I.S.F インフィニット・ストラトス×Fate   作:ボイス

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 時間は多少遡る――

 先ほどの水色の髪の少女を思い出し、ランサーは内心で苦笑していた。

 何処か、カレン・オルテンシアと同じものを感じていた。あの類はクセがありすぎる。

(あの小娘……ありゃ明らかに何かあるな。でなけりゃ、ああまで露骨にはしねぇーだろ)

 そうこう考えているうちに、脚は目当ての剣道場についていた。

 きょろきょろと入り口を探しそちらへ向かう。

(まあ、あっちは坊主に任せるとして、俺は俺で、ちいとばかし愉しませて貰うとするかねぇ……にしても、そんなに見世物でもねーと思うんだがなぁ)

 ランサーの視線は、それなりの数の生徒たちに向けられていた。

 何処から聴きつけてきたのか、他に何もする事が無く余程暇なのかと、居合わせる見物人に半ば呆れながら歩を進める。

 幾人かの女生徒が声をかけてくるが、それらに対してランサーは適当に返答するだけ。

「ほぅ、結構広いもんだな」

 室内を見て、素直な感想を述べていた。 

 現れたランサーを見て、立ち上がったセイバーが歩み寄っていた。居るはずのもうひとりの姿が見えない事に彼女は訊ねる。

「ランサー、シロウは?」

「あ? 坊主はちっと野暮用で席外してんぞ。こっちには来ねェーみてェだ」

「? そうですか」

 制服を脱いだランサーは、小首を傾げているセイバーへと渡す。

 ISスーツを着ているとは言え、引き締まった身体、筋肉、が露になる。

 居合わせる女生徒からは『きゃあ』と黄色い歓声が上がっていた。

「ランサー、シロウが言っていますように、決してホウキには――」

「解ってるって。お前も坊主の心配性がうつってんなぁ。やり過ぎねぇよ」

 解った解ったと手を振るランサーではあるが、ふと彼は思いついた事を口にする。

「お前さんも人の事言えねぇよな? 坊主にISでの事言われてるの知ってるぜ。手ェ抜かねェらしいじゃねーか」

「なっ――」

 その指摘にセイバーは顔を紅潮させる。

「ち、違います! あれは……互いに同じ土俵に立つ以上、相手に全力を持って向かうのが騎士として――」

「あー。つまりは、騎士王様は、『それはそれこれはこれ』て言いてぇのか?」

 変に長くなりそうだと感じたランサーは、無理矢理話の腰を折る。途端、セイバーは咆哮。

「ランサーっ!」

「あー、はいはい。わーかりましたよ。でもな、坊主の言いたい事も、ちったあ解れよ? お前さんの事だから、節度はあるつもりだろうがな、腐っても俺らはサーヴァントなんだぜ? 俺らがやり過ぎてないと思えても、坊主や周りの連中から見れば行き過ぎてるとも捉れかねん。お前が俺に言う事と、坊主がお前に言う事は違うか?」

 ランサーの指摘に、むうと釈然としない顔のセイバーではあるが、こくりと素直に頷いていた。

「ぜ、善処はします……失言でしたね。ホウキは私の大切な友人です。どうか、お手柔らかに……」

「あいよ」

 適当に応えるランサーに頷き、制服を抱えたセイバーは一夏たちの方へと戻っていった。

「セイバー、士郎は?」

「用事があって此方には来ないそうですよ」

「? そうか」

 セイバーにそう答えると、一夏の視線はランサーに向けられていた。彼の眼は、ランサーが肩に担いだ長物を捉えている。おそらく、あれがあの男が得意とする得物なのだろう、と。

 そうこうしているうちに、箒もまた立ち上がっていた。

 裸足に袴姿の出で立ち。先に用意を済ませた黒髪の少女を見つけると、ランサーは頭から足の爪先まで不躾に視線を投げて言う。

「防具は要らないのか?」

「不要だ。そちらこそ付けはしないのか? 言っておくが、手加減はせんぞ」

「あ、そう。なら俺もいいや」

 軽口を叩き、ランサーは手にした長物を包む布を解く。現れたのは棍。

「……長いな」

 見た感じの率直な意見を一夏は口にしていた。それと同時に、あんな長い物で箒とやるのかと胸中ひとりごちる。

 と――

「一夏」

 隣に座るラウラがぼそりと呟く。

「なんだ? ラウラ」

 思わずそう訊き返し、彼の視線は銀髪の少女へと向けられる。

 声をかけた当のラウラは相手を見もせずに――再び口を開き言葉を吐いていた。

「アイツ、強いぞ」

「へ?」

 少々間の抜けた声を出す一夏を無視し、ラウラは睨むようにランサーを見入っていた。

 

 

 棍を肩に担ぎながら、ランサーは箒に声をかけていた。

「勝負は? 一本取ればそれで終わりか?」

「どちらかが降参するまでだ。異論はあるか?」

「いんや、解りやすくて手っ取り早いぜ。得物は取り落としても負けじゃねえんだろ?」

「無論だ」

「なるほどな」

 そう応えると、ランサーは周囲に視線を巡らせ――目当ての人物を見つけ声をかけていた。

「おーい、吊り眼のねーちゃん」

「――!?」

 ランサーがそう呼ぶ相手は、千冬だった。

 『吊り眼のねーちゃん』――

 まさか、織斑千冬にそんな軽口を叩くとは思わなかったのだろう。箒もそうだが、生徒たちからは、何と言う怖いもの知らずだと言うような眼で見られている。

 騒ぎを聴きつけ、道場に足を運んでいた千冬自身も、まさかそのような言葉で呼ばれるとは思っていなかった。

 怒りを感じる前に、驚きと呆れの方が強い。顔を顰めながらも、律儀に千冬は歩み寄っていた。

「……何の用だ?」

「合図してくれや」

 気楽に告げる男。

 そんな事で態々呼んだのかと千冬は睨み嘆息するが、ランサーは相手の心情など察するはずも無い。

「織斑先生、私からもお願いします」

 頷く箒からも声がかけられる。

 ランサーの視線に促され、千冬は面倒くさそうに髪を掻きあげると、やれやれと溜息を漏らしていた。その顔には『どうなっても知らん。勝手にしろ』と物語る。

「……両者、準備はいいか?」

「ええ……」

「いつでも」

 淡々と応えるふたりに頷き、千冬は高らかに叫んでいた。

「始め!」

 その言葉に箒は静かに竹刀を構える。

 ランサーもまた、間合いを取りながら気だるそうに棍を振り、二度三度と旋廻させる。

 と――

 空気が変わる。 

 ひゅんひゅんと掌で遊ばせ振るうランサーはぴたりと止まり、静かに構える。

 先までの飄々とした態度は瞬時に消え――さながら、獣のような鋭い眼光。

「――っ」

 ぞくりと寒気を感じた箒だが、彼女は構えを崩さない。

 一夏たちがいる場所へ動き、試合を見入る千冬も同様だった。

(なんだ? 先までの男と全く感じが違う――)

 例えるならば、丸腰のまま獰猛な肉食獣の前に放り投げられ、相対させられたかのような何ともいえない馬鹿馬鹿しいイメージを千冬は感じていた。

 正眼に構えたまま、箒は動かない。否、動けなかった。

 自分が馬鹿にしていた相手を今一度見改める。

 型とは言いがたく、それでいて無造作に構えているように見えて隙がない。流派などは知らない箒だが、恐らくは我流なのだろうと推測する。

(これは――)

 迂闊に踏み込めば瞬く間に此方が打撃を受ける。緊張に押しつぶされそうになりながらも、箒は爪先を床にじりと滑らせ、何とか間合いを測ろうとする。

 時間にしてどれ程だろうか。

 一夏と鈴、セシリアたちは見入ったまま。千冬とセイバーもまた静かにふたりの勝負を見つめていた。 

「なんだよ? こねェのか?」

「…………」 

 ランサーの軽口に箒は応えない。相手の思惑に乗らぬよう自分に言い聞かせ、なんとか様子を伺う。

 と――

「んじゃ、こっちから行くぜ」

 言って――

 不意に、ランサーの持つ切っ先がくいと動く。刹那に疾る。

「っ――」

 狙い違わず、襲うは喉。

 咄嗟に伸びた先端を刀身で払い箒。だが、ランサーの動きは止まらない。

 不意をついたとは言え、初手を防がれるのは解っていたのだろう。追撃するように二度、三度と棍が疾る。

 首元、心臓、眉間と明らかに急所を狙い迫る切っ先を――だが箒は払い、かわし、それを防いでいた。

「はは、やるねェ嬢ちゃん」

「このっ――」

 打突の猛攻を凌ぐ彼女ではあるが――

 だが、こと長物に関しては箒は失念している。

「しっ――」

 ランサーの口から漏れる息吹とともに疾る棍の穂先を、瞬時に身を捻りよけていた。

 が――

「馬鹿者が」

「いけません」

 千冬、セイバーが同時に声を零していた。刹那に、状況は一変する。

 かわした棍の軌道が跳ねる。ランサーの手首で切り替えした柄が真横から――力任せに箒の脇腹へ叩き込まれていた。

 息を吐き出し、箒の身体が床へと崩れる。

 棍の攻撃は点だけではなく、線がある。それを彼女は身を持って知る事となった。

「…………」

 一夏は唖然としていた。箒は決して弱くはない。だが、現実には、今まさにその彼女が眼の前で床に叩き伏せられていた。

 それは、セシリアと鈴、シャルロットも同様だった。一夏ほどではないが、箒の実力はわかっていたつもりだ。そのため、軽口を叩くランサーを箒が叩きのめして簡単に終わるだろうと高を括っていたのだが、予想を超えている光景に眼を疑っていた。

 唯一、相手の力量を見定めていたウラウだけは表情に変化は無い。

「さて――」

 ぶんと棍を振り、肩に担ぎランサーは言う。

「どうする? 続けるか?」

「当然だ。たかが一撃受けただけで、私が負けを認めると思ったか?」

 取り落とした竹刀を握り、箒は立ち上がる。だが、脇腹の痛みは軽いものではない。回りの連中に気づかれはしないとはいえ、手加減したランサーの打撃を生身の人間が受けていたのだ。痛覚は尋常ではない。

 箒自身が言うように、たかが一撃、されど一撃。

 熱を持つ脇腹に僅かに触れながら――箒は竹刀を構えていた。

 

 

 箒の足取りは重かった。

 先までの機敏さは最早ない。

 ランサーの繰り出す打突は的確に――相手の腹、肩を狙い、脚を払う。 

 対する少女の動きには無駄があり、振るう竹刀は大振りになっていた。

 かわし避け様に――真下から振り上げた棍が竹刀を払い、返しの振り下ろしが箒の肩に打ち落とされた。

 呻き、膝を付いた箒の掌から落ちた竹刀が床に転がる。

 静寂の中、這い蹲ったまま箒は竹刀を取り、荒い息のままふらふらした足取りで立ち上がっていた。

 最初の方は、偶々よ、と笑っていた鈴も徐々に口数は少なくなり、今は無言のままただ黙って見入るだけ。セシリアは口元を覆い見るに堪えないという顔をしていた。シャルロットも険しい表情をしている。

 変わらないのは無言のままのラウラのみ。

 果たして、試合と呼べるような形も無い、一方的な展開を見て、生徒たちは何を思うのか。中には箒が痛々しい打撃を受ける度に小さく悲鳴を漏らす者さえ居る。 

 箒とて、ただ闇雲にやられているわけではない。

 彼女なりに相手の動きを読んだ上で竹刀を振るうのだが、その尽くは容易く打ち払われ、受け流され、かわされるだけ。全く当たらない。

 逆に、無造作に構えるランサーの棍。読めない軌道から疾る打突に身を襲われるだけだった。

 両手で打ち込んでくる箒の竹刀を、ランサーは片手で握る棍で軽く受け止め、払い、切り返す。

 幾度目かになる突きを受け、箒は床に両膝を付いていた。痛みに胸を押さえ、立ち上がる事が出来ない。だが、彼女は竹刀を取り落とさず、杖代わりに身を起こす。

 それを見て、流石に一夏は我慢がならなかった。

「もういいだろ――やめろよ!」

 声を荒げる一夏に――だが、ランサーはつまらなそうに一瞥しただけ。立ち上がっていた箒へ視線を戻していた。

 荒い息のまま、直情的に走り竹刀を振るう箒の腹を打ち、息を詰まらせ蹲るその背に返す棍を容赦なく振り落とす。

「あの野郎っ――」

 ぎしりと歯を軋らせ、一夏は立ち上がっていた。

 その腰をラウラの手が掴んでいた。

「一夏、なにをする気だ?」

「やめさせるに決まってんだろ」

「待て――一夏! やめろ!」

 留めようとするラウラを振りほどき、進もうとする一夏をまた別の者――実姉の千冬が肩を掴んでいた。

「待て、織斑。なにをする気だ」

「千冬姉までそんな事を言ってんのかよ……やめさせるに決まってんだろうが!」

 織斑先生と呼べ、といつもの指導は下さずに、彼女は言う。

「……馬鹿かお前は」

「馬鹿って――千冬姉!」

 睨みつけてくる愚弟を、だが千冬は呆れたように視線を向けるだけ。

「聴けば、些細な事であれ、今回の騒動は篠ノ之からが始まりのようだな。ランサーにも問題はあるだろうが、理由、経緯はどうであれ、お前はふたりの真剣勝負を邪魔する気か?」

「そんな事言ったって、あれはどう見てもやりすぎだろう!?」

「くだらんな」

「なにが」

 食ってかかる一夏ではあるが、ギロリと睨む千冬の視線に身体を強ばらせていた。

 眼力で射抜きながら、彼女は言う。

「だからお前はガキなんだ。織斑、お前は今、どれ程自分が甘い考えを口にしたのかが解っているのか? なら訊くがな? 真剣勝負のISの国際試合で、篠ノ之が、オルコットが、凰が、デュノアが、ボーデヴィッヒが、他国の者と戦って、今のように力量差があって圧倒的に押されていたとしたら、お前は逐一割って入るのか?」

「……それとコレとは違うだろう!?」

「何が違う? 何も違わんさ」

「っ……」

「私闘であろうが、国際試合であろうが、互いに納得した上での真剣勝負だろう? それを、どうしてお前に邪魔する権利がある? 篠ノ之がお前に助けを求めたか? 篠ノ之が相手の力量を見誤った……違うか?」

 事実、箒は見た目だけでランサーを侮っていた。

 千冬の言い分は尤もだ。箒の性格上、こと勝負事においては正々堂々としている。それが真剣勝負ともなれば尚更だ。力量差があろうとも、彼女はそう簡単に逃げるような人間ではない。

 それを解っている。一夏も解っているのだが――納得が出来なかった。

 行動は一瞬。彼は掴まれていた肩を振り払っていた。

 まさか抵抗するとは思わなかったのだろう。虚をつかれた千冬は声を上げていた。

「一夏ッ――此処まで言って解らないのか、お前は――」

 だが――

 進もうとする一夏の前に回り込んだ者がいた。セイバーだ。

 遮るように彼女は立つ。

「いけませんイチカ。ホウキの意志を穢してはいけません。それは侮辱です」

「そんなこと言ってられるか! あれはただの弱い者虐めだ!」

「イチカ、確かにホウキとランサーの実力差は圧倒的でしょう。ですが、ホウキ自身がそれに気づいていないと思いますか? あの場に立つ彼女が気がつかないはずが無い。確かに、此処まで来ては彼女の意地もあるでしょう。ですが、これはホウキが望んだ事です。我々が助けに入る事を彼女は決して良しとはしません。それでも、あなたはホウキの意志を穢してまで助けますか?」

「…………」

 言いたい事は解ってはいるが――一夏は無造作に伸ばした腕でセイバーの肩を掴み押し退けようとする。

 だが、少女の身体は動きはしない。

「我々がすべき事は、見届ける事です。違いますか?」

「く――」

「もし、それでもあなたがホウキを助けるというのならば、私は彼女の剣士としての志を護る為にあなたを止めます。それとも、ホウキにさっさと負けを認めろと、イチカ、あなたはそう告げられますか?」

「…………」

 素直に負けを認めて楽になれ、などと一夏は口にする事は出来なかった。

 真っ直ぐに見据えるセイバーの視線に耐えられず、彼は顔を背けるしかなかった。

 

 

 視界の隅で、一夏が何かを騒いでいるのが解った。

 何かを口にしているようだが、彼女の耳には聴こえていない。寧ろ、何を騒いでいるんだアイツは、とそんな風に捉えていた。

(まったく、こんなところでも騒がしいヤツだ)

 荒い息の中だというのに、箒はぼんやりとそんな事を考えていた。

 呼吸を自制するが、追いつかない。

 手足も酷く重い。至るところから熱を帯び、鈍い痛みをその身に感じていた。

 指先が震えて竹刀を巧く握れなかったが、そんな事には気にもせず、正眼に構え、箒は相手を探していた。

 視線を彷徨わせ――棍を握るランサーを見つける。それはまるで、此方が見つけるのを待っていたかのように。

 相手もまた、無造作に握っていた棍を構える。

 乱れた呼吸のまま――だが箒は言葉を吐いていた。

「すまない。私はあなたを見くびっていた」

「…………」

「勝てないのは重々承知だが、最後だけは、本気で闘ってくれないだろうか」

「…………」

「覚悟を決めて、私は今此処に居る。手加減は不要だ」

 そこまで言って、箒は自嘲気味に笑みを浮かべる。

 此処まで力量差があるのは十二分に感じ取れるが、それでも相手は本気を出していないのではと考えていた。そうでもなければ、こうまで長引かせるわけが無い。ランサーが自分を変にいたぶっているつもりがないのも解る。ならば手加減してのものだろうと箒なりの都合のいい勝手な解釈だ。

 格好をつけるわけではないが、相手にそれだけを伝えたかった。

「いや、私では全力を出すには値しない相手だろうが、我侭に付き合ってほしい。どうか、本気で頼む……」

「……いいだろう。嬢ちゃんの心意気、確かに受け取った。嬢ちゃんが望むなら、俺もそれなりに応えよう」

「すまない。それと、感謝する……」

 一礼すると、箒は眼を閉じ、ゆっくりと息を吐く。

「篠ノ之箒、参る」 

「来な」

 眼を開き、箒は床を蹴りつけ間合いを詰める。

 息吹とともに打ち込まれる竹刀をランサーは柄で弾く。

 だがそれは解りきっていた事、衝撃をそのまま――ぐるんと反転し、真横から払う剣閃。が、それもまたランサーは難なく防ぎ止めていた。

 と――攻守は一転。

 息も付かせぬランサーの連撃。それらを――しかし捌き、箒はかろうじて後退する。

 柄を打ち、軌道を何とか逸らせれば、と思案し――

 自分でも知らずのうちに、険しい表情の箒は笑みを浮かべていた。

(勝てないと諦めていたのに、今、私は勝とうとしたな……)

 高揚する彼女ではあったが、六合目までが限界となる。

 棍の戻りの動きに合わせて、だんと踏み込み、ランサーの胴を薙ぐ――が、剣先は届いていなかった。

 否――

 衝撃を腕に受け、箒の手から竹刀が消える。視認する間も無く、質量が消え空手となった彼女は解らなかっただろう。

 ランサーの棍が疾り、竹刀を宙へ跳ね飛ばしていた。

 愛用する竹刀をぼんやりと眺めながら――

(ああ、これは勝てるわけがないな)

 他人事のようにぼんやりと考えた箒のこめかみを、とんと何かが掠め過ぎ去る。刹那、彼女の意識はそこで途切れていた。

 床に崩れ落ちかける箒の身体を直前に抱き抑えると、ランサーは駆け寄る一夏へそのまま渡す。

「軽い脳震盪だ。ゆっくり寝かせてやんな」

 無言のまま、だが決して納得がいかない一夏はランサーを睨み付ける。

 できる事ならば、今すぐこの場で殴り飛ばしたい気分に駆り立てられていた。

 だが、それを押し込め、彼は一言だけを口にする。

「俺……お前が嫌いだ」

「そうかぁ? 俺はお前の事気に入ってんだがなぁ」

「…………」

 今一度睨みつけると、一夏は箒を抱え上げ、そのまま道場を出て行った。

「手厳しいねぇ」

 頭を掻きながら、振り向きもせずにランサーは、そうぼそりと呟いていた。

 

 

 ベッドに寝ていた箒はゆっくりと眼を覚ます。

 視界に映る赤焼けた天井。外から射し込む夕陽を感じながら、彼女はぼんやりと虚空を眺めたまま。

 しばらくして、自分は負けたのだなと感慨深げに改めていた。

 悔しさが無いわけではない。だが、その心情に陰りは無い。寧ろ表情は晴々としたものだった。

(全く手も足も出なかった……まだまだ私は未熟と言うことか……)

 自身の弱さを感じながら、箒は瞼を閉じ嘆息する。

 と――

「気が付いたか、篠ノ之」

「千冬さ……織斑先生」

 かけられた声音に少々驚いた箒は、現れた相手へ視線を向ける。

 椅子に腰掛け千冬は続けていた。

「今は教師の事は忘れて楽にしろ。此処にはお前と私しか居ない」

 千冬が言うように、保健室にはふたりしか居なかった。保健医たるキャスターは気を利かせて部屋から姿を消している。

「はい……千冬さん、私は……」

「見事なまでにやられたな。一方的だった」

「お恥ずかしい限りです」

「さっきまで一夏が居たんだがな……席を外させた。お前を運んでから、ずっと此処にいてな。心配していたぞ」

「一夏が……」

「衛宮もな、お前に伝えておいてくれとな。『ランサーのせいで、ごめん』だとさ」

「……そうですか」

 言葉少なく応えると、箒は天井を見つめていた。

「千冬さん……」

「なんだ?」

「あの人は……ランサーさんは強いです……とても」

「……だろうな。私もそう思うよ」

 とても試合と呼べるものではなかった先の一方的な展開。千冬はそれを思い返していた。

 眼の当たりにした、一挙手一投足、それらを踏まえた上で、ランサーがただの成人男性ではない事は一目瞭然だった。かなりの腕前、それこそ手練だろう。その一言に尽きる。

 更に言えば、恐らくは最後に見せた動きもランサー自身の全力では無いだろうと千冬は読んでいる。 

 首を動かし、箒は思考する千冬へ視線を向けていた。

「千冬さんは、あの人に勝てますか?」

「……どうだろうな」

 にべもなく千冬は応えていた。ただ、何手先を予想したとしても、彼女の脳裏では、あの男には勝てない様な気がしてならなかった。

「実際に相手をしたお前は解る筈だ。アイツは……実力が違いすぎる」

「……はい」

 頷く箒を見ながら、千冬は胸中で『次元自体が違うのかもな』とも呟いていた。

「私も、お前同様に何も出来ずに一方的に終わるかもな」

「…………」

「さてと」

 そこまで話すと、千冬は椅子から立ち上がっていた。

 ベッドに横たわる箒を見ながら言葉をかける。

「お前はもう少し休んでいろ。他の奴らには、私から伝えておく」

「すみません」

「ああ、それと……次にランサーと顔を会わせても喧嘩なんてはするなよ?」

「……しませんよ」

「ふふ……」

 ではな、と千冬は戸口へ向かう。がらりと扉を開き、部屋を出ようとするその背に箒は声をかけていた。

「千冬さん」

「……なんだ?」

 振り向かずに千冬は返答。

 担任の背に向かって、箒は自身の疑問を口にする。

「私は、強くなれますか?」

「なれるさ。お前が求める強さにも寄るがな。その答えの意味を理解していれば、自ずとな」

「…………」

「精々悩めよ、小娘」

 言って、千冬は今度こそ部屋を後にした。

 

 

 夕暮れの廊下を歩いていた千冬は、士郎とセイバーのふたりを見つけていた。

「ふたりとも何をしている」

「織斑先生」

「チフユ、ホウキは?」

 ふたりもまた此方に気づくと駆け寄っていた。

 セイバーの声にあるように、箒が気になって此処に居たのだろうと千冬は捉える。

「篠ノ之なら、今し方に眼を覚ましたところだ」

「そうですか」

 それを聴きいて士郎はホッとする。セイバーからの聴きづてで状況はある程度把握してはいたが、保健室に運ばれたともなれば色々と考えていたからだ。

 仮にも保健医として振舞うキャスターも居るのだから、酷い事にはならないだろうとも心の中では思ってはいたのだが。

 安心しろと声をかけてくる千冬は、そのまま続けてふたりに言う。

「篠ノ之の事を思うなら、出来れば、今はそっとしておいてやれ」

「……はい」

 頷く士郎から視線をセイバーへと移し――

「で、当のランサーのヤツはどうした?」

「解りません。何処かに出て行ったまま、まだ戻ってはいませんね」

 セイバーが口にしたように、箒との試合後、ランサーはふらりと何処かへ出て行った。

 行き先はセイバーも士郎も知りはしない。現に今もまだ帰ってきてはいない。

 余談ではあるが、剣道場でセイバーが一夏に発していた口上は、箒と試合中のランサーの耳にはしっかりと届いていた。

 その上で、試合後にランサーは『意味合いは解るが、お前が言うな』とセイバーにしっかりと釘を刺していたりする。

 当のセイバーは『ガーン』とショックを受けたような顔をしていたのだが。

 そうか、と一言漏らし、セイバーを真っ直ぐ見据え千冬は言葉を続けていた。

「一部始終を見ていたが、ランサーのヤツ、あれが本気では無いだろう?」

「それは……」

 流石にセイバーは言いよどむ。士郎はその場を見ていないのでなんとも言えない。

 唯一見ていた彼女はどう応えるべきか逡巡する。だが、千冬は呆れたように口を開いていた。

「隠すな。何も責めているわけでは無い。自惚れでは無いが、私なりに見て感じただけのものだ。ランサーに関してはな。なんとなくだが、立ち振る舞い、足の運び、それらを見て……何と言うのだろうか、桁というのか……レベルが違うのを感じる。セイバー、お前にもな」

「……すみません」

「いいさ。それに無理には訊かん」

 頭を下げるセイバーに千冬は笑ってそう応える。と、彼女の視線は士郎へと向けられていた。

「それと……衛宮、前の話だがな、更識がお前に何かちょっかいをかけているな?」

「ああ、まあ……」

「ハッキリ言っておく。相手にするな。アレは疲れるだけだぞ」

「……教師が言う台詞ですか? ソレ……」

 苦笑する士郎に対し、千冬は面倒くさそうに鼻を鳴らす。

「知るか。害にしかならんぞアレは。終始付き纏われてみろ。鬱陶しい事この上ない」

「まぁ……否定は出来ませんけれど……」

 何処か哀れんだような物言い、やりきれないとした表情を浮かべる相手に、目敏く千冬は訊ねていた。

「何かされたか?」

「あー、いや、特には。ただ生徒会に入らないか、と」

「あいつは……」

 言って千冬は額に手を添えていた。疲れた表情のまま、士郎を見る。

「返事をしたのか?」

「いえ、今は保留です」

「もう一度言うが、極力相手にするな。疲れるだけだ。ただでさえ更識で面倒なところに、そこに加えて――」

 そこまで言いかけ、千冬は口を噤んでいた。

 相手の態度に士郎は首を傾げていた。セイバーもまた不思議そうに視線を向ける。

「? 織斑先生?」

「いや、すまん。とにかく、あの馬鹿者は相手にするな。いいな」

 言って、じゃあなと士郎とセイバーの脇を通り過ぎる。

(束の事はまだ言えんな。余計な心配をかけさせるわけにも行くまい……)

 背後の士郎たちの声を聴きながら、千冬はそう胸中でひとりごちていた。

 

 

 陽も沈み、周囲には夜の帳が下りはじめる。

 学園近くの港湾、その防波堤に、ランサーはひとり腰を下ろしていた。その手には一本の釣り竿が握られている。

「釣れてるかしら?」

「まぁ、ぼちぼちてなトコか? 意外とな」

 音も無く、背後からかけられた声に、ランサーは振り返りもせずそう答える。

 缶コーヒーを片手に一口啜り――

「何の用だ?」

「用って言うか、あなたともお話したくって」

 少女の声音に何処か楽しさを含んだものを感じるが、対照に、ランサーはひとつ欠伸をする。

「生憎と、俺は今喋る気分じゃねーんでな」

「…………」

 手元に動きを感じ、引き上げる。

 釣り上げた魚から針を外し、ランサーはバケツへ放っていた。

「それに言ったハズだぞ? こそこそ嗅ぎ回るのは感心しねーってな」

「あら? 面と向かってなら、粗捜しをしてもいいのかしら?」

「別にかまわねーぞ。アイツに迷惑かけねーんならな」

 『アイツ』と示す言葉が誰の事なのかは少女は瞬時に理解する。だが、返答は無い。

 竿を振り、ランサーは続ける。

「警告はしたぞ小娘。テメエの遊びに付き合うほど俺は暇じゃない」

「…………」

 消える気配を背に感じながらも、ランサーはやはり振り返りはしなかった。


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