I.S.F インフィニット・ストラトス×Fate 作:ボイス
本編に関係なく時系列は特にありません。原作で言うと七巻後ぐらいでしょうか。
「時代は『ゆるキャラ』だと思うの」
「…………」
とある放課後――
生徒会の事務も一段落し、休憩がてらのお茶を楽しんでいたところに楯無が口にした台詞。
お茶請けとして用意されていたクッキーに手を伸ばしていた士郎は無言。相手の告げた内容が理解できていないわけではない。むしろ、この場で唐突に話題に出されるとは思いもしなかっただけに。
ISのこと、学業のこと、プライベートなこと、会話で交わしていた事柄はさまざまであった。
その一区切りとしてか、ところでと前置きした上で彼女の口から発せられたのが冒頭の台詞である。
「時代は、『ゆるキャラ』だと思うのよ」
「…………」
再度同じ言葉を口にする彼女ではあるが、やはり士郎は特に反応を示すこともなく無言のまま。
摘んだクッキーを口元へ運び――かきりと齧り彼。
口の中に広がるアーモンドの旨み、ざくざくとした食感。
アーモンドペーストを練り込んだクッキーを十分咀嚼し飲み込むと――ついで、ティーカップを手に取ると、注がれていた紅茶を口に含み喉を潤していた。
ようやくして彼は口を開いていた。
「……お前は、何を言っているんだ?」
「時代は――」
「いや、それはもういいから」
三度同じ台詞を口にしようとする楯無を手で制し士郎。
「そうじゃなくて、どういう意味で言ってるんだ?」
話の脈絡も無く、突然『ゆるキャラ』のことを熱く語りはじめる楯無に対し、士郎としてはどのように接してよいのか困惑するのは当然のことであろう。
フフン、と何故か勝ち誇った笑みを浮かべた彼女は続ける。
「『ゆるキャラ』ていうのはね、それなりに経済効果があるのよ」
「…………」
その指摘は士郎とてわからなくはない。
とある会社がマスコットキャラクターを設けたことによって、その年の売上は前年度を大きく上回る結果を示した例もある。
『ゆるキャラ』とは、『ゆるいマスコットキャラクター』の名称を略したものである。
国や都道府県はもとより、地方公共団体、公共機関、大企業がさまざまなキャラクターを起用している。
多くの『ゆるキャラ』と呼ばれる存在は、ここ最近特にその数が増えていると士郎は感じていた。何気なくテレビを見ていれば、なにかしらのキャラクターが出ていることが多々ある。
特にマスメディアに大きく取り上げられているのは、果物の梨をモチーフにしたといわれる『ゆるキャラ』である。
トリッキーな動き、特徴のある口調、テンションが高くなると奇声を発するなど、一目見て『ヤバイ』というのが士郎の認識である。
たまたま一緒に見ていたセイバーに至っては――
「……面妖な……物の怪の類でしょうか……?」
よもや新手のサーヴァントですか、などと言わしめるほどに。
とにかく、二匹目のドジョウを狙うかのように、とみに『ゆるキャラ』というものは数が多い。
ISに関する企業メーカーの何社かは、こぞって自社のマスコットキャラクターとして着ぐるみを作成している。
現に士郎も、シャルロットからデュノア社がプロモーションキャラクターとして登用する話が出ていると耳にしていた。
「恥ずかしい話なんだけれどさ……正直言って、デュノア社はちょっと低迷してるんだ。それで、ウチも参入するかもしれないらしくてさ」
苦笑するシャルロットの顔を思い出していた士郎ではあるが――
「IS学園も、昨今の『ゆるキャラ』ブームの煽りを受けて立案してみようと思うのよ」
「…………」
はっきりと言って、士郎は呆れるしかなかった。またコイツは余計なモノを取り入れるつもりか、と頭を痛ませ静かに嘆息する。
そもそも、IS学園の『ゆるキャラ』という以上は学園をモチーフにしたキャラクターであるべきであろう。
では、果たして該当するのはどのようなデザインであるというのか――?
「…………」
思案顔となるのだが、まったく想像できない、というのが士郎の正直な心情である。
と――
「士郎くん、どんなものか想像がつかないってところでしょう?」
「…………」
顔に出ていたのだろう。さり気ない楯無の指摘に士郎は素直に頷いていた。
満足そうに彼女は笑う。
「そうだろうと思って、実は既に案を用意してるのよ」
「…………」
こういうことに関しての行動は迅速だなと彼は感じていた。
ニコニコしながらノートパソコンを立ち上げる彼女。なんだかんだと楽しんでいるのが容易にわかる。
強引かつマイペース、トラブルメーカーたる彼女の行動によって、余計な煽りを受けて振り回されるのは勘弁願いたいと思いはするのだが――
嬉しそうに笑顔を見せられてしまっては、楯無が愉しんでいるのならば良いことではないのかとも士郎は思ってしまっていた。
片や面倒事を阻止していながらも、片や面倒事を容認していたりする。両極性を受け入れている自分自身をなんだかなと捉えながら彼。
「これこれ。イメージとしては、こんな感じなんだけれど。プロモーションビデオを作ってみたの」
「どれどれ」
ソファから腰を上げ、楯無が起動させたノートパソコンの画面を覗きこみ――
先ほどの彼女に対する心象は、音を立てて崩れることとなる。
「名前は『たてなっしー』ていうんだけれど」
「…………」
「どうどう? 可愛くない?」
賛同を求める楯無ではあるが――
「可愛くない」
士郎は否定の意味での言葉を即答で告げていた。
「ウソ、可愛いでしょう?」
「……可愛くない」
「よく見てよ。ほらほら」
「何度見ても可愛くないって! そもそも、これ、パクリだろっ!?」
声を荒げる士郎はもっともであった。なにしろ、彼が眼にしているディスプレイには、梨をモチーフにした人気『ゆるキャラ』に大変酷似したキャラクターが楯無に扮し、奇声を発し、跳んだりはねたりしている姿が映っているのだから。
「なにやってんだよ……なにパチモンなんか作ってんだよ」
呆れ果てる士郎であるが、楯無はわかってないわねと洩らし、チッチッチッと舌を鳴らして指を振る。
「パクリじゃないわよ。イ・ン・ス・パ・イ・ア」
「コレは、どう見てもアウトだろうが!」
「わかってないわね。『たてなっしー』は、梨の妖精でもなんでもないのよ。たまたま発想の方向性が似ちゃっただけだし」
「何が似ちゃっただよ! 意図的に似せただけだろコレ! なに考えてんだよ!」
士郎の指摘を――楯無は然も当然のように、華麗にスルーしていた。
「語尾が特徴で、『なっしー』て口癖なの。『たてなし汁ブシャー』とか――」
「だからソレがパクリだって言ってんだろ!? 丸パクリじゃないかよっ!」
「ノンノンノン。リ・ス・ペ・ク・ト」
「…………」
一語一語敢えて強調してくる姿勢が、士郎を若干イラつかせていた。
「それに、パクリパクリって言うけれど、『たてなっしー』には、ちゃんとしたオリジナルの設定があるのよ」
「設定ねぇ……」
何を言っても聴き入れない相手に、呆れ果てている士郎は期待もしていない。
彼女が口にする設定というのも正直に言って、もはやこの時点で興味はあまりなかったりする。
「聴いて驚かないでよ……なんと! この『たてなっしー』には」
「妹がひとりいて、名前は『かんざっしー』なんですよ、とか言うんじゃないだろうな?」
「――――」
意気揚々と言葉を紡ごうとしていた楯無の口は開かれたまま。人差し指さえ立てた恰好である。
一度虚空に視線が動き、だが、すぐに士郎へと戻されていた。
「……士郎くん、どうしてわかったの? もしかして、あなたって、エスパー?」
「アホだろ。どう考えたって、簡単に予想がつくだろっ! それに、こんなのがもう一体存在するだなんて、あまりにもカオス過ぎるだろうがっ!?」
「簡単に予想がつくだなんて、それほどまでにおねーさんのことをわかってくれてるってことなのね」
頬に手をあて、いやんと恥らう彼女。見入る士郎は半眼に近かったが。相手の頭の中は、あまりにもお花畑すぎる。
「……お前、この状況でよくそういう風に捉えられるよな。心底感心するよ」
「もう、褒めすぎよ?」
「誰も褒めてないし――て言うか、もう動画はいいから。何度も再生するな」
「オッケー。じゃ、早速着てみてくれる?」
「…………」
無言となり、静寂が場を包む。
(……着る?)
何を言っているのか、士郎の思考は追いついていなかった。
言葉の意味を理解できていない彼をそのままに、席を立った楯無は室内に置かれていた大きめのクローゼットへと歩み寄り、その戸口を開いていた。
「…………」
「さ、それじゃ着てみて」
ずんぐりむっくりした
士郎は無言のままであり唖然である。口さえぽかんと開かれていた。
それもそのはずであろう。イメージだ何だと口にしていたものが、実際に眼の前に現存しているのだから。
楯無は何故かふふんと勝ち誇った笑みを浮かべている。
「お前なぁ……」
用意周到というか、なんというか……唯一はっきりとしていることは、士郎は、ただただ頭が痛かった。
「そこまで準備してるんなら、自分が着ればいいだろう?」
至極全うな意見であろう。
しかし――
楯無は眼をぱちくりとさせ、不思議そうな顔をしていた。
「……なんでわたしがこんなの着るの? 着るわけないじゃない。士郎くん、アナタ、頭大丈夫?」
「お前が自分で振った話だろ」
どうしてこちらの頭を心配されなくてはならないのか――?
心配されるべきなのは、お前の頭の方だろうが――
着なさい、嫌だよ、お前が着ればいいだろう、どうしてわたしがこんな恥ずかしい恰好にならなくちゃいけないの、などと言い合う始末。
と、見切りをつけたのは士郎である。いつまでもこんなことに時間を割かれているわけにもいかぬ用事があるために。
「……まあ、なんだ……なんにせよ、用件はこれで終わりか? なら悪いけれどさ、俺、この後簪と約束事があるからさ」
これで失礼するよと断りを入れて部屋を出ていこうとするのだが、
「え? ごめんなさい。よく聴こえなかったわ。もう一度言ってくれる?」
「いや、だから……俺、この後に簪と約束事が……って、お前、なんて顔してるんだよ……」
睨みつけるかのごとく、眼は吊り上げ、口元は引きつり、ギリと歯を食いしばる彼女。どうして憎悪に満ちた眼差しを向けられているのか士郎は皆目見当がつかなかった。
心なしか、肩を掴んでいる指先にも力が篭っていた。
「簪ちゃんに何をする気っ……? わたしの眼が黒いうちは許さないわよ」
「はあ? お前、何言ってるんだよ……あのなぁ、落ち着けっての。ただアニメ見るだけだよ」
「……アニメ?」
「そ。アニメ」
告げられた言葉に思わず訊き返していた彼女であるが、眉間をしかめて訝しむ表情は変わっていない。
「どこで?」
「……どこって、簪の部屋に決まってるだろ」
「いかがわしいことをする気ね!」
「なんでさ。もう時間だから、じゃあな」
言って、これ以上相手にしてられないと悟る士郎は足早に離れようとするのだが――
楯無の残るもう片方の手もまた伸ばされ、逃がすまいと肩を強く掴み留めていた。
「……おい……だから、俺約束があるんだっての」
士郎の声を――相手は聴いていなかった。
「なら、わたしも一緒に行く」
「……なんでそうなるのさ」
刹那――
楯無は、それ見たことかといった『貌』をする。
「ほらごらんなさい! ボロが出たわよ。本音を洩らしたわね。いかがわしい事を考えていなければ、わたしが同席するのなんて問題ないハズでしょう」
得意気になって指摘する彼女ではあるが、対照に士郎は完全に呆れ果てるだけだった。
「……阿呆か? 決めるのは簪本人だろうが」
「簪ちゃんに変な気を起こすつもりなんでしょう! 口にするのもおぞましく、いやらしいことをする気ね! 羨ましい!」
「だから、なんでさ」
「泣き叫んで嫌がる簪ちゃんに、見境なく理性を失った野獣の如く欲望のままに襲いかかるつもりね……イイ人ぶった皮をかぶっておきながら、その実、とんだ鬼畜魔だったとは思わなかったわ」
「ああ悪い。聴いた俺が馬鹿だった……言っても無駄だとは思うけれど、なんで俺が簪相手にそんなことをするんだよ? するわけないだろう? よく考えてみてくれよ」
はあやれやれと息を漏らす士郎ではあるが――
突如として、楯無の『貌』は真顔――むしろ能面に近い――となっていた。
「『簪相手』……? なに、その軽んじた言い方……この世界で一番大切なわたしの簪ちゃんに、まるで魅力がないとでも言うつもり?」
紡がれる声音にすら冷ややかさが含まれている。
「わたしのって、お前……結局どう応えようとも、イラついたままだろうが。どうしろっていうんだよ」
掴まれる肩をいい加減に離してくれと告げて彼。
頬を膨らませ、恨みがましくむうと呻く楯無ではあるが……思いついたとばかりに脳裏には光明が差し込んでいた。
「ならここで見ればいいじゃないのよ。おっきなテレビもあるんだから」
彼女の言うように、生徒会室にはオーディオビジュアル機材がそれなりに完備されており、テレビも相応のサイズが置かれている。
とは言えど、それは楯無の勝手な言い分にしか他ならない。士郎は本気で眩暈を覚えていた。
「あのなぁ……簪の自室だって、落ち着いて見れるからに決まってるだろうが」
簪の性格上、人の多いところは好きではない。結果、彼女が心置きなく落ち着ける場所など自然と決まってくる。
だが、楯無は聴いてはいなかった。自分の要求が通らないとわかるや否や、再度口を開いていた。
「だいたいおかしいじゃない! なんで士郎くんは、簪ちゃんの誘いを受けてるのよ!」
断ればいいじゃないと理不尽なことを口にする。
妹を心配するあまり、ふたりきりにでもなって何か間違いが起こらないとも限らないとの彼女の指摘はわからなくもない。
しかし――
「きちんとした手順を踏んで、お互い清い交際からはじめない限り、わたしは認めないわよ!? 簪ちゃんにタカるこの羽虫がっ!」
「……お前……簪のことになると、ホント見境ないよな……?」
その情熱をもっと別のことにも活かせよと洩らす士郎ではあるが、やはり楯無は聴いてはいない。
「それぐらい心配してるってことよ。いやんもう、言わせんな恥ずかしい」
「……阿呆か?」
このままでは状況は泥沼と化すだけだと悟る彼は、面倒だと感じながらも、きちんと説明し出していた。
「そもそもだ……たまたま簪の好きなアニメの話になって、熱く語るから、そこまで言うなら興味本位で観てみたいなって応えただけだよ」
そうしたら、おススメを用意するから是非観ようと押し切られていた、と一連の流れを告げていた。
話を聴き終えた楯無は――
「……ずるい」
「は?」
「ずるいずるい! ずるいずるいわ! わたしも簪ちゃんとイチャイチャしたい! ラブラブチュッチュッしたいっ!」
「ら、らぶら……? なんでそうなるんだよ。知らないよ」
と――
名案を思いついたとばかりに彼女の態度は唐突に豹変していた。
「ねぇ、士郎くぅん」
「断る」
猫なで声で擦り寄って来る相手を邪険に扱い、彼は一言の元にばっさりと斬り捨てるだけ。
「まだ何も言ってないじゃない」
「だから断ったんだろ。お前がそんな変な声洩らしてるんだから」
「色っぽいでしょ?」
うふん、と色目を使う楯無ではあるが、士郎は身体をぶるりと震わせていた。
「どこがだよ。びっくりするほどの悪寒で背筋が一気にぞわぞわしたぞ。どう見たって何かよからぬことを考えてるって証拠だろうが」
「あらやだ酷いわ! 根拠のない言いがかりよ! 人を見かけで判断するなんて最低よ! 精神的苦痛により、繊細すぎるわたしのピュアなガラスのハートは大変傷ついたわ!」
「…………」
「よって、士郎くんには謝罪と賠償を請求するわ! 誠意を持って対応してもらうためにも、あなたからわたしも混ぜてくれるように、簪ちゃんにお願いしてほしいなぁー」
「面倒くさいヤツだなぁ……お前は本当に……」
「ね、ね、イイでしょう? この通り、お願いだから」
眼の前で両手を合わせ、拝み倒すかのように彼女。
不本意なれど、頼まれればそれなりに助けてあげたいとしばし黙考していた士郎ではあるが――
やがては、静かに首を振っていた。
「理由はどうあれ、俺を使って話を通すよりは、自分で話を通した方がいいと思うぞ」
「…………」
「それにだ。こればっかりは、簪本人の許可がないとやっぱりダメだと思う。俺が勝手に決めていいことじゃないと思うし」
「…………」
だから直接話して許可をもらった方がいいと言って聴かせていた。
一見して、士郎の言動は冷たい態度にとられるかもしれないが、それなりにフォローはするつもりではいる。
大事なことは、他人を使わずに自分で伝えるべきだということである。その過程、結果で不足していた部分があるとすれば、そこは補助しようというのが彼の考えであった。
が――
「だ……」
「……だ?」
若干涙声となっている楯無は、視線をあらぬ方へと彷徨わせていた。
「だって……簪ちゃんたら、わたしのこと……まだ避けてるんだもん……」
「……そりゃまあ、ある意味避けられるようなことしてるからだろうけれど」
スキンシップを計ろうとしているのはわかるのだが、楯無は些か間違えている節があった。
姉妹仲良くなるのはいいことであろう。だが、何事にも手順、限度というものが存在する。今の簪は、昔と比べて楯無との間に壁は作らなくなっていた。とは言えども、完全にではない。
わだかまりがなくなったとは言っても、気持ちの整理は当然必要である。少しずつ打ち解けていくのが合理的であるともいえる。
にもかかわらず、楯無は時間があれば簪とベッタリしたいというのが心情であった。今の今まで冷え切った姉妹間に変化が生まれ、嬉しいということはわからなくもない。だが、先も述べたが程度というものはどうしても存在してしまう。
簪とて、姉の楯無との仲を修復したくないなどとは思ってもいない。だが、簪の考えと楯無の考えが必ずしも一致するとは限らなかった。
片や時間をかけてゆっくりと。片や時間をかけず速やかに。
この隔たりが、簪の心情に戸惑いを生み出すかたちとなってしまっていた。具体的にどんなことを強要されるのかといえば、一緒にご飯食べましょう、一緒にお風呂に入りましょう、一緒に寝ましょう、などといった事案である。それも毎日――食事に関しては更に朝昼晩だが――であれば、簪とて思うことがあろう。プライベートの時間も何もなく、ほぼ拘束されるようなものなのだから。
楯無は、もう少し妹の心情を理解してあげるべきなのであるが。
「…………」
なんとなく察した士郎は簪のことも考えて距離を置いてみろと教えるのだが――
「ま、待って待って! お願いだから見捨てないでっ! 士郎くんに見捨てられたら、わたしはどうすればいいのっ!?」
普段は飄々としているクセに、妹のこととなると一気に弱腰になる彼女。
腰にしがみついて引きとめようとする楯無をずるずると引きずりながら、士郎はどうしたものかと溜め息を漏らしていた。
と――
「……なにやってるの……? お姉ちゃん……」
不意に割り込む第三者の声音。
振り返って見れば――戸口に立っているのは、件の相手、簪であった。
「か、簪ちゃんっ!? まさか、おねーちゃんに会いに来てくれたのっ!?」
陰っていた表情は一変し、花が咲いたかのように輝きを取り戻す。
士郎の腰から手を離し――さり気なく邪魔だとばかりに彼を突き飛ばしてもいたのだが――膝の埃をパタパタと払いながら、足取り軽く楯無は簪へと歩み寄っていた。
しかし――
簪は一歩後ろに下がりながら返答する。
「……違う……用があるのは、衛宮くんだけ……本音から生徒会室に居るって聴いたから」
「あ、あら……そう?」
士郎に用があったとの返答に、楯無は然もがっかりしたように肩を落としていた。しかし、それでも簪に会えたことは嬉しいのだろう。気丈を振舞う姿は、見ていてどこか痛々しかったりする。
簪にとっては、恐らく、時間になっても来ない士郎を迎えに来たのだろう。約束を反故されたのかといった心配もなかったわけではないのだが。
「悪い簪、時間になったのに遅れてて」
「……ううん、別にいい……無理やり誘ったのは、わたしの方だから……衛宮くんにも、いろいろ都合があると思うし……」
「…………」
そんなふたりのやり取りを見て、ひとり面白くなさそうな顔をするのは、何を隠そう楯無である。
完全なアウェー。完全な疎外感を味合わされている。
(……何、このデートの待ち合わせに遅れてきたようなカップルじみた会話は……)
恨み、辛み、妬み、嫉み――つい親指の爪をがじがじと齧っている彼女の姿を視界におさめている士郎は居心地が悪かった。
以前学園祭時に、箒とセシリア、シャルロット、ラウラの四人から向けられた負の感情が織り交ざった眼差しと同じである。後で修復する手伝いはいくらでもするからと心で詫びながら。一方の簪は背を向けているため後ろの姉の姿に気づいてはいなかった。
「……ところで……」
不意に、簪の視線が移動する。
「……
簪が指摘するアレとは、嫌でも眼につく『たてなっしー』である。
クローゼットは開かれたままであり、例えるならば、その異形からは怪しい雰囲気が醸し出されているといえよう。
だが、楯無にとっては簪が興味を持ったと誤った判断を下していた。
「あ、気になる? 気になっちゃった? 気になるわよねェ、簪ちゃん」
士郎が止める間もなく、キタコレとばかりに妹の手を取り得意気になって説明する姉は至極嬉しそうに。
「…………」
先ほど士郎に聴かせた内容を、今一度簪にも話す楯無ではあるが――やはり彼と同じように、好い反応は示していない。
むしろ姉妹設定という『かんざっしー』の存在を出された途端に露骨に表情は嫌そうな顔へと変わっていたのだが。
そこで士郎は割って入るように声をかけていた。
「だいたい、マスコット的なもので言うとするならば、IS学園に縁があるものを起用すればいいんじゃないかな?」
「例えば?」
疑問を疑問で問いかけてくる楯無に、士郎はさらりと切り返していた。
「ここはIS学園だろう? 着眼点はそれこそISとかさ。何処にも属さない学園だけの専用機、この響きと存在とかなら広告塔としてもバッチリじゃないか。なにも『ゆるキャラ』にこだわる必要もないと思うし」
「…………」
士郎の提案に、賛同の意を篭めて簪は無言のままこくこくと頷いている。そういう類は、彼女がもっとも好む趣向領域であるからだ。
何よりも、IS学園だけの専用機、との言葉に胸は弾み、心は躍る。
だというのに――
「却下。それじゃつまらないわ。メディアミックス展開としては、パンチが足りないわね」
「つまるつまらないの話か、コレ……それに、なんだそのメディアミックスって……グッズ戦略で言ってるつもりか?」
士郎の指摘を――楯無は敢えて聴き流して『たてなっしー』へとスキップさながら寄っていた。
「相変わらず聴いてないし……ったく……でもまぁ、そういう意味でのことであれば、あとは……織斑先生かな?」
「……織斑先生?」
何気なく呟かれた彼の言葉を聴き捉えた簪もまた問いかけていた。
「『ブリュンヒルデ』と呼ばれる先生を広告塔に……て、そういう類のことは、あの先生は嫌がりそうだからなぁ」
頭を掻き士郎。
そう言いながらも、つい想像してしまったのは、二頭身で小さく可愛い印象を表現する姿であった。
終始胸の前で腕を組み、三白眼に、への字口といった仏頂面。織斑千冬の特徴を誇張し、イメージを十分掴んだデザインであろう。
なんとなく簪も想像がついたのだろう。彼女も話に便乗していた。
「……織斑先生なだけに……『ちふゆっしー』とか?」
「『ちふゆっしー』かぁ」
そこでふたりは無言となると、合わせたかのように虚空へと視線を向けていた。
『…………』
どちらかと言えば、『たてなっしー』よりも『ちふゆっしー』の方がIS学園の『ゆるキャラ』として相応しいのではなかろうか、とまったく同じことを考えていた。
そんなふたりの会話をまるっきり聴いていなかった楯無は、ブレることなく、ひとりマイペースを保持したままに。
「まあまあ、実際に動いてみれば可愛いことに気づくって。ね? 簪ちゃんも、動いているところ見てみたいわよね? ね?」
「……え? あ、え……? あ……うん……」
勢いに圧され、簪は思わずそう応えてしまっていた。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
「ほら、簪ちゃんも見てみたいって言うんだから着た着た」
そう言って、半ば強引に無理やり着させられた士郎はもう既に怒りの感情すら湧かなかった。
いざ実際着てみれば、思ったよりも重くなく、むしろ軽かった。視界も良好であり、着ぐるみ内でありながらも快適であり蒸すことも息苦しくもない。
外装は特殊繊維で作られており、生半可な銃弾すら無力化する防弾性能を持ち、弾丸だけではなく対防刃にも優れているという。
「内側は対衝撃吸収仕様。指向性マイク完備、内部にあるセンサーの切り替えで暗視装置システムも起動するわよ。他にも、サーモグラフィといった各種探知システムに加えて、簡易ハイパーセンサーも積まれて充実してるし」
得意気に説明する楯無ではあるが、士郎は呆れるしかない。全て着ぐるみには不要であるべき装備である。
「お前の頭の中では、一体全体何と戦っているのを想定されているんだ?」
「…………」
対照に、簪は表情の変化もなければ声さえ出してはいない。だが、その内心はどこか少し興奮していたりする。いわゆる人間サイズのロボットという認識であるからだ。興味津々と言った眼差しで見入っていたりするのは秘密である。
楯無による解説は続く。
「腰に下げられてる棒状のものがあるでしょう? そう、それ」
「これか?」
言われるままに腰辺りに手を伸ばせば何か硬いものに触れていた。
形状としてはどこかで見たようなデザインであった。それが何かとわかったのは、楯無がいつも手にする扇子である。
「これ、お前がいつも持ってる扇子だな? なるほど。こういった小物も共有してるってわけか」
ひとり納得し、こくこくと頷いていた士郎こと『たてなっしー』ではあったが、楯無はニコリと微笑んでいた。
「ぶっぶー、残念でしたー。それはスタンロッドで」
「なんでさっ!? なんで武器なんて仕込んでるんだよ!? 明らかに不要だろコレはっ! どう考えても、ここは普通扇子だろっ!?」
両手を挙げて――表現では振るだけであるが――ちまちまと動く姿を見て、簪は思わず可愛いと呟いていた。
説明の途中であったのを遮られた楯無はパタパタと手を振り話を続ける。
「やーねぇ。護身用に決まってるじゃない。今の世の中なんて、ちょっと怖いことが平気で起こる時代よ? 何かあったからでは遅いの。用心に越したことはないじゃない」
「ま、まあ、ソレはわからなくはないけれど」
言われてみればそれもそうかと納得する士郎ではあるが、ひとり簪だけは違っていた。
(……あれ? さっき……お姉ちゃんは、外装は防刃防弾仕様って言ってたんじゃ……)
小首を傾げるそんな彼女の胸中の疑問はさておき、楯無の説明は続いていた。
「それに、スタンロッドなんて名前だけれど、ほんのちょっとだけビリッとするぐらいよ?」
「そ、そうなのか?」
「ええ。象さえ一撃で即昏倒させるシロモノ」
ニコリと微笑を湛えながらVサインを決める楯無はなんと愉しそうなことか。
だが――
士郎にとっては十二分に声を荒げる内容であった。手にしていた物騒な棒状のものは投げ捨てられ、からんからんと乾いた音を立てて部屋の隅へと転がっていく。
「おいぃぃっ!? ビリッじゃないだろッ!? どう考えても、バリバリバリバリッて言う効果音が相応しくて、黒焦げになる姿しか思いつかないだろっ!?」
「何言ってるのよ士郎くん、わかってないわね。
「余計酷いぞっ! お前、自分で言ってることが無茶苦茶だってことにホントは自覚してるだろう!? それに、護身用の域を余裕で超えてるだろうが! なんで加害行為大前提なんだよ!」
「
「言い方変えれば、なんでもかんでも許されて通ると思うなよ!?」
「本当はビームかレーザーを射出するように頼んでたのに……すっごく残念」
「口にしてる言葉と顔が一致してないんだよっ! お前はっ!」
「……士郎くん、さっきから声を張り上げてて疲れない?」
「なに不思議そうに言ってるんだよっ! お前が疲れさせるようなことを言ってるんだろうがっ!」
両手をばたばたと振り上げ抗議する『たてなっしー』に、簪はてこてこと歩み寄っていた。
「……結構、可愛いかも……」
言って、彼女は『たてなっしー』をさすさすと撫でていた。
「……可愛い……」
デザインはともかく、それは中の士郎の動きに対しての意味である。
それが――
楯無は少しばかり気に入らなかった。ありていに言えば、簪の言葉にかけられた相手への嫉妬である。
故に――
『たてなっしー』の背後に回り込んだ楯無は無数の蹴りを叩き込んでいた。
「憎い、憎いわ! 簪ちゃんに撫でられているアナタが憎すぎるっ!」
「逆恨みじゃないかよっ!」
「違うわ。八つ当たりよっ!」
「どっちも酷いだろ!」
「そんなことはどうでもいいのよ! 早く脱いでっ! 脱ぎなさいっ! わたしも着る! わたしも着て、簪ちゃんに撫で撫でされたいっ!」
「お前さっきは着たくないって言ってただろうがっ! 動機がすっごく不純すぎるぞっ!」
そう言われればそれもそうかとあっさりと引き下がっていた。
「それもそうね。よくよく考えてみれば、何も着なくたっていいんだわ。ささ、遠慮しないで簪ちゃん。思う存分、好きなだけ、おねーちゃんの頭を撫でてくれていいのよ。わたしはいつでもオッケーだから!」
両手を広げて『さあ、わたしの胸に飛び込んできて』と思しきポーズをとる楯無ではあるが――
「……イヤ」
そんなウェルカム状態の相手に対し、簪は酷く冷めた眼差しを向けるに留まっていた。
「んもう、そんなに遠慮しなくていいのよ」
「…………」
一歩ほど後ろに下がる簪を見て、士郎は手で制していた。
「本気で嫌がってるぽいから、あんまり無理強いするのはよくないぞ?」
が――
瞬時に、楯無の行動は迅速であった。
『たてなっしー』を着込めば撫でてもらえるという希望を捨て切ってはいないようだった。
「士郎くん、やっぱり早く脱いでっ! わたしも着る! わたしも着て、簪ちゃんにいっぱい撫で撫でされたいっ!」
「今脱いで着たとしても、中身がお前だと丸わかりな上で撫でられるかどうかは簪次第なんだぞっ!?」
「いいから早く脱げって言ってるでしょ!? さっさとしないと、ブチ殺すわよっ!?」
「殺害宣告っ!? 落ち着けってのっ!!」
「うるっさいわねっ! だいたい、動きが甘い! もっと機敏に動く!」
「お前っ――」
がすがすと再び繰り返される打撃の嵐。視界不良となる士郎へ蹴りを叩きこんでいた。
「なにすんだよ! やめろよ!」
着ぐるみ姿の士郎が反論する恰好というのも、シュールな光景であろう。
「喋り方もおかしいのよっ! まだ声音に照れが残ってる! 捨て去るのよ! 恥じらいなんてものは、かなぐり捨てなさい! 今の自分は、卑しいブタ以下だと思うのよっ!」
散々な言われようである。
「お前っ、後で覚えてろよっ!」
「違うって言ってんのよ! その場合は『覚えてろっしー』よ!」
言って――
『たてなっしー』の臀部付近にミドルキックを叩き込む彼女。
一際いい音が鳴り響く中、内部でどこか身体を打ちつけた士郎――もとい『たてなっしー』は呻きを洩らす。
「ホントに覚えてろよ……」
「最後のイントネーションは高くする!」
「覚えてろっしーっ!!」
ここまで来れば『たてなっしー』も既に自棄になっていた。
と――
先から向けられ続けている簪の白い視線にようやく気がついたのか――耐えられなくなったとも言えるが――取り乱していた楯無はこほんとひとつ小さな咳払いをしていた。
「ところで……ねえ、簪ちゃん?」
「……なに?」
少しばかり警戒し、そっと『たてなっしー』の背後に隠れる彼女。
「あのね……」
「…………」
僅かに楯無が詰め寄れば、その分簪は『たてなっしー』を軸に離れるだけである。
距離が縮まらないことを悟った楯無は歩を止めると、両手を合わせ、やんわりと語りかけていた。
「たてなっ……士郎くんから聴いたんだけれど、アニメ観るって言ってたんでしょう?」
「…………」
一瞬、簪の視線は『たてなっしー』へと向けられる。だが、すぐに戻されていた。その顔は「それで?」と物語っている。
「それでね、その、ね、あのね……」
「…………」
なかなか本題に入ることが出来ず、両手の指を合わせて意味も無く動かし彼女。
だが、意を決したのか言葉を紡ぐ。
「お、おねーちゃんも、簪ちゃんと一緒に、み、観たいかなーって」
「イヤ」
思考という名の間もなく、即答である。
「ええとね、簪ちゃん」
「イヤ」
「だからね」
「イヤ」
「あの……」
「イヤ」
「…………」
「イヤ」
「……士郎くぅん……」
助け舟を求めるが如く、若干涙声となる楯無は士郎に協力を仰ぐ。
――が。
「こうまで拒否されてる以上は、あきらめるのもひとつの道なっしなー」
指摘通りのイントネーションと口癖で『たてなっしー』は楯無の肩をぽんぽんと叩いていた。
「憎いッ!」
怒声とともに、八つ当たりのハイキックが『たてなっしー』の顎付近へと叩き込まれていた。
しかし――
眼の前で繰り返される蛮行に――ついに簪もまた声を荒げることとなる。
「いい加減にしてお姉ちゃん! さっきからどうして衛宮くんをイジメるのっ!? どうして衛宮くんを蹴ったりするのっ!? どうして衛宮くんに暴力を振るうのっ!? 衛宮くんがなにをしたっていうのっ!?」
顔を赤くし姉に怒り、大丈夫衛宮くんと心配気に声をかける簪に――
逆に楯無の顔色は酷く悪かった。怒られたことによって血の気がない顔色は、蒼を跳躍して白である。
取り繕うように彼女は弁明をはじめていた。
「ち、違う――違うのよっ、簪ちゃんっ! こ、これは決して暴力やイジメとかじゃなくて、い、一種のフレンドシップというか、コミュニケーションの延長というか一環というか、なんというか――」
「……嫌い」
「――え?」
わちゃわちゃと言い訳じみた姉を黙らせるように、真っ直ぐに睨みつけ、ぼそりと呟かれた簪の声音。だが、楯無は聴き逃してはいなかった。
否定の言葉。
三文字による拒絶の単語。
「衛宮くんに乱暴するお姉ちゃんなんて、嫌い……大っ嫌い……」
「――――」
「……最っ低……」
その言葉が決め手となる。
ずがーん、との効果音が似合いそうなほどに、落雷にでもあったかのように楯無は直立不動。
絶句――
「……き、嫌い……?」
この世の終わりだとでも言わんばかりの顔で、ふらふらと数歩ほど後ろによろめくと――楯無はその場でがくりと膝を付いていた。
「簪ちゃんに、嫌われた……」
両手さえも付き、頭を垂れて意気消沈となり彼女。
「……嫌われた……」
「…………」
「……簪ちゃんに、嫌われた……」
「…………」
「もう……もう、おしまいだわ……一生顔も見たくないって……一緒に居る部屋の空気も吸いたくないって……」
「……誰もそこまで言ってないなっしよ?」
『たてなっしー』のツッコミにさえ反応することなく、楯無はなおもひとりブツブツと呟いている。
だが――
「ふ、ふふふ……」
唐突に、楯無の両肩がピクリと揺らぐ。
身体を起こし、ふらりと立ち上がると――斜に構えたその顔には、光を失った瞳に加えて、ニイと口の端を吊り上げた笑みを張り付かせていた。
そのまま――
「もう、わたしはおしまいなのよっ! こうなったら士郎くんを殺して、わたしも死ぬわっ!」
「なんでなっしーっ!?」
「どいて簪ちゃんっ!
「だから……いい加減にしてって言ってるでしょ、お姉ちゃんっ!」
簪に被害が及ばぬように身を張る『たてなっしー』と――
『たてなっしー』を亡き者にしようと動く楯無と――
楯無を引き剥がそうと奮闘する簪と――
三者三様、ぎゃあぎゃあと生徒会室で騒ぎ喚いているのだった。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
「何を騒いでいるんだ、あの馬鹿は……」
生徒会室がうるさくて敵わないとの苦情が職員室へ投げ込まれたことに、千冬は頭を悩ませていた。
馬鹿騒ぎ――主に奇声を張り上げているとの報告を耳にする。
相手は生徒会長の楯無である。一般生徒が静かにするように注意したとしても、大人しく聴くはずもない。であれば、生徒たちとて一計を案ずる他ならなかった。
こちらの意見が通らないのなら、こちらの意見を通らせる者を立てる、と。それが織斑千冬であった。
「全く……本当に余計な面倒事を増やしてくれる」
ぶつくさと文句を洩らしながらも千冬は生徒会室前へとやって来ていた。
報告通りに、廊下にまで響くのは室内からの騒ぎ声である。
こうまで騒いでいることに、彼女は少々疑問を感じていた。御目付け役と化しているはずの、布仏虚は一緒ではないのか、と。
「更識、何を騒いでいる……」
ノックもせずに、扉を開いた千冬ではあるが――
「げえっ!? ち、ちふゆっしーっ!?」
生徒会室に現れた千冬に、真っ先に反応したのは『たてなっしー』であった。
「…………」
千冬は無言となっていた。それはそうだろう。扉を開けば、室内には楯無じみた着ぐるみが居るのだから。その脇に更識姉妹が立っているのもどういう状況なのか計り知れぬが。
しかしながら、発せられた声音――裏声であるが――に、千冬は瞬時に着ぐるみの中に誰が入っているのかを見破っていた。
「誰が『ちふゆっしい』だ? それよりも……おい、その気が狂ったとしか思えんふざけた着ぐるみの中に入っている馬鹿は……その声は、よもや衛宮か? お前は、何をやっているんだ……?」
「ち、ちがうなっしー! たてなっしーなっしーよ? 衛、衛宮なんて知らないなっしー!」
懸命に違うとアピールする『たてなっしー』ではあるが、千冬は確信を持って続けている。
「……衛宮、なにを馬鹿なことをしている……?」
さすがの
「たてなっしーなっしーっ! 違うなっしーっ! 嵌められたなっしーっ!」
「……その耳障りな喋り方と動きをやめろ」
「なっしー!」
頭を抱えて前後左右に激しく動きを見せるさまは、気が狂ったかのようにしか見えないだろう。
「その動きをやめろと言っているのがわからんのか? 加えて、更識妹……お前も何をやっているんだ?」
矛先が簪に向くや否や――
人をイラつかせる動きを見せていた『たてなっしー』であったが、不意にぴたりと止まると、簪へ向けられている千冬の視線を遮るように割り込み片手を挙げていた。
「あ、違いますよ織斑先生。簪は全く関係ないですから。彼女は、たまたま生徒会室に用があって立ち寄っただけですよ」
真声で応え、さり気なく簪を千冬の対象外から外そうとする『たてなっしー』ではあるのだが――
「……間違いなく衛宮だな……? その中にいるのは」
「――し、しまったなっしーっ!? 謀られたなっしーっ!?」
さすがに――千冬のこめかみには、青筋が浮かび上がっていた。
「だから、その耳障りな喋りをやめろと言っているんだ」
「なっしーっ!?」
無理やり脱がそうと詰め寄る千冬ではあるが、身をそらした『たてなっしー』は転がるように――実際転がりながらだが――窓際へと追い込まれていた。
何故にこうまで避けるのかと言うと、千冬に捕まりでもすれば何をされるかわからないがために士郎は焦りを浮かべている。
一方の千冬から見れば、あんな着ぐるみを身に纏っていながらも、機動性は予想以上であったことに内心驚いていたりする。
しかし、状況は以前『たてなっしー』にとっては不利なまま。
「ま、まずいなっしーっ!?」
窓を背にし、逃げられないと悟るやいなや――
『たてなっしー』は、ヒャッハー、と奇声を洩らすと、盛大な音を立てて背後の窓ガラスをぶち破り屋外へと飛び出していた。
「馬鹿者っ!?」
「衛宮くんっ!?」
落ちた――!?
さすがに窓を破って逃げるとは思わなかった千冬と簪は、突然のことに理性が追いついていなかった。
唖然とするのは一瞬であったが、慌ててふたりは壊れた窓枠へと駆け寄り階下へと身を乗り出していた。
が――
ふたりが眼の当たりにしたものは、今まさに地面に叩きつけられるが、バウンドすると何事もなかったかのように着地し、そのまま一目散に駆けていく『たてなっしー』の姿であった。
耐衝撃性に優れているのは伊達ではない。結構な高さから落ちたというのに、『たてなっしー』に損壊部分は見受けられなかった。
当然のことではあるが、正体不明の着ぐるみが空から降ってくれば、たまたまその場に居合わせていた生徒たちからは驚き悲鳴も上がる。
どよめく騒ぎを耳に捉え、駆けつけた教師や警備員らは不審者を取り押さえにかかっていた。弁明の余地なく捕まり拘束されそうになるが――『たてなっしー』は恰好に見合わぬ動きにより、捕まってはなるものかと掻い潜っては逃げ出していく。
追っ手を振り切り、一目散に逃走する姿は圧巻であろう。
「…………」
耐性衝撃は伊達ではない。
理由はどうあれ、大事がなくてよかったとホッとする千冬ではあるが――その鋭い双眸は、とある箇所へと向けられていた。
その先とは――
「何処へ行くつもりだ……
「――っ」
抜け足差し足忍び足とばかりに、そろりと逃げ出そうとしていた楯無に声をかけるのは無論千冬である。
「あの衛宮が、あんな奇行に走るのは、お前が原因だな?」
「…………」
「ああ、訊ねたのがそもそもの間違いだったな。アイツと、素行不良のお前を比べて、どちらに問題があるかなど一目瞭然だ。訊くまでもない話だったな?」
「あら酷い」
くるりと向き直った楯無は、何事もなかったかのように、平然とした表情を浮かべていた。
「なんのことでしょう? わたしには皆目見当が付きませんが? 士郎くんもいろいろとお疲れのようで、ストレスが溜まっていたんじゃないでしょうか?」
「ほう。お前は関与していないとでも言うつもりか?」
腕を組み、嘲笑が混ざる千冬の問いかけに――楯無はふうと一息ついていた。
「ええ。全くもって、身に覚えがございませんから」
軽薄そうな表情を貌に貼り付け、のたまう阿呆ひとり。
わたしは知らぬ存ぜぬを徹底的に決め込む算段であり、事の全ての責任は士郎へとなすり付ける気満々である。
だが――
千冬はとうに楯無を見ていなかった。彼女の視線は簪へと向けられている。
それは、この場で唯一まともな相手からの返答を得るために。人づきあいの悪い根暗な妹の方が、根明なお調子者の姉よりも素直であるからだ。
故に――
「更識妹、このくだらん馬鹿げた騒動の、諸悪の根源はどこのどいつだ?」
「お姉ちゃんです」
千冬の問いかけに対し、ぴっと指差し、けろりと見事に首謀者の名を暴露する簪であった。
「簪ちゃああんッッ!?」
あっさりと犯人を売る妹に、姉は叫びを上げるだけ。
簪はぷいとそっぽを向き、無視を決め込んでいた。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
その日の夜――
自室で士郎と何気なくテレビを見入っていたセイバーは、ふと思い出したことを口にしていた。
「そういえばシロウ、知っていますか? なんでも今日の放課後、この学園に、あの梨の妖精に大変酷似した者が現れたそうです」
「…………」
「その者は何かするでもなく、奇声を発しながら、取り押さえようとする教員たちを千切っては投げ千切っては投げ、学園から逃走したとのことです。幸い生徒や学園に被害は何もなかったと聴きますが、何が目的で忍び込んだというのでしょうか」
「…………」
「たまたまその場に居合わせた、多数の目撃者の証言によると、その者の姿はどことなくタテナシにも似ていたとも聴きます。おかしな話だ。なによりも、にわかには信じられないのですが……空から降ってきたというのです。このことに、シロウはどう思いますか?」
「…………」
と、そこで――
先から一切何も口を挟まない士郎を不思議に思い、セイバーは視線を向けていた。
視界に映るのは、顔面を蒼白にした彼。その表情からは、酷い疲労が窺い知れる。
これにはさすがのセイバーも驚いていた。
「ど、どうしましたか、シロウ!? 顔色が優れないようですが?」
「……大丈夫だよ、大丈夫だから……」
「何を馬鹿なことを……それほどまでに蒼い顔をしていながら問題ないなど、悪い冗談にもほど遠い」
士郎が身に持つ魔術回路に何かしらの異常があり、それで体調を崩しているのではなかろうか?
慌てるセイバーではあるが、やんわりと――それでいて蒼白い顔はそのままに士郎は告げていた。
「いや、ホントに大丈夫だから……悪いけど、そんなに心配しないでくれて大丈夫だから……今日はいろいろとあって、ちょっと疲れただけだからさ……」
「…………」
何か言いたそうな表情を浮かべるセイバーではあるが――士郎がそう応える以上は強くは意見しなかった。
「……そう、ですか? わかりました。ですがシロウ……くれぐれも、無理はしないでいただきたい。よろしいですね?」
「ああ、ごめん。心配かけた。ぐっすり休めば大丈夫だと思うからさ……」
ひとり胸中で呟く彼は、静かに吐息を漏らしていたのだった。