再度言葉を吐いていた。
「聴いたぜ。誰彼護るだなんだとご大層なことヌかしてるクセに、都合が悪くなれば、そうやって女の背に隠れるんだな」
「――――」
少年の歩みがぴたりと止まった。
かかった――
餌に食いついた相手に内心で笑い、ランサーの口は止まらない。
「どいつだ? 蒼い機体に乗ってる奴か? 黒い機体に乗ってる奴か? 橙の機体か? 仲間のどの女に護ってもらうんだ? 教えてくれや。なぁ、腰抜けの兄ちゃんよ。それとも吊り眼のねーちゃんに護ってもらうか? なにかありゃ大好きなおねーちゃんが護ってくれるもんなぁ」
「なんだと、テメエ!」
その一言が簡単に理性を吹き飛ばしていた。
瞬く間に振り返った一夏はランサーの胸倉を掴む。殴りかからんばかりの勢いだが、相手は全く動じない。逆にニヤリと笑ってさえ見せる。
その態度が更に一夏の怒りに拍車を掛けた。
「なになに?」
「どうしたの?」
荒い声を上げた一夏に周りの生徒が気づき視線を向けていた。だが、周囲の眼など気にもせず、舌打し、彼はランサーを睨みつける。
「いいぜ。相手になってやるよ。いい機会だ。テメエのそのツラぶっ飛ばしてやりたかったんだよ!」
「いいねぇ。面白そうだ。女の背中から吼える口先だけじゃねーのを期待するぜ、色男?」
「っ――」
掴んでいた腕を振り払うように一夏は離れていく。
一部始終のやり取りを眼の当たりにした真耶はわたわたと慌てていた。
「あ、あの、お、織斑君もランサーさんも、け、喧嘩は駄目ですよ! な、仲良くしましょうね……」
険悪な雰囲気に呑まれ、如何対処していいかわからず、割って入ることができなかった彼女は、なだめるようにそう声を掛ける事しかできなかった。
だが、心配する副担任に振り返りもせず、一夏は白式を展開する。
「別に、喧嘩じゃないですから」
「そう言うこった。ま、仲良くやるんで勘弁してくれや」
真耶に気楽に声をかけたランサーは、手近にいた打鉄を駆る生徒に歩み寄っていた。
生徒と二、三程言葉を交わし、ISを借り受ける。
自分が知る普段のふたりとは明らかに違う雰囲気に、流石に真耶は千冬に縋りついていた。
「お、織斑先生……どうしましょう……?」
「……ふたりがやるというんだ。勝手にやらせればいいだろう」
「で、ですが……」
それでも不安を覚える真耶は、眉を寄せたまま一夏とランサーのふたりへ交互に視線を向けていた。
「なになに?」
「なんか、織斑君とランサーさんが模擬戦するみたい」
「模擬戦て、ランサーさんは打鉄で?」
ざわざわと騒ぎ出す連中を尻目に、打鉄を身に纏ったランサーは準備を整えていた。
量子変換されたブレードを呼び出し手に取ると、そのまま数回振り払う。だが、どこか納得しないとばかりに首を傾げていた。
(槍と比べちまうと剣てのはどうにもなぁ……あー、いまいちしっくり来ねェな……)
剣を扱えなくはないが、やはり手馴れた槍の感覚がどうにも出る。
ぶつぶつと悪態を吐きながら動くランサー。と、気がつけば横には士郎が立っていた。複雑な表情を浮かべながら彼は言う。
「……本当にやるのか?」
「あー、篠ノ之の嬢ちゃんに、頼まれてっからなぁ。俺も任せろなんて適当な事言っちまったし……いやはや、参ったぜ」
安請け合いするなよ、との指摘にランサーは軽く笑うだけ。
箒の時とは違い、朝方にランサーから持ちかけられた話を士郎は聴いている。
内容も十分理解している。特に、箒自身が切に願っている事も。
昨夜に自分が考えていた件を、形はどうあれ、ランサーが処理しようというのだから先を越されたと捉えるものもある。
もっと早く気づいていればと自分を責める士郎だが、それを見透かされたのだろう。べしと頭を小突かれていた。
「大方くだらねー事考えてんだろ、坊主」
「く、くだらないって……」
「わかりやすすぎんだよ、お前は。どうせ、俺がもっと早く気づいていれば、とか馬鹿な事でも考えてやがんだろ」
「ぐぅ……」
『馬鹿か』と一言漏らし、ランサーは士郎に視線を向ける。その眼は『知らないとは言わせない』と物語っていた。
「坊主、お前はお前で、自分自身が悩んでるものに足りねェ頭使って手を回せ。他の連中の事ばっかり考えてんじゃねーぞ? お前が出来る事なんて高が知れてんだ。全部が全部に関わろうとすんじゃねーぞ」
「……だけど」
一夏は友人だからと告げる士郎にランサーは嘆息ひとつ。
全てを助けようとする、この少年の信念は嫌いではない。だが、理想と現実ではどだい無理な話である。
士郎らしい考えではあるが、今のランサーは否定していた。
「いいから。ほれ、どいてろっての。今は俺が任せられてんだ。まあ、お前にゃその後を頼むぜ。それに、正直これといった算段がねェんだよな」
「おいっ!?」
じゃあ何のために模擬戦なんてするんだよ、との声にランサーは笑うだけ。
「まー、なるようになればいいさ。そもそも、俺は諭して人に手を貸すようなガラじゃねーんだぜ? 失敗したら坊主に任せるさ。後始末はよろしくな」
気楽に言ってのけるランサーに、だが士郎は苦笑を浮かべる。
口ではそう言ってるが、どうせそんなつもりもないだろうに――
「……わかった。でもさ、これだけは言わせろよ。頼むから、やりすぎるなよ?」
「そりゃ相手次第だろ?」
士郎の忠告にランサーはさらりと答えると、身体を傾け打鉄を浮上させていた。
「織斑先生……」
「…………」
紅椿を身に纏ったまま降り立つ箒に千冬は無言のまま。その視線は上空で相対する白式と打鉄を捉えていた。
千冬と専用機持ち五人は、事前にランサーから話を受けていた。内容は『次の二組との合同実技に一夏と模擬戦をするが、邪魔はしないでくれ』と告げている。
好きにしろと応えた千冬ではあるが、内心では不安は拭えていない。
生身のランサーの実力は、先日剣道場で見た限り十分理解している。箒であの様だったのだ、一夏程度では勝てはしない。ラウラですら奴には勝てはしないだろうと踏んでいる。
なによりISを纏ってはいるが、それでも一夏に勝機があるとは全く思っていない。
第四世代の最新型とは言え、機体性能に助けられているだけの搭乗者の実力不足は、如何様にも埋めることのできない差がある。
逆に、ランサーが駆る打鉄は訓練機とは言え、その限界性能をいかん無く発揮している。
たかが一訓練機を見事なまでに操るランサーの技能に、千冬にとっては危険だと考えすぎるきらいがある。脅威と言っても過言ではない。
むしろ、模擬戦においては、やり過ぎるのではという心配もある。
ランサーはセイバーと違い、ISでの模擬戦で必要以上に手を抜く場合がある。勝敗もバラバラだ。手を抜いて敢えて負ける事もあれば、手加減無しで勝つ事もある。何を考えているのかがわからない飄々とした態度は、ISに乗っても変わりはなかった。
だが、自分の不安などおくびにも出さない千冬は教師としての職務を全うするのみ。
「織斑、ランサー、準備はいいか?」
手にしたインターカムでふたりに呼びかけると、数秒送れて二機からの返答が来た。
「ああ……」
「いつでもいいぜ」
淡々と応えた一夏、気楽に応えるランサー。
対照的なふたりの声音。
声から感じた限り、一夏は静かに、それでいて落ち着いているように千冬は思えた。だが、彼女は今の弟の内心まで深く読む事はできていない。
一夏の胸中は憤怒にまみれたもののみ。相対するランサーに今すぐ飛びかかりたい衝動に駆られている。
形はどうあれ、名実ともにランサーに殴りかかる事ができるのだから。
早く、早く合図を寄こせ――早くコイツを叩き潰させろ――
握る雪片には自然と力が篭る。
逸る感情を何とか無理矢理押し込みながら、一夏は試合開始の合図を待っていた。
「始めろ」
耳朶に響く開始の合図とともに、一夏は瞬時に駆け出していた。
『瞬時加速』の奇襲から一気に攻め込み、戦況を自分の有利な側へと進めようとしてのものだ。
だが――
それはあくまでも相手が油断しており、なおかつその奇襲の初手が成功していれば、の話だ。
「っ――」
言葉を詰まらせる一夏の眼前には、肉迫するランサーの姿。一夏の稚拙な戦法など容易に知り得たのだろう。
現に行動を読まれていた相手は僅かに踏鞴を踏んでいた。そんな一夏とは対照に、迷いも見せずランサーは停まらない。そのまま――頭突きを見舞っていた。
「ぐっ――」
衝撃に仰け反るが、瞬時に手にする雪片で斬りかかり――間髪を容れず、一夏はその身に二太刀の斬撃を浴びていた。
喧しく鳴り響く警告音。削り取られるシールドバリア。
ランサーの振る太刀は、斬ると言うよりも叩きつけているだけでしかない。
「くっそ――!」
悪態をつきながら何とか三撃目を受けまいと雪片で防ぎはするが、力任せに容易く斬り払われていた。
無理矢理こじ開けられ、がらんどうになった腹にランサーの回し蹴りが突き刺さる。
試合開始僅か数秒足らずの合間に、白式のシールドエネルギーは三分の一を失っている。
対して打鉄は無傷のまま。
その刹那の攻防を見た生徒たちはワケがわからなかった。その中のひとり、鈴は自身のIS甲龍が映す互いのデータを見てぽつりと呟く。
「え、何? 何で一夏のシールド、あんなに減ってんの……?」
彼女の問いかけに、誰も答える事は出来なかった。
呻きながら反撃に出る一夏に対し、ランサーは後方に身体を投げる。
懲りずに『瞬時加速』を仕掛ける一夏だが――予想していたのかランサーは身を捻り、斬撃を容易くかわしていた。
避けられたとわかるや否や、一夏は急停止から反転し斬り返す。逆袈裟斬りに雪片を振り上げ――
ぐいと顎を引いたランサーに切っ先は掠りもしなかった。
と――
再度ランサーは後方へと身体を投げ出していた。それを一夏は間合いを取るためと判断し追走する。
左へ右へと揺さぶりをかけ、そう思わせれば上へ下へと撹乱するように白式を引き離そうとする。
「ちょろちょろ逃げてんじゃねぇ!」
「…………」
一夏の罵声に対し、ランサーは笑みを浮かべたまま無言。彼とて、無駄に逃げ回っている訳ではない。何より、態と追いつかせるかどうかというギリギリの距離での加速を繰り返している。
策略があった上での動きだという事に気づいているのは、地上で静かに見入る九人。セイバーと士郎、専用機持ち五人と千冬、真耶だった。
「まずいですね、イチカは」
「まずいぞアレは……」
同時に呟くセイバーとラウラに対し、隣に立つシャルロットも頷いていた。
「何も考えていない。むやみやたらに振り回されて動いている……冷静にならないと相手の思う壺だよ一夏……」
戦闘に置いて、相手の動きを封じ込める一手として、体力を奪う方法がある。
そのための効率的な手法としては、無駄な動きによる疲労を与えればいい事になる。
短絡的な方法を行使したランサーだが、その策に一夏は呆れるぐらいに乗せられていた。
一夏自身、スタミナ切れに追い込まれている事すら気づいていない。それがどれ程重要な意味を示すのかさえ認識していないだろう。
荒い息のまま。それほどまでに頭に血が上り、他にはなにも考えず、一辺倒しか捉えていないのがうかがい知れる。
この時点でようやく他の生徒たちの中からも異変に気づいた者が出始めていた。
生徒たちから漏れる違和感の声。
「ねぇ、何か変じゃない?」
「ランサーさんの動き……あれ、ただ逃げてるだけじゃないよね? 巧く言えないけれど、何か変な気がする……」
何人かはその意図に気づきはじめている。布仏本音もそのひとりだ。
「うー。このままじゃおりむー負けちゃうよー」
どうする事も出来ず、本音はばたばたと腕を振るしかなかった。
模擬戦を開始してから時間は僅か10分足らず。その間のふたりの差は歴然としていた。
ランサーは汗ひとつ掻かず、涼しい顔のまま微動だにしない。
対して、大きく肩で息を吐き――呼吸を乱す一夏。
急旋回、急上昇、急停止、アリーナ内を縦横無尽に飛び交わされ、雑に入り乱れた動きは身体に負荷をかけている。
知らずの内にダメージを蓄積している事に、一夏は全く気づいていない。
なおかつ、一夏は左手の多機能武装腕「雪羅」の荷電粒子砲にさえ気が回っていない。
「あの馬鹿――動きが鈍くなってる」
一夏の動きを追っていた鈴は、明らかにスピードが落ちはじめている事へ歯噛みする。
それは当然、間近で相対するランサーの方が白式の機動力が眼に見えて低下している事に気づいている。
(頃合か)
胸中で呟くと、相手の体力を把握したランサーに変化が起きる。
一切仕掛けていなかった打鉄がここで攻めへと転じていた。
唐突に――
ぶん、と手にしていたブレードを一夏目掛けて投げつけていた。
「――!?」
相手の突飛な行動に反応が遅れるが、投擲された剣を一夏は雪片で斬り弾く。
が――
突然真横から襲われた衝撃に、機体は大きく跳ね飛ばされていた。
警告音が奏でる間もない。
状況が判断出来ていない視界の片隅で、落下するブレードを宙で拾ったランサーが一気に翔るのがわかった。
体勢を立て直し――叩き込まれたブレードを受け止める。
打鉄にとって唯一の近接武装のブレードを投擲するなど意表をつくには十二分過ぎる。
ましてや、意識を集中させたその合間に真横から殴りかかるとは、注意力が散漫になっている相手、並びにサーヴァント中最速を誇るランサーだからこそ出来る芸当だ。
「…………」
それらを一部始終見ていた箒は言葉を失い、ただただ唖然としていた。
だが、その驚きは他の生徒、候補生たちとは違うものだった。ブレードを投擲したと同時に爆発的な加速をした事は確かに驚愕した。
ならば彼女が眼を見開いていた事柄は何なのか?
それは、自身の機体――紅椿のハイパーセンサーに刹那ではあるが、告げられ表示された文字。
ロスト――
それは本当に一瞬だった。ハイパーセンサーがランサーの駆る打鉄を追う事ができなかった。
それがなにを意味するか――第四世代型最新スペックの紅椿が、第二世代型訓練機の打鉄の機動を捕捉出来なかったという事実がありえなかった。
超音速飛行、最高速度時速2450キロを誇る「銀の福音」相手でも、こんな事は起きていない。あのアメリカ、イスラエル共同開発の高スペックを持つ第三世代型軍用ISに遥かに劣る、たかが第二世代型の一訓練機を見失うなど……笑う事ができなかった。
(紅椿が補足できなかった? ランサーの打鉄を? そんな馬鹿な……)
ありえない事に対する箒の胸中の呟きとは裏腹に、視界では白式が打鉄と斬り結んでいた。とは言え、それも一瞬の事。力負けした一夏はランサーに簡単に薙ぎ払われていた。
期待はずれな相手の実力にランサーは呆れた声を漏らしていた。
「口だけだなテメエは」
「っ――」
「ほれ、遊んでやるからかかって来いよ」
「ヌかしてろテメエっ!」
ランサーの挑発に乗り、一夏は躍り掛かるように斬りつけていた。
かわし、避け、適当なところでランサーは斬り返す。
「ほらどうした? 篠ノ之の嬢ちゃんの方がまだまだマシだぜ。動きに無駄が多いぞ」
「うるせえよ!」
激昂し、上段に振りかぶった雪片で斬りかかる。
大振りは、然も避けてくれと言わんばかりの動きでしかない。
「馬鹿者が」
上空を見入る千冬の口から漏れた小さな呻き。それとともにランサーはその一撃を僅か半身横へ動くだけ。
陽炎のようにゆらりとかわした刹那、カウンターの拳が一夏の腹へ吸い込まれていた。
一発一発が酷く重く、更には打鉄を纏っての渾身の一撃ともなれば、喰らう側への衝撃は想像以上のものとなる。
二度、三度とシールドバリア越しに伝わる衝撃に一夏は身体をくの字に曲げて悶絶する。
相殺しきれないダメージが臓腑を抉る。
拘束を解かれ、よろよろと後退する相手へ、ランサーは気だるそうに視線を向ける。
「んじゃ、次はこっちから行くぜ。精々粘れよ?」
その言葉とともに打鉄の姿が――掻き消えていた。
「――――」
何処に――
苦悶の表情のまま、迷いは一瞬。背筋にぞくりとしたものを感じ――
警告音に反応するよりも早く、咄嗟に一夏は右へ雪片を繰り出していた。
鈍い金属音が上がる。
「ほぅ、止めるねぇ」
「っ――」
狙って受け止めたわけではない。本能の赴くままに動けただけだ。それこそまぐれと言っていいだろう。
続けざまに繰り出される剣戟を、一夏はただただ受けるしかなかった。
防戦一方。加えてランサーは手加減しての攻撃とは言え、一夏自身追いつくのはやっとだった。
「ほれ、速度を上げるぜ?」
「くっそおおおお――」
いい様に弄ばれ、咆哮し一夏は斬りかかっていた。
「おねーちゃんも大変だな。テメエみてーなガキがいて。苦労すんだろ」
「黙れよ――」
「ほれ、かかって来いよ。ムカついてんだろ? 姉の七光りの弟さんよ。いいとこ見せねーと、おねーちゃん泣いちまうかもしれねーしなぁ」
「取り消せテメエっ!」
「はっ! 口先だけの小僧が吼えンじゃねーよ。おねーちゃんの後ろ盾がなけりゃなにもできねーガキが。一丁前に吼えんなよな」
「黙れってんだろがテメエっ!」
斬りかかる一夏を軽くいなし、ランサーはブレードの柄で白式の肩を殴りつけていた。
「なら力づくで黙らせてみろ――ガキがッ!」
直情的な動き。無駄があり、杜撰な運び。
誰が見ても、今の一夏は冷静さに欠けた戦い方だった。繰り返す『瞬時加速』による奇襲も効く筈がない。
逆に隙を衝かれ、踏み込まれたランサーの斬撃をなんとか受け止めるが――
「甘ェよ」
再三、腹に蹴りを叩き込まれていた。
拳、斬撃、返しの刀で白式の胴が薙ぎ払われる。
と――
僅かに意識が逸れたその隙をランサーは逃さない。
体重が十分に乗った一撃。
首を刈り取るかのように疾る蹴りに、一夏は左腕でそれを防ぐ。が、重い蹴りによりバランスが崩れかける。
よろめく白式を見逃さず、その場でぶんと身を捻るランサーの左の回し蹴りが崩れた相手の首へ叩き込まれていた。
口腔から息を漏らし、身体を沈ませる一夏へ向き直っていたランサーはブレードを振り下ろす。
一撃、二撃、三撃――更には腹部を蹴り飛ばされ、間合いを無理矢理離されていた。
もはや一夏は心身ともにボロボロだった。
視界の中、ふらりと動いた一夏を見て――セシリアは眉を寄せる。
「なんですの……あの構え、まさか――あのシールド残量で!?」
「仕掛ける気かアイツ」
ラウラも気づいたのだろう。一夏が何をしようとしているのかを。
それに応えるように、一夏が握り締める雪片弐型が刀身を開いていた。
零落白夜、起動――
残り僅かのシールド残量を転換しても、絶対無効の一刃は無傷のままのランサーに届くかすらわからない。
なによりも、発動させた時点でエネルギー切れになるのがオチだ。
それでも一夏を奮い立たせるのは――
「意地か」
誰に聴かせるわけでも、千冬はぽつりと呟いていた。
その言葉の通り、今の一夏を突き動かすのは、もはやただの意地でしかない。
このまま終わる事など受け入れられない。
ならば己が勝つには、絶対必殺の一撃にかけるしかない。
(一太刀だけでも、アイツに、一矢報いる事が出来れば)
それが一夏の覚悟――
眼に見て、相手の気迫が篭るのがわかった。
この一撃にかけるという執念。
しかし、ランサーは鼻で笑う。相手の双眸に僅かに見えた迷いの色。
覚悟を決めたつもりのクセに、ただ一色に染まる事も出来ず、微かな雑念を含んだ相手の自己満足が気に入らなかった。
背部大型スラスターにエネルギーを集中させ――一夏が翔ける。
瞬く間に射程圏内へ収めた打鉄に対し、彼は確信しただろう。
とった――
動こうともせず、一夏から見れば、すかした面をしたランサーへ振り下ろされた一撃。
例え当たろうとも倒せるかどうかはわからない。ただ当てればそれでいいと念じた、やぶれかぶれの一刀。
彼は気がついていただろうか? その相手がにやりと笑っていた事に。
故に――
ランサーは、そんな生半可な一撃に当たるつもりは毛頭なかった。
「――――」
耳障りな風斬音を上げた一閃の軌道上に、打鉄の姿はない。
振り下ろした空間には白式のみ。
ハイパーセンサーが捕捉することも出来ない間に、ランサーは20メートルほどの距離を瞬く間に移動していた。
「なっ――」
気が付いたときには全てが終わっていた。
一夏の胸元に疾る衝撃。
投擲されたブレードの柄尻を食らい、白式のエネルギー残量をゼロにする。
最後はあっけない幕切れのまま、一夏は敗北していた。
シールド残量ゼロ――
何も出来ず、一方的に打ちのめされた現実に、一夏は己の無力さに苛立つ気持ちを抑えられなかった。
「クソっ――」
悔しさに口汚く言葉を吐くと、眼の前にランサーがいた事に気が付いた。
此方を嘲笑いにでも来たのだろう、観念したかのように彼は顔を上げ相手へ視線を向けていた。
その眼差しには、好き勝手に言えよ、と自嘲めいた諦めが含まれている。
だが、次にランサーが口にした言葉は一夏が想像していなかったものだった。
「悪かったな」
「――なに?」
予想外の言葉に、思わずそう訊き返す。
今一度、ランサーは同じ言葉を口にしていた。
「悪かった。篠ノ之の嬢ちゃんと、さっきのお前のねーちゃんの事だ。口にした以上、許せとは言わねェが、謝罪はするさ。すまなかった」
「…………」
「言い過ぎたかもしれねェが、こうでもしねーと、お前は俺の話を聴かねェからな。無理矢理やったまでだ」
「……なんだよそれ」
「当然納得もしねーだろ? ムカつく事もあんだろう。俺が気に入らねェならそれでもいいさ。ただな、他のヤツには当たんじゃねーぞ。それに、言いたい事があるならこそこそすんな。面と向かって言いやがれ」
話はそれだけだと残し、面倒くさそうにランサーは背を向ける。
降下しようとして――機体を停止させると、振り返りはせずに一夏へ声をかけていた。
「聴かせてくれや。俺相手に何ひとつ手も足も出なかったお前は、今、どう思ってやがる?」
「どう思う?」
勝手な事を言い、更には嫌な事を訊く奴だと一夏は眉を寄せていた。だが、眼の前の相手に対して思わない事が無い筈がない。
「……ムカつくさ。お前にも、俺自身にも。ただ、それよりも一番感じさせられるのは、悔しいって事だ」
「悔しい、か? その原因は何だかわかってんのか?」
そんな事は言われるまでも無い。自身の無力さだ。
「お前に言われなくてもわかってるさ。俺が、弱いから……」
「ああそうだ。何だ、良くわかってんじゃねーか。なら簡単だぞ、小僧? 護るんなら強くなれや。弱ェ今のお前如きじゃ、誰ひとり護れやしねーぞ? 寧ろ、お前が護られてんだからなぁ?」
「うるせえよ!」
一際強い怒声。
首だけで振り返り、ランサーは一夏を見上げる。
此方を睨んでいる表情に変わりは無いが、ランサーが着眼したのは一夏の瞳。
少年の双眸には確かな意志を宿している。どうやら腐りはしていないようだ。
(なんだよ。イイ面構えもできんじゃねぇか)
何も知らないガキだと思っていたのは俺の早計だったな、とランサーは胸中でぼやいていた。
「はっ、イイ面だ。そー言えんなら、まだまだ大丈夫だな」
「カッコつけやがって……俺、やっぱりお前が嫌いだ」
「ああ、カッコいいぜ俺はよぅ。嫌いで結構だ」
背を向け、今度こそ降下するランサーに一夏は声を上げていた。
「さっきから勝手な事ばかり言いやがって……勝ち逃げなんかさせねえよ! 次こそ絶対にお前に勝ってやる! 絶対にだ! 箒も千冬姉の事も、這いつく蹲らせて謝らせてやる!」
「いいねぇ。嫌いじゃないぜ、そーいうの。挑まれりゃいつでも受けんぞ」
ニヤリと口の端を吊り上げ、ランサーはそう応えていた。
「あー、めんどくせぇ」
地面へ降り立ち、打鉄を解除したランサーは凝った身体を馴らしていた。
ガラじゃねーんだよな、こういう事は、と愚痴を漏らしながら、彼は言い寄ってくる生徒たちを軽くあしらっていた。
何がしたかったんですか、あなたは、とのセイバーの問いかけにもランサーは応えなかった。
生徒の賛辞を適当に聴き流しながら歩くランサーだが、視界に箒の姿を捉えるとそちらへ向かう。
箒もまたランサーに歩み寄っていた。言いたいこと、訊きたいことがあるが、口が巧く動かない。
「ランサー、その――」
それをランサーは感じ取り、手を向け制していた。
「色々お前も言いたい事があんだろうがな、とりあえずだ。まぁ、気にすんなよ。後はどうなるかはわかんねーけどな。悪くなりゃまた別になんかするさ。それに、話は後で聴くからよ」
「あ、ああ……」
耳元でぼそぼそ呟き、ぽんぽんと箒の肩を軽く叩くと、じゃあなとランサーはその場を後にする。
視線の先では、士郎がなにやら口喧しく彼を責めている。対してランサーは面倒くさそうに頭を掻き相手にしていない。むしろ邪険にあしらう素振すら見せていた。
そうこうしているうちにランサーは今度は千冬になにかを懸命に説明し出していた。気づけば彼は他の専用機持ちに囲まれている。皆、いい顔はしていない。
思わず箒は口元に笑みを浮かべていた。
(後で衛宮には事情を説明しないといけないな)
と――
いつの間に歩み寄っていたのか、隣には白式を解除した一夏が立っていた事に気づく。
思い込んだ表情の幼馴染に声をかけようとしたが、それよりも早く彼は箒に話しかけていた。
「箒、俺は強くなる。とりあえず、あのランサーの奴をぶっ飛ばせるぐらいに強くなってやる……アイツの鼻は絶対にへし折ってやるぞ」
「…………」
強い意志――
今なら、あの時箒が何故諦めなかったのかがわかる。自分にも意地がある。あのいけ好かない男の鼻っ柱を挫いてやると一夏は心に誓っての発言だった。
自分が感じていた昨夜までの一夏の態度とは違う。挙句、彼の口からまさかそんな言葉が出るとは想像もつかなかった。
そのせいだろう。おかしくて、箒はつい吹き出していた。
笑われた事に一夏は一瞬唖然とするが、瞬時に――僅かに顔を紅くして反論する。
「な、なんだよ。笑わなくたっていいだろ!?」
「いやすまない。そうではない。そうではないんだ」
怪訝な顔をする一夏に構わず箒は笑う。
補足を加えれば、結果的にランサーが行ったのは非常に単純な事だった。
要は、織斑一夏が持つランサーが行った気に入らない対象を『篠ノ之箒』から『自分自身』へと方向性を変えただけだ。
簡単に言えば、目標を持たせた上での認識の摩り替え、上書きだ。当然この場合の目標とは、ランサーを叩きのめす事になる。
案の定、事が済んだ結果がこれだ。ハッキリ言えば、織斑一夏はまだまだ子供だと言うのがわかりえた。良く言えば『単純』、悪く言えば『ガキ』だということだ。
ランサーとて、話が悪しき方へ進んだとすれば、当然更なる手を考えていたのは言うまでもない。
当然ではあるが、これはなんの解決にもなっていないのだが。変わるだけには十分だった。
(こんな簡単に変わるのならば、馬鹿みたいにひとりで悩み考えていた私の迷いは、一体なんだったのだろうな……)
そう胸中で呟き――
気恥ずかしそうな一夏に対し、詫びながら箒は嬉しそうに笑っていた。